無責任賛歌
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2003年09月11日(木) |
アニメの世界は広いんだぞ/『Heaven?―ご苦楽レストラン』6巻(完結/佐々木倫子) |
昨日のチャットでの『トリビア』話の続き。 「波止場で船を舫う金具のことを何と言うか?(よく小林旭とかが足かけてたやつね)答えは『ボラード』」というやつだが、これは「日頃よく目にするけど意外と名前を知らないもの」ということでなかなか面白いトリビアシリーズになりそうだという話題であった。 で、私が「カレールーを入れる容器の名前を何と言うか?」ってお題を出してみたのだが、博学なみなさんばかりなのに、意外にも名前を知らない方がおられた。答えは「ソースポット」である。でも、昨日はつい説明し損なったのであるが、ホントのことを言うと、私もその名前を知ったのはつい5、6年前のことだったのである。 シティボーイズライブ『NOT FOUND』の中の『毛皮男たち』のスケッチで、中村有志が「カレールーの入れ物買いに行くんだけど、アレなんて言ったっけ?」と質問したら、大竹まことが「魔法のランプって言うんじゃないのか?」と答え、陰でいとうせいこうが「こんな人死ねばいいのに」と突っ込むというギャグがあったのである。 で、結局「魔法のランプ」を何と言うのか芝居の中では答えが語られないまま、どうにも気になって、あっちこっちネットを探して、ようやく「ソースポット」という名前に行きついたのである。 それまで私は勝手に「ルーカップ」と呼んでいた。ポットよりはカップのほうがイメージに合うよなあ、とは思うが、全くもって芸のない名付け方である。 チャットで某さんは「『アラジンつぼ』と呼んでました」、とご披露されておられたが、どうせ間違えるなら、これくらいすっ飛んだ間違いをしたいものである。 ついでだが、子供のころ、私の母方の祖母は、食器の「フォーク」のことを博多弁で「刺すと(刺すもの)」と呼んでいたので、私はてっきり「サスト」という名前の道具だと思いこんでいた。みなさん、こういう思い間違い、勘違いで覚えてたものってありませんか(^_^;)。
9月8日の大地丙太郎氏の日記に、以下のような記述があった。
> 先日「アニ丼」でも言ったんだけど、機会があってアメリカで始ったばかりのシリーズアニメ「3Dスパーダーマン」を観た。 > すごい! > 物凄い表現力と技。 > センス溢れる構成、音楽。 > ある意味映画「スパイダーマン」より面白い。すごい。(中略) > 世界には俺たちシリーズアニメ作ってる者には想像もつかない個性あるテレビアニメーションは数多くあるのだ。 > 日本はアニメ大国だとか言って浮かれてる場合ではないぜ。 > 海外のコンベンションでちやほやされて浮かれている場合ではないない(俺じゃん)。 > アメリカを始めとした海外に市場が広がり「こいつぁいい商売になってきたぜ」などと言って闇雲におんなじようなモンばっかり作っている場合じゃないよもうホントに。完全に負けてるって。 > 落ち込むよ〜。アニメ雑誌見てみ。ま、きれいでかわいいかもしれんが個性ないぜ〜。元気もないぜ〜。どれもこれもみんな同じに見えるしさあ。 > ああ、こういうものやってるんだなあ、俺たち。
> 日本のアニメは確実に明日辺り突然本数が激減して不況が来るのだから、今のうちにもう一度自分の仕事を見つめ直しておかないと。 > 自分が作っているものは本当に面白いのかどうか。 > 自分が楽しみにしているアニメが本当に面白いのかどうか。 > という話をすると「いや、日本のアニメは素晴らしいよ……良いのもあるよ」と言われちゃうんだけど、それでももう一度見直してみない? 自分らの発想の貧困さ。
はるか昔に宮崎駿が「セーラー服の美少女がマシンガン持って撃ちまくるようなアニメばかり作ってちゃダメなんです」とみんなが嫌がるような発言をしてたけれども、10年、20年経っても、日本のテレビアニメの状況は少しも変わっていない。未だに美少女とメカが横行している。それがイカンというわけじゃないが、そればかりと言うのはやっぱり異常なんじゃないか。「いい作品もあるよ」というのはつまり「ダメなやつのほうが圧倒的に多い」ってことだからね。 でもこんな直截的なことを仰って、大地さん、大丈夫なんだろうか。以前にも類似の発言されてたことがあったが、アニメ業界の人から煙たがられてはいないだろうか。「忠言耳に逆らう」と言うが、言ってることがズバリ当たっているだけに、反発の大きさも想像されて、本気で心配なのである。 誰とは言わんが、アノ原作者とか、アノ脚本家とか、アノアニメーターとか、アノ監督とか、「発想が貧困」な人って、いくらでも思いつくからねえ。そういう三文作家の中に、被害者意識の特に強い人がいたりしたら、この発言を見て、「こ、こ、これは、お、お、俺のことを言っているのだ、だ、だ、大地のやつめ、こんなに堂々と俺のことを揶揄しやがって馬鹿にしやがって、どうしてくれよう、このままですむと思うなよ、呪ってやる恨んでやる復讐してやる」とか思ってしまう可能性は充分あると思う。いや、多分、これは杞憂じゃない。 なぜって、こういう僻み根性が身に染み付いてる人間は、決まって自分のことは棚に上げて、「そういうお前はどうなんだ、そんなにご立派な作品作ってるのか」と見当違いも甚だしい雑言を投げつけてくるものだからである。大地さんがどんなに凄い作品を作っていても関係はない。そんなの無視して「エラソウなヤツは叩く」という感情だけで動くのである。そのせいで、これまでも黒澤明や宮崎駿などは散々叩かれてきたのだ。中には真摯な批判もあったかもしれないが、殆どは前述した通りただの僻み。それが証拠に、クロサワもミヤザキも、現状に警鐘を発した途端に叩かれ出したのである。 ……説教されるのが嫌いな気持ちが解らないわけじゃないが、ちょっと人としてみっともなくはないか。
ちょっと落ちついて、大地さんが言ってることが間違っているのかどうかってことを考えてみればいい。それでもまだ「余計なお世話だ」としか思えないような作家や、嬉々として美少女恋愛シミュレーションばかり作り続けていられるような浅薄なアニメーターしかアニメ業界にはいないのなら、そりゃ自然に客は離れていくさ。 創世記のテレビアニメが、メカと美少女だけで成り立ってたか? 『鉄腕アトム』が、『鉄人28号』が、『エイトマン』が、『狼少年ケン』が、『少年忍者風のフジ丸』が、『ハッスルパンチ』が、『宇宙少年ソラン』が、『遊星少年パピィ』が、『宇宙エース』が、『レインボー戦隊ロビン』が、『サイボーグ009』が、『ハリスの旋風』が、『おそ松くん』が、『オバケのQ太郎』が、アニメ技術は今に比べてはるかに稚拙だったとしても、今のアニメより何倍も、何十倍も、子供たちに未来への夢と情熱と希望を与えられるだけのエネルギーを持っていたのではないか? まあ長々と書いちまったが、要は、「もっと面白いアニメ作ってくれ」というだけのことである。これだけのことがなぜかできないんだよね。
台風が接近しているせいで、急遽、今度の土曜日が休業になってしまった。 その代わり、日曜に出勤しなければならない……って、その日は劇団の公演日ではありませんか。 ……いきなりそんなこと決められてもなあ、ビデオ撮影頼まれてたんだけどな、と愚痴を言っても仕方がない。なんとか仕事をほかの人に頼めないものか、思案する。その結果はまた明日。
晩メシは、韮とえのきだけと小ネギをこき混ぜて卵でとじたもの。途中までは調理もうまくいっていたのだが、ふと、醤油と間違えてメロンシロップを入れてしまったた(瓶の形が似ていたのである)。慌てて醤油を入れたが、果たしてうまく中和されたものか。 そのまま食わないで捨てるわけにもいかなかったので、とりあえず一口。……うーん、甘いような辛いような、まあなんというか世にも不思議な味(^_^;)。二口、三口。……なんか甘ったるくて胸焼けがしてきました。 結局半分くらい食べて捨てました。ああ、もったいない。
夜のチャット、今日も盛況。鍋屋さんにヨナさん、昨日に引き続き、あぐにさんも来られる。昼間、グータロウくんが破李拳竜や『レ○ンピープ○』の話題を振っていたので、最初は鍋屋さんが随分ノリノリで『○モ○ピー○ル』について語っていらっしゃったのだが、あぐにさんが来られた途端に「この話題はやめましょう」と打ち切ったのには笑った。露悪的になるのは好きではないが、まだたいそうなことをお喋りしてたってわけではないので、変わり身、と言っては失礼だが、反応の早さが面白かったからである。
マンガ、佐々木倫子『Heaven?―ご苦楽レストラン』6巻(完結/小学館/ビッグスピリッツコミックススペシャル・950円)。 はあ、なるほど、こういう落ちになりましたか。 「ロワン・ディシー」がああなっちゃって、それから伊賀君はああなっちゃうのね(どうなるかは現物を参照のこと)。 ちょっと心にジンと来る終わり方と言えば言えるけれども、あまり「上手く」は感じられない。どこか「唐突」(伏線は張ってあったのだけれども)で、不自然な印象がしてしまう。いや、つまらないわけじゃない。充分面白いんだけれども、読者の大半は、別段このマンガに「時間経過」を求めていたわけではないんじゃないかな。 傍若無人、自画自讃、直情径行、猪突猛進、私利私欲、唯我独尊、無軌道、無節操、無理無体、思いつくままにその困ったちゃんな性格を挙げてみても、黒須オーナーに腹を立てていた読者はただの一人もいないだろう。あのワガママ勝手ぶりに、胸の透くような一つの理想像すら見出していた人もいるんじゃなかろうか。 そんな彼女だからこそ、『サザエさん』や『うる星やつら』のキャラクターたちと同様に、「永遠に続く理想郷」の住人であるほうがふさわしかったと思う。姿をはっきり見せていないとは言え、誰がおばあちゃんになったオーナーを見たいと思うだろうか?(おばあちゃんになっても、きっと凛々しいであろうとは思うが) 『おたんこナース』のときには、全てをギャグで落とすことは、物語の舞台となる場所が場所なだけに難しかろうとは思ったが、今回はレストランである。悲しい終わり方をさせる必要がどこにあったのだろう。どうにも違和感を感じてしまうのはその点である。
もしかしたら、佐々木さんは「反省」していたのかもしれない。最大のヒット作である『動物のお医者さん』は、極力動物の「死」を描かなかった。それは動物を題材にした作品としてはあまりに不自然ではあったが、「理想」を描くマンガとしては、必ずしも間違いとは言い切れない選択であったと思う。 でも、あの作品がヒットしたために、とんだ大迷惑を被ったのがシベリアンハスキー犬である。チョビのかわいらしさ(?)に魅せられたファンで、ハスキー犬を飼う人が増えたのだ。けれど、飼育の難しいハスキー犬は、結局飼い主たちに持て余され、捨てられるという悲しい結末を迎えた。 マンガと現実の区別がつかない人間は明らかにいるのである。その事実に佐々木さんは涙したのではなかろうか。 現実には、全てのものに「終わり」は来る。終わらないものなどない。その「終わり」をちゃんと示さなければ、「永遠」の存在を信じ、誤った行為に走る人間が出てくることもあるのだ。佐々木さんはそう感じたのではないか。だからあのような乱暴な手段を使ってでも物語を終わらせてしまった。もしそうだとすると、あの終わり方はもっと悲しい。まるで『エヴァ』ではないか。
もちろんこれはただの想像で、なにか根拠があるわけではないのだけれど、最近の連載、どこか佐々木さん「らしくない」部分があちこちに見受けられので、勝手な憶測をしてみたものである。できれば次の連載は「最後まで」楽しいお話にしてほしいと願っているのだけれども。
2001年09月11日(火) 地球が静止した夜/『ななか6/17』3巻(八神健) 2000年09月11日(月) ミステリとワンピースと/『ONE PIECE』1〜5巻(尾田栄一郎)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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