NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 まだ〜?

 NYにわんちゃんが多いのはお話したとおりですが、多いなりに、色々なビジネスがあるもんです。日本でもメジャーになってきましたが、散歩代行とか。奥さんやおじいさんが暇つぶしバイトとして頑張っている姿がよくみえます。一時間四ドルとか非常に安い値段で、マイナス十度の中散歩できるか、(#゚Д゚)ゴルァ!!と思ったことも何度もありますが、こういう人たちは一度に何人も犬を引き連れるものですから、それなりのペイにはなるんでしょう。
 そして、そんなビジネスじゃなくて飼い主さんがお散歩がてら買い物に行くなんていう光景も良く見るわけです。スーパーの前には飼い主まちの犬がたくさんいて、ときには巨大モップのような犬が出口を占拠して、買い物客を楽しませるやら、驚かせるやらしているようです。
 そんな光景の中、客が来るたびに振り返り「まだかよ?」と不満を漏らす犬を見つけたので撮影。





↑クリックしてみそ。

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体の向きを買えればいいのに、向きをかえずに毎回振り返る。
きっとなにかポリシーがあるんでしょう。

2005年01月30日(日)



 雪が降ると・・・

 なんだか夜中にまだ雪が降ったりやんだり・・・が続いています。雪が降ると街の景色が一変するのは言うまでもないことですが、一変した景色も同じ街であって、今まで見えていなかったことが気づくことがこの要因かと考えられます。特に、ファインダーをとうしてみたときなどがいえるかもしれません。あーこの街のこの風景、映画みたいだな、古かったんだよねこの街、とか、この街のデザインコンセプトってこうだったのか、みたいなことが気づくのです。普段生活していると中々見えないのが不思議。
 薄ぼんやりとした明かりの中で、目の前に広がっていた景色は、近代の歴史をずーっと見つめてきた老成と成熟が同時に起きているようなそんな雰囲気の街でした。
 

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リバーサイドパークへ降りる階段の上から撮影。

2005年01月26日(水)



 大雪の街角〜その2〜

 あれだけ降ってもさすが珍しくはないのでしょう。町中を除雪車がひっきりなしに通り、歩道も、小さな電動車が不凍剤をまいて、生活に必要な部分はアスファルトが見えるようになりました。それも一日で。なるほど、東京都は違いますな。
 それでも降り積もっているときは大変!そりゃ、取り除いても取り除いても、降ってくるわけです。不凍剤が溶かした、水のうえにどんどん降ってくる。そんなわけで、降っているときは諦めモードのようです。
 なのに、人は生活をしなくちゃいけない。歩かなくちゃいけない。あーここは北海道か?などと思いながら、雪用ブーツ(年に数度しか使わないのになぜかもっている)を踏みしめながら、私はティッシュと洗剤を買いに表に出たわけです。





↑こっちのはただ窓に挟むだけの形式だからね・・・怖い怖い。

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歩道がまるでその先にリフト乗り場があるように錯覚してしまうくらいの積雪で埋まる。

2005年01月25日(火)



 大雪の街角〜その1〜

 なんか、東京でもNYの大雪のニュースは流れたようで、結構電話が来て「雪どうよ?」なんて話で盛り上がったわけですが、雪でも町中盛り上がっています。前回の日記で報告した雪は一日半降り続け、町中を行きだらけにしていきました。東京に降る、雪と全然違うな、と思ったのはパウダースノー。これでスキーが出来たらなんて素晴らしいのだろう!!と思わずにはいられない。東京だとベタってしてて、雪だるまや雪合戦にもってこいですが、こちらのゆきは全く適していない。その代わりスキーには・・・!悔しい限りです。いま暇だったら今週末はスキーに、なんてことをしていたはずなのに。
 降り積もった街や公園を見て廻ったのだけど、なんか、風景としては温かみがあるものですね。(気温は普通にマイナス十度以下だったけど)
 





↑ここ、マンハッタンなんだけどな・・・クリック!

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積雪としては、70センチくらいでしょうか?
景色が一変した。

2005年01月24日(月)



 吹雪

 最近自宅の窓のブラインドを下げないと翌朝寒くなってしまうくらい、二重まどで厳重に防弾構造がされている我が家も冷え込むようになって来ました。ブラインドを上げて、下の道行く人を見て、あー、今日も寒そうね、とおもいつつ、私もコートの下にセーターなどで防備を固める事からはじめる一日を憂鬱に思うわけです。(去年は凍るハドソン川の具合だった)
 今日はびっくり。Σ(゚Д゚ υ)  というのも、地下鉄にのるときは全く降っていなかったのに、地下鉄を出るとそこは一面銀世界。乗車時間はほんの五分だというのに・・・。ま、傘を持っていてもどうせ無駄だったので、気にはしていませんが・・・。とりあえず記念写真だけ。





↑答えは「雪かき」ではありません。クリック!

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ほんの五分で景色が変わる。
東京の気候ではないことが実感できる。

2005年01月22日(土)



 やりすぎリムジン

 アメリカに来て外国人(日本人とは限らない)が驚くことの一つにリムジンが沢山走っていることです。ヨーロッパ人に聞いてもほとんど見たことがないというのですから、アメリカ人だけがこんなにリムジンを愛しているということでしょう。道の広い狭いは関係ないと思います。(なにしろNYでこんなにも見るのですから)どうやら聞いてみるとハイヤーとしてリムジンを使ってもタクシーとそれほど変わらないばかりか、時には安いときもあるそうです。ま、セレブな人々はちゃんと自分のものを持っているのでしょうが、そしてやっぱりセレブな人々は他人との差別化に躍起になっているようで、リムジンにしても、キャデラックやリンカーンだけではなく、偶にはハマーをリムジンにしていたりします。
 そう、そこまでは良く見るんです。ハマーリムジンだって偶にだけどやっぱり見るわけよ。ところが、こんなのはじめてみた!ポルシェ・カイエンのリムジン。これってきっとポルシェが出しているんじゃないんだと思います。何台も買って繋ぎ合わせて自分で作ったのだと思います。(分かっていると思うけど手作業とかそういう意味ではない)やりすぎだ。カイエンはポルシェの誇りを傷つけたと思っていたけど、リムジンになったのをみて、こりゃポルシェ魂は地に落ちた、と思った。やりすぎだ。悪趣味だよね。





↑クリックしてみよう

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全然かっこよくないぞ。
顔だけ無理やりポルシェにしたといわれるカイエンだけど、ここまでくると、後ろと前だけほんとにポルシェをくっつけている感じしかしない。

2005年01月20日(木)



 永遠に工事中。

 私の通っている通学路の近くにあり、そこはなぜかそれほどにぎわっていないので、ウワサの中華料理屋もあるとおりです。人よんで(よばずとも)アムステルダムアベニュー。にぎわうブロードウェイの隣にあるとおりです。そこの110thストリートのあたりでしょうか、実は隠れた名所があります。毎日のように観光バスが止まっているので、隠れてもいないかもしれません。
 ま、いずれにしても中はとても素晴らしい彫刻がいたるところに施された教会になっています。しずかで、ひんやりとして、荘厳でかといって温かみがある、そんな空間のなか読書をする人やじーっと考え事をする人、もちろんお祈りをする人などが集まっています。そして観光客も。そして日本語版のパンフレットも置いてあるという親切設計。
 そのパンフレットには七十年前に工事が始められ、あと、五十年くらい完成にかかる、完成の暁には世界一大きな聖堂となる予定。(そういえば、つきの裏側並みにどうでもいいことですが、私の自宅に近くにあった立正佼成会の巨大な聖堂は今もあるんでしょうね?Xデーにあれは宇宙に旅立つとかもっぱらの噂でしたが・・・。あそこに迷い込んで、「ま、オウムと変わらんね」とつぶやいて石もって奇妙な集団におわれたのは、懐かしい高校生のときでした)そして、見るたびに思っていたことがあります。
 全然工事をしているようには見えないことを!
 そうです。50年かかるというのは、50年かけて完成させればいいかな、っていう気分でやっているからなんじゃないでしょうか?サグラダファミリアだってきっとそうよ。外枠はあるけど、いままで工事作業員の一人も見たことない。きっと最後の49年目あたりからスパートするんでしょう。





↑クリックでコメントが変わるよ

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永遠に工事中。誰かのホームページのよう。
外観はかっこいいことはかっこいい。

2005年01月19日(水)



 流行ってそうで流行っていない

 そこかしこで目にする、でも本当のところなんだか分からない。こういうものって多くありませんか?たとえば、テレビで有名だとすなわち、一般的に著名だ、といえるなんていうとぼけた事を真剣に考えている人もいるみたいですが、作家しかり、役者しかり、テレビで頻繁に取り上げられている人よりも遥かに部数が多く、優れた作品を作る人は沢山いるわけです。そんなことはちょっと専門的なことをしてみるとすぐわかるかと思います。もっといえば、テレビで取り上げられている割には果たしてどれだけの人がその人のしていることを知っているでしょう?大江健三郎、田中耕一がノーベル賞をとったことを知っているかもしれませんが、その「知っている」人の中で、どれだけの人が、彼らの作品や研究の内容を知っているというのでしょうか。いや、知らなければいけないというわけではありません。ただ、堂考えてもそれは彼らを「知っている」とはいえないはずです。
 そもそも、私の周りにテレビを見ている人がほとんどいない。なのに、テレビ業界の人に話を聞いてみると自分の取り扱っているメディアが一番だと思っている。そこに色々な解決すべきギャップがあるのでしょう。
 そして、これもその一つ。地下鉄の駅の看板に必ずあるけど、誰も見たことのない番組。少なくとも私がインタビューしたアメリカ人の中でこれを見た人は誰もいない。





↑コメントをクリックで変えてみよう

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誰もが、誰なんだ一体?と思いつつ、解決もせずに放置された結果、
日本で「全米大流行!」という不思議なヘッドラインをつけることになった例。
そりゃイチローの偉業もだれも知らない。

2005年01月18日(火)



 ほら、同じだ。

 さて、今日も図書館に通うことから私の一日は始まる。
 そして、やっぱりお昼ご飯になると、どこにしようかしら、一応は思案をめぐらすものの、混んでいて知り合いに会う確率の高いところに行くよりは、いつもの静かで綺麗なところで食べたいぞ、という気分が高まってくる。(いや、別に会いたくないわけじゃないんだけど、なんとなく面倒な気がするのです。わかる?)
 というわけで、足はいつもの方向に向いてしまう。
 ほーら、昨日言ったとおりでしょう。私はまだ中華料理屋に延々と昼食代を払い続けているのです。





↑味はまあまあだけど多すぎた。

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 丼みたいな気分ですね。
 だんだん飽きてきて最後食べる気がなくなっちゃった。
 これはもう注文しない。

2005年01月16日(日)



 毎日の昼食。ほんとに毎日。

 微妙なサブジェクトですが、私はここ三週間ほぼ同じレストランに通い続けている。おいしかったり、飽きなければ基本的に毎日同じでもかまわないんじゃないか?と思う私。思えば大学のころ、四年もあの大学のあの敷地にいたのに、昼食で食べたものといえば、「丸長」、「『ささき』の定食」、「大学のからあげ弁当」この三つ以外全く思いつかない。ちょっと面白い。思えば中学のころ、昼食で甘食以外食べたことないと思うし、高校はB定食以外食べたことないような。そんなこといったら中学高校通してゲータレード以外飲んだ覚えもないぞ。もっといえば、朝食に肉まん・あんまん以外食べた思いでもない。ところが、世の中には一生分のリミットというものがあり、どんなに好きで毎日食べていても、結局嫌になるときが来る。それが一生分の限界。たとえばこの国に来て実に七年ぶりくらいにゲータレードを買ったけど吐き気がした。飲みたくない。考えてみれば「ささき」の定食も、あの定食屋のおばさんをみるのがいやとかじゃなくて、もう、あそこででてくるキャベツのみじん切りすら食べたくないのだ。私には好物が沢山あるが、どんどんどんどんこうして嫌いになっていく。(ふぐを嫌いになるまで食べれたら死んでもいい、と思わずにはいられない。)
 そして、いま挑んでいるのはこのチャイニーズレストラン。大学の裏手にあり、安い上に綺麗、そして安い。人があんまり来ないので静かに食べられるし、味もそこそこ。ここ好きー(゚∀゚)
 今年に入ってから昼食はここでいつもたべているんだー、と想像してみてください。好物はホイコーロー、とペッパーステーキ。





↑クリックすれば明日幸せ。

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 このレストランもいつか嫌いになるんだろうか?
 これにいつも「hot and sour soup」を付けている。
 ちなみにこれは好物のペッパーステーキ。

2005年01月15日(土)



 木曜マーケット

 大学の脇を走るブロードウェイ。そのブロードウェイで毎週木曜日になると道路で市場が開かれています。売られているものは、どうやらNY州の近郊の農家で作られたものを直販しているらしく、干したトウモロコシなんていうアメリカ独特のものも見ることが出来ます。普通に、野菜も売っているけどね。アップルサイダーとか、ミルクとか、飲み物を勿論瓶でも買うことも出来るけどその場で飲むことも出来ます。マフィンとかと一緒にその日の朝食や昼食にする人も多いようだけど、私はコーンマフィンと、ミルクとアップルサイダーのどれも嫌いなので、ま、楽しげな雰囲気を見て楽しげな気分になるだけで済ませています。
 そういえばUnionSquareでもみつけたし、ColumbusCircleでもみつけた。NYの人たちは市場が好きなのかもしれない。





↑絶対クリック

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道行く人が白いビニール袋に野菜が詰まっているのを見て
私は、あー木曜日ね、と気づくのです。

2005年01月13日(木)



 隣に見えるあの人

 今は講義もとらずに一ヶ月間図書館にかよって勉強をしています。(テストの準備なのだけど)私はいつも同じスペースに陣取っていることは前にお話したとおりです。この部屋は基本的に蔵書のカードが収まっている部屋で、その部屋の中二階部分に作業スペースが設けられています。そのスペースからはフロアが見下ろせる。(手すりしかない)すると、向かいの壁際に座っている人しか見えないわけですよ。ふと顔を上げて、右を向けば京も誰かが座っている。休み期間中だというのに、毎日図書館に来て研究にふけっている奇特な人が居ます。それだけ、研究が面白いってことでしょう。楽しげに見えないから色々誤解が生まれるのかもしれませんね。(この人はまじめだ、とか)本当はただ自分が好きなことをしているだけなのに。ゲームやマンガを読むのと同じ要領であの席に座っているはずなのに。





↑コメントを変えてみよう

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今日は初老の人。大きな本を何冊も机の上に乗せ見比べている。
なにをしてるのかな?

2005年01月12日(水)



 そして何もない一月

 年末って考えてみれば、ハロウィン・サンクスギビング・クリスマス・ニューイヤーと色々なイベントが目白押しでしたね。小さなマンハッタンに住む人もそんなイベントがあればこそ、退屈せずに小さな島での暮らしができたというものでしょう。(思い返せば一年のうちにこの島を出たのは五回もないかもしれない)そして、年が明けて、一月・二月・三月。寒くなるのも勿論だけど、思えばなにもない。せいぜい、マジソンスクエアガーデンにNBAの試合を見に行く程度のものでしょう。でもNICKSは強くないので全然試合が面白くない。ニュージャージーまでバスに乗ってMETSの試合を見に行かねば楽しめない。観光客も途絶えがちなのでミュージカルのチケットは取れやすくなったかも。でも、いま、とても忙しいんだよね・・・。こんなときに限って。なんとかの法則を思い出す。OTZ





↑クリックすると悲痛な叫び

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私のアパートのロビースペースも、ただ椅子が置かれるのみになった。

2005年01月10日(月)



 気づいてみたら金曜日

 実は年明けから毎日図書館に通っています。学校もないし、することもないので、PCもってなんとなく勉強をしているわけです。すると曜日の感覚なんてほとんどないわけですよ。遊びに行くお金も最近ないので、図書館。まるでトレーニングのように(いってみればこれもトレーニングのようなものだが)その日決められたメニューをさくさくこなし、その間、ダウンロード状況をチェックし、その日の昼食と晩御飯・おやつなんかを思いながら勉強に励むわけです。スーパーの閉店ちょっと前くらいに図書館を出て、夕食の買い物をし、帰宅。家事を済ませつつ、夕食を作り、その日にダウンロードした「プロジェクトX」に涙しつつ食べるか(ほんとは泣いていない)か、「マネーの虎」に憤りつつ食べるか(ほんとはどうでもいい)するわけです。(最近はこれを見てるっていうだけでこの前は「プラネテス」だったり「攻殻機動隊」だったり「ナイナイ」だったり)
 ま、一日の大半をこの椅子とこのスペースで過ごしているわけです。図書館の三階、中二階部分の右列の二番目のスペース。ちょっと記念に撮っておきました。





↑ミステリー

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今は学期の境なので(冬休み中)空いていてとても使い心地がいい
最近ダイエットペプシも飽きてきた。

2005年01月07日(金)



 安全なNY

 危険なイメージが延々と付きまとっていたNYですが、どうやら全米で五番目に安全な都市だそうです。そりゃあんだけ人がいれば犯罪は起こせそうにないんじゃないか?と思うのですが。十年前はタイムズスクエアも、地下鉄も、ミートパッキング地区も、ブルックリンも、ハーレムも普通の人は近寄りもしなかったらしいですからね。そんな危険だったエリアもジュリアーニ市長の浄化作戦の成功によって本当に安全になりました。誰も近寄らなかったせいなのか、昔からの光景がそのまま残っており、それを利用したブティックや家具屋、レストランが立ち並ぶようになってきました。外套に照らし出された石畳の残る(ハイヒールには地獄以外なにものでもないらしいけど)街並みの中レストランから出てきて満腹感や酔いを醒ますのに散歩、そしてタクシー・サブウェイで帰宅。そんな楽しみは安全が回復されたおかげなんですよね。





↑くりっくくりっくくりーく♪

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何十年も前の面影を残しながら立ち並ぶ。
この裏はイーストリバーからマンハッタンを望む公園になっている。
そしてそこから水上バスで対岸に渡ることも可能。

2005年01月05日(水)



 昨年のこの日

 実は昨年のこの日は私がNYに降り立った日なのです。一周年記念。万感の重いとは裏腹に、日本で応援してくださった友人など後ろ髪惹かれる思い出JFK空港からタクシーでマンハッタンに向かったのを覚えています。亮に到着し手続きを済ませると、実は何もない部屋で、急いでその日寝るための準備をしたものです。その日は確か、コートを二枚重ねて寝たのでした。(暖房も満足でなかった)翌日Kマートに布団とシーツを購入、しかも雨の中ずぶぬれなりながら帰ってきたものです。数日間はベーグルだけで過ごし、これで大丈夫なんだろうか?と不安だった気持ちは今も忘れません。
 一年がたち、日常生活習慣も英語での生活にもなれ、やはり私を支えてくれるかけがえのない人たちと出会うことが出来ました。それでもやっぱり日々連絡やメールを絶えず送ってくれた日本の人たちは、私にとってどれだけ支えになったことでしょう。そしてそんな大切な大切なつながりを一番支えていたのはこの携帯電話。j-phoneで唯一北米対応、第三世代・第二世代両方に対応し、テレビ電話も可能にしています。いずれにしても30年以上前に父がこの国に留学したときは隔世の感があるのでしょう。ちょっとこの携帯に感謝。だから一年目の記念に、この携帯電話の画像を。





↑クリックしてコメントを変えてみよう

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よくがんばってくれた。
これが私と日本を繋げていたボーダフォン。
(まるでボーダフォンのCMのようですな。東くん。)

2005年01月04日(火)



 クリスマスの残骸

 有名どころのツリーは延々と残っていますがいつ片付けるんでしょうか?(ロックフェラーセンターとか)ま、見に来る人がいるんだからそれでもいいかと思いますが・・・。新年四日あたりから大きなビルにあるツリーなども片付けられ始めていると聞きますが。
 去年お話したとおり、なぜかNY(というか、アメリカの人)は本物志向らしく、モミの木もわざわざ山から切り出してきた本物を露店で買っているようです。もったいないな、と思っていたら本当にもったいないことを。路上や公園に使い終わったモミの木がわらわら街にあふれております。それを回収するトラックにはまるでヤマアラシのように膨れ上がった荷台が・・・。。゜(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
 一抹の悲しさと新年が始まる気分が入り混じります。





↑コメント変わります。

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毎日うずたかく積まれている。
まだ青々としているのが余計痛々しい。

2005年01月03日(月)
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