スナックおのれ
毛。



 あやまり、喜び、日々、生きる。

 友達をごはんに誘ったら、今、横須賀と言われた。数分後、そいつから「彼女にひどいことをいったので、あやまりに行ってくる」というメイルが入っていた。こいつ、良い奴だな、と改めて思いながら、親しい人に謝るってのは、実は難しいことだと、考えました。
 親しい人に改めて謝ったり、お礼を言ったりって、どうも「かしこまって」しまいます。あまり親しくない人になら、するりと出る言葉も、親しい人を前にすると、ぐっと言いにくくなる。どうやら、改めて「かしこまる」ことが照れくさいのだろうと感じています。
 けれど、「ありがとう」とか「ごめん」とかって、やっぱり人と人とが交わる上で、大切な言葉です。お互いを尊重しているからこそでる言葉です。親しい人とは目と目で通じ合うこともできるけれど、「ありがとう」とか「ごめん」を口にすると、もっと相手の懐に入り込んでいけるような気がします。あらためて「かしこまって」しまうのは、「ありがとう」とか「ごめん」ほど、自分が飾り気無く、無防備になる言葉はないからではないでしょうか。
 私の友人。一体、彼女に何を言ってしまったのか。だけれど、懐に無防備で飛び込む心づもりがあれば、きっとうまく行ったろうと思います。

2004年08月31日(火)



 滑舌カルマ。

 会社でよく電話を取るのですが、どうやら語尾を伸ばす癖があるらしく、今日も営業さんに嫌みでマネをされました。同じ会社の人だから嫌みでも愛情なんでしょうが、それほどまでに気になるってことなのでしょう。
 しかしながら、癖ってどうも抜けないものです。私の電話で語尾を伸ばす癖は新人の頃からのもの。まだ、こわっぱで電話を取るのが恥ずかしかった私はそうやって自分を演じることで乗り越えたのです。だからこそ、ここに来て注意を払っているつもりなのですが、それでもまだ「伸びている」のだそう。なので、あえてブツッブツッと途切れるようにむやみやたらに滑舌良く話しているのですが、今度は逆にそれが変に思われるようで・・・。「フツー」で良いのだよ、と人は言うけれど、意識するとどうも「フツー」は難しい。滑舌カルマに脅かされながら、そもそも癖に付いて考えさせられました。

2004年08月30日(月)



 酒よ。

 呑んじゃった・・・。
 本日の起床時刻は夕方の18時。横になっているのにも関わらず、すでに睡眠過多で頭痛がひどい。なので、これ以上はひどくならないようにと、今晩の飲酒はひかえようと決めていた私ですが、呑んじゃった。さっき、冷蔵庫から焼酎を取り出して、呑んじゃった。
 昨年かひどくなった飲酒癖。最初は、360mlのビール1本程度を週一回程度でしたが、今ではほぼ毎日500mlを空けております。しかもその気持ちの裏には本当は二本飲みたいけれど、我慢して1本。最近は、こりゃあいかんと、なるべく禁酒をしておりますが、月の半分は間違いなく呑んでおるでしょう。
 しかし、なぜこんなに呑むようになってしまったのか。それはどうもストレスではないかと思われます。やはり酒を飲むとなんだか楽しい気分、浮かれた気分。その日あったいやあなことも、酒をなめれば少し楽。そんなことが隠れております。
 いやあ、いかんなあ、と思いながら。だって、家に酒がないからって、台所ひっくりかえして酒をさがしたりするのってやっぱりちょっと変でしょ?そういうことすら経験済みですからね。がんばって禁酒日を増やしていこう、そうしようと焼酎を飲みながら説得力無く考える所存です。

2004年08月29日(日)



 暇 処理タービン稼働中。

 かつて松本零二は銀河鉄道999で「宇宙で一番消化しにくいものは、時間だ」といっておりました。然り、然り。と、今、会社で待ちぼうけをくらっている私は心から思います。
 なにもすることがない。みあたらない。やろうと思えば、なにかできるけれど、やるきがない、だるい。そんな時間を人は「暇」と呼びます。待ち望んでやってきた「暇」は良いけれど、待ち望まない「暇」ほどイヤなものはありません。
 「暇な時間」の消費は企業活動に例えることができます。稼ぐのはお金ではなく、「時間」。しかも「時間」にも、お金と同じように種類があって、やっぱりアメリカドルなみの価値を持つ時間の方がいいわけです。そこで、時間を稼ぐために自らエネルギーを投資して、業務内容、事業計画を立案、遂行。これって、ものすごい労力です。きっつい。めんどうくせ〜。友人の一人でもいたら、エネルギーも倍だし、業務内容や事業計画のアイディアも二倍なのに。
 あ〜あ、現在進行形で、暇だな。やばいな、まいったな。会社出たいな。無理っぺーな。そうして、私の暇処理タービンは稼働し続けるんだろうな。たいした生産力もなく・・・。



2004年08月28日(土)



 勉強。

 なんの音もない空間。人がいるのに、やけに静寂がただようところ。そこが私の今の会社です。たぶん、おかしい。おおいにおかしい。ちょっと気が狂いそう。まるで休日出勤したときばりの静けさ。蛙が池に飛び込む音ですら、響き渡りそう。
 夢を見ました。不思議な夢でした。昔いた会社に私はいました。「勉強してるか?」と問われて、「はい」と嘘をつきました。今も昔も私の本質は変わってないのかと嫌になりました。勉強しなきゃな・・・。
 

2004年08月27日(金)



 柔軟剤の身分相応。

 柔軟剤がレベルアップしてきている。ちょっとまえの柔軟剤をLV.1とするなら、今の柔軟剤はLV.18ぐらい。スライムすらままならなかったのに、いまやキングレオですか、みたいな感じです。
 以前の柔軟剤のウリと言えば「水分をこんなに吸収します」とか「ふんわり弾力!」。けれど、あれよあれよと言う間に進化して、今や「除菌」機能はもちろん、「アイロンいらず」、「ニオイ付き防止」機能なんてのもついてきました。ドラッグストアに行けば、様々な好みに対応可能な柔軟剤が勢揃い。いちげんさんは「とりあえずナンバーワンを・・・」と言いかけるような勢いです。
 ただ、そんな機能の中で、これはどうかしらと思ったのが「香り」にまつわることです。先日、新しい柔軟剤に変えた私。部屋干しをしていると、部屋中に香る柔軟剤臭。これはどうしたものかとちょっと思いました。もちろん香りの強い柔軟剤を好む人もいるとは思うんですけれど、私は苦手。その上、想像しちゃったんです。たとえば、電車の中で隣り合ったもっさいオヤジから素敵な柔軟剤の香りが漂ってきたとしたら・・・?加齢臭もイヤだけど、これもどうなんだろう、と。だいたい、柔軟剤ごときがこんなに香水ばりに全面にたっていいのかと、そう思うんです。
 私にとっての柔軟剤は、料理で言えば隠し味。前にはでてこないけれど、欠かせない縁の下の力持ち。レベルアップするにも、身分相応ってものがあるのでは?と感じました。

2004年08月24日(火)



 マストバイ。

 何年ぶりかに雑誌「シュプール」を買いました。今回のシュプールの駅ばり広告のキャッチコピーは「マストバイ」。すごい響きです、「マストバイ」。いっきにお尻に火をつけます。買わないと死んじゃいそうなイメージです。気持ちは、断崖絶壁です。
 たとえば、ここに完全勝利をおさめたならず者がいたとして。もし、去り際に、相手から「マストバイ」と言われたとしたら・・・。まちがいなく、くるりと振り向いてしまうはず。それぐらい、心わしづかみの言葉「マストバイ」。よりにもよって、それをシュプールでみるとは・・・。
 シュプールは、ちょっとセレブな雑誌なのです。掲載されている服は、10万を軽く越えます。だのに、「マストバイ」。だれに向けられているかわからない「マストバイ」。少なくとも私ではない「マストバイ」。自分に決して向けられない言葉であることをハッキリとしりつつも、なぜか振り向きたくなるメッセージです。
 そんなわけで、さっそく購入。家に帰って、ページをぺらり。やっぱり買えねえ、見事に買えやしねえ。月収はたいても、見事に完敗。完膚なきまでのノットマストバイ。そんな私の給与明細に、グッドラック。

2004年08月23日(月)



 アナログ的人生観。

ITが、バイオテクノロジーが、機械化文明が、こんなにも便利になった世の中で、出産は不思議なのです。たとえば、毎日のようにある「食」という営み。その影にも、遺伝子操作やハウス栽培、冷蔵庫をしょったトラックやコンテナ、電気式のコンロ、冷凍技術を生かした簡単調理の冷凍食品なんて、テクノロジーがひそかに存在しています。だのに、未来に子孫を残す、種の保存なんて基本的なことだけにはテクノロジーは介入しにくいみたい。あいかわらず、女は腹を膨らませて、すっぱいものを食べたがっている。そして、人生大一番、大変に恥ずかしい格好を皆にひけらかして子孫を残す。そのアナログさ加減。どうにもこうにも、不思議でならなりません。結局、生きるものには生きるものなりの分なんてものが存在しているのかなあ、なんて思ってみたり。結局、人はいくら賢くなろうとも、犬猫と絶対に変わらないと思ってみたり。だからこそ、つえーんだよ、と思ってみたり。

2004年08月19日(木)



 蝉=オリンピック×2

 なーんかオリンピックである。どぁぁっと、オリンピックである。
 前回のオリンピックイヤーって、何してたかなあと思い返す。あ・・・、私、学生。就職が決まってもいない留年生。そんなこんなで、実家で高橋尚子の走りを母親と見ていたっけ。他にある記憶は、虹色でありながら黒色のメガネをかけた長嶋さん。
 ところで、オリンピックと言えば、4年越し。4年も経てば、第一線の選手も変わっているわけで、同じ選手を見つけるのはやっぱり難しい。私が前回のオリンピックで覚えているふたり(長嶋氏は選手じゃないけれど)は、いないし、出てくる選手の名前はほとんどわからないし。でも、ま、そのおかげで、前回、ランドセルをしょっていたような選手の活躍も見られるってなわけです。
 そういえば、蝉って成虫になるまで8年かかると言います。その年月ってオリンピック2回分の年月。選手一同様変わりの様相を呈すはず。4年前に地中にもぐった蝉にすれば、今年は折り返し地点。ってなわけで、4年後の未来選手たち。がんばれ。

2004年08月17日(火)



 電車に乗ったら。

 電車に乗ったら、臭かった。なにかしらと思いつつ、開いている席に一直線に進みましたら、四角にピンクの絵柄が書いてある容器が目に飛び込んできました。さらに何かしら、といぶかしみつつ、席をおろす体制に入った瞬間、それが菊正宗の紙パックだとわかりました。
 紙パックで飲む酒。ストローで飲む酒。これほど哀愁を帯びているものはありません。しかも、焼酎にはゆるされないその紙と言う領域には、日本酒のみが入り得るのです。一体、どんな人がどんな状況で、どんな気持ちで飲んでいたのか。平和島か?それとも浅草の帰りか?花火大会か?成田山か?想像は膨らむばかり。できれば、日銭を稼いでいるおじさんがいいけれど、いやいやちょっとまて。どうなんだ?
 次の駅で、他の席に移りながらも、想像してしまった私です。

2004年08月16日(月)



 九十九里。

 金曜日にお休みをいただいたので、九十九里に行ってまいりました。出発時刻は、午後3時。遅すぎる出発ではありますが、とりあえず有言実行。千葉までの遠い道のりをえっちらおっちら。思いつきで予約したレンタカーでブーン。で、ついたは宵の入り口の九十九里。向こう5km先まで見渡せる浜辺にはだれもおりません。ただただ、波が荒く荒く寄せるばかり。恐ろしさを感じながらも、見たかった九十九里の夜の浜辺が見れて、満足。
 短い休みだろうが、長い休みなんだろうが、それを充実の内容に変えられるのは自分次第なのねん、と思ってみたり。ほんと、行ってよかった。
 

2004年08月14日(土)



 病気の深淵。

 人はいろいろな理由で病気になる。寒かったり、暑かったり、疲れてたり、遺伝だったり、病原菌だったり、好物をたくさん食べることだったり、寝るだけのことだったり。人を病に追い込む原因は、数えきれない。私がこうして文章を書くことも腱鞘炎とか言う病気をいつか発動させるかもしれないし、部屋がきたないことだって、病を引き起こすのかもしれない。
 ただ気をつけたいのは、知識だと思う。知識があれば、病にはならないというのは間違いで、むしろその知識自体が病につながることもあると私は思う。
 まだ発作は起こしたことはないけれど、私は過呼吸になりやすい。突如として呼吸のタイミングがわからなくなる。発端はわかっている。それは、中学生のとき、過呼吸の同級生を見てしまったこと。その子は、学級会の時に突然、息を荒げ、そのまま気を失った。私はちょうどその子の隣に席をおいていて、一部始終を見てしまった。ただそれだけで、私は10年過呼吸の呪縛にとらわれている。もし、あの光景をみることがなかったら、そんな病を未だ知らずに暮らしていたかもしれない。
 病気の深淵は、そこかしこにぽっかり穴をあけている。知識も、疑う必要が十分にあると、私は思う。

2004年08月11日(水)



 盆。

 世の中は、お盆というものらしい。そういえば、駐輪場の自転車の数もいささか少ない。街にでれば、浮かれた小学生がスタンプラリーに忙しい。夜、いつもの道が暗いと思ったら、会社が暗いせいでした。世の中は、お盆というものらしい。
 仕事がらか日頃の努力がたりないせいかわからないけれど、今年は全然休みがとれない。とれなすぎて、もはやお盆なんだかすらわからなくなってきた。ただ体に疲れが蓄積されているのがわかるばかり。
 長い休み、欲しいなあ。

2004年08月10日(火)



 青いラーメン。

青と言うのは食欲をなくす色だそうで。
昨日、腹が減ったのでラーメンを作ろうと試みました。具がないことが寂しかったので、なすを使用することにしました。ですが、あげたりいためたりするのがめんどくさい。ってなわけで、麺といっしょにゆでてみた。したらば、お湯がぐんぐんぐんぐん青に染まる。青に染まって、麺も青に。あれよあれよとあっという間。みるみるお椀の中に生まれた空の色。食べればうまかったけれども、情緒やら感傷やらはおかずにはならないという話。

2004年08月09日(月)



 コピーライターの生命線。

 会社の役員に「野望はいらない」と言われた。スペック整理だけすればいい、と言われた。
 私は、出戻り娘である。コピーライターという職業を1度やめて、また同じコピーライターと言う仕事をしている。やめていた期間、もう一生やるまい、と思っていたし、自分は書くべき人間ではないと考えた。
 その間、私が探していたことは、生活する術。仕事に情熱をかけずに、いかに定時で帰って、楽しく生活するか、それを考えた。毎日、仕事に面白さを求めず、ロボットと化して、適当にやり過ごす術を模索した。けれど、なんだか楽しくなくて、土日、家に引きこもったりした。
 黙々とたった一人で仕事をしていく中、私は仕事のことを考えた。私にとって、みんなにとって仕事ってなんだい?と何度も問答し、自分の行動を振り返りながら、言われた言葉を噛みしめて、考えた。
 そうしているうちに、ある日、突如、わかったのだ。私、コピーライターって職業好きなのねって気づいた。そして、戻ろうと思った。けれど、その時、私は自分にノルマを課すことにした。まずひとつ、次にもう嫌だと思たったら、一生コピーライターには戻らない。そして、賞をとる。
 野望を持つことが、今の私にとってコピーライターという職業の生命線となっている。ガツガツしなくなったら私のコピーライターは息絶える。常にガツガツしていろと自分に言い聞かせている。けれど、それが今、会社にとって邪魔になっているらしい。ああしてください、こうしてくださいと一切口にせず、ただ黙々と業務をこなす人間を会社は求めているらしい。

2004年08月06日(金)



 気分の分別。

最近、自分自身の気分の浮き沈みがはげしいように思う。まあ、そんなこと、昔からあったことだからじたばたもしないけれど、こりゃあ、いかんなあ、と正直思う。ここで一発楽しいことのひとつでもしないと、いかん。何か愉快な自分を見とかなきゃいかん。とりあえず、こういう時こそ本でも読むか。それとも旅行にでもでるか。なにか行動を・・・。そう考えてみると、人生なんて自分演出による自分のためのエンターテイメントなのね、なーんて。現実にはそうはいかないかもしれないけれど、できればそうありたいなあ、と願いながら、日々を送りたいなあ、なーんてね。ハハ。

2004年08月05日(木)



 無知の卑怯者。

 無知である。大変、無知である。あさはかである。知識がうすっぺらいだけでなく、考えもうすい。
 この間、ベルベットゴールドマインを見た。主人公を若かりし頃のデビット・ボウイがやっていると思い込んでいた。だから、ずいぶん前の映画だと思っていたし、音楽も彼自身がつけていると思い込んでいた。ところが、こうして感想を書こうとして、色々調べた時、事実があきらかになった。たとえば、主人公はデビット・ボウイ自身が演じているわけではないし、さして昔の映画でもない。しかも、映画を本当の意味で楽しむにはグラムロックへの知己が必要とくりゃあ、私には難しい。
 映画自体は楽しめた。だけれど、知識もなく考えも浅はかな私は本当の意味では楽しんでいない。かやの外の人間が戯れにやってきて、ハハハと一時の楽しみを得ただけ。はずかしいやら、くやしいやら。
 けれど、ここで勉強しようかしら、興味をもってみようかしら、と思ってはみても、なんだか飛び込めない。今更、という気持ちや、結局、だめじゃないか?とか、あきらめの気持ちがわき上がる。我ながら、無知の卑怯者。

2004年08月03日(火)



 40代のお菓子。

 小学生の時のプールの授業。クラス一可愛い女の子が頬に鼻くそをつけながら、私に笑いかけた。なにも知らずに笑うその子から、私は目をそらした。思春期の時、じいさんの風呂上がり姿を目撃した。目が合った瞬間、目をそらした。20代初め、女子トイレの入り口で、すでにズボンを脱ぎ始めたオバさんから、目をそらした。そして、今日、私は40代のお菓子から目をそらした。
 その人は、そんなにもお菓子を持っていた。腕に抱え込んで、むさぼりくってた。打ち合わせしながら、おむすび型の米菓を、後生大事に抱え込んで食べていた。その場に居合わせた総勢6人が、いっきにお菓子から目をそらす。そもそもの間違いは、みんな「差し入れ?」と思っていたことにあるのかもしれない。だけれども、よもやまさか、そのお菓子を独り占め(しかもどん欲に)するとは思っていなかったのです。別にお菓子が食べたかったわけではないけれど、何やらそこには「まさか!?」という裏切り感と「見ちゃった」と言う自責の念、「こんなことが!?」という驚愕が混在していたことには違いなく・・・。時折、それでも、ボリボリいう歯が米菓を噛み砕く音がするたびに、みんなチラ見。だけれども、あんまり見すぎると、「やばいもの」を見たことがバレてしまうので、すぐに目をそらす。その繰り返し。
 一体なんだったのだ?あれは?思い出すたびに不思議。独り占めの様子もどん欲なる様も、おむすび型の米菓にして名菓「コメッコ」を40代が選ぶ理由も。
 さては、妖怪か!?神出鬼没の妖怪「めそらし」。出会うと、困る。

2004年08月02日(月)



 どこへゆく、サイバーシティ秋葉原。

 秋葉原には、少しかわった人が集まる。地面を見ながら、歩く人が多く集まる。分厚いメガネをかけている人があつまる。手には、電気屋の紙袋をぶら下げて、少し歩き方にクセのある人があつまる。変な街。
 ただここには、昔ながらの人が商売している店もある。たとえば、高架下にある素子なんかを扱っている店。ベトナムや上海の食品市場さながらに、素子やねじ、ケーブルをうずたかく積み上げて、商売をしている。欲しいものは店のおじさんにこれこれと品番などを言えばok。すぐにひょいと出てくる。その商売気質、プライド、大好き。でも、ここ最近の秋葉原はこんな光景よりもしまつにおけない子供じみた大人のための街になりつつある。サイバーシティーと言えば、聞こえは良いけれど、秋葉原が変てこりんな街になろうとしているというのは明らか。なんにせよ、秋葉原。私にとって、あんまり行きたくない街になっていく。

2004年08月01日(日)
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