無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月10日(木) ゴミとゴミとゴミの間に/『とむらい機関車』(大阪圭吉)ほか

 仕事がめたくそ忙しい。
 もちろん悪いのは〆切ギリギリまで仕事しない私なんだけどさ。
 日頃は仕事なんて日銭稼ぐための手段さ、あくせく働いたってしゃああんめえ、と無責任男を決めこんでる私であるが、忙しさの沸点ギリギリになるとかえって仕事に対するエネルギーが生まれてくるのである。気がついたらあの仕事この仕事その仕事と暴走気味にこなし、気がついたら他人の仕事まで手伝って片付けちゃってて、「有久さん助かりました」「有久さん、どうしちゃったんですか」とか言われてるのである。
 なかなかやるじゃん俺、とか思ってたが、自分の仕事を一つやり忘れていて、同僚が代わりにやってくれていた(^_^;)。なかなか終わりよしとはいかないものである。

 仕事が長引いたので、しげを駐車場で待たす。待たしたどころか、しげの仕事の時間にも間に合わなくなったので、結局わざわざ迎えに来てくれてたのに、とんぼ返りさせてしまった。ああ、これでまたしげの機嫌が悪くなるなあ。
 しげ、帰り際に「台本は?」と聞く。
 「帰ったら書くよ」
 「時間ないやん」
 「書き始めると早いから」
 もちろん、その場限りのセリフなのだが、でもこのその場限りのセリフをなんとかこなしてこの40年というもの生きてきたのだから、もはやギリギリにならないと動けないというのは習い性なのである。

 帰りついたのは9時過ぎ。当然、しげはもう仕事に出かけていていない。
 いつものように、床に散らばった新聞、飲みかけのペットポトル、口を開けたままゴミが溢れかえっている透明の福岡市指定のゴミ袋、雪崩れを起こしかけている本の山、部屋の中は乱雑この上ないのだが、それでもゴミの隙間からニオイただよって来るように、いつもなら奥の部屋から「帰ったと〜?」と鼻にかかって間延びしたしげの声(あるいはイビキ)が聞こえてくるところである。それがシンとしたままというのは、なにか拍子抜けがする。しげとゴミがセットになって、すっかり我が家の風景に馴染んでいるせいなのだが、主のいないゴミの山はただのゴミだ(しげがいてもゴミはゴミじゃん、と言うのが正しい意見ではあろうが、まあそれはそれとして)。
 一人寂しく買い置きのおでんを食うが、卵もスジも厚揚げもすっかり固くなっている。なんだか独身時代に戻ったような気分で、なんとなく侘しい。今も昔もウチはゴミだらけで散らかっていたのだが、昔はあえてゴミを片付けないでいたこともあった。小奇麗にしていると、なんとなく誰かが尋ねてくれることを期待しているようなものほしそうな感じがしてしまって、かえって自分自身が寂しく思えてしまうからだ。でも誰もいないからってゴミだけ溜めとくのもやっぱり寂しいのである。
 やっぱりゴミの谷間からしげの顔が見えてこそうちはうちなのだろう。


 ネット検索してて、田嶋陽子さんが七日に社民党を離党していたことを知る。
 田島さんは私が心の中で密かに、栗本慎一郎、大槻義彦と並んで三大バカ教授と呼んでいるのだが、政治に口を突っ込んだのもバカなら、今更自分の立場が悪くなったからって離党するってのもバカな話である。
 その理由については、朝鮮労働党と友好関係にあった党が説明責任を果たしていないこと、と述べているが、世間はみな一様にこう思っているだろう。
 「何を今更」。
 社民党が社会党時代から中国、北朝鮮にべったりだったことは政治オンチな私だって知ってることだが、この人はいったいこれまで世の中の何を見てきたというのか。ここまで政治オンチだと元々選挙に出ることすら憚られるのがごく当然な判断だと思うが、判断力ないから出ちゃうんだろうね。
 当然、報道陣からも「党の体質を知らずに立候補するのは不勉強」と突っ込まれるわけだが、それに対して、「そうは思わない。結婚だって、してみないと相手のことは分からない」と答えたのは、バカの上にバカを重ねる発言だった。それじゃまるで、コート着た変質者が「お嬢さん、これをご覧」とスッポンポンの前を晒したら、「まあ、立派、でもしてみないと具合は分らないわ♪」と自らマタ開いてるに等しいが、もしも具合がよかったら、未だに具合を確かめあってたってことなのかね。確かに世の中やってみなけりゃ分らないこともたくさんあるが、やらんでも分かってることだっていっぱいあるのである。
 やってみなけりゃわかんないって言うんだったら、男と女の仲についてだってウダウダ言うんじゃないって。
 実はこの人、元うちの大学のセンセイで、在学中から有名ではあった。もちろん「バカ」ってことで。うちの両親がまたこんなバカのファンだったものだから、「講義を覗きに行け」と再三再四、奨められていたのだが、テレビの言動からこの人は単に自分の私怨をフェミニズムにすりかえてるだけだと思ってたので、とても聞きに行く気にはなれなかった。
 たけしのテレビに使われてるときも、デタラメなフェミニズム論ばかりぶち上げてて、失笑させられたものだった(この人の言う通り世の中が本当に男社会なら、「かかあ天下」という言葉も生まれないはずだがね。女性の社会進出が拒まれてることについても、「差別」の一言で片づけられるほど単純な問題でもないし)。
 テレビ局はこの人を専ら「イロモノ」扱いしていたが、本人も、もしかしたらそのことにトウに気づいていて、フールをあえて演じてるのかなあ、と好意的に解釈していた時期もあった。けれど、選挙に出たことでやっぱりただのバカであることが露見した。こういうバカに喋らせてるから女性の社会進出がかえって遅くなるんである。
 離党はしても議員の辞職はしないそうである。裏切られた格好の土井たか子党首も「離党するなら議員を辞職するのが筋」などと反論してるが、拉致疑惑を否定してきた自分も議院辞職すべきだとは思わんのかね。死んだお袋、田嶋さんや土井さんのファンだったけれど、生きてりゃ「よくこんなののファンやってたね」と突っ込んでやりたいところである。今度オヤジに突っ込むか。


 今日までに書いてね、としげの冷たいまなざしが背中に突き刺さるので、ひたすら原稿書き。けれど日中にドーパミンを使い果たしているので遅々として進まない。どうやら完成は明日に持ちこされそうである。
 さあ、しげにはなんと言い訳しようか。 


 『キネマ旬報』10月下旬号。
 まずは『魔界転生』再映画化のニュース。
 「再」と言ってるが、オリジナルビデオ作品を二作、アニメ版も間に挟んでいるので今度が5度目の映像化である。一番出来がいいのはシリーズが途中で中断してしまったがやはりアニメ版。『ジャイアント・ロボ』のスタッフが再結集したがすぐに離散した(^_^;)。
 今回の映画化は平山秀幸監督で、堅実な監督であるだけにかえってあの破天荒な世界を映像化できるのかと不安になる。予算がたったの十億、役者が窪塚洋介に佐藤浩市とコツブなのも気になる(前作もコツブだったけど)。どうせまた天草四郎をメインにするんだろうなあ。あんなの別に剣豪でもなんでもないから、原作じゃ途中でリタイアしちゃって、柳生十兵衛最大の敵はあくまで宮本武蔵なんだけど。前作では出番のなかった荒木又右エ門や田宮坊太郎とかいったキャラクターを出してくれると嬉しいんだけど(細川ガラシャなんていらんわ)、なんかまた換骨奪胎とか称してスケールがちっちゃくなっちゃうのかなあ。そんなふうになるくらいだったら東映、アニメの続き作ってくれ。
 秋興行の結果、『サイン』は大ヒットしてるそうな。最終的には70億いきそうだとか。まだ見てはいないが、『シックスセンス』『アンブレイカブル』のばかばかしいくらいのハッタリのかましかたから類推して、ちょっとチエのついた一般客にはウケるだろうってのは見当がつく。ミステリーサークルってのもキャッチーだし(そうか?)その伝で見て、面白かった、と感じた客は多いのだろう。これはやはり見てみて、その後で貶さないとな(^o^)。
 『リターナー』は、初めこそ好調だったものの、急激に失速して、20億の予定が13億に落ちこんだそうである。口コミがきかなかったんだろうなあ。やっぱ、あれを見たがるのは、カネシロが出てるんならなんでもいいって脳天気なねーちゃんと、ロリコンだけだろう(^o^)。まあ確かに私も美少女好きになら奨めるかもしれんが。


 大阪圭吉『とむらい機関車』(創元推理文庫・693円)。
 戦前、『新青年』各誌で活躍し、本格探偵小説の雄として評価されながら、応召され、1945年、ルソン島で病没した悲劇の探偵作家、大阪圭吉。
 とは言え、私はあまりこの人の作品をそれほど面白いとは思っていなかった。20年ほど以前に最初に読んだ『石塀幽霊』が、「まさかこんなチャチなトリックじゃないだろうな」と思っていたのがその通りだったからである。高校生にそう思わせるほどだから、ホントにおしまいそれをやっちゃあオシマイよ」的な「困った」トリックだったのである。
 この人の手持ちの探偵役は青山喬介という名前だが、これがまた明智小五郎や大心地先生、法水麟太郎、花堂弁護士、隼お秀といった戦前活躍した名探偵たちと比較して、無個性なことこの上ない。一応、その出自は第一作の『デパートの絞刑吏』に、「嘗ては某映画会社の異彩ある監督として特異な地位を占めてはいたが、日本のファンの一般的な趣向と会社の営利主義とに迎合する事が出来ず、映画界を隠退して、一個の自由研究家として静かな生活を送っていた」と紹介されている。
 なんとなく五所平之助あたりをモデルにしたのか、と思われるような記述である。これだけを読むとちょっと面白そうなんだが、残念ながらこの経歴が事件やその捜査において全く活用されない。あとの事件では、ファイロ・ヴァンス的衒学趣味を振り回すだけの、鼻持ちならない、定番の探偵像に成り下がっている。
 扱う事件もそれほど面白味がない。『デパートの絞刑吏』は、墜死した死体に無数の擦過傷があったのはなぜか? というのが謎なのだが、これは舞台となった場所を考えればすぐに判明する。やはりトリックとしてはイマイチである。
 ほかの作品も大同小異で、わずかに最後の事件である『あやつり裁判』が、異なる裁判に出没する謎の女の姿を、裁判所の廷丁(こづかい)の語りを通して軽妙な味わいで描出しているが、これとてもその結末はたいしたことがない。
 概して青山喬介シリーズ、面白くないのである。
 しかし、彼が登場しない『とむらい機関車』『雪解』『坑鬼』の三作には唸った。謎が提示され、それが合理的に解かれるという定番に則っているとは言いがたいが、粉飾の少ない文章の行間に漂う情感は後の松本清張に通じるものがあるのではないか。
 中でも『坑鬼』はまさしく本短編集中の白眉だろう。
 海底鉱山で起こった爆発事故。今しもそこで働いていた夫婦のうち、妻は命からがら坑から這い出たが、側に夫の姿がないことを知り愕然とする。しかし坑は監督たちの手によって、閉ざされてしまった後だった。
 その直後から起こる連続殺人。閉じ込められた男が生きていて、復讐を図ろうとしているのか?
 ドンデン返しにムリがなく、ラストシーンにもリアルな現実を背景に、なんとも言えぬ情感が漂っていて、一編の映画のようだ。掲載誌を見てみると、いつもの『新青年』ではなくて、『改造』。必ずしも探偵小説専門誌とは言えない同誌に執筆するにあたり、本格派としての気概を見せようと意気込んだものか。これだけの作家がたかが戦争のために露と消えたのかと思うと、残念で仕方がない。
 大阪圭吉が没してもうすぐ60年になる。しかし、彼の作品は文庫化され21世紀に蘇えった。戦前の幻の探偵作家たちの中には、まだまだ鉱脈が埋もれていると思うのである。

2001年10月10日(水) 新番レポート復活!/アニメ『テニスの王子様』&『ヒカルの碁』第1話
2000年10月10日(火) 失敗合戦と治らないケガと異父兄妹と/『ムーミン谷への旅 トーペ・ヤンソンとムーミンの世界』



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