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■ 原風景という名の恥。
たぶん、蛍を最後に見たのは、祖母の家だったように思うます。でも、あの時はたったの一匹で、本当に蛍だったのかさだかじゃありません。その少し前。会津にキャンプに行ったとき、あれが確信できる蛍の最後だったように思います。 会津はご想像の通り、ど田舎で、今から20年近くも前となると、さらに田舎でした。見渡す限りの田んぼ、見渡す限りの無人。少し遠くに申し訳程度の猪苗代湖。その見渡す限りに蛍が、ふらふらと漂っていました。蛍の光は音のなさ、気配のなさが不思議で、しかもそれがその場に居合わせた人間たちの数より遙かに多かったりすると、不気味さを感じます。もちろん、当時の私は元気いっぱいバカ小学生だったため、そんな感慨にふけることもありませんでしたが。しかも、どうも一緒にいた大人は、それに気づいていたのではないかしら。妙にはしゃいだり、突然、無口になってみたり。きれいだなあ、と思うかたわらで、気配のない美しい不気味さの中に放り込まれてしまったような。 蛍の光は、たぶん桜とにています。そんな気持ちになれる蛍、もう一回みたいです。でも、そんな光景が自分自身の原風景なんて、格好の悪いものに変化しつつあることも認識しながら。原風景ってかっこわるいなあ。
2006年06月26日(月)
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