NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 遠くに行くのね

もうイサカネタやめよう。限界がある。

 さて、週末になると、誰かに電話するんですよ。スカイプを使って。そして、多少なりとも会話を楽しむ。元気〜?程度ですが。忘れられていないことが嬉しい。そして、やっぱりみんなどんどん自分の道を歩いていっていることに気づく。

 B'zの曲とか聞いてると、俺は大学卒業後もバンド続けるぜ、俺はこのまま行くけど、おまえはおまえで卒業後もがんばれよ、みたいなフレーズ多いですよね。それを思い出す。

 小学校の頃から、私大学院に行くかもな〜なんて思っていたら紆余曲折を経て本当に行った。別にそれは全然すごいことじゃなくて、親的にはさっさと安定的に働いてほしいことなんだろうけど、そういう小さい頃からの漠然としたイメージは、結構踏み外せなかった。(何度も言うけど、良いことでは全くない)もちろん、普通に就職しないだろうな、と思っていたら案の定、みんなと一緒に就活した覚えはなかった。

 結構多くの人は成長のステージが変わるに会わせてそれなりに柔軟にプランを変更できるのに自分は出来ないのか?と悩んだことはあるが、もうこの歳になるとそれもどうでもよくなってきた。なるようになるんじゃないか?誰かが助けてくれるだろう、とも思えるようになった。

 話は戻ります。はい、電話したんですよ。久しぶりの人に。

kiyo「ひさしぶり。寒くなったね、今時間ある?」
○○ちゃん「あ。ひさしぶり〜!あー今、少しなら・・・」
kiyo「いや、別に用事はないからまた電話するよ。ところで何してたの?」
○○ちゃん「あ、今。ウェディングドレスの試着してた」

 どんびきですよ。聞きました?ウェディングドレスですって!

 参ったね。確か、その子からは私は一番始めに結婚の報告を受けて、入籍の報告も受けていたけど、まさか、本当に結婚式までするとは。(いや、ま、するんだが。)

 新郎はどんな気持ちなんですかね?どんどん「彼女」が「嫁」になっていく姿は。友達が嫁になっていくのはもう、どんどん遠くに行く感じですね。なんででしょう?すごろくで「あがり」みたいな、気分でしょうか?

 田舎のアホが書くスピーチなんかでは、「ゴールインじゃなくてスタートです」みたいな流れになるんでしょうが、明らかにゴールだね。一つのゲームの終わり、その先は何もない。残されたオプションは維持だけ。(ま、維持は維持でそれなりの苦労があるにちがいありませんが)

 ずっと昔、「私の高校時代最後のプリクラを一緒に撮ろう!」といって大阪である女の子とプリクラを撮ったことを思い出す。その数ヶ月後にその子は結婚し、妊娠し、お母さんになった。プリクラの中では、人生最後の制服姿をとどめているが、いまではきっとエプロン姿で表に出て、子供をあやし、母や嫁としてのつとめを立派に果たしているんだろうか?

 今日、ウェディングドレスを試着していたあの子も、仕事は続けるといっていたけど、来年の今頃は、ふってわいたタスク(任務)に翻弄されて、私と吉祥寺でたまに食事したことを思い出すのも忙しいくらいになっていたりして。スタートは一緒だったんだけどな。なかなか一緒についてくのは難しいけど、幸せになってくれると良いなー、と思いながら、彼女に最初に口に出した言葉は、

「え?ウェディングドレス?そっかー。ダイエットとか頑張るんだよ」

 最低だな。私。(山の中で、どうせ高級官僚のワイン代に消えるはずの、開発援助の行方について理解するふりをしているのが私の幼稚さには関の山だ)


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追伸:一応いっておきます。その子はきちんと可愛い子だし、ダイエットの必要の全くないくらいスタイルの良い子です。実はあの『おやすみICQ』の参加メンバーの一人でもある。

追伸:写真は全く無関係。ドレスで思い出した写真を並べてみた。あとダイエット。

2006年10月30日(月)



 とうっ!

(前回のエントリーは相当一生懸命書いたのにレスポンスがほとんど無く、すごいショックだった。これエンタメとして書き続けてるものですから)

 学校にはそれぞれシンボルがありますよね。私の学校は伝統があるがっこうだったので、さぞかし重厚な何かがあるかとおもっていたのですが、シンボルはピラミッドでした。しかもでかい。一辺が10メートル以上はあろうかという大きなピラミッド型の校舎を見たときは皆苦笑したものです。ピラミッド校舎に登ると退学になるとか言う伝説もあったがどうしたんだろう。(ちなみに私はピラミッド校舎登山部、という部に入っていた)

 それはそうとして、私の新しい母校となったこの大学にもシンボルがあります。それがこの時計の塔。一時間ごとにベルがなるし、一日何回かベルが音楽を奏でます。遠くで聞いてると良い感じですが、足下だとうるさいですね。

 そして、ハロウィンだから、というわけではないのですが、帰り道にふと時計塔をみあげるとオレンジ色になっていた。でっかいカボチャが上空に。
 と、思ったのは私だけでしょうか。

 少なくとも、氷点下の夜空の下、そんなことを思って写真を撮るバカは私だけでした。

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2006年10月26日(木)



 人間らしさ

 どうやら、どこの大学も中間期らしくテストや課題の提出を迫られているのは私たちだけではないらしい。(少なくともNYUやコロンビアは同様に忙しそうにしていた。そして私の知人らしく、多くは困窮の極みにあり、そこでどうするかといえば、一人ボイコットにでるか、右往左往したあげくにパソコンの前に座り込み、考えるふりをするだけして延々と母国語でニュースを眺めることに没頭しているらしい)

 それはどうでもいいとして、今週ふと気づいたのですが、課題を三個以上抱えるとプレッシャを感じる、ストレス感が増大する、ということです。私の場合ね。(今週に入って余計ひどくなった睡眠障害はそのためか?)

 どういうことだろう?

 忙しいことは閉口するが、課題が一週間に一つずつ与えられていれば問題はない。しかし、三週間後に、一度に三つの課題を与えられると問題は変わる。

 前者は、「A→B→C」と道順が定めされていて至極線型な模様を頭に描くことが出来る。

 しかし、後者の場合、
    「A→A→→→→A→A→:完成
     →B→B→B→→→→B:完成
     →→C→C→→C→→C:完成 」
のように、仮定を描くことが難しくなる。二次元になるといってもいい。もっといえば、実際、ABCともに作業の質・予想時間・リスクマネジメントなどが、それぞれ全く異なるので、一直線上に作業を計画できるものから、何度も失敗覚悟で完成の予測のつかない「実験」を重ねなければいけない課題も存在する。(二次元どこの話じゃなくなる)自体はさらに複雑になる。

 こうしたマネジメントの難しさは、「おいおい、本当に期限までに終わることが出来るのか?」という不安を増大させ、ストレスがたまる仕組みになるのではないかと予想される。

 そして、このことはとっても人間的なのではないかと思った。私の犬のゴン助さんを観察していて思ったのだが、あの人は、食べ物を二種類与えられても、あまり迷わない。「最初にこれ食べたらお腹一杯になるかも」とか、「これは、食べたら気持ち悪くなって次がだめかも」とかいった思考はしないように思える。とにかく、一点集中。「A→B→C」と線型にしか計画が立たない。(もっともご飯を誰かに一定時間後にとられるという心配は全くないが)

 実際のビジネスの現場ではそのようなことは日常茶飯事なのだよ、君もまだまだ弱いね、というご意見をいただけるかもしれない。しかし、多くの場合、集団で行っているので、リソース配分が、視覚的に認識しやすい。例えば、「このプロジェクトには、三人。」「この営業には、エースのあいつを当てよう。」などなど。

 個人でこうしたマネジメントを行うのはもっと困難だと思った。確かに時間配分は視覚的だ。「Aは難しいから、一日三時間やって、Cは一週間後から手をつければいいや」など。しかしながら、リソースは時間だけではない。質の問題もある。コンディションに左右される自分の能力は、「絶好調なな時間帯はここだから、このときにAをやっちまおう。」とか。自分の能力を客観しすることが困難であることは、リスクマネジメントをさらに難しくさせる。

 もっといえば、常に未知に取り組んでいる勉強にとって(なぜなら学問とはそういうものだから)自分の抱えてる課題が期限内に終わるめどを立てることなど過去の経験を参照することが難しい。(「だいたい営業なんつーもんは、受付嬢を落とせば、課長にまではなんとかたどり着けるもんよ。だから、今回も、Z社の課長にコネつけるには、まずプレゼントを用意して・・・」などの過去の経験は役に立たないということだ)

 聡明な人ならば、そうした不確定要素もさらに織り込んで計画を立て、きっちり期限を守って仕事を完成させるのだろう、と思った。それが私の今週の考えたこと。つまらない?よね。うん。そうだね。企業のトップなどはこうした資質が求められるのかもしれない。無理かな、私には。

 毎度のことながら下世話な話に応用してみよう。『どれも全く新しい技能や研究が必要で、しかも、異なる仕事の質と、時間を要求され、複数目標を短期間で制覇しなければならないもの』といえば何だろう?

 なんだろう・・・

 そう、浮気だ。
 ひとの性格は多種多様で、口説き落とすのにも、関係を維持するのにも、全く同じようにはいかない。そして時間経過は関係を変化させる。そうした相手を複数相手にするには、こうした高度で洗煉されたマネジメント能力が必要になる。

 一度に三人も四人も相手にする「強者」が私の知人にもいたが、以上のように考えると彼/彼女はすごいと思った。そして何より人間的だ。

 そう。そして多くの場合、浮気がばれてしまうのは、その人の能力がこうした高度な要請に応えることができないからだ。

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2006年10月20日(金)



 そこにあるパラダイス

 宿題で、開発経済に関する理念と、経済発展に関する戦略を考える、という感じの宿題があるんですよ。

 理念(パラダイム)ってなんだろ。。。なんだろ。。。と意味が分からず、一緒に勉強してる人に電話してみたんですよ。すると、「パラダイムについて日本語で書かれたファイル送ろうか?」と送っていただいたんですよ。

 メールを開いて思わず吹き出した。
 こんな衝撃的なメールは、久しぶりかもしれない。



件名:『開発パラダイス』

内容:ここに行けばどんな夢も叶うというよ。
添付ファイル:開発パラダイス.pdf



 笑った。記念に、エントリーしておこ。


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2006年10月16日(月)



 無料酒食

 ずっと前のことになりますが、タダ酒・タダ食いをするためだけに数年に一度の選挙を楽しみ生きてる某県民と一定期間過ごしたことがあります。いろいろカルチャーショックはありましたが、あれからというもの、誰かが「日本国民を代表して」とか「国を挙げて・・・」とかいう言葉を聞く度に、君と、あいつらは一緒にしないでくれ、もし一緒なら北の再チャレンジに一緒に参加してもいい、くらいの気持ちになるものです。

 ま、それとは関係あるかないか分かりませんが、この大学に来て、もう20回くらい、スナックとワインとソフトドリンクが振る舞われる会がありました。すべては出席してないのですが、さすがにこんなに回数を重ねるとそれなりに親しくなるもんだな、と思います。(週末に、会ったりするほどではない。所詮、道ばたや教室や図書館で挨拶する程度。そしてインド・アフリカ人系は私にとって見分けがつかないので、挨拶されるまで気づかない。最低だね、私)

 ビジネススクールはもっと多いと聞きますし、こうして人脈を作る(作らせられている、ともいう)のも教育の一環なのかもしれません。(そういえば、飲み食いが基本的に禁止されてる図書館で、図書館の説明をするのにやはりレセプションが開かれたのはおもしろかった。書架と書架の間でワインを傾けるのは趣がありました。わびさび。もえ。)

 日本だったら、みんなで居酒屋でもゼミや研究室の人といく感じなのだろうか、などと想像していまいます。ま、ベジタリアンとか宗教とか色々面倒なことが多いので、ディナーに誘うのも一苦労ですし、何より、こうしてさくっと終わってくれるのはありがたいことかもしれません。二次会、三次会と、「次はガス室か?」と疲れた体を引きずってつきあい必要もありませんし。

 学校を離れて、プライベートな時くらい、会う人を限定させてくれ、と思う人にとっても好都合ですね。そして、なんといってもタダなので、生活に困窮している私にとっても「夜ご飯食べなくてイイかな」なんて思えて嬉しくなる。立って食事をしていると、必死の形相で酒食に群がっていた群馬県民とも違う感じがして許容できる気がする。(あ、いっちゃった)

 課題をちゃんとこなしていない先生の前だと伏し目がちになったりするあたりも、こうしたパーティの醍醐味なのかもしれません。

 残念なのは、今日の白ワインがせっかくNY州にいるのにNY州さんじゃなくて、大しておいしくなかった。(どうせ、グラス半分も飲めないのだけど)


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2006年10月14日(土)



 忙しい恥ずかしさ

 フォールブレイクという名前の四連休、私は、第二の故郷ニューヨークシティに行ってきました。大好きなお友達と、こよなく愛する、韓国・日本・タイ料理屋さんでお話しして、楽しい時間を過ごすことが出来ました。イサカ生活が禁欲的でつらいわけではないのですが、やはり出来ないことは多いですよね。バスを降りた当初は、街の汚さや、店員の無礼さ、人の多さ、空の狭さなどに困惑したものですが、もはや森の住人なのでしょうね、私は。

 本当は行くべきではないくらい(行ってはいけないくらい)、いろいろしなければいけないことは詰まっているのですが、投げ出して行ってしまいました。

 考えてみると、忙しいことはずいぶん恥ずかしいことですよね。手一杯感がせせこましいし、余裕のない感じが貧乏たらしく感じます。涼しい顔して、「ほい、できたよ。じゃ、遊びに行くか?」といっていた方が幾分も格好いい。たまに、忙しいことを自慢する話を散見されますが、あんまり聞いていて楽しい物じゃないですよね。幸い、お友達からそういう話を聞かないので、今回もエンジョイできましたが。(そういう話をする奴を私が避けているから友達に同じアイディアを持った人が集まるのは必然ともいえる)流した汗の量=仕事量であるわけでもありませんし、試験勉強=机に向かう時間でもないからです。

 つまり、彼氏/彼女に贈ったプレゼントの総額よりも、スマイル一つで相手をクラクラさせているような人のほうがずっと格好いい、ということでしょうか?しかも得られる果実は大概後者のほうが大きいことが観察される。

 来年の今頃は、「修論?あー適当にやっておくよ。それよりも来週のゴルフ会いつにする?」とか、「就活?ま、なんとかなるんじゃん。そんなことより、大陸横断の旅の日程だけどさ・・・」とかいう話をしていたものです。(なぁ?ミチアキさん)

 うん。知ってるよ。今私の目の下には隈があることを。全然イケテナイな。

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追伸1:写真は、NYC滞在中に食べたものたち。

追伸:キムさんの火遊びの話は別にネットのニュースでさんざん流れてるから、メールとか電話とか必要ありません。

2006年10月12日(木)



 目的化する手段のスパイラル

 慣れない環境でも、三ヶ月耐えるとそれなりに、それなりになるものよ、みたいなアドバイスを誰かに頂いたものですが、苦手な授業がある度に憂鬱な気分で階段を上っている自分がいます。そして、成長の成果を感じることは全くない。

 授業のスピードについていけず、どうやったら教室内での理解が早く・深まるのだろう、といろいろ試行錯誤している日々です。(しかも、カリキュラムの進度が日本の典型的な大学の二倍で、質としても難しい)

 そういう試行錯誤の日々がルーティンになっているのがおもしろく思ってきた。例えば、

1.「分からないな〜。どうしたもんかね・・・」
2.「そうだ、板書を写す時間に理解をしようとすればいいのではないか?デジカメで写真撮って後でノートで写せばいい訳か」

3.図書館で検証作業。百科事典かよ、と思うくらいの、分厚い教科書を読むが英語で書いてあるので分からない・・OTL

4.自宅で、さらに検証と理解。日本語教科書参照


 という一週間がどんどん続いている。ツールがデジカメだったり、ノートをとらないことにしたり、ちょ〜詳しくとってみたり、と試行錯誤をしているだけで、所要時間・作業負担は全く変わっていない。

 私の友人の一人で、試験勉強に望むのに、まず速読を、とか、まずOCR化を、とか延々と周辺環境の整備を続けて本来の試験勉強に割くリソースが無くなっている人がいましたが、同じかもしれない、と思いました。

 あれだね。彼女・彼氏にプレゼントを用意するのに、包装紙にとても時間とお金をかけて、結局プレゼント自体は、あり合わせのやすいものになってしまった、みたいな感じだろうか?

 準備運動で疲れ果てるアスリート。

 本命のあの子のメールアドレスをゲットするのに、その子の友達を口説き落とすのに一生懸命な男の子。

 化粧品選びに時間をかけて、化粧技術は全く向上しない女の子。

 浮気隠しのための周辺事実の構築作業に一生懸命で浮気相手の待ち合わせに遅れて、相手を怒らせてしまう人。

 韓国にエステ目的で旅行したのに、カルビで毎日腹一杯。

 せっかく作ったロケット延々燃料入れたまま放置プレイして、結局日本海に墜落。

 バーゲンセールに行くのに交通費三万円。

 せっかく作ったCELLもPS3にしか使われず、さらに、そのPS3も売れ行き期待できない。

 
 ま。いろいろ考えられる。そういうときこそパラダイムの根本的な変化が求められるわけだ。

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追伸1:
 そうこうしているうちにテストでしたよ。今日。はは。不可はとらないように、と一生懸命作戦を立てたので概ね想定の範囲内の出来じゃないかと思いました。

追伸2:
 最後の写真。試験勉強の心強いお供が日本から届きました。かりんとう。(甘味は欠かせない)お茶(コーラは一本で飽きる。飲み過ぎると吐き気がする)目薬(疲れ目に最適。眠気覚ましにも。)

2006年10月06日(金)



 引きこもりの週末

ひさしぶりの更新。でも、別に理由はない。

 だんだんと、そして劇的に改善された私の部屋の環境のおかげで、どんどん私は引きこもりになっている。昔はそれでもお友達が私のところに毎晩・毎日訪ねてきてくれたので、それでも「引きこもり感」が無かったのですが・・・。楽しかった。たこ焼きみんなで焼いたり、ごろごろしたり。部室のような自室でしたね。

 改善の原因は、二つのハードウウェアの導入によるものです。一つは炊飯器。一つは、冷蔵庫。炊飯器はamazonで購入。あれですね。基本的に米は保存が利くし。炊けば、卵とハム焼いただけでも夜ご飯に出来るから最高です。以前は、保存されていた食べ物だけですませようとすると、どうしてもチョコバーか、ポテトチップだったのですが、これほど改善されるとは。そして冷蔵庫。同じフロアにすんでいたこの寮の唯一の日本人の女の子が環境に耐えきれず(個人差がある。私は全く不満はない)ほかの寮に引っ越したのです。新品で購入された2万円くらいの冷蔵庫を格安で引き取ることに成功。これで、大好きな冷たい飲み物がいつでも飲めます。(共同冷蔵庫だとあんまり場所を占領できないし、いちいち補給するのが面倒なので、ぬるいまま飲んでいたりした)

 そのうえ、今週はフォールブレイク前の中間テストと会って、私のリソースの95%はあの「計量経済学」に費やされている。そのため、どのパーティの誘いも断り、ベッドの上で、床の上で、椅子に座り、ごろごろごろ全く理解が出来ない教科書とウェブサイトの文字だけを追って今週末は過ごしてしまいました。快適な椅子がNYかた届けばもっと引きこもることでしょう。ふっふっふ。

 それでも、一時間だけ外に出たんですよ。山を下り、ダウンタウンへ。何もないから仕方なく作った感の否めないリンゴ祭へ。リンゴが産地のNY州らしく、そしてアメリカの規模で作るものだから、全くリンゴのありがたみがない。リスが持ってるドングリほどの価値なんじゃないか?と思うくらいゴロゴロそこら中に転がっていた。

 それでも、お腹がすいたので、屋台で、ポテトでつくったお好み焼きみたいのを食べてみました。おいしかった。ポテト好きな私とは良いけれど。でも、結局、トマトケチャップのあじを付けじゃないと食べられませんよね?あとサワークリーム。そこいくと、お好み焼きとか、パジョン(チジミ)とかのほうが味わい深いかもしれない。NYにいたときにさんざん、こういう祭に行ったけど、これは見たこと無かったね。ジロス(?GYROS)はもう食べ飽きた。うん。NYにいたときに、なぜかジョギングをしに外に出たはずなのに腹一杯になって帰宅した思い出がよみがえる。楽しゅうございました。

 そして、私の嫌いなカントリーミュージックが演奏され(どうしても好きになれない)、その前で踊る人々。こういう光景もどっかでみたことがある。途中で会った韓国人のお友達は上機嫌で踊っていた。(彼の家は、工場建設のために国から家を追われ、あてがわれた家は荒野のど真ん中、その上、さらにアメリカ軍の移転のためにさらに場所を最果てに移されるという、話を聞く。踊っている場合でも、イサカに来ている場合でもないんじゃないか?と思うが、おもしろい話だった。さすが半島。やることが違う)

 こんな小さな街でも、やっぱり祭は必要なのですね。家族単位での楽しみで十分なのかと思いきや、ちゃんとコミュニティとしてもエンターテインメントを供給しなくてはいけないらしい・・・、と思いながらまた山に帰りました。私は。ええ。鹿やリスの住む森の中へ。

 そして、木曜日のテストをどうやって落第しないですむか、という方法を延々と考え続けるのです。おかげでまた不眠症だよ。

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追伸:私の住所について。何人かにお問い合わせを頂きました。
私の住所は以下の通り。

112 Sage PL Room#217
Ithaca, NY, 14850
Unated States

です。きっと少なくとも年末まではここにいるでしょう。その後は未定。代わったらまた告知します。そしてお手紙いつもありがとうございます。ちゃんと返信しているので、首を長くしてお待ちください。なんせ、この前荷物送ったら12日間かかたもので。知ってる?NYCまでも6日掛かったのよ!?

2006年10月03日(火)
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