スナックおのれ
毛。



 めでたい話と。

先日、友人が盛大にふられました。良い感じにことは運んでいたようなので、知らせをきいたとき、なにやら胸中、寂しい風がふきました。そこに本日、後輩のめでたい話が届きました。遠距離恋愛6年越し。ついに入籍。そして、東京に戻ってくるという話。懇意にしているのは、夫となる後輩(とはいえ同じ歳)でもなぜだか嫁の方に良かったねえ、と心から思いました。
春うらら。桜ゆれる。人おもう。

2006年03月27日(月)



 油脂バルーンの悲劇。

 太った。肥えた。しまった。あやまった。馬肥ゆる秋、でもないのに、人間なのに、腹回り、足回り、腕周り、および面周辺…出荷前みたいになっています。ボクサーだったら、満腹ボクサー呼ばわりです。つい最近まで入っていたスカートもはけなくなる始末。春なのに。夏だってくるであろうに。最低です。
 というわけで、突然思い立って、エクササイズを始めました。腹、足、けつ、思いつく限りのエクササイズでもっていっきに酷使。足の腱にいたっては、若干つりそうな予感すらします。明日もこのモチベーションが続いているかは、かなりなぞです。
 エクササイズは続けることが重要と言います。継続苦手人間の私から見れば、続けることこそエクササイズが意味することではないかと思います。それでいくと、私のエクササイズなんて、くそみたいなエクササイズ。つまりエクソサイズ。果たして、このエクソサイズをエクササイズにできるのかどうか。体の随所に装備した油脂バルーンを抱えながら、うなだれるばかりです。

2006年03月24日(金)



 献血を考えてみました。

 時折、献血します。とはいえ、無職のときに限ります。だって、血を抜くと眠くなって仕事できません。でも、本当の理由は、お金がなくて喫茶店に入れなかったからです。献血ルームではお菓子、お茶のたぐいが飲み放題。時間も潰せるし、無職の私にはちょうど良い、というわけです。
 昔、某献血ルームでは図書券を配っていたそうです。もちろん、本当はいけないことなんですが、単純に良い制度だと思いました。だって社会貢献という自己満足でもって、忙しいときに時間をつぶしたり、痛い思いしたり、体調が悪くなるには、どうもワリが悪い。命を助けるなんて言われても、そいつが礼状をよこす訳でもなし、と思ってしまいます。
 「献血」。血をささげるという意味の献血。嫌いです。ただもらうだけという姿勢があらわれています。どうも血は、病院にいったら、当然もらえるものとしているかたわら、献じるには「やってやってもいいよ」感がぬぐいされない気がしてなりません。だから私も喫茶店がわりになら「やってやってもいいよ」と思うんでしょう。とはいえ、血なんていつなんどき必要になるかわかりません。その場合は、いずれか同じ量だけお返ししたいな、とも思います。
 血不足をうけて、秋葉原なんぞの献血ルームではメイドがマッサージをしてくれるそうです。しかし、果たしてサービスの問題なのか。結局、サービスと「やってもいいよ」のいたちごっこなんじゃないか。血が足りないなら、いっそのこと血を貸し借りするシステムに変えるのはどうだ?と思ってみたり。本人が返せなければ、まわりが返す方式で。預金みたいな預血も可能みたいな感じで。

2006年03月23日(木)



 グレープフルーツ地獄。

 法事の時に頂いたグレープフルーツを食べようと半分に割ったところ、びっくり。房が小さい、しかも種がびっしり。スプーンで食べようにも、うまくいきません。ですから、果実をむんずとつかみ、手でむしり割り、果物がすげー好きな人よろしく食べるに至りました。しかし、種です。罠か!と思う程、種まみれなのです。一つの房に8個もの種が入っている例もありました。それをまたひとつひとつ掻き取って口に入れて、やっと完食。
 私、別段、果物がなにより好きというわけではありません。グレープフルーツジュースは飲みますが、青果は面倒くさくて好きじゃないです。ではなぜ真夜中に食べようとしたか。それは、ただゴミを減らしたい一心で、ただテーブルの上を片付けたい一心で。でも結果的には、私、グレープフルーツが好きなのに、ずっと禁じられていた人または、グレープフルーツを食べなきゃ死んじゃう人みたいじゃない。真夜中に、口のまわりを汚して、少々打ちひしがれた次第です。

2006年03月22日(水)



 長州小力腹。

 週末、主人の郷里“岡山”に出かけていました。久しぶりの法事。納骨などをすませて、さて食事会となったとき、びっくりしました。だって、机の上に甲高のお盆があると思いきや、それが弁当だったんです。葉っぱだと思ったら、昆虫だった!みたいな衝撃!!!でかすぎる・・・。人間のサイズを読み間違ったかのようなサイズ。50×40センチくらいの箱にびっしりとつめられた見渡す限りの食べ物。しかも、ご飯もの3種は別容器入り。ふと思い出したのが、その数分前に言っていた義母の台詞「ジップロック持ってきたで!」。なにをそんなに自慢げに・・・と思っていたんですが、このことか!と思いました。ですが、私としてはなるべく持って帰りたくない。だって、持って帰ったら絶対食べないもの・・・。というわけで、一人大食い大会開始であります。義姉、義妹が次々と敗退する中、私、食う食う!結局、カニと飯3種だけをお持ち帰り。後に、自分の腹に長州小力を見たのは、言うまでもありません。

2006年03月20日(月)



 春。

 桜の開花がいつもより早くなっているようですね。確かにここ最近、あたたかい。寒い日の次にはかならず暖かい日がやってきて、より気温が高く、長持ちするようになっている気がします。毎年、迎えている春なのに、たぶん毎年思っていることなのに、いつも次の季節に翻弄されて忘れているような気がします。
 とはいえ、29回めの春。今年は何があるかしら。やっぱり眠くなったりするのかしら。日焼け対策が遅れて、夏の前に黒くなったりするのかしら。ああ、そんなどうでもよいことを考えてしまうのも、春なんですねえ。

2006年03月15日(水)



 ポツドール「夢の城」

 先日、ポツドールの夢の城を見に行きました。舞台は若い男女7人ちかくが住むアパートの一室。舞台では、笑い声や喘ぎ声、怒声はあるのに、人と人との間で発せられるような「会話」や「声」の一切ない舞台でした。
 「会話」は、普段気にもとめてないだけに、そのあるべき姿を問われると、とても難しいです。会話はその内容だけではなくて、もっと別な働きをしているようにも思うんです。たとえば、笑い声。「あなたと話していると楽しい」とか「あなたはおもしろい人だ」とか、事柄を楽しむ以外に、相手に話しかけています。喘ぎ声も怒声も同じ。そうなると、そもそも気持ちが相手に向いていなければ、会話は本当には成立していないのかもしれない。だから、同じ部屋に住む男女全員、一人で生活しているような違和感を覚えたんでしょうか。
 ただ舞台の最後にでてきたすすり泣きは、一番孤独なのにもかかわらず、一番雄弁に話す言葉だと感じました。育ちや性格にかかわらず、人間の奥底には「人の間」と書かれる理由が眠っているのかもしれません。

2006年03月14日(火)



 重機は歌う。

 春めいて参りました。空気中にほのかな花の香りがあるような錯覚を覚えます。そんなわけで最近、窓を開け放しております。そこで気づいたこと。工事の音が、うるさい・・・。
 工事の音、と聞くと、皆さんは昼間だけを想像されるかもしれません。しかし、ここ豊洲は未来の東京ベッドタウンを狙ってか、日曜を除いて朝昼晩、深夜関係なく工事しっぱなしです。ときには、「あれ、とってくれー」というような作業員の声すらします。近所の話題も、「昨日の晩はとくにうるさかったわね」というような話題になる始末。とはいえ、音に対してなれてはきました。ですが、馴れすぎて、工事のない日曜に違和感があります。嵐の前の静けさを感じるようなソワソワ感。非日常が日常になり始めた恐怖・・・。
 豊洲の工事はまだまだ続きます。それが終わったとき、私はショベルカーや掘削機の音なしに生きていけない人間になっているかもしれない。少なくとも、周囲に住む子供には他の場所の子供と違った感性がうまれているはず。たとえば、みんな将来、工事の作業員になるような・・・。
 ああ、今日も重機が歌う。うぐいすのふりして、歌っている。
 

2006年03月11日(土)



 ウェルカム to ハットファーム。

 東京メトロの帽子が気になります。厚手の段ボールでできているような固い質感、微妙な高さ、小さなツバのアンバランスさ、上から見た時のおそらく丸い形状、薄い色と濃い色のコントラスト、機能性を省いた無駄な儀礼感・・・。総じて、帽子以外の機能がありそうな期待感があります。たとえば、水をくめるような
、虫を捕まえられるような、植木鉢になるような、さいころを入れて賭け事ができるような、ちょっとした収納スペースとして利用できるような、内側にギザギザがついてて胡麻がすれるような、ジオラマが広がっているような、実はリバーシブルで寒い日はロシアの帽子に変身するような、本当は年賀状用の大きな判子のような・・・。想像は無限大です。
 また、うまいかぶりこなし(?)をしている人としていない人がいるのも、とても気になります。どうやら、アレ、おでこの狭い人もしくは髪の毛が固くてモサッとしてる人には似合わないみたいですね。のっぽさんのゴン太風または塩沢とき風に見える人もしばしば。とはいえ、似合っている人も、土管に頭を吸い込まれた?的な錯覚を覚えてしまいます。
 そんな帽子を会社で発見しました。色はちがったけれど、形はおんなじ。おかしくてなりません。一体、彼は何を思ってそれをかったのか。一児の父が何を思って・・・。東京メトロ帽を買う理由。想像とともに謎が深まるばかりです。


2006年03月08日(水)



 花の末路。

 彼女に会う時は花を買うという友人がいます。小さなブーケを待ち合わせ場所に持っていくのだとか。その時の彼女の嬉しそうな顔が良い、と言っていました。
 結婚して約1年、付き合って約5年。私は主人に切り花を贈られたこともせびったこともありません。結婚式のブーケですら持って帰るのが面倒くさいと、主人の祖母へ贈りました。どうも切り花というのが好きじゃありません。ゴミ箱に捨てられた光景がとても嫌いです。店先でミニブーケを眺める分には良いのですが、家に飾るのは土に生えた植物でありたい。そう思っています。
 しかしながら、くだんの友人の元彼女。部屋があまりきれいじゃなかったみたいですが、その場合、ミニブーケはどう飾られたのか、果たしてその末路は?謎です。

2006年03月01日(水)
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