無責任賛歌
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2004年03月18日(木) |
口にパンをくわえて、曲がり角で誰かにぶつかりはしなかったが。 |
今朝、初めに目が覚めたのは6時頃だったのだけれども、テレビを点けて漫然と見てるうちにウトウトしてしまい、気がついたら8時10分だった。 思わず「わはは」と笑ってしまったが(人間、本気でビックリすると笑うものなのである)、まさしく「笑いごっちゃない」のだ。始業時間まであと20分。しげの運転だと、普段は25分かかっているから、間に合うわけがない。2分で着替えて、表に飛び出し、タクシーを捕まえた。「大至急お願いします!」 ネクタイや背広は手に掴んだままだったので、タクシーの中で着る。自分でもまるでマンガだとは思うが、なりふりかまっちゃいられない。運がいいと言うか、偶然にもタクシーの運転手さん、以前、私を乗せてくれたことのある人だった。「山越えの道ですね?」とスイスイ進んでくれる。これが道に不案内な人だと、やたら信号に引っかかったり小道を曲がり損ねたりするのだ。ホントに超特急で、変わりかけた信号をすっ飛ばし、3人ほど人を撥ねて(いやウソウソ)、職場に着いたのが8時27分。てことは、15分しかかかっていない。いつもしげが超安全運転で走ってることが分かるなあ。 こういう心臓に悪い朝はもう二度と迎えたくないけれど、人間、トシを取ってどうなるか予測のつくものではない。私はいったい寝起きがよくなるほうか悪くなるほうか。
今年度最後の例の部署での会議があったのだが、例のちょっとイッちゃってる方、やっぱり欠席。最近は、被害妄想がかなり強くなっていて、何か質問をしても「それは○○さんがやったことかもしれません」と、何の関係もない人の名前を挙げたりするようになっている(個人的に気に入らないことがあったらしい)。そして、社内のある一室に引きこもって、トイレと食事以外では全然出て来なくなってしまっているのだ。……って、会社で「引きこもり」ってあるのかよ。その部屋の中でパソコン仕事だけはやってるようだが、それ以外のことは全くしようとしない。これって、かなり「給料泥棒」だと思うのだが、放置してていいのか。引きこもるなら普通は家だろうよ、……と突っ込みたいところだけれど、もちろんみんな怖くて、そんなことは何も言えないのである。辞めさせられないのも、人権なんたらが絡んでるんだろうなあ。 そういう事情で、社屋内に昼日中から「開かずの間」ができてしまっているわけである。こんな気味の悪いこともないのだが、そこに出入りできる人間が、私を含めてもはや数人しかいない。上司も、その人にしてもらわなければならない仕事を、私から伝えてくれるように頼んでくる。……だから私はパシリとちゃうって(+_;)。
帰宅したら、しげは起きたばかりであった。「昨日からずっと寝てたのか?」と驚いたら、「朝ちょっと起きてたよ」と言う。だとしても、合わせて15〜6時間は寝ているわけで、やっぱり寝過ぎだろう。薬使わないと眠れないと言うし、寝たら寝たで今度は起きて来ないし、ちょうどいいコントロールができないものかな。
唐沢俊一氏の16日(火)の裏モノ日記での『アヴァロン』評、誉めてるような貶してるような微妙な表現だったのが面白かった。 北川れい子みたいに、押井守を観念的なテツガクかぶれと勘違いしないで(押井守ファンを自称している人間にもこの勘違いは多い)、あれを「抜群に面白いハードボイルドアクションの定番もの」と評価しているのはさすがなんだが、そこで「ハードボイルドものの定番設定の持つ、完成された魅力を押井守がついに壊し(再構成し)得なかったという、作家としての失点になるのではないか」とヒトコト付け加えなければならなかったのは、まあ、「オタクは押井守をあまり誉めちゃいけない」流れができちゃってるせいもあるだろう。オタクって権威嫌いだからねえ。かつてマイナーだったころにはみんなこぞって褒め称えていた宮崎駿を、現在扱き下ろすオタクのいかに多いことか。まあ私も「今の」宮崎駿は好きになれないけれども。 普通はその作家が「定番通り」のものを作れば、それでヨシとされるのだが、「それ以上のもの」を求められてしまうのが現在の押井守の立場なのである。でも求められたからって、それにまるで左右されずに、相変わらず「犬」を出すことに熱中している押井さんの飄々とした態度が、見ていて気持ちがいい。何か言われたからって激昂するような鬱陶しいオタクは他山の石とするがいいのだ。
久しぶりに某氏のホームページの日記を覗いてみたら、「古いオタク」を自称する(若い人なのでどこが古いのかと思ってしまうのだが)その人、昨日の『トリビアの泉』の藤岡弘、のあのどうしょうもない演出を激賞していた。そのギャグセンスの無さ加減にも呆れるのだが、文章がテンから藤岡弘、氏を馬鹿にしていて頗る悪意的であるのに、自分ではいっぱしのファンのつもりで、どれほど失礼なことを書いているのか、自覚もないようなのである。よくそんなことで「オタク」などと自称できるものだと情けなくなった。オタクのイメージが悪くなるばかりじゃないか。くだらんゴタク垂れ流してあっちこっちにメイワクかけるくらいなら、オタクの看板降ろしてくれ。Y(>_<、)Y でも、この程度のレベルの人間性しか持ちえぬ人間が、現在では実体としてオタクの普通レベルになってしまっているのである。もう岡田斗司夫さんの提唱していた「オタクエリート論」は完全に雲散霧消してしまったと実感せざるを得ない。今や「オタク」は一般人以下の、知見(知識ではない)のないことを開き直って傲慢になることしかできない人間しかいなくなってしまっているのだろうか。実際、一時期はそれほど嫌われなくなっていたオタクが、最近は宅八郎のころのように毛嫌いされつつあるのである。特に女性たちから。 その人、もともと悪人ではなかったと思うのだが、周囲の人間が卑劣漢ばかりなので、相乗効果でとことん馬鹿に成り下がってしまったのだろう。親友として親身になって忠告しようという人が全くいない。表向きだけはそう言ってのける輩はいるかもしれないが、陰では全く逆の悪口を平然と言える二枚舌野郎ばかりなのだ。その人がおだてられていいように利用されているだけなのに、有頂天になっている様子は哀れだけれども、それも当人の撒いた種である。類は友を呼んだのだ。落ちるところまで落ちて恥を晒していくしかないのだろうが、それとて恥と思わぬ鈍磨な神経に成り下がっているのであれば、脳天気でかえって幸せかもしれない。 私も人からオタクだオタクだと言われて、頑強に否定するのも相手に悪いので受け容れてきたのだけれども、あんなのと同列に扱われるとなると段々気が滅入ってくるのである。もともと岡田さんの「オタクエリート」という言い方にビビって、「いや、私はそんな立派なものではありませんから」と萎縮していたのだけれども、今度は「オレをオタクと呼ぶな!」と否定しなくてはならなくなるのである。こんな悲しいことはない。その馬鹿に向かって何を言おうが、「バカの壁」をつくっちゃってるんだから、どうせなにも理解できはしないだろうと諦めながらもあえて言うが(ただし、これは押しつけがましい「忠告」でも「諫言」でもない。だいたいその人はこの日記を読んでないだろうという前提で書いてんだから。これはただの「祈り」である)、頼むから、もちょっと人としてマトモなことを書いてくれ。隣りにいる人の皮かぶった糞の言に耳を貸してる限り、人の心をなくしてくぞ。
14日、神奈川県立厚木高校のダンスドリル部の2年生チーム「IMPISH」(=小悪魔のような、いたずらな、お茶目な)が、日本の高校生チームとしては初めてフロリダ州オーランドで開催されたNDA「全米チアダンス選手権’04」に出場、総合グランプリを勝ち取るという大快挙をなし遂げた。 ……ってニュースをCSで知ったんだけど、新聞でもネットでもあまり話題になってないなあ。テレビ見てて久しぶりに「そりゃすげえ!」と思ったんだけど。 特にチアダンス(チアリーディングと違って、スタンツはしない)に詳しいわけではないけれど、たまにテレビで選手権やってるのを見ることもあるから、向こうのレベルの高さには舌を巻いていた。高校生でもブロードウェイのプロダンサー並の激しい踊りやってのけてるんだものなあ。層が厚いってのはこういうことを言うんだろうか。その、アメリカ全土から集まった選りすぐりのチアダンサーに伍して、優勝したっていうんだから、こりゃ驚かない方がどうかしている。新聞の一面にデカデカと載ったっていいと思うんだが、なんか日本のスポーツ界のメジャー、マイナーの色分けって、偏向があり過ぎると思うんである。野球とサッカーとマラソンしか頭ん中にないんじゃないのか。
これもバグダッドテロなんかどうでもよくなるような(こらこら)大ニュース。 水野晴郎が、『シベリア超特急5』(こないだ『4』のあとにいきなり『7』を作って、再び『5』に戻ったのね)の撮影現場で転倒し、背骨と左手首を骨折する大けがをした。 13日の午後、水野監督は東京・調布市の日活撮影所で、万里の長城のセットからの階段落ち、走る列車の屋根での乱闘シーンの撮影中に、前のめりに転んで床に左手をつき、激痛が走った。15日になって病院でレントゲン撮影したところ、左手首骨折と診断。さらにその約1週間前に転倒した際にも背骨を圧迫骨折していたことも判明したとか。……って、一週間、骨折に気がつかなかったってのが凄くないか。しかも背骨だよ? 当然撮影中止かと思いきや、スタッフに「ライフワークなのでやめたくない」と執念を見せて、現在、ギプスとコルセットで固定し、痛み止めの注射を打ちながら撮影に臨んでいるとか。その執念はすばらしいと思うけれども、「ライフワーク」だったのか、『シベ超』。いや、確かにライフワークだよなあ。ライフワークにしなきゃ作れないものなあ。
6月5日に公開予定だった那須博之監督の『DEVILMAN デビルマン』が「デビルマンの世界観をよりスケールアップするため、予定になかったシチュエーションを映像化すべく100カットの追加撮影を決めた」との理由で公開延期。 100カットってだけじゃ、ドラマ部分が増えるのか特撮部分が増えるのかも分からないし、分数も見当がつかないないけれども、なんたってハルマゲドンまでちゃんと映画化しようってんだから、完成度が高くなるのは歓迎ではある。 けど、『ハウル』『スチームボーイ』に続いて『デビルマン』もか。それだけ、力入れてる企画が多いってことだから、決して、リメイクだからって、最初から馬鹿にしちゃいけないよ。ともかく、映画は「見てから判断すべし」は基本なんだから。 だから私ゃ、『SAMURAI7』(『七人の侍』のGONZOによるアニメ版リメイク)にも期待しちゃうぞ♪(マジかよ)
女優のマーセデス・マッケンブリッジさんが、今月2日、サンディエゴで死去していたことが判明。享年85。詳しい死因は不明。 『オール・ザ・キングスメン』(1949年)でアカデミー助演女優賞を受賞した後、『ジャイアンツ』(1956)『武器よさらば』(1957年)などに出演したが、60年代以降は低迷した。 起死回生を狙ったのが『エクソシスト』(1973)での悪魔に取りつかれた少女リーガン(リンダ・ブレアー)の声の吹替えだったが、ウィリアム・フリードキン監督はマッケンブリッジさんの名前をクレジットすると約束していたのに、それではリンダ・ブレアーがアカデミー賞を受賞できなくなると判断して、クレジットから外してしまった。ショックを受けたマッケンブリッジさんは、その事実を暴露し、これがスキャンダルとなって、『エクソシスト』はノミネートされていた各賞の殆どで落選した。これこそ「『エクソシスト』の呪いだ」と当時は世人の口の端にのぼったものだったが、実際には「アカデミー賞の夢をもう一度」と願った老女優と、「初めてのアカデミー賞を」と欲にかられた監督の、どちらも「アカデミー賞の呪い」にかかっていたのである。……とは映画評論家・川本三郎氏の説。 私にはこのエピソードはただただマッケンブリッジさんがかわいそうに思えるだけである。ちなみに、現在流布しているDVDソフトには、オリジナル劇場版のものにも、先年公開された追加シーンを含むディレクターズカット版のクレジットにも、マッケンブリッジさんの名前がちゃんと追加されている。しかし、マッケンブリッジさんの花がもう一度咲くことはなかった。
2003年03月18日(火) 第三セクター救済企画(^o^)/『ルパン三世 ある雨の日の午後(前編)』(大塚康生) 2001年03月18日(日) めおと変態/『セクサドール』(石ノ森章太郎)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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