スナックおのれ
毛。



 くるりの新しいロックンロール。

ジャンルわけってよくわからないのである。だから人に「それはロックだよ」とか、「テクノですね」とか「ギターポップ!」とか言われると、ほほ〜そうですか、それにあたるんですね、な〜んてつまらないことしか言えないわけである。嗚呼!知識の欠落と言うなかれ。
そういえば、この間は、小説のジャンルについて聞かれて、参りました。そもそも、どんなの読んでるの?と聞いてくる人は、どんな答えを待っているのかしら?私の場合、結局、そのまま小説家の名前を言ってしまうけれど、相手がその小説家を知っているのであれば、まだ救いがあったってもの。知らない時は、がんばって説明しても、なんだかイマイチつたわらない。すると、話は尻すぼみにおわっちゃって、なんだか後味が悪い。
なんにせよ、音楽も本にも色々な種類のモンがあるもんです。時々、自分の好きなモンからはなれて、別のモノを読んだり聞いたりすると、はは〜って思います。いつの間にか、自分が好きなものの殻の中に閉じこもってたことに気付かされるわけです。もちろんそれでもなんの支障もきたしません。だけれど、自分の好きなものって、他のものをたくさん知っていれば、もっとステキに見えるんじゃないかしら。世にあるたくさんのものの中で、キラリと光り出すんじゃないかしら。
それでいくと、今度のくるりは、私のキラリ。明るくて、どこか哀しさがあって。たとえるなら、朝から降っていた雨が夕方にあがって、光が雲間から差しこんで来るような感じ・・・わかりにくいですね。けれど、カンタンにわかっていただける方法が今ならあります。くるりの公式サイトでは新曲「ロックンロール」全編が公開中。私のわかりにくい説明より明解にわかっていただけると思います。個人的には、ブロードバンドでクリップを見ていただいて、新メンバーの雄雄しいドラムのたたきっぷりも見て欲しい。興味がなかった方も、興味がもともとある方も是非ご試聴ください。

http://www.jvcmusic.co.jp/speedstar/artist/quruli/index.html

2004年01月31日(土)



 梅・桃・桜。畳に咲く茶色い花(動く)

すでに近所で梅が咲いているのを見ました。ここ最近、ちょっと寒さが厳しくなったのか、少しずつ亀の歩みではあるけれど、だんだんと、梅の花が枝の先に先にとテリトリーを広げています。春ね、春だわ、と、ほくほくしていたんですが、そうも言っていられないことに気付きました。それは、畳に咲く茶色い花。花って言うか、虫。虫って言うか、ゴキブリ。最近、よく見ます。頻繁に出会います。この家に引っ越してきてからもう少しで半年。最初、めっぽう弱かった私も随分と強くなりました。小さいものであれば、殺しにかかれるようになりました。ですが、問題は、春が近づくにつれて聞こえてくる成虫群の足音。友人は「3日に1編くらい」とおどしてかかっていましたが、もし、3日に一遍そんな戦いが催されるとしたら、私の身がもちません。すでに、夏のボーナスは引越し金の予定内。全額投資も辞さない覚悟です。ですが、世の中ってのは不景気真っ只中ですから、、ボーナスなんてアテにする方が大間違え。それは承知の上、であれば、このせっかくできた貯金をくずしてあてるしかあるまい。昔、中国の漢民族かなんかが騎馬民族に追いやられて南下したように、私もどこかへ放浪する覚悟です。

2004年01月28日(水)



 脂肪はあるが、金がない。

増えてる。昨年、減りに減った脂肪が、秋頃からずんずん増え、今や飽和状態。ズボンをはいて、溜息。スカートのシルエットを見て、眉間にシワ。そうこうしていたら、一時期よりも5キロ増。油断しているとどんどん増えるのはしっていたけれど、こうも増えるとびっくりしちゃいます。だって、5キロってそれだけで、大台に乗るか乗らないかを左右するわけですから。さあて、どうしたもんかと思えど、食餌療法は、イマイチ好かず、運動をしたいなあ、と思っていても、帰ってくるのが9時を多く過ぎる私には取る術なし。じゃあ、土日かと思ってみても、テニスをするにせよ、なにをするにせよ、東京じゃ金ナシには無理みたい。脂肪と一緒に燃焼される金。なんだか、ものすごく哀しみを感じてしまう。

2004年01月27日(火)



 合掌、そして、敬礼。

小説にせよ、絵本にせよ、雑誌にせよ、詩にせよ、映画にせよ、テレビにせよ、音楽にせよ、コピーにせよ、なんにせよ。良いものに出会うと感謝、合掌、敬礼。できれば、アッパーでくれ。できれば、ジャブでくれ。その時、ガツンと来るのも良いし、後からゴブンと来るのも良い。なんにせよ、良いものにあうと、私は嬉しくてたまらなくて、帰り道、大声で歌い出したくなるんだ。人が奇異な目で見る、人が可哀相なまなざしでこちらを見ている。けれど、幸せなのだよ。幸せだ。一人、家で流す涙も風呂につかりながら、湯気に見る陽炎も、全部、幸せ。だから、もっとくれ。良いのをくれ。

2004年01月26日(月)



 ジョゼと虎と魚たち〜感想・本編〜

明るく振りかえられるようになると、「出来事」は「思い出」に変わるんだと思います。どんなに辛い「出来事」でも「思い出」に変わると、とてもきれいです。当時、自分が直面していた辛さや悩みを陰影に、「思い出」は、目が潰れるくらいにきれいに輝きます。けれど、人は「思い出」を思う時、その影から目を逸らしているんじゃないでしょうか。そうするのは、きっと「出来事」を「思い出」に変えた術がはたらくから。「出来事」を「思い出」に変えるための時間は、影を見ないようにする術を覚える時間なんだと私は思います。
私は“ジョゼと虎と魚たち”を見終わった後、衝撃が強すぎて、最初、なんて言って良いのかわかりませんでした。話の光となる部分が、あんなにまぶしかったのも始めてだったし、同時に陰影の濃さも感じることができたから。もちろん映画だから、少し現実と離れている設定とか流れとかあります。ですが、映画を包んでいる光と影は、私のまわりや「思い出」にもたくさんあることだと思います。
「思い出」が自分を支えてくれるようになる時間、明るく振りかえられるようになるための術、そこになんとなくある影のこと。ひいては、「青春はうつくしい」とか、「恋愛はすばらしい」とか常識のようにいわれることについて。わかりやすく、克明に丁寧に“ジョゼと虎と魚たち”は記してくれた映画でした。

※これから、観に行かれる方へ。
是非、パンフレットにあるCUT編集長:宮嵜広司氏の批評を読んでください。



2004年01月25日(日)



 ジョゼ〜プロローグ〜

どこでどうおもったか・・・。広告戦略か、ただのイメージか・・・。ただのお洒落映画だと思っていたものから、スゴイのがでてきちゃいました。それが「ジョゼと虎と魚たち」。良い小説の読後感のように、見終えた時にぼんやり。で、ソワソワ。身の置き所にこまってしまうような、衝撃。ひとつひとつの場面が掛け値のないシーン、脇役もふくめ、ひとりひとりの登場人物が印象的。もちろん、それは話の内容が素晴らしかったから、という理由だと思います。

今は、感想がうまくまとまらないので、とりあえず、具体的な感想はまた明日。
すんません。


2004年01月24日(土)



 ともだちは、ともだち。

先月、異常なまでに友人と電話で話していた。けれど、今月。なんだか仕事が遅くて、電話なんてほぼしてません。一万円分までに繰り上げた無料通話、意味なし。そんな折、本日。少し仕事が早く終わって、友人二人と電話した。かたっぽうは長電話。ひさしぶり。最近さあ。そんな調子で、近況やら、なにげないことをたらたら話した。半月くらいしか連絡しなかっただけなのに、お互い、少しずつ、変化があるようで、びっくり。毎日なんて、こんなに無駄遣いしているのに、それでもやっぱりちょこちょこ色々あるみたい。友人といえども、板の間の隙間ほどのところからしか、相手のことを見れていないのね。信用、信頼、もちろん友情になんの疑いもないのだけれど。結局、休みの日の姿しか見れていないんだなあ、と知る。

2004年01月22日(木)



 不感症の私。

まだ詩を読んで、泣いたことなんてなかった。不感症の私。今日、クーネルという雑誌を戯れに買い、冒頭、高村光太郎の詩「案内」で泣いてしまった。会社で、ちょっと目を通そうと思っただけなのに、ものの10行前後の文章に、涙が出る。それは、高村光太郎が伴侶:智恵子を亡くし、東京から岩手へ移った時の詩で、家のまわりのことが書いてある。美しい詩だなあ、と単純に思って、すらっと目を通していたら、最後、「智恵さん、気に入りましたか。好きですか。」で、虚をつかれて、何も考えずに涙がにじんだ。それはきっとまだまだ若い私の今後何年かの人生の中で、絶対にあることのように思えた。いや、だれしも大切な人を亡くした時、かならず語りかける時が来る。恋愛小説以上に、恋愛をかたり、感動小説よりも人の生を語る、そんな詩だと思った。


2004年01月21日(水)



 やはり、遠回りした方が近いみたい。

どうにも体調が悪くて、会社にもまんまと遅刻し、なまけて自転車には乗らずにバスに乗ったら、帰りに寒空の下、20分も待たされた。そもそも最寄の駅から、15分の道のりを面倒くさがらずに、歩いていたら、バスに乗りこんだ時間には、家に着いていたはず。せっかく、早めに帰していただいたのに申し訳ないなあ、と思いながら、結局、いつもと同じ時刻に床につきそうな自分を呪います。あーあ。

2004年01月19日(月)



 ゆきふった。

ゆきふった。洗濯物を終えて、さあて、外に干そうかと思ったら、雪ふってた。好きなんだけれど、ちょっと複雑な気持ち。子供の頃は、単純に好きで良かった雪も、きっと大人から見れば、うざったかったろう雪。出かけるにもままならず、雪かきやら、なんやらで雪のおかげで発生する手間は雪国には多い。けれど、子供は、そんな気をまわす必要はなくて、ただのほほんと雪で遊ぶことを考えてりゃ良かった。もし、私がまだ雪国に住んでいたら、冬になればかならず降る雪を見て、どう思っていたんだろう。東京で見る雪は、あいかわらず私を雪のある生活を外から見せている。

2004年01月17日(土)



 メガネ・セレクション。

最近、メガネをコレクションしています。といっても、私の言っているメガネとは、メガネをかけている人の総称。なかでも、自分の気に入ったメガネ、おそらく同族と思われるメガネ人をみつけては、喜んでいるのです。私の言うメガネとは、たとえば、くるりのメガネ、ドランクドラゴンのメガネ、アジアンカンフージェネレーションのメガネ、とまあ、まだまだ数は少ないですが、どれがどこにいっても私には見分けがつきません。そもそも、なぜこんなにもメガネに執着するようになったかというと、よく職場のリップサービスで聞かれる「芸能人では、どんなのが好きなの?」という質問です。たいてい、その質問が繰り出される時は、自分が思うカッコイイ顔について話している時で、私はいつも寂しい思いばかりしていました。なぜって?それは、そういう対象がいなかったから。やれキムタクだ、やれ妻ブキくんだ、やれオダジョーだ、やれ勝海舟(実話)だ。なんだか悔しいなあ、寂しいものよ、そう思っている矢先に出会ったのが、ドランクドラゴンのメガネでした。塚地くんの横で、なんだかめだたなーく、かぼそーい声で合いの手を入れているあの人です。最初は、なぜか気になる、どうしたのかしら。そう思っていましたが、ある日、ようやっとくるりのメガネににていることに気付いたんです。そして、つい先日のこと。タワーレコードのTVCMでアジアンタイフーンジェネレーションのメガネを、これまたくるりのメガネだと思いこんで、釘付けになりました。本当にどれがどれだか、わかりません。私にしてみれば、いつの間にか、3人の役どころが変わっていてもわからないんです。ですが、例のリップサービスの際には間違いなく「ドランクドラゴンのメガネ!」と答えるでしょう。だって、見分けはつかないけれど、やっぱり一番気になるんだもの。岸田氏よりも、ドランクドラゴンのメガネが、さ。

2004年01月14日(水)



 イメージに、カラダが、ついていかない。・・・若干。

 ピシャリ。鞭ひとつで、ゾウが片足を上げ、犬が炎の環をくぐる。次のひとつでは、舞台袖からライオンがやってきて、美女と共演。最後の鞭と号令で、みなが揃ってご挨拶。団長は、動物が言うことを聞かなければ、次々と容赦なしに鞭をくれる。そんな光景をほうふつとさせたのが、エレカシのライヴでした。
 宮本氏が次々とメンバー三人にダメだしをし、時に逆上、ドラムセットをぐちゃぐちゃにしたり、マイクスタンドをずるずると引きずったり、はっ倒したり。なんだか、ミュージシャンと言うよりは、詩人。まともというよりは、不完全きわまりない。ライヴ自体も、まあるい演舞場も手伝って、ライヴと言うよりリサイタル。
 エレカシのライヴは、即興劇に似ています。1分先にどんなアレンジを繰り広げるかわからない宮本浩次が原因です。メンバーは翻弄され、いつのまにか歌と音楽との間に溝が生まれます。まるで中学生の演奏のようにリズムがずれて、また宮本氏が反応する。時に体全体で怒り、時に新たなアレンジを加えて、その時々の感情を次々と表していきます。私は、腹を抱えて笑いながら、宮本浩次の、ともすれば狂人となる奇才ぶりを見せつけられたような気分になりました。でも、どうやら、それは私だけではないようです。おそらく何度も脚を運んでいるであろう会場の方々。最初は、見守るように観察していたけれど、いつのまにか体をあやしく動かし始めました。まるで宮本団長のもと、みなで繰り広げられるサーカス。体全体で指揮をし、どこにいくのかわからない不安と甘美な歓びをはらみながら、会場は不思議な空気へと変わっていきます。普通のライヴを期待していったのに、不思議なものを見せてくれたエレカシ リサイタルIN新宿コマ劇場でした。


2004年01月13日(火)



 晩酌の種類。

 1年前と何が変わったって、毎日でも晩酌したいと思ってしまう自分。ビールを飲みながら、なーんにも考えずにテレビを見て、くだをまいて。きもちわるーい、と言いながら、寝どこに寝転ぶ至福。次の日に持ち越すような仕事がない時の、あの開放感はなんとも言えません。
 晩酌には2種類あると思います。ひとつは開放感から来る「ご褒美酒」。もうひとつは、なにごとから逃げたいと思って、酒をバカのように呑む「酒」。私は、前者が好きであるにもかかわらず、後者の間違いをよくおこします。そして、毎回毎回、自分を追い詰めてしまう。酒代だってバカにならないし、なによりもおいしくない。
 美味しい酒の味を知っているからこそ、なおかつ、美味しい酒を呑んでいたいと思うからこそ、私は今後、「逃げる」ための酒を止めたいと思うんですが・・・。

2004年01月12日(月)



 晩酌の種類。

 1年前と何が変わったって、毎日でも晩酌したいと思ってしまう自分。ビールを飲みながら、なーんにも考えずにテレビを見て、くだをまいて。きもちわるーい、と言いながら、寝どこに寝転ぶ至福。次の日に持ち越すような仕事がない時の、あの開放感はなんとも言えません。
 晩酌には2種類あると思います。ひとつは開放感から来る「ご褒美酒」。もうひとつは、なにごとから逃げたいと思って、酒をバカのように呑む「酒」。私は、前者が好きであるにもかかわらず、後者の間違いをよくおこします。そして、毎回毎回、自分を追い詰めてしまう。酒代だってバカにならないし、なによりもおいしくない。
 美味しい酒の味を知っているからこそ、なおかつ、美味しい酒を呑んでいたいと思うからこそ、私は今後、「逃げる」ための酒を止めたいと思うんですが・・・。

2004年01月11日(日)



 2004年。文章、新世紀。

なにを思ったか、2〜3年前のこの日記を読み返しました。実は、この日記、そのころとは形態が変わっていて、前はバラバラと頭によぎったことだけを書いてあるものでした。こうやって、文章を書くようになったのはだいたい2002年の夏くらいからのことです。しかも、半年間サッパリ書いていないような期間もあるので、数的には少ないんです。で、前の日記ですが、今、見て、おや?と思うところがたくさんありました。もともと、こういう形式にしたのは、きちんと自分の考えていることを伝えなきゃアカンなあ、という思いから。けれど、それがアダになったのか、発想という点で劣っているような気がしました。思えば、あの頃の私、何か書きなさい、といわれれば、いくらでも書くことができました。つまらないことでも、自分の視点でもって、スルスルと書けたんです。ですが、最近はそうはいきません。ネタがないなあ、なんて日もしばしばあります。もしかしたら、私、うまく書こうと無意識のうちに思って、ネタを選別しているのではないかしら。自分が書きやすいものだけ書こうとしてるんじゃないかしら。だとしたら、それは私のおもうところではありません。頭がカタくなっている証拠と言えます。とりあえず、これは自分の日記なんだから、うまく書こうとはせず、好きなことを自由に書くべき。その中で、人にわかってもらえるよう書くことが、今の私に大切なのだと思います。

2004年01月08日(木)



 購買意欲の魔物。

 macが欲しくなってきた。imacも良いのだけれど、ノートのやつ。小さいやつ。ミニってかんじのやつ。今日、iPod miniのことを調べようとmacのHPに行ったら、ノートのmacが3年ローンを組めば、月々五千円くらいで買えることが判明。無償に欲しくなった。
 昨年から、どうも私は仕事の区切りがひとつつくと買い物をしたくなる。ストレスを向けるものがないのだろうか、すぐに購買に向かってしまう。しかも、一度欲しいと思うと、口から手が出るほどほしい。この間は、それでソニーのサイバーショットを買った。あの時は、ちょうど機種の入れ替え時期で、欲しかった型のものがなくて、方々、探しあるいて、やっと買った。だけれど、なんだか手に入れたとたん拍子抜け。気合いを入れて買ったワリには、小さくて、たよりなくて、本当にこれが二万円もするのかと面食らったのを覚えている。
 どうも、私の購買意欲は我が侭だと思う。欲しいと思っていたくせに、手に入れた途端に、ちょっぴりガッカリする。多分、欲望が強すぎて、購入に至るまでの間に、なにか妙な期待が産まれてしまうらしい。
 今回のmacの件にして、今の私には、必要がないことが考えてみればすぐわかる。家にPCあるし、現在の所、外出先でPCを扱う事なんて、ない。もし、メールのチェックだけだったら、ザウルスなんかで十分なはずなのに。
 でも、一度「買いたい!」と思ったら、きっとまた私は自分を止められない。お金に余裕があるわけでもないので、今回のところは、macノートのことはあまり思い出さない方向で行こうと思う。


2004年01月07日(水)



 キミドリ建築の野望。

 「うわ、コレ、すごいなあ」と思うことが年にひとつでもあると私は嬉しい。それは仕事である広告でも良いし、車でも良い、自転車でもいいし、本でも、デジカメでも、人物でも、何でも良い。できれば、それはアイディアに溢れていて、発信している側の人たちが楽しんでいるようなそんなものだともっと嬉しい。そういうものは、私に刺激を与えてくれて、目標になったりもする。
 今日、ひとつ、そんなことが増えました。それは建築会社で「キミドリ建築」といいます。何でも、この会社は、最近、サッカーボール型の家を開発し、話題になっているご様子。このサッカーボール型家屋ですが、すごいんですよ。全災害型対応!!5角形12枚6角形20枚のパネルで形作られ、ひとつひとつのパネルが地面からかかる力を緩和させるから、耐震性にすぐれ、まわりに塗布してある特別仕様の防水加工で、海にだって浮いちゃう作り!これなら、ノアの箱船がいるような大水害にあってもだいじょうぶです! 想像してみてください。氾濫した川に浮かぶたくさんの多面体の家屋。それぞれの家には明かりがともり、プカプカと浮いている。こりゃあスゴイ!しかも、少しバカでかしこい!ステキ!そう思って、この会社のHPを訪ねてみたところ、他にもいろいろチャレンジをしている様子。個人的には、この「キミドリ建築」の商品、キュービー(ローコスト住宅888万円〜)がお気に入り!ああ、忘れたくないですね。こういう仕事における楽しさを追い求める姿勢!せっかくライフワークにしている仕事ですからね、楽しくなきゃソンです、ソン!

そんなキミドリ建築のHP
↓↓↓
http://g-wood.jp/index.htm

※本文中にあるサッカーボール型住居は「バリア」という商品名で、只今、国際特許出願中!!

2004年01月06日(火)



 2004年の予言者。

みなさま、あけましておめでとうございます。新年になりまして、すでに4日。我ながら、あきれてしまうほどに遅く筆を執っています。

そういえば、昨年末、引いたおみくじで「凶」がでました。信心深いタチではありませんが、何だか気になります。内容によれば「他人に振り回されてばかりいると人生の敗者となる」らしい。しかも、この呪縛から解き放たれるには、これが最後の機会、なんだって。思いもよらなかった、四角い紙キレから繰り出されたアッパーパンチ。気になる。
思えば、おみくじなんて、そんなに悪いのは引いたことがありませんでした。たとえ、吉なんかでも、内容はまずまず。そんなパターンで、これほどのことを言われたのははじめて。だから、普通なら3.4日で忘れてしまう内容も、こうして覚えているのです。これはおそらく、2004年通して覚えているに違いない。で、今年末に「どうだったろうなあ」なんて、思うことでしょう。
 すでに1つ見通せてしまった2004年の年末。良い年になると良いのだけれど、どうなることやら。しかし、まあ、人生の敗者にならなきゃなんでも良いと思ってしまう私の哀しい性よ。そんなところがいけないんだろうなあ、と思いつつ。

2004年01月04日(日)
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