無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年09月30日(月) 今時の格闘オタク/アニメ『天地無用! GXP』第1話/『Heaven?』4巻(佐々木倫子)ほか

 岡田斗司夫さんの「オタク日記」、8月13日の項に、「私は格闘技オタクはキライだ」の記述がありビクッとする。
 アウトドアだのスポーツだなどと、そんなもんこの世にあるの? とばかりに、世間から隔絶し、ひたすらウチに篭るオタク(オイ)にとって、唯一共感を覚える体育系が格闘技、特にプロレスである事は論を待たない(そうか?)。
 もう我々の世代は『タイガーマスク』でプロレスに対する思いを擦りこまれちゃってるからねえ。40代、50代の男で、かつてアントニオ猪木のファンでなかった人間を探すほうが難しいのではないか。更には現実にタイガーマスクが登場し、ライバルのブラックタイガーやら(やたら弱かったが)、果てはウルトラマンだのウルトラセブンだの、獣神ライガーだの、いったい白いマットの上はジャングルなのかデパートの屋上の特設ステージなのかと、見紛うほどになっていたとき、当時の我々は、生きてるうちにこんな面白いものが見られるとは思ってもみなかったとむせび泣いたものだった。
 ああいうふざけた楽しさが岡田さんにはわかんないのかなあ、と思ってよく読んでみると、どうも岡田さんが毛嫌いしている「格闘技オタク」と言うのは、私のようなプロレスを「イロモノ」として楽しんでいるのとはどうやら違っているようなのである。どうやらプロレスを本気の勝負と思いこんでる連中を指しているようなのである。……今時いたのか、そんな連中。
 少なくとも、私が出会ってきた友人たちで、ジャイアント馬場やアントニオ猪木が本気で強いと思ってたやつは一人もいなかった(ガタイはでかいからそれなりには強いだろうが、少なくとも「地上最強」ではない)。
 プロレスの「強さ」は「演出」なんであり、だからこそ猪木の異種格闘技戦シリーズも楽しんで見ることができたのだ(モハメド・アリ戦は演出に失敗してたからつまんなかったけどね)。
 プロレスがつまんなくなっていったのは初代タイガーマスクが「本物指向」を打ち出してマスクを脱いだころからだったと思うが、度重なるプロレス団体の内紛、分裂がファンの興を削いでいったことは間違いないことだと思う。全日と新日に別れていたころは、それでもいつかはもう一度、馬場と猪木の再戦が見られるとファンは期待していたものだったが、その期待が薄れたころから新日は別の「抗争」を演出しようとして、それに失敗した。いくら弟子が師匠に反旗を翻そうが、それが「脱退して自分たちだけでやります」じゃあ、そりゃ露骨に戦うのを引き伸ばしているだけじゃん、としか言えなかった。戦えば結果が出ちゃうじゃないか、というハラだったのかもしれないが、引き伸ばすにしても限界というものがあるのである。結局、長州はどうなったんだ。もう私ゃプロレスからすっかり離れちゃったから、今の消息も知らないのである。確か初代タイガーは去年の参院選で落選してたと思うが。
 プロレスラーたちは、結局、自分たちが何を見せればよいかを勘違いしていたのである。
 プロレスオタクたちがアホになっていったというのも分らないではない。
 どう見てもつまんないものを面白いと思いこむためには、やはり自らを騙していくしかしょうがないのである。シューキョーにハマるのと同様に、もう他人の価値観を拒絶し、視野狭窄に自ら陥らねば、あんな知性のカケラもないただの肉玉のぶつかり合いに燃えられるはずもないのだ。結果、プロレスファンたちは「プロレスファンにあらざるものは人にあらず」みたいな唯我独尊主義を標榜することになる。
 でもなあ、オタクって結局、みんなこういう傾向があるんだよなあ。去年の「ゴジラ誉め殺し」も全くこれだし。私だって昔から「薬師丸ひろ子が出てれば名作」「原田知世に駄作なし」「加藤夏希が出るだけで映画」とアホは散々やってきているのだ。こーゆーのってシューキョーなんだから、強制さえされなければ「勝手にやってなさい」で、別に怒る必要もないことだ。岡田さんが格闘技オタクをそこまで毛嫌いするからには、何かよっぽどイヤな目に合わされたんではなかろうか、という気がしてならない。
 あるいは『フロン』に登場する岡田さんの周囲の女性たちの発言を読んだり、歌舞伎ファンについて岡田さんが書かれたものを読んでも思ったことだが、岡田さんの回りって、バカがやたら多くないか。人生相談みたいなことやり始めると、バカが本気で集まってくるんである(だいたい他人に人生相談しようなんてやからはバカか極悪人かのどっちかだ)。仕事の上でのこととは言え、バカバリヤーを作りすぎるのもあまりよくないと思うんだけどなあ。


 猫のしっぽや耳をはさみで切断し首を絞めて殺し、その画像をインターネット上で公開して動物愛護法違反の罪に問われた松原潤被告の初公判が、福岡地裁で開かれ、検察側は懲役6ヵ月を求刑した。
 あ、この事件、地元のことだったんだ。こーゆー世間から隔絶してウチに閉じこもったような(今日はこればっかや)人間が犯罪を起こすってのはいかにも都会的に見えるけれど、実際には村八分された人間のストレスの発露だったりするので、福岡もまだまだイナカだなあ、と思うんである。
 「会社で上司の期待に応えられないことなどから、自分を責めるようになり、動物虐待の書き込みで気を晴らすようになった。拾ってきて洗った猫に浴槽でふんをされ『裏切られた』と思って虐待した」のが動機だってさ。
 ……なんだかなあ、人間に裏切られたってんなら、まだ話も分らなくはないけれど、猫かい(-_-;)。人付き合いがヘタで、猫だけがお友達。赤木リツコか。「猫が死んだの」って一緒に暮らしてたらあいつも猫殺してそうだよな。
 なんか、落ちるとこまで落ちるっつーか、人間、駄目になっていくと、ここまで来るかってなもんだけれど、腑に落ちないのはそれをネットで公開したって神経だよなあ。いったいこいつはその虐待画像を公開することで世間からどんな反応があるか、なんの想像もしてなかったのだろうか。
 私のこの日記だって、職場のストレスのうさばらし的傾向が全くないとは言えないのだが、どっちかっていうと、私の意見に共感を持ってもらうよりも、「こんなバカなやつがいる」と読む人にが笑ってくれること、怒ってくれること(^o^)を目的としている。過激なことを書いてるようには見えても(私は全然そう思ってないのだが、人にはそう見えるらしい)、公的な人間に対する批判はしても、私的な人間に対する中傷はあくまで匿名に留めている。職場の連中への悪口が匿名なのはそのためだ。逆に、劇団の連中への悪口は、彼らが役者である以上はあくまで公人としての批判の範疇のもの。だから「芸名」を出してるんである。
 私ですら、この程度の判断力はある。さて、この猫虐待男に何の判断力があったというのか。これはもう精神鑑定の領域なんじゃないかと思うが、いつもなら弁護士が精神鑑定の要求をしたとかいう記事が載るもんだけれど、今回、そういう請求をしたような形跡がないね。つまり、弁護士も多分、こいつを牢屋にぶち込みたいんである。ウチで猫飼ってたりしてる可能性も大だな(^o^)。
 でもネットを散策してりゃ分ることだが、ネット上での極悪なサイトはこんなものではない。この事件だけが突出して報道されるってのは、やっぱり世の中、猫だのハムスターだの、人間以外のものでないと癒されない人間が増えてるんだろうなあ。言っちゃなんだが、「犯人を許すな」キャンペーンを張った連中のメンタリティも、この犯人とたいして変わんないのである。同族嫌悪ってやつだね。


 つくづく私はマジメな人間というのがキライらしい(^_^;)。
 いやね、またぞろ会議がウダウダと長引いちゃったんだけどね、まあ、「実効性のない正論」(キレイゴトとも言う)喋くるやつ多くってさあ。
 もちろん「正論」であるからには、一応理屈は通ってるんであって、反論するのは難しい。本気で相手を説き伏せようと思ったら、もう人格攻撃をするしかないんだが、それやっちゃうと別の意味で業務が滞っちゃうからやれない。
 結局、できもしない「正論」が罷り通っちゃって、仕事はわやくちゃになっちゃうんだが、もうこれに対抗する手段は「手抜き」しかないのである。ヘタにがんばってがんばって仕事しあげちゃうと、「あ、この予算でこれだけのことができちゃうんだ」とクライアントにも勘違いされる。歩合で働くアニメーターみたいじゃんか(-_-;)。
 問題は「手抜きがバレないように手を抜くにはどうしたらいいか」ということだが、ある意味やっぱりこれには徒党を組むしかないとこがあるんだよな。身の回りをうまく固めないと、完璧に孤立しちゃうからねえ。
 とりあえずは『三国志』を読みなおすか(^o^)。

 ともかく、会議が長引いたせいで、今日もまたしげを駐車場に30分以上も待たせてしまった。お詫びにしげに寿司を奢る。寿司屋についてはこないだぴんでんさんから「『すし大臣』ばかり行ってんじゃないよ」と言われていたので安い安い「しーじゃっく」。同じ三千円で食っても、二人で10皿以上、差が出るのだから、確かに普通はしょっちゅう「すし大臣」には行かないよな。
 しげは「ぴんでんさんはお金持ちなのに、どうして?」と疑問を口にするが、私ゃぴんでんさんがお金持ちかどうか知らないって(^_^;)。それに金持ちだって節約はするがな。
 それより、それだけ飲み食いしといて自分以外の人間は金持ちに違いないって思いこみ、他人から見たらすっげー癇に障ると思うんだけど。


 帰宅して、疲労が溜まっていたのでとりあえず寝る。
 早寝して、朝早く起きてパソコンやった方が時間が使えるのである。
 と思ってたのに、7時に寝たのに10時過ぎには目が覚めてしまった。丁度こうたろう君から電話がかかってきたので、東京行きについて打ち合わせ。
 ヨナさん御夫妻とあぐさんとも連絡が取れたので、今回の東京行きは小ぢんまりと妖しい店で歓談することになりそうである(^o^)。


 うまく起動しなかったしげのパソコン、どうやら直ったみたいである。
 しげのが動かない間、私のを使ってたのだが、私のは不必要なソフトが放置されたままで起動は遅いわ、デフラグはろくにかけてないわで、使いにくいこと夥しい。いや、私がメンテの仕方をしょっちゅう忘れてるからなんだけど。
 しげ、あまりに腹が立ったのか、私のパソコンをいろいろいじくって環境を随分よくしてくれたらしい。「らしい」というのは未だに起動が遅いからなんだけど(^_^;)。
 でも、久しく行かなくなっちゃったニフティの映画フォーラムなんかを消されたのはちょっと寂しかった。確かに書きこみはしてないけれど、覗くのはキライじゃなかったんだけどなあ。


 アニメ『天地無用! GXP』第1話「雨のち霧、時々不幸」。
 東京じゃもう放映が終わってるってのに、福岡じゃ今日から新番。しかも2時半からの深夜放映。全く福岡の放送局はアニメを冷遇してくれてることではある。でも『はれときどきぶた』『エクセル▽サーガ』のワタナベシンイチ監督の新作シリーズである。これを見ないでいられようかってなもんだ。
 『天地無用!』の旧シリーズとは世界が同じなだけで、主役も登場人物も重なってはいない。主役の山田西南(せいな)が柾木天地の後輩であるつながりがあるくらいのものだ。本編にも、魎呼が空飛んでる姿がチラッと映るだけ。
 その点、天地シリーズに新参のナベシン監督、自由にのびのびと脚色できている感じ。
 もともと『うる星やつら』的な世界観で人気を博した『天地』シリーズだったが、今回の主役、西南が、なぜか不幸を呼びこむ運命で、しかも結構スケベってところが、諸星あたるに近づいている。っつーか家族から見捨てられてるとこまで同じなんで、これはナベシン監督の確信犯だろう。パクるんなら堂々とパくれ! というポリシーだろうか。いやもう、盗作ギリギリのセンだなあ。
 でも品行方正で面白味に欠けた天地よりこっちの方が絶対面白いやな。つーかその運の悪さはあたる以上。自分の身の周りの人間まで不幸にしまくる。
 家にいると、家が営む店の客がいなくなる、携帯電話をかけている人のそばにを通るといきなり圏外。友人に会うと一人は田んぼに落っこち、一人はトラックに泥をはねられる。ここまで徹底してやってくれるからギャグが生きる。でもナベシンギャグとしてはまだセーブしてる方だな。『はれぶた』や『エクセル』は既に「暴走」してたからねえ(^_^;)。
 西南は、柾木家の親戚筋にあたる柾木霧恋(まさき・きりこ)にほのかな憧れを抱いてはいるが、霧恋はそんな西南の気持ちに気付いてもいない。つくづく不幸が身に染みついているのだ。
 さて、そんな西南がある日偶然、GP(ギャラクシーポリス)の雨音(あまね)・カウナックに出会い、「キミさぁ、GPに入らない?」と誘われたことから新しい騒動が。
 二人のヒロインの間で揺れるって設定は旧シリーズから踏襲してるらしい、っつーか、これもやっぱり『うる星』なんだよなあ。雨音がラムで霧恋がしのぶか。この定番キャラクターをどれだけ暴走させてくれるかが今後の見所だろうけれど、東京人はもう結末まで知ってんだよなあ。やっぱりそれがちょっと悔しいぞ。


 マンガ、横溝正史原作・秋乃茉莉作画『傘の中の女』(秋田書店/サスペリアミステリー11月号付録)。
 私は未だかつてこんなに妖しい金田一耕助を見たことがない(^_^;)。
 秋乃さんのマンガは好きだけどさあ、『リトルショップ・オブ・ホラーズ』のD伯爵と同じ顔で金田一耕助を描かんでほしい。イメージあまりに違いすぎるよ。それから原作は『金田一耕助の冒険』からのセレクトだけど、マンガ化に一番向かない作品を選んだ感覚が解らない。これ、絵で書くとトリックが一発でバレちゃうので(クリスティーの某有名小説からトリックをパクってるが、これの映像化作品も失敗作だった)、そもそもこんなトリックを犯人が考えたこと自体、不自然極まりないのである。
 まあ、いろんな作家さんに金田一を描いてもらうのはいいけれど、やっぱり原作選びと、作画担当者選びにはもちっと慎重に行ってほしいよ。でも少女マンガ誌じゃまずムリかなあ。


 マンガ、佐々木倫子『Heaven?』4巻(小学館/BIG SPIRITS COMICS SPECIAL・950円)。
 唐沢俊一さんが日記で激賞されていたが、1〜3巻とそう極端にレベルが上がったとも思わないなあ。前から面白かったし。
 もちろん、黒須オーナーの暴走を面白がるところに視点を置けば、その非道ぶりはこの4巻では弥増しているわけだから「俄然面白くなった」という感想は妥当なものだ。このマンガがそういう方向にシフトしていくとしても、それはそれで面白くなるんだから、別に文句をつける必要もないことである。
 けれどこの作品は、もともと寄せ集めの(オーナーの「カン」だけで集められたんだから当然そうなる)スタッフが、いかにしてこの最果ての地にある「ロワン・ディシー」を切り盛りして行くかの珍騒動を描くことにあったので、今巻のミステリー話とか幽霊話とかは、「番外編」的要素が強いのである。
 で、黒須オーナーの唯我独尊が本領を発揮してるのが、この「番外編」の方だということは、言い替えれば本編であまりオーナーを暴走させすぎると、話そのものが成り立たなくなってしまう危険を孕んでいるのである。
 だから、いかにもレストラン話っぽい、秋のメニューについてオーナーとシェフが対立する28、29話では、オチの部分以外、黒須オーナーは極めてマトモなのである。
 正直なところ、佐々木さんの作品として『Heaven?』はまだまだ発展途上にあるのであって、だからこそ荒削りなところ、チグハグなところが見受けられる。それを面白がるのはもちろん個々人の自由なのだけれど、もともと絵柄的に佐々木さんの作品は破天荒になりにくいのだ。『おたんこナース』が人情ものに流れていったように、これもギャグとして座りごこちのいいところに着地してしまう可能性の方が高いと思うので、唐沢さんのようにあまり裏読みして楽しんでも、最後には『李さん一家』でオチがついちゃって、あっさり終わって「なあーんだ」ってことになるんじゃないかって気もするのだが。
 サラリと読み流す程度で楽しんどきゃいいんじゃないかなあ。

2001年09月30日(日) 新人さんの名前は?/『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー)ほか
2000年09月30日(土) 邪馬台国と背後霊と泥繋がりと/映画『モンティパイソン 人生狂騒曲』ほか



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