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 ほどほど。

ふうー、油断するとため息が出そうになる今日この頃・・・。元気がないわけじゃないんだけどなんだか妙に不安定です。
自分にとっての”やるべきこと”を予定通りにこなしたいから生活に波風立つのは基本的に苦手。何かハプニングがあるとすぐに心乱されて、元の状態に戻るのに時間がかかってしまう。だけど、平穏な日々が続くと、安心感の中から物足りなさとか淋しさが襲ってくる。これでいいの?って急に不安になって、周りの人と比べては焦ったり安心したり。
あおいはいつも自分の居場所を探してた。居場所は誰かの胸の中にしかないんだよ、ってフェデリカは言ってた。私はいったい何を探しているんだろう。
淋しいと幸せはたぶん両立すると、最近思う。でも、淋しいとやっぱり心もとなくて何か縋るものを探してしまいそうになる。手帳に書き込まれた予定、お腹はすいてないのに食べたくなるおやつ、どうでもいいテレビ番組、そうでもしていないとどんどん心がインになる。
あんまり頑張り過ぎないようにしよう。振り子は、行っただけ戻ってくるから。
中庸、バランス、振り子の原理、ほどほど、そういうのが本当に下手くそだなって自分でも思う。過ぎたるは及ばざるがごとしって言うけど、いつも頑張りすぎて反動くらって、その繰り返し。ダイエット頑張りすぎて食欲中枢変になってリバウンドするのと同じだね。思いっきり向こう側に振っておいて、その分力を失うと思いっきりこっちにかえってくる。昔読んだ本にも書いてあった。幸せを強く願う人ほど幸せになれなかったりするもんだって。
大体いつも一生懸命頑張っている時に限ってうまくいかない。頭でいろいろ考えて頑張って、力はいりすぎて、かえってギクシャクしてしまう。諦めてどうでもよくなったときのほうがスムーズに行く。
夏前に”よく遊びよく働きよく学ぶ”っていう目標を立てた。苦手だと思っていることをたくさんやってみた。今までした事のない経験をものすごくたくさんして、面白くて、勉強になって、たぶんけっこう成長したと思う。楽しかったしきっとすごく思い出の夏になるだろうな。秋以降惰性で来て、そしてちょっと疲れて、いろいろ反省して、今、また元の場所に帰ってきている気がする。少し無理しちゃったかな。ずいぶん自分らしくないこともしてしまった。もちろん全然後悔はしていないけど。
秋からは”ほどほど”と”自分らしく”が目標。何事もやりすぎてしまうのも私らしいって言えば私らしいんだけど、あんまり物事考えすぎたり執着しすぎたりしないように、ほどほどに頑張ろ・・・。

2001年10月28日(日)



 食生活事情。

ふと思い立って穀物オンリー生活(+たくあんと梅干、ゴマ、お茶)実行中。少食にしているせいで腸の中がお掃除されているのか体は軽いし体調もよくなってるみたい。
しかし・・・つまんない。だって、食事の支度って言ったら玄米ごはんにいろんな穀物(今日のは赤米、黒米、もちきび、小豆入り)入れて2日に1回くらい炊いてあとはお漬もの切るだけ。お料理らしきことは一切なし。これじゃ新しいレシピもできないし、穏やかな毎日から私の楽しみが一つ減ってます。ま、ご飯の支度に時間がかからない分いろんなことできていいけどね。
最近いろんな食生活のHPをネットで見ていたんだけど、ほんとにたくさんあるね。主義主張系のベジタリアンとか、ナチュラル派の菜食、マクロビオテックは食養って言うくらいで病気直しかな。あとはそういう自然食志向を否定する人たちもいるし。
私はお魚ちょっと頂くベジタリアンくらいかなと思います。お肉は特にいらないけど、チーズとか卵はときどき食べたい。ってゆーか、やっぱりチーズはすごく好きで、時々食べたくなるんだよね。
もっとも私の場合、大事なのは自分の体に合った食事を見つけて体調管理すること。今の生活なかなかいいみたいなので1週間は続ける予定なんだけど(というかそもそも10日以上は続けちゃいけないらしい、あたりまえ?(^^;)続くのかなー。一番の誘惑は人から食事に誘われることなのだ。行けばメニューみるし、そうすると美味しそうでつい食べちゃうし。
ま、今週はいろんな穀物料理を試すいい機会だと思おうっと。

2001年10月27日(土)



 期待、翻弄。

なんだかダメな日・・・。いったい何にこんなに翻弄されて心乱されてしまうんだろう。
きっかけそのものは外からの力でも、たぶん本当の原因は自分の中にあるんだろうなっていうことはわかる。誰かのせいにしてしまえたらもっと楽なのかなっておもうけどそういうわけには行かなくて、自分の心に湧いてくる感情にまた自己嫌悪になったり。
こういう日には、いろんなしがらみや関係を全部断って一人になりたくなる。携帯電話が、うらめしい。メモリ全部消して電源も切って、何もなければいいのにと思うけど、だけどそこにいるのは人との関わりを期待している自分。誰かからのメールや電話を、いつも心のどこかで待っている気がする。パソコンも、電話も、何にもなかったらもっと楽かな。淋しいかもしれないけれけれど、少なくとも期待はしなくて済む。それとも今度は、一日に一度の郵便屋さんのバイクの音でも待ってしまうんだろうか。
すぐに何かに期待してしまうのはどうしてなんだろう。いつも物事に対する想いが強すぎて全然スマートじゃなくて、考えすぎで、どんどんどうしていいのかわからなくなるし。
人と比べて真似なんてしてみても、自分は自分でしかない。いろいろなことを試してみて少しは経験を積んで成長しても、結局自分らしくて自分が一番気持ちがいい場所に一回りして帰ってくるだけ。たくさんはいらない。大切なものがほんの少しあればそれで十分。
無理をするのはやめよう。自分らしくないことをするから、自己嫌悪にだってなるんだろう。
もっと一つ一つのことをたいせつにしなくちゃいけないと思う。時間やお金の使い方も、人間関係も、発する言葉や思いも、読む本や食べるものや着る物も、一つ一つちゃんと。
こんな毎日のなかでもいいことはちゃんとあるっていうことに感謝しないといけない。明日は少し、元気になれますように。

2001年10月24日(水)



 忘れてはいけないこと。

今朝の新聞記事に、熱帯雨林材を使用しないようにと求めるマレーシアの原住民族が来日しているという記事。熱帯雨林の伐採によって森にある彼らの食料や生活資材、薬草が減少し、河川の汚染で疫病が蔓延しているらしい。
毎日何気なく、たくさんのものを使い捨てて、暮らしていることを改めて思った。汚れたものを拭くだけのティッシュペーパー、便利さのためにプラスチックで細かく包装されたたくさんのものたち、循環しない私たちの生活。
スーパーで買い物をしているときに、そこにある全てのものがすぐにゴミとして捨てられるだけのプラスチックの山に見えて、圧倒されたことがある。私たちは普段目の前にあるものしか見ていないしはっきり言ってそうしていなければきっと多くの人は生きていられない。だけど、今、自分の目の前にあるもの一つ一つがどういう経路をたどり、どういう人々の手に携わって今の形になってここまで来ているのかとか、自分がいらなくなったあと、どこへいってどうなっていくのか、考えると怖くなる。どんなに頑張っても、とても地球に還るとは思えないものばかりだから。雑誌についてくるいらないCDロム、使い終わったペン、お菓子や文房具の入っていた袋、紙だって薬剤漬けで実は自然には還らない。
人間として現代に生きている、ということはどうしても自然とは相容れないものなんだろうか。一番大切なことってなんだろう、自分は何のために生きるべきなんだろう、やっぱり同じところに戻ってしまうけれどまだ答えは見つからない。自分にできる小さなことをほんの少しでも心がけることくらい。本当は、今の生活を捨てなくてはいけないんだろうか。社会を少しでも変えることはできるんだろうか。
今夜、友達と飲みに行く約束をしていて、とても楽しみにしていることもジレンマになってくる。大きな飲食店ほど、全てのものが工場で加工されて、添加物漬けになってプラスチック容器に小分けされて運んでこられている。手間とコストを省き安定した味を求めたチェーン店、安さと気楽さと引き換えに私たちが得たもの・・・。
答えは自分自身の中にしかない、そうわかってはいるけれど誰かに教えて欲しくなる。正しい道は何?私のするべきことは何?
戦争のニュースばかりが世界を駆け巡る毎日の中で、それでも、未来を信じていたい、子ども達にとって夢を見られる未来であって欲しいというのが一番の願いであることに変わりはありません。

↓もうひとつ、今朝の新聞より。
http://www.chunichi.co.jp/chn/index.shtml

2001年10月23日(火)



 なんでっ??

この間、ベルメゾンのカタログに載っていた本箱をネットで注文した。なかなか気に入ったのがとどいて、そこまではよかったんだけど、約2000ポイント(2000円分)溜まっていたはずのマイレージポイントがなぜか消滅。10月31日まで使えるってこないだ葉書来てたのに・・・。その葉書は捨ててしまったのでそれを証明するものもなし。コンピューター管理だから消えちゃったらそれまでだもんね、きっと。あーあ、なんだかすっごく損した気分です。先にポイント使っとけばよかったなー。楕円のお重欲しかったのに。

2001年10月22日(月)



 無駄と余裕と。

心穏やかな日々が戻ってきています。自分のペースで送れる毎日が基本的にはやっぱり一番心地いいかなって思う。刺激も、ときどき(よりも少し多目に)は必要だけどね。
最近いろいろ忙しかったせいもあってかなり行き当たりばったりで生活していました。ぎりぎり大まかなスケジュールしかなくて、あとはその場の勢いとか気分で予定を入れたり行動したり。でも、どうしても無駄が多くなるみたいです。もう少しシステマチックに予定を組んで計画的に過ごさないといけないなって、あらためて反省中。時間は有効に使ってこそ、無駄ではない、ゆとりが生まれるんだと思うし。
やりたいことや叶えたいことがあるならそれに向かって毎日を送らないといけません。わざわざ言うまでもないことだけど、一つ一つの”今”の積み重ねが、5年後は10年後の自分を作ってるんだもん。夢は願わなくちゃかなわないけど、願っただけでもダメ。動くことが大切。それが夢に直結していようといまいと。
時間の有効利用と無駄のない生活、を心がけたいと、もう一度自分を戒めています。

2001年10月19日(金)



 依存。

今朝、ネットに繋ごうとしたらエラーが出てしまって、何度やり直しても全然つながらなかった。PCを再起動してもダメ。接続のプロパティを確認してもさっぱり。結局サーバの問題か何かだったらしくて時間を置いてもう一度やってみたら普通に繋がって、こうして書き込みをしているわけなんだけど。
意外だったのは、ネットに接続できないっていうことが今の私にとってさして重大なことじゃなくなっているということ。もしもう一度やってダメなら明日NTTかプロバイダに電話してみればいいや、って、忘れられるくらい。以前、一度接続エラーではないんだけどPCが少しおかしくなってキーボードが全く効かなくなってしまったことがあって、そのときはそれだけで大パニックだったのに。
いろいろな意味でPCに依存していた生活から、気がつかないうちに抜け出していたんだなっていうのが、この一件であらためて思ったこと。
もちろん、この依存が悪いことだったというわけではなくて、あまり家から出られる状態じゃないときに、ネットというものを通してではあっても一応外の世界と繋がっていられたということは心の支えではあったけどね。ネット無しでは今の私もなかったかもしれないと思うし。
でも、依存、という関係はやっぱり長く続けるに値するようなものではないわけで、健全な関係になれたということは喜ばしいと思う。
よかったよかった。

2001年10月14日(日)



 お料理デー。

今日作ったもの。
サモサ(ポテトカレー)。鮭のクリーム春巻き。さつまいもとかぼちゃのサラダ。黒米入り玄米ご飯ののり巻き3種(じゃこ&たくあん、きゅうり&鮭、きんぴらごぼう)。かぼちゃのソフトクッキー。
久しぶりに目いっぱいお料理して欲求不満解消。近頃は食べることよりも作ることのほうが楽しかったりします。といっても味見と称して食べてたらけっこうお腹いっぱいだけど。(^^;明日サッカーとお祭りでちゃんとエネルギー消費してこなくっちゃ。
今回のヒット作はソフトクッキーかな。ミルクたっぷりの緩めのスコーン生地に粗くつぶしたかぼちゃを混ぜて焼いてみました。ベーキングパウダーの一部を重曹に変えたら、そのひなびた香りのそそること・・・。甘食っぽい匂いって言ったらわかってもらえるかな。粉も玄米食人らしく薄力粉と全粒紛を半々で混ぜました。バターも砂糖少な目、もう少し塩味が効いていると素朴な感じがもっと強調されるかなーと思ったけど、それを差し引いてもかなり上出来。みんなにあげて食べてもらおうっと♪
サモサは蒸かしたじゃが芋をマッシュしてレトルトのカレーを混ぜて塩、カレー粉で味を調えてから三角に切った春巻きの皮で包んだもの。クリームのほうはオリーブオイルと小麦粉、牛乳、玉ねぎでベシャメルソースを作ってそこにみじん切りのしいたけ、コーン、ほぐした鮭の身を混ぜて春巻きのの皮で包みました。20個ずつ整形して冷凍庫にしまってあるので食べたいときに取り出してきて油で揚げればあつあつのおつまみが食べられるというわけ。
明日は友達とお祭りパーティーです☆

2001年10月12日(金)



 偶然の積み重ねからたどり着く必然。

今日は午後からお仕事でした。
まあ、お仕事っていうか半分趣味っていうか、お金貰ってるから仕事には違いないんだろうけど、好意でやらせてもらっている部分も多くて人対してはこんな仕事やってますって、今の時点で胸を張っていえる感じではないです。なにせまだ実績を出していないしね。ちゃんと成果をあげて、自分の実績としてこれからに繋げていけたらいいなあと思う日々。

人との出会いの持つ力は度々ここでも書いている気がするけど、何度書いても書き足りないくらい本当に素晴らしいものだなって最近またつくづく思っています。
今年になってからだけでもどれだけの人と出会ってきたことか。やりたいことはあるのに思考ばかりが先走って動きだすことができずにいた私が、一つの大切な出会いの力で、今、たった半年前には想像もできなかった場所にいます。
動き出す勇気をもらっておずおずとはじめたことに更に自信をもらって、行動的になることでまたたくさんの素敵な出会いを得て。そしてそれはまた、自分自身の力になっていく、という連鎖は本当に楽しいです。
そのなかで、自分が何をやりたいのか、どういう風になっていきたいのかもだんだんはっきりしてきました。やりたいこと、できること、むいていること、好きなこと・・・。可能性と、夢と、理想がどんどんつながって少しずついい方向にむかうことができているんじゃないかという気が最近しています。そう思うと過去のいろいろな出来事も多少は前向きに受け止められるようになる気がする。思い出したくないことや消えない痛みも。
まだまだ自分の感性や直感に自信が持てるほどのものは積み重ねらてはいないけど、今までの、これからの、たくさんの出会いに支えられて一つ一つ、たくさんのことを叶えていけますように。

2001年10月11日(木)



 あおい。

先日江國香織の新刊を久しぶりに読みました。といってももちろんハードカバーに手を出せるわけもなく、最近恒例になっている夕方の本屋さんまでのお散歩のときにやっと文庫に収録された”冷静と情熱のあいだ”を2冊まとめて購入したのであります。
やっぱり江國香織は特別です。基本的に一度読んだ本は読み返さないし手元にも残さない私が、唯一何度も読んだり所有したりしていたいと思う作家だから。好きな作家は他にもいるけど、全然違う。世界観とか流れている空気に包み込まれるような感じがするし、今の季節に読むとなおさらそれが強い。
私にとってはただのエンターテイメントとしてではなくて、安定剤だったりおふとんだったり空気だったりバイブルだったり辞書だったり、本当にいろいろな意味を持っていると思う。
大変なのは作用の強さに巻き込まれてしまって精神的に日常から遊離しかねない状態になったりすることがときどき・・・というよりわりとよく起こること。でもたぶん、何にも反応できない心でいるよりはずっと、そうやって影響されるものをもっているということは幸せなことなんだろうな。
考えてみればここ数年は江國香織を読んでもほとんど感じられない状態が続いていて、感受性をどこに置いてきたんだろうって悲しくなったりもした。こうやってちゃんと気持ちが帰ってくるなんて思いもしなかった。
冷静と情熱、は、切なかったです。この季節によむとちょっとやばいくらいに。一日は、かなりボーっとしていて、2日経った今日も少々動作と頭の回転が緩慢になっているような気がします。
11月には映画が公開されるので見てきます。きらきらひかるの前例があるので、映画は映画として、割り切って見に行くつもり。一人で映画は初体験だからドキドキだな・・・。

2001年10月07日(日)
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