|
|
■■■
■■
■ 恐怖の軽井沢
明治の初期から、後続や外国人の別荘地として延々と開発された、日本の伝統的リゾート地、軽井沢。その昔、もう20年以上前のことらしいですが、私も数ヶ月住んだことがあるとか。夏真っ盛りであっても、高原であるこの地は、常に涼しい風が吹きすさぶ、森の楽園。 数多くの別荘地が立ち並び、今も目抜き通りには、避暑や、週末を別宅でのんびり過ごす人が絶え間なく散歩を楽しんでいる。夏はテニス・スキー・散策、冬はスキーと、レジャーにも事欠かない。そのうえ、その伝統から裏打ちされた歴史からは、軽井沢ならではの気候から名産も生まれる。レタスなどの農産物だけでなく、数多く産する白樺の木などを生かして薫製なども名物になっている。
と、そんな、関東の人間からしてみれば、リゾートなイメージ以外無い軽井沢ですが、私もその日まで、例に漏れず、軽井沢=夏の楽園、のような印象を持っていました。その日までは。はい。その日までは。
行ってきました。ちょっとジョギングが楽しくなったのが高じて、「北軽井沢マラソン大会」に参加してきたんですよ。結論から言えば、大変でした。
会場に着いてみると、みんな本気な格好でびっくりしました。シューズもきちんとしたジョギングシューズだし、ウエアもメッシュ地の本格的。いや、まぁ市民マラソン大会がこれほど盛況だとは思っていませんでした。私なんてバッシュ(バスケットシューズ)にティシャツですよ。盛況な会場で準備運動を終えて、いざスタート。
これが自転車かバイクだったらこれほど気持ちの良いコースは世界でも類を見ないのではないか、と思うほど素敵なコースでした。背のそれほど高くない木々の森を抜けると、見渡す限りの畑。そして今度は深い森の中。目の前に広がる光景はこれ以上もないほど素晴らしいのに、私の心肺機能と足は、疲労と、空腹と喉の渇きで、もう大変でした。東京で練習しているだけでは、こんな急な坂道なんかありえんし!牛の臭いが気分を悪くするし!給水所で給水なんてしたことないし!
帰宅時は膝が痛かった。でも、もうしない。引退です。今度はゴルフか、ラケットボールに復帰します。(夜に善福寺側沿いを走るのは良いけど、21キロ以上も走れません。もう歳です。)
この日から私にとっては、軽井沢=辛かった所、としか思えなくなったのです。
2006年07月24日(月)
|
|
|