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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2006年03月25日(土) --

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『ぬまばあさんのうた』

今年のはじめに出た、シリーズ最新刊。 描かれるテーマはとてつもなく古い時間とともにある。 よく考えれば、「こそあどの森」では、いつだってそうだったのかもしれない。 消えない「人の想い」がかたちづくる運命の流れについて、 やさしい人たちや、人ではない存在が教えてくれる。

今回の主人公は、スキッパーとふたご。 もちろん、ふたごはまたまた名前を変えている。 そしてもうひとりの主人公が、ぬまばあさん。 皆が知っている伝説のふしぎな歌とともに、 ぬまばあさんは子どもがやってくるのを待っていた。

石に人の想いや言葉が宿ることを知り、「石読み」ごっこをする スキッパー。今回もバーバさんは遠出していて独りで留守番。 しかしその石読み遊びが、思わぬところで訳に立つのだった。

ぬまばあさんの手から逃れようとするふたごのくだりは、 こわい夢のなかで手足が動かない感覚にも似て、心がしびれてくる。 私自身が子どものころ見た一番こわい夢というのが、 真っ暗な田んぼ(稲刈りの後らしい)で、 知らないおばあさんに後ろから追いつかれ、 むんずと手首をつかまれるという(そこで覚醒)ものだったからかもしれない。

スキッパーたちの暮らす「こそあどの森」は ある人が、近い将来、連なる森のてっぺんに創りたいと言っていた 理想郷にも通じるものがある、と今回の作品を読んで思わされた。

自給自足、物々交換、誰にも支配されない暮らし。 子育てをする人はいないけれど、人間関係にはいつも きちんと気をつかっている。 だれかがおかしな反応をしたら、そのことをちゃんと考える。 ときどきファンタスティックな大事件には巻き込まれるけれど、 こそあどの森での日々は、樹々や土地の聖霊に守られた、 住人それぞれのためのものなのだ。

石に触れて記憶をたずねれば、 どんな世界が輪郭をあらわすのだろう。 (マーズ)


『ぬまばあさんのうた』著者・絵:岡田 淳 / 出版社:理論社2006

2005年03月25日(金) 『初恋の騎士』
2004年03月25日(木) ロザムンド・ピルチャー(1)
2003年03月25日(火) 「木馬のぼうけん旅行」

お天気猫や

-- 2006年03月17日(金) --

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『昨日と違う今日を生きる』

人は予言的に感じとり、決心した通りにはなかなか 生きられるものではありません。そういう意味では、迷いも多いし、人は弱いものだと 思いますけれども、彼女はかつての決心通りに、見事に最後までジャーナリストという仕事をやめようとしなかった。(引用)

本書のあとがき「千葉敦子さんを偲ぶ」に、澤地久枝が書いている。千葉敦子に弱さがなかったとは思わないが、不安は不安として抱えながらも、後悔をしない生き方を尽くすことは、不安の対極にある潔い決意の結果であったはずである。

千葉敦子の他の著作に比べると薄く感じられる文庫本だが、東京からニューヨークに移住してのち、 再発・再々発したガンと戦う治療レポートが本書のテーマである。

「昨日と違う今日」というのは、ニューヨークでは一日として同じ日がないという実感と、単調で停滞した生活は絶対にできないという情熱がそのままタイトルになっている。

彼女は治療のために入院したり、仕事や生活の方法を変えるといった受身の闘病をよしとしなかった。自宅で通院治療を受けながら、身内以外の(ニューヨークにいるという意味で)友人たちに支えられ、ジャーナリストとしての使命を果たしつづけた。 どこを読んでも、誰かに寄りかからない生き方を選んだ主人公の思いが、わが身に痛い。

この痛みは、私が駆けだしのころ読んだ、人生の大先輩としての千葉敦子ではなく、そういう風にしか生きられない人への、同志のような共感がもたらすのだろうか。

キャリアの前半は英語で記事を書いていたという彼女の仕事を私は知らず、著作の一端を知るのみである。誰かが翻訳して編纂し、出版してくれないだろうかと願うのは私だけではないだろう。せめて日本語で書かれた記事でも、まとめられることを願う。(マーズ)


『昨日と違う今日を生きる』著者:千葉敦子 / 出版社:角川ソフィア文庫1988

2004年03月17日(水) 夢の図書館 春のお休み
2003年03月17日(月) 「象と耳鳴り」

お天気猫や

-- 2006年03月10日(金) --

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『高慢と偏見』

訳書は岩波版のみ読んだ。 オースティンの作品は他に読んでいない。 映像はBBCのドラマ、そして映画の新作、『プライドと偏見』。 加えて『ブリジット・ジョーンズの日記1・2』、 谷崎潤一郎の『細雪』は原作と映画を。 タイトルは忘れ去ったが、ハーレクインロマンスの数々。 まだ他にもあるのだろうけど、思い出せない。 『エマ』は、映画をテレビで見せてもらったばかり。 そういえば、メグ・ライアン主演の映画『ニューヨークの恋人』で 秘書役のダーシーという女の子が出てきたが、あれもこの関係?

欧米の知的な人々が、何かにつけて引きあいに出す有名作品。 イヤミでなく、これまで日本の若い人たちには忘れ去られていた作品。

ダーシーといえばエリザベス、 エリザベスといえば、ダーシー。

いつかは読みたいと思いながら、上巻で数年経過してしまい、 映像を頭に入れてから再度読み直し、読み終えた。 だから頭のなかに、複数のエリザベスやダーシー、ジェーンがいる。 なぜかリディアは一人しかいないのだが(笑)。

ダーシーとエリザベスの主役ふたりがロマンスを成就させるのが小説としての ヤマ場ではあるのだが、文学作品としてどうしても欠かせない人物をひとり選べと言われれば、 私にとっては迷わず、エリザベスの父、ベネット氏である。

紳士階級のベネット氏には5人もの娘がいて、妻の生きる目標は娘たちの結婚(狩猟レース)である。性格の合わない妻には何も期待していない。 ベネット氏の望みは、誰にも邪魔されず読書のできる時間。

上の娘ふたりは器量も頭もよく、しかも長女のジェーンは善良の化身。 田舎に越してきた裕福で善良な美青年ビングリーと相思相愛になる。

父の一番のお気に入りは、主人公の次女エリザベス。 母にとっては、もっとも理解しにくい娘である。 彼女が大金持ちのダーシーを射止め、ラストでは誰よりもリッチになる。 エリザベスとダーシーの関係は、上に書いたように、 ハーレクインロマンスの典型的パターンの礎を築いたともいえる。 大金持ちだがどこか取っつきにくく背の高い独身男性、 意地っ張りで魅力的だが、男性よりも格段に貧しいヒロイン。

そして三番目のメアリは変わり者で不器用な頭でっかち、 末っ子のリディアはうわついた男好きのお調子者。 四番目のキッティも似たようなもの。 母の目にはまたちがって見えているのだが、父とエリザベスにとって 下の三人は、言葉は悪いが、上のふたりのおまけのようなものである。

エリザと父親が家族の話をふたりでする場面では、 その鋭いユーモアに吹き出してしまう。 それがなければこの作品は、家庭小説と呼ばれるにとどまったろう。

最近の映画ではベネット氏が妻に言っていた親らしい科白、原作では ベネット氏、これから結婚するジェーン本人に言っているのだった。なるほど。

「わたしは、お前がしあわせな家庭をもつと思うと、うれしくてしようがないんだ。 お前たちはきっとうまくやってゆくにちがいない。気性もけっしてちがってはいない。どちらも、相手の言うなりになるから、何ひとつきまることはあるまい。どちらも、お人好しだから、召使いの一人一人にだまされるだろう。たいそう気まえがよくていらっしゃるから、いつも支出超過ってことになるだろう」 (引用)

(マーズ)


『高慢と偏見』上・下 著者:ジェーン・オースティン / 訳:富田 彬 / 出版社:岩波文庫1994改版

2003年03月10日(月) ★夢の図書館 春休みのお知らせ

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