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2005年05月31日(火)
ニチジョー

日常

 精神的にきつい日々が終わって(精神的に受け入れられない嫌いな人が会社を辞めた)
 ニキビも減って
 羽は(あるとしたら)のびていって
 空は青で(ほんとうはみずいろなのに)
 タバコを吸えば少しは楽になると思って(錯覚だけど)
 それで

 新しく入った人は35歳で
 どうにも仕事が出来なくて
 ひとまわりほど歳下のわたしが
 怒ってばかりいる
 注意してばかりいる
 いつまで
 許してあげるべきなのだろう
 許してあげなければいけないのだろう
 わかりません
 できません
 それを
 どこまで許容出来るひとは
 大人なんだろう
 わたしは
 あの人を怒っていたり諭していたり
 あの人に注意していたり指摘していたり
 そういうことで
 自分がいけない人間に思えてくる
 なんて
 許せない、小さな、えらそうで、小娘が、えらそうに
 そう思う。いけないことをしていると思う。
 心が小さいと思う。
 やさしく
 教えていけない。とてもそれに追いつかないくらい
 やる気も、説明する気力もなくしてしまうくらい
 どうにも出来なくて
 手に余る
 あの人は
 わたしはもう、烙印を押してしまっている


 (わたしは好きか嫌いかが非常にはっきりしている。
  だいたいは人をそのどちらかにわける。(面識のある人は)
  (これは極端であって幅も狭くしているだろうからよくないことだとは思う)
  例えば仕事が出来なくても遅くても
  それを超える人間味を好きになれることはある。
  例えば人間味が好きでも
  許せない仕事の仕方をする人は嫌い側に入る。
  とてもはっきりと納得のできないことは言う。
  それで昔、とても好きで尊敬もしていた人を怒鳴りつけて喧嘩して
  ものわかれに終わったことがある。
  嫌いという烙印を押すと
  わたしの領域でシャッターや扉や壁やそういうもんが
  わさーーっと降りてきて閉まってもう二度と開かなくなる。
  もう二度とやさしくできなくなる)。
 

 この極端で小さな世界にしか実在し得ないわたしの烙印制度は
 あの人にもう適用されてしまった。

 なにが優先順位か考えられない人。
 口だけで返事をする人。
 無駄な行動が多い人。
 手が遅い人。
 ひとつ言えばひとつを忘れる人。

 石田純一が今日テレビで言ってた。
 「出来ない理由を探すひとと
  出来る方法を見つけるひとがいる」 と
 あの人は前者だ。
 わたしは後者。

 わたしは小娘です。
 それでもいままでそう長くはない社会生活で
 出来ると言われ、信頼され、頼られ、肩をならべることを許され
 担い
 やってきました。(専門職とか技術職ではないのだけど)


 ああいう人とも、
 それが社会だ
 それは個性だ
 まだ判断するには早い
 仕方ない

 そういって顔をつきあわせて仕事をしていくのが大人なんだろうか。

 
 それならわたしはどうしようもなく心が狭い。
 どうしようもなく生意気な小娘。

 





2005年05月17日(火)
あとに残らない傷がほしかったの





さいしょのばくはつがあった

はじまりのおわりがあった


おわりもはじまらない

さいしょって ?

ばくはつって ?

こえは小さい

きっと、それをしらないのは子供たちだから

こどもだったから



さいしょのばくはつがあった


「あとに残らない 傷が欲しかったの」


生きてる

ブリーフ姿のイラク人は

「抵抗する恐れがあった」ので殺されて

ぼくの国ではブリーフが法律だと言って

(それは言えなかったかもしれない)


あとに残らない・・・


 こどもは

 (わたしはこども)


失礼します


失礼します



コーランを焼く

ユダ


旧約聖書を破る


お参りをしない


ユダ


ニグロ


アングロサクソン


トシェビーチ


灰色の


トシェビーチ



こどもはしつれいな生き方をする















嫌いになる人が多くなった。

あたたかい人を感じることが多くなった。
好きな人も多くなった。

でも、

許容範囲が年々狭くなっている気がする。

としをとって
もっとまるくなっていくと思ってたのに。
だめだなぁこれじゃ。と。

八方美人ではないし
嫌いな人とでも平気な顔して
顔だけ笑って付き合えるような、
そんなくだらない事が出来ない人間で良かったと思って生きてきた。
そういう揺るぎなさが好きだったし
自分に嘘は付かなかったし
自分を嫌な場所に追いやりもしなかったし
それでいいと思ってた。

きっとこれからもそうだけれど。
もうちょっとまるくなってもいい。
いいよ。


それで
ありがとうございます。と言おう。
こんなわたしなのに
あたたかくて
手はあって
空気はやってきて
好きな人がいる。
ありがとう。







Coccoちゃんがとってもかわいいーー。
SINGER SONGERの新曲のPVをみましたよ。

短い髪のあっちゃんが動いてる。
うたってる。
いっぱいの笑顔。
長い手足。

うたう人だね。
あなたは
なんて
美しい人なんだろう。
うたってくれてありがとう、

テルさんに言いました。

あっちゃんにも言おう。

うたいたかったね。
新しい海にいるね。
船は









2005年05月06日(金)
訪問者


とても嫌な夢を見ました。
これほど寒々しく、卑屈で、憎悪に満ち、さもしい夢はありません。

ところで
わたしにはおとうとと呼ばれていた者がおりましたが
もう何年も前にその線は切れ
わたしはたいそう楽になったものです。

殺されると思ったことや
殺したいと思ったことがある方にはおわかりでしょうが
それはやはり嫌な夢に他なりません。

風の噂で
〇〇組に入ったとか
刑務所に居るとか
そういうことを聞いた覚えがあります
そして父親の住まいを未だに子供の家だと思って
馬鹿みたいに人間になれる日をだらだら垂れ流し続けているのです

わたしは

猫のように
家につく子供ほどしあわせなものは無いと信じていました
いいえ、いまでもきっと信じているのです

しあわせな家は坂の上にあり
父親と母親とこどもたちが
週末にはどこかへ出掛けたくさんの体験をする
釣りに、ボートに、川遊びに、遊園地に、ハイキングに
虫捕りに、ときにはターメリック色の田舎に、動物に、ゴルフに、海に

わたしは

グスターフはいい父親だと思いました。
しかしとても冷たく、憎んでもいました。

かみさまの足跡を
それはなんて
家とは程遠いものか
オスカーは
かれもまた、こわい夢を見たでしょう。


二度と
かつておとうとと呼ばれた者の
夢を見るなんて
そういう骨の軋むような音を
味わうことがありませんように


どうか

ありませんように