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■ 面接と企業の多様性
本当に東京はあついですね。特に、電車とかオフィスとか。エコとかきいたふうなことほざくメディアのせいで。あの馬鹿騒ぎのおかげで下がった生産性は、おそらく節約したCO2による温暖化とやら(←実際に科学的には疑わしい)で失われる利益よりもはるかにでかいと思うよ。かくいう私も暑くてサイトの更新を怠った。すみません。
と、いうわけで東京で私は何をしたかというと面接。就活。私の周りは、就職をすでにずっと前にしてしまったか、ずっと前にあきらめてしまった人かどちらかなのであんまりここで就活そのものについて語っても仕方ないかもしれない。例えば、なんでワイシャツは白なんだ?とか、質問は?と聞かれて何故必ず質問をひねりださなくちゃいけないんだ?とか。今日はそういう話じゃないかもしれない。
私は人間集団の数字に表れないパワーみたいなものを研究していたせいで、多様性については結構理解している。例えばイノベーションの源は試行錯誤であって同一な集団からはあまりのぞめない。なぜなら、「携帯にカメラつけたらおもしろくね?」と考える突拍子もないこと考える奴は干されるからだ。
そんなことは企業も分かっていて、多種多様な有為な人材を集めたがっている。(ただ、そのうえで、全員で企業の目標や文化を共有してもらおうということも考えているし、それも大切だ)
ところが、私自身面接を何度も受けてみて気付いたのだが、30分から1時間程度の面接ではどうしてもある一定の人しか合格しないのではないかと思う。
かの有名なコラムニスト、小田嶋隆は、スポーツ記者について次のように書いている。
いや、難しい入社試験を通ったという意味では、彼らはエリートなのかもしれない。・・・(中略)・・・何百倍という競争率の入社試験をくぐりぬけてきた大出版社の社員さんや、大新聞者の記者君たちは、一見して感じが良い。見た目もすっきりしているし、話にも隙がない。出過ぎるでもなく、ガチガチに緊張しているでもなく、身のこなしも自然で、要するに、初対面の相手にストレスを感じさせないマナーというのか、オーラみたいなものが自然と身についている感じがするのだ (http://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/07/post_2a3f.html)
というわけで、一部の会社はいわゆる面接に受かる人たちで構成されていることが分かる。こういう人たちが無能だとかそういう話ではなくて、面接だけだとどうしても面接に強い人たちだけで構成され、ダイバーシティ(多様性)は自ずから失われてくる。
大学に18歳で入学したときに、どうしてこうも地味でいたいけない女の子と、安定志向な男の子ばかりがあつまったんだ?と疑問に思ったがすぐに分かった。私の大学の入学試験は、基礎中の基礎をあつめた良問ばかりで構成されており、基礎をしっかり確実に解ける子が受かる仕組みになっていたからだ。(推薦組?うん。我さきに池袋・新宿のキャバ嬢になっていった。ま、他の子たちも1年くらいして後を追ったけどね)
ま、面接(一つのシステム)だけで人材を採ると、多様性は失われはしませんか?ということです。私がそうだ、というつもりは全くありませんが、ちゃんと目を見て話せなくても、うち解ければ深みのある個性を持っていたり、口がいつも半開きであっても、一つのことをしっかりこなす慎重さを兼ね備えていたり、会話がいつも成り立たないが、なぜか他人に安心と信頼感を与える人格を持っていたりする奴もいる。
矛盾するかもしれませんが、面接だけが会社に入る唯一の手段じゃありません。理系の会社であれば、研究室推薦とか色濃く残っていますからね。もっといえば理系のエンジニアに人格を求めない風潮は日本にはある。ほかにも立派な学歴を備えた場合も違いますね。性格や第一印象がちょっとアレでも、学歴の後光だけで採っちゃう会社もあるかもしれない。もっといえば、不人気な会社であれば、求人難を背景にとりあえず採っちゃうかもしれない。
でも、文系で、スーパー高学歴の人は見向きもしないが、大きくて有名な会社はどうするんだろう?と思いますね。そこそこ学歴をもった文系の学生が憧れている会社。(例えば第一生命、森永製菓、三菱倉庫あたりどうだろう?)面接しか手段がない。
こういう会社は今こそ、就職協定の復活とか(97年に廃止された)、体育会系の上下のつながりとかOB訪問とかを盛り上げていくべきなんじゃないかと思います。
私の就職?知りません。またバーテンダーでもしたいな。
2008年07月18日(金)
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