|
|
■■■
■■
■ 私とチャオズの関係性
珍しい短期更新。(ええ、論文が行き詰まっているのでね。現実逃避ですよ)
一般的にアメリカの大学学部生は寮生活が基本です。それは日本のように一極集中した形態を取っていないので、有力な大学が本当に散らばっているからですね。(マサチューセッツのような例外もあるようですが)さらに、この大学は山の中にあるもので誰もがみんなで一緒に小さな街に住んでいるようなものです。
キッチンにて、ルームメイトと・・・。
ゴホゴホ。ゴホゴホ・・・。うー。 「まだ、咳続くね。大丈夫?」 「うん。どうしたもんかね。でも食欲はでてきたので今日は先々週に大量に作った餃子(チャオズ)をたべようかな。まだ冷凍庫にあるよね」 「そうしよう。私もそれでいいや」 「うん。じゃ、そうしよう。私が茹でるよ」 「ところで、どうしてチャオズなんて中国語知ってるの?まだ教えてないよ。」 「あー日本人なら誰でも知ってるんだよ。その単語はね。クリリンとかテンシンハンとかも必須単語だよ」 「え?なにそれ」 「こっちの話。」
なんて会話をしていると、ドンドンドン!スチール製のやすっぽい我が家の戸をたたく音が。誰よこんな時間(夜九時頃)に。 戸を開けるとなんと去年教えた生徒が立っているじゃありませんか! どうして私の住所を?あーそうだ。大学のポータルサイトから電話と住所がしらべられるようになってたんだ。飯時だってのに・・・。 どうやら相談があるそうです。何度も言うがいつからこの大学は高校の乗りになったんだ?大学のインストラクターに人生相談なんて。と心の中でつぶやく。突き放すわけにもいかないので、ルームメイトにお茶とお菓子を頼み、自室に案内する。(っていうか、こう思い返すとルームメイトが嫁みたいだね。本当にルーミィ以外なにものでもないのですが)
その晩やってきたのは韓国からの留学生。「君、韓国語で話すのはだめだ。せめて英語にしてください。最近韓国語は使ってなくてね。・・・。まず聞きたい!学部の一年生は多くの授業を取っているはずだし、若いインストラクターなら他にもいるでしょ?日本人がいいなら、そうだな、もっと信頼できそうな樹本さんなんて良いんじゃないか?」 「いや、この前、ジョナサンが先生の部屋に行って相談にのってもらったってきいて。ほかにもタマラが日本に行ったときしゃぶしゃぶご馳走してくれたたって聞いたから。Kiyo先生ならプライベートがオープンかなって思って」 大いなる誤解だ。いずれの例も勝手に押しかけてきただけよ。あっちから。
ともあれ、私が咳き込んでいるのを無視して自分の問題を語り出す。 内容は、あらゆるアメリカの大学で形成されてる韓国人社会の話。韓国からの留学生は、アメリカの有名大学に留学ができる頭がよくてお金があるエスタブリッシュメント(日本語だと「セレブ」というんでしょうか?)として、いわゆる「俺らは選ばれた人たちだよな。しょんぞそこらのソウルの大学や日本あたり留学してお茶を濁してる奴らと訳が違うよな」という仲間意識でもって接してくる。他方、アメリカ育ちの韓国人は、「このアメリカにおけるマイノリティとして一緒につるもうや。薄情な白人どもとは付き合いきれないぜ」という仲間意識でもって接してくる。どっちの仲間意識も自分を自分として見てくれていない気がする、どうしたものだろうか?俺個人を考えた上で友達を作っていきたいが、私の韓国人としての属性しかみてないんじゃないか?かといって、彼らは基本的にまぁまぁ良い奴もいるから、無碍に付き合わないのもどうかと思う。
という内容でした。聞き終えた後に、「私が修論で忙しく、風邪を引いて、晩飯どきに、そのうえアポ無しで相談をしなくちゃいけないことだろうか?そういう空気の読めないところが半島出身者の証だからどっちのコミュニティでも上手くやっていけるんじゃないか?」と思った。思っただけ。桜の咲き誇る季節(そうです。今が満開です)につっけんどんなのもどうかと思ったので、何かいってみることに。
やっぱりこの人も、この前相談にきた奴と同じことに気付いた。この前の男の子は「人と違った何かをしたい。大勢に流されず自分らしく生きていきたい」ということだったが、この人の場合も「自分をちゃんとみてくれ。おれはそんなカテゴリーには入ってないぞ」ということだった。自分と他人との関係性。
「彼らの期待を裏切るようなことをしながら付きあい続ければいいんじゃないかな?韓国から留学生に対しては、貧乏っぷりを見せつけたり、『いや、おれは卒業してもMBAやPhDには全く興味はない。料理人になる(そうなんです韓国社会では料理人の民度が低いのです)』と公言すればいいし、アメリカ育ちの奴らには『今日もジョンとバスケいってきたがすごい面白かったよ。今度飲みにいくんだ』といっていれば、彼らのあなたへの期待を裏切れる。」 「なるほど」 「そう、期待を裏切ることは大切だ。相手の前提をはずすことができるからね。前提が崩されたときに人はもう一度最初から認識をし直す。そのときには君のことを最初から考えてくれるはずだ。その上で君とつるみたい奴はつるんでくるだろう」
なんて話をしたら帰って行った。アメリカで学部生活を送るとこんな悩みをもつのか。少なくとも私の知る限り、日本の学部生は他人との関係性なんてあんまり気にせず、葛藤はもっと内なるものにあったように思う。かわいくない自分とか、面接がうまくできな自分とか、浮気をされる自分とか。いずれにしても、講師に相談することなんてあり得なかった。この違いはどういうことだろう。
そう思って階下におり、夕食を食べた。私のチャオズは冷めていた。元気をくれ。
【追伸】写真は昨日撮ったもの。二枚目の写真で、木の上に少女がいるのがお気づきだろうか?
2008年04月24日(木)
|
|
|