NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 イチゴ狩りの昼下がり

 昨日、私の修士論文の第一稿が仕上がった。先生達に見せていないのでまだまだ道のりは遠いはずだがめでたい。第六章の結論の部分を書いていると、結論だけにこれまでの章の要約になるわけだが、改めて読み返してみると凡庸で凡庸で・・・。書きたいことを書いた訳じゃなくて、書けることとOKがもらえるようなことを書いているだけなんだな、と実感した。逃げ切ろうとしてる感じが我ながらひしひしと感じる。というわけで、最終チェックをルームメイトに丸投げして、ひさしぶりに週末(といっても日曜日だけ)に何かをすることにした。
 
 イチゴ狩り。

 この間シラキュースに用事があって、林道を通っていたら見つけた、農園がありまして、行ってみた。こう書くとずいぶんと遠いところにあるような感じがするが、自宅から10分の所にある。


 週末とあって結構人がいる。(ぱっと見20人くらいか?)日本で随分前にイチゴ狩りに行ったときは、入場料制だった気がするけど、どうやらここは、従量制らしい。つまりとったイチゴの分の重さに従ってお金を払うことになるらしい。

 箱をもらってイチゴ畑に入ってみる。小さい子連れの人から、普通にジャム用のイチゴをね、とお婆さんがやってきたり、大家族でバケツに何個もとっている猛者もいる。私の家は、ルームメイトと二人しかいないので小さな箱で十分だった。


 畑の中に入ってみると毎日イチゴ狩りを開催してもまだまだ成ってるのね、と感心するばかりに赤く実ったイチゴが沢山だった。オーガニックイチゴ農園だけあって日本のようにイチゴの木(?)のみが整然と植えられているわけではなく、結構雑草とかも混じっている。


 というわけで、腰痛を抑えながらしゃがみ込んでイチゴを取ること15分。そう、たった15分で箱が一杯になった。速攻だった。ま、イチゴ狩りなんて収穫することだけだったらそんなところだと思う。(そういえば、私は「あ、これとかいいんじゃない」と適当に指示を出しているだけだった)


 帰ったら夕立がやってきた。雨で冷やされた風がまどから差し込んできた。涼しい。自宅の片づけをして汗をかいた体には心地よい。甘酸っぱいイチゴを口に入れると春なんだか夏なんだが、とにかく開放的でそれでいて、とにかく何かをしなければいけない衝動に駆られる季節感に背中を押された。


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2008年06月30日(月)



 この街の夏祭り

 最近どこにいるのか分からない私ですが今はイサカにいます。
 
 ルームメイトに「今日から三日間はイサカ祭りだよ。みにいこう」といわれて山を下りることに。はい。そうでもしないと車で三分のスーパーマーケットが最も大きな行動範囲になっている私です。自宅に蟄居しているか、図書館にいるか・・・。外に出るのは運動する(自宅の裏にあるゴルフ場にいるか、自宅の前にあるテニスコートでテニスをしているか)一日一時間くらい・・・。

 猫の額ほどしかない(一度使ってみたかった表現ですが、意味不明ですね)小さな商店街がお祭りの会場です。なんの祭りなのかしりませんが、色々にぎわっています。

 他のお友達と待ち合わせをしてその日のメインイベントであるアイリッシュダンスです。シラキュースなど近郊の街からも参加者があり、いろいろ工夫をこらしたダンスを披露してくれます。老若男女が群衆というほどでもない50人くらいの見物人に囲まれながら踊っています。


 そのほか、路上でハープを演奏して路銀をもらう人とかもいる。どことなくヨーロッパを感じさせなくもないが(吟遊詩人とか?)、ここはアメリカだ。


 喧噪といったほど多くもない人々を取り囲むように出店が立ち並んでいるあたりも日本の夏まつりと一緒かもしれないが、出店のラインナップはやはりちがう。なんか手作りの家具とか、ろうそくとか、民族衣装っぽいものとか、なんとなくバザールな雰囲気だ。


 ほんの数十メートルだが歩くのに20分くらいかかるあたりが祭りの本領発揮といったところだろうか?


 長閑としたイサカでも大学関係者以外も結構人がいるのね、と思うほど見たことない若者も楽しそうにしていて、決してここも特殊な場所な訳ではなく、ここもアメリカの一つの田舎街であることを思い起こさせる。


 おなかが空いたので、でっかいバーベキュースタンドでやいていたバーベキューチキンといただく。ひとつ7ドルと結構良い値段じゃないか?と思ったが木陰の涼しいところでかぶりつくチキンは格別だった。

 というわけで、今日は本当に日記風なエントリーでした。ま、写真がいっぱいあるし勘弁してください。

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2008年06月25日(水)



 この街のくすみは?

 少し東京に帰っていた。右車線左ハンドル車になれてしまった私は、自宅の車をびくびくしながら乗ったのだけど、フロントガラス越しに見る東京の町はなんだかひどく貧乏くさく感じられる。
 なぜだろう。どうして東京はこんなにも色褪せて見えるのだろうか。

 高い位置のネオン看板がサラ金の広告に占領されているからか?建物が狭小で古いからだろうか?新しいビル(ミッドタウンとか、色々)のデザインがどれも見栄えがしないチープさが漂っているかだろうか。
 あるいは、そうした事情とは別に、歩いている人々のたたずまいがこの町の印象を暗くしているのだろうか。
 理由はともかく、久しぶりに降り立った東京の街の景色から伝わってくるのは、アジアのダメな観光都市にありがちな脂ぎった混沌ばかりだ。ソウルばりといってもいい。


 杉並区は素敵なところだと思うけど、それとは別に、私が育った浅草橋の街にしろ、あの押上(しらないでしょう?そんな地名)にしろ、とても人の住む所じゃないけど、もっと輝いて見えたものなのだが、あれは気のせいだったのだろうか

 たとえばの話、地方都市から出てきたヤツが、はじめてアルタ前から紀伊国屋方向を一望してみたとして、彼は目の前の景色から、ときめきを感じるだろうか。
 感じないと思う。
「ちぇっ、これが新宿かよ」
「おーヒルズだー。って別に建物も別に使いにくいだけだし、中のラインナップはキャナルとかわらんけんね?」
「っていうか、マニラの方が全然きらびやかだと思うんだけど、これがアジア一の国の首都なのか」
 と、そういう感想を抱くのが普通なんではなかろうか。それほどに、東京の風景は魅力を欠いて見える。ただただ荒んでいて、やかましくて、猥雑で、要するに貧乏くさいのだ。東京に憧れてやってくる若者が地方やはたまた外国にいるのだとしても、あんまり楽しい気分になれないと思う。


 東京が最先端のでなくなったのは今に始まった話ではない。80年代のバブルの頃はどこかの劣化コピーだったし、その後真の豊かさを求めたかもしれないが、ようするにそれは失敗したと言うことだ。最先端を求めた結果は、色々失っただけかもしれない。

 現在田町に自宅のようなものがあるが、目の前のスーパー(大丸ピーコック)で売っている生鮮食品がゴミに高い値札が付いているようにしか見えないので電車に乗って買い物にいったのだが、山手線からの風景をみてもつくづくそう思った。これじゃ、20年前母親に手を引かれて浅草橋のビル群の谷間にある八百屋や魚屋を回っていたときの方が遙かに買い物が楽しかった・・・。


 ……と、ここまで書いていて思ったのだが、東京がくすんで見えるのは、街のせいというよりも私の側に原因のある話で、つまり、私がトシをとったということなのかもしれない。どうだろう。どれも同じ不細工なビルの中で、慇懃無礼な店員に意味不明な高価なものを買うよりも面白いと思うし、その方が街だって素敵に見えると思うのだけど。

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2008年06月17日(火)



 私のCommencement

日々雑感を書いているので、卒業式を迎えていよいよどう思うか、ということを書いても仕方ないと思って更新を怠っていました。(その他にも式の翌日にどこかにいっていたりして)というわけで淡々と語りましょう。


 5月25日の日曜日に卒業式がありました。私のコースは人が少ない割にカバーしている分野が色々及んでいるために、文字通り一緒に机を並べて勉強をし続けた仲間というのは少ないのだけど、改めて久しぶりに集ってみると「戦友」感が禁じ得ない。


 数日前までの数週間日中でも10度前後の寒い日が続いていたのに、卒業式の日は急に夏が到来したような快晴でとても暑い日でした。この前のエントリーで紹介したNYUの卒業式のように私たちもガウンをきます。黒いガウンに、農業生命科学学部を示すクリーム色のスカーフ(?)に、裏地がコーネル色の赤と白。


 学部生は、ロープを首から垂らしていたり、博士号取得予定者はもっと重厚で色々ラインがはいったデザインだったり。ランクによって色々違うものです。


 朝7時半からの朝食会から始まり、そのまま移動して、校内を行進したり、フットボール競技場で全体の卒業式を迎えたり。大忙しでした。

 学長の演説や、歌や演奏があるところはやはりNYUやコロンビアと同じです。でも、やはり自分の大学だけあって、また、自分が中央に座らせられているだけあって、すこし主観的な感じがします。演説が自分に向けられている感じがする。そしてやはり背中を押されることの違和感。NYUの彼と同じだ。私としては「もうここらでよか」という気分で一杯なのですが・・・。


 炎天下で非常にあつく、また、日焼け止めを塗っていなかったので、サングラスの後がくっくり顔についてしまって、おいおい一週間後に日本で就活の面接じゃなかったか?なんてことも頭をよぎります。


 その後、学部毎にキャンパスの各地にあるテント(といっても軽く小屋くらいある大きさの)に集まって歓談の時間です。皆さん両親を呼んでいる人もいれば、恩師と今後について話し合ったり、クラスメートと最後の別れの挨拶をしたり。私の元にも多くの人がきてくれました。私の英語の先生が犬とかけつけてくれたり。デューク大のガウンをわざわざもってきて一緒に写真を撮ってくださった人もいました。っていうかノースカロライナからよくきたね。


 田舎の大学らしく芝生の上で、大きな青空の下で、教員も卒業生もそのほかの参加者も仲良く卒業を祝う雰囲気でした。翌日の早朝キャンパスをみてみると昨日あれだけの人がいたのが嘘のように閑散としていて、また、来年この時期を迎えるべく教員は研究を教育に心血を注ぎ、学生は仲間と切磋琢磨し、深夜まで宿題の山に追われるんでしょうね。(何度も言いますが私のようなそんな努力家のカテゴリーに入らない例外もいる)そんな一年間のサイクルに入るつかの間の休息期間に入ったばかりのようでした。


 とはいえ、私は夏休みを少し返上して修士論文の完成を急がねばなりません。がんばりましょう。

 でも、この日を迎えられて本当に良かった。どれだけの人に助けられたことでしょう。そんな幸運とfont color="red">偶然
の上に私にとってのこの式があったなーということを実感しつつ、このエントリーを編集していました。ありがとうございました。このサイトはもう少しだけ続きます。


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2008年06月05日(木)
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