スナックおのれ
毛。



 私は歩くうんこ袋。

 生来の便秘です。おぎゃあと生まれた瞬間から便秘でした。(母リエコ談)1週間2週間は、当たり前。フンを生む時は、脂汗ならびに血。そんなことが当然だったんです。でも、ここ数年、それが解消。便秘になっても2、3日で済むようになりました。理由はさっぱりわかりません。食べ物を変えたわけでもないし、生活習慣をかえたわけでもありません。むしろ、生活習慣に関しては悪くなってる節すらあります。25歳はお肌の曲がり角と言いますが、違う意味で私の場合、体質が変わったということでしょうか。
 ですが、ひとつ問題が発生しました。以前はさっぱり感じなかった便秘の時の体の不調を感じるようになりました。2、3日でも貯めれば、すでに体がだるく、胸を突き上げるような気持ち悪さがつきまといます。もしかしたら、以前からそうだったのかもしれません。ようやっとそれに気づき始めたと言うか。解放されて、やっと辛さがわかったというか。昔の私にしては当然のようにあった体調に不快感を覚えながら、便の出るすばらしさに打ち震える毎日であります。

2005年01月31日(月)



 働きはじめのころ。

 仕事を始めたばかりの頃。色々覚えたりすることで一生懸命でした。最初、私は試用期間でアルバイトだったんです。その会社では異例の新卒だったということもあって、たくさん気を使って頂きました。実際、仕事はあまりなかったんですが、なんだか学ぶことばかりで忙しいと感じていました。でも、そうやっているうちにいつのまにか正社員になり、仕事も少しずつさせて頂けるようになって。あの2年間ほど早く過ぎることは、今後、あるのかなあと正直思います。
 そんなことを、ある人の日記を見ていて思い出しました。その方は新卒みたいで、まさに私のあの時期まっただ中。毎日、いろんなこと学んでるんだろうなあと思います。

2005年01月29日(土)



 おしゃれキャットについて。

 今、私の周りが空前のキャットブームです。たとえば、獣すべてに触れなかった友人が、キャットを触れたことをきっかけにキャット狂いとなったり、「あら?」と何気なく手に取った本の内容がキャットだったり。それと、よく見かける「おしゃれキャット」。最近、繁華街に出ると、おしゃれキャットの物品を所有している人をよく目にするんです。
 ところで、私は「おしゃれキャット」の映像をまだ目にしたことないんですが、彼女たちはどこで見たのか不思議でなりません。先日も百貨店の展望レストランにて、おしゃれキャットのかぶりものをした女児を見ました。どこでどう覚えたのか、こう、片手を顔の位置に掲げて結んだ手のひらをくいっと曲げ、小首も曲げて、上目遣い。おしゃれキャットと言えど、キャットですから、よもやそんなポーズはすまい、可愛さアピールの手ひどい女児だの、と私、その場は思っていました。ですが、最近、ディズニーのプリンセスフェスタのCMに仰天。左端のキャットがドレス来て、例のポーズ。まさかあの女児はモノホンの真似だったのか!?ってか、プリンセスフェスタにキャットいれんなよ。白雪姫の名前は白雪、地位は姫、オーロラ姫、人魚姫・・・以下同様。ですが、おしゃれキャットの名前は「おしゃれ」で、地位は「キャット」じゃない。こら、おしゃれキャット。変なポーズはするわ、姫じゃないわ、一体、どうなってんだ!

2005年01月28日(金)



 適当、の家系。

 先日、母リエコがその母ミズエに「じいさんは?」と聞いたところ、ミズエ「まだ」と答えやがったそうであります。ちなみにじじいは、酸素チューブを片時も離せない生活をしていますが、趣味のカラオケとなると、酸素チューブをやにわにはずし、熱唱します。また、じじいとばばあは、二人そろって、夜、行方不明になることがあります。そんな時は、たいてい、どっかの家にカラオケに行っております。田舎ですからね、家に不釣り合いなカラオケシステムがあったりするんです。最近では、皆、行方不明にも慣れました。
 以前、こんなことがありました。じじいとばばあは二人だけで住んでいるのですが、2〜3日行方不明になったことがありました。同じ敷地内には叔父叔母の家も建っているのですが、彼らにもその行方はわからず、親戚一同、首をかしげるばかり。(心配はしません。どこでも生きていける人たちだと自信を持っていえますから)ところが、その数日後、カンカン帽を小粋にかむったじじい登場。ばばあも、てみやげいっぱい帰って参りました。どうやら、奴ら、沖縄に行っていたらしい。誰にも言わず。それを問いつめれば、「いわなかったっけ?」のひとこと。叔母はそれはそれは気の強い人なので、ミズエを問いつめると「リエコにいったような気がする」。リエコ、聞いてない、と困惑。だいたい、電話なんてしばらくしてないじゃないの、と。
 そんな血が私に流れている。脈々と続く支流の末端に、私はいる。最近、もっと慎重に!と言われると、なんだかその宿命が私に知らせる。努力するのは自由だけど、たぶん無駄だぜ?と。

2005年01月27日(木)



 一生、研究対象:自分。

 自己PRを考えている。あまり実績がない私には、この自己PRが難しい。
 だいたいにして、実績がない人の自己PRはあまり読んでもらえないんじゃないだろうか。ただ人というのは往々にして、面白いことが好きである。たぶん文章を読むのが苦手な人でも、きっとそう。そこが狙いめ。面白いならば、興味が持てたのであれば、冒頭に目がいく。もっともそこからが大事なんだろうけれど、パッと見で興味をもたせ、冒頭を読んで、引き込ませる。それが良い自己PRなんだろうと思う。自己PR書きは、自分のお家に片思いの人を招き入れる行為に似ている。
 そんなわけで、今回は自分の良いところを100個あげて表題にして、面白いことができないかな、と考えた。自分が好きすぎてもいけないけれど、ユーモアを交えて、どうにかならんもんかな?と。
 でも、ここに来て、問題発生。自分の良いところ100個思い浮かばない。そもそも100個もかいたら読むの疲れるだろうし。では、節分も近いことだし、自分の年と同じ数27個。そうこうしているうちに、目的が自己PR作成ではなく、自分研究に。自分の良いところって、やっぱりわかんねえ。「明るい」「前向き」、でも?が残るところも事実。
 これから毎年、自分の良いところひとつずつ書き連ねておこうかしら。80歳までには80個たまるかしら。100歳までに100個みつかるかしら。

2005年01月26日(水)



 指力喪失。

 午後11時。二枚の履歴書を目の前に足踏みしております。明日、新たな派遣会社の登録に必要なのです。ちなみに職務経歴書も必要なんです。やらねばねなるまいて、そうは思っても面倒くさい。
 日頃、パソコンのキーボードしかいじっていませんから、ボールペンを手にして「書く」ってどうも面倒くさい。だって間違ったら書き直しだし、自分の字が汚くて嫌いだし、つまりはどうしようもイヤなんです。でもね、ちょっと昔はパソコンなんてなかったわけで、この私ですら、たくさん文字を書いていました。そんな折には、かしこまって書かされる習字というのがめっぽう嫌でした。理由は、今と同じ。書き直しできないし、字が汚くて嫌だったから。
 これからもっともっとパソコンが浸透しだしたら、書く文字はすっかりなくなるのかもしれない。ちょっと前で言う書道の位置にただの書き文字が来て、書道は石盤に文字を書くにも似たことに!?なんて。
 書き文字はきれいにさらさら書けて、こしたことはない、わかってます。むしろ良いこと、わかってます。でも、それができなければ、いいじゃない、プリントアウトで。そうそう、この履歴書って奴もさ。

2005年01月25日(火)



 外飯。

 お昼ご飯を久しぶりに外で食べました。もち、ひとりで。そして、家の近所にて。出発は1時すぎ。おかげで、お目当てだった寿司屋のランチが終わっていましたが、なにくそ!と奮起し、うなぎを食べることにしました。
 このうなぎ屋。以前から流行っているのかはやっていないのかわからないという点で、とても気になっていたんですが、店内はがら空き。ランチタイムを過ぎているというせいもあるかもしれませんが、みごとにがら空き。しかも、従業員が次々とご飯を外に食べに行く始末。なんじゃこりゃと思いながらも、やっぱりそこは外で食べるトクベツなうなぎ。ウキウキしながら待っていました。ところが、出てきたうなぎは、香ばしいかったけれど、それは少し焦げているから。焦げたうなぎって初めて食べたな、と感動すら覚えながら。もしかして、家で作った方が安くておいしかったかもしれないなあ、とちょっぴり切ない気持ちにもなりながら。
 ですが、ま、ま、ま。ともあれ、久しぶりの外ランチですから。あまり考えないようにして。ほら、考えすぎるとなんだってボロが見えちゃうもの。そんなわけで、こう考えることにしました。働いていたら、昼間の近所の風景なんて、そうそう見れないものよねえ、と。
 

2005年01月24日(月)



 専業主婦と赤子の縁。

 体が腐るような気がする。毎日、昼に起きて、みのもんたに挨拶。みのもんたといっしょに、どこぞの誰それの悩みを考え、ひとり言をいったりする。あきると、ゲームをして、テレビを見て、洗濯や掃除。家から出るのも面倒だから、乾物を水やお湯でもどして、自分のご飯をつくる。時折、本を読んだり、文章書いて。その繰り返し。腐る。
 以前、1ヶ月半くらいこういう生活をしていたことがあります。ですが、いくらふさぎ込んでいたとはいえ、良くできた!すげえ!と関心します。どうやら、私には無理です。もちろん働くと、朝起きるのは面倒で、満員電車は臭いし、疲れるけれど、やっぱり働いていた方がいいみたい。人と会って、話して、難儀な仕事で頭をなやませて。そんな毎日のことこまかな変化が必要みたい。
 専業主婦で日々を充実させている人もいるけれど、私にはできそうもありません。逆に、子供が欲しくなるのもこういう時なのかしらんとも思います。日々に変化をもたせるために生むのかしら、なんて。もともと子供が好きな人は違うと思いますが。まあ、私はまだ欲しいとも思いませんけどね。自分が子供なんで。

2005年01月23日(日)



 人が去り、また人を待ち、人が来る。

 メガネが去って、なんとなく落ち着いて参りました。なんだかんだで、この無職者。朋友:メガネの参上に浮かれまくり、はしゃぎまくり、すべてを忘れて遊び惚けておりました。ちなみに朋友;メガネとは、山形在住デパガであり、出張にて、この2〜3日間、宅に居候しておった者。「メガネ」はあだ名であります。
 まあ、そのメガネの帰宅後、私は恥ずかしながら、日々を怠惰に過ごしていたせいか疲れ果て、かつて母リエコに言われた「あんたは遊びすぎて、病気になるのよ」とのコメントを10数年ぶりに思い出しながら、リハビリを数日致しました。だって、体がおいつかないんだもの。毎日、筋肉動かしていなかったんだもの。嗚呼、仕事をしている期間だったら、こんなことにはならなかったのに。
 とはいえ、楽しすぎた。甘美な毎日でした。メガネ、また来ないかしら。そして、だれかまた来ないかしら。だって、その方が楽しいんだもん。楽しいこと大好きなんだもの。

2005年01月22日(土)



 ちんまり、へこみ。

 近々ダンナになる者の会社の恩恵で、家族寮というものに入れることになりました。家族寮の募集は毎月あるのですが、私たちは今月から応募が可能になったんです。ってなわけで、今月募集のリスとを見ていると、そこに「浅草寮」の文字。浅草ーそれは仲店に10分。駅まで10分の好立地。夏になれば、隅田川の花火大会が見られる可能性も!そんなこんなで、他の良い寮をさしおいて、ぶっちぎりで、浅草第一志望。
 今日は、そんな運命の抽選日だったのです。ところが、待ち望んでいた奴(将来ダンナ、実は冷たい奴と評判)からのメールには「だめだった、すまん」の言葉。単純に、なんじゃそりゃあと思いました。とはいえ、今回は応募件数が多いとの話も聞いていたので、仕方ないかと思いました。ですが、問題はその後の電話です。「同じ支社で応募している人が全部で4人。うち3人は受かり、俺たちだけ落ちた」ですって。ですって。なんですって!?
 運なのか!?それとも、黒い影のある饅頭か!?憤慨しながら、気分は下降線。とはいえ、話をよく聞いてみると、結婚のタイミングとかの話らしいんですけれどもね。でもなあ、そんなことは言ってもなあ、浅草なあ。なーんて思いながら。そして、自分自身の無職ライフを活かせる場が消えた!と思いながら、ちんまりへこみの本日でありました。

2005年01月21日(金)



 人種のモザイク。

 今日は、無職者であることを存分に活かし、昼ご飯を家の近所のファミレスですましました。 平日のファミレス。それは人種のモザイク。東京の縮図。オフィス街と居住区の差もあるでしょうが、本日訪れたファミレスには、ビジネスマンから学生、おばさんの集い、子供連れ、お年寄りなど、様々な面々を見ることができました。
 そんななか、不思議だったのが、たったひとりで来ているお年寄り。そのおじさんは、ドリンクバーでドリンクすべてをたちのみ。確かに、自由だけれども、落ち着いて飲んだ方が良いのでは?と思いつつ後ろで見ていたら、なにやら居心地が悪くなったようで、立ち去ってしまいました。とっぴな人もおるもんやねえ、ものめずらしかったのかしらんと思いつつ、あたりを見渡すと、たったひとりで来ているおじいさんおばあさんが多い模様。もしかしたら、これは寂しい光景?そうも思いましたが、中にはあのおじいさんのようにものめずらしがりもいるのでしょう。そう考えると、この一人ファミレス オブ 老人も、なんだか心が温まる話のようにも感じます。ドキドキしたりしてる人もいるんだろうなあって。

2005年01月17日(月)



 ゴミの出し方における自己啓発。

 東京に移り住んで5年。未だにゴミの出し方がよくわかりません。いえ、燃えるゴミと燃えないゴミ、リサイクルはわかるんです。でも、どこからゴミは粗大ゴミになるのかがわからない。
 今日もゴミを入れるゴミ箱(でかめ)と調味料入れに使っていたプラスチックの小さい戸棚のことで頭を悩ませております。私の地区の燃えないゴミの日は土曜。朝、きちんと起床する平日とは違って出しにくい日であるのに、根本的な部分で悩んでおるわけです。果たして、ゴミはゴミ袋に入りさえすれば、「ただのゴミ」として出せるのか。それとも、ゴミの種類なのか、cmかgか。私としては、ゴミ袋制度が一番都合が良い。だいたい、ゴミ袋に入ってりゃ、文句言えないんじゃないか?いやいや、待てよ。私、いつも思い込みが良くないって言われてるじゃないか。ここはひとつ、やはり区役所の方の助言をあおいでだな。
 小雨降る土曜の朝。ゴミ出しから、自分自身の駄目だしへ。日々の生活ひとつにも自己啓発の道。すべての道はローマへ通ずるがごとく、己の内面事情へ。ま、大げさにもほどがあるって話ですが。

2005年01月15日(土)



 日本の「おばぢから」。

 無職になると、ワイドショーを多く見ます。改めて考えてみると、このワイドショー。朝から夕方までずっとやってるんですよね。一日の半分くらいどっかしらの局で、ワイドショー。すげえことです。でもって、このワイドショー、ザッピングしていると、内容がかぶることがしばしば。今日は、ダルビッシュとぺ(ヨン)さまをよくみました。その中で印象的だったのは、おっかけのおばちゃんたちの叫び顔。あたまりかまうことなく「ゆーくーん(ダルビッシュ)」「よんさま〜」と叫び続けておられました。まったくもって圧巻のパワーであります。
 さて、夕方になり、ニュースを見ていると、そこにうつしだされたのは109の初売り風景。ギャルたちが走る叫ぶ泣きわめく笑う怒る。そのパワー。やややっ!とおもいました。今日、見た!と思ったんです。そのあたりかまわなさぶりは、おばちゃんと一緒。一瞬、ギャルたちのおば化が進んでいる!と危惧しました。でも、109の初売り大騒ぎは最近はじまったわけでなし。となると、もしやあたりかまわぬぶりは「女性」の普遍のものなのか!?
 嗚呼。すべての女性に巣食う「横綱級あたりかまわぬ圧巻パワー」よ。おじさん、兄さん、男の子にはない大いなる力よ。日本を本当の意味で動かせるのは女に備わる力だけじゃないんだろうか。理由なんてないけどさ。

2005年01月12日(水)



 現在、無職。

 現在。無職。よって何もしておりません。昼にめざめて、みのもんたを見て、本を読んで、そんな日々であります。こうしていると、仕事をする充実感ってのを切に感じます。仕事をしたり学校に行っていると、面倒くさいこともあるけれど、毎日に変化がありますもの。まあ、仕事をしていると、なんとなしにそれも同じような日々に感じられなくもないですが。改めて、こう無職ライフになると、その変化を切に切に感じます。毎朝、起きること、歩くこと、電車に乗ること、人と会うこと、仕事をすること。当たり前の中に感情は右往左往。それって、すばらしいよな、なんて思ってみたり。

2005年01月11日(火)



 祝日の条件。

 祝日。どんなにか待ち遠しい三連休。とはいえ、私、今、無職者。ってなわけで、三連休の素敵さを満喫できず、なんだかなあ。たとえば、最後にひとつのこったポテトチップスの破片が美味しいように、バッティングセンターの最後の一球がいとおしく思えるように、三連休の最後日は翌日の会社および学校があってこそ生かされるものなのでしょうね。とはいえ、一人上手な私。今日は洗濯物をしたり掃除をしたりテレビを見てハハハと笑ったり小突いてみたり、4時から酒を呑んでみたり。まあまあの出来映えでしたけれども!

2005年01月10日(月)



 2005年。ご報告までに。

 あけましたで、おめりとうござります。5日遅れのご挨拶。申し訳ありません。本年も何卒よろしくお願い致します。
 さて、昨年から今年にかけて、やや変化がありましたので、ご報告させて頂きたいと存じ上げます。私、結婚することになりました。とはいえ、なにも変わりません。変わることと言ったら、名字と住所と税金の所在、あと、恋愛関係でうかうかできない、とまあ、そんぐらいであります。
 随分と前から決まっていたものの、当人たちのもくろみにより、昨年末まで報告を控えさせて頂いておりました。ですが、昨年末に某結婚報告があり、私たちもそれに便乗させていただこうと思った次第です。ま、なんのトクにもなりませんけどね。
 なんにしても、結婚というのは、本人たちの自己満足が最善であると私は感じています。だから、きっと結婚式でゴンドラに乗ったり、二回も三回もお色直しをするんであろう、結婚とは人生における王様ゲームである、とまあ、そう思っているわけです。とはいえ、私たちの式は質素なもの。家族しかいません。でもまあ、そこは王様ゲームですから!ここは目をつむっていただきたいと、そう思う所存であります。

2005年01月05日(水)



 あけまして、おめでとう。そして。

 あけましておめでとうございます。そして、事件です。
 そもそも、話は前日というか前年12月31日に実家に帰れなくなったことにあります。その日は大雪。東北新幹線のダイヤも大幅に遅れ、20時に16時の電車が来ている始末。というわけで、私は実家に帰ることを断念し、結局ひとりで年越しをすることになったのであります。
 そう、ひとりで酒を飲み、新年がやってきて、ジャニーズのライブをテレビで見ていた私。12時半にふと、本門寺へ初詣に行きたくなりました。本門寺。大きなお寺。幸田露伴、文親子のお墓がある由緒あるお寺。そこで、事件は起こったのであります。
 ええ。ええ。私自身も存じ上げてはおりました。事件なんて、いつも隣にあるもの。いつ、家の扉をノックして、回覧板を渡されるかわからない、それくらい近くに事件というものは存在するものなのです。
 とりあえず、ジャニーズライブの誘惑に勝ち、本門寺への道を歩いておりますと、そば屋を発見。嗚呼、そういや年越しそばを食べていなかったわん、と女ひとり、ぶらりとのれんをかきわけ「かけそばいっぱい」。すると、すでに出来上がっていた店の常連客および気の良い店の姉さんに「あけましておめでとう!かけそばだけでいいの!?」と問いかけられ、「では、ビールを・・・」と言ったが運の付きでありました。気づいた時には、常連客および店の人々とともに本門寺の露店にて日本酒をかっくらっておりました。結局、家に帰ったのは午前5時。元旦から何をやっておるんじゃとおもいながら。その後、12時に起床して、やっちまったと思いながら。せっかく前日というか前年に買っておいた9時半の東北新幹線の指定席券も意味をなさないなあ。なんて。とはいえ、元旦から愉快でした。怠惰と言われれば、何も申し上げられませんが、初めて会った人と愉快にのみかわす、そんな新年事始めも希有だろうと。ま、母リエコには言えませんけどね、そんなこと。
 

2005年01月01日(土)
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