スナックおのれ
毛。



 あ、ジョゼが来る。(ネタバレてます)

梅雨は来ているようで、来ていない。だが、夏は来る。確実に、来る。もうすぐ、来る。カミングス−ン フォー サマー。(あっているのか?)だって、感じる。あの日差し。アスファルトからせりあがってくる陽炎の群れ。皮膚を覆う脂の膜。いやだああああ。だけれども、少し思い直してみた。だって、8月1日に「ジョゼと虎と魚たち」のDVDが出るみたい。それって、よろこばしいみたい。DVDないけれど、無駄にウキウキできるみたい。
初回のオレンジデイズをみながらも、最初にして挫折してしまった私。どうせ、ハッピーエンドでないか?とちょっとイヤになる。なんだか恋愛ものってハッピーエンドが多すぎて、うそ臭すぎて、私、いやなんです。だって、登場人物が忍耐強過ぎたり、強すぎたりするんだもの。実際の世の中で、それが理想だから、たくさん作られるんだろうけれど、私はイヤ。
それでいくと「ジョゼと虎と魚たち」。主人公の妻ブキくん、とても弱い。誘惑にも弱いし、忍耐力もないし、初志貫徹もままならない主人公。でも、普通、みんな弱いと思うんです。強い人なんて、そうそういないと思うんです。けれど、弱いなりにきっかけ掴んで、ちょっぴしずつ強くなってる。その過程がうまくでてるのが「ジョゼと虎と魚たち」かなあ、と思ってみたり。
最後の方、号泣する妻ブキくんにあの映画のすべてが入りこんでいる、そんな気がする。

2004年06月30日(水)



 ハッピーバースディ おのれ。

ハッピーバースディ おのれ。けれど、おのれ、今日は午前様の帰宅。普通に残業して、あの時間。ちょっと寂しいぞ、おのれ。29日になる記念すべき時間、カウントダウンのために、きみはガリガリくんを買おうとしたね。思い直して、杏仁豆腐にしたようだけれど、それも食べずじまい。腐ってしまうよ。
なんにしても、おのれ。あのいまいましい26歳の時間は過ぎた。おめでとう。おのれがしたこととはいえ、散々な26歳。おかげで勉強にはなったけれど、大変だった。あんなにもヒトサマをかき乱すこともなかろうて。
今日からは、、ハッピー27歳。良いことありそう。少なくとも、悪いことからは抜けられそう。いや、抜けていこう。もう、つかれちゃった。頼んだ。

2004年06月29日(火)



 東京湾景がドラマ化ですってね。

 吉田修一の東京湾景がドラマ化されるそうで。しかも、フジの月9だって。話を聞いたときにはかなりびびりました。で、ネットでしらべたら今年最大の二大恋愛小説として「世界の中心で愛を叫ぶ」と並んで、紹介されていたりして、さらにびっくり。いつの間にか、そうなっちゃってるの?あれ?なんて思ったりなんだリ。
 でも、ドラマの内容は原作とは随分違っているようですね。音楽で言うリミックス版、もしくはトレビュートアルバム的な存在なのね、と感じました。原作が、今風の若者の恋愛とか人間性のようなところにスポットを当てているのに対して、あくまでドラマは仲間ユキエ扮する韓国女性の親子二代にわたる恋愛事情。エンターテイメントの性とは言えど、ここまで変えられてしまうと、もはや「東京湾景」の題名をつけなくても良いのでは?と思ってしまいます。まあ、「東京湾景」っちゅうタイトルがかっこよいですからね。舞台も東京、しかも台場あたりにスポットが当てられるので、フジにとってかっこうの小説だったってことでしょうか。まあ、なんにしても憶測でしかありませんが、そういうふうに私は睨んでおります。

※個人的には、まだ読みかけですが長崎乱楽坂の方が好きです。
宮崎ハヤオにアニメで再現して欲しい、なんて妄想してみたりなんだり。

2004年06月23日(水)



 ネムイ病。

人間、満足すれば眠くなるもの。たとえば、お腹がいっぱいになれば眠くなり、漫画に飽きれば眠くなり、遊びつかれて眠くなる。どうやら、眠くなるってのは「満足」のサインのようです。もうことたりたよ、そんな時に眠気はかならずやってきて、布団に人を誘うのです。
それでいくと私の早寝の友人は、プライベートに満足しているということを体現しています。彼らの終業時刻は17時。プライベートタイムを存分に楽しんでいるわけですから、十時に眠くなっても仕方ありません。私は今の仕事に不平を感じているわけではありませんが、なんかそういうの聞くと若干ヘコミますよ。いや、本当に。だって私の十時と言えば、プライベートタイム本格始動のスタートライン。なんかそういう職業もあるのね、って。でもなあ、やっぱり十時に寝ちゃうのは、もったいないと思うんだけれどもなあ。いやいや、ヤツら、いっぱい時間あるから。なんかくやしい。

2004年06月22日(火)



 9mの看板の行方。

ゴッドファーザーのリバイバルが銀座でやっているということで、観に行きました。今年、3回目のゴッドファザー1。大スクリーンで見れるゴッドファザー1。浮かれ調子で出向いたところ、チケット売り場でなにやらプレゼント用紙をわたされました。どれどれ。見てみると、「劇場宣伝用ポスター(9M×3M)を一名様にプレゼント!!」と書いてある。元来、グッズミーハーな私ですが、こればっかりは最初から無理であります。ポスターには、一代目ドンコルレオーネの神々しい御姿。ですが、9M×3Mともなると等身大を通りすぎて、境正章バージョン孫悟空での菩薩なみのでかさ。吐息ひとつが大風、くしゃみひとつが嵐とか、そういうレベルです。もちろん、これでは六畳と四畳の私の家には収まるわけはありません。ちなみに、私の実家の塀をぐるり囲んでも、窓が封鎖されるかと思われます。では、一体、どんな人が応募するのか。そして、その用途は?ひとつ、映画の街を名乗る青梅市職員が、街のオブジェとして応募する。ひとつ、どこかの土地持ちが戯れに応募する。ひとつ、ダッシュ村の村人が作物を雹害から守るカバーとして応募する。ひとつ、エクザスの職員がプールの模様として応募する。ひとつ、世界最大級の水槽を持つちゅら海水族館の館員が水槽の背景として応募する。なんにしても、応募の段階から人選がなされるので、あたる確率は高いと思われます。一体、どんな人が当選するのか?果たして、その用途は?そして、効能とは??気になるところです。

2004年06月21日(月)



 不運は上空から。

最近、ビデオ屋をしている私。昨日は「えびボクサー」に「阿修羅のごとく」と、なかなかよろしい(っていうか、ものすごくよろしい)ものばかりをレンタルして、ご満悦でした。そして、先ほど、返却しに行ったときのこと。いつものようにゴッドファザービデオ郡の前で物色していると、後頭部にガツンとにぶい痛み。あまりの衝撃に「いたい」とか「ウッ」言う間もなく呆けていると、次に背中に衝撃。その後、ドンッと大きなものが床に落ちる音がしました。後ろを振り返ると、そこには、壊れた棚がひとつ。この棚、大きさは私の身長よりもはるかに大きく、2Mほど。奥行きがあまりないながらも、重厚な木でできております。その瞬間、自分に巻き起こった不運を認識したのですが、同時に私が最初に思ったのは「私って、やっぱり丈夫だ」というきづきでした。確実に私の心も脳も混乱していたのでしょう。その後も「大丈夫ですか?申し訳ありません」と、こちらも混乱している店員に「これ、大丈夫ですか?」と棚の心配をし、一緒に片付け、ビデオ屋を後にした次第です。その時、私、怒るべき?とやんわりと思ったりしましたけれど、一体、何に対して怒って良いものかさっぱりわからず、そんな成り行きになっちゃったんですね。でも、私って状況把握のできないバカじゃん、なんて思ったり。いや、でもどうしていいかわからなかったんですもん、本当に。いっそのことあそこで倒れていたら、もっとわかりやすかったのかも・・・なーんて。
あーあ、たんこぶできちゃったよ。
今まで生きてきた26年を振りかえってもこんなことなかった・・・はずなのに。

2004年06月16日(水)



 極めれば、バカ道。

本当の「バカ」はさておき。「バカ」は良い。それは、たとえば金鳥のCFのような「バカ」。こぎみ良い「バカ」。心地良い「バカ」。きれいなお姉さんがやってきて、「バカね」って笑ってくれる程度の「バカ」。そんな「バカ」は、時には人を助け、時には「いきがい」となり、時には「アイデア」となり、時には「仕事」となり、時には「エンタテインメント」となります。けれど、そこには「あえてバカになる」という策略家の魂とインテリジェンスがなければなりません。これって、簡単なようで、どうもむずかしい。たとえば、状況把握や方向性、レベル、自己認識の問題などなど、「戦略バカ」のお題はたくさんあるのです。日々、精進。1日一バカ。ホント、せいぜい毎日一個くらいは周囲を和ませるぐらいの「バカ」をしてみたいものだとおもっとります。

2004年06月15日(火)



 妖怪なべつね。

妖怪「なべつね」。それは「ザ・角界」、「ザ・球界」。以前、「なべつね」をヤフーで検索したところ、でるわでるわ文句ばかり。こんなに嫌われる人も稀でしょうし、良い意見がひとつもないこともそうそうありません。そして、だいたい書いてあることが「そろそろじゃねーか、と思ってもまだいかない」という意見。そういえば、子供の頃から「なべつね・・・」と呪いの言葉を身近に聞いてきました。ですが、なべつね、呪いをはねのけるどころかガソリンにもしている様子。普通、人はここまで嫌われるとちょっとヘコんだりするもんですが、ヤツ、突き進んでるなあ、と感心すらします。そんなまっすぐで徹底したココロイキを別な方向に向けられれば、もしかしたら、なべつね、人に絶賛されるような人になっていたかもしれない。全く違った伝説作ったかもしれない。やってることはなんとも言えないけれど、信条のようなものの徹底さ加減は少し尊敬するよな、そう思います。

2004年06月14日(月)



 星間系怒り時差。

 男、曰く「本当に“好き”じゃなかったから、今まで色々話せなかったんだと思う」。女、答えて「この間のことはごめんなさい」。どうやら女、男に対してなにやらやらかしたらしく、謝りどおし。「君の気持ちを無視して、本当にごめんね」。男、「いや、別にそれとは関係ない、ごめんね」。しかしながら、女、ここで若干、男の言い分である「本当に“好き”じゃなかったから」にひっかかる。なんだかモヤモヤする。別れ話は承諾した、だが、なんだこの胸のモヤモヤ、モゾモゾは・・・?女、男を見送る。男は、最後まで謝りどおし。なぜか、女も謝りどおし。両者、一歩も譲らない謝り合戦のまま、男と女は別れる。ひとり部屋に取り残された女(とはいっても、そこは女の部屋)、別れの余韻に浸りながらも考える。「本当は、私のこと、好きじゃなかったのか〜」。なんだか、納得できない女、天井を見る。
 翌日、女、男に電話をかけ、別れ話の定例ともいえる、もう一度つきあって戦法を繰り出す。しかし、男の「本当は、好きな人ができました」との言葉に、女、あっさりと、「あら、じゃあ仕方ないわね」。男、若干の狼狽。
そうして、その男と女は別れたのです。女は男の最初の言葉にモヤモヤしつつも。
 それから、半年がたち、女は、やっと気付いたのです。「アイツ、良い子ちゃんぶりたかったんだ、完璧に!」。湧きあがる怒り。「本当は誠実で良い子の僕は、ある間違いの元に君と付き合った。けれど、僕は素直だから、やっぱり本当に好きな人にしか、“好き”とか言えないんです」、そういうことか!そうきたか!!どうりで「好きな人ができました」は、素直に受けとめれたはずだよ!女、怒る。けれど、男はもうそこにはいない。いるはずもない。
 星間系怒り時差。女は、あらためて男との距離を知ると共に、女自身の理解力のなさを呪うのでありました。


2004年06月13日(日)



 水の女と大雨の休日。

「水の女」を見た。そしたら、大雨が見たくなった。けれど、そんな叙情的な気持ちは現実に吹き飛ばされ、やっぱり土日は晴れてる方が良いということになってしまった。土日、特に暇な土日は、晴れが良い。何するでもなしに外に出る気分になるし、なによりも家のよしなしごとを片付け、愛せる。たとえば、洗濯。晴れの日にヒラヒラ舞う洗濯物は、少し幸せになる。たとえば、掃除。掃除機をかけた後、青い畳が陽に照る様子は、まどろみをくれる。トイレに行けば、コンクリートの壁から忍んでくるひんやりとした空気にやすらぐ。だけれども、少しだけ。「水の女」を見て、大雨を前に本当に暇になってしまった休日がみたくなった。うっとうしくて、何をする気にもならなくて、仕方がなく布団に戻ってしまう、そんな休日。テレビをつけても、ゴルフと競馬とサスペンスもののドラマの再放送しかやっていない休日。もし、明日、そんな休日がきたら、窓を全開にして、音楽を大きくかけてやろうと思う。そして、欠伸をかみころしながら、ぼんやり戸口で雨を見上げてやろうと思う。

2004年06月12日(土)



 石ころひとつで、身を売る?買ってもらう?

 女には石ころひとつで、身をどうにかする時というのがあって、男には石ころひとつのために荷物にもエンジンにもなりえるものを背負い込むという時がある。つまり「婚約」ってやつですな。離婚率が高くなっているとはいえど、それでも生涯を同じ人と過ごす人って言うのが大多数であって、そうなると石ころひとつの契約が20年も30年も、ともすれば50年ちかくも有効になるという不思議な事態。給料3ヶ月分なんていうけれど、まあ60万とか80万とかで、その後の50年を決めてしまうと言う・・・。年計算でいけば、10万、月計算で言えば8000円くらい?そうかんがえると安い契約だなあ、なんて。まあ、要は本人たちの気持ちですから。カタ通りの「婚約」よりも、本当に50年大丈夫なのか?って方が大切ですからね。あーあ、結婚してる人って、スゲーな。

2004年06月10日(木)



 クナイプのナイスライフ。

 虫害に怯え、清水の舞台から飛び降りる勢いでクナイプを購入。クナイプとは、ドイツからやってきたハーブ精油と岩塩で作られた入浴剤です。これが、まるでハーブ園で寝転がっているような、そんな朝摘み感覚の芳香。だから、人にとっては良い匂いで、虫にとってはイヤな香りのはず、ねらいはそこでした。
 ですが、クナイプ。私のもくろみ意外のところで、大きな効果がありました。それは湯の質。高いだけあって(800g2000円)、全然違うんです。なんつーか、もう、やわらけーやわらけー。それまで使っていたやっすい入浴剤とは明らかに違う使用実感。本当に温泉感覚です。なまけて石鹸で顔を洗っても、つっぱりにくいし、保湿効果も高いみたい。(これは私以外の人の意見でもあります)これで、虫害も防げたら一石二鳥。これからが見物です。

2004年06月08日(火)



 怒(いか)ルギー有効活用計画。

 突然ですが、銀河鉄道999に「怒髪星」という話がありました。怒髪星は、皆が気持ちに素直に生きている正直な星です。毎日のようにそこかしこで喧嘩がたえない一方で、住む人はよく笑い、よく泣く。殺人事件や戦争がない、平和な星です。
 怒りのエネルギー、略して「イカルギー」。日本の何気ない1日でどれほどのcalが量産されていることか。たまるばかりで、活用の手立てがないから、もしかして変なことになってる?なんて、怒髪星のことを考えると思います。
 素直に生き切るのが難しい世の中。いろいろ様々な規範、もしくは相手に対しての大いなる気配りの数々で、ものごとはややこしくねじまがり、本質が見えにくくなっている世の中。そう考えると、小さいことですが、まずは友人に対して怒ることや街のささいなむかつきの数々にも怒る必要があるかもしれない。「イカルギー」は貯めず、即、消費する方が一番良い、そう思います。

2004年06月07日(月)



 「パジャマでおジャマ」とシャネルの5番。

 パジャマでお邪魔って、まだNHKでやっているんでしょうか。子供ががんばってパジャマを着るアレです。別に服でも良いのに、なぜパジャマだったのか。よくよくパジャマの構造を見てみると、ざっくばらんにできていて、子供でも着るのがラクチン、ここから始めてみよう「レッツ着替え♪」ってとこなんでしょうか。
 私にとってパジャマは「パジャマ」っていうより「寝巻き」。昼用の服を引退しそうな服がその用途に使用されています。ザ・パジャマっていうのを用意するほど気合が入っていないって言うか、寝ることを若干舐めていると言うか・・・。
 私は「寝る」って行為は、人間の営みの中で「マヌケ」に位置すると思います。それが大人になればなるほどマヌケ。どんなにカッコ良い人も、きれいな人も、いつもは厳しい人も、布団の前では皆、平等なのです。たとえば、寝相が悪かったり、ヨダレをたらしていたり、足をグァバアって開いたり、寝放屁(造語:「ねっぺ」と読む)をしたり。どうも寝ることを美しいきれいなことにすることは難しい。よくドラマでガウンを着た紳士がバーボン片手に登場しますが、彼の何時間後のマヌケ具合たるや想像するにあまりあります。
 それでいくと、かのマリリンモンローの潔さは、コレものすごい。ヤツの寝巻きと言えばシャネルの5番。想像して見てください。マリリンモンローの寝姿を。マヌケと感じてはいけません。服を捨てた彼女は野生そのもの。コレ神の領域と私、思います。
 ですが子供は、そうはいきません。裸で寝ていたら、ただの可哀相な子供です。子供の寝姿=パジャマ姿。その寝姿はマヌケであればあるほど、可愛らしい。もしかしたら、子供が一番光るのは布団の上なのかもしれない。そうなると、彼らにとってパジャマとはとっておきのステージ衣装であり、正装であり、ドレスであるとも言えるのかもしれない。だから、子供といえばパジャマ。テレビに映る輝かしい一瞬こそ、彼らの正装で。あらためてパジャマでお邪魔のスゴさに感服致しました。

2004年06月04日(金)



 早いデブ。キュートなデブ。世界一抱かれたいデブ。

 大福星を見た。早いデブ、スーパーデブ、髪の毛に天使の輪を持つデブ、蝶のように舞い、蜂のように刺すデブことサモハンキンポーが大変印象的です。大好き!抱かれたい!結婚したい!ドンペリ持ってリムジンで乗りつけたい!
 私は微妙なサジ加減ってヤツにやられます。たとえば、料理なんかもそうで、ちょっとの量の塩だとかスパイスだとかで味が違うでしょう?特に私の場合は、真剣と馬鹿の微妙なサジ加減、競り合いというものがたまりません。大福星はまさにソレ。登場人物からして、「ひげ」(ひらがな)、「クレイジー」、「二枚目」、「チビ」、「キッド」と、すでに馬鹿にしています。ちょっと駄目な彼らが、優秀な(?)悪漢たちをやっつける様子も楽しげ。もちろんサモハンキンポーと若かりし頃のジャッキー、ユンピョウも出ていので、真剣なアクションももりだくさん。ギリギリのバランスで成り立つ真剣と馬鹿の均衡具合が、まったくもってたまりません。
 だけれど、サモハン。やっぱりサモハン。デブのサモハン。スマートなジャッキー、ユンピョウを出しぬいて、一番強い。それもまたね、微妙なサジ加減で私をせせら笑ってくれます。
 映画とか小説とか、絵とか漫画とか、いろーんな意味で「裏切り」のあるものって魅力的なものです。そう言う意味で、のろそうで何もできなさそうなデブが一番素早いというサモハンキンポーは、私にとっての「裏切り」の代名詞だ!と思ってみたり。ああ、抱かれたいデブ・・・。
 

2004年06月03日(木)



 自分のくるま。

 はたらくくるま。じぶんのくるま。前者は、ビジネス、後者はプライベート。どちらの車を所有したこともないけれど、今日はそんな話。
 先日、友人のマイカーに乗りました。納車2ヶ月。水色の小粋な車高の高いヤツ。ETC搭載で他の車より若干の優越感が得られるヤツ。見た目は流行の車、だけども荷台には泥のついた長靴。鳴り響く曲は、ヒライケンにサクランボ、勝手にシンドバッド。脈絡なし!シートには、地図やカバンが散乱。既にその人色に染まりつつある様子に好感が持てます。だって、じぶんのくるまは自分のシマ。なにをやらかしてもよろしいテリトリーです。行く場所だって、カッチリ決めることはなく、地図があるのにあてにせず、道行く地元住人にとりあえず聞いてしまえばよろしい、いつか到着するだろうという甘い先見のもとに。
いいなあ、ほしいなあ。自分のくるま。自分のテリトリー。どこにでもついてきてくれる第二の体。友人は「仕事のために買ったから」なんて言ってたけれど、どこかほんのりとなにがしか、くるまを持ったものの威厳的なものが漂っておったのであります。・・・クソッ。

2004年06月02日(水)



 人生のショータイム。

 おそらくイヤになるほど長い人生の中には、スポットがあたる時期というのがあるにちがいない、と思ってみたりする。それは、劇団四季マンマミーア!でいうところのダンシングクイーンがなるところ(見ていないので予想)、宝塚のベルサイユの薔薇で言うところ・・・なんか、ほら、ね。よくわからないけれど、まあつまり、盛り上がる時期ってのがあるって話です。それは、悪いことかもしれないし、良いことかもしれない。でも、死ぬ間際、走馬灯に浮かぶであろう場面は、いつものスーパーで買い物をしている自分とか、爪切ってる最中の風景とかじゃなくて、盛り上がりの場面に違いなく・・・。普段、何気なく過ごしているだけに「人生の盛り上がり」の訪れにちょっと怖くなったりする。すばらしく良いものだったら申し分ないけれど、逆も十分にありうるわけで。
 今日、ゴッドファザー三部作を全部見終えました。昨年の夏に1部を見始めたから、大体1年くらいの事業です。おっそいな〜とも思うけれど、見終わってみると丁度良かったかもしれない。人生の上がり下り、その他もろもろ。ゴットファーザーの人生になぞらえて、じっくりと見ることができました。映画って、ここまで人の生の道のりを映し出せるものなんだなあ、と思いました。改めて、また1部から観てみたい、そう考えた所存です。

2004年06月01日(火)
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