NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 沈思黙考 再び 4題

ちょっと最近のことをまとめて書いておきましょう。

1.論文の嵐
 人それぞれ選択している授業が違うので、それぞれに今、学期末ということで、佳境を迎えている。(しかも、アメリカの大学はセメスター制だから、一つの学年が終わると考えても良い)
 今日道ばたであった、タクちゃんは一回で二時間半のテストがあるという、すごい話を聞いたが、私もすごいよ。なんと提出論文六個。意味が分かりません。私は写真のように一つの論文プロジェクトに一つのフォルダ(色違い)を用意して、その中にすべての関係する書類やデータを入れています。そして、その日に取り組む作業を忘れ物せずに、図書館に持って行けるようにしています。「今日は、統計と、農業やるから、白いのと緑を持って行けばいいかな」みたいなかんじ。

 しかも、全く系統が違うので面白い。例を挙げてみよう。

・「GDPの増加には、雇用率・農業セクター・工業セクター・貿易の四つの分野がどのように関係するか、計量経済学を使って調べてみよう。」
・「インドのコットン作業は、世界のコットン市場の中でどのような位置にあるのか、競争力アップのためには何が必要なのか?」
・「情報コミュニケーション技術は、途上国の発展にどれくらい寄与するのだろうか?農業発展経済学の議論の変遷から技術の役割を考えて、実際のデータで実証をしてみよう」

 などなど。別に内容はどうでもいいのですが、やってることが系統的にばらばらで、一体どうしてこうなったんだろう?と不思議になります。しかも、トピック自体は何を選んでも比較的自由なのですが、私がなんとなく簡単にいけるだろう、と践んだトピックが上記なのですが、どれも結構タフで、それもびっくりした。果たして終わるんでしょうか?そういうスリリングさの中で作業をしています。

2.インド
 一部の人には言いましたが、来年初頭、二週間ちょっとインドに行ってきます。ガンジスの悠久の流れを見て、汚れた精神を修行し直してくるつもりです。というのは嘘で、いろいろ調査とかするみたいです。学校だかどこからかお金が沸いて出てきたので(いや、本当に簡単に援助が増額されたんだ。事務のおばちゃんに軽くはなしたら次の日に増額。いえーい。)、そうした補助があるのならば、嫌いだが途上国に行ってみるか、ということにしました。無事に帰ってこれると良いのですが。是非、私の大好きなチキンティッカマサラを本場で食べたいですね。あと、象さんに乗りたい。インド象でしょ?おみやげにサリが欲しい人?といってみる。(あんまり期待しないように)

3.ストラップ
 突然ですが、携帯ストラップ募集しています。送ってください。携帯電話だけでなく、USBメモリーにもつけたいのです。ここにきて、USBメモリーなくしたの3個目よ。あんな小さいのすぐになくすって!すぐ忘れるし。なくすたびに4/5千円もかかるんだから!アメリカで使っている携帯のストラップも壊れてしまいましたので、是非、これは!と思うものお待ちしています。もちろんお礼につまらんものが山のなから届きます。鹿の首とか角とか。

4.アイデンティティ
 いやさ、朝鮮総連の強制捜査のニュース見たんですが、あれ、すごいね。なんで、あの人たち3世代も4世代も国籍を維持しているんですかね?本当に不思議だ。アイデンティティってそういうものなんですか?日本より快適な生活空間と、美味しいものも、美人も、たくさんある国が国籍をあげるけどこない?といってくれれば、何も考えることなく日本国籍なんて捨てるが、やっぱりそういうことじゃないんでしょうか?いや、生まれ育ったとかならわかるんだけど、あの人たち親の世代から日本育ち日本生まれなんでしょ?ああも、意地になって色々不都合を被って暮らすのってなんなんでしょう。意地なんだよ。意地。国へのアイデンティティなんてここ150年くらいにできた理念だからね。

2006年11月29日(水)



 あの頃の音、再び。

サンクスギビングですが、イサカにおります。
NYCに行くこと出来ませんでした。

毎日毎日学校に行っていると一日が長いな、早く終われよとしか思わないのに、連休にはいると本当に早いのね、おかげでたくさん眠れたし、関係のない本(関係なくはないが授業と直接関係のない開発関係の本)も読めたし、少し運動も出来ました。

そう、運動。
写真です。

分かります?ラケットボールですよ。超懐かしい。
私とつきあいの古い人ならご存じかと思いますが、私は大学時代ラケットボールという超超超マイナーなスポーツをしておりました。私が入学した98年当時は日本は深刻な不況のまっただ中。入学時に東京・東京近郊には約6つのコートがあったと記憶しておりますが、卒業する頃には都内に三カ所になってしまいました。

おいおい、五年ぶり?できるかな、って思ってたら意外と体が動くんですよ。音が懐かしいのよ。音が!ボールのはねる音。実質、最初の二年くらいしか一生懸命していませんでしたが、音を聞いたら、この音この音!とちょっと興奮してしまいました。やっぱり初心者の人とは、ボールの予測の仕方が違うので落ち着いて打てるし、無駄な動きが少ないですね。もう弾道とか地上一メートル以上の話にならないレベルになっていましたが、いいんですよ。どうせ在学中だってそんなに上手じゃなかったんだから。

レンタルラケット代以外は全部無料なのね。コート使用料も!またやろうかな〜って思ってしまった。一人でも出来るしラケット買おうかな。

それほど親しいわけではありませんでしたが、一緒にやっていたあの人たちは、もう一生会うこともないと思うと少し寂しいですね。(連絡が全くないのでもう分からないのよ)まさか今になってしかもアメリカ大陸の山の中で私が大学でまたやっているなんて想像もしていないんだろうな。

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2006年11月26日(日)



 羨望の住環境

 今日テストが終わりました。(ま、テストは一つだけなのですが)それも計量経済学。なんどもこのエントリーでは悲痛な叫びを残したものですが、最後は記憶力テストのように、単語の意味も数式の意味も分からず完全暗記してそれを書き写してきました。不可以外ならどれでも大歓迎というのが私のこの大学のコンセプトなので、なんとかなるでしょう。

 明日の午後からサンクスギビング。だからといって特に予定はありません。色々キャンセルしたし。いろいろな事情で。(提出物とかお金とか)

 さて、私の自宅は、大学院生の寮なのですが大学のキャンパスから少し離れている。徒歩15−20分くらいかな?ま、そこから私の用事がある建物までさらに、15−20分かかるので、都合30−40分くらい歩かないとたどり着かない。バスもあるが、ちょっと遠回り。帰りはバスがないので(州バスが普通に夕方だったりするので)極寒の雪の中歩くことになる。このときに毎年飛び降りる人の気持ちがよくわかる。行くときもバスが来ないで極寒の中30分もまってその夜と翌日から3日間高熱だした。さすがイサカ。もうバスドライバーをにらみつけるのも飽きてきた。
 
 ところが、学部生は、非常に豪華設備なキャンパス内の寮に住んでいるわけですね。各所にダイニングがあり、おいしい。そのダイニングにしてもメニューは日替わりだし、一週間に一度は、テーブルクロスがかけられ、世界の国々の料理が紹介される。図書室・勉強部屋もとても快適なものが備わっていて、その寮が郡立するエリアにいれば何もいらない。友達もいるし、勉強も出来るし、食うことにも困らない。

 他方、私たちは、院生の寮は三つあり、どれも分散しているので、仲の良いお友達の寮に行くには、とても歩けない。(以前歩いたが50分かかった)勉強部屋なんぞはない。(卓球部屋がある。真さんか長谷川くんがきたら神戸の時の再勝負をここでしてみたいと企んでいる)

 最近、学部生の4年生の履歴書・エッセイをチェックする依頼があり(またここでもやってるよ。日本では内職だったのにね)そのたびにダイニングでごちそうになり、勉強部屋を使わせて貰っている。うらやましいこと限りない。建物だって中世のお城のようで格好いいし。

 生まれ変わったら、ここで大学生活を送るのも悪くないかもしれない、と思えるほどだ。(あーやっぱりどうかな。あんなに勉強したくないもの。学部生はアホみたいに宿題が出るので私たちより忙しそうです)ダイニングで学部生の若々しい人たちと食事をしていると、多少イサカ生活も改善される。


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写真は、上から
パーティのあるときのダイニングの風景
そのときの食事。(不思議なメキシコあたりの南米料理)
コミュニティ内の談話室

追伸:私が監修した履歴書とエッセイはどれも相手先企業に大好評で、すご〜〜い企業から内定がもらえたとか。23歳で年収900万ですって。すごいね。ん?私。無理。中身がないから、履歴書とかエッセイでカバーが出来ない。

2006年11月22日(水)



 いつになったら忘れるのか?

 先日久しぶりにスーツに袖を通す。
 そのたびに思っていることがある。

1.ネクタイってあと数百年もすればちょんまげのように変なものじゃないか?だって首から布がたれてるだけよ?
2.ネクタイの仕方って忘れないものかね?
3.酔っぱらいのオジサンがネクタイをゆるめているが、あれは何でとらないのか?みっともなくゆるめるくらいだったら、きっぱり取ってしまって鞄に入れた方が良いんじゃないのか?

 いろいろ疑問は尽きない。

2,については最近答えが出た。茶道みたいなものなんだよ。一つの茶道にだいたい数百のプロセスがあり、一つたりとも間違えてはいけないけど、やってみるとね、体が覚えているものなんですよ。自然に体が動く。ネクタイも一度やると忘れないんじゃないかな。

 スーツって不思議よね。持ってみると結構重いが、来てみると普通。それは、コートなどにもいえることだけど。分散すると楽。リュックサックと同じようなものか?あと、縫製の技術もすごいねって思いますね。着るジャケットによって全然動きの制約感がちがうのかだから。

 ナポリ風とかミラノ風とか縫製にもいろいろあるそうですが、国宝級の職人が作ると、スーツで一晩寝ても全く疲れないとか。試してみたい。金がない。

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写真の最後の二枚は、帰りの機内。さんざん遅れたJFK空港はJetBlueAirways

2006年11月20日(月)



 失敗しない食事

 NYのネタを書きましょう。
 
 日本では、マレーシア料理やタイ料理といったものはほとんど口にしようと思いませんでした。何かパーティがあり、その会場がアジアンレストランであれば行く程度で積極的に行くことはありませんでした。東京にいたときは、あそこの店に久しぶりに行ってみよう、といったように行動決定の要因は個別のお店単位でしたね。

 NYでは、結構、どの店、というよりもどのジャンルを食べようか、ということから先に決めていました。うん、今日はベトナムで行こうとか、今日はギリシャ料理で行こうなど。そしてその中からお気に入りのお店に行っていたものです。

 その上で、東京でもNYでもいえるものですが、値段が高ければ美味しいということは必ずもいえないですよね?今回もそうですが、もっとも高価だろうフォーシーズンホテルでの食事が一番美味しくなかった。全く美味しいと思わなかった。お友達に連れていってもらった体に良い食事のお店や、クイーンズの意味の分からないデコレーションのメキシカン料理屋の方が、遙かに美味しい。意外なほど、美味しい。

 なんで、東京やNYは失敗なお店があるんだろう?と疑問です。そこいくと、大阪やソウルはそれほど失敗がないように思えるのですがどうでしょうか?

 大阪は高級なお店にそれほど行ったことがありませんが、美味しいお店の裾野は広いですよね。安くて旨くて当たり前、そんなかんじ。

 ソウルは、高級なお店に行く意味がない。高いとそれなりに店が高価そうにみえるだけで、味は場末の店と変わらない。日本の不必要なほどの洗煉と清潔さのスタンダードからしてみればどれほど高級でも陳腐で内装も洗煉されているとはいえないので、余計なお金を払う意味は全くない。サンギョプサル・ケランチム・スンドゥブチゲ・ケジャンはどこで食べても美味しい。(というか何度も言うが、200円程度のヨンセイ大学の学食がソウルで一番美味しいと思えるほどだ)

 どうして失敗するレストランがNY・東京にはあって大阪・ソウルにはないのでしょう?理由を考えてみよう。

・まずいものでも我慢して食べ続ける優しい市民が東京NYには一杯。
・そもそも、東京NYには味の分からない奴が多い
・ソウル大阪の人は民度が低いので、まずいものを出そうものならヤクザまがいの恫喝をされる。
・たんなる私の錯覚
・巨大都市東京・NYではあまりにマーケットが大きいので、情報の非対称性により、消費者が、美味しいものへのアクセスが難しくなっている
・東京NYのレストランはVIPを常に相手にしているので、私のような奴には、手を抜いて作る
・他方で、大阪ソウルの人たちにとっては私の育ちの良さが神々しく見え、一生懸命作る
・私の不運な偶然が続いている
・大阪ソウルの人は知恵が回らないので、簡単に作り、まずくなりようがない。他方、腕に覚えのあるシェフは東京NYに集まり、彼らは時として、不必要な工夫をほどこしまくったあげく、まずくなる。

 などなど考えられますが、いっておくが、これはフィクションだ。冗談だ。笑い話だ。真に受けないように。

さ、寝よう。(最近恥ずかしい話ですが非常に非常に忙しく、自室に帰っていないので今日は図書館から更新だ)

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追伸:写真は上からそのまずかったフォーシーズンの料理・体に良い料理・メキシカン

2006年11月17日(金)



 趣味の悪いエンターテインメント

 NYCにまた行ってきました。今回も、なかなか面白い体験ができました。色々あるのでゆっくりと紹介していきたいと思います。

 その一つ。私の知ってる人でとっても性格の悪い女の子がいます。あるお友達を介して知り合ったのですが、その子は、とっても見栄っ張りで独占欲が強く、コンプレックスも一杯。(ま、可愛くなくはない。全くもって私の好みじゃない)

 NYCで一番大切な目的を終え、夜10時頃、「はぁー疲れたねー。ま、これも仕事だと思えばいいか。早くかえろ」と思いスーツにネクタイ姿でマンハッタンのお気に入りの本屋にいると、電話が。

「ひさしぶり。元気?・・(中略)・・おーマンハッタンにいるの?会おうよ〜♪」

 とお誘いを受ける。確かに、つまらないミーティングでフラストレーションが溜まっていたので、この時間じゃ友達もつかまらないだろうし、ま、時間もまだ早いのでいいかな、と思って誘いを受けたのですよ。

 ま、それなりに会話を楽しみます。私は本当はこの子がこっそりと色々やっていることを知っているのですが、ま、私に害がなければ、と思って適当にメッセンジャやメールなどのつきあいがありました。

 楽しかった。まるで水商売の女の子とデーとしてる気分。(したことはありませんが。)軽くバーに行った後、私の部屋でお話をすることに。こっそりと、それとなく、私のつきあってるお友達たちをチェックするし、彼らの動向もチェックチェック。特にその子の「敵」になってしまった「旧友」たちが気になって仕方のないご様子。面白いねー、と思いつつ、会話をエンジョイします。

「彼氏?うん、いないよ〜。別れたばっかり。いい人いたら紹介してよー。私もお友達紹介するからさー」

 そして電話が
「うん?今?女の子の友達と部屋でお酒飲んでいるのー。ルームメイトが彼女を家に連れてきてつまらないから、外に出てきちゃった。あなたも心配しないで寝てね」

 知らなかった?私あなたが思っているより、韓国語理解できちゃうのよ?そうか、そういう言い訳があるのか。ルームメイトが彼女を部屋に連れてきたから外に出たと。なるほど。メモメモ。稚拙な手練手管。

 彼女の携帯電話のバッテリーが切れてしまったが、彼女が使いたいというので、ずっと預けていたら、私がうとうとしている間に、しっかり携帯のテキストメールと、電話帳チェックしてるし。楽しい楽しい(゚∀゚)そうかー、そういう情報収集が大切なのね。メモメモ。

 そんな子と遊んでしまう私も趣味が悪いな、と思いつつも、こんな夜もあっても良いかもしれないと微笑ましい彼女の努力を肴に一晩のエンターテインメントを楽しみました。幸い、私のお友達の中にはあんまりこういう手練手管に長けた、敏腕な女の子がいないので、色々参考になりました。ま、もう会うことはないけどね。

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追記:私の部屋につれてきたのは、その子が部屋の鍵を自室に忘れてしまい、朝になるまで時間をつぶさなければいけなかったからです。じゃなければ、本当は早く寝たかった。

追記2:写真はその子w

2006年11月14日(火)



 今年は中止らしいよ

 気づけば11月です。今年も年賀状を作ったり(去年と同様、もちろん私は送るよ。年賀状を欲しい人で住所を伝えてない人は是非メールを)、お正月をいわったり、大掃除をしたりと年末がやってきます。あるお友達と会話をしていると、

kiyo「あークリスマスとかだね。今年はこの山の中で一人寮の中で暮らすかな」
友人M「知らなかった?今年は中止らしいよ」
kiyo「え?!」
友人M「クリスマス今年はやらないんだって」

 そうかそうか。それは良いことを。
 と思っていたらこんなニュースを見つけましたよ。

※クリスマス贈り物、女性の期待額5万3260円
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20061107ib21.htm

 そうかー。いまだ戦後最大の景気回復が続く日本経済にあって、世の中の女の子はそんな高価なものをおねだりするわけですか。中止になって良かった♪(私の中では中止気分だ)
 っていうかね、私の知っている女の子の中で5万も10万もプレゼントを貰っている幸せ者がそれほどいないように思えるんだけど、それはみんな隠してるから何でしょうか?

 考えてみよう!プレゼント(present)を日本語に訳すとどうなりますか?「贈答」なんですよ。「贈」と「答」。それでワンセット。そう。この国の人付き合いでは、貰いっぱなしは絶対に許されない。贈答無限連鎖への道。それが結局、倍返しだとか3倍返しだとか虚栄心を生み出して、ホワイトデーとか発明しだしてしまう困った文化です。(ところで韓国はホワイトのみならずブラック・イエロー・レッドと意味分からないところまで迷走しているんですよ。あの国らしいね)
 

 ま、5万も6万もプレゼントをもらえたり送れたりする景気の良さはいつになったら私の元へくるのやら。こういうイベントじゃなくて、私は、ただ季節が巡ってくれば、桜が咲くような、そんな季節感が好きだな。来年は日本の桜見ることが出来ないのでしょうか。悔しいので、今日の写真は桜で。

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2006年11月09日(木)



 志士たちの足跡

 大仰なサブジェクトとはあんまり関係ない話を一つ。なんか、高校生の履修不足がホット一シューだという話を聞いたので。

 昨日、日本語を勉強してる外国人が日本企業の就職面接を受けるということで、エッセイなどを直したり、いろいろなアドバイスをしてきました。一人はアメリカ人、一人は韓国人。

 4年もハードな勉強をし続けたエリートは違いますな。多少違和感がある文法を使っていても、書くエッセイは私が見たどのエッセイよりも洗煉されている。質問に適切に答え、アピールも忘れない。学力のある人は何をしても出来るんだなーなんて思ってしまいました。

 そして、質問タイム。あるアメリカ青年が聞いてきます。
「なぜ日本政府は、59年に始めて国債の海外への販売を始めたときに幹事社にボストンクレディティを選んだのですか?」
 しらねーよ。ぼけ。
「そういう細かいことは、知らなくても良いんじゃないかな?ただ、ボストンクレディティが長期的な視点で日本のマーケットにコミットする覚悟があった、っていうことを言えばいいとおもう」
 と無難にこたえました。

 次に、韓国少女。
「なんか、過去の面接で好きな歴史上の日本人を質問されたみたいなのですが、私は、西郷隆盛か、福沢諭吉か、大久保利通か、木戸孝允をあげようと思いますが、誰が良いですか?私としては西郷隆盛か、福沢諭吉なのですが・・・」
 おい。君が好きなのは良いが、君の国籍も考えてよ。
「私、西郷隆盛の生き方本当に好きなんです。あと福沢諭吉の思想も。木戸孝允もいいですね〜」
 頭がいい人は分からないね。
「ま、一応君のバックグランドも考えると、木戸あたりにしておいたほうがいいんじゃないかな。でも、日本の人は近現代史に弱いから、木戸孝允なんていっても知らないかもね。ちゃんと説明できるようにしておいてね」
 と、やはり無難に。
「なんで日本の人は近現代史が苦手なんですか?」
「良い質問だね。よく、そういうことをやり玉に挙げて批判する外国人がいるが、教育の制度上の問題なのですよ。一年間で、原始時代から教えると、だいたい、学期末に時間が無くなって江戸の始めあたりで歴史の授業の時間が無くなるんですよ。それだけの問題。時間が足りなくなるっていうだけよ。」
「ハハハーおもしろいですねー」
「うん。私もね、世界史の先生がローマギリシア史の先生だったものだから、3ヶ月間延々とギリシア史をギリシア語表記で授業させられたよ。日本史の先生も、古代法制の先生だったものだから、延々と大和朝廷だとか、奈良時代前の歴史を半年間続けていたよ。おかげで徳川の『と』の字も見ない間に学年が終わった。ちなみに今をときめくシンゾーも同じ学校だからその程度の教育レベルだと考えられるね」
「アハハハハハ。そうですね、木戸孝允も長州出身のギャップをバネにして近代国家作りの貢献したことをアピールするのもいいですね。あの人けんか嫌いなくせに、実は蛤御門の変では結構活躍してるんですよ?知ってます?おもしろいですね〜」
 
「・・・。(そりゃ、私は偶々司馬遼太郎で知ったが、そんなこと誰も知らないよ。桂小五郎もまさか100年以上経った後に、半島からきた女の子にアメリカ大陸で活躍を褒められるとは夢にも思わなかっただろうなー)」

 なかなか涼やかな感じの美少女なのに、このギャップがおもしろい。

 いずれにしても、面接を受ける企業の資料が5センチくらいの厚さの印刷物にしてすべてにメモと蛍光ペンが引いてあった。すさまじい就職活動だな、って思った。アメリカ人は必死に『尊皇攘夷』のアイディアを理解するのに苦労していた。徹頭徹尾、意味が分からない。

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2006年11月03日(金)
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