スナックおのれ
毛。



 便通と保健室。

 子供の頃、糞便をするのが大嫌いだった私。特に学校では、ひどい仕打ちをうけるのがわかりきっていたため、すべて修行のようにじっと我慢しておりました。そんなわけで、腹痛がきたら、コレ、即保健室へ。刺激が終わるまで、寝て過ごし、なんとなく元気になったら、保健の先生と話す。そんなことを繰り返していました。
 それがいつの頃からか、突然、保健室に行かなくなりました。なんでだったかなあ、と今、思い出すと、転校先の保健の先生があまりに人気を博しすぎていて、とっつきにくかった、というのが理由のようであります。その先生は50代くらいで、髪が宗教的に長く、たぶん、経験もある方。休み時間になると、男子も女子もこぞってあつまっていました。そんな先生に新参者が介入するのはとても難しい。とはいえ、おかげで授業さぼりぐせはなおり、「腹痛は夜」いう体になりましたが。
 結局、私が便通に関する諸処の事情を克服したのは、大学生になってから。いいかげんカラダのことで開き直る人々を目の当たりにしてからです。おかげさまで、最近は便秘2週間なんてことは、とんとなくなりました。とはいえ、今だにエンターテイメント的に便通を我慢するということしたりしますがね。いけない・・・。

2006年08月28日(月)



 たましいのバカンス。

 金曜日に夏休みをいただき、新潟に行って参りました。場所は六日町。そこの古民家を一棟まるごと借り、二泊。お値段は一泊3800円。自炊。風呂も薪で自分たちで焚くシステム。男8人+女1人(既婚)。とはいえ、たくましいかな。男8人、自ら薫製をつくる、薪を割る、飯をつくる、なんでもいたします。なので、私なんかはなにもせずにのうのうとしていたわけですね。
 耳をすます必要もなく、蝉の鳴き声に四方を囲まれ、夜は蛾とお友達に。鈴虫の聞こえる庭からは、土のかおり。古民家特有のすえたにおいと、きしむ木の床のやわらかさ。自分のことを空なのか、土なのか気分を錯覚するほどの植物の大集団。私の魂、深呼吸。都会のネオンや雑踏、夜でも明るい空にいささか疲れていたんだなあ、と思いました。だって、到着間際、畳に転がって昼寝したときの安心感ったら!
 楽しい気分の時は、ディズニーランドもいいけれど、やっぱりこういうのが私にはしっくりくるみたい。地味だといわれたとて、休息スタイルはそれぞれですから。

2006年08月27日(日)



 「揺れる」。

 いつのまにかまわりから与えられている「この人ってこんな人」、というイメージ。求められているという意味ではとても嬉しいけれど、それが窮屈になると苦痛でなりません。「そんな人じゃないと思ってた」だの「そんなことする人だったの?」だの。その人が創り上げた「私」のイメージからはみ出してただけで、なんでそんなんいわれにゃならんの?と思うことがあります。
 私にしてみれば、全部自分です。ALL自分。勝手につけられた私のイメージはすべて予測であって、当たりじゃない。しかしながら、当たりは、私の中の「私」でもありません。ただその空間にある今の自分の行動、位置状態、熱量、状態、ポテンシャル、すべてです。また、その人自体を予測の範疇内で全部つかもうとすることに意義はあるのか、とも思ったりします。
 「揺れる」の兄さんはそれだと思いました。まわりに求められている自分を演ずる自分とそれに逆らう自分。怖いけれど、反面、とても「人間」です。また、罵倒に困惑し、激昂する弟。
 兄弟って不思議です。性格の成り立ちも、生活も共有してきたのに、わかってしまっている分、友だちより遠い。兄弟よりも、人間同士って?という映画だと思いました。

2006年08月17日(木)



 「太陽」をみました。

 幼少の頃。祖母宅に飾られていた昭和天皇と皇后様の写真を見て、自分の血縁だと思っていました。子供の私にしてみれば、自分の血縁以外のじいさんばあさん以外の写真を飾りはしないだろうという考え方。とはいえ、血縁である、と思ったものの、そんな人たちを会ったこともなければ、見たこともない。一体誰なんだ?と思いながら、写真を眺めたことをおぼえています。
 「太陽」を見ました。公開までにいろいろ物議をかもした映画でしたが、とても良かった。事実がどうだったかはわかりません。でも、一般的に「個」として・・・?が伝わってきました。個人的には桃井かおり演ずる皇后がみせた一瞬の表情とイッセー尾形演ずる天皇とマッカーサーとの対談がとても印象に残っています。これを機に、一番嫌いだった日本の近代史を勉強してみようかな、と思いました。

2006年08月16日(水)



 結婚と食事。

 自分自身の食事のマナーが良いとは思っていないけれど、ご飯時の習慣にどうも神経質になる。たとえば、お箸の持ち方、食べ方、どうも気になる。友だちならまだしも、これが彼氏など連れ合いの部類になると、いっきに爆発する。
 口の中での租借を見せつけるようにして食べる人と付き合ったことがある。おいしいということを無意識に表現した結果らしいが、その無意識すら、私は嫌悪した。というわけで、気になるたびに何度も何度も口酸っぱくして2年間、やめるようにと言い続けた。ほかにも、寄せ箸、ねぶり箸、すべてやめるようにと言い続けた。が、別れても直らなかった。
 犬食いする人とも付き合ったことがある。食べるときに顔をあげない。茶碗を手に持たない。碗をテーブルにおいたまま、米をせせるようにして食べる。かろうじて手に持ったな、と思っても、やっぱりせせる。豪快ならまだ許したかもしれないが、それをのど元に引き寄せるようにして、顔を下に向け、背を最大限にちぢこめて食べる。なにか貧乏くさくて嫌いだった。でも、それよりなにより食べ物に対する敬意がこの食べ方からは見られないことが嫌だった。その人にはそれを指摘する間もなくフラれた。別れ土産に指摘しといてあげれば良かった、と今、思ったりする。あいかわらず、犬食いしているのだろうか。
 そんなことを思い出しながら、食事中、主人を見る。この人は、非常に行儀良く食べる。おいしさの表現、箸の持ち方、食べ物の扱い方、食べる姿勢(基本、主人は正座である)、すべて良い。逆に私が指摘をうけることもある。それもかえって気持ちが良い。
 先日、読んだ本に「その人といっしょに、めしを食うのが楽しい、と思ったら、結婚すればいいよ」というくだりがでてきた。まったくもってその通りだ、と心から納得した。

2006年08月15日(火)



 はばタン公務。

 はばタンが次々に倒れているらしい。43体大行列という見せ場で次々と倒れ、計11体のはばタンが救護班に収容された模様。スポーツ万能なのに、元気を売りにしているのに、不死鳥フェニックスなのに。そりゃあ、ぬいぐるみの表面は涼しい顔して、中はサウナですもんね。しかも中身が、普通の公務員とくらー、倒れないわけがない!
 地球温暖化(?)とともにマスコットのプロフィールに破綻が来ている!ここで私は提唱したい!たまには、アウトドアよりインナー派、趣味は読書、冒険より現状維持、ちょっぴり恥ずかしがり屋(やすみがち)を旨とするキャラクターがあってもいいんじゃないかと。でも、それってもしかしてムックか!?

<のじぎく兵庫国体>
http://www.habatan2006.jp/
ちなみにダウンロードできる壁紙のほとんどが写真でびっくり。
普通、大半がイラストのような気がするのですが。


2006年08月14日(月)



 びっくりと激昂の間で。

 怒りの臨界点が高いのだか、鈍いのだか、あんまり激昂しないわけです。友だちに「ええ!??」ってこともありますが、あれも自分の感情を押し上げてます。実のところ、心の中では常にスタートラインを確かめ、てさぐりのまま鉄砲を打ち鳴らし、目隠しのままトラック5周を全力疾走する、というような怖さを感じてます。
 とはいえ、振り返ってみると、私の怒りの飽和点が高いのは、「びっくり」が先にたつせいと思われます。たとえ、理不尽にからまれようと、自分に物がいきなりあたろうと、相手があきらかに変であろうと、「びっくり」が一番に私の頭にやってきて、年に一度の「びっくり」祭というような、「びっくり」づくしというような、「びっくり」で満室というような、「びっくり」フェア開催中というような、はたまた「びっくり」現象・「びっくり」ソリューション・「びっくり」ネットワーク網で「びっくり」インタラクティブ、というようなわけわからない状態に陥っています。「?」がやってくるのは、それがすべて収まったずいぶん後。それでも怒りになるかどうかは、体調次第。
 一体全体、怒りのもとはどこにある?私の中なのか?とはいえ、びっくりと折り合いをつけなければ、私はすぐには怒れない。だれか、激昂をわけてください。

2006年08月03日(木)
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