NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 マスターキートンによろしく(the Last Message from NY)

 帰国して、就職活動をして、実際に働き始めてしばらく経つ。
 ありきたりな言葉で恥ずかしい限りだが、イサカにいた日々がまだ二ヶ月前だったことに今更ながらに驚く。青々とした草原が視界一杯に広がり、夜空になるなんて想像できない程の透き通った空の下、ラップトップを詰めたバックパックを背負って、ルームメイトに「gota leave now…」なんてつぶやいてキャンパスまでスニーカーを履いて今日の研究計画を立てながら歩いていたなんて・・・・。


 いまでもそんな生活が私のいる東京から十数時間も飛行機に乗れば、今日もあの小さな街で三万人ほどの学生によって繰り広げられている。


 そしてハードドライブを開けば、私もその一員だったことの証拠はごまんとでてくるが、本当に?と思わずつぶやいてしまう。二度とイサカに行かない確率は高いし、一緒に勉強してた仲間はもう世界中に散ったし、恐らく99%は死ぬまで会わない。


 会社にしても、学校にしても人が集まるところは、そこにいる人たちの悲喜こもごもとは裏腹に(そして人の数に比例して、その悲喜こもごもは大きいのに)、建物やその周りの山や空は知らん顔してたたずんでいる。そんなコントラストが、こんな「幻想感」を増幅させていると考えられる。


 写真や記憶だけが、私たちがそこにいたのだ、という頼りなのだから、本当に頼りない。勝手きわまりない、といっても良い。その成績は彼女にとって自殺するほどのショックだったというのに、その数十メートル先で生涯の伴侶に出会う出会いを得た彼には、イサカはまさに「運命の土地」としか認識されないし、何万ドルもの損失をだして絶望に暮れる人がいる下のフロアでは、世界中の人を魅了する楽曲のインスピレーションを得たとしたら対岸のニュージャージーの夜景は目を細めてしまうくらい眩しく写っている。

 私の記憶には、私のイサカとNYはどんな場所だっただろう?


 もっと修辞的な言葉を尽くして語りたいところだが、文字通り筆舌に尽くしたいのか、能力的限界からか、残念だけど、「楽しかった」としか言いようがない。楽しすぎて、もう後の人生は消化試合みたいなものだと思っている。


 正直言ってNYやイサカにいるときは必死なことが多かったせいでなかなか気がつかなかったが、今になって思い返してみると物心ついたときから「こんなことできたらいいかもしれない」「あんなことをやってみたい」「そんなふうにがんばってみたい」と望んだことがアメリカで全てできた。だから、残りの人生に期待はなくなってしまった、というわけだ。


 その場所がアメリカである必要はなかったが、あそこで出会った人たちは必要だった。だから、再現不可能。たまたまそこにあの人達がいてくれたから楽しかったし、いろいろ実現できた。
 


 さて、現在私がしている仕事は、正直言って全く関係ない。もっといえば、コーネルの学位はオーバースペックじゃないか、と思う人もいるかもしれない。何度もいうが、これまでの人生とても幸せだったので、もう残りが退屈でもまったく不満はない。


 最新の社会科学のフロンティアを覗いてしまったこと、世界にはワクワクドキドキするものがあふれていることを知ってしまったことは、横浜の片隅で判子を押す日々をより辛くさせるかもしれない、と危惧してくれるひともいる。結構そうでもない。上司にいわれたことをこなせば正解という快適さをおわかりだろうか?


 世界需要を予測する話を聞いていると、「低金利時代が世界的規模でやってくると思われる。しかし、それで投資が増えるかどうかがわからないことは日本の例で実証済みだね」なんてことを知った顔で話しているおっさんがエレベータにいた。「わからないなんてことはなくて、自然利子率(均衡実質利子率)が利子率よりも低いかどうかだけで、予測可能かと思われますが」と思わず答えてしまう。しかし、

「どうしてわかるんだね?こういう今の状況を不確実性というんだよ」
・・・
「そもそも、不確実性とリスクの違いをわかっていらっしゃらないのでは?ちなみに、今の話は100年以上前に証明された話ですが、あなたは経済学の教科書を一冊でも読んだことがあるのんですか?」(※自然利子率の話は、100年前にセクヴィルという人の証明された)という言葉を飲み込んで「そうですか。勉強になります」と答える。とやはりしたり顔で新人ぷりを演じている。もうこれで任務完了だ。


 いすに座っていれば給料が勝手に振り込まれば月給取りは楽でいい。定時の六時になれば、私の今日の行為はwell doneなのだ。イサカにいた頃は、一秒ごとに、Am I OK? と自問していた。「ふー今日はもういいや」、「スキー?いいよ。行こうか」「一行書くのに10本も論文読んじゃったよ」と思った次の瞬間には、「それでいいのか?」と問われ続ける。いつまでたってもゴールのない世界だった。一方で今は、「はい。この契約書と、出納をチェックしてください」といわれて、それをすればもうパーフェクト。


 こうした日々をみて、やはり人はそんなことのためにあんなコストを払ったのか?と眉をひそめるかもしれない。でも、そんな快適さを熟知できたことや、政治・経済・農業についての議論をきいていて正確なソースがどこにあるのかを知っていることは、いくら自分の仕事がくだらなくても耐えられるのですよ。同じ目的地に行くのでもGPSがあるとないとの違いのようなものだろうか。


 だから、もし私の友人や将来の子供が、留学したら楽しいかな?と聞いてもきっと「どうだろうね」としか答えられない。ただ、世界をみることや学問のフロンティアに触れることは、GPSを得るようなもので、将来の不確定さを少しは和らげてくれるだろう。(そもそも社会科学とはそういう不確定さへの興味から出発しているのだから)その意味で、いろいろなコンディションが許されるのならば止める理由は、同時に、ない。現在の投資銀行のビジネスモデルの終焉に際しこんな議論がある。

「やっぱりアメリカ人はバカだ」と嘲笑するのは簡単だ。しかし飛行機に乗らなければ、飛行機事故にあわないのは当たり前で、それは乗らない人が賢いからではない。その代わり彼は海外渡航するとき、船で行かなければならない。アメリカの成長率は1%台だが、日本の成長率(4〜6月速報値)は年率マイナス3%である。本当のバカは誰なのか、判明するのはこれからだ。(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ac56e0f810ae31251b667c3335c0458a)


 社会科学の検証・議論の方法を学んだことや、五つの大陸出身の人すべてにkiyoと名前を覚えてもらったことや、アメリカ人の友人や生徒の実家で酔い潰された「プロセス」がまだ続いていると思えることがきっとこれからの人生私を幸せにしてくれる。だから、何度もいうが、今後どんなつまらないことが続いてもだってへっちゃらだ。


 中学生の時マスターキートンをよんで、私もマスター(修士)になろう、と思った。それからずっと夢見た世界は本当に夢のようだった同じ夢を見た仲間がともに過ごした時間を糧にして困難を克服し、海の向こうで幸せでいてくれることを切に望む。その思いは、私の彼らへの感謝おなじように尽きることはないことを表明しここに筆を置く。


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追伸:決して仕事が忙しいわけではありませんでしたが、最終回まで時間が空いてしまいました。ごめんなさい。NY在住シリーズはこれにて終わりです。楽しんでいただけましたか?エンターテインメントとして書いているので、楽しんでいただければ私の意図は成功です。まだ、どこかで何か企画するかもしれませんが当分ありません。メールアドレスや携帯など変わらず生きています。東京都横浜を往復する日々を過ごしているのでよかったら声をかけてください。それでは今までありがとうございました。


2008年10月13日(月)



 緊急連絡!

 ほんとは最終回を書きたいんですが、どうも気が乗らない・・・。 寂しいからか?

 それとは別に、少し連絡をさせてください。

 実は、私携帯電話を例の降り続いた大雨でぬらして壊してしまいました。大変な出費を強いられました。泣きたい気分です。さらに、勿論電話帳も失いました。二年前のバックアップデータはリカバーすることができましたが、それ以降のデータは全て失いました

 というわけで、この二年間で番号なり、メールアドレスを変更したという方、是非私にご一報を。どんな手段でもOKです。よろしくお願いします。


2008年09月02日(火)



 私の親友との一大事

 タイトル的には私(kiyo)の親友についての話かと思いますが、そういうことはありません。

 朝から突貫工事で作業をしつづけて(論文って書き始めると止めちゃいけない気がしませんか?っていうかまだ書いているのか?って話ですよね)気がつくと夕方四時。といってもまだまだ日が沈むまでには時間があるので(日没は9時ちょっと前くらいか)今日もベストスコアを目指してがんばろう、と意気込んで在庫のゴルフボールの数などをチェックするために車のトランクを覗いていると、足下からカラカラと乾いた音が・・・。

 5歳にもならないくらいの小さな女の子がおもちゃのベビーカーをひいているじゃありませんか。かわいいもんだね。乗っているのは人形かな?と思ってよくみてみるとミーミーないている。おわ、猫だ。子猫でした。


 超かわいいシーンじゃありませんか。

 ところがよくみてみると、女の子は猫がちゃんと赤ちゃんのように前向きで座らないのが気にくわないらしく、なんども猫の姿勢を直している。それを猫はいやがってミーミー泣き続ける。

 女の子はしょうがない、じゃ、ヒモで縛り付けるか、とヒモをぐるぐる猫とベビーカーにしばりつけはじめる。さすがに我慢の限界がきたのか猫はするすると地面におりて自分の家に帰ってしまいました。

 するとなんということでしょう。女の子は猫をおいかけるでもなし、その場でしくしく泣き始めてしまいました!


 女の子としては、私の大好きな親友とお散歩に出かけることを夢見ていたのに、みごとに裏切られてしまった悲しさが耐えきれなかったのでしょうか?かわいそうに・・・。あの子にとってはもう、今年一番の大事件だったりして。


 まるで絵本や映画のようなシチュエーションです。こんな小さなアパートの前にもこんな「大事件」があるのですから、飛行機から見下ろす都市の中には幾千もの物語が泡のように生まれては終わっていく過程が果てしなく続いていることがうかがい知れます。


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2008年08月08日(金)



 カーネルサンダースによろしく【その2】

 今回の旅のタイトルは「カーネルサンダースによろしく」となっていますが、このタイトルは伊達じゃありません。そうです。いってきました。ハーランド=サンダースカフェへ。(ハーランド=サンダースは、カーネルサンダースの本名らしい。カーネルは名誉市民(名誉大差)みたいなのりなんだとか)

 第一の目的は友達に会いに行ったのですが、住んでいる町ルイヴィルのことを調べていると、でてくるのは大体ダービーの話。そんな中でふと目にとまったのがケンタッキーフライドチキン(KFC)の発祥地というサイトを見つけたのです。

「今日どこ行く?」
「KFCの最初のレストランにいってみたい。博物館もあるらしいよ」
「は?また、昨日の蒸気船といい、不思議なものを探してくるんだな」

 と、寝坊をした彼をたたき起こして車に乗せて一路ハーランド=サンダースカフェへ。ナビはこんなとき便利だ。住所を打ち込むと・・・

「What a fuck? 160マイル先じゃん。もうノックスヴィル直前のところだよ」うそ?すごいね。二時間半くらいかかるんじゃ?「その通り。それでも行きたいか?」当然だ。

 と、良い思い出作りになるからと説得して出発。最新モデルの車だけにスピーカーがいいので、彼の持ってきたCDを楽しみながら色々話をする。ま、アメリカはどこも高速道路の風景は同じだが、ケンタッキーくらいになると走っている車のラインナップが違う。

kiyo「アメリカ人がさ、ピックアップトラックがすきな理由が分からない。あれってかっこいいか?」
ジョナサン「馬鹿が好きな車の代名詞だな。っていうかみてみろ、私たちピックアップトラックにかこまれてるぞ」

 確かに、周囲6台くらいみんなピックアップトラックだ。偶にバイクを見つけると巨大なハーレー。ケンタッキーらしく、メットもつけずにバンダナだけでOK。(いや本当のところは知りませんよ)


 走ること二時間半。コービンの街に着く。探して歩いていると高速道路から少しはずれ15分くらい走ったところに見つけましたよ。(どうやらフランチャイズを始めた理由が高速道路が走ったために人の流れが変わって売り上げが落ちたからなんだとか)超感動。二人で叫ぶ。


 中に入ってみると、結構普通の店内。カウンターは全くどこも一緒。午後二時だというのに結構込んでいるのは観光地だからか、それとも普通にKFCが好きだからか・・・。写真をとったりあたりを見渡している人が少ないところを見ると地元の人が普通のKFCとして使っていることもわかる。


 ただし、やはり第一号店らしくサンダース像がおいてある。女の子が像にキスして過ぎていった。本当ですよ、本当。私は、「お前のベストフレンドとの写真とってあげるよ」といっていやがるジョナサンをカーネルに並ばせたりして遊ぶ。実は私もサンダースと撮った。


 彼はスペシャルクリスピーを、私はクラシックスタイルを。食べるエリアは、昔の風景をそのまま残してあって、ミュージアムをなのっているだけあって、当時のキッチンや店の中野様子を展示してある。キャッシャーとか、分厚い陶器の食器とかレトロで素敵だ。朝食も抜いて空腹一杯だった私たちは無言でむしゃぶりつく。心なしか、おいしい。こんなにKFCっておいしかったか?


ジョナサン「この前、KFCいつたべた?」
kiyo「覚えてないよ。生涯3回くらいしか食べたことないんじゃないかな」
ジョナサン「ははは。あんまり行かないよな。俺もだ」
kiyo「あーそういえばこの前いったわ。3週間くらい前。戸塚のKFCにはいってコーラフロートたべた」
ジョナサン「なんだその戸塚って。東京にいたときも聞いたことなかったぞ。っていうかチキンじゃなくてコーラフロートってのも意味わかないな。」
kiyo「安心しろ。何があっても一生行かないと思う横浜の近くの小さな街だ。なんもないから仕方なくKFCに入ったんだよ。だからチキンじゃなくてコーラフロート」
ジョナサン「はは。kiyoの中でのKFCがどんなものだか分かったよ」

 なんて会話をしながら最後にやはりコールスローとか蒸したトウモロコシなんかをむしゃむしゃ食べる。なんか土産はないものか、と探しているとどうやらTシャツが売っているらしい。(他にもステッカーや過去のCMソングを集めたレコード(!)とかも)どこで買えるのかなと思って見渡してみるとなんと、さっきチキンを注文したカウンターで買うんですね。はじめてですよ。ファーストフードのカウンターで、「Tシャツください」といったのは。


 忙しいのに時間を作ってくれた友人に一枚プレゼントして、店の前で撮影。「KFC伝説の始まった場所」というプレートが。ここにきてみると(って来たい人はいないかな)分かると思うが、ほんとに伝説だと思う。こんなに田舎の州の、そのまた小さな街の、けしつぶみたいなガソリンスタンドの脇からよく世界チェーンになったと思いますよ。いってみれば岩手の一関あたりで始まったおにぎり屋が世界を席巻したようなものですよ。


 と一時間弱の滞在でハーランドカフェを後にする。ちかくのフランクフォートの街で、ワイルドターキーとかフォーローゼズの工場を見学するが車の中にカメラ忘れたし、時間もないし、そもそもラインナップはほとんどアイルランドでみたものと同じ(【ダブリンの石畳】を参照してください)なので撮影とか記録とかパス。思い出だけ。酒もろくにのまないのに結構バーボンやらウィスキーやらに詳しくなっている私。

 急がなくちゃ!と飛行機の時間に間に合わせるために結構なスピードで車を飛ばしながら途中で彼をおろす。またな、日本に帰っても会いに来いよな。と挨拶をされる。そうだ、私はもうこの国からいなくなるんだった、と寂しいことを思い起こされるようなことをいわれるが、「俺が会社興すときは勿論kiyoがパートナーだ」と言ってくれたことは私のつまらなそうな未来に一縷の望みを与えてくれた。


 木目調で、すこしカントリーな雰囲気を残しながら、それでいて結構クールなデザインの空港ゲート(私がみたゲートの中でベストだと思う)を後に飛行機の乗り込む。窮屈でぼろぼろなシートなアメリカの国内線もあと少しでお別れか・・・。


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2008年08月06日(水)



 カーネルサンダースによろしく【その1】

 イサカに戻ってきてすぐにケンタッキー州はルイヴィルに行くことに。アメリカを離れるに当たって、仲良くしてくれた友達に挨拶と観光をかねて。
 朝6時の飛行機に乗って何度降り立ったことか分からないアメリカ中西部のハブ空港デトロイトを経由して、ルイヴィル行きの飛行機にのる。今回イサカまで帰ってくる道のりがアクシデントが重なって実に30時間もかかってしまい、そのうえ、着いた途端に8時間もかけて部屋の明け渡し作業をしていたので、その疲れが残っているからか、飛行機の間中ずっと寝てしまう。
 ルイヴィルについてみると熱気が。軽く南部がはいった土地柄なのか空港も陽気な感じがするし、そもそも飛行機に乗るからと羽織ったフリースが途端に邪魔になる。

 空港で、レンタカーの手続きをしてとりあえずダウンタウンにあるホテルに向かう。なんと、車がナビ付のスバルはアウトバックの08年モデルじゃないですか。10年落ちのカムリとの差が嬉しい。なんか街を走って最初に気付いたのがクラシックカーが多いこと、多いこと。なにかイベントがあるからなんでしょうか?異様に多い。それともまさに「ケンタッキー」だからなのか?


 友人はまだオフィスにいるとのことなので一人でホテルのレストランで遅めの昼食を採る。普通にチキンサンドウィッチで。家族連れで旅行中の人たちばかり。みな白人なのがアメリカの深部にやってきたことを思い起こさせる。大きなオハイオ川のほとりを眺めながらの昼食をとっていると、蒸気船が通り過ぎている。今は観光目的だろうけど、きっと100年前もほとんど同じ景色だったんだろう。


 彼は5時過ぎにホテルに来るそうなのでまだ時間がある。というわけで、ケンタッキーダービー博物館に一人で行ってみることにする。アウトバック最新型のドライブを楽しもうじゃないかとおもったらすぐに着く。結構小さい街なのね。

 ここがかの有名なケンタッキーダービーが開催されるところか。(あとでその友達から聞いたのだが、先月開催されていて、「マイケル=ジョーダンが来てたんだよ」と聞かされる)


 併設された博物館を見て回ることにする。7ドルほど払って中を見てみる。ま、競馬の博物館だから「本物」を展示するにも限界があるんでしょう。(っていうか本物ってなんだ?)結構、説明系の展示が多かったがそれでもゲートとか、実物大がどんとあると面白いね。こうなっているのね・・・、と感心する。360度パドックの形をしたシアターで競馬が行われる一日のムービーを子供達と一緒に見る。多くのプロフェッショナルが支えるダービーといったテーマだろうか。なかなか迫力があった。


 そのあと競馬場内の見学に参加。サングラス越しにもまぶしいほどの日差しの中をぞろぞろと歩く。高校の頃遠足の帰りにみんなで府中競馬場にいったことがあったけど、全然ちがう。もっと古い、木造の感じ。それでいて巨大だ。コースの直前までつれてきてもらえて色々お姉さんに話を聞く。


 日焼けしたほっぺたの熱が落ちないなーと思いながらホテルに帰ってシャワーを浴び友達と合流する。「ひさしぶりー。元気だった?抱きしめさせてくれ!」と歓待受け、そのあとどこに行くか相談する。

kiyo「あのさ、さっき川散歩してたら船があったんだけどさ、あれに乗らない?ディナークルーズよ。おごるよ?」
ジョナサン「なにそれ?もう半年もこの街にいるけどそんなことしたことないぞ」
kiyo「きまりだ」

 と船着き場をネットで探すとなんとホテルの前。びっくりした。チケットオフィスに行くと売り切れたが、外にいる男性が乗船できなくなったのでチケットを売りたがっているんだ、買ってやってくれ、と。ナイスプレイスな上に、ナイスタイミングじゃないですか。

 乗船して、レモネードやら紅茶やらをのみつつ、どうだったよ?と仕事ぶりや生活状況に花が咲く。そうこうしているうちに食事が始まる。ビュッフェスタイルで典型的なアメリカ料理だが、フライドチキンがあるのはケンタッキーだからだろうか?と思った。っていうか、そこで食べたビーフストロガノフが、思いの外おいしかった。


ジョナサン「どうよ?うまくね?」
kiyo「思ったより旨い」
ジョナサン「だね。ま、すごいおいしい訳じゃないけど・・・」
kiyo「うん、まぁまぁだ」
ジョナサン「そう!そのとおり。まぁまぁだ!このまぁまぁがケンタッキーなんだよ」

 なんて話をしながらむしゃむしゃチキンやらビーフやらコールスローサラダをつつく。となりの老夫婦がはなしかけてくる。

「どこからきたの?」
「ボクはニューヨーク州の上の方(「アップステートニューヨーク」という)で、彼は日本から」
「ほう?アップステートニューヨーク?私たちはシラキュースに住んでいたのよ」
「そうですか。私はアルバニーで生まれ育ちました」

 と軽く会話を聞いている。私は英語を話したくないので、聞いてにこにこしているだけだ。(いや、その友達はアメリカ人なので英語しか話さないんですがね)

 夕食後、デッキのベンチで夕涼みをしながら
kiyo「あのさ、あの質問いつもこまるんだよね。どこからきたの?って。私もう三年くらいNY州に住んでるわけよ。ま、元々日本から来たことも間違いない。かといっていちいち説明するのもアレだろ・・・」
ジョナサン「いいんだよ。日本からで。一般のアメリカ人なんて単純なことしか理解できないんだから。俺だって説明するの大変なんだ。両親が移民で、アルバニーでそだって、今は実家がシカゴで、ってそんなことあのアホどもに理解できないんだ」
kiyo「なるほどね」


 船から眺める景色は格別だった。広い空の下、もうはてしなくのんびりした空間が広がっている。人に会わずともわかる。この景色の中ですごして、素直でのんびりした人間いがいできっこないんだろうな、とそんなことを思わせてくれる。都合3時間くらいのクルーズだったがディナーも付いて35ドルはやっぱりまぁまぁだと思いますよ。

 このあとさ、友達と夜を楽しもうよ、と言われる。ま、こういうときは疲れをおして付き合わないといけない。そして、ぜったいこんなときにでてくる「友達」っていうのは「彼女寸前の友達」を意味している。例外ない。よくよく聞いてみると彼の上司の娘(!)だそうです。あんたもこの街に友達がいないからってなにもそんなところから始めなくても良いんじゃないか・・・。

 ホテルのロビーで待ち合わせをして、彼の「友達」とルームメイトと合流し、さらに目的地で彼の同僚と合流する。目的地ってどこだろう、とおもって車の後部座席でやっぱり閑散として、だけれどもとても清潔な街並みをながめるとさっきの川をわたってしまった。対岸はケンタッキー州ではなく、インディアナ州なんだとか。ま、違いはないけどね。ついた先はなんとサルサバー


 その「お友達」は20歳なのでバーには入れないので、それでいてみんなで盛り上がれる場所はここしかないんだそうです。とても健全ですな・・・。というわけで健全にレッドブルをのんでサルサをみていると「ヘイkiyo!覚えてるぞ。ナリ(共通の友達の女の子)とダンスのクラス採っていたよな?」なんて余計なことを言い出す。んで、私の隣にいた薬剤師のバイトをしている娘が是非是非踊ってみよう。といいだすではないですか。「覚えてない。無理!」といっても聞く耳を持ってもらえない。さっきまで一生懸命私のつたない英語を聞こうとしていたのに、もう聞かないので、仕方なくちょこっとだけ・・・。


「あの・・・。kiyo?あなたのステップ。それはチャチャじゃないかしら?」

 だからダンスは嫌いなんだ。
 午前2時を回ったあたりで帰ることに。もうくたくただ。なのに彼は酒が入っているのに私が運転を。ホテルの駐車場で解散。今夜は久しぶりによく眠れるんだろうな、とおもって部屋で片づけをしているとノックが。

泊めてくれ」は?車はどうしたんだよ?
「しってるだろ?さっき俺のルームメイトが乗っていた」あ、そうだったね。っていうか私はてっきり彼女を送っていったり、あの子の部屋にでも行くんだと思ったよ。
「お前馬鹿か?あの子の部屋は俺のボスの家だ。いけるわけねーだろうが」んで、私の部屋で寝ると?
「そう。よろしく」

 ま、ベッドは意味不明にでかいから構わないけど・・・。
 こうしてルイヴィルでの一日目は終わった。

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2008年08月05日(火)



 面接と企業の多様性

 本当に東京はあついですね。特に、電車とかオフィスとか。エコとかきいたふうなことほざくメディアのせいで。あの馬鹿騒ぎのおかげで下がった生産性は、おそらく節約したCO2による温暖化とやら(←実際に科学的には疑わしい)で失われる利益よりもはるかにでかいと思うよ。かくいう私も暑くてサイトの更新を怠った。すみません。

 と、いうわけで東京で私は何をしたかというと面接。就活。私の周りは、就職をすでにずっと前にしてしまったか、ずっと前にあきらめてしまった人かどちらかなのであんまりここで就活そのものについて語っても仕方ないかもしれない。例えば、なんでワイシャツは白なんだ?とか、質問は?と聞かれて何故必ず質問をひねりださなくちゃいけないんだ?とか。今日はそういう話じゃないかもしれない。


 私は人間集団の数字に表れないパワーみたいなものを研究していたせいで、多様性については結構理解している。例えばイノベーションの源は試行錯誤であって同一な集団からはあまりのぞめない。なぜなら、「携帯にカメラつけたらおもしろくね?」と考える突拍子もないこと考える奴は干されるからだ。

 そんなことは企業も分かっていて、多種多様な有為な人材を集めたがっている。(ただ、そのうえで、全員で企業の目標や文化を共有してもらおうということも考えているし、それも大切だ)

 ところが、私自身面接を何度も受けてみて気付いたのだが、30分から1時間程度の面接ではどうしてもある一定の人しか合格しないのではないかと思う。


 かの有名なコラムニスト、小田嶋隆は、スポーツ記者について次のように書いている。

いや、難しい入社試験を通ったという意味では、彼らはエリートなのかもしれない。・・・(中略)・・・何百倍という競争率の入社試験をくぐりぬけてきた大出版社の社員さんや、大新聞者の記者君たちは、一見して感じが良い。見た目もすっきりしているし、話にも隙がない。出過ぎるでもなく、ガチガチに緊張しているでもなく、身のこなしも自然で、要するに、初対面の相手にストレスを感じさせないマナーというのか、オーラみたいなものが自然と身についている感じがするのだ
(http://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/07/post_2a3f.html)

 というわけで、一部の会社はいわゆる面接に受かる人たちで構成されていることが分かる。こういう人たちが無能だとかそういう話ではなくて、面接だけだとどうしても面接に強い人たちだけで構成され、ダイバーシティ(多様性)は自ずから失われてくる。

 大学に18歳で入学したときに、どうしてこうも地味でいたいけない女の子と、安定志向な男の子ばかりがあつまったんだ?と疑問に思ったがすぐに分かった。私の大学の入学試験は、基礎中の基礎をあつめた良問ばかりで構成されており、基礎をしっかり確実に解ける子が受かる仕組みになっていたからだ。(推薦組?うん。我さきに池袋・新宿のキャバ嬢になっていった。ま、他の子たちも1年くらいして後を追ったけどね)

 ま、面接(一つのシステム)だけで人材を採ると、多様性は失われはしませんか?ということです。私がそうだ、というつもりは全くありませんが、ちゃんと目を見て話せなくても、うち解ければ深みのある個性を持っていたり、口がいつも半開きであっても、一つのことをしっかりこなす慎重さを兼ね備えていたり、会話がいつも成り立たないが、なぜか他人に安心と信頼感を与える人格を持っていたりする奴もいる。


 矛盾するかもしれませんが、面接だけが会社に入る唯一の手段じゃありません。理系の会社であれば、研究室推薦とか色濃く残っていますからね。もっといえば理系のエンジニアに人格を求めない風潮は日本にはある。ほかにも立派な学歴を備えた場合も違いますね。性格や第一印象がちょっとアレでも、学歴の後光だけで採っちゃう会社もあるかもしれない。もっといえば、不人気な会社であれば、求人難を背景にとりあえず採っちゃうかもしれない。

 でも、文系で、スーパー高学歴の人は見向きもしないが、大きくて有名な会社はどうするんだろう?と思いますね。そこそこ学歴をもった文系の学生が憧れている会社。(例えば第一生命、森永製菓、三菱倉庫あたりどうだろう?)面接しか手段がない。

 こういう会社は今こそ、就職協定の復活とか(97年に廃止された)、体育会系の上下のつながりとかOB訪問とかを盛り上げていくべきなんじゃないかと思います。

 私の就職?知りません。またバーテンダーでもしたいな。

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2008年07月18日(金)



 イチゴ狩りの昼下がり

 昨日、私の修士論文の第一稿が仕上がった。先生達に見せていないのでまだまだ道のりは遠いはずだがめでたい。第六章の結論の部分を書いていると、結論だけにこれまでの章の要約になるわけだが、改めて読み返してみると凡庸で凡庸で・・・。書きたいことを書いた訳じゃなくて、書けることとOKがもらえるようなことを書いているだけなんだな、と実感した。逃げ切ろうとしてる感じが我ながらひしひしと感じる。というわけで、最終チェックをルームメイトに丸投げして、ひさしぶりに週末(といっても日曜日だけ)に何かをすることにした。
 
 イチゴ狩り。

 この間シラキュースに用事があって、林道を通っていたら見つけた、農園がありまして、行ってみた。こう書くとずいぶんと遠いところにあるような感じがするが、自宅から10分の所にある。


 週末とあって結構人がいる。(ぱっと見20人くらいか?)日本で随分前にイチゴ狩りに行ったときは、入場料制だった気がするけど、どうやらここは、従量制らしい。つまりとったイチゴの分の重さに従ってお金を払うことになるらしい。

 箱をもらってイチゴ畑に入ってみる。小さい子連れの人から、普通にジャム用のイチゴをね、とお婆さんがやってきたり、大家族でバケツに何個もとっている猛者もいる。私の家は、ルームメイトと二人しかいないので小さな箱で十分だった。


 畑の中に入ってみると毎日イチゴ狩りを開催してもまだまだ成ってるのね、と感心するばかりに赤く実ったイチゴが沢山だった。オーガニックイチゴ農園だけあって日本のようにイチゴの木(?)のみが整然と植えられているわけではなく、結構雑草とかも混じっている。


 というわけで、腰痛を抑えながらしゃがみ込んでイチゴを取ること15分。そう、たった15分で箱が一杯になった。速攻だった。ま、イチゴ狩りなんて収穫することだけだったらそんなところだと思う。(そういえば、私は「あ、これとかいいんじゃない」と適当に指示を出しているだけだった)


 帰ったら夕立がやってきた。雨で冷やされた風がまどから差し込んできた。涼しい。自宅の片づけをして汗をかいた体には心地よい。甘酸っぱいイチゴを口に入れると春なんだか夏なんだが、とにかく開放的でそれでいて、とにかく何かをしなければいけない衝動に駆られる季節感に背中を押された。


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2008年06月30日(月)



 この街の夏祭り

 最近どこにいるのか分からない私ですが今はイサカにいます。
 
 ルームメイトに「今日から三日間はイサカ祭りだよ。みにいこう」といわれて山を下りることに。はい。そうでもしないと車で三分のスーパーマーケットが最も大きな行動範囲になっている私です。自宅に蟄居しているか、図書館にいるか・・・。外に出るのは運動する(自宅の裏にあるゴルフ場にいるか、自宅の前にあるテニスコートでテニスをしているか)一日一時間くらい・・・。

 猫の額ほどしかない(一度使ってみたかった表現ですが、意味不明ですね)小さな商店街がお祭りの会場です。なんの祭りなのかしりませんが、色々にぎわっています。

 他のお友達と待ち合わせをしてその日のメインイベントであるアイリッシュダンスです。シラキュースなど近郊の街からも参加者があり、いろいろ工夫をこらしたダンスを披露してくれます。老若男女が群衆というほどでもない50人くらいの見物人に囲まれながら踊っています。


 そのほか、路上でハープを演奏して路銀をもらう人とかもいる。どことなくヨーロッパを感じさせなくもないが(吟遊詩人とか?)、ここはアメリカだ。


 喧噪といったほど多くもない人々を取り囲むように出店が立ち並んでいるあたりも日本の夏まつりと一緒かもしれないが、出店のラインナップはやはりちがう。なんか手作りの家具とか、ろうそくとか、民族衣装っぽいものとか、なんとなくバザールな雰囲気だ。


 ほんの数十メートルだが歩くのに20分くらいかかるあたりが祭りの本領発揮といったところだろうか?


 長閑としたイサカでも大学関係者以外も結構人がいるのね、と思うほど見たことない若者も楽しそうにしていて、決してここも特殊な場所な訳ではなく、ここもアメリカの一つの田舎街であることを思い起こさせる。


 おなかが空いたので、でっかいバーベキュースタンドでやいていたバーベキューチキンといただく。ひとつ7ドルと結構良い値段じゃないか?と思ったが木陰の涼しいところでかぶりつくチキンは格別だった。

 というわけで、今日は本当に日記風なエントリーでした。ま、写真がいっぱいあるし勘弁してください。

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2008年06月25日(水)



 この街のくすみは?

 少し東京に帰っていた。右車線左ハンドル車になれてしまった私は、自宅の車をびくびくしながら乗ったのだけど、フロントガラス越しに見る東京の町はなんだかひどく貧乏くさく感じられる。
 なぜだろう。どうして東京はこんなにも色褪せて見えるのだろうか。

 高い位置のネオン看板がサラ金の広告に占領されているからか?建物が狭小で古いからだろうか?新しいビル(ミッドタウンとか、色々)のデザインがどれも見栄えがしないチープさが漂っているかだろうか。
 あるいは、そうした事情とは別に、歩いている人々のたたずまいがこの町の印象を暗くしているのだろうか。
 理由はともかく、久しぶりに降り立った東京の街の景色から伝わってくるのは、アジアのダメな観光都市にありがちな脂ぎった混沌ばかりだ。ソウルばりといってもいい。


 杉並区は素敵なところだと思うけど、それとは別に、私が育った浅草橋の街にしろ、あの押上(しらないでしょう?そんな地名)にしろ、とても人の住む所じゃないけど、もっと輝いて見えたものなのだが、あれは気のせいだったのだろうか

 たとえばの話、地方都市から出てきたヤツが、はじめてアルタ前から紀伊国屋方向を一望してみたとして、彼は目の前の景色から、ときめきを感じるだろうか。
 感じないと思う。
「ちぇっ、これが新宿かよ」
「おーヒルズだー。って別に建物も別に使いにくいだけだし、中のラインナップはキャナルとかわらんけんね?」
「っていうか、マニラの方が全然きらびやかだと思うんだけど、これがアジア一の国の首都なのか」
 と、そういう感想を抱くのが普通なんではなかろうか。それほどに、東京の風景は魅力を欠いて見える。ただただ荒んでいて、やかましくて、猥雑で、要するに貧乏くさいのだ。東京に憧れてやってくる若者が地方やはたまた外国にいるのだとしても、あんまり楽しい気分になれないと思う。


 東京が最先端のでなくなったのは今に始まった話ではない。80年代のバブルの頃はどこかの劣化コピーだったし、その後真の豊かさを求めたかもしれないが、ようするにそれは失敗したと言うことだ。最先端を求めた結果は、色々失っただけかもしれない。

 現在田町に自宅のようなものがあるが、目の前のスーパー(大丸ピーコック)で売っている生鮮食品がゴミに高い値札が付いているようにしか見えないので電車に乗って買い物にいったのだが、山手線からの風景をみてもつくづくそう思った。これじゃ、20年前母親に手を引かれて浅草橋のビル群の谷間にある八百屋や魚屋を回っていたときの方が遙かに買い物が楽しかった・・・。


 ……と、ここまで書いていて思ったのだが、東京がくすんで見えるのは、街のせいというよりも私の側に原因のある話で、つまり、私がトシをとったということなのかもしれない。どうだろう。どれも同じ不細工なビルの中で、慇懃無礼な店員に意味不明な高価なものを買うよりも面白いと思うし、その方が街だって素敵に見えると思うのだけど。

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2008年06月17日(火)



 私のCommencement

日々雑感を書いているので、卒業式を迎えていよいよどう思うか、ということを書いても仕方ないと思って更新を怠っていました。(その他にも式の翌日にどこかにいっていたりして)というわけで淡々と語りましょう。


 5月25日の日曜日に卒業式がありました。私のコースは人が少ない割にカバーしている分野が色々及んでいるために、文字通り一緒に机を並べて勉強をし続けた仲間というのは少ないのだけど、改めて久しぶりに集ってみると「戦友」感が禁じ得ない。


 数日前までの数週間日中でも10度前後の寒い日が続いていたのに、卒業式の日は急に夏が到来したような快晴でとても暑い日でした。この前のエントリーで紹介したNYUの卒業式のように私たちもガウンをきます。黒いガウンに、農業生命科学学部を示すクリーム色のスカーフ(?)に、裏地がコーネル色の赤と白。


 学部生は、ロープを首から垂らしていたり、博士号取得予定者はもっと重厚で色々ラインがはいったデザインだったり。ランクによって色々違うものです。


 朝7時半からの朝食会から始まり、そのまま移動して、校内を行進したり、フットボール競技場で全体の卒業式を迎えたり。大忙しでした。

 学長の演説や、歌や演奏があるところはやはりNYUやコロンビアと同じです。でも、やはり自分の大学だけあって、また、自分が中央に座らせられているだけあって、すこし主観的な感じがします。演説が自分に向けられている感じがする。そしてやはり背中を押されることの違和感。NYUの彼と同じだ。私としては「もうここらでよか」という気分で一杯なのですが・・・。


 炎天下で非常にあつく、また、日焼け止めを塗っていなかったので、サングラスの後がくっくり顔についてしまって、おいおい一週間後に日本で就活の面接じゃなかったか?なんてことも頭をよぎります。


 その後、学部毎にキャンパスの各地にあるテント(といっても軽く小屋くらいある大きさの)に集まって歓談の時間です。皆さん両親を呼んでいる人もいれば、恩師と今後について話し合ったり、クラスメートと最後の別れの挨拶をしたり。私の元にも多くの人がきてくれました。私の英語の先生が犬とかけつけてくれたり。デューク大のガウンをわざわざもってきて一緒に写真を撮ってくださった人もいました。っていうかノースカロライナからよくきたね。


 田舎の大学らしく芝生の上で、大きな青空の下で、教員も卒業生もそのほかの参加者も仲良く卒業を祝う雰囲気でした。翌日の早朝キャンパスをみてみると昨日あれだけの人がいたのが嘘のように閑散としていて、また、来年この時期を迎えるべく教員は研究を教育に心血を注ぎ、学生は仲間と切磋琢磨し、深夜まで宿題の山に追われるんでしょうね。(何度も言いますが私のようなそんな努力家のカテゴリーに入らない例外もいる)そんな一年間のサイクルに入るつかの間の休息期間に入ったばかりのようでした。


 とはいえ、私は夏休みを少し返上して修士論文の完成を急がねばなりません。がんばりましょう。

 でも、この日を迎えられて本当に良かった。どれだけの人に助けられたことでしょう。そんな幸運とfont color="red">偶然
の上に私にとってのこの式があったなーということを実感しつつ、このエントリーを編集していました。ありがとうございました。このサイトはもう少しだけ続きます。


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2008年06月05日(木)
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