スナックおのれ
毛。



 縁と師匠。

 私の師匠はふたり。ふたりは性格が少し似ているけれど、好み・方向性がまったく異なり、出会ったら最強コンビになる可能性もあるけれど、最悪の事態もありうると思う。だけれど、この両極端なふたりの方向性が、私自身を伸ばしてくれる。ありがたい。
 ただ、このふたりの共通点は「縁」を大切にしていること。「縁」。不思議な言葉。ひょんなこと、ワンチャンス、きっかけ。色々様々な偶然が一致して生まれる素敵な出会い。そんな感じがする。私も人との会話で「縁」を使うけれど、二人の師匠の「縁」の意味とは違うと思う。二人は色々な人に出会い、様々な経験をして、「縁」を使っている。私は彼ら彼女たちと同じラインにはたっていない。いつか、そうならないかな、と思うけれど、いつかはわからない。今の私には、二人の師匠に出会うことのできた「縁」に感謝することしかできない。

2004年09月29日(水)



 ヒマラヤを登る理由。

 ヒマラヤを登る理由は「暇だから。」と簡潔に記したのは、トモフスキーである。彼曰く、「ヒマという言葉はヒマラヤがルーツで」。「ヒマすぎると人はむやみに無茶がしたくなる」のだそうである。この歌を聴いた瞬間、私は稲妻に打たれたような気持ちになった。7年程前のことである。そいえば、このくらいの季節だったような気がしないでもない。
 たぶん、トモフスキーは「いい加減」の部類に属する。ヒマラヤに登る理由を「暇だから」と簡潔に記すところが「いい加減」なのだ。おそらくヒマラヤに登る人々は決死の覚悟で行っているはずだが、それを彼は「暇だから」の一言で片付けた。けれど、そんな決死の覚悟をも「暇だから」にしてしまうところが、トモフスキーの良いところだし、また、人全般を象徴的に記しているとも思う。
 通常、「いい加減」なことは責められる。けれど「いい加減」は、やはり「良い加減」なのだと私は思う。「いい加減」も「良い加減」で出れば、「良い具合」に化ける。
 たいてい、物事は真剣にとらえた方がいい。それを「一番」にしている風潮が確実にある。だけれど、人間、それじゃ疲れちゃうのよね。残念ながら。だから、時折、「良い具合」に「いい加減」を出していきたい。許される範囲内で、「良い加減」に。

2004年09月28日(火)



 不幸のお化けと前向き妖怪。

 友達が、今、四国にいる。学会で出向いたはずの彼女は、アフター5をすっかり満喫。やれ温泉だ、やれ鯛飯だ、やれコース料理だ、酒だ、ハーゲンタッツ(?)だ、とメールで自慢してきやがります。
 にくい。実に、にくい。私なんて、言わば東京砂漠を出ることができないらくだです。でも、こんならくだ人間でも休日を楽しんじゃうもんね!と気張って出向いた代々木公園。今日はドラえもんをかたどった気球「バルえもん」試乗イベント。奴に自慢仕返すんだから!と思ったものの、雨で中止。出たよ、不幸のおばけでちゃったよ、とがっくししながらも、明治公園を3時間散策。秋の雨を存分に、お腹いっぱいもう食べられないよ、ってな感じまで楽しんでやりました。
 バルえもんは実に残念だったけれど、こんなときじゃないと明治公園散策なんて、絶対にしないもんね。
 嗚呼。不幸のお化けに勝ちうる、気まぐれ前向き妖怪。ありがとう。ちなみに四国にいる彼女には、明治神宮に奉納されたものすごい数の酒樽と、今日7時にやっていた美空ひばり特集番組を自慢してやりました。
(自慢になっているのか?)

2004年09月26日(日)



 散歩で探検!リフレッシュ!

 散歩に行ってきました。散歩とは行っても、知っている場所にいくわけでなく、駅名だけ知っている商店街に、うる覚え感覚で行って参りました。まあ、時間のある休みだけに許される特別な遊びであります。
 目的地:御嶽山商店街。我が家からは、交通公園を通って、かにくぼ公園という「かに」のくせに噴水にカエルの置物がある公園を横目にみたりしながら、歩くこと20分あまり。非常に小規模の商店街であります。ですが、パン屋さんもあるし、八百屋もあるし、ドラッグストアもあるし、オオゼキ(はなまるマーケットでおトクなスーパー1位獲得)もあるし、ジャスコ(古びてる、しなびてる)もあるし、おしゃこい美容院もあるし、歩いていけることを考えれば、大満足の商店街であります。
 荷物満載大満足で帰っておりますと、家の程近くにそば屋を発見!しかも、出前してくれる様子!これは!と思って、ちょうど外にいた店のおじちゃんに出前のメニューをせびって店内に入りますと、そばをこねてた従業員が「いらっしゃいませ」のあと、何度も私をちらみ。なにかしら?一応、「どうも〜」と微笑んでいうと、従業員困惑した様子で「どうも〜」。変な受け答えでありますが、その時の私は店に入ってきたにもかかわらず、席にもつかず、店長につきまとっていることを不思議に思っているのだな、と疑いもしなかったのであります。
 でも、帰路で気づきました。従業員が困惑していたのは、おそらくその時の私のTシャツ。胸に大きく「ホップステッップ玉砕!」と書いてあるTシャツ。しかもバックプリントは「鳥肌」。これだな、これだよ。なんか、平和な商店街にゃ似合わねえわ。でも、なんとなしに気分がより高揚する私なのでありました。

2004年09月25日(土)



 森の八王子

 八王子に行ってきました。森の入り口「八王子」。かつて友人が住んでいた場所。かつて友人が、かつあげに遭遇した場所。住んだこともない街だけれど、友人が住んでいたことで、思い入れがあるような気がします。
 京王八王子の駅でおりて、JR八王子駅を通り過ぎ、治安が悪いと言われる北口にぬけて、野猿街道に沿って歩く道は、虫の音がリンリンリンリンと聞こえます。ああ、良い街かも。と思うけど、治安わりいしなあ、とも考える。同じ治安の悪さなら大田区の方がいいかな、なんて。

2004年09月23日(木)



 入れ歯遊びと恋人遊び

 出勤の電車にて。入れ歯で遊んでいるおじいさんを見た。アゴをカクッとはずして、下の入れ歯をパクッと取り外すという行為を、ずっと続けるおじいさん。どうやら、入れ歯がパクッととれる瞬間、吸い付く入れ歯がいっきに外れる感触が楽しいらしい。何度も何度もアゴをずらしては、入れ歯を取り付けてはずしている。おじいさんにとって、電車の中であることなんか、問題じゃないんだな。ずっと入れ歯遊び。きっとおじいさん、入れ歯があるから遊ぶんだな。入れ歯が楽しくて楽しくて仕方がないんだな。
 帰路の駅にて。ずっとちちくりあってる学生カップルをみた。抱き合っては顔をくっつけて、ウフフウフフと笑っている。腰に手をまわして、ほっぺたくっつけたり、女が怒ったフリをしてみたり。どうやら、恋人たち、ふれあうことが楽しいらしい。恋人たちにとって、公道なんておかまいなし。脇目もふらずに恋人遊び。きっと恋人たち、相手がいるから遊ぶんだな。恋人がいることが楽しくて楽しくて仕方がないんだな。
 そう考えると、入れ歯遊びと恋人遊び。あまり変わりがないじゃないか。私としては、入れ歯遊びの方を見ていきたいけれど・・・。だって、入れ歯遊びの最中には、おじいさんの赤ん坊のような歯茎が見えるんだもん。

2004年09月22日(水)



 恋愛流派「奥手vs王手」。

 今、私のまわりがちょっとした恋愛ブームであります。「好きな子」いる人が多いです。喜ばしい。すると、話はチュウの話になります。よく私の日記に書かれる「虫〜チュウ〜」ではありません。恋愛奥義のアレですアレ。まあ、手をつなぐとか抱きしめる云々よりも、「チュウ」の話題が速攻で出るあたりが、27歳なのねん、と思います。まあ、それは、さておき。
 今、私のまわりで恋愛している人、それほとんど「奥手」です。「はずかP!」と恋愛に少し臆病です。見ているとほほえましい。聞いていると、にやにやしちゃう。けれど、一方で、「あ〜もどかすぃ!」と思ってしまいます。それはひとえに私が「奥手」ではなく「王手」派の人間だから。たとえば、気になっている人と出かけた帰りがけには、告白。そして、「虫〜チュウ〜して」、否、「チュウして、いやむしろしろ、していけ!」といっきに「王手」。ただの「歩」が手順を無視して「王手」にかかるわけです。
 とはいえ、奥手派の動きに煮え切らない思いをしているのは私だけではないはず。だって、私のまわりは「奥手」と「王手」の二流派のみ。世の中には、その中間とも思える策略型の「奥の手」派や他の人の手を借りる「孫の手」派、いっきにどっさり持ってく「熊手」派もいるはずなのに、なぜかまわりは「奥手」と「王手」。恋愛談義は極論ばかりです。
 結局はどの流派の方が成功率が高いか、トクをするのかなのですが、コレ、まだわからん。結果は今後随時発表されていく結婚にかかっている・・・ハズ。

2004年09月21日(火)



 番頭台のマリア

 「サービス」に許されたい。聖母マリアのように微笑んで「大丈夫よ」と私を受け止めてほしい。レストランで、マクドナルドで、コンビニで、酒屋で、スーパーで、銭湯で。街中にはびこる「サービス」のすべてよ、私を許して!そう声を大にして叫びたい。
 本日、突然の断水のため、銭湯に向かった私。時刻は23時。銭湯閉店1時間前のことです。すると番頭台のおかみさんが、やさしい微笑みをもって、こんばんわ、いらしゃいの後、「あと1時間なんだけど・・・平気?」と微笑みながら私に訪ねていらっしゃいました。以前、同じような状況で駆け込んだ他の銭湯では「あと1時間!」と、つっけんどんでもって、取りつく島なし、軍隊方式の対応をされたことのある私は、とても嬉しくなりました。このおかみさんは、1時間前に駆け込んだ私ですら許してくれる、やさしくしてくれる、そう思えました。
 これを他に照らし合わせてみると、たとえばマクドナルドの良い店員の場合。うろうろアレやコレや悩み続ける私を微笑みで持ってじっとまち、「はい、チーズバーガーですね!」とにこやかに答えてくれます。それは、優柔不断な私を許してくれた一瞬。レストランにおいては、とんかつにソースではなく醤油を注文する異端児の私をやさしく見守ってくれた人もおりました。
 「サービス」。街中にはびこる見えない商品。どうか、これからも私をゆるしてください。本当に・・・。

2004年09月13日(月)



 ニッポンは女子で動いている!

 実家から帰還中のこと、新幹線の中。上野をバキューンと痛快に通り過ぎる新幹線の車窓から、その上野のホームの様子をなにげに見ていました。すると、階段沿いになる壁際にはたくさんのカップル、カップル。人目をしのぐつもりなのか壁際で、カップル祭りが開催中、でありました。ただ話している男女がいてもいいはずなのに、目に入る若い男女すべてが抱き合いへしあい(へしあい?)。その光景の、まあ、不思議なこと!女子の姿のしどけないこと!
 なんとなく上野の情景に驚愕しながら、駅のトイレに行くと、若い女子が化粧直しの最中。会話に耳を傾けてみると、どうやら友人の結婚式の帰りの模様。その会話。

女A「ウェディングドレス、超かわいくな〜い?」
(マスカラを塗りながら)
女B「超着たい〜」
(チークをはたきながら)
女A「でも、あたし、結婚したい人と付き合ったことないや〜」
(この後、女A「綿棒とか持ってない?」と聞く)
女B「え?どゆこと?」
(女B「コレ(ティッシュを差し出しながら)」)
女A「ってか〜、付き合ってる奴らとは結婚したくないって感じぃ〜。(↑)でも、結婚したい人と付き合うと、刺激ないって感じぃ〜。(↑)」
(女B、この後、待ち合わせしたらしい男子と電話で会話)

 上野での情景。そして、その後のトイレでの会話。トイレを後にしながら、日本という国は女子が動かしていると、わけもわからず確信した私であります。

2004年09月12日(日)



 ドッペるくん。

 この間、友人との話題でドッペルゲンガーがでてきた。ドッペルゲンガ−、もう1人の自分。出会った場合は、死ぬ。そんなウワサが耐えない代物です。で、私、考えました。もし、自分がドッペルゲンガーに出会ったら…。
 まず、間違いなく「1.驚く」。そりゃあ、そうです。似ている人がいるなあ、と思ったら、自分に似ていて、あげくの果てにそのものなんですから、まずびっくりするに決まってます。で、しばらくして「2.落胆」。これに尽きると思います。「みちゃったよ、私、ヤバイんじゃない?」とかじゃなくて、絶対落胆が入る。自分を高みに置きすごだろう、という話ですが、たとえば、自分の声をテープレコーダーで聞いた時のような衝撃があると思うんです。そう思えるだけ、余裕があるんだよって言われるかもしれませんが、その落胆が人を追い遣ることだって十分にあるんじゃないか?そう思ったりします。

2004年09月07日(火)



 アメリにおける権限。

 世の中、いろんな権限があります。
 それは軍部をも動かす大統領権限に始まり、会社の行く先を決められる社長権限、新橋でアフター5を楽しんだ後にテレビ番組に取材を受けられる社会人権限、生理を理由にプールの授業をさぼる女の子権限など、大小数え上げればきりがありません。
 そんな権限だらけの世の中で、私は友人権限を提唱したい。それは、つまり・・・友人への「愛」のカタチ! まあ、「愛」と言えば、聞こえはいいんですけれど、要は「誰それ」だから仕方ねーか、っていう若干あきらめにも似た権限です。たとえば、私の場合で言うと、さとうたへこ(仮)だから急に機嫌が悪くなっても、仕方がねーか、とか、たちばなゆうこ(仮)だから、可愛さアピールが目に余っても仕方がねーか、という「さとうたへこ(仮)」および「たちばなゆうこ(仮)」権限。もちろん、両者の中では間違いなく私の権限もあるはずなんですよ。おそらく・・・5年付き合ってる彼氏と急に別れて友人関係ぐちゃぐちゃにしても仕方ねーか、とか、自分を棚にあげて説教しだしても仕方ねーか、とかそこらだと思いますけれど。
 話が大幅に逸れています。今日、アメリを見ました。なんだか下北界隈をうろついているような女の子たちに大人気の映画「アメリ」。おしゃれ映画の金字塔「アメリ」。映像が素敵だな、とか思いましたけれど、同時にそんな「権限」について思いを馳せてしまいました。
 もう、アメリなんだから仕方がない。善悪または良い悪いのジャッジなどできるわけもない。だって、アメリなんだもん。どんなに可愛らしさアピールが目に余ろうが、妄想癖だかけの話だろうが、これってこういう話なんでしょ?もはや批評すら寄せつけない、そのつっぱしりぶりに脱帽を超えて、脱毛致しました。

2004年09月06日(月)



 西日暮里のロックスター。

 電車に乗ったら、ヘッドをシェイクしてる人がいた。その縦横無尽に振られる「頭」はもはや「ヘッド」と呼ぶにふさわしい。見たところ、20代後半くらいの男性。携帯電話を片手に一心不乱にヘッドをシェイクシェイクシェイク。
 時刻は夜の11時半のことであります。非常にすいた京浜東北線には、同乗者に関心を持てなくなった疲れた顔ばかり。それをいいことに(いいことにか?)、彼はスーツのままでヘッドをシェイク。しばらく凝視していると、どうやら気づいた様子で、こちらをチラリと見てから、素知らぬ顔。別に「うざいなあ」とも思いませんでしたけれど、そのおのれロックスターぶりに感心して、見ておりますと、またもやシェイク。その間隔は、もしやサビか?サビなのか?まわりを気にしてシェイクをやめたのではなく、沈黙は曲中の「シェイク休み」の間だったのか?さらに興味深く見ておりますと、西日暮里で乗降。ロックスター不在の京浜東北線には、人の疲れが充満するばかりでありました、とさ。

2004年09月01日(水)
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