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■ Lost time
昨晩からお母さんがお正月料理作りに励んでいるようです。 年内いっぱい仕事は休んで(そのかわりお正月に働くらしい)少しづつ黒豆煮たりおなます作ったりしているみたい。きんとんを紫いもで作ったせいで、今朝起きたら台所のシンクの中が青く染まりまくっててびっくりしました。紫いもの青ってすごいです。使い方によってはきれいだけど色素が強烈なようで、この間は味噌汁に入れたらひどい色に・・・。(笑)
弟ぎみはお正月は帰ってこないらしくて、静かなお正月になりそう。まあ、勉強にはちょうどいいのかもね。親はきっと淋しいのでしょうが。 なんだかね、最近、学生っぽい生活が妙にうらやましかったりするんだよね。自分になかったものだからかなー。私の場合大学行って一年だけ普通に学生して、あとはなんていうか、つい最近まで人生自体止まってた感じがするし。二十歳前後の3、4年が私にはないなーって、周りの人を見ていると本当に思います。 できたはずのこととかやりたかったこと、出来ずにきてしまったことがたくさんあるから。 その分いろいろあったことはあったし、それは今の自分にとって決して意味のないことじゃないから、これはこれで人生の形の一つであって私にとっては必然だったのかもしれないとは思う。でもときどきは、みんなみたいに普通に学生生活送ってみたかったなって思ったりもします。今からだって何一つ遅くはないと思うし何でも出来るけど、だけどやっぱりそのときであること自体が大切でな事もきっとあるだろうし。
愚痴になっちゃう気がするけど、苦労したほうがいいよって人から言われるのが一番嫌い。確かに、親に養われて何不自由なく暮らしているけど、それが何って思う。それだけじゃないものいっぱいあるのにって。 物理的な問題は大したことじゃない。傲慢に聞こえるかもしれないけど、頑張って乗り越えられる問題なんて結局大したことじゃないんだよ。 私は、すごく恵まれていると思う。外は風が吹いていても部屋の中はこんなに暖かいし、毎日のごはんの心配もいらない、家族はみんな元気だし、やりたいことやっていられるし。地球が100人の村だったらっていうのが流行ってたけど、私がその村の住人なら間違いなく一番贅沢な暮らしをしている人に違いないと思う。 ただ、全ては絶対的なものに過ぎない。どんな場所にでも、幸せは落ちてるし人の苦しみはその人にしかわからないもん。 わかったふりなんてする必要はない。同情もいらない。でも誰かの苦しみや悲しみを取り除く小さな力にはなれるかもしれない。隣に苦しんでいる人や悲しんでいる人がいれば何とかしてあげたいって思うのは人という生き物として自然な想いだろうから。それだけのこと。 私は苦労しているつもりもしていないつもりもない。相対的に比較しても意味のないこと。つらい経験なんて多かれ少なかれ誰にでもある。
ただ、決して、独り善がりな人間にだけはならないようにしたい、そう思ってはいるけど。
2001年12月30日(日)
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