NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 そして新年へ

 NYの新年・クリスマスをぜひじかに見てみたい、と思ったことが年末年始に日本に帰らずにいた理由です。そして私はそれをつぶさに見ることが出来ました。ニューイヤーは私は予約した大好きなレストランで過ごすことに下のですが、カウントダウンを共にはじめようと、レストランもシャンパンを提供し、不思議な被り物やクラッカー、笛、おもちゃなどを用意してくれて、ジャズのバンドがその瞬間を盛り上げてくれました。アメリカらしいとてもいい新年を迎えられたと思います。
 日本のように「ゴーン、ゴーン」と除夜の鐘と共に静かに新年を祝うのも一つですが、カウントダウンを皆でして新年の到来を拍手で迎えるのもまた一つだと思いました。そしてそれを生でしかも、NYで過ごせたことはなかなか幸せなことだと思いました。
 2004年はHPを中心に本当にお世話になりました。2004年途中からはじめたこのコーナーも前回のコーナーより好評をいただいているようですし、(ところが、初代「おやすみICQ」よりは・・・(つд⊂)ま、気を取り直してもっと沢山の人が着てくださるよう更新を頑張ろう!来年は。)なにより、応援してくださる声が届くことだけでも私にとって一人この国で過ごすことの糧になっておりました。
 2005年、果たして私はNYに居続けるのか、それとも、この国にすらいないかも知れません。そんな先行きの不透明感は新年を迎えるに当たって、否、この数年間の新年を迎えるたびに私の心にまとわり着いた不安でもありますが、そもそもその年がどうなるか、どう終わることになるのか、なんていうのは不透明感の程度の差でしかなく、いずれにしても誰にも分からないわけです。ただ、目の前にある時間や責務をこなし、ふと顔を上げてみると友人との語らいが会ったり、心安らかにしてくれる芸術に触れたり、その連続の上で幸せと不幸が巡ってくるわけです。それでもやっぱり私は横を向けば私の大好きな友人が共に頑張っていてくれることを望んでやまないのです。そうすれば私だって頑張れそうな気になりますものね。
 2005年、いい年になりますように。

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誰なの?この人たち?わからないけど、
ま、目出度そうだからこれで新年を祝うことにしました。

2004年12月31日(金)



 寒さ対策の一こま

 NYは寒くなるときは本当に想像を絶する。そりゃ氷点下なんてお手のものです。それがマイナス二十度とかになってしまうから凄い。ま、そこまでなることは稀ですが、それでも日中で氷点下五度なんてのは冬は普通です。夏の時分は、デリの店頭で売られている果物や野菜、花これらは腐らないように氷を常時張っておくのは大変なことだと思っていました。そして、冬になってみて思ったのです。これら普通に凍るよね?と。やっぱり私が心配する前に対策は採っていたみたいです。
 店先にビニール製の蚊帳を張り巡らせ、その内側にはヒーターを設置するというわけです。これで中は氷点下にはならずにすむ。つまり、商品を凍りつかせずにすむというわけです。なるほどね。その日の気温によってこの「蚊帳」をだしたり、ださなかったりするようです。これがお目見えするのもNYの冬の一こまなのかな、と思ってしまいました。





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まるでお店が外套を着ているよう。

2004年12月27日(月)



 カルガリーでの名写真

 ちょっと発見したので紹介させてください。
 私がカルガリーに行ってきたのはご存知のとおり。そこで写真を整理しているととても面白い写真を発見しました。
 後ろに移るのはオオカミです。イヌガミさまかもしれません。(イヌガミさまはもっと大きいし、モノノケヒメを乗っけているはず。)なんとなく写真を撮ってみようとしただけなのに、なんでしょうこのカメラ目線。カルガリーの動物園の動物は客もなく、豪華な環境でとても幸せな動物園の動物だ、と思っていたのですが、こんなところでファンサービスをしてくれるとは・・・。





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携帯で撮影したため画質はよくない。

2004年12月26日(日)



 クリスマスツリーの下で

 世界一有名なクリスマスツリーといえばロックフェラーセンターのクリスマスツリーですよね。本当は紹介使用かどうか迷ったのだけど紹介させてください。来年もし、この国にいるとすればこんなべたべたなことはしません。でも、世界一有名できれいで大きいだけあって、いろいろな人がこの木を見に訪れます。遠めで見ていると、いろいろな国の人がその木下に集って笑っています。なかなかほほえましい光景です。有名だからといってそっけないわけでも、派手派手しいだけのものでもなく、実は暖かな気分にもさせてくれるクリスマスツリーでした。
 





↑意外な秘密が明らかに

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電飾が何万個も取り付けられとてもきれい。

2004年12月25日(土)



 クリスマスイブ

 日本にいたときは、クリスマスイブに彼女・彼氏と過ごさないなんて、なんという寂しいことでしょう・・・、というプレッシャをひしひしとテレビをはじめメディアは人々に与え続けていたように思えますが、ここではなんだか、盛り上がりは見せているものの、それは一月以上まえからのことで、そこに変化は見られないようにも思えます。(日本にいたときから私はこれに意を解した覚えもありませんが・・・。)あと、日本ではイブのほうが本番よりも盛り上がりを見せていたように思えますがどうでしょう?
 本物志向なのか、NYの街角では、まるで正月の松飾が道端の仮説店舗で売られているのと全く、本当に全く同じ要領で、モミの木が売られていました。これにはびっくり。本物のモミの木だけに近くを通ると木のいい香りがしたものですが、売れ残りまくっていましたし、どうせ25日過ぎたら捨てられちゃうんですよね。ちょっともったいない気がします。
 ということで、我がアパートの玄関にあるツリーを紹介してイブは終わり。
 





↑意外な答えがあります。本当です。

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実は従業員の人じゃなくて、業者まで呼んで設置されたツリー。

2004年12月24日(金)



 馬と警官

 いままでずーっとNYにきたときから思っていたのですが、あれは、観光用だと思っていました。ところが、実際自分が群集となって、交通の妨げになるくらい道路にはみ出てみて、コレで交通整理をされてみると効果抜群なことが分かります。決してみな、近寄ろうとはしませんし、わらわらわらわらと、まるで光を当てられた団子虫のように群集はよけ始めます。( 私はデモっていたわけでもなんでもなく、ただ千秋楽でヒュー=ジャックマンの出待ちをしていただけなのですが・・・)
 そう、騎馬警官です。そこらの馬車を引く馬と違って小柄でスラリとしていて気品高い。そして糞をしない。警官のことを良くきく。他人がナデナデしてもあんまり気にしない。(その点、警察犬をなでさせてもらったときにはごろごろとまるで猫のようにタレておりました。)
 





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尻尾の先まで手入れが行き届き大変美しい。

2004年12月23日(木)



 極寒到来

 あれ、朝から雨かー、へー。
 そして夜になって雪になっている。
 そして朝になっていつもどおり、ネットで気温を見てみると・・・マイナス13度。

 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
 
 極寒です。二十分以上野外活動ができない世界へと変わってきます。
 一番最初にすんでいたところは、ハドソン川が見渡せ、その氷具合でその日の気温を見ていたのですが・・・。Tシャツにトレーナ、ロングコート、マフラーそれだけでは明らかに不十分。さて、この上どうしろと?
 毎日着るものに気をつける季節です。それは人目をはばかってのことじゃありません。どのようにしたら凍えないですむか?ということです。
 





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自室の窓よりブロードウェイを撮影。
見るからに寒くなっている。

2004年12月20日(月)



 カルガリーの事の顛末 その4

 前日、朝のの九時までおきていたので、非常に眠い十一時の朝。二時間しか寝ていないのか・・・。色々準備をしていると十二時になる、荷物をまとめて、空港に向かうことにする。そう、いよいよカルガリーを出発してNYに帰ることにする。
 公共交通機関を使えば安く、空港までいけるかもしれない、と思ったのだけど、郊外まで延びていて田舎にしては充実している交通網も実は、ダウンタウンから空港までは延びていないことに気づく。参った。(これで何度目だ?)
 タクシーで向かうことにするのだけど、とてものんびりした運転手だった。途中、牛さんや馬さんが住宅街の中にある広大な(←変?)牧場でのんびりしている。初めて馬が寝転んでいるのをみた。大丈夫なのかな?
 ブリトニー=スピアーズのクリスマスソングにのりのりな運転手さんが、ついに空港に届けてくれる。空港のセキュリティを抜けるのに、いつもと勝手が全然違う。空港カウンターでチェックインを済ませると、預けるべき荷物をもったまま色々なコーナーを廻ることになった。というのも、合衆国の通関チェックをカルガリー空港内で済ませるシステムになっていたのです。ビザやI-20のチェックを受けるのにそれなりに時間がかかったけれども、なにしろ乗客の分母自体がすくないものだから、列にいる人数も二・三組しれたもの。さすがカナダ。これが成田やNYだったらこれだけで疲れるんだ。
 ところが!くじ運が悪く、ランダムセキュリティチェックという、飛行機に乗る際のチェックで厳重なものにあたってしまう。アメリカの係官と違ってカナダの係官の対応や言葉遣いが丁寧だったのでそれなりに悪い印象を持たなかったのですが、検査官二人、その証人一人、火薬探知犬一人(実は一匹だ)に取り囲まれる。でかでかとこの人は「くじ運が悪く訓練に参加させられているんですよ!」という趣旨のカードを持たされているので、みんなかわいそうに・・・という眼で見てくれていた、と思う。きっと、そう。
 いよいよ、またちっちゃい飛行機に乗ってカルガリー国際空港を離陸。上空から見るカルガリーの街は思ったよりも大きく、整然としていた。「あ、あの川の中州にある動物園にいったんだ!あのあたりがカナダ動物ゾーンで、あのあたりにアフリカ動物ゾーンの建物があって・・・、カバさんはあそこで泳いでいて、あの変のゲート前の檻に虎さんがネコネコしてて・・・」なんてことが想像されてちょっと寂しい。きっとこの次あの子達と会うのはひょっとしたら何十年後、いや一生ないかも知れない。(スキーが死ぬほど好きなのできっとあるね、この街に来ることは。そしたらまたあの動物園に行こう。25年目の誕生日を一人で動物さんたちと過ごしたあの動物園に。そのときは誰かと一緒かな?その人にその日のこと話したら笑ってくれるかな?)
 「ばいばい、動物さんたち」

 この写真のように、川の中州の大きな島に動物園が作られていた。
 そんな哀愁を漂わせながら飛行機の窓から去り行くカルガリーの街を眺めていたら案の定睡眠不足からすぐに寝てしまった。となりには、やっぱりブリトニーそっくりな格好をした若々しい高校生か中学生くらいの姉妹を連れた(あと、典型的なデブ息子)ダンディで細みなお父さんだった。ちょっと話したけどとても気のいい人だった。あの人はどこに行くんだろう?っていうか娘たちに慕われまくっていた。お父さん冥利に尽きていることでしょう。
 (たしか、私だって高校三年生の女の子から「kiyoくん」呼ばわりされた。先生冥利に尽きた、気分でいられる。あの時はまだ24だったから、もう無理なのか?)
 行きより遥かにつらくない空のたび。所要時間を知ってちゃんと覚悟しているとかくも楽なものか。とりあえず、『Φ(ファイ)は壊れたね(森博嗣、2004年)』を一冊。約三時間の旅。
 ミネアポリスに着く。行きは、深夜だったせいか、閑散としていたけど、到着したのが六時ころ。結構賑わいを見せている。いずれの店も、ハンバーガーしか売っていない。羽田空港に蕎麦屋は何十軒もないぞ、なのに、どうしてアメリカはハンバーガとサンドイッチ屋が軒を連ねているのだろう。
 飛行機の中で、カルガリーの空港で買ったアンガスビーフハンバーガを食べていたので、全然空腹じゃない。(「ハナドアンペコッパー!」@韓国語)

 このような店しかないのが不思議だ。選択の余地がない。
 次のゲートは・・・、「C1」。空港でこの名前を聞くと輸送機か?と思われるかもしれませんが決してそんなことなく、ただのポート番号です。
 アメリカでもそうなのか。ちょっとがっくりきましたよ。覚えていますか?行きにカルガリーに乗ったときはポートは「C28」で行くのに空港内列車に乗り、延々歩き、二十分かけてたどり着いたことを。
 それがどうでしょう。NY行きとなるとC1ですよ。中央玄関から徒歩五分。大都市と地方都市を差別することを君はここでもしているのか・・・、とちょっと憤る。
 羽田よりあからさまじゃないし、苦労が少ないのがまだ救いがあるといえるでしょう。伊丹・関空・千歳・博多行き以外はすべて沖止めか、最果てのポートに回される。長崎・香川に行くことが多かったのだけど、いままで沖止めじゃなかったことなど一度もなかった。
 ターミナルが増設されたということですが、到着便はまだまだバス移動らしいですよ。アメリカは料金でしわ寄せしていないっぽい感じがするので、はるかにましといえるかもしれませんが・・・。

 やっぱり乗り込む飛行機を撮影してしまった。
 雪かなにかの影響と、滑走路の混雑で出発遅れるも、NYに向け出発。超満員。まいったね。乗客層がNYっぽくなってきた。つまりはNYでの役割といえば、ゴキブリとも奴隷ともつかない中国人・ヒスパニックの割合が俄然増えた(殖えた)ってところでしょうか。白人は細くなり、ちょっとおしゃれになり、偉そうになる。もしくは、偉そうぶって、実は全く会社で偉くないことがその外見から分かるような白人が増える。
 おー、NYに帰ってくるのかなーって思った。
 となりの席に座った外人と話に花が咲く。なんでも、来月日本に行くから教えてほしいとのこと。(ほかにも色々話したけど。)本当はお勧めレストランもっとあったが、見つけるのは難しいと思い、しゃぶしゃぶの「瀬里奈」、寿司「松風」、会席料理「吉兆」を教えておく。きっと、従業員も英語を話せるでしょう。逆にNYのお勧めイタリアンで知らない店を教えてもらう。なるほど。袖刷りあった。
 二時間半くらいのフライトの後、ラガーディア空港に到着。

 うーん、一応マンハッタンの夜景なんだけど良く見えないね。ごめんなさい。
 帰りはバスで、と意気込んでいたが、もはやその気力もなし。迷うことなく、タクシー乗り場へ。タクシーの中で日本に到着の報告の電話。
 自宅に着くと、誕生日プレゼントやカードを届けてくださった人が多くいることに気づく。多謝。感激極まりない。
 すぐにでも会える人は、プレゼントをあけずにそのままとっておくことにしよう、と思いとりあえず記念撮影。

 私のこと少しでも覚えていてくれる人がいるのはやはりありがたい限りです。
 そんな幸せ感と疲労感につつまれながらすぐにシャワーに入り寝る。本当に良く眠れた。なにせ、起きたら日が暮れていた。OTZ
 というわけで、カルガリー事の顛末シリーズはおしまいおしまい。





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2004年12月16日(木)



 カルガリーの事の顛末 その3・そして誕生日。

 実はもうカルガリーにきて三日目。実質、深夜到着だったから二日目といったところでしょうか。とはいえ・・・、目的は果たしてしまい仕方が無いので市内観光。何をしようかと思案していたら、動物園があることに気づく。しかも結構大きそうな動物園。ブロンクス動物園とまでは行かないけれども実は有数な動物園に入るのではないかという規模で本当に幸せな一日を過ごさせてもらった。
 朝食をとり、タクシーで動物園に。空港からの道すがら見つけていたのだ。タクシーで行ったのが後々大きな問題を抱えることになるとはこのときまだ知らない。気温は零度くらいでしょうか。日中ですし。影に入るととても寒い。久しぶりに凍った川を見る。あー、そろそろハドソン川も凍るころかしら、などと遠くNYに思いをはせてみたりしないでもない。
 
 結構大きな石を投げてみても割れないくらい凍っている。
 っていうか投げた私が面白い?
 動物園にはいると閑散としている。いや、施設自体は充実しているのですが如何せん客がいない。幼児を抱えたお母さんやお父さんが大半を占める。
 次々と動物を見ていくが、柵の前でジャンプしたりするとそれなりに反応を見せてくれる動物たちがかわいい。
  
 こんな感じで「なに?」っていう気分で反応してくれる人が居ることは嬉しい。
 っていうか何をしているんだ私?川に石抱えて投げた次は動物の前でジャンプ・・・。そうだ、この日は確か・・・、いや、忘れておこう。
 人気者の動物の前には数人人がいることもある。そして人気者はたいてい垂れているか、態度がでかい。これは世界各地の動物園で言えることだと思った。
 
 
 このように、ゴリラさんたちも寝そべっている。こうも、だらけていいものか?というくらいだらけている。実は私は普段これだけだらけているのかもしれない?と深刻な課題を突きつけられたように見えたけど、次の動物に集中集中。それを真上から撮影。
 室内施設がとても豪華で充実しているのがいいですね。そりゃ、極寒の地にある動物園だからでしょう。室内をキリンさんやダチョウが駆け巡っているのを見たときは結構笑った。
 そして、室内にカバもいる。
 
 
 じゃん。室内の設計といい、柵内の施設といい、観察するためのスポットつくりといい、田舎にあるとは思えないくらい素晴らしい動物園。やっぱり無駄でもいいから公共事業はこういうことしてほしい。
 カバさんが泳いでいる姿を水中から観察できるとは・・・。
 カバさんの体は馬鹿にされるほどやっぱり愚鈍ということばにつきるけど、すいすい泳いだり、水中に十分くらいもぐり続けているのを見ると実はすごい人なんだ、と思った。(そう、私はカバさんの前で十分くらい観察していた。あーあ。私は○○日に何をしているのやら・・・。)
 
 
 中から見るとこんな感じ。本当にカバなんだなーって思う。
 ひたすら、動物保護を訴え、教育するためのプログラムがいくつも用意してあり、説明員がかしこに配置されているのはアメリカもカナダも変わらないらしい。カナダだとトレッキングしながら動物観察、そのほか生態系全体について教育をさせるプログラムも用意してある。もし、万が一私が結婚して子供が出来ることになったらこういう機会を提供してあげたら面白いのかもしれないと思った。ちょっと羨ましい。今度来るときはこれに参加してみようと思った。(いや、もうこないかもしれない・・・。自信が無い。(#゚Д゚))
 カナダ動物ゾーンへ・・・。かれこれ数時間歩いて疲れた。
 やっぱりカナダといえば、オオカミさんが見たいですよね?犬神さまだー!!きゃー。
 やってることはうちのゴールデンレトリバーとあまり変わらないくらいだらけている。でもやっぱりかっこいい。基本的に犬だけど誇りを感じる。
 ところが!!!
 
 一人、げーげー何かを吐いているじゃないですか!!
 「大丈夫?」って日本語で話しかけても無視された・・・。OTZ。「Are you OK?」も無視。OTZ 何か変なものでも食べたんでしょうか?っていうか、オオカミさんって絶滅しそうなんだよね?そんなんで大丈夫なの?と思ったけど、次に進んだ。
 そこで気づいたことがあります。オオカミさんがいたところ、実は看板に「Black Bear」と書いてある。つまり、ここには本当は熊がいたというわけです。この動物園。かなりの柵が空室でした。そっかー、みんな冬眠とかしているわけね。そりゃ、留守が多いわけだ。無駄に動物を探し続け、諦めること数十回。さすが25年目の私は5年前も、10年前も15年前もおんなじくらい無駄なことをし続けている。さすがに10年前はもうちょっと有益なことにエネルギーを使っていると予想したけど、大して成長してなかった。
 カナダゾーンは、檻の中の風景が外と変わらないんですよね。そりゃそうだ。ここはカナダでカルガリー。ちょっと外に行けばこの人たちわらわらいるんだろう。
 家族で旅行していたときに良く見たことあるぞ。と思いつつ、山羊に見下ろされておりました。
 
 
 動物って偉そうなところがかわいらしい。
 体も心から冷え切ってそそろつらくなってきたけど、どのカフェも閉まっている。開いていたのは一軒だけだろうか。暖かいものでも、と思ったけど自販機には普通に冷たいものしか売っていない。
 また、 OTZ か・・・。
 やけになって氷の壁で作られた迷路に。
 そらがあまりにもきれいで見とれる。
 
 その辺のゴミ箱にカメラを置いてタイマー撮影。
 いやー楽しい。こういうのをしたくてわざわざ滞在を誕生日にあわせたのかもしれない。またやろう、と誓う。
 隈なく歩き回り、帰ろうかと思ったところ一番最初に会った虎さんが元気になっている。夜行性でしたっけ?さっきはハンモックで背中を向けて寝ていたくせに。
 よく観察しているとやっていることは猫と変わりない。
 
 多少サイズが大きいだけ。爪を研いでいる。
 にゃーって鳴け!って思ってずーっと見てたけどあんまり鳴く様子は無かった。
 
 
 そう、今日も私は遠い空の下、一人動物園で過ごしておりました。
 バカンスといえばバカンスなのかもしれない。私と同じ誕生日の人が地球上でどれくらいいるか計算したことがあったけど忘れました。
 遠い空の下、今日もまた誕生日がめぐっている。毎日がどこかの空でハッピーバースデー。ささやかな幸せを繰り広げ、時間は過ぎていく。
 っていうか。。。どうやって帰るの?
 行きはホテル前にタクシーがあったからいいようなものの・・・。一体どうしろと?
 動物園のゲートの人に「どうやってダウンタウンに行けばいいのですか?」
 と、聞いたところ(あ、英語でね)、なんたらドライブを右に折れて・・・と道路の説明をし始めたので、いや、車じゃなくて・・・。
 「あー。橋を渡って右に行けば駅が見えるよ」
 といわれる。予想はしていたけど、遠い。右に行けば見えるかもしれないけど、見えたのは線路のみ。線路沿いを延々寒空の下歩き続ける。
 やっと、駅が見えた。多少感動した。まるで熊さんがでんぐり返しを私の前でしてくれたときのように感動。
 どうせ、NYの地下鉄の百分の一くらいのダイヤで運行しているわけでしょ、と諦めたけど、結構早く来た。十五分くらい。
 通勤・通学にも使われているみたい。カルガリーの町の規模から言えば、金沢とかそんな感じなのかもしれないと思った。
 電車に揺られ、最寄り駅に到着。近くのショッピングモールで紅茶をすすり、ホテルに帰る。
 
 そう、実は今日は私の誕生日。12月15日。
 嬉しくなくなったのは何十年前からだっけ?嫌になったのは18くらいからだっけ?他人のバースデーパーティに出るのはとても好きなのに。いいね。一人、誰も知らないところですごすバースデー。最高。誰も知らないところに、しかも結構地の果てっぽいところで過ごすのが好きなのかもしれないと思った。

 とはいえ、おめでとうメールを下さった方、有難うございます。わざわざ画像を作ってくださった方がいらしたので、一時的にアップデート。感謝に尽きます。
 確か去年の今頃はなにをしていたっけ?鳥取に行ったんだっけ?忘れちゃった。来年は何をしているんだろう。っていうかどの国にいるのかな。来年こそ、一年振り返って後悔しないでいられるのかな?いや、そんなのつまらないな。
 そんな気分でやはりショッピングモールで買ったベトナム料理をホテルの部屋でつつく。
 そんな討ち入りの翌日。あーあ、歳取っちゃった。

2004年12月15日(水)



 カルガリーでの事の顛末 その2

 翌日、六時半に起床して、朝食をロビーでとる。やっぱりカナダに来たのだから、パンケーキにメープルシロップを食べた。いや、まあ普通なのですが・・・。心持、メープルシロップの粘度が普通より高いのかもしれない、と思われるくらいです。
 書類その他を確認し、いざ領事館へ。地図で見ると歩けないことも無いけど、路面電車を利用するのが一番らしい。乗り方も分からなかったけど、とりあえず乗り込んだ。ただ乗り?7時50分現着。八時から列に並ぶ。事前の情報収集の結果、九時半の予約だろうと早い者勝ちのように聞いていたので、一回ロビーで列に参加。六人目でラッキー。八時半から営業開始とかいてあったが、実際には八時二十分から警備員がやってきて六人ずつ十階の領事館のフロアに案内される。警備を潜り抜ける段階で、前にいたヒップホップな感じのあほ丸出し日本人がもう一度来い、といわれている。ちょっとおもしろい。バックパックは持ち込むなと書いてあるのに、電子機器からジュースからその他禁制品を満載したバックを下げてくるとは・・・。サムライだ。そしてむなしく去っていった。
 どきどきしながら書類確認、その十分後くらいに面接。やりとりとしてはそれほど難しいものではなかったけど、用意していった準備書類は全部目を通された。(必要なものもあれば、十分なものもあるので、全部が全部必要とは本来限らない。)面接官に、ちゃんとしているので三時にパスポートを取りに来るようにといわれる。
 三時まで緊張して何も手がつかないので、とりあえずホテルに戻ることに。『刑事たちの夏(久間十義)』を読み終える。うーん、高杉良もそうだけどさ、いや、内容としては良いのです。それなりに登場人物も魅力があるし、リアリティがあるし。ただ、リアリティを追求しすぎると、実は物語のようにふたを開けてみるとびっくり、ってことがないんですよね。ふたを開けてみると、あーあーなるほど、そうね、っていうくらい。お〜っていう驚きや感動が無い。そこが難しいところ。いや名著だと思いますよ。
 そんなこんなで二時になったのでまたホテルを出発。本当は空腹で死にそうだったのでどこかでご飯を食べようとしてたのだけど、半年油も変えてないんじゃないかと思えるくらい古くて閑散とした飲食店が多いので、どれも躊躇する。結局、その辺の売店でコーラとキットカット。これじゃ、いつもと変わらないじゃないか!
 三時になりまた列に並ぶ。お、ヒップホップがいるじゃないか。並びなおしたらしい。ご苦労なこった。さすが日本パスポートこんなアホでもビザをgetできるとは。年間数兆円もアメリカ国債を引き受け続けるとこういうラッキーもあるのか。
 念願のビザを受け取る。写真移りがいいものになり多少嬉しい。ところが、申請した最低限の四ヶ月しかもらえず多少挫折する。OTZ・・。時間と金をかけてカルガリーくんだりまできて四ヶ月か。東京戻って五年もらえるのとどちらが良かったのだろうと多少逡巡してしまう。
 気を取り直して、市内観光へ。とりあえずチャイナタウンへ。やばい。10軒かそこらの中国店でチャイナタウンを名乗っているらしい。ちょっとしたチャイニーズショッピングモールができていたのだけど、結構店が無い。空き店舗もちらほら。
 やはり昼食をとるチャイニーズにためらいまくる。いや、この店は・・・、あの店もやばそうだ・・・。などなど。
 結局モールの中の韓国レストラン「KIMCH・USA」と中国レストラン「DRAGON」とで迷いDRAGONに。
 どっちだって一緒だ。
 
 店内はこんな感じ。寂れ具合がシャッターチャンスだと思った自分が面白い。
 寒いのでスープを注文したら小さいのを頼んだはずなのにバケツででてくるし。ペッパーステーキも意味無く鉄板と料理と別にして持ってくるし。結構高い。10ドル。NYじゃないのに。
 韓国人向け英語学校を発見。友達の韓国人に紹介してあげようかしら。
 何度目かの気を取り直してカルガリータワーに上る。一瞬で飽きる。
 だって、一面荒野なんだもの。67年完成とあるけど、きっとそのときから風景は変わっていないね。
 
 ま、エレベータを降りたときに一面に地平線が広がっているのは感動しましたよ。
 カルガリーで初めて。
 ここに、空軍基地のひとつでもあれば私の気もまぎれるのに・・・。これからあさっての夕方まで私はこの街で何をすればいいのだろう、と悩んでいるうちに夕日が見える。
 
 撮影。きれい。遠い空の下、私はここにいます。
 あなたもこの空の向こうでやっぱり朝を向かえ、一日の営みをはじめ、友達と語り合い、遠い空の向こうにいる友達たちを思い出しては同じように思いをはせているのでしょうか?
 朝早かったこと緊張したこともあり、また何よりも市内を歩き回るのが一時間足らずで終わってしまったため、ホテルに帰り読書。その内に寝てしまった。
 ホテルの「氷はいりませんか?」という激しいノックによりたたき起こされる。おい!!すぐそこにアイスマシーンがおいてあるし、自分でとりにいけるよ!かなり不快になり、また寝るのもなんなのでパソコンに向かう。無線LANが入っているのに感動。
 そのうちNINTENDO64でマリオゴルフをトライ。結構面白い。PSP欲しい。ヽ( ゚д゚)ノクレヨ
 そうこうしているうちに夜中に。ご飯を食べに行こうと思ったら十時で全部店じまい。怪しい日本食があいているが、やっぱり「こんにちは」と書いてある扉を見て、意味不明になりやめた。ホテルでクラブハウスサンドのルームサービスを頼む。
 
 それがこれ。
 ポテトが美味しかった。ほかはまずかった。
 そして日がな一日パソコンのハードディスクの整理や映像・画像ファイルを見て楽しむ。
 





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2004年12月14日(火)



 カルガリーでの事の顛末 その1

 カルガリーに出発することに。自宅よりタクシーでラガーディア空港へ。JFK空港よりよほど近くて便利さを実感する。とはいえ、夕方の便ゆえ、帰宅ラッシュに巻き込まれ多少時間はOKかとあせる。
 厳重なチェックを抜け、飛行機に乗り込むことに。NY→ミネアポリス行きの飛行機はほぼ満席。飛行機内で、ミネアポリスが全米一ともいえるくらい巨大なハブ空港なことを知る。(後で聞いた話だと、どうやらノースウェスト航空の本拠地らしい、なるほどね。)寝ても寝てもミネアポリスに着かない!意外と時間がかかることを知る。もうその時点でくたくた。食事サービスも有料でわざわざまずいものを食べることはないと我慢したのだけど、空腹でつらさも倍増。こういうときに限って腰痛が悪化。
 ミネアポリスに着くとそこは厳冬の世界。カルガリーにトランジットするのは私くらいなものか?カウンターで聞く「C15」ポートに着くまでに徒歩二十分以上歩いたぞ!結局深夜の閑散としたターミナルで数件あいているハンバーガショップでハンバーガをつまむ。興味深いのはミネアポリス空港内の案内表示が英語と日本語であること。NYだと中国語とか韓国語なのだけれども・・・。日系企業が多く入っているんだろうか?最近のアメリカは中国人労働者に加えて韓国人労働者も増えましたよね。結局労働者だから韓国のGDPとGNPって日本ほど差が無いんですよ。海外進出する種類が日本とほかのアジアの国では圧倒的に違うことを思い出す。どうりで日本人にはそこかしこで愛想がいいわけだ。

 このように英語と日本語。なぜだろう?
 ノートをひろげてメールチェックをしているうちに、離陸時間になる。三時間も空港内が巨大だと意外とすぐにたつものだと実感。カルガリー行きの飛行機をみて、ひさしぶりに小さい飛行機に乗ることを思い出す。

 こんな感じ。海上保安庁のアルファ7000よりも大型か?ビジネスジェット新鋭だけあって乗り心地は747の旧型よりよほど良い。(゚∀゚)
 そしてまた数時間機内の苦痛を味わうことになる。こちらもほぼ満席。本を読んでも、寝てもつかない。日本だったら東京大阪なんて一時間ちょっとだっていうのに。そういえばソウル−東京もそうだ。どれだけ広いんだろう・・・と改めて、そして数十回目の実感をする。下を見ると思い出したかのようにぽつぽつととても小さな町明かりが点在している。荒野と森林しかないのだね・・・。ランディングに入るのも小型機だから滑走路が見えてからで十分らしい。旅の疲れからか、何も無いカルガリーの町明かりを見ただけでも多少感動はひとしお。
 

 ま、NYだって空から見れば町の色は一緒なのよね。
 空港に到着したのが十一時。NY時間午前一時。税関を通過するのに少し戸惑う。なんせ、こんな片田舎にビザの更新のためにわざわざ来る日本人などいないのだろう。係官だって、ビザ切れているのに米国内にとどまれるのか?なんて聞いてくるし。ま、ここは日本パスポートの出番ということで、どんな通関だってスルーできてしまう。
 不安だった荷物も無事ミネアポリスで移し変えてくれたらしい。この辺がアメリカですよね。ヨーロッパだったら半ば諦めなくちゃいけない。
 くたくただったので、別段考えもせずタクシー乗り場に直行。運転席と後部座席との間に仕切りが全く無いタクシー。荒野の中を走りぬけダウンタウンへ。タクシー料金がNYより高いんじゃないか?っていうくらい高額で多少びっくりした。
 チェックインのときに明朝行かねばならぬ、アメリカ領事館の位置をフロントの人に聞いて、部屋に入る。
 なかなかいい部屋でちょっとハッピーになる。
 
 ちゃんと作業が出来る机と椅子があるのがいいんですよ。
 テレビで、どうやらNINTENDO64ができるらしい。ラブホテルか、ここは。
 バスローブもついて快適なのに寝付けない。それは暖房の操作の仕方が分からず、寒くて眠れないからでした。参った。





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2004年12月13日(月)



 トナカイ出現

 世界的有名なオークション会社といったら、クリスティーズとサザビーズ。実際に中に入ったことはありませんが、外見はまるで美術館のよう。(ま、美術品を売買しているのだから当たり前といえば当たり前なのですが。)毎日高額な品物がオークションにかけられ、オークショニアは設定したエスティメイトを少しでも高額で売買させようと場を盛り上がるわけですよね。そして、クリスティーズはロックフェラーセンタに程近い、ところにいちしています。クリスマスが近づいたからでしょう、建物前のスペースに大きなトナカイの銅像が出現しました。なかなか、センスが光っていると思いませんか?にじみ出る躍動かは十分美術的で、かつシンプルで近代的な匂いもする、かつ、サンタクロースやクリスマスツリーのようにべたべたなものでもない。こういう粋を感じさせてくれるのがNYのセンスでしょうか。





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私の背よりも大きい。
本物のトナカイの原寸大なんでしょうか?

2004年12月11日(土)



 信用と親しみと。

 日本との違いを紹介したらきりが無い、ところが、これは毎日のネタとしては面白いのかもしれない、なんて思ってこのコーナーを始めたわけですよ。そして、どちらかといえば「親米的」なのではないかと思っております。(実際、私はこの国が好きですからね)多くの日本人には結構「あーアメリカって不便だなー」とか、「冷たい?」なんて思うところも多々あるのかもしれないけれども、結構私は基本に忠実なだけで実は日本がおかしいのかも知れない、なんて思ってしまうわけですよ。たとえば、アメリカ人と結婚して、そして妻として(or夫として)グリーンカードを取得するときってどうするかしっています?この国には社会保障番号はあれど、それは担税能力のあるような人が、自発的に申請してもらうだけだし、戸籍も無い。そのため、婚姻届も無い。この場合、窓口にいって、役人に夫婦であることを一生懸命自分の口から証明するんですよ。結婚式の写真や一緒に住んでいることを示すような郵便物とか、銀行口座の証明書とか。一見して不便かもしれないけれども、書類一枚でさくさくと夫婦上の各種手続きが進んでしまうのも実はおかしいのではないか?と思うわけですよ。
 私は実に幸運に恵まれて、格安な値段でセレブな人たちが住む高級アパートに住んでいるのだけれども、ここの管理人の人たちは、郵便物を取ってきてもらっても、水道工事をしてもらってもチップひとつとろうとしないし、今度はここに住んでいるっていう証が信用になる。(前のところはチップの額でスピードを決めていた。)一見冷たいようだけど、あやふやな一体感やあると仮定されている常識に更に仮説をつくり、そしてさらに担保をもとめてから手続きが進む島国の常識もまたおかしいのかもしれない。自分があの国で外国人になったら、と思うとこの国の快適さはまだまだましなほうなんじゃない?と思ってやまないのです。

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私のアパートのロビー。
常にガードマンが二人常駐して、便宜を図ってくれる。

2004年12月10日(金)



 クリスマスの風景

 これは紹介しないわけにいかないかなーって思ってきたのでアップデートします。オフィスビルが立ち並ぶミッドタウンの西側を歩いていると、巨大なロビーにやはり巨大なクリスマスのオブジェが飾られていてどれも工夫を凝らしていて楽しいものです。全部、紹介したいくらい。こうして段々とクリスマスの準備を進めていくわけですよね。





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 平日の昼間だというのに、人がツリーの下に群がっている。

2004年12月09日(木)



 そんな夜はJazzと共に。

 NYがそうなのか、アメリカがそうなのか、わからないけれども、本当にこの町は音楽があふれている。生の演奏を聞きに行きたければ、周囲一キロ以内に私が知っている店だけれども少なくとも四軒ある。そして驚くほど安い。(というか、有名店でもチャージを取らないところがある)お酒を飲む人ならば一杯6〜8ドル位でしょうか。私がよくいくところが歩いて十五分のところにある『SMOKE』というジャズバー。それなりに有名なのですが、なんせ近所、学校からの帰りに道にあるので、遅くまで勉強がかかってしまったときなどは実は寄り道してしまったりすることもしばしばです。東京でブルーノートに行けば最低一万円はいくのにな・・・、なんてことを思いながら一口だけ口をつけるジントニックを注文、音楽を楽しんだ後、8ドルをテーブルにおいて家路に着きます。そんな夜は、すぐに寝れるんだ。





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迫力あるサックスのサウンドがその夜の夢にまで響き続ける。

2004年12月05日(日)



 珍しいの?

 何度も書いていますが、毎日旅行気分で浮かれているのは私だけで、同じ時期に来た友人などはもうNY生活に飽き飽きして日本に帰りたい、母国に帰りたい、などという話はやはり聞きます。そりゃ、どこどこの蕎麦が食べたいだとか、あそこのラーメンが恋しいとか、そんなことはあります。でもNYから帰ったところで今度はチャイナタウンのあそこの飲茶にいきたいだとか、あのステーキが恋しいとか、毎朝美味しいベーぐるが食べられる生活に戻りたい、なんていうことになるのは目に見えています。私の場合。ところが、そんな私も最初は珍しかったけど、もはや珍しくもなんとも無くなって気にも留めなくなってしまった、ところが、旅行者の人にとって見れば珍しい、そんなものが増えてきたように思えます。それが、リス。公園や大学のキャンパスに行けばゴマンといます。同じように沢山いるねずみと私とって見れば変わりない。かわいくもなんともない。ただ、ちょろちょろちょろちょろしてるだけ。多少みてくれがねずみより怖くないのが救いだけど、ま、やってることは変わらない。東京のカラスと一緒だよね?





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もともとそんなに小動物すきじゃないんだよね。

2004年12月04日(土)



 ろうそくの日々。

掲示板で多少密告者がいたので知っている人もいるかもしれません。サンクスギビングの前日、友人が拙宅に滞在してくれた最終日、なんと私の部屋は停電になりました。どうやら、電気を止められたらしいのです。私の大家である、ある友人が一年間電気代はビルディングもちだと思い続け、一度たりとも払っておりませんでした。連休前に止めるとは、嫌がらせに他ならないと思ったのですが、努力したのにもかかわらず、結局休日明け復旧交渉に入らざる得なくなり、二日間、ロウソクだけで暮らしました。私は、においのするロウソクが大嫌いで、前の持ち主のロウソクは一切合財捨ててせいせいしたところだったのに、スーパーに行けばにおいつきろうそくしかないじゃありませんか!(小さいのはあった)居室は窓が大きいのでなんとかなりますが、バスルームはいかんともしがたい。というわけで、たくさん洗面台の前にロウソクを並べて何とか、照明代わりにしたものです。思えばNYにきて部屋で災難にあわなかったことは無い。最初は、ルームメイトがキチガイだったし、三番目はぼや騒ぎでスプリンクラーが作動するし、四番目は、四六時中工事で外に追い出された、結局めちゃくちゃ家賃の高い部屋に移ってセレブ気分でいたのに停電。まいった。 (´д`*)





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強く火が出ているのは、紙をロウソクの中で燃やして火を大きくしているからです。

2004年12月03日(金)



 幸せの形

 NYマンハッタンは人口密度が高いのでも有名ですよね。どうやら、マンハッタンに住む人がみーんな外に出たら、実はマンハッタン島に収まりきれない、なんていう話もあるほどです。だから、というわけじゃないのかもしれませんが、街角やところどころで本当にさまざまな人間模様が繰り広げられています。今日もどこかで千載一遇のチャンスをものにしてやろうと努力している人や、死中に活を求めようと最後の賭けに打って出るひともいるかもしれない、最愛の恋人を不本意にも分かれてしまって涙している人も居るかもしれない。なんにしても、人々が幸せなそうな顔を見るたびに思うことがあります。小さな幸せ、大きな幸せ、という表現がありますが、やっぱりこれは測りがあるわけじゃないんですよね。偶に「小さな幸せ見つけた、ラッキー♪」なんていう話を聞きますが、1万円を拾うのと、1億円当たるのと幸せは大きさが違うのだろうか?なんていうずっと前から下手な小説で使い古された話にいきつくのだろうと思います。恋人が目の前で微笑んでくれれば、この上の無い幸せだという人がいっぱいいることでしょうから、そう考えれば、やはりよくある結論である「人それぞれ。」っていう相対論に持ち込まれるんでしょう。なんにしても、幸せの先にやっぱり幸せな未来が待っていてほしいと、私の周りの人には願ってやまないのです。そんなことをセントラルパークを歩いていて、遊ぶ子供たちをみて思ったわけです。






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このラブラドールも新しいお友達の出現におおはしゃぎ。

2004年12月02日(木)



 SOHOでみつけた

 とても有名な写真ので見たことがあるかもしれませんが、マンハッタンの超高層ビルの建設途中の作業員が、鉄骨の上で休憩中に歓談をしている写真。SOHOを歩いていたら見つけちゃいました。それがそっくりそのまま再現されているものが。実はこれ、二週間前にも同じ場所で見つけたのですが、どうやらずっとおいておかれているみたいですね。何を宣伝したいのかも分かりません。広告じゃないのかな?
 きらりと光るセンスをみつけにいくところがSOHOなのかもしれません。






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 人が銀色に塗られているのはなぜなのでしょう?

2004年12月01日(水)
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