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 荒野に、ひとり。

たとえ大きな舞台の真ん中で
スポットライトを浴びていなくても
広い荒野に咲く一輪の名も無き花にまで
光は当たっているのです。

いつか彼方からたどり着いた旅人の
心を癒やすかけがえのない小さな花になれる日まで、
どうかその場所で、
凛と、顔を上げ、背を伸ばし、
美しくささやかに咲き続けていてください。

時には孤独な悲しみにくれても心配しないで。
星の輝きはいつでも
あなたの上にありますから。

2002年12月31日(火)



 井の中の蛙。

外の世界は知っているのですが
今のところ出て行くことができないので
少し、疲れてしまいました。
誰かが上からのぞいてくれるときだけ
少しだけ安心している、
そんな自分が、
ひどく、嫌いになりそうです。

2002年12月30日(月)



 やきもち。

どこの誰とも知らないあなたに
私はひどく、嫉妬しているようです。
くだらないとは知りつつも
まだ、それほどには、
自信を持てずにいるので。

2002年12月27日(金)



 ライン。

その線よりこっちに来ないで。
おねがいだから、それ以上近づかないで。
近づけば痛むだけだよ。
だからどうか、そっとしておいてください。
少しでも、私のためを思うなら。

2002年12月26日(木)



 

わすれじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな  儀同三司母

百人一首の54番目の歌です。
千年前も現代も、暮らしは変われど人の心は何も変わらないのだな、と、古典を読むたびに思います。恋愛小説を読めば千年前の人と同じようにどきどきしたり切なかったり、エッセイを読めば当然知らない暮らしぶりのほうが多いとはいえ、そこに書いてある気持ちはやっぱり今の私たちと何のかわりもありません。
この歌もそんな思いにさせられる歌。今の私がとても共感できると思う歌の一つです。そして、共感とともに、私なんかがちっぽけに悩んだって仕方ないなって思わせてくれる気がします。千年前の人もこんなふうに今の私と同じような想いを抱いていたのなら、そんな普遍的な想いだというなら、悩んでも解決なんてしないわけで、だったら潔く諦めて、気持ちに身を委ねてみたっていいかもしれないって。

視力6.0の人って、いろんなものがよく見えすぎて疲れちゃったりとかしないのかな、と思う。見えないから、気づかないから、気にせずにやり過ごしていられることって世の中にたくさんあるでしょう?知らぬが仏っていうことわざがあるように。

まあまあ、そうはいってもいろいろな人生があるわけではありますが。

2002年12月23日(月)



 友へ。

なにもしらない
ただのおんなのこでいられたら
どんなによかっただろうと
なんどおもっただろうね。
だけどいまさらそういうわけにもいかないし
がんばるしかないんだよね、
あたしたちは。
その、いみをさがしてさ。

2002年12月19日(木)



 羨望と焦燥と。

「ふうん。」と、気のないふりをしてみる。
もう、これ以上痛まないように。
うらやましいのはきっと、隣の芝生だからだよ。

2002年12月16日(月)



 水を抱く。

睦月は水なんかじゃありません。
あたしが笑子なら
憤然としてそう言っただろうか。
それとも
水だからこそなくてはならないのだと
そう言うこともできた。

だけどやっぱり水じゃない。
あたしならそう思う。

うつろいゆく
人の気持ちなんかよりずっと
水や空気のほうがいつまでもそこにあると
まだ
信じられるから。

2002年12月13日(金)



 しゃぼんだま。

ちゃぷん。
湯船に沈んで、お湯を蹴った。
「ばっかみたい。」
強がりなのはわかっていた。

ちゃんと元気でいるよ。
嘘じゃない。
自分でもびっくりしてるくらいだから。
だけどときどき、心が迷う。
そして、ちょっと止まる。

あたしはきっとずるい。
それは、自分でよくわかってる。
だけどきっとみんなも同じ。
それを、最近知った。

何もかも自分のために頑張れるほど
あたしは強くないから
君のために、ここにいるね。

2002年12月12日(木)



 hereisayellowrosei'msofooliknow

バカだねって、笑ってくれていいよ。
くだらないってわかってて
それでも、今のあたしには必要だから
だから別にいいの。
今は、ただ頑張れたらそれでいい。
たとえ消えてなくなるまぼろしでも。

2002年12月11日(水)



 ナキムシ。

泣き虫だった。
すぐ泣くってよく言われた。
「泣くのは卑怯。」
そう言われて泣かなくなった。
絶対泣くもんかと思った。
いつか、人前では
本当に泣けなくなってた。

悲しいことがあるといつも
玄関の柱にもたれて
一人で泣いていたっけ。
おかあさんに怒られたときも
友達とけんかしたときも
みんなだいっきらいってつぶやきながら
ひざに顔をうずめて泣いた。
たぶんあそこが私の居場所だった。

あの柱は、今はもうない。

2002年12月09日(月)



 たとえば、気の迷い。

ちょっと痛いな、と思った。
胸の奥の方が少しだけちくちくした。
抗ってばかりいる気がする。
いったい何と、戦っているんだろう?

たまにはきっと
吹く風になびいてみるのも
気持ちいいんだろうな。

ときどき、心が迷う。

だけどそれができるくらいなら
たぶん私は今、ここにいなくて
だからそれは仕方がないことだって
頭では思ったりしてるけど。

誰かと比べることになんて意味はない。
だいじょうぶ、と、肩を抱いた。

2002年12月06日(金)



 恒久的な気の迷い。

それがたとえば
ちょっとした気の迷いでもかまわない。
だからお願い
迷っていないなんて
決して言わないで。

そんなことを言われたら
きっと何も
信じられなくなってしまうから。

私だって迷っている。
そうしてあなたも迷っている。
それでも今、たしかにここに居る。
それだけで
じゅうぶんでしょう?

2002年12月05日(木)



 いいひと。

誰かのあまり誉められないところに気がついたとき、それはそれとしてその人とそれなりに付き合っていける人と、それをきっかけにその人の全てが嫌になってしまう人。ちょっと極端ではあるけど、例えばきっぱりその二つに分けるとすると私は後者。何かひとつに気がつくとばかみたいにいろいろなことが目に付いて、どんどん嫌になっていってしまう。
人に対してそんな風だから、当然自分に対してもそうなる。駄目なところがひとつでもあると、それだけで人間失格みたいな気がしてしまう。だから人から怒られたり注意されたりするのにものすごく弱い。ちょっとした事を言われただけで、人間性まで否定されたような気になる。そしてとんでもなく落ち込む。
周りの人にとってはたぶん、かなり迷惑である。

本当はさ、そんなんじゃないって知ってるんだよ。私の好きなこの人もあの人もみんな、別に完璧でもなければすごいいい人ってわけでもないし。気になる気にならないなんてそもそも相対的なもの。人の好き嫌いや、そういうのもみんな。
と、ときおり自分に一生懸命言い聞かせては、何とかここに立っています。

追記
なーんて思ってはみたものの、考えてみれば好きな人の嫌なところには誰だって当然目を瞑れたりするんだから(程度問題ではあるけど)どちらにしろあとづけの理由に過ぎないのかな、と思ったのでした。そもそもこれでもなぜか、人間関係には恵まれてるしね・・・。(多謝)

2002年12月04日(水)



 御遊戯。

それは例えば、運動会のフォークダンスみたいなものかしら?
手を離すときだけが、ほんの少し、さみしくて
けれど次の曲はきっとまた、笑顔でくるくる踊っているのでしょうね。

それなら、もうその輪からはぐれないように
さあ、手をつないで、一緒に踊りませんか、mademoiselle。

2002年12月02日(月)



 胸のうち。

どこまでも君についてゆこう。
もしも君が、そう望むのなら。

2002年12月01日(日)
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