|
|
■■■
■■
■ 運が良い人、と呼ばれて。
生来、私は運が良い。やばいなあ、というせっぱつまったところで、手を差し伸べてくれる人がいたり、状況が好転していったり、そういうことがよくある。しかも、私の運の良さは、時々、神懸り的だと思う。例えば、それは高校生の時。ちょっと寄り道をしていた私は、なぜか家に電話をしてから帰ろうとした。話の内容は「これから、かえる」たったそれだけ。母に電話をするように言われたこともないのに、その時は10秒ぐらいの電話をした。さて、帰ろうと駐輪場に言ってみると、軽トラックが歩道に乗り込み、自転車が目の前で潰された。もし、事前に電話をかけていなかったら、私も間違いなく巻き込まれていたと思う。実は大学入試の時にも、そんなことがあった。センター試験も奮わず、すべり止めだったはずの大学をことごとく落ちた後、私は記念受験である大学を受けた。記念受験という冠が着く通り、その大学の偏差値は、当時の私の学力の遥か上。しかし、奇跡は起きた。受験科目で選択していた国語の出題文が、私の高校では教科書に載っていたものだったのだ。しかも、いつもは散々サボっていたのにもかかわらず、その時の私はいやにきれいなノートを作り、出題文に当たる部分を丸々覚えていた。おかげで、私は記念受験の大学に合格することができた。 けれど、それぞれに話の続きがある。まず、潰された自転車。弁償ということで、いくらかお金をもらった。どうやら、それは父の手に渡り、変わりの自転車を買ってくる手はずになっていた。私は新しい自転車ということで、いくらかの期待をしていた。車輪が大きくて、黒とかシルバーのちょっと言いヤツが来るに違いないとばかり思っていたのだ。けれど、やってきたのは、その全身を紫色で染め抜かれた小型の自転車。見た途端に、私は落胆し、前の自転車が本当に恋しくなった。次に受かった大学。その大学には、専修というものがあって、学科を詳細に分ける仕組みがあった。それを願書の段階で記入するわけだが、私はそこで痛恨のミスをし、志望していたはずの植物系ではなく、動物系にいくことになってしまった。 「運が良い」。私は相変わらず、そう言われることが多い。けれど、今までの経験を考え見て、どうも活かしきれていない。最後の最後の、イタイ手抜かり。毎回、それにやられている気がする。せっかく運が良いのだから、どうにかしたいと思うのだけれど・・・。どうせ、これからもずっとそんなんなんだろうなあ、と思いながら。やっぱり、周囲に「あ〜あ」って言われるのが、私にはお似合いなんですかねえ?
2003年11月30日(日)
|
|
|