無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2002年10月19日(土) 多分今日は死にかけていた/映画『千年女優』/『ロード・トゥ・パーディション』

 昨日の日記で書き忘れてたことから。
 しげから鴉丸嬢の原稿〆切が今月末であることを聞く。本気でエロマンガ作家を目指している鴉丸嬢ではあるのだが、その奔放な発言とは裏腹に、根は純情なお嬢さんなのである(最近の女の子はみんなそれなりに経験値積んでるんで、本気でエロなやつかどうか判別しにくくなってるのだ)。
 正直な話、ドロドロな人間関係には抵抗力がなさそうなので、あまりソチラの世界には行かないほういいような気もしているのだが、本人はもうこれが貧乏脱出大作戦、とばかりに頑張ってるので、一概に「やめとけば?」とも言いがたい。
 しげの話だと、なんか話造りに煮詰まってて、私に相談したがってたそうだ。
 「出来上がったやつの感想聞きたいっての? でも描き直すヒマはないでしょ」
 「だから、次の作品の意見を聞きたいってことじゃないの? 話造りには自信がないみたいだから」
 話造りに自身のないやつがマンガ家目指すのか、とも思ったが、実際に原作ねーと描けないマンガ家もいるしな。いや、そんなマンガ家になることを目指されてもなあ。
 けれど、鴉丸嬢も私の性格については先刻ご承知のはずである。私に相談されても、まず辛辣なことしか言わんだろうということはわかってて、それでも聞きたいんだろうか。だったらマジで見込みあると思うけど(マンガ家として立って行けてる人の大半は理不尽な悪評にも負けてはいない)、どんなもんなんだか。なんだかんだ言っといて、原稿を見せに来ないに5千点。


 今日は映画に行く約束の日。見たい映画が2本あるので、さてどうしたものかと考えたが結局今日のうちにハシゴすることにする。連休なんだから、1本は明日に回しゃいいじゃん、というご意見はあろうが、連休のうち一日は休んでおかないと、カラダが持たないトシになってるのである。
 いつものごとく、朝寝しているしげを叩き起こして、まずはキャナルシティに向かう。映画の時間を見たら10時からということだったので、時間を気にするしげに気を遣って、9時過ぎには家を出たのだったが。
 しばらく運転していて、しげ、急に「しまったあああ!」と叫ぶ。いつもながら、甲高いしげの声は心臓に悪い。
 「どうしたんだよ、いったい」
 「財布忘れた!」
 「ウチにか? 取りに帰ればいいじゃん」
 「違う、職場!」
 「……なら、職場に取りに行けばいいじゃんか」
 「まだ、店、開いてない。今行って、カネが無くなったりしてたら一発で犯人だと思われるからイヤだ」
 なんだか杞憂じゃないかとは思うが、李下に冠を正さずの例えもある。ましてやしげは李下で冠を正しながら踊ったりジャンプしたり果物食ったような臭い屁をこいたりするような行為に及ぶことはしばしばなので、用心するアタマが働いてるときには働かせておいたほうがいい。
 しかし問題が一つあった。私にもカネがないのだ。
 仕方なく財布は帰り道に取りに行くことにして、とりあえずしげにはカネを銀行から卸してもらうことにする。今日はしげの奢りの約束だったので、私はナケナシの食費を出さずにすんだのであった。

 キャナルに着いてみると、映画は10時40分から。どうやら時間を見間違えてたらしい。
 「だったら10時に店に行けたのに」
 と、またしげの機嫌が悪くなる。銀行の手数料を取られたのがそんなにも惜しいらしい。相変わらずケチ臭いやつである。
 時間が余ったのでウェンディーズで朝食。ここのハンバーガーはほかの店に比べて二割はチーズ増ししてると思うが、これも、もしかしたら肉の味を誤魔化すためだろうか。

 
 映画『千年女優』。
 『パーフェクト・ブルー』に続く、原案・脚本・監督・キャラクターデザインの今敏と、脚本、村井さだゆきコンビ第2弾である。
 前作がサイコホラーとしてなかなかの出来だったので、今回も相当の期待をして見に行った。
 で、見た結果はどうかということなんだが、「惜しいなあ」というヒトコトに尽きる。『パーフェクトブルー』も余り予算がなくてスタッフは苦労したらしいが、本作も制作のスケジュールやらなにやら、おそらく相当キツキツの中で作ったんだろうな、というのが察せられる出来なのである。作画のいいところとよくないところにムラがあるのだ(殺陣のシーンなんかは恐らく『少女革命ウテナ』の作画監督を務めた本田雄の担当だろう、迫力ある出来だったのだが、日常風景になると表情が止まることが多い)。

 映像制作会社「VISUAL STUDIO LOTUS」の社長、立花源也(飯塚昭三)は、かつて一世を風靡したものの、30年前、忽然と銀幕から姿を消した大女優、 藤原千代子(荘司美代子)のドキュメンタリーを作るために、人里離れた彼女の山荘を訪ねる。
 しかし立花にはその目的のほかに、もう一つ、彼女にあるものを手渡す約束をしていた。それは古びた小さな鍵。かつてなくしたその鍵を手にしながら、千代子は過ぎ去りし日々の思い出を語り出す。

 『千年女優』の「映画」としての面白さは、この映画の「語り口」にある。
 立花とカメラマンの二人は、何の違和感もなく千代子の語るかつての人生と映画の中に入りこみ、ときにはいくつかの役を演じつつ、虚実皮膜の境を流浪する。ここで物理的な整合性を考えてしまったら、この映画を楽しむことは不可能だろう。これはあくまで「千代子の語る過去」であって、現実の過去ではないのだ。トシを取った千代子には、既に現実と虚構の区別も曖昧になっていただろうし、そう考えれば時代的な矛盾も特に気にならない。
 彼女の語る人生が、そして映画こそが彼女にとっての真実であり、藤原千代子を女神と崇め奉る立花は、ウソと知りつつ彼女の妄想に付き合っているのである。もしも私が、20年前にこの映画を見ていたら、その斬新な演出に感嘆し、絶賛の声を挙げることも吝かではなかったろう。

 けどなー、もう押井守を見ちゃったあとだしな〜(^_^;)。「どこからどこまでが現実か虚構か」とか、「これは現実ではなくて誰かの虚構の中かも」ってのは、まあ押井さんが嚆矢ってわけでもないけれど腐るほどあの人がやってきてるしなー。で、この映画、結局は千代子の妄想の中だけでのお話、ということが早々にわかっちゃった時点で、ドラマとしての求心力は、どんどん減殺されて行っちゃってるのだ。ドラマを後半まで引っ張っていく「謎」がないと、映画を見てても観客は「オレって、今、何を見せられてるの?」って気分になっちゃうんだよ。ここが押井守と今敏との才能の差なのかな。いや、「惜しい」なあと言ったのは実はシャレだったんだけど、実際、村井さだゆきと今敏、押井守の影響をヘタなとこだけ受け過ぎなんだよねえ。

 千代子がただひたすら、かつて出会った「鍵の君」を追いかけて映画に出演し続けてきた、それを描く構成自体を否定するつもりはない。しかし、見ていて何が辛かったかって、『うる星2』のあたるのセリフじゃないが、「自分の夢に勝手にオレを巻き込むなあ!」なんである。ともかく狂言回しのつもりかなんだか知らないが、立花の扱い方が徹底的に悪い。立花はいったいなんのために彼女の妄想に割り込んで行ったんだ? 千代子に対するただの賛美者、追従者なら宗教の信者と変わらんじゃないか。そんなキャラを妄想の中に登場させたって、ドラマが平版になるばかりだ。
 映画女優に恋をして、映画の中に入りこむ、というのなら、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』くらいに徹底してくれないとつまんない。所詮、立花は千代子の妄想に付き合ってるだけの傍観者に過ぎないから、物語に何か影響を与える訳でもなんでもない。それじゃ物語は予定調和のままで進むだけだ。壊れ行く千代子の妄想を食いとめるなり反逆するなりしてこそドラマになるのに、「千代子さ〜ん」と泣かせるばかりか。脚本家、もちっと映画を見たらどうだ。

 語られる映画、実際に昔の日本映画をモデルにしてはいるのだけれど、これももうちょっと凝ってほしかった。ただずらずら並べるだけじゃなくて、時代の雰囲気を出してくれないとねえ。これも予算の関係でしかたないんだろうけれど、かつての日本映画の名作、ということになれば全部モノクロ画像にするくらいのことしてくれなきゃねえ。
 ついでだから、劇中劇、として描かれた藤原千代子主演映画の元ネタについてちょっと考察してみよう。
 『傷痍の勇士』や『君を慕いて』、すれ違いのドラマで停車場のシーンとなれば、こりゃもう『愛染かつら』である。だったらこのシーンでは絶対、テーマソング作って流さなきゃなあ。凝り方が足りないのはこんなとこなんである。満州へ渡る、というあたりは、『支那の夜』のイメージも混じってる感じだが、どちらかというと岡田嘉子の逃避行事件の影響があるように思える。つまり、「この映画はアレが元ネタ」と限定できるものばかりでなく、いくつかのイメージを合成してニセの映画を作ってるんである。
 『めぐり逢い』は「千代子巻き」の映像でもう『君の名は』だとわかる。
 『島原純情』は『祇園の姉妹(きょうだい)』、『雪の絶唱』は一連の新撰組映画(『月形半平太』も混じる)、『怪傑黒天狗』はもう『怪傑黒頭巾』と『鞍馬天狗』の合体、『千代子の忍法七変化』は一連の美空ひばりシリーズ、『学舎の春』は『二十四の瞳』や『青い山脈』の合体、『東京のマドンナ』はちょっと特定ができないが、高峰秀子がバスガイドをやってた映画があった気がする。『化石の家』は小林正樹の『化石』、『女の庭』は小津安次郎の一連の映画、印象としてはヒロインが結婚を迫られるから『晩春』がベースになってる感じか。『真夏の水平線』は多分『太陽の季節』や『狂った果実』といった太陽族映画(海辺のシーンしかないから限定できん)。『トラック大将』は説明いらないよな(^o^)。
 でもって、これはやりすぎだなあ、と思ったのが、『ギガラ』。いや、『ゴジラ』なんだけど、藤原千代子、芹沢博士の役演じてやんの(^_^;)。ヒロインじゃないのか。松竹映画系、日活映画系の作品が多い中で東宝が1本混じってくるとこにも違和感があるねえ。もっともそんなの感じるのって、40代より上の人間だけだと思うが。
 『紅の華』、女武者モノってなんかあったかなあ、と思ったんだが、なんとなく『クレヨンしんちゃん・雲黒斎の野望』や『戦国大合戦』にイメージが被っちゃうんだよなあ。まあ、戦いの中で誰かが犠牲になるってシチュエーション、あまりに多過ぎてこれは特定できない。
 『あやかしの城』は一番テーマに関わってくる話。と言っても、糸車を回す老婆が出てくれば、これはもう黒澤明の『蜘蛛巣城』である。となれば、老婆の正体も初手から見当がつく。案の定、『プリズナーNO.6』でした(^_^;)。全体、脚本が客へのブラフのかけかたがヘタなんだよなー。もっとも、殿に死なれた姫が城から助け出される、というエピソードは『秀頼と千姫』のもの。
 で、最後の出演作、『遊星Z』は、『アルマゲドン』……じゃなくて『妖星ゴラス』ね(^o^)。これが引退映画ってのが、脚本家にセンスなさ過ぎ。伝説の大女優どころか、節操のないヒロインって感じしかしないぞ。っつーか、40過ぎて特撮映画のヒロインやったりしないし、やらせねえって。……とかなんとか言ってるけど、原節子が『日本誕生』なんてのに出たって実例があるからなあ(-_-;)。一概に否定もできん。
 それにしても特撮が以上に凝ってるが、大正12(1923)年生まれのヒロインが、40代で引退したってことは、まさしく『ゴラス』のころじゃん。あんな精密なメカ特撮、作れてねえぞ。この辺の考証もいい加減なんである。やっぱり詰めが甘いなあ。

 一番ガックリきたのは、ラストの千代子のセリフ。「だって、私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」。
 いや、だから、これが全部千代子の妄想だって気付いた時点で、そんなこと説明されなくたってわかってんだって。「こいつ恋に恋してるだけだよなあ」と思いながらガマンして見てたのに、そんな解りきった陳腐なセリフで映画をシメられるのかよ。脚本家、そんなふうに説明しないと客は理解出来ないだろうとか考えてるのか? ちょっと客を舐めてないか。
 福岡での公開は1ヶ月遅れ、東京じゃ早々に打ち切りにあったっていう話だけど、この程度の出来だとしかたがないかもなあ。 

 しげに感想を聞いてみると、「面白いのかもしれないけれど、好きじゃない」とか。うーむ、やっぱり気に入らなかったか。これはアタリだと思ってたんだがなあ。つまんないとまでは言わないが、やっぱり「もっと面白く出来るのになあ」という思いがしてならない。特に声優はもっとうまい人使おうよ。飯塚昭三さん、好きな人だけど抑えた演技の出来る人じゃないんだから。
 しげは『ブルー』を見ていないし(怖いのはアニメでもダメなのである)、事前情報も全くなかったので、ムリヤリ連れて来たようなもの。それで金まで出させてるんだから私もヒドイやつである。


 口直しに、と、キャナルからトリアス久山に移動して『ロード・トゥ・パーディション』を見る。
 しげが一席2500円もする「プレミアスクリーン」というところで見たがったのである。食事用のテープルが横についてて、ゆったり見れる、という話だったけど、そう広いというほどでもなく、しかも隣席の人と共用。あまり意味ねえなあ。しかも、持ちこんだ食いもの、フライドチキンにタコヤキだし(^_^;)。
 ウワサのTHX、初体験だけれど、そんなにスゴイのかどうかよくわからなかった。銃の音にはちょっとビックリしたけど。

 事前情報としては、サム・メンデス監督が『キネマ旬報』のインタビューで、「『子連れ狼』をを元にしてマース」とか言ってたのを聞いて、トム・ハンクスが拝一刀かぁ? とか首を傾げてたんだけど、いや、見てみて驚いたねえ。ホントにストーリーもキャラクターもそのまんまだ。どのくらい似てるかっていうと、『ロミオとジュリエット』と『ウエストサイド物語』程度には似ている。いや、盗作ギリギリってとこだね。
 アチラにマックス・アラン・コリンズ原作のグラフィック・ノベルがあるそうだけれど、まず間違いなくその人、『こ連れ狼』読んでるね。……そう言えば、原題の“ROAD TO PERDITION”、直訳すると「地獄への道」だ。……「冥府魔道」じゃん(^_^;)。これで『子連れ狼』と何の関係もありませんとは通らんだろう。小池一雄、原作権料請求してもいいんじゃないか。
 ちなみに若山富三郎主演の『子連れ狼』映画版シリーズは、“Lone Wolf and Cub”“Sword of Vengeance”などのタイトルで海外でも公開されている。

 イリノイ州ロックアイランドの町で、12歳の少年、マイケル・サリヴァン・ジュニア(タイラー・ホークリン)は優しい両親、やんちゃな弟と平和に暮らしていた。しかし、ある夜、父マイケル(トム・ハンクス)が銃を持っていることを知り、父の仕事に疑念を抱く。
 実は父マイクはギャングのボス、ジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)の子飼いの手下だった。ルーニーの息子、コナー(ダニエル・クレイグ)は殺人を犯すのをマイケルに見られたため、彼も含めてサリヴァン一家を皆殺しにしようとする。
 妻と次男がコナーに殺され、マイク親子は復讐を誓う。ルーニーは息子をシカゴにかくまい、マイクにこの土地を離れるよう勧告するが、既にシカゴのボスが差し向けていた殺し屋、マグワイア(ジュード・ロウ)が、親子に暗殺の手を差し伸べていた……。
 柳生烈堂(十兵衛の弟だ)が実在人物だったように、ジョン・ルーニーも実在のギャング。虚実ない交ぜのドラマに仕立ててるあたりもそっくりなんだけれど、最後の最後、『子連れ狼』では柳生烈堂を倒したのは……だったんだけれど、そこはちょっと変えてあった。まあ、エセヒューマニズムの国、アメリカならではの結末ではある。けれどそうしなきゃならないということもわかるし、特にラストのマイケル・ジュニアのセリフは、『子連れ狼』の大五郎にも言わせたいようないいセリフだった(もちょっとオトナにならないとムリだけど)ので許す。
 まあ、トム・ハンクスがギャングに見えるかどうか心配してたけどそう悪くはなかったし(こないだの『インソムニア』でアル・パチーノが警官に見えなかったのとは好対照)、ジュード・ロウのイカレた暗殺者ぶりはなかなかのものだったので、充分満足。『子連れ狼』ファンには必見でしょう(^o^)。


 帰宅途中の車の中で、しげが突然とんでもないことを言い出す。
 「眠い。マジで眠い」
 「……いきなりなんだよ、そんなに寝てないのか?」
 「今朝まで仕事だったし昨日の昼も寝てないし」
 「寝とけよ!」
 「寝つけなかったんだもん。……このままだと運転しながら寝ちゃうから、なんか喋りかけて」
 「なにかって……いきなり言われても、話すネタないよ!」
 「……一緒に死ぬ?」
 「あ、そう言えば、今度なんの映画に行こっか、『リング』はまず怖くても見に行くやろ、『ピーターパン2』はお前興味なかったんだよなあ、てっきり『フック』も見に行ったし、見たがると思ってたんだけどなあ、今度のはちょうど『1』と『フック』の間の物語ってことになるのかな、ウェンディの娘が主人公なんだろ? 確か『フック』はウェンディの孫かひ孫が主人公だったからなあ、でも、ピーターパンがオトナになったらロビン・ウィリアムスってのはなんだかウソだよなあ、『マイノリティリポート』はどうする? 原作読んだからもういい? 『恋に唄えば』は絶対はずせないしなあ、ああいうバカ映画でミュージカルでってのは押さえとかないとなあ。けど、最近、竹中直人映画に出過ぎだよなあ、実際は演技に幅のない人なんだからイロモノで使い過ぎると飽きられちゃいそうなんだけどなあ、あ、『TRICK』はオレ、行くよ、お前が行かなくてもね、『ケイゾク』のスタッフで作ってるんだけど、相変わらずバカだよー、アレ。まあ、渡部篤郎は出ないけど、毎回、宗教の教祖のインチキ暴くんだよ、巨根の阿倍寛と貧乳の仲間由紀恵のコンビがね、で今回の教祖役って野際陽子なんだよ、似合ってるよなあ、教祖役が……って寝るなあ!」
 ……マジで時々車線を越えそうでした。生きて帰れたのは奇跡です。『地獄への道』見てきたあとに地獄へホントにイッちゃったらシャレにならんがな。それとも我々二人だと『地獄珍道中』か?
 しげも帰ってすぐ寝たけど、私も倒れて寝ました。とりあえず『ガンダムSEED』と『キングゲイナー』は録画仕掛けたけど、いつ見返せるかわかりません……(-_-;)

2001年10月19日(金) 逆探知されました(^_^;)。/『コータローまかりとおる!L』1巻(蛭田達也)ほか
2000年10月19日(木) 異端審問と放火魔タマキと消えたメールと



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)