スナックおのれ
毛。



 人生、起承転結。

 微笑んでいる人がいる、怒りにうち震えているいる人がいる、さめざめと泣いている人がいる、腹を抱えて笑っている人がいる。色々な感動を表にだしている人がいる。幸せだ。そんな人が大好きだ。私は、表だってそんなことはできない人間。駄目な人間。どうも、そんなそぶりをしている自分に気付いてハッとしたりする。私は嘘つきだ。だから、まわりに素直な人がいると救われる。「なんだとッ!」と思えば、会社に辞表を叩き付け、喜んでいるなら「ギャッハッハ」と笑ってみせる。表裏のない人なんて、いるはずはない、と思ってはいるのだけれど、いざ、そういうそぶりを見せる人に接すると、とても安心する。そうなりたいと、心に誓ったりもする。
 だけれど、本当はそんな気質の人が、それを辞め始めるとギョッとする。せっかく、そういう気質があるのに、と正直思う。もしかして、それは歳?それとも、保身?事故防衛?とすら思う。どうせ、そんな気質を持っている人は、そんな自分に耐えかねるだろうに、敢えて我慢した所で何がある!? いくしかねぇーだろ。人生、起承転結。自分の姿あるがままで終わらせることでしか、その先はないんじゃねーか?このコメントこそ、若さがなすもの。それで終わらせるなら、それで良いよ。それで良い・

2003年12月25日(木)



 友人:鈴木君(仮名)によるモテ理論。

友人:鈴木君曰く、「男はダメな方がモテる」らしい。鈴木君は、電車の中で老人を見かけるとするりと席を譲る育ちの良さと、万人に変わらず応対する垣根のなさを持ち合わせる、公私共に認める「良い人」だ。けれど、鈴木君。どうも長く付き合った女の子にフラれる傾向がある。大抵の場合、女の子は、もう一度付き合ってくださいオーラを出して舞い戻ってくるわけだけれど、その頃には鈴木君の関心がそこにないのが常だ。実は、鈴木君、ちょっぴり冷たい面も持ち合わせている、とも思う。けれど、いくらやさしい人でもその許容範囲があるってことらしい。そんな鈴木君が最近、「男はダメな方がモテるんだよ」と溜息まじりでもらしている。たとえば、彼女よりも趣味を優先する、金にルーズ、、だらしない服装、常識のなさなど、女の子が「この人は私なしじゃ駄目!」と思わせる要素が必要であると主張するのだ。そういえば、そうなのかなあ、と思った。やっぱり、相手に自分のことばっかり突っ込まれたら、そりゃあ癪に障るわけで。たまには、母親ヅラしたいとも思うわけで。お互い、持ちつ持たれつでベストな関係を目指すとしたら、一方的じゃいけないのよね、と。ただね、鈴木君。「男は駄目な方がモテる」なんていいなさんな。健著にでていなくても、誰しも駄目なところはあるものよ。それに気付いてくれるような彼女と、それをどんどん出していく自分が必要なだけじゃないかしら。まあ、あなたが言う「駄目な男」は、駄目な部分が出っ放し、蛇口の栓が緩みっぱなしってことだから、そりゃあ、あなたが言うようにモテるわけだけれども・・・。私が言えるのは、次に突っ込みを入れてくれるような女の子に出会ったら、その子があなたの結婚相手かもってこと。


2003年12月24日(水)



 ストレッサー。

ストレスがかかると、偏頭痛になります。今夜もどうやら、来ました来ました。左後方の頭がズッキンズッキンと脈打ち始めてます。薬を飲めば、平気になるんですけれどもね、どうそこまでするのが悔しくて。この歳になって、やっと自分の傾向というのが見えてきまして、偏頭痛もそのひとつです。人によっては、ストレスが胃にでるみたいですが、それに比べればまだ我慢できるはず、と考えています。そういえば前に、ストレスに強いね、と言われたことがありました。そんなことはありません。いつも平気に振舞ってますけれど、偏頭痛になって出てるんですよ。影で顔しかめてたの、知らないでしょ?そういうことが相乗して、より酷くなっていくんですけれどもね。まあね、別に良いです。愚痴っぽいから。

2003年12月23日(火)



 “ことのは”は、“言葉の刃”。

どうも最近、切れ味がよくないのです。切れ味が良くないと言うか、もともとそんな刀なんぞ持ってはいないけれど、良くないのです。言葉は、人を切る。それはもちろん悪い意味でも、そして、良い意味でも。悪い言葉は、人を果てしなく傷つけ、良い言葉は人から厄すらとりのぞく。言葉は、本物の刀にと比べれば、本当に命を絶つことはできないけれど、「死んだように」させることはできる。言葉は、こわい。
最近「マ、マ、あなたの好きなようになさいよ」という、一見投げやりな言葉に救われます。ああ、信用されているのだな、と素直に受け止められるんです。その言葉の刃は、私の重荷をスッパリと切ってみせる。
それを考えると、最近の私。人の何かを切ってあげられるような言葉をかけられたかな?悪い言葉じゃなくて、良い言葉。せっかく、そうやって意思を通じさせる手段があるのに、どうにも使い切れていないんじゃないかな。人のちょっとした宿縁のようなものを切ってあげられるようになれば、良いのに。
そんなことを考える2003年の年の瀬。少し大人になったかもしんない。

2003年12月22日(月)



 いいわけ。

いいわけって、やっぱりみぐさい。取って付けたように、後から後からつけたしたように。中には、嘘なんかもちょこちょこと導入されたりして。ああ、嫌だ嫌だ。気持ちはわかります。すごくわかります。やってしまったこと、それに対する後悔の念がどうしようもなく人を追い詰めて、せかすように口から出るものなのでしょう。「でしょう」なんて言いながら、私こそ言い訳ばかりの人生です。言うなれば、人生が言い訳です(?)。たとえば、今週の日記。仕事がだんだんと忙しくなってきて、なかには徹夜をよぎなくした日なんかもあって、ほとんど更新できませんでした。いかんなあ、と思いながら、次の日のため、なんて考えて、パソコンも立ち上げぬまま。あーあ。自制心が足りない。自覚が足りない。そして、また出た言い訳だよ。ほらほらほら〜、みぐさいでしょ?

反省します。

2003年12月18日(木)



 幸せ何パーセント?

※今年の私。幸せ指数年表※
1月〜6月:32% 目標をなくしたことと自信喪失のため。
7月   :80% 自分自身へのあきらめから、とある決意を固める。
8月   :42% 部屋探しに職探し。不安感から情緒不安定に。
9月   :44% 情緒不安定ながらも、安定しようと無理をする。
10月   :32% 失恋。
11月   :55% 良い人たちに囲まれて。
12月   :62% なんとなく、生活に慣れ始める。

今日、仕事をしていたら、今のあなたは幸せ何パーセント?というような話題になりました。まあ、もうすぐクリスマスですからね、そういう話題になったわけです。まず、先日の日曜日に気になる彼女とのデートが成功し、ウキウキルンルンな先輩は、「82くらいっすかね」といいました。次に、ちょっと気になる人との約束をクリスマス直前にとりつけた方は、「75?」だそうです。で、既に結婚もしている上司は「32ィ」とさも不服そうに言っていました。彼女が32とあまり奮わない理由は、ウキウキしたーい、ってなこととクリスマスは旦那が仕事なので、ひとりで過ごすからだそうです。で、私ですが、私は62%。一人身のくせに案外、高いじゃない、と上司はとても不思議そうでしたけれど、そうなのかな?とおもいました。もともとクリスマスやバレンタインとかのイベントにこだわるタチじゃないってのもあるんですが、まあ、今、案外とフツーに良い感じなので。だって、今の私にとっては、毎日がホント良い感じなんです。たとえば、毎日、つつがなく仕事をして、帰宅して、ごはんを食べて、音楽聞いて、テレビ見て、本読んで、風呂入って、寝て。ある程度の悩みがあって、楽しいこともあって。そんな生活が安穏としていて、とても良い感じ。生活の中にじんわりと自分が溶け込んでいる感じ。もちろん、色恋沙汰でウカウカするのは大好きです。けれど、今は休暇中。色恋に流れると、ホント気持ちが忙しいですからね。今はそんな喧騒からは離れて、のんびり年末、お正月まで過ごしたいな、と思っています。

2003年12月15日(月)



 私の中の美人は・・・。

 私の中の美人とは、硬質な美人をさす。なので、ほんわか〜って感じの人は美人にあらず。私の中の美人とは、近寄りがたい。仕事はものすごくドライに8cmのピンヒールでさっそうとこなしてみせる。私の中の美人は、どんな人と付き合っているんだろう?私の中の美人とは、少し哀しい。完璧過ぎて、そこらへんの男は近寄ることを怖がる。けれど、私の中の美人は、本当は誰かといっしょに過ごすことを心底求めているのだ。喉から手が出るほど欲しいのに、私の中の美人は、ずっと強がったまま。好きな相手に告白できずに、ひとりぼっちの夜を静かに過ごす。ある日の友人の結婚式。私の中の美人は、友人の幸せそうな顔をみて、美貌の中でひとつぶ涙を流した。誰もそんな彼女の思いには気付かない。みんな、彼女をうらやんだまま。本当にうらやましいのは、彼女自身なのに。


2003年12月11日(木)



 面白い人の作り方。(読書編)

友人と本の感想談義になった。友人には、これといった本の感想というのがないらしく、本はおもしろいか、おもしろくないかに大別されるらしい。だから、本の内容をほりさげて、とか、この本の要点は、とかわからない、らしい。私も本なんて、面白くないか面白いかで良いじゃんと思っていた。けれど、書評なんかを読んでいると、やっぱり本には最低受け取らなければならない内容というのがあるようで。別にうけとったところで、その効果はこうだ、とかは言えないけれど、やっぱりせっかくもらえるもんはもらっといた方が、トクなのじゃないか、と。まあ、とにかく街で配られているティッシュくらいのオトクはかならずあるだろうと思っています。
 ただ、私は昔からそういうことが苦手なのです。小・中学校の時の作文に読書感想文。本当に大嫌いでした。特に、学年が上がるにつれて、書く枚数が増える読書感想文は、地獄。作文と違って、あくまで本の感想として書かなきゃいけなかったし、かといって、感想なんて、面白くなかった面白かったのひとことにつきる私にとって、あるわけもなく。必然、原稿用紙には200ページの内容を2000文字で説明するということが繰り広げられます。けれど、それもなかなか辛いんですよね。だから、一度だけ適当に書いてやろうと思い、詩のようにパラパラと楽して書いた時があったんです。読んだ本はシートン動物記。読書感想文の出だしは、おそらく「アーイヤラップラップラップ」(これを改行して2行続ける)。しかし、予想に反してこの読書感想文は、市のコンクールに入賞。どういうことだ?といぶかしみました。同じようなことで、「ガラス」に関する作文を書いた時、私はガラスのない世界について、ふざけて書いてみせました。すると、これも入賞。なぜ、いつもより労力を使っていない作文がなぜこんなにも受けるのか?当時の私にはわけがわからなくなったものです。けれど、今、思えば、ちょっとわかるんです。どちらも結局、私が感じたことだけ書いてあったんですね。それがどんなことであれ、ひとつのことに対する感想をズラズラと自分の思うままにかいてみせた。着眼点をきっかけにどこまでほりさげられたか、そこに評価があったのだと思います。
 最近、私は本を読んで感じることを少し立ち止まって考えてみることにしました。別にそれがどんなことだって良いんです。「これって女ったらしの話じゃん」と思ったら、女ったらしってなんだ?女と多くつきあうことで得られることは?とか、そう言う風にどんどんと考えます。たとえ、どんなにくだらなくても良いから、自分なりの考えの結果を得ることを大切にしています。実は、そういうことが読書感想文の材料であり、本から受け取る最低限のことへ繋がっているんだと思います。まだまだ私には本の内容を掘り下げてとか、要点とか、わかっていないけれど、そんなことの繰り返しで得られるものだと私は信じたい。
 そういえば、冒頭の友人がこうも言っていました。「本を読んでいる人は、やっぱりおもしろい」。そうだね、おもしろいね、と私もそれには同意しました。本を読んでいる人は、確かに語彙が多くて話していても面白い。けれど、本当の意味でその人たちが面白いのは着眼点と思考なんだろうなあ、と私は思います。そのためには、本の冊数を多くするだけでなく、その内容を自分の観点で考えることがとても大切なのだと私は考えています。

2003年12月10日(水)



 年末ブギ。

 クリスマスです。あんまり気にしてはいないんですけれど、街に出る度にギョッとしています。だって、クリスマスって言ったら、すぐに年末がきて正月が来て、行事目白押し。とにかく、クリスマスの浮かれた気分よりも、年末に差し迫る心の焦りの方が毎度のことながら、強いんです。別になにかしなけりゃいけないというわけではないんですが、逆にそういうわからない部分とかが妙に不安で。なぜでしょう。年末にはきっと魔物が住んでいるにちがいありません。
 さて、ここで今年の私の年末についてご紹介させて頂きます。今年は、27日に京都へ行き3泊四日の旅にでます。京都なんて、修学旅行以来ですからとても楽しみ。行きたいところ、目白押し。と、思ったら、あんまり調べていないことに気づきました。その上、新幹線のチケットもまだ予約せぬまま。やばいぞ。やばいぞ。
まあ、気を取り直しまして、京都から帰ったらですね、そのまま実家に帰ります。大晦日とかに帰ることになると思いますが、こちらは自由席で結構。慣れちゃいないけれど、覚悟はできています。実家に帰ったら、テレビ見て、初詣行って、ばあさんちに行ってと。あれ?それでも予定がうまらない。っていうか、家の大掃除はいつするんだ?汚い家だから、ここという時にやらないと、期を逃してしまうと思っていたのに。いや、まてよ、その前の週にすればいいのか?20日とか、ヤヤッ!20日には既に予定が・・・。大体、年末10日前の大掃除に意味はあるのか?その後、汚してしまうのではないか?今週とて、既に予定でうまっていることだしなあ〜って、わかったぞ。不安感を呼んでいたのは、これだったのね。師も走ると書いて、師走。快適な年末と正月を送るには、なかなか覚悟が必要のようです。あ〜あ。

2003年12月09日(火)



 酒に関するエトセトラ〜若気のいたりじゃすまねーぞ、の巻〜

 私はお酒が大好きだ。それでもって、ある程度、強い。けれど、私はお酒に弱くもあると思う。酒が好きすぎて、どんどんと飲んでしまうのだ。「○○ちゃんには、負けるなぁ〜」みたいな感覚で酒に弱いというか、甘いのだと思う。けれど、酔っぱらった状態の私にもある種の礼儀みたいなものはある。当然のことだけれど、人との距離や気の使い方、酒の席だからで甘えちゃいけない礼儀はきちっと守っています。
 時々、酔いにまかせて、抱きついたりとか甘えたりする人が男女問わずいる。 若い女性の場合は、笑い話ですむのかもしれないけれど、だらしないことには変わりはない。酒は美味しくて、楽しい。けれど、やっぱり人と人との距離感ってものをしっかり持っていて欲しいのだ。酒に甘えて、そんなことをして欲しくない。たぶん、本人たちは覚えちゃいないんだろうなあ、と思うと、よけい腹ただしくなってくる。
 先日、とある飲み会でそんなことがありました。私はムカついて無視したけれど、なんだかそうされた自分がとてもみじめに思えてならなかった。まるで猿山にいるみたい。酒が好きなら、節度を持って、飲みましょう。いくら「酒に強い」なんて言い張っても、礼儀の一つも忘れる人は、弱いと私は思います。礼儀を忘れない程度が、その人の適性酒量と心得てください。それと女子に関して言えば、それ通じるのあと10年もねーぞ。今のうちから正しておくのが得策です。
 みんなね、もう若気のいたりですむような歳じゃないんだから、良いお酒の飲み方、そろそろ覚えましょう。
あーあ、同年代ども!!

2003年12月08日(月)



 体温と気持ちの反比例。

熱がある。熱がでちゃった。微熱ですけれどもね。なので、ぼんやりしています。少なからず。病は気から、と言いますが、まさにその通り。体温計の表示が上がっていくのを見ると、どうにもこうにもテンションが下がっていく自分に気付きます。病人は病人らしく、みたいな感情がいつのまにか生まれている気がしてならないんです。で、そういうふうにテンションが下がっていく自分が許せなくはあるんですが、どうにもこうにも抗えない。体温計の温度を見なければ、こうにはならなかったんだろうな、とちょっと後悔しながら、それでいて上がる体温と下がるテンションに抗うこともできず。すんません、寝ます。

2003年12月07日(日)



 グミチョコレートパインを目の前に。

ふと会社の用事で本屋に行ったら、大槻ケンジのグミチョコレートパインが発売されていました。おや?と思いつつ、手にとる。思えば、これを一生懸命読んでいた時って、私は中学高校生だったなあ、と思いながら、一瞬郷愁の念にとらわれました。あの頃、私はこの本の主人公と同じように、自分なら何かができると信じていたものです。これだけじゃ、すまんぞ、すまんぞ、自分は特別製なんだ、と何の根拠もなく考えていました。やればできる、という言葉がありますが、ありゃあ、やれば誰だって大抵はできるって意味なんですね。けれど、その中でも秀でるには才能であるとか、センスであるとか、人よりも努力することとか、あきらめないことだとかそういうことが必要なんだと、10年の間に、ようやっと学習しました。さて話をグミチョコレートパインに戻して。発売されていたのはパイン編。三部作の最終章です。一瞬、買うかどうかすごくためらいました。10年の間に私はあの変な時代を切り抜け、社会人になり、色々経験もしましたし、本もあの頃よりは読んでいます。なので、あらゆる意味で、この話との溝ができていたら、と思うと、とても怖かった。私はあの時に一生懸命読んでいた、この本を「なーんだ」と言ってなげだしたくはない。であれば、最初から、読まない方が良いんじゃないのか。けれど、作者大槻ケンヂにだって、私と同じく10年の年月を経ているはず。一瞬、またとても失礼なことを考えてしまった、ごめんなさい、と意味もなく高円寺の方に向かっ頭を下げながら、私は本を購入しました。果たして、内容がどんなもんか、実際、まだ怖いですけれど、誠意を持って素直に読んでみるつもりです。

2003年12月03日(水)



 反省文。

私は仕事でミスをすることをとても恐れている。要は、怒られるのがとても怖いのだと思う。ミスをすると、どうにもこうにも逃げ出したくなって、その場から自分を消し去りたくなる。この場で心臓麻痺かなにかで死ねたら、よっぽど楽だろうなあ、とも思う。この間までの派遣の仕事の時にも、私はひとつミスをした。それはそれは重大なミスで、私はまたどうしようもない焦りに苛まれていた。一人の先輩が「でも、死なないから、大丈夫だよ」と慰めてくれたけれど、私の心の中で「死んだ方がマシだなあ」と言葉を返していた。
今日の昼前、私は先方がえらくお怒りになっている電話をとった。言っていることの内容がさっぱりわからなかったけれど、とりあえず、こちらの担当者からの電話がまだ来ない、と言うことで怒っているらしい。ちょうど5分くらい前に、その先方からの電話を受け取った記憶のあった私は、担当者が不在で代理の人が対応していることも知っていた。先方は、ただ誤るばかりの私に散々文句を言い、早く電話くれ、というようなことを言って、乱暴に電話をきった。一瞬、何事がおこったかわからなかったけれど、とりあえず代理の人に連絡をとり、担当者に連絡を取らせてください、と旨を伝える。「すごい剣幕じゃなかった?」と代理の人、私は「はあ、まあ」と答えると、「ごめんねぇ」と代理の人が謝っていた。
担当者は、いわゆるデキル人だ。まだ働き初めて間もないからカンで言っているけれど、先方との交渉能力に優れ、注意深い、おそらくそんな人なのだと思う。その人が先方を激怒させるようなミスをした。先方に非があるか、こちらに非があるか、わからない。けれど、まあ、とりあえず誰でも人を怒らせる可能性があるんだなあ、と言うことにようやっと気づきました。仕事をしていてミスをするのは、なにも私だけじゃないもんなあ、とも改めて思いました。なんだか、ミスをすると自分のことばかり見えちゃって、いけません。まるで、ミスをするのが自分だけのような感覚を覚えるんです。けれど、みんな、ミスをする可能性を持ち合わせていて、特に仕事をしているといつもそれと隣り合わせ。今更ながら、そんなことを思い、自分の甘さを反省しました。

2003年12月02日(火)



 心乱されて。

心みださ〜れて〜♪愛をみださ〜れて〜♪今がどこへも行かないように〜♪とは誰の曲だったか。小学校か中学校の時に、母リエコがリピートで聞いていたのにも関わらず、どうにも思い出せない。どうも、おかしい。そして、まだ呪縛が続いている。呪縛とは、26歳の呪縛のこと。どうやら、私の身辺、26歳を迎えると色々様々なココロ乱されごとが待ちかまえている。ひとつ終わって、やっと平静に戻ったと思いきや、またコレだ。おいおい、またですか、また穿り出しますか?そう来ますか?とぼやき、対応しながら、本をとりあえず手にとる。今、読んでいるのは川上弘美のニシノユキヒコの恋と冒険。実は川上弘美の「光って見えるもの、あれは」をついこの間、読んだばかりでした。それが今までの川上弘美のものとは、文体も題材も違っていて、とても印象的な本だったのです。なので、その期待を持ちながら、読んでいた本をほっぽらかして、手にとりました。良い本です、きれいな文体、哀しきニシノユキヒコの恋愛事情。しかし、しかしですね、期待しいているものが今のところないのであります。楽しいです、面白いです、どんどん詠み進めています。けれど、「光って見えるものあれは」にあった川上弘美の成長のようなものがない。あれ?と思って、途中で最後の掲載されていたところをみてみると、どうやら、1998年とか1999年とか、わりと古いものも入っている様子。今年に入ってから書かれているのは、最後の「水銀体温計」のみ。まだ、そこに辿りついていない私は、ちょっぴりがっかりしながら、それでいて前の川上弘美も大好きなので、軌跡を辿るような気持ちで読んでいます。
好きな作家さんの本を読んでいると、なぜか乱された気持ちが落ち着いていくから不思議です。そんな力もあるもんなんだなあ、と改めて感心しながら。本ってスゲーな、と今更ながら考えています。本がなかったら死ぬ!とは、まだまだ言えないけれど、本に乱された心をならしてもらっているのは確かなようです。せっかく、人恋しい冬の入口ですから、特に心乱された26歳の諸兄は、良い匂いの紅茶なんか飲みながら、本を読んでみるのも良いと思いますよ。
ホント、日常、やりきれないッスからね。

2003年12月01日(月)
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