スナックおのれ
毛。



 岩手。

なんでも、岩手の名前の由来は、鬼の手と呼ばれる岩にあるそうな。
行って参りました岩手県。すばらしき岩手県。金曜夜出発の二泊三日のすばらしき旅路でした。ここのところ、東京では非常にうららかな日和が続いていますが、岩手は深夜になれば氷点下。とはいっても、今年は暖冬のようで、雪の量も少なく、道路で困ることはありませんでした。
見渡すかぎりの雪景色。しかも、そこに浮かぶ虹。本当にいろんな光景が拝めました。詳しい話は、また後日。

2004年02月29日(日)



 明日の今ごろ、来年の今ごろ。

明日の今ごろは、どこにいるんでしょう。できれば、私、盛岡のビジネスホテル:小田島にいたい。というのも、今週末は以前から友人と企画していた岩手旅行があるんです。できれば、20:16分東京初盛岡行きの新幹線に乗りたい、それが私の希望です。もちろん、仕事がなにごともなく、つつがなく、早く終わることが前提条件。特に、「何事もなく」、「つつがなく」が、重要なキーポイントです。年始から振りかえってみて、どうも毎週バタバタ。ほっとしていると、何事かあるんです。しかも、エッと絶句するようなことがあるんです。だから、今、わりとだいじょうぶだろうと思っていても、どうも安心できない。明日、なにかあるんじゃないか。もしくは、土日に召集がかかるんじゃないか。そんな不安満載です。こわい。
ところでで、来週から、会社が新体制に入り、一体、どうなるか皆目検討つかない情況です。連日連夜の深夜残業や休日をおしての出社。そんなこともあるんじゃないかと思われます。果たして、半年後、私はどこにいるのか。今の会社にいるのか。そして、来年。私は何をしているのか。何を思っているのか。こわい。

2004年02月26日(木)



 運転手、心得。(残業編)

今日は有給で、ウッキウキ。風邪をひいたわけでもなく、親族に不幸があったわけでもなく、とりあえず体を休めなさいと頂いた有給休暇。まさに棚からぼた餅、ひょうたんから駒(?)です。昼までゆっくりねて、パジャマのまま昼間にHPを更新したり、ぼんやりネットサーフィンしたり。ですが、ことは水戸黄門を尻目に掃除機をかけていた時におこりました。突然の会社からの電話。で、気付いたら深夜まで会社にいました。同じく有給をとった上司もうんざり顔。どこでどうなったんでしょうね、そんなことを言いながらタクシーに飛び乗った午前二時。普通なら、タクシーの運転手さんと談笑しながら、帰路につく私ですが、今日はそんな元気もなく、終始無言になってしまいました。それを察したか、運転手さん、精算後、「お疲れ様です」の一言。ちょっと元気が出ました。

2004年02月25日(水)



 びっくりコナミも良いけれど、私は、ビックリ越路吹雪。

テレビで越路吹雪の「ラストダンスは私と」を聞きました。それで、なんとなくカラオケで歌ってみたんです。すると、画面には越路吹雪の姿が!プロモーションビデオからの抜粋なのか、越路吹雪が次々と洋服を変え、鏡の前でポーズをとる。可愛らしいなあ、と思った直後、画面はステージ場の越路吹雪へ。サックスの人の横で、歌ってみたり、バイオリンの人にちょっかいを出したり。目を丸くしたかと思うと、完全に観客に背を向けてみたり。目が離せませんでした。魅力のある人だな、と思いました。歌っている姿が、とても楽しそうで、歌が彼女にリズムを与えているのだか、彼女が歌にリズムを与えているのだか、わからないくらい、とても印象的でした。
そして、先ほど。ネットで検索をかけて、今度は「サントワマミー」と「愛の賛歌」、「ろくでなし」を聴いたんです。リアルオーディオで画像付き。コミカルな動きをする越路吹雪に堂々と歌い上げる越路吹雪。歌を歌う彼女を見ていると、こっちまで楽しくなったり、哀しくなったり。「愛の賛歌」を聴いていて、あやうくい泣きそうになりました。ホント、不思議です。なんだか歌と歌とをつなぐ抑揚で感情が揺り動かされそうになったんです。聴く側として、これほど感情を揺さぶられたのは、はじめてです。ちょっと、明日。越路吹雪ゴールデンベストを買いに行きます。いや、本当に。

2004年02月24日(火)



 見る目がない人。

小学生の頃、よく観察日記というのをやりました。アサガオやヒマワリ、ヘチマやオシロイバナ・・・。1日または1週間おきに絵と一緒に丈なんかのデータも添えて、一言書き加えるというアレです。私はそう言うのが苦手で、後からまとめて誰かのを写したり、時には、枯らしてしまったり。たとえば、ヒマワリ。皆のヒマワリの丈が2m近く、また花も30cmになっていたのに対して、私のヒマワリは身の丈50cm、花の大きさは20cmほど。まるで別品種の趣でした。要は嫌いだったんです、観察。ですが、この歳になって、やの楽しさがわかるようになりました。一日に少しずつ開いていく葉のことだとか、ふくらむつぼみのことだとか、ゆっくりと構えて観察していく楽しさがやっと理解できるようになったんです。おっそいなあ、とも思いますが、まあ、わからなかったよりはマシか。とも思います。



2004年02月23日(月)



 午後8時のオバケ。

昨日、午後8時。なにもしていないのに、網戸が勝手に右から左へ移動。あまりのスムーズな動きに驚愕しました。まるで、誰かが外からすっと手を添えたよう。やや、欠陥住宅のきしみか!?それともオバケ!?と思ったものの、あ〜風ね、と気付きました。今もまだ、春の生暖かい風がひっきりなしに吹いています。そういえば、昨日、訪れた葛西臨海公園の梅は満開だったっけ。家のジャスミンの花もさっき始めたし。ストーブもたいていないし。ゴキブリも一匹ぶっころしたし。なぜだか、家の畳の匂いが急にするようになったし。春です。春なんです。確実に季節は移動しているんです。そんな中、来週の週末は岩手に移動。きっとすばらしい冬の光景が見られることでしょう。

2004年02月22日(日)



 財布。

私の、財布。購入したのは2年前。ワインレッドの可愛らしい奴。ところが、現在、ボロボロ。なので、最近、ちょっと高い良い財布を購入しようと思い経ちました。せいぜい5年くらいは持つ財布。きちんとしたつくりの財布。そうなれば、ブランドモノか!?というわけで、最近、ブランドものの財布を見ています。確かにしっかりしている、ですが、高い!三万とか五万とか。私にしてみれば、清水の舞台どころか、グランドキャニオンから飛び降りる覚悟が必要です。買ったら、入れる金がなくなるな、キャハッ!なーんて、本末転倒です。洒落にもなりません。ですが、今の財布の現状。カードが落ちちゃうんです。キャッシュカードがない!なんて目にもあってます。持っていると金をなくす財布。しかし、かたや持とうとすると金がなくなる財布。嗚呼、結果は同じ。口惜しい・・・。

2004年02月19日(木)



 バランスの女。

私はバランスをとる女である。たとえば、血がなくなればレバーを貪りたくなり、ストレスがかかれば異様に眠る。そして、今日のように徹夜の続いている日は、食欲が出始める。納得できるくらい素晴らしいバランス感覚もあるけれど、なぜかよくわからないところで、バランスをとることもある。
嗚呼。お腹が減った。嗚呼。文字を見ると、瞼が閉まる。嗚呼。人の言っていることがよくわからない。頭がイタイ(新発見!)。たぶん、眠れば解決できるんでしょ。全部。ことのほか。


2004年02月18日(水)



 まずさ、ピカイチ。納得のまずさ。

一瞬、口の中に入ってきたものが信じられませんでした。お茶なんです。しかも、緑茶。杜仲茶とかブレンド茶とかじゃなくて、ただの緑茶。ですが、信じがたいほどまずい。このお茶のウリは、体によろしい、ということ。健康系を唱っているだけ合って、カテキン量は300g。普通の緑茶飲料の最大値は、100mlで最大20gほどといいますから、オドロキの量です。そこに、アミノ酸をプラス。体にはよろしいけれど・・・旨さが伴わないのはどうなんだろ?いっそのこと清涼飲料水じゃないほうが、うけいられやすいのでは?健康ブームってやつにも、正しい乗り方があるはずだ、と思いました。

2004年02月16日(月)



 男の背中。母の手。

真似できないと思っていた。それは男の人の背中。女だと真似できない、太刀打ちできないものがあった。仕事の責任とか懸命さとか、疲れとか、孤独とか、相反するものもすべてを含んでシャンとしているような気がした。そして、それは歳を追うごとに強くなるような気がした。孤独や疲れをもねじ伏せる自信とか歴史が強さになってあらわれているのだろうと思っていた。
今、まわりを見渡してみる。道ゆく人、会社、電車の中で。そんな背中を探してみる。けれど、そんな背中が少ないことに気付いた。
同じように、男の人に真似できないもの。それは母の手だと思う。水仕事でガサガサになって、家事をした長い年月で節くれだった母の手。でかくて、あたたかい手。父の背中とはまったく違う意味で、支えてくれるなあと思う。そんな手。
新聞紙面に父の不在、母性の欠落、そんな話題が登り始めて久しい。男の背中、母の手。ふたつがなくなった時、男と女、それを含む社会はどうなるのかな?と思う。自分だけは、と思うけれど、未来に不安がないというのは嘘になる。20代後半。少し、人生を考える。

2004年02月15日(日)



 困惑フレンド。

興味ばかりが先をゆき、行き詰まっては困惑してますね。そりゃあもう、よく。そのたびに私は、まただ、と頷いているんです。ちょっと飽きれたりしてるんです。だって、あなた、いつもがんばり空回り。可愛らしさがあったら良いんだけれど、いつも目も当てられない。
だけれど、あなた、私に負けず劣らずの頑固者。たとえ、私が止めても、突き進むばかり。でも、不思議と相談するんですよね。何を言われようが、突き進むはずのあなたが、なぜ相談してくるのか。しかも、反対されるのわかっているでしょ?だのに、相談してくる。なにかしら。私が反対してくるのをわかっていて、その弁明を励みにでもするつもりなのかしら。
まあ、良いですよ。付き合ってあげます。あなたのがんばり空まわり。見守るなんてやさしいことはできませんが、あなたの生き様見ときます。

2004年02月14日(土)



 こっこ先生。

こっこ先生、メディアに復活。どういう背景かはわからないけれど、日立のCMに出ているのを見ました。なんだか、休んでいた期間を思わせないほどの変わらなさぶり。相変わらずのきぐるいっぷりに改めて感服致しました。
こっこ先生が、休養をとるといったのは、おそらく2002年くらいのことでしょうか。タモリの前で泣き、去っていきました。ですが、昨年から徐々に活動を開始。ついには、今までなかったCM出演。まったく、この人はどうなるものか、と思いましたが、「覚悟」のようなものを手にして帰ってきたような気もします。


2004年02月13日(金)



 真夜中の罠。

最近、よくあるのが、湯当たり。大抵、酒を呑んだ後に風呂に入り、落ちてます。しばらく全裸で、電気ストーブの前。北海道の海獣か!?と言うくらいに横渡っています。いつか、このまま死ぬな、とも若干感じています。そういう時に、気付くんですよね、ああ一人暮しなのねんって。ひとりぼっちなのねんって。このまま、倒れてたって、誰も助けちゃくれないのねんって。でもね、やっちゃうんですよね、湯当たり。いい加減、学習しなきゃと思ってはおります。本当に。

2004年02月12日(木)



 酒にのまれる。

 酒に飲まれた気がする。つい先ほどから。
 なんてったって、頭が痛い。まぶたがおもい。やることなすこと、全部ダルイ。お酒は好きだけれど、あとから来るコレはどうもね。
 できれば、酒を呑むときは、延々呑み続けたいんです。こういう体の不調に気付かないように、ずっと酔っていたい。
 アルコールに依存してしまった経緯とかわかります。誰だって、アル中になりたくてなるんじゃないでしょう?ただアルコールが冷めてしまった後の、体の不調とか精神状態とかやりきれなくて、延々呑んでしまった結果なんだと思います。そう考えると、はまりやすくもキツイ罠です。
 ああ、だんだん落ち着いてきた。歳が上がるにつれ、酒に対して弱くなっております。その時にあった呑み方、効果的な呑み方、確かにあります。酒に出会って8年目。あらためてその付き合い方を考え始めた年頃です。


2004年02月11日(水)



 面白い文章の作り方+反省。

言うだけと伝えることは違うと思うんです。たとえば、ただご飯を食べたことを言うだけなのと、献立から理由から、感想、食後。まあ、色々とストーリーがあるわけで。だから、言うだけと、伝えようとするのとでは、ちょっと違う。それって、もしかしてコミュニケーションの糸口なんじゃないかなあ、と思うんです。
ところで、面白い文書ってのは、とてもコミュニケーション能力が豊かです。どんな人も楽しませる力があります。きっとそれは、読み手がいることがきちんと想定されているからだと思うんですね。伝えることに一生懸命で丁寧、親切。それが良い文章の秘訣です。そこにコミュニケーションの糸口もプラスして伝えれば、ほーら面白い文章になってくる。
とはいえ、面白い文章ってのはやっぱむずかしい。哀しいかな。なーんとなく、わかっていても、そうそうできないっすよ。気の利いた一言もファンサービスのような言葉も、一言一句ぜーんぶ難しい。私は文字を綴るたびに自分の駄目さ加減に気づきます。第三者の目で見ないと、それが良いかどうかわからない。すると、見えてくるのが自分自身の姿。案外、辛いです。きついです。きゅうきゅうです。いたたまれない気分になります。けれど、なんで続けるかといえば、やっぱり人に笑って欲しい、楽しんで欲しい、そう思っているからかなあ、と今更ながら思います。

2004年02月10日(火)



 私がmacを買える理由。

どうにもこうにもmacが買えませんでした。お金云々とかウインドウズの方が慣れているからとか、そう言う理由じゃなくて、もっとメンタルなところで。だって、 macを使う私ってなんだかインチキくさい気がする。会社はまだしも家でmacを使っている自分。OS10でストレスフリーなパソコンライフを過ごす自分。ワンクリックでスマートにネットサーフィンする自分。いやにキレイな画面の前に座る自分。なんか、嘘くさい。まがい物の香りがする。イミテーションっぽい、詐欺で訴えられそう。だから、これまで私は自分の身をわきまえて、ウインドウズで過ごしてきました。そう、こんな私にはウインドウズがぴったり、しっくり、ビルゲイツの口上に乗って、窓でいいじゃないか。そう思って暮らしてきました。しかし、ここにきて、またもやmacが欲しい。けれど、今までとはちょっと違うんです。見た目とかスタイルとかじゃない、きちんとした理由があります。それは、macのキーボードが好きだから。あのカチャカチャ言う感じとか、うすい感じとかホント好き。次々と文字が書けそうな気がする。それと、iphotoが楽しいから。あと、使われている言葉がウインドウズよりやさしいことにやっと気づいたから。これらの理由をもとに、私は今、macが欲しい。使い慣れたウインドウズ。そのカッコつけない感じ、ひたすらセコく頑張ってる感、私を育ててくれてありがとう。私はmacの世界に旅立ちます。imacをかいます。そう、6月までに・・・。

2004年02月09日(月)



 深夜0:30、電車が止まる。

先週の金曜日。仕事が終わり、京浜東北線の最終に乗車した私。そこで出くわした山手線の人身事故。おかげで、1時間ほど品川に停泊。その時のお話です。
突然の事故に生来のヤジウマンな私はおもしろがりながらも、ちょっと途方に暮れていました。だって、時間は深夜0:30。本当ならば、30分で家に帰れたのに、電車は30分たっても、動き出しません。構内アナウンスでは、「お客様にはご迷惑を・・・」を繰り返すばかり。なんとなく友人に電話をしてみたら「振替のバスがでてるかもしれないから、改札で聞いてみな」とススメられました。改札にいくと、30歳くらいのサラリーマンがすでに、駅員に喧嘩を吹っ掛けている模様。内容は、例の「振替バス」。ここからは、彼の言い分です。
「おまえらなあ、ふざけんじゃねーよ。振替バスだすのが、スジってもんだろ。そういうお前等の怠慢で、あの電車に乗ってる何百人って人が閉じ込められてんだよ。俺たちはなあ、今の今まで仕事してて疲れてんだよ。一刻も早く家に帰りてえときになんだよそれ。お前らが俺の時給出してくれるって言ううのかよ。くれよ、金!なあ!」
そんな内容だったと思います。私は、すぐにそこから離れたので、どうなったかしりません。でもねえ、なんだかねえ。電車が動かなくなったのは、もちろん腹ただしいことだけれど、そうやって喧嘩うるのはあきらかに間違っているだろ。なんだか、自分までもが恥ずかしくなりました。あんな時間に電車が止まって、途方に暮れたり、不安になるのは、みんな一緒。振替バスを出すか出さないかについて意見を言うのは良いけれど、喧嘩を一方的にしかけたり、会社の愚痴をそこで便乗して言ったり。しかも、あの場所にいた人たち全員の意見みたいに言ったり。結局、それは卑怯者よ、と思いながら、その日一番つかれた事件でした。



2004年02月08日(日)



 仕事実況中継。

火炎地獄も、針山地獄も、寒冷地獄も嫌だけど、もし、待ち地獄ってのがあったら、それも勘弁して欲しい。いつまでもいつまでも、あてどもなく待たされる地獄。ヒマを潰すことが何もなくて、まっさらな空間でただただ待っているという地獄。私は待たされるのがイヤ。30分くらいならなんとか我慢でできるけれど、1時間とかどうしようもなくイヤ。でも、考えてみたら、待たされるのが好きなんて人、あまりいないですね。今、私、2時間待っています。電話が終わるの、待っています。確認しなきゃ帰れもしないし、仕事がもしかしたら発生するかもしれない。あ〜あ、こわいなあ。徹夜は勘弁だ。

2004年02月06日(金)



 コドモっツラの、結婚式。

先日、友人の結婚式に行きました。式からの参加。3次会までの長い旅路。次の日が月曜日じゃなきゃ、もっと楽しかったのにね、なーんて思いつつ。で、感じたのが、友人が着々と大人の階段を上っていることです。既に大人には違いないんですが、本人からしてみるとまだ実感がないもの。いつのまにか大人になってたっていうのが正しいところじゃないか、と私は思います。では、何をもって大人になるのかというと、それは社会的なつながりとか責任じゃないかと思うんです。それは学生の時のものではなくて、仕事関係。自分が気に入っている人ばかりじゃなくて、付き合いとか、そんなドライなところ。実際、式に参列した人の多くが、彼、彼女の仕事関係の人でした。私を含む学生時代の友人もいましたが、そんなのはごく少数。そうやって大人になるのだわ、と自分の相関図すら見えた気がしました。
あいかわらず、コドモっツラだったけれど、そのうち大人ッツラになるんだろうなあ。とりあえず、ウエディングロードを歩く時、顔に向かって花をかけてやりました。今度から、遊びに誘うのも気を使うね、なーんて思いながら。

2004年02月05日(木)



 去年の私は、カイガラムシ。

カイガラムシって知ってます?植物をそだてたことがある方なら、わかると思うんですが、植物の茎につく白い害虫です。粉をふいたような丸っこい体。一見、めんぼうのさきっちょの綿を硬く丸めたものが、ちょぼちょぼとたくさんついているように見えます。手も足も殻の内側にしまっていて、一見、どちらが頭だかわからない。そんな生物です。ところで、アレ、潰したことってあります?つぶすとね、真っ赤な体液が出るんですよ。絵の具の赤を体に溜め込んでいるイメージ。絵の具が白い布に巻かれている感じ。去年の私は、ちょうどそんなんです。あきらかな害こそなかったけれど、手も足も出さないで、生きるためだけにしがみついていました。職場ではほとんど口もきかず、言われた通りに逆らいもせず。きっとね、潰すとね、赤い汁が出たと思いますよ。人とはちょっと違う赤い絵の具みたいな。だから、時々、献血に言って血を見て、安心したりとかしてました。ああ、まだ血のままだってね。そんなことを、最近お気に入りの曲を聴いていたら思い出しました。あの頃は、新しいお気に入りの音楽すら手に入れるのがおっくうだったなあって。

2004年02月04日(水)



 耳をすばせば。

なんだか、眠いと思ったら、連日3時に寝ているんだからと、納得。なんだか、顔にブツブツができると思ったら、野菜をほとんど食っていないんだからと、合点。なんだか、コーラが凍ってると思ったら、1時間も冷凍庫にいれていたんだからと、アイノウ。結果がでたのには、かならず理由がありますね。今更ながら、ひとつひとつ数え上げると、くやしくて。その時は、気付かなくても、あとからハッとしたり、身につまされたり。毎日のこと、ひとつひとつに耳をすましていかなきゃ、理由が始まった段階から気付きたいから。
あ、こんなことを書いてますけれど、なにもないですよ。平穏無事な生活を送らせて頂いてイマス。ただ、書く内容がなかっただけ。

2004年02月03日(火)



 ネットショッピング、フリーク、感づくの巻。

最近、オークションでの買い物をものすごくやっています。利用しているのは、楽天のフリマですけれど、なんてったって安い!安さ爆発です。で、モノが案外よろしい!手に届いて、こりゃあもうけたぞ、なんてものが何点もあります。この間も150円とか100円でカバンを2個落札。なかなか古くて、可愛らしくて、お気に入りです。で、オークションをしていてちょっとおもしろいなあ、と思うことがひとつ。ネットオ−クションはメールでやりとりをするわけですが、それがよろしいんですな。幸いにも、私はまだハズレクジを引いた事がなくて、取引してきた人が全員良い人。みなさん、メールでの気遣いがうまくて、気持ちよく取引しています。現実社会の中で、知らない人はどうでもいいや、みたいなになっていることとか、店員でもコイツ!と思うことが多い中、顔の見えない商売が案外気持ち良い。これは、ちょっとした皮肉じゃないでしょうか。

2004年02月02日(月)



 生活のくさび〜植物編〜

 かろうじて、実がなる時もあるけれど、ほとんど何もくれはしないんです。植物なんて水ばっかりすうだけで、手間もかかるし、面倒くさいと言われちゃえば、それまでなんです。だけれども、私にとっては、その「面倒」っちゅうのが重要で。毎日、水をあげたり、葉っぱの様子をさぐったり、ちょっと気をつかう、そこが大切なんです。
 一人暮しをしていると、自分ばっかりに目が向いちゃってなりません。ご飯をくったりだとか、テレビをみたりだとか、掃除をしたりだとか。結局、家にいる時間すべてが、自分のための時間に使われていく。それが悪いというわけじゃないけれど、なんだかそればっかりだと、甘えが生まれるというか。自分のことだし、まあ、いいやってのが多いんです。だけれど、そこに植物の世話や動物の世話があったりすると、少し自分から意識が遠ざかる。私にとっては、それが重要です。
 そんなわけで、植物は、私にとって「生活の楔」です。友達には「癒し?」とかいわれるけれど、そんなんじゃありません。私の生活意識とか性格を律する同居者です。面倒くても、手をかけて、世話をする。そこんところが大切なんです。
 ところで、植物のお世話っちゅーのは、少し人間関係にも似ています。たいていの植物ってのは2.3日ほっといても大丈夫ですが、実はその甘えに対するダメージは確実にあるわけで。親友だから、親子だから、とかいう甘えが実はきかないのといっしょです。だから、私は植物に水をやっていると、友人や家族のことをふと思い出す時があります。そろそろ人間関係にも水をやらなきゃね、お互いってね。

2004年02月01日(日)
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