無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年09月10日(水) 祭りの終わり/『ヒカルの碁』23巻(完結/ほったゆみ・小畑健)

 「糖尿にはトロロがいいですよ」とヨナさんから教えて頂いてたので、コンビニで買ったトロロそばをいくつか、冷蔵庫の中に入れていたのだが、昨日冷蔵庫を覗いてみたら影も形もなくなっていた。
 小人さんが食べたりしない限り、犯人はしげに決まっているので、今朝送りの車の中で問い詰めてみたら、簡単に白状した。
 「なんで人の勝手に食うんだよ!」
 「二つあったから一つはオレのかと思って」
 「買い物にしょっちゅう行けないから朝と夜の分、両方買ってるんだよ。おかげで昨日は朝メシ抜きだったんだぞ。あれだけ勝手に食うなって言っただろうが」
 「だって腹減ってたもん」
 「腹減ってたならなんで自分で買って食わないんだよ」
 「お金ないもん」
 「一銭もないのか? 銀行には?」
 「銀行にはあるよ」
 「だったらなんで卸さない!」
 「卸したら減るやん!」
 ……世の中に「人でなし」なんて存在が本当にいるのかとお疑いの方、ここにいます。


 巡回していた某日記が突然閉鎖。
 前にも「しげとよしひと嬢がハマッている」と書いた、ちょっとキテる感じの日記だったけれど、最後の日記で「今まで書いてた内容は全部ウソでした」と告白。
 30代の独身の女性で、某アイドルにそっくりのかわいい系、床上手でゆきずりの男とのナニもとってもよかったわ〜んとか、同僚の馬鹿女ばかりが男にモテてどうして私には幸せが来ないのよ恨んでやる憎んでやる呪ってやるとか、ネットの読者に呼びかけてパートナーを募集したりとか、超アクロバットなことを書きまくっていたので、楽しみに読んでいたのだが、オチは随分あっさりしたものであった。
 しげが「これ、本物かなあ?」とか言ってたのを「いやあれは絶対本物だよ、本物以外のナニモノでもない、本物でなくてどうする」と面白がって断言していたので(もちろんホントは半信半疑であったのだが)、正体をバラシて消え去られてしまったのは、ちょっと残念である。もっと長く続けるか、消えるにしても何も言わないままのほうがユメを持ててよかったのになあ(^o^)。

 実際にこれだけネットが広大なら、ウソ日記の数は無数に存在しているだろう。というより、公開を前提としているWeb日記は、全て何らかのウソが含まれていると考えたほうが妥当だ。つか、虚実皮膜の境にあるというべきか。私のこの日記だって、しげに言わせれば「私の妄想の産物」ということになるのである(^_^;)。
 まあそんな空中楼閣のような日記の群れを巡回して見て回る行為も、かなり不健康なことだとは言えるが、地に足をつけた実生活ばかりに価値があるというものでもない。ウソをウソと知りつつ許容する、あるいはあえて自分を妄想の虜とする行為も、我々は意外に日常で行っている。結構みんな、自分が「裸の王様」であっても構わないと思ってるんですな。
 ただ、世の中には「あの王様、裸じゃんか」と無粋なことを言ってのけるガキンチョもいるわけで、自分が裸であったことに気づけば、王様だとて、恥ずかしがるくらいのことはする。間違っても、「裸だ」と指摘したガキンチョを糾弾したりはしない。王様のほうにだって王様としての矜持は無きゃマズイんだけれども、どうも最近の王様は自分が王様だってこと自体、忘れちゃってるような気がしてならんのですがねえ。
 なんか婉曲なこと言っとりますが、何のことを書いてんだかよくわかんない人は、もう気にせず無視しちゃってくださいませ。


 晩飯はコンビニで買ったなすの味噌あえに、買い置きのヒジキ。
 カロリーも高くなく、健康的ではあるが、腹がすぐに空いてしまうのが難点。
 ちびちびつまみながら『トリビアの泉』第30回放送分を見る。
 「新幹線で290円で乗れる区間がある」というの、「あれ? もしかしたら……」と思ったら、やっぱり「博多〜博多南」のことだった。地元では誰でも知ってることだけれど、やはり他地方の人にとってはトリビアになるのだなあ。タモリが嬉しそうに「これにはいい話があるんだよ」と語っていたのが印象的だった(地元の那珂川町の人のために、回送線を一般利用させてあげてるのである)。
 トリビアの種、今回はもの凄く役に立つ(^o^)トリビア。
 カップラーメンの長さを計ってグランプリを競うのである。結果、エースコックの丸鶏白湯ラーメンが73メートルで1位。同じ値段なら、これを買うのが一番量的にお得ってことか。
 でもこういうの、重さを計った方が早いし正確なんだが、種については誰も本気でトリビアになるとは思ってないからいいんだろうな(^o^)。


 夜のチャット盛況。あぐにさん、あやめさん、鍋屋さんに私。たった4人で盛況というのも何なんだが、ログの流れるスピードを考えると、話に付いて行くのにはこのあたりの人数が限界だ。
 久しぶりにあぐにさんが顔を出されたおかげか、話題も豊富。『座頭市』をあぐにさんもご覧になったそうで、「楽しんだ」と仰っていたのでホッとする。日記にも書いたが、あれは結構好き嫌いがハッキリ分かれると思うので、「キライ」と言われてしまったら、彼我の違いが何に起因するものか説明するのに骨が折れるのである(もちろん「キライ」という意見を否定するつもりはない)。
 『トリビア』の日はもうこれだけで話題が転がる。やっぱりみなさん、「なんでこんなものがトリビアになるんだ」と納得のいかないものが多いようだ。常識だとばかり思っていたものの「へぇ」度が高いと、自分が拠って立つところが揺らぐばかりでなく、他者との距離まで開くように感じてしまうのである。
 実際、「太宰治が芥川賞をほしがった」なんてのをトリビアにされてしまうと、「ああ、太宰について何か語ったって、そんなの大半の人には何のことやら分からないんだなあ」とそぞろ孤独感、寂寥感に襲われてしまうのである。

 「エッ、そんなことも知らないの?」という驚きを、こいつは無知な人間を馬鹿にしている、自分が優位に立とうとしているのだと決めつけて腹を立てる人がいるが、驚いてるほうにしてみれば、ただただ唖然としているばかりなのだ。別に優越感を持ってるわけじゃない。
 いいオトナが「1+1=2」が分からなかったら驚かれるでしょう。馬鹿にするどころか、なぜそんなことが有り得るのか、ひたすら謎に思うだけです。
 自分が馬鹿にされてるとすぐに僻む人間は、本心では自分が他人に対して優位に立ちたいと思っていて、それができなくてムカツクからこそ怒るのである。「馬鹿にされたからって簡単に怒るな」なんてリクツは「躾」の基本みたいなものだったんだがなあ。「躾」そのものがトリビアになってんですかね、もしかして。

 話は派生して、「イマドキの若いもんは『ナウシカ』だって見ていない」ってことから、「好きな宮崎駿作品は?」という話題に。最近は毀誉褒貶甚だしい宮崎さんだが、かつてはオタク界のエースであった。いや、今だって、全国の老若男女が勘違いして『千と千尋』を誉めちぎっていても、オタクは「別のところ」を見ているはずなのである。
 みなさんに聞いてみると、やはり『ルパン三世カリオストロの城』『名探偵ホームズ』『天空の城ラピュタ』など、冒険活劇的な作品に人気が集中している。エンタテインメントの本質がヒロイズムであることをかつて明確に打ち出していたのが宮崎さんであったのだ。
 また思いつきで恐縮だが、私の思う宮崎作品のベストテンを挙げてみる。もっとも、アニメーターとしての時期と、演出家としての時期と、その活躍は2種類に分かれているので、ベストテンも二通り示した。ジブリ作品しか知らない若いファンには、ぜひアニメーターとしての宮崎駿の実力も知ってほしい。

 宮崎駿監督作品
 1『名探偵ホームズ 青い紅玉の巻』
 2『ルパン三世(旧)11・13〜23話(TV)』(高畑勲と共同演出)
 3『ルパン三世(新)145話/死の翼アルバトロス(TV)』
 4『ジブリ実験劇場 On Your Mark』
 5『そらいろのたね』
 6『くじらとり』
 7『ルパン三世 カリオストロの城』
 8『未来少年コナン』
 9『紅の豚』
 10『魔女の宅急便』

 アニメーター作品
 1『長靴をはいた猫』原画
 2『空飛ぶゆうれい船』原画
 3『太陽の王子ホルスの大冒険』場面設計・原画
 4『赤毛のアン(TV)』レイアウト・画面構成(15話まで)
 5『パンダコパンダ』原案・脚本・画面設定・原画
 6『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻』脚本・美術設定・画面構成・原画
 7『どうぶつ宝島』アイデア構成・原画
 8『アルプスの少女ハイジ(TV)』場面設定・画面構成
 9『ハッスルパンチ(TV)』原画
 10『ガリバーの宇宙旅行』原画・動画


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健漫画『ヒカルの碁』23巻(完結/集英社/ジャンプコミックス・410円)。
 これで完結にするくらいなら、「佐為編」で終わっておけばキレイだったろうになあ、という思いは多くの人にあるだろうが、恐らくそれを読者以上に痛感されているのは作者のお二人だろう。そのことについては正直な話、余り突っ込みたくはない。「人気がある限りは続ける」というジャンプシステムに悲しいものを覚えるばかりだ。
 「雑誌だって営利事業なんだし、ファンの思いに答えてもいるんだから、連載を続けたっていいじゃないか」という意見もあろうが、現実にはファンはついてこなかったわけだから、こりゃ編集部に言い訳のできることではない。
 『ヒカルの碁』は『ドラゴンボール』とは違う。同じことを反復していても、途中から新しい客がつく類のマンガではない。「北斗杯編」だけ読んだってつまらない、1巻から通して読まなければ面白さが伝わらない種類のマンガだと、どうしてジャンプ編集部は気がつかなかったのだろうか。
 なんでも続けりゃいいってもんじゃないし、続けるのならば続けるだけのコンセプトがなきゃならない。中国、韓国勢という、新ライバルたちも出して、そういうものが生まれそうになった矢先に打ち切ってるんだから、ならどうしてあの時にキッパリと終わらせられなかったのか、と、どうしても思ってしまうのだ。
 こうなったら私は本気で続編を望む。決着のついていない勝負はいくらでも残っているのだ。アキラにだって最後、「これで終わりじゃない、終わりなどない」と言わせたのだ。何年後になろうと、必ず続編を書いてほしい。10年後のヒカルの成長ぶりを見ないで、どうしてこの物語を終われようか。
 佐為も誰かにとっ憑かせてでも、絶対に復活させなさい。ラストのコマは佐為の声じゃないか。あれをかつてヒカルが聞いた声、なんてことにしなくて、改めて「誰かが聞いた声」にしてでも続けてほしい。パラレルワールドでもいい。リメイクでもいい。『ヒカルの碁ZZ』でも『ヒカルの碁リローデッド』でもいい。こんなに悔しい終わり方をしたマンガもそうはないのだ。

2001年09月10日(月) 憎まれっ子世に……/『RED SHADOW 赤影』(加倉井ミサイル)ほか
2000年09月10日(日) 睡魔と戦いつつこれを書いてます/『星降り山荘の殺人』(倉知淳)



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