NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 夜に集う人々

実は今週一週間は春休みでした。日本の大学にはないシステムかと思いますが、学期の真ん中に一週間休みがあるわけです。修論を全く進めようとしない私にアドバイザーも愛想をつかしていますが、それでも私の足はスキー場に向いてしまう。もうこの冬でスキーは引退しようという決意の表れなのか、単に勉強がしたくないだけなのか・・・。(前にも書きましたが骨折を押してまでスノボをし続けるマイミクさんに触発されたことは否めない)
 
 私の住んでいるところから車で約30分。スキー場はあります。高速フード付きクワッドリフトなんてあるわけもない、鈍行のペアリフトだけの小さなスキー場ですが、自前の道具とシーズンパスで楽しんでいるのはこの前書いたとおりです。

 3月も終わりだというのに吹雪きだったので喜びいさんで新雪の上をすべっていると8時間も連続して滑っておりました。スキー場だと何を食べてもおいしいですね。こういうときは、カロリーとか健康とか忘れて、めちゃくちゃに食べるのがコツです。でっかいチーズバーガーと、超高温であげたカリカリのポテトフライを食べまくる。外の吹雪をみて、早く外に出たくなる衝動に駆られるのはもう狂っている証拠です。一人で食べてると、平日の昼間ということもあってか、話かけられたりして・・・。
「コーネルの学生だろ?いいのか?こんなことしていて」
「あ、そうか。スプリングブレイクか・・・。あの学校は大変らしいからな。せいぜい楽しむんだな」
 ってひげ面のおっさんに言われた。
 心の中でスプリングブレイクだろうと、私はスキーを楽しんでいる場合じゃないんだけどね・・・と心の中でつぶやく。


 そうなんですよ。この国の人の特性なのか、この町の人がいい人なのか知らないけど、ペアリフトで隣になろうものなら話しかけられるんですよね。英語嫌いなのに、毎回毎回いろんなこと聞いたりしてくるんですよ。

 そんなこんなであっというまに夕方になり、日は落ちる。ナイターに。

 ナイターって、スキーが好きな人じゃないとしないんですよね。ちょっと冬に楽しみを、というわけじゃなくて本気で好きな人が多い。考えてみれば、晩年の「ザウス」(覚えていますか?幕張にあった奴ですよ)も上級者しかいなかった。


 というわけで、滑りながらも色々人のこと観察してる人が多い。そんな中、ある日、リフトで一緒になった女の子に
「あなたって上手いのね。さっき見てたの。教えてよ」
って言われたんですよ!お。ついにアメリカ人の彼女が出来るチャンスか? (゚∀゚) と思いましたよ。ところが、よくよく聞いてみると、地元の中学生の女の子。私のこといくつだと・・・。そもそもゲレンデだと、かわいさもかっこよさも三割り増しだっていうし。きっと何か勘違いしてるんだろうな・・・。っていうかそもそも中学生とか犯罪じゃね?(確か、バーモントで韓国人留学生が中学生襲って大変なことになったニュースがあったし)なんか、話口調からすると少し変わった娘みたいだし・・・。不思議なこともあるもんだなー。これなら、また隣になったおじいさんに「君のスキーはカービングスキーを理解していない。20年前のスキーを見ているようだ」って説教された前のリフトの方が良かったな。

 なんて心の中でまたつぶやくわけです。夜のスキー場は面白い人が集まってるものだなー。やっぱり好きな人しか集わないものだからお互い「戦友」感を共有するんですよね。厳しい寒さと疲労感もそういう感覚を増幅させるのかもしれない。


 登山中に挨拶を交わすようなものか?マラソンで併走した人と走り終わって和むようなもんか?フライトのキャンセルをアナウンスされ航空会社にホテルをあてがわれ、手持ちぶさたで行ってみた階下のバーで出会った人と途端に恋に落ちるようなものか?(結構あるんですって!)就職試験の帰りになぜか友達ができる人も多いし。

 ま、いずれにしても皆さんフレンドリーになる。氷点下の雪山で夜の中黙々と憑かれたように滑るのもまた一興なのですよ。憑かれた人同士ね。

 私は会話を交わすのは人見知りして、厭なんですが・・・。


↑エンピツ投票ボタン
My追加
 

2008年03月22日(土)



 恩師の死

 ずっと前は私の備忘録として機能していたんですよ。このブログ。今日は久しぶりに備忘録モードで。

 私の恩師が死んだ

※訃報:波多野里望さん76歳=元国連人権小委員会委
http://mainichi.jp/select/person/news/20080320k0000m060046000c.html?inb=rs

 私が国際法が面白いと思ったのも、文系なのに大学院に進学しようと思ったのも彼の講義や教えを受けたから、という訳では全くなく、他の先生たちの影響だったが、小学校以来学んできた恩師たちの中で初めての訃報だ。それなりに感慨深い。

 二年生から四年生まで都合三年間毎週顔をゼミであわせていた。(二年次は、外国書講読という講義だった。語学が嫌いだったために、その講義で代替したのだけどまさか彼のゼミにはいるとは全く持って思わなかった。ところで、彼にゼミにはいったおかげで、国際法模擬裁判大会なんていうものに、あろうことか弁論人として参加することになったし、おかげで今でも履歴書の一行が埋まるので助かっている)

 彼のゼミには本当に法学部の中でも変わり者が集まっていたと思う。というか、法学科の中で国際法をやろうとすることが変わり者の証といえばそうだ。合宿で夜通し「日本をどうするか」とか「国際社会にあるべき方向」とかを延々と先輩たちが議論していたときには圧巻でした。他方で、私は、国際法のコンテンツとして興味があっても、そのアウトプット(国際法を勉強して国際社会に貢献したいとか)に全く興味がなかった私にはさすがに引きました。それでもとてもエネルギッシュでいい人が沢山集まっていたものです。彼の人柄でしょう。


 どんな人かというと、彼ほどいわゆる「華麗なる人生」を歩んだ人を見たことがない。お茶大総長の父と児童教育の大家を母に持ち、小さい頃からベストセラー小説(波多野勤子『少年期』1951年。同年映画化)の主人公になっていた。一高・東京帝大を何よりも誇りにし、スキーの写真を見せられると「あーそれは終戦の次の年にスキーにいった写真だ」とか、焼け野原でフォードのオープンカーを乗り回していたこととか、数々の女優と浮き名を流したこととかを、年末のクリスマスパーティに招待されたときに毎年聞かされた。(彼の最期の著書『心謝―ボクの宝ものたちへ―』も、この手の話で一杯)

 全てが事実なのだから仕方ないし、あまりにも華麗なので嫌味にも聞こえなかった。それが彼の持ち味だったと思う。とても酒が好きな人で、合宿に行ってそば屋で昼食を取ることになっても、ビールが隣の席からオーダーされてきたのが面白かった。私が最期にあったのは、留学前に推薦状を書いてもらったときだが、サインをもらいに自宅に行ったときも、「奥さんがいなくてね・・・。悪いけどその台所に用意してある盆を持ってきてくれないか」といって、私が台所に行くと、ビールとコップが乗せてあった。思えばあれが最期だから、卒業後に会うチャンスがあった私は結構ラッキーかもしれない。ほろよい気分で、目白の自宅を後にしたのが昨日のようだ。(といっても数年前だが)思えばあれが最期だから、卒業後に会うチャンスがあった私は結構ラッキーかもしれない。


 とまあ、そんな彼の訃報を聞いてから、数時間考えてしまった。

人生を終えてどうでしたか?先生。楽しかったですか?

 晩年はガンに苦しんでいたという。(その頃から海外にでていた私だが、伝え聞いただけでも大変そうだった)ところが、前述の『心謝』には、声が出せず、流動食オンリーでも、なんてことない。全くつらくない。障害者手帳でタクシーが割引になりラッキーだ、という話が書かれてある。

本当だろうか?

『少年期』を読むに、学者肌の厳格な父のもと、四人兄弟の長男(そういえば五人兄弟で五人東大に入り、さらに入りたかった外務省にまで入った小和田家をライバル視していた。上には上がいるものだ)として背伸びして生きている様が描かれてあるが、彼の華麗なる人生を、いつも語っていた彼はずっと背伸びだったのか。それとも、ああいうキャラクターだったのか。今になっては分からない。(改めて『心謝』を読み返してみたけれど、本当に、まえがきからあとがきまで「背伸び」とも、「自慢」ともつかない話で一杯なのでわからない)

 彼には、人生を終えて、「ふぅ」とため息をつかないでほしいな、と思った。むしろ、「もう終わりかよ」と思ってほしい。ところが、そんな風にみんなに思われて生きてきた彼は、ふぅっとため息をついているかもしれない。



 どちらだろうか?考え続けて数時間がたった。76年間の人生を終えてどうですか?先生。
 冥福を祈りたい。


↑エンピツ投票ボタン
My追加


[追記:他にも疑問はある]
 突出した業績(彼の愛して止まない母校である東大に入るとか、外務省に一種で入るとか、国連にはいるとか)を残さないと卒業後名前を覚えてもらえなかったけど、今なら覚えてもらえるだろうか?ちょっと不思議だ。
 4月20日のお別れ会。彼のお父さん(波多野完治氏)のお別れ会は私たちが手伝った。これも感慨深い。二代続けて葬式にでてみたいが、そうもいかないだろうな。残念です。誰かこれをみて私を知っている人連絡ください。
(写真は私の大学の写真。その頃デジカメなんてはやっていなかったので、PCにあったのはこれだけですよ)


2008年03月20日(木)



 あるべき指導

 偶にはリクエストじゃなくて、本当に私が考えていることを書いてみよう。

「kiyo、これだけかな?君がここ二週間で行った研究成果は?」
「はい・・・。すみません・・・。」

 温厚で面倒見がよくて知られるイギリス人の私のアドバイザーも怒るときがあるんだな、と思ったくらい怒られた。


「しっかりしなくちゃだめだよ。とりあえず書いてきたようなものを出す人はフィードにでて色々なことに取り組まなければならないようになるともう訳が分からなくなってしまうものなんだ。そういうことは態度にでも出る。しっかりするのは態度からだ。・・・ほら、つまらなそうな顔でいること自体も問題だ。笑顔で堂々といつもしていなさい

 心の中では、「だってアフリカにおける19世紀の植民地教育のレポートを書くために50時間以上連続で作業していたんだ。そりゃ疲れがでるよ」と思ったが、ま、そんなのいいわけにならないので、ひたすら、「はい。ごめんなさい」と言い続けるわけだ。

 ここの学校の先生たちは「穴」がない。彼なら、優しく指導してくれるだろうと思って前の先生から変えてみたたけれど、確かに優しいのはアドバイスだけで、要求してくる量や質は全然優しくない。一ヶ月に二回は海外出張にでて世界のどこかにいるにもかかわらず私が書いたものは全て目を通し、細かいところまで議論をしてくれる。圧倒されるくらいの仕事量なのに手抜きがない。とはいえ、疲れていても、いつでも時間を作ってくれるし、部屋に入るときと出るときは笑顔で固い握手をしてくれる。その上、私たちが将来この分野でフィールドに出たら、という哲学まで教えようと一生懸命だ

 指導するとはそういうことなんだと思う。


「娘には、友達を一杯作ってほしい」といっていた知り合いの人付き合いの苦手なお父さんや、「嘘をつかないような人に育ってほしい」という浮気の限りを尽くしている最近結婚した友人がいたが、噴飯ものだ。

 指導するとは、手本を見せることなんだと思うビール片手にテレビをみながら「勉強しなきゃだめだぞ」といったって、無言で会釈するようなやつが「挨拶は大切だ」と部下に怒鳴っても説得力はないわけだ。部下や子供が「遊びに行きましょう」と行ってきたときに「今忙しいからだめだ!」といって机に向かい続けることこそあるべき指導なんじゃないかと思った。


 きっと、卒業したらここで勉強したことの延長のような分野は無理なんだろうと思うと非常に心苦しい。でも、それまで少しでも期待に添うべくがんばろう。そうすれば、仕事に就いた後だって、いつか戻ってくる日のためにがんばれる。うん。


2008年03月16日(日)



 尻馬に乗る

「あなたのストレス解消法は?」と聞かれたことはあるかと思います。私もこんなページを何年もやってるものですから多々あります。そこで格好良く「ストレス?貯まらんよ、そんなもの」とか、「ストレスなんてあるのは負け組の証拠よ」なんていってみたいものですが、そういうありきたりで、嫌味な肩すかしもどうかと思うので返答に困ります。
 


 ただ、正直な話「ストレスがたまったな〜」という感覚は分かりません。かといって、絶対ないわけじゃないんでしょう。ストレスってなんでしょう。

「ストレスの原因はストレッサーと呼ばれ、その外的刺激の種類から物理的ストレッサー(寒冷、騒音、放射線など)、化学的ストレッサー(酸素、薬物など)、生物的ストレッサー(炎症、感染)、心理的ストレッサー(怒り、不安など)に分類される。ストレッサーが作用した際、生体は刺激の種類に応じた特異的反応と、刺激の種類とは無関係な一連の非特異的生体反応(ストレス反応)を引き起こす」

 とウィキペディア先生はおっしゃっている。つまり、寒いなぁとか、なんかこの部屋臭うわない?とか、のどが痛いとか、明日締め切りじゃん!やばい!とか、感じたり思ったりすればストレスが体に蓄積されているわけですね。


 ところで、ま、多くのストレスは確かにハンドルできると考えられる。暖かくして、換気をして、薬を飲めばいいのだから。心理的ストレスについてはどうだろう?会社やめちゃえ、あの子と別れちゃえ、というのも結構簡単な気がするが、そもそも、そんなブラック会社に何年も勤めてしまったことや、あんなビッチに何十万・何百万も貢いでしまった過去は取り戻せないから、一生心理的ストレッサーからは逃れられない。

 ま、心理的ストレスは自分との戦いということだろう。

 話は急展開しますが、馬はそんな心理的ストレッサーと向き合わざるえないことを教えてくれる。

「ふむ。今日もきたのかね。」
「ええ。このキャンパスからもずっと離れたこの場所にくれば、修論も課題の締め切りも、机の上に5センチになろうかという読まなければいけない資料も、実はなかったんじゃないかと思えるのですから。」
「・・・。」

「じゃ、私のマッサージからはじめてくれ。今日はしっかり頼むよ。私の飯の邪魔をして乗ろうというのだ、それくらいやってもバチはあたるまい」
「はい。がんばります。今日も体が温かいですね」
「うん。今日は沢山たべたからな、これだけ熱を発することが出来るのだよ」

「いいですね。」
「そうかね?ここは馬50頭と猫二匹と少しの人間だけの世界だ。食べるものだって、ほら。干し草ばかりだ」
「でも、ここは全てを忘れさせてくれる。あなたの背中にのっていると世界はあなたと自分だけになった気分ですよ。それは私が未熟故に、ほかに注意を払う余裕がないからに他なりませんが・・・」
「・・・。」

「また、きていいですか?楽しかったです」
「・・・。」

「実は論文が進みません。課題も明日までなのに一文字たりとも書いていません」
「・・・。」

「来週は徹夜が三日になりそうです」
「・・・。」

 なぜか、厩舎にたたずむあの方たちは、私の問題とは向き合ってもらえない。しずかに私を見つめながら、二人の間の関係についてはコミュニケーションを取ってくれるが、厩舎の外の世界について話しても沈黙するばかりだ。心理的ストレッサーの処理はごめん被る、といわれているようだ。全然ストレス解消にはならないが、私はここに足を運び続ける。



 最近日本語を教えていたら、インストラクターの女の子に「日本語教えてないでね。私だって日本語覚えなくちゃいけないでしょ」と言われた。


↑エンピツ投票ボタン
My追加


2008年03月07日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加