NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 行き先は星の大海

 NYをはじめて訪れた人に良く聞かれる事は、どの博物館に行ったほうがいいのか、ということ。焼きうどんと焼きそばは、好みによってその優劣が決まるのと同じように、博物館の大小に関係なく、いずれも素敵な一面を持っていると思うのですが、何を期待しているのか分かりかねる質問ですよね。「巨人」と「ふぐちり」どっちがすき、と言われたって・・・、といった感じです。
 というわけで、マンハッタンないにあるいくつかの博物館の特徴を説明して、選んでもらうことにしているわけですが、アメリカ自然史博物館は私の家から近いこともあってみんな散歩がてら行くようですね。ずっと前に「恐竜博物館」と紹介したような気がしますが、目玉はまだまだあって、プラネタリウムもその一つです。神殿のような表玄関の様子とはうってかわって、実は自然史博物館の裏は巨大な球体を中心として、ガラスで作られたSF的な建造物になっているのですね。そしてその中がプラネタリウムになっている。高校のときに手作りプラネタリウムを作ったことを思い出します。一生懸命説明を覚えたのだけど、英語で聞くととても新鮮ですね。ゴトウプラネタリウムに行った世代としては、こんな施設が身近に存することがウェストアッパーサイドに住む誘引になっていることを実感せずにはいられない。





↑最近胃の調子が悪いのでクリックしてください。

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この中に入れると思うだけでどきどきする。
フジテレビの球体も他に考えが浮かばなかったんだろうか。

2005年03月29日(火)



 思い出の部屋

 先週金曜日のことですが、私はあたらな新居に向けて引越ししました。何度か前の部屋に(といっても契約期間は残っているが)掃除をしに戻ってきたときにとった写真です。この部屋に住んだのは六ヶ月足らずでしたが私だけでなく、みんなとも、どきどきしたり、わらったり、一生懸命考えたり、色々な歴史を刻み続けたのだと思うと少し悲しい気分になります。NYにきてこれほど長い間一つの部屋に住んだことが無かったことも一因でしょうか。この次に住む部屋でどんな体験をするのかなど想像もつきません。ただただ、今思うのは、次の部屋をまた何ヵ月後かに旅立つときこそ(実は契約期間がまた何ヶ月という単位でしかないOTL)明るい未来に向かって意気揚々と後にしたい、と思いました。この部屋は運良く安く、本当はとても賃貸料金が高い部屋を借りることが出来ました。これからの私の長いか短いか分からない生涯の中でもこんなに豪華な部屋に住むことは一生無いだろうというセレブな生活をすることが出来ました。それも私の大切な友達の一人の厚意によるものです。そして、今度もとても素敵な人の厚意によって、素晴らしい部屋を借りることが出来ました。今度の部屋は二部屋あるので、ちょっと古いのが問題だけど、また別の快適感が待っていそうな気がします。そしてそして、なんといっても今回の引越し作業を手伝ってくださったのは他でもなく私の友達6人でした。
 部屋のこと一つ取ってみてもNYにきて、色々な人の親切によって支えられなければならない私の生活が見て取れます。日々の感謝を忘れずに、明日もより良い明日をgetするために向かって、みんなと頑張ってみよう、と思ったのです。





↑クリックすると驚愕の真実がそこに

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広く思えたのに、なんにもなくなると狭い感じがするから不思議。
今度は新居の画像でも紹介します。

2005年03月28日(月)



 メランコリックに貴方を待ってる

 いい加減飽きちゃったんだよねー。ただ、私が椅子の上で君を待ってるだけなのに、道行く人はみんな見るし、隣に座って一緒に写真をとろうとする人まで居る。早く店から出てきてくれないかなー。そうじゃなければ、一緒に中につれってくれても良かったのに。ま、お店の前に、椅子がある分だけいつもよりましなんだからいっか。

 といっておりました。そして、隣に一緒に座って写真を撮ろうとしたらことごとくそっぽをむかれ(つまり、カメラのほうを向いてもらえませんでした)犬の写真も何枚目?ほんとはいくらでも出てくるんだけどね・・・。あまりやると食傷気味でしょ。(専門コーナーでも作ろうかしら。『NY在住の犬の生活』なんちゃって)

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クールそうな顔だけあって本当に君は涼しげにまっていた。
でも、きっと待ってる人が来ると笑顔になるにちがいない。

2005年03月27日(日)



 君を迎えに・・・

 この一年間に幾人かの方がNYにいらしてくださいました。そのたびに、私はJFK空港に(一度、ラガーディアと、ニューアークをお互い勘違いしまくった情報を与えて、とんでもないことになったこともありましたが)迎えに行きます。そのとき以外十五分以上同じ電車に乗ることなどめったにないマンハッタンの地下鉄を利用しています。逆に言えば、JFKに行くときは気合が入ってしまいます。本を持ったか?プレイヤーは持ったか?など軽い遠足気分。東京だと、一時間半くらいの乗車時間なんて結構あるんですがね。大体タイムズスクエアから一時間半くらいの距離。最後にARI TRAINというものに乗り換えます。1番ターミナルから2・3・4・・・とターミナルを経由して行きます。ターミナルによっても到着するために要する時間が変わるのはそのためです。(随分違う。だからANAの2番ターミナルと、アメリカンエアラインの8番ターミナルとでは十五分は違う)
 行きは一人で、帰りには久しぶりのお友達と一緒にお友達と自宅にむかえるのはハッピーな気分で一杯になります。だから、電車も苦じゃない。他方で送った後はとても寂しい気分でこの電車に乗るわけです。まるで別世界のようなコンコースの綺麗さ!地下鉄との落差があまりに面白くて毎度写真にとってしまうのです。





↑クリックすると驚きの価格

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汚くて有名な地下鉄とは対照的な清潔さ。
NYの来訪者に「お、綺麗じゃん」って思わせておいてこの後地下鉄に乗せるんだから詐欺だよね。

2005年03月24日(木)



 何がそんなに楽しいの?

 あるチャイニーズレストランに飲茶を食べに行った日のこと。たくさんたくさん、飲茶を詰め込んで満足してエレベータに向かうと奇妙な表示を見つけた。一見すると普通の緊急避難場所の表示。緊急時にはエレベータではなく、階段を使いましょうね、というものらしい。チャイナタウンだけあって、漢字と英語の両方で表記されている。
 と、そこまでは普通なのだけれども、イラストが・・・変。日本にもあるように、表示はデフォルメされた人が階段を下りる図。ところが、良く見ると、炎は避難する人のすぐ背後まで迫っていて鬼気迫るものがあるし、炎の大きさたるや人以上になっている!!なのに、何故か彼(彼女?)は階段を嬉しそうに下りているではないか!(特に跳ね上がった両手がポイントか?∩(・∀・)∩ )
 なんなんだろう・・・。もうちょっとデフォルメ考えられなかったのかな?これじゃ、このイラストから「わーい、火事だ火事だ〜♪」という声が聞こえてきそう。





↑クリックすれば、コメントが変わります。

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やったー火事だー。後ろ足まで跳ね上がっている
まるで下にお友達が訪れたような気分で降りる避難者

2005年03月23日(水)



 雪の中の"The Gates"

 フォルダの中に埋もれていた写真を見つけました。二月中、セントラルパークでクリストによるThe Gatesという不思議な企画があったのは紹介したとおりですが、2月の葉が落ちてしまった色あせた感じもあるセントラルパークで、鮮やかなオレンジはとてもいいタイミングだ、と思っていました。そして思えば二月は同時に、例年より大雪に見舞われました。大雪の次の日に、スノーブーツを履いてセントラルパークに朝駆け出していきました。人がいない雪景色の中のThe Gatesはどのようだろう、と。酔狂とも思えますが、こうして記録に残して紹介できるのだから、ま、よしとしましょう。
 今では元通りになってしまったセントラルパークですが、二月は恐らく、セントラルパーク史始まって以来の賑わいをあの季節にしては見せていたのだと思います。そしてそのタイミングを計ったかのように、雪景色の中のオレンジのゲート群をみせてくれた天候。なかなか偶然とは思えないものを感じます。





↑コメントをクリックでかえてみよう

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こんな景色、たった一ヶ月間のGatesの中でもレアでしょう。
記録に残せたことちょっと鼻高々です。

2005年03月22日(火)



 果てしない道程

 ここに来て、私のPCのデスクトップに出来たフォルダがあります。それは、こちらで書き始めた英文エッセイのドキュメントファイルです。はじめのうちはフォルダを開いても目的のドキュメントを探すのが一瞬で出来たほど少なかったのに、今では、ソートを利用しなければならないくらいに増えました。生来、文章を書くのがすきだった私は、英文を書くことも色々な語や叙述方法を工夫しはじめるのに、それほど時間がかからなかったように思えます。最初は随分言いたいことをかけずにフラストレーションもたまり、そして何より論述方法が日本のそれと全く違っているので、あなたのは英訳に過ぎません、と言われ、それでもどうすればいいか分からず閉口したのも覚えています。ところが、学校の課題なのだから仕方が無い、と毎週何通か、書き続けています。何度か、ああーまぁ結構上達したんじゃん、と思ったこともありますが、提出するたびに帰ってくるのは一行たりとも赤ペンが入っていないところがない、目が痛くなるほど鮮烈な赤で埋められたエッセイだったもの。帰ってくるたびに

              _| ̄|○

 あと、何度書けば、まともなものが書けるものが来るのでしょう。
 

毎度毎度この調子。背景は最近夜ご飯のときに見ている「school rumble」
余りに私の気持ちを表してくれているのでシャッターを押す。

2005年03月21日(月)



 例えばこんな週末<写真一杯特別編>

 あーあ、長いようで短い一週間のスプリングブレイクも終わりに近づいてしまった。確かに他の勉強はしたかもしれないけど、学校の宿題は手付かずだぞ。まいったなー、でも全くする気が起きない。休みが長かったせいで、体内時計も狂いまくり、体がいつもは4・5時間で済んでいた睡眠時間も、10時間も取るようになってしまった。これを元に戻すのは大変なのに。そしてそれを元に戻したら引越ししなくちゃいけないし、そんな欝欝した気分の中、さて、どこかへ行こうと思い立ったわけです。いつまでこの国にいれるか分からない身分なもので、やっぱりいけると気に入っておかないとなんのためにNYに済んでいたのか分からなくなる。と思ったわけですね。
 そして、以前からいってみたかったBotanical Gardenに。十一時からそんなことを思い出すなんて・・・。_| ̄|○  鬱
 気を取り直して、ネットで検索。するとグランドセントラルから電車がでているというじゃないですか。そして往復の乗車券と、入場券がセット販売されている。これしかない!と思い、早速グランドセントラルへ。

 何度来てもいい駅だ。大好き。この行きかう人々の目的地に向かって歩く顔が見ていて飽きないし、なんといっても高い天井に荘厳な造り。これまでも、これからも何世紀も旅人が辿り着き、旅立つのを迎え続けるに相応しい建物です。ちょっとグランドセントラルの駅に行くのに道順をミスってしまい、一時間電車を待つことに。ちょうど、お昼を食べてなかったので、地下のフードコートでお昼を食べることに。中華を選択。パニーニもかなり捨てがたかったが、中華のビュッフェにあったロメインが魅力的だった。

 こんな感じ。『お〜い、お茶』を売っているのを見つけて、奮発する。機嫌がすこぶるよい。この旅行気分を手軽に味わえるNYは大好きだ。よそ者だからだけじゃない、色々な所に別世界が広がるこの小さな島は住む人を開きさせない魅力があるからだ。
 チャーハンとロメインを同時に注文したせいで、多少食べすぎで気持ちが悪い。OTL。そして乗車時間に。一度ここから電車乗ってみたかったんだよね。一年前、この街に着てから初めて訪れた場所が国連の次のここだったんだ。神殿のようなこのビルに入ってみて、感動とともに、いつかここから電車に乗ってどこかへ行こうと決意。そして今実現。感動極まりない。NY住人としての成長を感じずにはいられない。向かう場所は、25番ホーム(Track25)

 カートを引いてお菓子とジュースを売るおじさんに、かなり惹かれたがどうせ、食べれないので我慢。全席自由席で、結構綺麗で乗り心地がいい。気になるのは、窓が日本のものよりも少し、小さいかな?っていう程度。

 電車の中はこんな感じ。しばらくして電車が出発すると、車掌さんが現れて切符を改札。そして、カチカチカチカチと不思議な動きで切符に印をつけて(勿論このときポーラーエキスプレスの不思議なおじさんを思い出したのはいうまでもない)自分の席の上についているクリップのようなものにしるしを挟んでいく。これってアメリカのスタンダードですよね。どこへいっても、このように椅子の上についたクリップに何かを挟んでいく。
 目的地に到着。入場券を見せて、入園。ダンディなおじさんにどこで事前にチケット買ったの?と聞かれ、グランドセントラルで買えることを伝えてちょっと鼻高々だ。ところが・・・OTL(←何度目だ?)
 分かっていたし、十分予想していたことといえ、木々は葉を持たず、花は見つけられない。あっても小さな小さなつぼみ。参った。

 閉園時間も実はすごく近いので、とりあえず一周することに。(といってもかなり広大なので、小さい半径で一周ね)すがすがしい。マンハッタンからこれほど短時間でこんなところが目の前に広がるとは。ブロンクスズーを思い出す。動物の代わりに植物が。いくつか広大な森の公園の中に施設が点在。地図を良く見ると、林道のおくに滝がある。
 

 日本のそれと比べると多少しょぼい気がしないでもない滝だけどね。しょうがない、険しい山々が続く日本と比べちゃいけません。マイナスイオンがあるんじゃないかと想像するだけで、森の中をへとへとになるまで歩いて十分満ち足りているマイナスイオンを滝の周りで更にお腹一杯にする。
 走行しているうちに閉園まで後数十分しかないことに気づき一路、目玉施設の巨大温室に。

 枯れ木の中とはいえ、ビルしかないマンハッタンから一歩抜け出して小道を散歩するのは爽快感が倍増するというもの。ビル群を逆に借景として眺めるセントラルパークもいいけれど、見渡す限り、森の中、というのも格別だと気づく。

 やっとのことで(結構歩いた)、夕日の中輝く温室へ。まるでどこかの国の国会議事堂のように左右対称でそして豪華絢爛な外見。外からのぞくだけでも、中は植物に満ちていることが分かってぞくぞくしてくる。中は蒸し暑い。高温多湿。そりゃそうだ、熱帯雨林を再現した施設なのだから。そしてここは世界各国の「蘭(らん)」を集めていることでも有名。曲がりくねった道を歩くたびに見慣れない蘭が目を楽しませる(見慣れなくても蘭は蘭だと分かるから不思議だ)

 外の、ともすれば殺風景ともいえる景色とは一転、ここは色とりどりの花で満ちている。ぼーっと眺めるもよし、じっくり細部まで観察するもよし。なによりも私の嫌いな虫がでてこない熱帯雨林なんて本当にパラダイスだ。やっぱり一生のうちに使い切れない程のお金を持つんだったら、2億もかけて宇宙旅行なんぞせずに、こういう庭園を自宅の前におきたいね。
 そして、この建物を管理人に追い立てられながら後にして、Botanical Gardenのゲートまであるくことに。かなり疲れているが閉園するのだから歩かざるを得ない。目の前が駅なのが、カナダの動物園と違う点で、ほっとする。

 駅のベンチで、明日はさすがに、学校の準備もしなくちゃ行けないし、そのほかにも「やっぱり来週からはもうちょっとしっかり勉強しなくちゃなー」と思いながら電車を待っていたわけです。やらなきゃあかんなー、と思えるようになっただけでも、植物園の効果があったというものか。待つこと二十分。グランドセントラルの一駅手前のイーストハーレムで下車、自宅に帰ったのでした。こういう素敵な週末を過ごさせてくれるNYに感謝。





↑ほんとに驚くからクリックしてみて!

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2005年03月20日(日)



 今日はみんながアイリッシュ

 今日は、St.Patricks Day。アイルランド移民のお祭りの日です。アイルランド移民と聞いて私は、JFKと、その家族(特に強引なビジネスで成功したJFKのお父さん)の話、もしくは、ショーン・コネリーくらいしか頭にありませんでしたが、どうやら1840年代ポテト飢饉を逃れるために、アイルランドから大量にアメリカに渡ってきたのが多くのアイリッシュの起源らしい、なんてこをこの国に来て知りました。(実は、この国で暮らす移民にはそれぞれに大量流入の契機になった歴史があるのです)
 いつもはショッピング客で賑わう5thアヴェニューを、アイルランドの民族衣装(タータンチェック)を着て、ハイランドパイプ(注※)を演奏しながら練り歩く恐らくアイリッシュであろうおじさんたちと、高校生や警察消防の人からなる、パレードオケたちが、目の前を通過していきます。

 こんな感じでみんなキルトをはいて、勇壮に更新をしているアイリッシュのおじさんたち。いつどこで練習したのでしょうね。そして、

 そして、普通にパレードらしいパレードをしている、高校生や市民団体。
見物客も、緑色のものを身に着けて応援です。どうやら緑色がアイリッシュをあらわしているらしく、今日はみんなでアイリッシュになってお祭りをするんだとか。そして、なんといっても、その晩はみんなアイリッシュパブにいってギネスビールを飲むのが慣例なんです。といっても私はそれほど飲めないので一杯で文字通りいっぱいいっぱいですが、みんなその日ばかりは緑色のギネスビール片手にバーで語り明かします。





↑クリックすると注の中身が出ます

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2005年03月19日(土)



 壊れた文明

 今まで何度も行っていたのに、気づきませんでした。それはそういうデザインとばかり思っていたので。マンハッタンから自由の女神を見るにはバッテリーパークが一番(というかほぼ真南なので南端部分からしか見ることが出来ない)かと思いますが、そこには色々な碑が建っています。朝鮮戦争を記念するものから、ずっと昔の船乗りの記念碑など。その中に、壊れた地球のオブジェがあります。このオブジェは、ワールドトレードセンターのアーケードにあったものらしいです。テロがあり、瓦礫の中から発見されたとか。今まで説明を見たこと無かったのですが、それまでは、うまく壊れた感じにデザインしたもんだ、とばかり思っていた私が恥ずかしい。本当に壊れたのだから・・・。休日で人だかりが出来ていたので、偶々説明を読んだのでした。なんにしても、数奇な運命をたどったものです。作者はきっと、未来永劫あの金融の中心地で、ビジネスエリートや観光客に見上げられることを考えながらデザインに及んだはずなのに、今ではパッテリーパークを訪れる人にテロの凄惨さを伝え、悲しい顔しかむけてもらえないオブジェになっている。





↑クリックすれば面白い

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元は輝く綺麗な球体だったとか

2005年03月16日(水)



 エリートだって、たれたれ

 日本にいたときにディスカバリーチャンネルか何かで見たのですが、動物保護専門の警察がNYにはあるとか。そうでなくとも、馬さんがわらわら歩いていたり、NYでは動物もみんな大活躍。そして一番活躍しているのはなんと言っても犬。いたるところで警察犬を見ます。警察犬養成システムが日本よりも遥かに大規模なのでしょう。ところで、触ってみたことあります?空港などで見かけると忙しそうにしているので、触ったら悪いかな、っていう気分でいたのですが、ついに思い切って声をかけてみました。どうやら、警察犬を運用する警察官が、NYの公園の治安を管轄するパークレンジャーとだべっていたようです。彼らは普通に触っているじゃないですか。とうわけで、この撮影の後で私も触らせてもらうことに。
 警察犬といえばエリートの中のエリート。厳しい訓練を経て、顔つきもうちのゴンちゃんとは大違い。きりりとひきしまり、任務を忠実に遂行すべくいつも真剣な顔をしています。それがどういうことでしょう。誰かに触られると、ゴンちゃんと同じ。たれたれ、たれたれ。そんなことでいいのか、というくらい、そんじょそこらのわんちゃん位、いや、もっとたれます。人間のエリートも色々な誘惑に弱いように、犬も同様だということでしょう。





↑たれいぬのクリック。

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かわいがられるのは誰だって大好き。
黒い人が警察官。緑の人たちがパークレンジャー。

2005年03月15日(火)



 暇人の買い物

 実は昨日土曜日から、一週間のスプリングブレイクに入ったのです。去年は確か、ラスベガスから国立公園めぐりのたびをしたのだけど、今年はなんの予定もなし。(国際免許の期限が切れているからどうしようもない)暇をもてあましていったところはバスでニュージャージーに渡り、mitsuwaという日本のスーパーマーケット。ダイエーとかイトーヨーカドーがそのまま出来たみたいなものです。なんでもあるし、全てが日本式。そこで、から揚げ定食を食べて(津山の山の中で食べるより美味しかったw)、『聞茶』を購入。なんと2ドル50セントもして、かなりへこんだ。OTL
 アー暇だ暇だ、と思いつつ、本屋でマンガを買い、更に食料品売り場へ。目的としていたアジの刺身がうっていなくて更に落胆。そして結局購入したものが下の写真です。
・ジャイアントポッキー(洒落)
・豆乳二パック&にがり(手作り豆腐に挑戦だ)
・にら(餃子を作るのに必要でしょ。あんまり売ってないんだよね)
・しらす(好物だが、なかなか釜揚げシラスは売っていない)
・ぶり(この間寿司屋でカマ焼きを食べて美味しかったので)
・生讃岐うどん(乾麺かゆで麺はよくあるのだけど、これはない)
 バスで行くのであまり重いものも持つ気にもならない。というわけで、これだけで我慢。
 バスの中で、「とりあえずー、今晩はぶりやくじゃーん、んで、明日の夜は、シラスにネギとあぶった油揚げ刻んでご飯にかけるでしょー、それだけじゃ、つまらんから、手作り豆腐で遊びながら食べよう。そうそう、昼ごはんはあのうどんでokだなー。んで、明後日当たり、餃子だ。誰か呼ぶか?あーそんときに、手作り豆腐出したら喜ばれるかな?」なんてことを考えつつマンハッタンの夜景を眺めながら帰ってきたのでした。





↑クリックすると驚愕の真実

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あまりに暇だとこういうことになる。
普段買えない物をかって楽しむ一週間。

2005年03月14日(月)



 目の肥えた客と大道芸

 NYに来た当初は、地下鉄に乗っていると、いきなりギターなり、パーカッションを抱えた人がやってきてずんどこ演奏しておひねりをもらったりする光景にびっくりしたものですが、慣れるとなんとも無い。たまに、友達と一緒にいるときに、優れたパフォーマンスを見せてくれる人がいると私も一ドルくらい友達と相談してあげたりするのですが。(なんか、一人でいるときに、財布をそういう人の前で出すのが怖いからね。私は臆病者。)
 勿論、公園や地下鉄構内など、人通りの多く、場所がとれるところでもやっています。東京都では、確か「ヘブンズアーティスト」っていうんでしたよね?免許制で、火は使ってはいけないとか、なかなか無粋なことをするのが日本。NYで多くの大道芸を見たけど、別に交通の妨げになろうとすれば、主催者は注意をするものだし、危険であれば十分に広さをとってから行っている。任せればちゃんとやるもんだ。彼らだってそれで整形をとっている場合もあるし、少なくともお金をもらおうとしているんだモノ。NY市民はそういうものを見慣れたせいで、目が肥えている。「おおっ!」と歓声が上がるものをみせないと中々財布の紐は緩もうとはしない。その結果、どんどん洗練されたものを見せるようになり、パフォーマーたちのそれは、もう舞台でもいけるんじゃないか?くらいなものも少なくないのです。何より私が面白いと思うのは、手品と一緒で、口上が一番大切な要素だということです。内容よりも大切と要っていいかも知れない。段取りと、客の注意をそらさないその語り口は本当に見事なのです。これもNYの文化を形作るの一面の一つ。





↑クリックすると答えが出現

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かっこいいダンスを見せた後にメインイベントの空中宙返り。
お客さんを参加させるのもポイントか?

2005年03月12日(土)



 衆人環視のスケート

 ミステリーでもなんでもありません。ま、一応NY在住と題うっている限りは、これを紹介しないわけには・・・。自由の女神やエンパイヤみたいなもんでしょうか。この季節、世界一有名なスケートリンクがオープンしています。ロックフェラーセンタにあるスケートリンク。横浜ランドマークタワーにあるシアターのように、四方を高い建物で囲まれて、リンク自体は一番低いところにあります。観光客のみなさんがそれを見下して、まるで刑務所の運動場が監視されているような状態。ちょっと恥ずかしいですよね。すごいうまければそれでもいいのだけど・・・。
 夏は、ここはカフェになります。ロブスターサンドが有名ということでいったこともあるのだけど、あんまり美味しくなかったような気が。とっても高かった思い出しか残りませんでした。

↑さあ、どうぞ。
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マイナス七度の気温の中、氷の上へと出陣していく。

2005年03月11日(金)



 ウォールストリートに牛がいる

 このサブジェクトを見てぴんと来た人は、観光目的でNYにきた人の中でもレアな存在でしょう。観光ルートからは少し離れているし、ウォールストリートもブルックリンとか対岸からビル群を眺めるだけでわざわざいってみて見上げる人もいないことですから。他方、証券・銀行系の駐在の人は知らない人はいないでしょう。ウォールストリートに巨大な牛がいます。うわさでは、株価を突き上げる力強さを表現したとか。(本当かどうか分かりません)実際に見てみると私の身長より大きい。首にのってみたくなるのが人情かと思うけど、結構大変。(したことないけど)
 三越のライオンさん、私の学校にあったピラミッド、華厳の滝、と同様、てっぺんに行ってみたくなってうずうずしたのは事実ですが、みんなしないのですね。ジンクスとかあるのかな?これにのったら、自分の保有している株価が急上昇するとか、TOBに成功するとか。(笑)ホリエモンのってみなさい。





↑クリックすると答えが出現。

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どう考えても2メートル以上はある。
オレンジの袋を持っていないほうがウォールストリート名物の牛。

※3月6日分をアップしました。NEW表示が無いのでお気をつけ下さい。

2005年03月10日(木)



 この島の上から

 NYで一番有名なビル。エンパイヤステートビルディング。1931年、102階建てのビルとして立てられたこの建物は今も観光目的だけでなく、オフィスビルディングとしても使われている。新築された首相官邸のときに思ったのだけど、やっぱり多少お金がかかってもランドマーク的なものはインパクトがあって美しくないといけないですよね。ホワイトハウスだとか、クレムリンだとか、ビッグベンダとか。世界的認知されるものであってほしいものです。そしてこのエンパイヤはその代名詞みたいなものでしょう。
 この屋上からの眺めはマンハッタン島の中心部からマンハッタンが360度見渡せます。あがってみて多くの人が思うことでしょう。意外と小さいと。それでも、びっちりと隙間無く立てられていることをいまさらながらに驚くことでしょう。「資本主義の象徴」とはよくいわれることですが、何を持ってそういうのでしょうね。資本主義しか繁栄の道が無いわけではないし。非常に多面的な顔を持つNYについて、アメリカの象徴といえなくもないけど、実は何とでも言える。中国人移民が多いことをもって「中国人のエネルギーの象徴」、喫煙者にとって最も住みにくい街であることをもって「不平等課税システムの街の象徴」、ペットが多いことをもって「ゴールデンレトリバーの楽園」など、なんとでもいえるのです。ある人のことを一言で言い表せないように、この街もなんとでも表現できる。愚かな人間の利己的な利益追求の結果の退廃的な街、のような表現は多少短絡的過ぎる。
 この街を見下ろしているとそう思うのです。





↑結局高ければいいってもんじゃないわけだ

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眼下にマンハッタンの光景が広がる。
中心の黒い細いビルは国連本部。

2005年03月07日(月)



 心わき踊る朝食を

 アメリカンスタイルの朝食をとるたびに思い出す人がいる。もう国に帰ってしまった韓国人なのだけれども、彼はアメリカンな朝食を愛していて(というか、あまり母国では馴染みが無いのでとても新鮮に思えているようだった)学校に行く前に寮の内線でよくダイナーに誘われたものだった。私はいつもサイニーサイドアップのベーコン二つ乗せだったのだけど。
 そして今偶にブルックリンにあるダイナーによくいく。というのも、ブルックリンからのマンハッタンの眺めが好きだし、季節の変わり目ごとに写真を撮っているからだ。きっと、アメリカ人が育んできた大切な文化なのでしょう。日曜日はブランチを、老舗のダイナーで家族とともにとる。そこにはやはり年老いたオーナーがいて、待たせてしまった客をすまなそうな顔で一瞬見つめ、抱き寄せるように席に案内する。そしてその客との数語の会話が実は双方にとって週末の楽しみの一つだったりするわけだ。私も、なぜか腕を組まれて席に運ばれた。そして、注文するのはいつもと違って、パンケーキにイチゴ・クリームのせ。メープルシロップをたっぷりかけて、それを目の前にすると心ウキウキにならざるをえない。それはこれから始まる休日への期待なのか、それともイチゴのせいなのか・・・。
 そういった嬉しい朝食をとるのも、NYというよりも、アメリカの休日の一こまで、私は愛してやまない。
 





↑クリックせよ。

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手前が、ウィークデーの注文;Two sunny side up eggs with bacon
そして、奥が私のウィークエンドの注文。

2005年03月06日(日)



 ガス灯の下で

 ブルックリンに用事があってとぼとぼとイーストリバーを吹きすさぶ風に吹かれ襟を立てながら歩いていると、昼間だというのに、街灯に明かりがついているのを見つけました。なぜ気づいたのだろう?同じ昼行灯だからか?などとわけのわからん冗談を考えて、あまりの切れの無さに挫折(OTL)したわけですが。
 ガス灯ですね。小学校のころ、「明治時代の学習を終えて先生が明治時代を通して、一番大切だと思うことは何だと思いますか?」(「大切」だとか定義が明らかに出来ない言葉を使っている時点で愚問だと思うが。今思えば。)という質問に対して、私は「ガス灯が出来たこと」と答えたのを思い出します。その後十五年くらい経過して初めて私はガス灯を見たわけです。その感動たるや・・・。意外と街灯っぽくないのですね。というのも、ロウソクのようにゆらゆらと揺らめいているものなのですね。白熱灯のような感じかと思いました。
 今でも答えようじゃないか。廃藩置県でもなく、廃刀令でもなく、大政奉還でもない、明治時代、貧しい人も、政治変動に携わることなくその日その日の営みを慎ましやかに過ごしていた人たちを照らした公共の灯り、ガス灯こそ明治時代の一番の意義である、と。江戸時代、上下水道の整備すらなされたやに聞く。それでも、私は思うのです。中国の有人ロケットと一緒。テクノロジーとしてはちゃっちいモノだとしても、未来を夢見る子供たちにとってのインパクトたるやとても大きなものだったのでしょう。夜安全に夜道をたらしてくれる全く新しい公共財の出現、新時代の夜明けの明かりだったことでしょう。
 生まれて初めてみたガス灯の下でそんなことを考えてしまいました。





↑クリックしてみて。

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炎は意外と細く、長い。
今度は夜中にみてみたいね。

2005年03月04日(金)
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