無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年09月21日(日) 劇団の激談/『美女で野獣』3巻(イダタツヒコ)/『バジリスク 甲賀忍法帖』2巻(山田風太郎・せがわまさき)

 俳優・河原崎長一郎さんが19日午後4時26分、急性心不全のため死去、享年64。若過ぎる死だし、また糖尿病である。
 つい何日か前にCS時代劇チャンネルで『子連れ狼 その小さき手に』に出ていた河原崎さんを見ていたばかりだったので(と言ってもこれも何年も前の映画だが)、なんだか亡くなられたという実感が湧かない。
 誠実、実直、お人好し、そういった印象の役柄が多く、たまにちょっと悪役っぽい役をされても、「でも根はいい人なんだろうな」と思わせるところがあった。この人も代表作を「これ」一つと挙げきれない。遺作の記述が新聞に載ってなかったけれど、いったいなんだったんだろう。 


 朝11時より、久しぶりに劇団の集まりに参加。
 パピヨンプラザのロイヤルホストにメンバーが参集。と言っても出席者は、私、しげ、円谷君、鴉丸嬢、穂稀嬢、よしひと嬢の6人のみ。メンバー数だけいてもなかなか集まれないというのがうちの一番のネックなんだよな。
 脚本書くときにも、勢い、役者を3人程度に抑えなきゃならない。しかも、よしひと嬢は家庭の事情で役者としての参加は今回ほぼ不可。となると、最悪の場合、しげと鴉丸嬢二人だけの芝居も考えないといけなくなる。
 何度も言ってるけど、もうたいがいで誰か脚本書こうってやつ出てこないのか(-_-;)。
 とりあえず女二人、男一人の想定でシノプシスを書いて来たが、みんなに読んでもらった評判はあまりよくない。私の場合、最初からそうビシッとしたものが書けるわけじゃなくて、書いてるうちにアイデアがひらめく場合が殆どなので、シノプシスの段階では外形ばかりで中身がスカスカな場合が多いのだが、叩き台としてはそれで充分なので、あとはみんなでああすればこうすれば、と意見を出してくれればいいのである。
 ところがこれが、具体的なアイデアとなるとからきし出ないのである。「おもしろくない」「ありきたりだ」という「感想」は出るんだけど、打ち合わせってのは品評会とは違うんだから。
 結局、みんなの不満が奈辺にあるかを推測して、具体的な改変をしなきゃならなくなるのは私ということになるのである。でも、みんなが「何をしたいのか」ってのが見えてこないと、私だって具体的なアイデアは出てこないんだけどな。

 打ち合わせのあと、しげと鴉丸穣と連れだって、博多駅の紀伊國屋に回る。鴉丸嬢にはここのホームページのイラストを描いてもらっているのだが、ここしばらくは芝居に集中していて更新がなかった。改めてイラストを何点か描いてもらうために、報酬として本を買ってあげるのである。なんか安上がりで申し訳ないんだけど。
 鴉丸嬢、最近はクトゥルー神話にハマってるようで、ラブクラフト以外にも青心社の『クトゥルー』シリーズなどに手を伸ばしているとのこと。マンガでもクトゥルーものを探していたようなのだが、しげとよしひと嬢が、揃って「諸星さんがあるじゃん」というので、物色に来たのである。
 で、「諸星さん」とはもちろん諸星大二郎なのだが、はて、諸星さんにクトゥルーものがあったっけと訝る方もおられよう。で、それが何かというと『栞と紙魚子』シリーズなのである。いやまあ、確かにクトゥルーものだと言えば言えるが、そんな認識持ったことなかったよ(^_^;)。クトゥルーちゃんの「テケリ・リ!」って叫んでるのはラブクラフトじゃなくてエドガー・ポーだし。
 文庫版の『栞と紙魚子』全3巻を見つけて鴉丸嬢にご進呈したが、こりゃもう、早いとこウチの本棚あせくって、『真ク・リトルリトル神話体系』貸してあげないといかん、と心に誓ったことである(^o^)。


 鴉丸嬢を家まで送ってさしあげたあと、帰宅の途につく。
 途中、バーミアンで軽い食事を取りながらしげと長話。
 しげの職場に、顔立ちは全く日本人なのだが、喋り方がどうも「外人っぽい人」がいるとか。意志疎通がしにくいし、「どこか他の国の方ですか?」と聞いてみたい衝動に駆られるのだが、そういうこと聞くの差別かなあ、と気にしているのである。
 こういう話を聞くにつけ、「人権思想」の弊害ってのはやっぱりあるよなあ、と思ってしまう。相手が何人か聞くなんてことは、もちろん差別でもなんでもないのだが、「誰かが差別だと言い出すんじゃないか」という恐れが逆に「壁」を作ってるんなら、そっちの方がよっぽど差別だろう。
 厳密に言えば、人間と人間の関わりなんて、相手のことが完全に理解できることなんてありえないのだから、どうしたってそこに「偏見」は混じる。人の言動を差別だと決めつけようと思えば、全てが差別になっちまうのである。
 「で、聞いてみたいの?」
 「聞いて相手が気を悪くしたら、一緒に仕事しにくくなるじゃん」
 「聞く必要が絶対あるの?」
 「絶対じゃないけど」
 「だったら答え出てるんじゃない」
 初めからしげが本気で相手に国籍のことを聞いてみる気がないことは解りきっていたので、どうしても返事はつれなくなってしまう。自分で答えを出していることを人に聞くというのはそれこそシツレイの極みだと思うが、自分の行動を決断するのに、あと「ひと押し」がほしいのだろう。
 でもその「ひと押し」のあとでトラブルが起きたりしたら、すぐこちらに責任転嫁してくるのが目に見えてるから、私も愛想よく返事をする気になれないのである。
 ……短く書いてますけど、この手の話でそこに3時間くらいいたんですよ。思えらく、「人権思想」って、平等を謳ってるんじゃなくて、「出る杭を打つ」ことしかしてないんじゃないですかね。藤子・F・不二雄さんが『征地球論』で喝破したごとく。


 マンガ、イダタツヒコ『美女で野獣』3巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 1巻のころに比べると結構絵がうまくなってきたかな。大胆なアングル・構図も取れるようになってきたし、線に「伸び」が生まれてきている。なんだかんだ言って「女闘美」モノでは一頭地を抜いてるんじゃなかろうか。他にどんな「女闘美」モノがあるかはよく知らんのだが(^o^)。
 まあよくわからんが米軍基地とのチアガールファイトは面白かった。敵の3人がバブルスとバターカップまではいいとして(いいのか?)、3人目がキャメロンなのはよくわからんが。それとも実は3人目のブロッサムは4巻のお楽しみなのだろうか。
 カバーをめくって、表紙のマンガも楽しみましょう。


 マンガ、山田風太郎原作・せがわまさき漫画『バジリスク 甲賀忍法帖』2巻(講談社/アッパーズKC・560円)。
 戦慄の走るマンガというのはこういうのを言うのかなあ。
 いやもう、甲賀弦之介の「瞳術」ですよ。いや恐ろしい。山田風太郎の小説を「こういう形」で視覚化できるとはねえ。これ、アニメや特撮にしたら、ただ眼をピカッと光らせるだけっておサムイ映像になっちゃうんだろうなあ。って、それ、『魔界転生』じゃん(^_^;)。
 この弦之介の「瞳術」対朧の「魔性の眼」、発想は「もしもメデューサとゴーゴンが見つめあったら?」ってなあたりにあるんじゃないかと思うけど、そこに「ロミオとジュリエット」を重ねちゃうのが山田風太郎の非凡なところ。
 何がイイかってさ、「家同士が本気で戦争やってる最中に何を色恋沙汰でゴチャゴチャやっとんねん」という現状認識の甘さというかフヌケた展開が、山田風太郎にはないのだ。その点、本家『ロミオとジュリエット』より、『ウェストサイド物語』より『甲賀忍法帖』のほうが格段に凄惨かつ冷徹なんである。人間、「恋」をするならこれくらいのモノをしなきゃなあ、と思うのは、「地獄」を見たことのない甘ちゃんの発想なのかもしれないけどね。
 だからこそ、この2巻でのラストのアレがまた……戦慄するのよ。
 「究極の愛」を描かせて、谷崎潤一郎を越えてると私が思った作家は、実は江戸川乱歩と山田風太郎の二人だけなんである。
 まだ原作読んでないアナタ、人生ゼッタイ損してるぞ。

2002年09月21日(土) 世界の王/『パラケルススの魔剣 アトランティスの遺産』(安田均・山本弘)/『パンゲアの娘 KUNIE』5巻(ゆうきまさみ)
2001年09月21日(金) 子供のころは本屋さんになりたかったのさ/『多重人格探偵サイコ』7巻(大塚英志・田島昭宇)ほか
2000年09月21日(木) 笑顔とブレゼントとオタアミと



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