無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年01月01日(水) オタク夫婦は新年に何を買ったか/映画『狂った果実』/映画『幕末太陽傅』/『おせん』其之五(きくち正太)ほか

 2003年である。
 思い返すと去年もいろいろとあったトシであった。
 ここには書けない出来事もいろいろありはしたのだが、概してそういう事件ほど、内実は実に面白い。どうせ百年も経ちゃ、プライバシーもクソもなくなるんだから、いくら書いたっていいじゃん、とか思いはするのだが、関係者の中にはシャレにならん既知外もいたりするのでそうもいかない。
 ホームページ立ち上げたら、会員制の裏日記コーナーでも作るかなあ。仕事関係で見聞きした話を書き出すと、ウチの職場がいかに伏魔殿であるかがわかろうというものである。でもウチの職場、外務省じゃないんだよ〜。


 今年の年越しソバはただの冷凍。
 ホントはしげが岩手のソバとかトロロイモとか、本格的な材料をいろいろ買って来てたのだが、買っただけでそのまま放ったらかしている。それどころかまた寝てるし。
 仕方がないので、せめて具くらいはもちっと豪勢にと思ってササミにネギを足す。しげに「そば食うか?」と聞いたら、「食う」と言って起きてくる。
 先ほど録画したばかりの『紅白歌合戦』を早送りしながら再生。チャプターをあとでつけられるようなので、しげがためしてみるが、ヘンなところに付けてしまう。どうも新しいキカイというのは扱いにくい。
 中森明菜がちゃんと歌えているかどうかだけ、気になって見てみたが、仕方がないことだが往年のパンチのある歌い方はもうムリなようである。復活を祝うような演出らしい演出も特になく、なんだか見ていて寂しい。私はこの人が、実力以上に人気が出すぎて過大評価されてしまったと思っているので、こういう「敗残の姿」を晒しものにされている状況自体、NHKの労わりのなさに憤りを覚えるのである。本気で中森明菜を復活させたいと思うなら、番組の一つでも持たせるべきではないのか。
 もっとも、ドラマもダメ、トークショーもバラエティも恐らくダメ、無難なところで歌番組のパーソナリティーか、という気もするが、それだって深夜じゃないと何言い出すか解らんからな、この人は、と、危ない橋を渡る覚悟は要るのである。
 しげは幕間に出て来たパパイヤ鈴木に満足したのか、また寝床に潜りこんで眠る。初詣はどうするんだよ。……とか言ってたけど私も眠くなったので、『紅白』をざっと飛ばし見、紅組の勝ちだけ確認して寝る。
 キャナルシティの初売りには行くつもりなので、9時に目覚ましをかけておく。


 ひと寝入りして、キャナルシティまでお出かけ。
 しげは脱兎のごとく(これは逃げ出すときの譬えだな)「ラ・ブーン」内のミッフィの店へ。
 普通の福袋は中に何が入っているか教えちゃくれないが、この店は良心的で、何通りも組み合わせた3千円から1万円までの福袋を、7、8種類用意しているのである。しげならずとも、どれにしようかな、けっけのけのけ、と迷うのも宜なるかな。
 しげが決心するまでには、恐らく蝸牛が葉から葉へ移るくらいの時間はかかるので、暇つぶしにそのあたりの店も見て回る。
 ウルトラマンもスタジオジブリも手塚治虫も、カートゥーンネットワークもアードマンもマーベルコミックも、たいていのキャラクターグッズはここに集まっているし、新年早々ガンダム特設会場までできていた。
 こういう処をうろつくのは自殺行為である。
 案の定、ガンダムコーナーで、見てはいけないモノを見つけてしまった。
 こ、こ、こ、これは確かに「ガンダムグッズ」ではあるが、ちょっとそんじょそこらのものとはひと味違うぞ!
 ようやく福袋を買ったしげの手を引いてブツの前まで連れて行き、「これ、買わん?」と哀願の流し目を送る。これならしげも欲しがるんじゃないか、と思っていたが、予想はバッチリ当たった。
 「前から気になっとったっちゃ、これ」
 しかも正月セールで2割引。これは買わぬ手はない。
 さて、ここで問題です。
 我々二人が意気投合して買っちまった「ガンダムグッズ」とはいったい何でしょう。答えは明日……と言いたいところだが、明日の日記が明日書かれるとは限らないこの日記のこと、真実を知りたい人はこの日記のラストにGOだ!

 ラーメンスタジアムで今年最初の食事。
 開店時間前だというのに、喜多方ラーメンの坂内食堂、もう長蛇の列である。パッと見ただけでも軽く5、60人は並んでいる感じだったので、諦めて別の店に回る。全く月の石を見るわけでもあるまいに、正月早々からラーメン屋に並ばんでもねえ。
 六角屋、前に並んでたのがたったの4人。いくらなんでもこの差はかわいそうなくらいである。けれど、しげも並ぶよりはこちらのほうがいい、と判断したようで、二人でラーメンを頼む。以前にもこの店に来たことはあるはずだが、前には見当たらなかった焼売がメニューに加わっている。
 頼んで食べてみると、アッサリしていて悪くない。
 しげは中華料理屋に寄ったときには決してラーメンだけでは満足せず、必ず餃子かなにか「オプション」が必要になるので、この焼売は「アタリ」であった。
 
 
 初詣に櫛田神社に回るが、やはりこの時間帯、人出はただごとではない。境内の中を参拝客が列を作って、ぐるりと経巡り、外の道路にまではみ出ている。これまた何時間待てばいいやら見当がつかない。
 出店を期待して初詣に付き合って来たしげ、タコ焼き、タイ焼きくらいしか店が出ていないのに落胆した様子。買うかどうか聞いたが、首を横に振られる。
 「あそこに甘酒があるよ」としげ。
 「欲しいの?」と聞くが、「うんにゃ」と答える。「アンタが好きやろ?」
 そう言えばずっと昔、「甘酒が大好きだった」と話したような気がするが、そんな些細な記憶、すっかり忘れていた。しげもよく覚えていたものである。
 縁起ものだからな、と甘酒とお粥(と言っても、中身は甘さを控えめにしたぜんざいのことである)を求めて、ベンチで食べる。
 しげも少しは味見を、と勧めたが、口をつけようともしない。甘い物好きのくせして、なぜかこういう日本的なものだけはしげは嫌うのだ。こういうのにも何かトラウマがあるのだろうか。
 結局、櫛田神社での参拝は諦めて、家の近所の日吉神社に回ることにする。

 境内の駐車場は混んでいるかも、と、神社から少し離れた文房具屋の駐車場に勝手に駐車。まだ元旦で開店してないから見つかる心配はないんだけど、こういうズルいことにだけはしげの知恵はよく回るのである。全く、お参りに来たってのに人間としての品性を疑っちゃうね。
 予想通り、この神社は全くヒマ。余裕でお参りして、破魔矢と御神籤を買う。
 しげは大吉、私は末吉。けれどしげの御神籤のほうが、書いてあることは「万事に注意を要す」で、あまり大吉っぽくない。
 しげ、去年の御神籤を枝に結んで、今年の御神籤を財布にしまう。お守りがわりに1年間持っているのだ。そんなことしなくても1年中おめでたいヤツだと思うけどな。


 帰宅して、CSチャンネルNECOで日活映画ベスト31の特集をツラツラと見る。こういう「ベストもの」になると、ほとんどの作品が昔見たやつばかり。そのわりには「こんなシーンあったっけ?」と首を傾げるものが多いんで、やっぱり映画は二度三度見るものなのだ。

 『太陽の季節』(1956)。
 年号入れとかないとタッキー主演と勘違いするやつが現われるんだよ、今どきゃな。二作を比較すると当然このオリジナル版に軍配が……と言いたいとこだけどタッキー版は見てないから比較のしようがないのであった。
 けど、長門裕之に南田洋子の演技もセリフ回しも、まだまだ「昔風」なんだよねえ。若いときからオジサン、オバサンなんだもん、二人とも。
 元祖太陽族映画でありながら、「石原裕次郎のデビュー作」としてしか認識されなかったのもわかる気がする。芝居の基本がしっかりしてる長門裕之より、デタラメな裕次郎の方がはるかに溌剌として見えるってのが演技を上手下手だけでは計れないってことなんだよな。

 『ビルマの竪琴 総集編』(1956)。
 これもオリジナル版の方。カラーリメイク版より、こちらを推奨する人も多かろう。戦争ものはカラー映像だとどうしてもウソ臭く見えてしまう。監督の市川崑、「ビルマの土の赤」を表現したくてリメイクしたって言うけど、モノクロでも演出でその赤さは伝わるんだよ。市川崑が映画のことなんてなんにもわかっちゃいないってこと、このエピソードからバレちゃってるんだよなあ。
 この映画が「偶然」モノクロであったのは映画にとって幸福であったと言えよう。
 それに、なんたって音楽が伊福部昭だ! リメイク版の山本直純も悪くはないんだが、腹の底にズンと響く伊福部さんの音楽ほうが、どうしても印象としては強い。山本さんのはちょっとセンチメンタリズムに流れちゃってるのである。
 主演者についても、リメイク版の中井貴一よりもオリジナル版の安井昌二のほうが、戦地の兵隊っぽいし、遺骨を埋葬しようと決意した誠実な人間に見えるってこともポイントは高い。
 実は中井貴一の方が安井昌二よりも痩せてるんだが、圧倒的に安井さんのほうに軍配が上がっちゃうのはもう演技力の差としか言いようがない。
 けれど、私は8:2くらいで、カラー版もちょっと好きだったりするのだ。なんたって川谷拓三がいいのよ。リメイク版は。

 『狂った果実』(1956)。
 太陽族映画の最高傑作のみならず、日本映画史上屈指の傑作の一つ。
 太陽が燦々と輝く海にあってもなぜか漂うダークなムード、石原裕次郎が大笑すればするほどなぜか闇の気配を感じてしまうのは、「若さ」そのものがダークサイドを内包しているからではないのか。弟の津川雅彦の狂気は、当然兄である裕次郎の中にもあるのである。
 誰も言わないけれど、私はこの映画、『スターウォーズ』のルーツの一つじゃないかと踏んでるんである。若いころの裕次郎がルーク・スカイウォーカーを演じたらきっとハマったろうなあ。オビ・ワン・ケノービはもちろん三船敏郎だ。ハン・ソロが勝新太郎で、レイア姫が藤純子だったら、確実に本家『スターウォーズ』を凌駕してたな。あと、ダース・ヴェーダーの声は山形勲(ホントは成田三樹夫と言いたいとこだけど、ホラ、あの『宇宙からの……』のアレがあるから)、モフ・ターキンは月形龍之介で(^o^)。
 おっと脱線脱線(^_^;)。
 主演の裕次郎も、監督の中平康も既に故人だが、助監督の蔵原惟繕も、昨年12月28日に亡くなった(関係ないが、プロレタリア作家の蔵原惟人とこの人、何の関係もないのだろうか)。なんだかみんな、ラストシーンで海に散華してしまったかのようだ。
 実際、裕次郎は、デビュー2本目のこの映画での輝きを、生涯越えられなかった。

 『幕末太陽傅』(1957)。「傅」は「伝」のことだけど、ネットでも間違った「伝」のタイトルのほうが流通してるなあ。困ったもんだけど。
 それにしても全く、これだけの傑作群をこのころ日活は連発してたんだなあ。私がビデオテープで初めて買った日本映画がこれ。当時は大枚叩いて17000円もしたよ(T∇T) 。
 この映画を「噺」として見ると、本職の立川談志などには全くもって噴飯ものにしか見えないらしいが、そりゃもちろん、これが落語に取材していてもあくまで「映画」なんで当然である。居残り佐平次が実は肺病病みなんて、落語ファンなら怒って当然。私のように映画も落語も好きって人間にとっては、こういう設定はどうにも評価に困る映画なんである(~ー~;)。
 フランキー堺の、これが頂点の演技を見られるだけでも素晴らしいが、今見ると、ほかにも脇役陣が実にイイ演技をしていて、画面の隅々にまでつい目が行ってしまう。
 中でも、近年は三谷幸喜映画の常連の感のある梅野泰靖の若旦那、セリフの間がすっげーいいんだよ。これぞ究極の若旦那。チョイ役以外にもいろいろ使ってほしい人なんだけどなあ。

 なんだか元日から映画三昧である。これで今年も体力持つのかね(ヒトゴトみたいに)。

 
 マンガ、きくち正太『おせん』其之五(講談社/イブニングKC・580円)。
 ふと気づいたが、これだけ料理マンガが溢れてる中で、私が今買ってるやつって、この『おせん』だけなのであった。
 別にほかのを嫌ってるわけじゃなくて、私がマンガを買ってる理由って、それが「料理」マンガであるよりも料理「マンガ」であるかどうかってところに力点置いてるからなんだけどね。きくちさんの絵じゃなきゃ、同じ話であっても果たして買ったかどうか。
 いやね、グルメマンガってさ、読んでると、「こんな高級料理、庶民の口にゃ入らねえよ、誰もがオーストラリアや帝国ホテルでメシ食えると思うんじゃねえ!」って不満があるから、この『おせん』にしたって、今や純粋な「和食」を料亭で食える人間なんて、ごくわずかなんだよなあ、と思っちゃうもんだから、やっぱり「料理」マンガとして見ると「けっ」てなところがあるんである。
 「賄いのこころ」の、えび天茶漬けに割り下ソースカツ丼、すっげえ美味そうなんだけど、家庭じゃ作れねーじゃんかよう。いや、作れる家庭はあるのかも知れないけれど、ウチではまずムリである。
 「一升庵の怪」の「鰺の酢〆メシ」も食ってみたいなあ。いや、これ食ったときのおせんの美味くてたまんねーって顔がもう、ホントに羨ましくて……と思わせるくらい絵が上手いってことなんだな。


 で、クイズの答え、買ったのは「ハロのパウダービーズクッション」でした。
 「ハロ、ゲンキ、ハロ、ゲンキ」♪(((#^-^)八(^_^*)))♪
 ……別に声は出さないけどね。

2002年01月01日(火) ぬかるみとミッフィと腐れた餃子と/映画『スパイキッズ』/『降魔法輪』(さとうふみや)ほか
2001年01月01日(月) 2001年元旦スペシャル



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