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結論から言うと、この本を読んだからといって原稿用紙10枚が書けるようになるわけではない。とにかく、まずは書くということ。書こうとすること。そこがスタート。で、10枚書くとなると、ただ漠然と何かを書き始めても10枚は書けないから、この本はそのための心構えを指南した本だと思う。
久々に付箋にメモを取りながら読んだ。久しぶりのことである。今、ネットでは(私も含め)ブログ花盛りで、書くということの大切な根本を再確認できた。それが一番大きい。書くということに大切なのは「公共性」、「公共的な感覚」である。言われてみれば当然のことだけれど、ワールドワイドに「公共性」を忘れてしまっている。ブログはオープンにはしているけれど、日記でもあるから、「私的」なことを全開で書き連ねてもいいと思う。他者の私生活のなかに、新たな「気づき」もあって、自分自身と比べながら、共感もするし、時に反発もする。
「公共性」とは何かより、「公共性」の対極は何なのか?ということのほうが、簡単で基本的だと思う。それは、読んだ人が不愉快になること、悪口や誹謗中傷。(ちょっとした愚痴や誰かを特定するわけでないちょっとした悪口は「日記」という範囲内なら許されるだろうと私は思う。許される程度の罪のない悪口というのも、主観的なことでもあるし、バランスが難しいが、一小市民としては、そこに「共感」も覚えるわけであるし。)
そして、この「公共性」、には、他人にクリアに伝わる文章という面もある。まあ、伝わらないことには「共感」はないわけだから。どれだけ相手に伝わるのか、相手に伝えるべき内容があるのか、読んだ者がそれにどこまで共感してくれるのか。読む者にとって、それを読んだことに意味があるかどうかが大切なわけである。当然、その観点からいくと、「意味の含有率」が高いほど、読者にとってよい書物ということになる。書くということは、意味の創出であり、意味とは新たな価値を創造することである。
そしてそのために、書くということは、考えるということに他ならない。
考えるということは、書くために、その全体像を構築することである。構築力が書くことを支えていくのである。今日も、そこまで掘り下げずに、パタパタとパソコンに入力しているが、短い文章なら、レジュメなしでも書けるようなので、まあ、これはその一例か。
あと、批評について。確かに、負をあげつらう辛らつな批評も多いが、書くことの前提に「公共性」を意識することがあるのならば、辛らつなだけで終わってしまうと、読んでてつらくて、なかなか共感もしづらい。書くことは価値の創造なので、批評というのは「新たな出会いの提供」であるべきというくだりに、納得した。それが批評する意味なのだと。書くという行為は自分を支える行為であり、それは自分を肯定する力なのだと。そうありうるためにも、「公共性」と「価値の創造」は常に念頭においておきたい。(シィアル)
◎メモ:書くことに大切なこと
・公共性
・意味の創出(=価値の創造)
・構築力
『原稿用紙10枚を書く力』 著者:齋藤孝 / 出版社:大和書房2004
2003年08月20日(水) 『ゴーメンガースト』 〜ゴーメンガースト三部作(その2)
2002年08月20日(火) 『燃えよ剣』(その2)
2001年08月20日(月) 『さいはての島へ─ゲド戦記(3)』
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管理者:お天気猫や
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