スナックおのれ
毛。



 原風景という名の恥。

 たぶん、蛍を最後に見たのは、祖母の家だったように思うます。でも、あの時はたったの一匹で、本当に蛍だったのかさだかじゃありません。その少し前。会津にキャンプに行ったとき、あれが確信できる蛍の最後だったように思います。
 会津はご想像の通り、ど田舎で、今から20年近くも前となると、さらに田舎でした。見渡す限りの田んぼ、見渡す限りの無人。少し遠くに申し訳程度の猪苗代湖。その見渡す限りに蛍が、ふらふらと漂っていました。蛍の光は音のなさ、気配のなさが不思議で、しかもそれがその場に居合わせた人間たちの数より遙かに多かったりすると、不気味さを感じます。もちろん、当時の私は元気いっぱいバカ小学生だったため、そんな感慨にふけることもありませんでしたが。しかも、どうも一緒にいた大人は、それに気づいていたのではないかしら。妙にはしゃいだり、突然、無口になってみたり。きれいだなあ、と思うかたわらで、気配のない美しい不気味さの中に放り込まれてしまったような。
 蛍の光は、たぶん桜とにています。そんな気持ちになれる蛍、もう一回みたいです。でも、そんな光景が自分自身の原風景なんて、格好の悪いものに変化しつつあることも認識しながら。原風景ってかっこわるいなあ。

2006年06月26日(月)



 パイパー。

 社長のパイプがすごい。今、私の中で、一番熱い。うさんくさい。胡散ってなにかしら?と思っていても、想像もできない、その「胡散」の香りが漂ってくる。
 社長のパイプの噂を聞きつけたのは先週のこと。出張先の空港で、パイプをくわえてやってきたという情報を聞き、ちょっとやりそう、いつものことじゃない、そう思ってました。当時、私が予想していたパイプは普通の水平のあまり傾きのないもの。ところが昨日、写真を拝見したところ、すげー湾曲していることに驚かされました。その曲がり方、くねり方と言ったら、小さなサックス、小さなバグパイプ、たんぽぽの花がしおれた後に、また花を天に向けてむっくりと持ち上げるような、そんな形状です。度肝を抜かれました。私の中のどこに眠っているかわからない「度肝」というものが、根っこごとふいに抜かれたんです。
 こわやこわや。しげのパイプ。間近に見ようものならば抱腹絶倒、七転八倒、脳卒中。居合わせた仕事先の何人かの方々が、彼のことを影で「パイパー」と呼んでいたそうです。もしかしたら、私にはそんな余裕もないかもしれない。きっとヤバいことになる、そんな気がします。

2006年06月20日(火)



 本への複雑感情。

 電車は好きで走っているんじゃないだろうし、鳥は飛ぶことを常に楽しんでいるわけじゃないでしょう。はたまた、木は何を好き好んで秋に葉を落とし、春に芽吹くのか。高所恐怖症の高層ビルだってあるはずです。
 そう言うかんじで本を読んでいます。本を比較的持っていても、常に読んでいる本があったとしても、好きか嫌いかは別です。私は今いちやはり「本が好き!」と素直に叫べません。夢中になることはあるけれど、それは何だって該当するはず。機械体操で一瞬夢中になっても、好きか?と問われると、考えてしまうような、そんなとこです。
 でも、本、読むなあ。今も読んでいるなあ。なんなんでしょう、この感じ。今日、「本好きへの100の質問」というのを見つけました。やろうかやらまいか考えて、「本好き」というのに自分が果たして該当しているのか?と思いました。「本嫌いへの100の質問」だったら速攻できたかもしれないのに。私にとって、本は「仕事」。たぶんそんなことなんだろうと考え始めています。

2006年06月16日(金)



 東京巨大資本、その眼下で。

 人生二度目となる丸ビル体験。とはいえ、浮かれて遊びにいったわけではないです。仕事の資料探しで行きました。遊びには行けないです、私なんかが!
 ところで人生二度目だけあって、東京駅丸の内口を出て、はてどのビルだっけ?と迷いました。たぶんコレだったはず、というビルには何の装飾もない。一大エンターテインメントを提供する東京のプレイスポットなのに、おかしい。
 いぶかしんで、そこらのタクシーの運転手さんに聞きました。
 おじさん、一笑しながら「アレ」と指差す。
 私、同時に「コレ?」と指差す。
 なにやら笑いあってから別れたときに二人同時に「丸ビルなんて・・・ねえ?」と考えるのがわかりました。あきらめともはずかしさとも軽蔑とも屈辱ともつかぬ不思議な心持ち。なんか丸ビルが似合わない二人が丸ビルについて語り合う様。巨大なビルの下、巨大な資産を仰ぎ見ながら、関係のない庶民が心持ち共有する様。東京、丸の内、ただ広い場所で。二人の庶民が出会ったことに感謝したく思います。



2006年06月14日(水)



 サンナ・アヌッカの絵。

 くるりの岸田がLeyonaに曲を提供した様子。というわけでさっそくituneのストアで検索しようとすると、トップページになにやら可愛らしい絵を発見。ほとんど洋楽を聴かない私ですが、思わずKEANEを調べ、ついにはアマゾンで購入。音楽もまあ気に入ったけれど、それよりなにより付録のブックレットが欲しい!
 絵は北欧のカーテンにあるような対称の絵。しかも、そこに思いが組み込まれていて素敵。サンナ・アヌッカ。忘れない。そして、調べるうちにKEANEのHPにて壁紙ダウンロードを発見。いや〜。きれいなんですけれど、怖さと哀しさのようなものが組み込まれていて、すばらしいです。子供の残酷さをみるような不安な気持ちになれます。大きな一枚絵で欲しい!でもまだ日本では絵本や制作物がでていないみたい。さんざん調べたけれど、発見できませんでした。なんでもいいから、手に入らないかしら。

KEANEのHP
http://www.keanemusic.com/

2006年06月09日(金)



 4人姉妹の素直さ恐ろしさ。

 谷崎潤一郎の「細雪」上中下巻を、やっとのことで読みました。読み始めると早いのですが、読み始めるまでが長くて、3ヶ月がかりの大事業。その間、寄り道もありましたが、なんとか。
 読んで思ったのは女兄弟は怖い!四姉妹、おそるべし!身近なところで言えば、私の母リエコがちょうど四姉妹の三番目。田舎の四姉妹と関西の良家の四姉妹を比較するのはおかしいのかもしれませんが、本質は一緒だと思ってます。何かすれば、皆から非難をくらう・・・。私自身は弟と二人だけの兄弟なので、4人兄弟がいること、ましてやそれがすべて女だった場合のことなど想像もできません。ただ、つながりのようなものは、女同士の場合、おおっぴらで素直に表されるもののようですね。そこが、うらやましくもあり、怖くもあり。
 まるで本当に実在していたかのような四姉妹のお話。なんだか素直に面白いなあ、と思って読むことができました。


2006年06月08日(木)



 村上ファンドの村上。

 テレビで村上ファンドの村上氏のインタヴューを拝見しました。彼のいさぎよさには、びっくりであります。軽く非を認めました。そして、「私、堀江君、大好きですよ。」の一言。これ、私になかなかどうして響きました。それまで阪神タイガースの問題から「?」という気がしていたんですが、一気に個人的に「大好き」の領域に入りました。
 堀江氏の一件があってから、私、テレビで誰もが奴の存在を無視しているかのように見えてならなかったんです。堀江氏がテレビにたくさん出ていた頃は仲良さそげだった奴ですら、いなかったかのように扱う、それがどうもなあ、と思っていました。しかしながら、村上氏、自分の立場がこうなったからとはいえ、きっぱり言った!潔い!大好きだ!好きなものは好き!嫌いなものは嫌い!素敵です。私もそうありたい。
 村上氏を本質から正直な人とは言い切れないとは思いますが、あれがもしたとえ演技だったとしても、良いコメントを聞かせていただいたと思う所存です。

2006年06月05日(月)



 大好きなものへ、最大の不幸を。

 いつものようにアクセス解析を見ていたら、「東京メトロ帽」「メトロ帽」でここにたどりつく人がいてびっくり。やっぱり皆さん、気になっていたんですね。ちなみに会社の東京メトロ帽は季節のせいか、別の帽子に変わりました。どこにでもあるようなキャップなんですが、やはりその人なりの雰囲気の問題なのでしょうか。田舎の青年団風もしくは魚屋朝市編みたいに見えます。すると、なぜだか、自分のことが気になりました。私もお気に入りの服なり、ネックレスなり、帽子なりを台無しにしてるんじゃないか?と。その場合、私に購入されてしまった私の大好きなものたちは、不幸なんじゃないか、と。毎日のように会社で、元・東京メトロ帽に出会いながら、そんなことを思っています。


2006年06月02日(金)
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