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■ ライ麦畑の収穫は遅かった。
中学生になって、はじめてのテスト。紙が、小学生時の上質紙から、わら半紙に変わったことにはじまり、問題文が「りんごとみかんをあわせて、いくつになるでしょうか?」というような丁寧文から「和を答えよ」というような命令調のものになった時に、自分が大人予備軍になったことを悟り、愕然とした記憶があります。 それでも中学校のときは良かったのです。でも、将来のことも考えてなかった高1の4月に、志望校を書けといわれた時の困惑。適当に乗り込んだトロッコが、すでに大人候補生用だった衝撃。当時の私は、山月記の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のとこばっか読んで、泣きすらしました。救われたかはわかりません。でも、もやもやを短い文章にしてもらえた安堵感がありました。未だに山月記が心に残るのは、あの時期に出会ったためでしょう。 というのは、最近、ライ麦畑でつかまえて、を読みました。最初、主人公が、むかついてなりませんでしたが、途中から、弱さを隠して強いふりをしたり、子供をかくして大人のように振る舞ったりする主人公を理解するようになりました。だって、あの時期の私と似た者同士ですもん。とはいえ、そこから感じるはずの痛みは、かなり薄れていました。山月記の時のような気持ちは出てきませんでした。 たぶん、私、ライ麦畑でつかまえて、読むのが遅すぎたんでしょうね。もっと早く読んでいたら、山月記のような存在になったかもしれません。でも、あの頃の私、理解できるのかしら。読むの遅すぎた、と思った小説は、これが初です。
2009年03月01日(日)
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