スナックおのれ
毛。



 見た目は、知っている。

その人は、白髪で白いあごひげを生やしている。少し丸顔で、笑った時の顔はやさしい。だけれど、歩いている時の姿が畏怖堂々という感じ。以前、エレベーターで会った時、きっちりと挨拶を交わした。わけもわからず、うやうやしく。なぜかって?だって、白髪で白いあごひげ。畏怖堂々。実は、それだけじゃなくて、お札に印刷されてそうだったから。きっちり挨拶したって、間違いはないはず、そんな選択でした。そして、それは大正解だったのです。
なんだかんだで、人の中身は表にでている。だから、見た目で人を判断するってのは、あながち間違いじゃない。きっちりしている人はパリッとした格好をしているし、ヌケている人は、ちょっとだらしない格好しているし。それは服装に限ったことじゃなくて、目にだって、顔にだって、髪型にだって、出ているもの。神経質そうな顔、ほのぼの系、色々あるけど、大抵はあたってる。そう考えてみると、私ってどうなのかしら?どう見られて、どう言う風な「なるほどね〜」を相手に持たれているのかしら。怖いなあ、と思いつつも、そろそろ見た目に責任持っていかなきゃいけないんだよな、なーんて思ったり。



2004年03月31日(水)



 上手になることと、おもしろいこと。

むずかしいもので。上手になることとおもしろいことはちがうらしい。たとえば、それは「うまいこというなあ」というような安定したコントと手法はメチャクチャだけれど、なぜか笑ってしまうコントのようなもの。できれば、爆笑もとりつつ、こなれてうまいことできるのがベストだけれど、そうはうまくいきません。
そんなことを、以前の自分自身の文章を読んでいてふと思いました。今、私、たぶん、ある程度、前よりはうまくなっています。けれど、なーんかつまんないんですよね。毒気がぬけたというか、なんというか。毒気っていうのは、つまり・・・個性みたいなもんで、それが自分のウリになることでもあるワケです。それがぬけちゃって。クサヤでいうと、臭いがないような。小池栄子でいうと、あのちょっとしたアバズレ感のないような。なんか一味足りない感じ。「美味しいけれど・・・うーん」っていうような。個人的には、そんなのつまんない。できれば、避けたい。そう思って、最初に戻る努力をしています。不思議と影響を受けていた本だとかを気にするようにしています。あー、やばいなあ。マジで。

2004年03月30日(火)



 私に、「キャッ」と抱きつく人。

 ちょっと前に付き合っていた人の話。
 ウチに泊まりに来た時、トイレにいったかと思うと「きゃッ」と声がしたことがありました。なにかしら、と思っていぶかしんでいたら、便器に虫が!?とのたまう。しかも、けっこう切羽詰った感じでした。
 今、思えば、当時の私の家は引越ししたてで、虫がウヨウヨ。もはや害虫なんだか、森の住人なんだかわからない感じで、のさばっていたんです。本当の所、私は、家の害虫にめっぽう弱くて、手が震えて電話すらかけられないのです。けれど、そんな私にも、虫たちに対してめっぽう強くなる時があります。それは自分より弱い人がいる時。ひとりだったらできないことが、その時の私にはできるんです。虫を潰す?手掴み?余裕です。ひとりの時だったら、できるはずもなく、むやみやたらに怖がって、友人にSOSを出しますが、守るべきものがいると全く違う。立ち向かいます。手の震え?ねじふせます。
 そんなわけで、ちょっと前の彼氏は、私に泣きついてきました。茶色くて、刺の生えた虫にめっぽう弱い、この私にです。その人だって、私が弱いことしっていたくせにそうしてきたんです。ってことは、よっぽどでしょう?そうなると、私、俄然強くなって、ゴキジェット片手にトイレに向かいました。怖さとか気持ち悪さとか飛び越えたDNAに刻み込まれた本能をねじ伏せて、です。
 トイレチェックを入れ、居間に戻ると、彼氏はまだまだ震えるばかり。その時、私、思いました。この人とは、私が振るにせよ、この人が振るにせよ、長くないだろうなあって。結局は、振られちゃいましたけれど、自分よりも「良い仕事」が出きない人には、ついてけないだろうなあって思いました。その人は、今、どうしているのかしら?あいかわらず、彼女に「キャッ」って泣きついているのかしら。できれば、やめた方が良いと思うんだけれど。もう、管轄外で関係ないけれど、無駄に心配しています。

2004年03月29日(月)



 花見と仕事と。

靖国神社へ花見に行って参りました。花はだいたい七部咲き。明日には、きっと八部咲きになって、いっきに華やかになることでしょう。まあ、なにはともあれ、春の宵特有のちょっぴり肌寒い風とあたりの浮ついた雰囲気、オレンジ色の明かりがまぶしい露店とそれはそれは楽しいお花見でした。私は友人と3人、熱燗を飲みながら、談笑。花より団子なんて言いますが、私も例に漏れず、焼き鳥やおでんなんかつまみながら、楽しい時間をむしゃむしゃ食らってまいりました。ああ、こんな平和で素敵な土曜日の夜、素敵ね。こういう楽しみが待っているから、仕事もがんばれるって話です。そういえば、休日の楽しさと仕事の充実具合って、ちょっと比例しているような気もする。良い仕事がしたいと思うから、または、良い休日を過ごしたいから、それぞれがんばっていこうなんて思っています。

2004年03月27日(土)



 社会に対して、グレる。

最近、雨が多いですねえ。関東東京組んだりは、朝は晴れでも夕方には雨。私の場合、自転車のサドルが濡れてしまってかないません。しかし、それよりもなによりも、近くの交番の輩。私が傘をさしながら、自転車を走らせていると、何かいっている様子。こちとら、濡れないために急いでいるし、ウォークマンしながら、走っているして、本当に言っているのかどうかわからない始末。基本的に、被害妄想が若干は言っているような気もしますが、最近では、その付近を通る時はとりあえず傘をしめることにしています。なんだか、学校では悪さばっかりしているのに、家では良い子のカオしている人みたい、そんなことも思います。

2004年03月25日(木)



 顔辞典。

よく動く顔ってのが大好きです。つまり、表情がゆたかというか・・・いや、違う。口ばかりが達者に動く様子が出きる人。たとえば、カウスボタンの髭。つまり、中田カウス。彼の顔はよく動きます。特に、目から下。口の部分。わざわざ大きくあけたりなんかしたりして、見ていて愉快この上ない。しかも、体はあんまし動かさないんです。口の部分ばかりが動きまくる。それまでたれ目で良い人そうだった目もカッと見開いて、釘付けです。そんな大好きな中田カウスと誕生日が一緒でした。私の目も口も、あんな風に楽しげにうごけばいいのに・・・。嗚呼、私の顔は怒りばかりを正直に描き出す。

※ちなみに誕生日は、引田天功とも一緒でした。
 なんじゃ、そりゃ。

2004年03月23日(火)



 3月の雪。

先日、苺狩りに埼玉に参りましたところ、天気は雪。東京を出る時に、冷たい雨におや?と思っていましたが、まさか雪だとは・・・。友人の送別会も兼ねて遊びにいきましたのに、天気がソレでその上、道はお彼岸で渋滞しまくり。おかげで目的地についたのは、3時間後のこと。その間、車の中で歌ったり、踊ったり(事実)。さすがにほとんどの時間を移動に費やしてしまったせいか、皆、疲労。しかも、過ぎ行く時間が早い早い。テンションも微妙。ホント申し訳ないなあ、とも思いましたが、救いは苺でした。というのも、普通、苺狩りと言うのは、ハウスの熱気で温まってしまった苺を食べるわけで。もちろん、おいしいですよ。でもね、これが冷えてたらなあ、なんてよく思っていたんです。それが念願かなって、雪のおかげでヒエヒエ。手は冷たくなっちゃったけれど、なんだか冬に囲まれながら、春を食べるという、オツな体験でした。

2004年03月22日(月)



 外出カルマ。

仕事で外に出ると言うのが、どうも苦手で。すっかり疲れちゃうみたいなんです。めっきり一日の力の大半を取られちゃうみたいなんです。けれど、まわりに目を向けてみると、案外、皆さん、外にでるのがおすきみたいですね。先方との打ち合わせとか、届け物とか、好き、そんな人がわりといることにびっくりします。(正直、うらやましい。私もそうなりたい)なんでも、彼女たち曰く、会社の中にずっといると息がつまる、パソコンの画面ばかり見ていると、頭が痛くなる。
確かに、確かに。会社の中にずっといると息苦しい。パソコン画面ばかり見ていると、目の奥が痛い。けれど、私の場合、外で打ち合わせしてしまうと、文字も読めない廃人と化す。駄目な社会人丸だしとなる。哀しいことに。
いつか、そんな外出カルマから抜け出したいんです。上司曰く、馴れ、だそうですが、私は馴れるかどうか。とりあえず、今は後々自分が困らないように、聞くことだけ聞こう、そう考えている所存です。

2004年03月17日(水)



 魔物、襲来。

風邪と言う名の魔物がやってきました。いつもなら、その存在に気付いて、夜のうがいでどうにか予防線をはるのですが、今回はまったく気付きませんでした。そして、いつの間にか、すっかり侵されてしまった私。喉と鼻が繋がる、口のほんのちょっとの空間がまさしく菌類に汚されています。どうにか、せねば。そう思っては見るものの、時、すでにおそし。私の頭はぼんやり。喉の痛みはひどくなるばかり。せっかく、この冬はうまくいっていたのに、ここに来てどうして。単純に思うけれど、まあ、とりあえず、今日はレバニラで精もつけたし、素直に寝ることにします。ハイ。

2004年03月16日(火)



 ふと。

ふと、馬鹿なことを思い出して。
それは、仕事の失敗だったり、人に言われたズシリと思い一言だったり、自分の最低な行動だったり、恋愛のワンシーンだったり。大抵、馬鹿なことがフラッシュバックされるのは、自転車に乗っているときで、その後、坂を一気に駆け上ることになるんです。なにも考えないで、一心不乱に、ただ前にある坂を精一杯登って、どうにかもみ消そうとしている自分に気付くんです。今となっちゃどうにもならないことだけれど、こうやって気持ちの上での勾配としてずっとずっと残っていくんだろうなあ、と思ったり。
新幹線の高架下。短いトンネルをくぐる時、ある人の姿が思い浮かびます。あの人は、あの時、ここをどんな気持ちで通っていたのかな。本当に馬鹿なことだけれど、いやに気になって仕方ない。


2004年03月15日(月)



 アンテナのために、新宿御苑。

新宿のタワーレコードにて、前々から楽しみにしていたCDを購入。とりあえず持っていた簡易型CDプレイヤーにて聴いてみると、急に広い場所に行きたくなった所存です。
日曜日の新宿御苑。しかも、今日は外で過ごすと気持ち良い春の日和。よって、新宿御苑には人がたくさんいました。けれども、きゅうくつさを感じないのは、広い敷地のおかげです。ほどよい孤独感と人がいる安心感を感じながら、芝に腰を降ろし、ぼんやりCDを聴く幸せ。子供がボール遊びをしているのが見えたり、恋人たちがちちくりあっていたり、親子連れが仲良くあるって行ったり、おじさんが一人酒を呑んでいたり。人それぞれの日曜日の過ごし方が目の前にありました。これぞ、まさしく私が求めていたCDにぴったりの光景です。なんだか嬉しくなって、二時間ほどぶらぶらしたあと、そのまま千駄ヶ谷、代々木と流し、原宿まであるってしまいました。なんだか久しぶりに、ひとりのたのしい1日を過ごしたような気がします。

2004年03月14日(日)



 電車のジョージ。

都営浅草線内、朝。
となりに座っていた男女、女の人は外国の人。
思わず、耳をすましていると、どうも男は名古屋の人。東京にやってきて数ヶ月。なんでも、ひとり寂しい生活を続けているらしい。
時は週の中頃、水曜日。
男と女は、なんだかとりとめのないあたりさわりのない話ばかりしてやがる。
二人の状況がなんとなく見えてしまって、朝っぱらから・・・とも思ったけれども、男の人のワリとかっこよさげな風貌が涙をさそった。
さみしいのか。おのれ。

2004年03月12日(金)



 チョコレート・サンデー ジプシー・サンデー。

檸檬を絞る。
ギザギザの山型の搾取器の先端に、檸檬の芯をあて、力をかける。すると、それまで小さな袋に閉じ込められていた果汁が、圧力に耐え切れず、だんだんに放出されていく。けれど、これが力のある男子だと少し様子が違う。一瞬にして、袋が破裂。後、果汁が一気に流れ出す。だんだんと絞られたものよりも、濃いように思う。
生クリームを絞る。
ギリギリと圧力をかけられた袋から、溢れ出すクリームは、すでに圧力から開放されて、だらしない。けれど、これが職人さんの場合だと少し様子が違う。力から開放されるはずのクリームにまでも、圧力がかかり、ギュッと絞られている。
声を絞る。
絞れば、私の声はかれていくだけ。猫や鳥、つまり首が細くて殺せそうな動物の首をしめたような声はでることはない。
ジプシーサンデーを聴く。なるたけ暗い所で聴く。聞き惚れるような声ではないはずなんだけれど、惹き付けられる。惚れるよりも、惹き付けられるのほうが、ずっとものすごい引力で、人を捕らえるような気がする。少し怖い。けれど、覗きたい。聴いていたい。怖い。

小学生の頃の、チョコレートサンデーの楽しい思い出が吹き飛んでいく。

2004年03月10日(水)



 日記をろくろく更新していない言い訳。

先日、岩手に行った折の報告日記「岩手追憶記」を、今、作っています。それがなかなか遅々として進まない。HP作成に関する知識が少ないのはもちろんのこと、文章も進んでない。言いたいことが多すぎて、知らせたいことが多すぎて、どうもいけません。なので、日記がサボリがち。言い訳なんですけれどもね。ホント、言い訳。


2004年03月09日(火)



 ミセス・マツダ。

ミセス・マツダは、最寄駅のスーパーで働く女性です。年の頃、おそらく60。出社前は、必ず美容院に行っています!というような、がっちりセットアップされた髪型と太く描かれ過ぎたアイラインが特徴です。たいてい、ミセス・マツダは端っこのレジに陣取り、その夜の仕事仕様の風貌で異彩を放っています。今日、久しぶりにミセス・マツダのレジに並んだところ、どうやら、ブロッコリーのボタンがみつからないらしく、「ブロッコリーブロッコリー」としばらく呪詛の言葉のように唱えていました。私もなんだかつられて、「ブロッコリーブロッコリー」。声に出して唱えてみたら、ミセス・マツダ。ちょっとカチンと来たのか、ピタリと呪詛の言葉を唱えるのを止めて、突然「569円になります」との言葉。やばかったかな?プライドきづつけたかしら?そんなことを思いつつ、財布から1000円を出して素直に会計を済ましました。その後、ミセス・マツダはお客を待つお決まりのポーズ(姿勢よく、手を前に出して重ねる感じ)で、次の客を待っていました。
一体、何があってスーパーなんかで働いているんだ、ミセス・マツダ。
夜の蝶、ミセス・マツダ。なぜ、あなたのいる場所は薄暗いバーカウンターではなく、生鮮食品を売るレジなんだ。疑問は膨らむばかりです。

2004年03月08日(月)



 おのれ管理。

常に部屋をきれいにしておくのは、難しい。私の場合、「つかれた」とか、「明日する」とか、「どうせ私しかいない」とか。難癖をつけて、部屋をキレイにしない傾向がみられる。結局、まとめて土日に美しくキレイに整頓したりするのだけれども、1週間が過ぎればぐちゃぐちゃ。振り出しに戻って、額に汗。いつもキレイにしておければ、そんな苦労しなくて済むのだろうけれど、どうもできなくて・・・。そんな私ですが、友人が来るともなれば、そりゃあ部屋をキレイに仕立て上げます。玄関には放棄をかけて、トイレも美しく磨き、掃除機はすみずみまで、台拭き漂白、布団も干してバンバン叩いて、ついでに新聞もヒモでくくって片付けて。自分以外の見る人がいると、どうもそうしなきゃ気が済まないんです。ええかっこしい、と言われても別に良い。家くらいは、「キレイ」に見られたい。がんばりエッセンスを付けて、迎えたい。
私にとって、自分以外の誰かって、とても大切なんです。良い生活をするためには重要なモンなんです。で、ちょっと違うけれど、似ているのが、化粧。日々の顔の管理。これには、魅せたい!と思う人がいて欲しい。けれど、最近の私、どうもだれてる。先ほど、こりゃいかん!と思いまして、生えかけていた眉毛に手をくわえました。ほっそい目の上のぼたっとした瞼の毛を一本一本毛抜きで抜いたんです。けれどもねえ、どうもねえ。ウキウキしません。めんどくせぇ、という気持ちばかりが膨らみます。やらされている感が拭い去れません。とはいっても、誰にやらされているか、と言えば、オノレなんですけれどもね。怠惰と理性の間に挟まれて、その責めぎ合いすらめんどくさい。あーあ、おのれ管理め!

2004年03月07日(日)



 人生、ヘッタクソ。

いくら早く帰っても、なんだかんだしていたら、午前1時。文章を書くわけでもなく、だらだらしているとこの時間。帰宅中にはたくさんの構想を描いているわけですが、なにも実行せず、遅い帰りの日と同じになってしまいます。本当だったら、洗濯していたのにな・・・。時間の無駄だ、無駄なんです。そう確かに思ってはいるんです。けれど、どうしてもうまくいかない。いつも早く帰れるわけではないから、機会を確実にものにしなけりゃいけないはずなんですが。私って、そういうのヘッタクソだなあ、と思います。

2004年03月03日(水)



 高村光太郎の家。

岩手に行った折に高村光太郎記念館に行って参りました。結果は閉館中でしたが、公園のような作りのようになっていたので、ズンズンと雪の中を分け入り、晩年、高村光太郎が住んだと言う家を見てきました。実は、一月に発行されたクーネルと言う雑誌で高村光太郎がこの家で読んだある詩がひとつ紹介されていました。不覚にも私はそれを読んで、会社にいながらにして泣いてしまったわけですが、ここでちょっと紹介します。

案内
三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。
あの畑が三畝、
いまはキヤベツの全盛です。
ここの疎林がヤツカの並木で、
小屋のまはりは栗と松。
坂を登るとここが見晴らし、
展望二十里南にひらけて、
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでいる突きあたりの辺が
金華山沖といふことでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さんこういふところ好きでせう。

今、こうしてもう一度詩を開いてみて、改めて光景が浮かび上がりました。まさに彼の住み家の周りは栗と松。雪の上に大きないがぐりの殻が無数におちているのが見えました。雪が深いこともあって、展望台にはいきませんでしたが、きっと展望二十里に開けていたことと思います。今、思えば、無理やりにでも行けば良かった。私が行った時はまだ2月だというのに小雨が降っていましたが、見渡す限りの雪の平原が見えたことと思います。ですが、収穫もありました。私が一番見たかった厠にある「光」の文字を切り出した明り取り。それだけは外からですが、見えたんです。冬になると氷点下がざらにある岩手、しかも周囲を見渡しても民家なんてほとんどない。そこで、あの「光」はずっとああやって生活に光を差していたはずなんです。もういなくなってしまった人が残した、生活の光。人生の光。とても印象に残っています。

2004年03月02日(火)



 酒浸りライフ。

昨日までの旅行、けっこう酒を呑んでおりました。非日常に甘えて、飲み明かしておりました。そのせいか、戻ってきたら、さして酒が呑みたくない。そういえば、昨年の今ごろは、仕事が遅いたび、早いたび、つまり毎日のように酒を呑んでいました。ですが、2ヶ月ほど前から、その鎖を断ち切り、いつのまにかスッカリ抜けたようです。最初のうちは、けっこう、辛かったです。かわりにコーラをのんでいたんですが、なにか物足りなくて・・・。手が震えるとかではないんですが、なんか呑みたくてたまらない。もしかして、あれも一種の中毒だったのかしら。中毒までいかないにせよ、ちょっとトリツカレテいたかな、と思います。

2004年03月01日(月)
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