無責任賛歌
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2003年01月02日(木) |
仕事なんぞしたくもないわ/『しゃべくり探偵の四季』(黒崎緑)/『<映画の見方>がわかる本』(町山智浩)ほか |
正月も二日から仕事。 しげは今日も朝寝してて、車での送りはナシ。もっともしげも元旦関係なしに仕事してたんで疲れているようである。 タクシーを拾おうとするが、正月も二日から道を通ってるタクシーなんてないんだよ、これが。15分ほど寒空に立ちんぼ。さて、これがカラダによくなかったのだろう、あとでちょっとノドがいがらっぽくなる。 震えながら職場に着いたら、同僚から「遅刻ですよ」のヒトコト。勤務時間がいつもより30分早かったのに気付かなかったのだ。 私の不注意ではあるのだが、正月早々に出勤させられた上に、まさか時間まで超過勤務させられるとは思ってもみなかったしなあ。半日仕事をして帰宅。
マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』11巻(小学館/ビッグスピリッコミックス・CD付き780円)。 特製CDが付いてたらしいが、買ってきたしげがどっかに隠してしまったんで中身がわからない。だから勝手にどこにでも置くなってば。 うーん、キョンキョンが後ろに下がってしまった。この子が私のイチオシキャラだったんだが。でもまだ「絶交」されたわけじゃないんで、また出番はあることであろう。 さて、「ともだち」の正体は「ヤマネ君」か? ってとこで終わってるけど、こういう引きだとたいてい違うんだよなあ。こないだまでサダキヨじゃないかとか言ってて違ってたんだから、この手を何度も使うのは白けるだけなんだが。これ以上、話を錯綜させすぎて拍子抜けな結末にならなきゃいいんだけどね。 実は「ともだち」はケンジのもう一つの人格、なんて結末だけは願い下げだ。
マンガ、永井豪『魔王ダンテ 現魔編』2巻(講談社/マガジンZKC・550円)。 オリジナル版の1巻と比較すると、どうしたって見劣りしちゃうんだよな、これが。新登場のキャラがどうにもジャマに見えてしまう。「神の13使徒」なんて、ハッタリかましてるけどさー(『魔獣戦線』かい)、永井さんがこういうの出してきても「どうせまだ先の展開なんて考えてないし、全員出せないまま終わっちゃうんでしょ?」としか思えないのだ。前科がありすぎるのよ。 『デビルマン』で名前が出ただけの悪魔がどれだけいたか。 ドクターヘルの五大軍団は? ハテサテ十人衆は? 『黒の獅士』にもなんか○人衆みたいなの出てたと思うが。 あまり先の展開って期待してないのに、ついつい買っちゃうのは、それだけ永井豪という作家が我々の世代の男の子にとっては魂の一部になっているからである。これ以上魂、腐らせたくはないんだけど。 ……アニメ版の出来はどんなんだろうかなあ。
黒崎緑『しゃべくり探偵の四季 ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの新冒険』(創元推理文庫・672円)。 保住君と和戸君の掛け合い漫才ミステリ第2弾。 実はこの「掛け合い漫才」形式がまどろっこしくて、第1弾は途中で投げだしちゃったんだが、このパート2はそのしょーもないギャグで萎えちゃうやつが2本しか入ってない。ほかの短編は普通のミステリとして読めるので、私にはそっちのほうが面白かった。 ファンの中には「掛け合い漫才形式のミステリなんて面白い」と感じる人もいると思うけど、トリックに関わらない叙述なんて、私には単にうるさいだけなのである。たいしたことない話を語り口で胡麻かしてるだけって気がしちゃってね。 保住が驚くたびに「ひえ〜、ひえだのあれ〜」って言うのなんか、そこだけ墨塗りにしたくなるし。誰かこれで笑うやついるのか。 で、実際、この漫才形式の作品ほど、ミステリとしてはトリックがチャチなのよ。『騒々しい幽霊』なんて、タイトルだけでトリックの見当がつくぞ。あのね、ミステリで幽霊が登場してきたら、それが人間のシワザじゃないってことありえないでしょ? 子供向けミステリじゃあるまいし、もちっと考えようよ。 別にこの作者、ミステリ作家としての実力がないわけではないのだ。フツーのミステリである『保住くんの夏の思い出』なんかはコンパクトにまとまった好編である。ムリに凝りすぎないのが一番なんだけどね。 表紙はいしいひさいち。第1弾では4コマ漫画も載せてたが今回はイラストだけである。でも多分いしいさん、本編は読んでないぞ。だって自分のホームズキャラを流用してるだけだもの。本編の保住君と和戸君は関西の大学生なのである。
町山智浩『<映画の見方>がわかる本 『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで』(洋泉社・1680円)。 ウェイン町山氏によるアメリカン・ニューシネマの解題本。 90年代以降のアメリカ映画が、単純明快と言えば聞こえはいいが、「勧善懲悪で現実逃避的な商品に成り果てた」(by.ジョージ・A・ロメロ)ことに対する反発から、以前の「革命的作品群」を評価しようという試みである。 でもなぜか町山さん、アメリカンニューシネマの代表作と言われてる『明日に向かって撃て!』を完全無視。『2001年』もニューシネマの中に入れられなくはないけれど、一般的にはその前駆的作品として捉える見方の方が多いんだがなあ。 どうも町山さん、評論の仕方に「偏り」が見られるんで、導き出される結論もちょっと眉に唾付けとかないといけない面があるんである。つまり、「70年代の映画作家たちは、みんながみんなエンタテインメントよりも自らの思想を表現する方向に傾いていた」という結論を誘導したいんだよ。ジョージ・ロイ・ヒル監督の『明日に〜』はそのサンプルとしては不適当なわけ。 実のところ、町山さんが言うほどには、70年代の映画、「単なる娯楽でなく人生経験」だったと断定することは難しいと思うけどね。だいたい「娯楽」よりも「思想」を優先して語る映画ならそれ以前にもいくらでもあった。『市民ケーン』はどうなるの? 70年代のニューシネマが衰退していったのはそこで語られてた思想が浅薄で、エロスとバイオレンスの描写の中に埋没していったからだ、という見方を私はしてるんだけど、そう考えなきゃ、現在のアメリカ映画の中から、これほどまでに「人生を考える映画」が消えて行った理由が説明できるかね。 冷静に考えれば、誰も、ドラマの流れから行けば別に必要もないのに、ラストで男女が銃撃で蜂の巣になるシーンをシツコク描く映画なんか見たくはないのである。 現代のアメリカ映画のエンタテインメント志向は、70年代の「時代の錯覚」から大衆が目覚めた結果だろう。目覚めたから映画がよくなったわけじゃないのが困りものなんだが。
2002年01月02日(水) オタアミビデオと平成生まれと夜のドライブと/『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION/『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』ほか 2001年01月02日(火) 眠い一日/ドラマ『不思議の国のアリス』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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