スナックおのれ
毛。



 運が良い人、と呼ばれて。

生来、私は運が良い。やばいなあ、というせっぱつまったところで、手を差し伸べてくれる人がいたり、状況が好転していったり、そういうことがよくある。しかも、私の運の良さは、時々、神懸り的だと思う。例えば、それは高校生の時。ちょっと寄り道をしていた私は、なぜか家に電話をしてから帰ろうとした。話の内容は「これから、かえる」たったそれだけ。母に電話をするように言われたこともないのに、その時は10秒ぐらいの電話をした。さて、帰ろうと駐輪場に言ってみると、軽トラックが歩道に乗り込み、自転車が目の前で潰された。もし、事前に電話をかけていなかったら、私も間違いなく巻き込まれていたと思う。実は大学入試の時にも、そんなことがあった。センター試験も奮わず、すべり止めだったはずの大学をことごとく落ちた後、私は記念受験である大学を受けた。記念受験という冠が着く通り、その大学の偏差値は、当時の私の学力の遥か上。しかし、奇跡は起きた。受験科目で選択していた国語の出題文が、私の高校では教科書に載っていたものだったのだ。しかも、いつもは散々サボっていたのにもかかわらず、その時の私はいやにきれいなノートを作り、出題文に当たる部分を丸々覚えていた。おかげで、私は記念受験の大学に合格することができた。
けれど、それぞれに話の続きがある。まず、潰された自転車。弁償ということで、いくらかお金をもらった。どうやら、それは父の手に渡り、変わりの自転車を買ってくる手はずになっていた。私は新しい自転車ということで、いくらかの期待をしていた。車輪が大きくて、黒とかシルバーのちょっと言いヤツが来るに違いないとばかり思っていたのだ。けれど、やってきたのは、その全身を紫色で染め抜かれた小型の自転車。見た途端に、私は落胆し、前の自転車が本当に恋しくなった。次に受かった大学。その大学には、専修というものがあって、学科を詳細に分ける仕組みがあった。それを願書の段階で記入するわけだが、私はそこで痛恨のミスをし、志望していたはずの植物系ではなく、動物系にいくことになってしまった。
「運が良い」。私は相変わらず、そう言われることが多い。けれど、今までの経験を考え見て、どうも活かしきれていない。最後の最後の、イタイ手抜かり。毎回、それにやられている気がする。せっかく運が良いのだから、どうにかしたいと思うのだけれど・・・。どうせ、これからもずっとそんなんなんだろうなあ、と思いながら。やっぱり、周囲に「あ〜あ」って言われるのが、私にはお似合いなんですかねえ?

2003年11月30日(日)



 だらけてだらけて土曜日だ。

まいった。なんだか、何も書くことがない。それもこれも、今日という素晴らしき土曜日を家で何の生産性もなく、過ごしたことによると思われる。
私は土曜日とか日曜日とかを家から1歩も出ないってのをやります。でも大抵、そうなりそうな日曜日の夜に、突然、部屋を飛び出したりします。嫌になるんです。土日をなんにもしないで過ごしてしまった事実が許せなくなってくるんです。外の空気を吸ってないとか、地面を自分の足でけってないとか、そんな些細な事が全部嫌になります。そのうっぷんをいっきに飛ばすために、家の近所を自転車で爆走。いやあ、夜のまっすぐで平らな道は本当に最高です。誰もいないのがベストだけれど、あまり贅沢は言わない。ちなみに我慢できる程度の雨はむしろ歓迎です。さて、ここで私、今から自転車でやってやろうか、と思いましたが、ひとつ問題が発生しました。
そういえば、昨日の晩、タクシーで帰ってきちゃった。かくして、私の青い自家用車は西馬込の駐輪所の中・・・。色んな意味で、胸が張り裂けそうだ!


2003年11月29日(土)



 救いのある満員電車。

現在、都営浅草線ユーザーの私。朝も夜も混雑しらず。夜なんてむしろがら空き状態。考えてみたら、働いてから満員電車に乗ったことって、あまりないなあ、と思いつつ、やっぱり電車はこうじゃないとね、なーんて余裕の構えで乗っています。だから、たまあにね、違う路線に乗ったりなんかして、それが満員だったりすると、不愉快を通り越して体が不調を訴えます。先日、小田急線の最終電車になぜか乗ってしまい、つぶされかけ、もみくちゃにされ、芋洗い、鮨詰め状態で新宿から狛江まで移動しました。社内はほろ酔い気分の人々が熱を発散し、それが防寒着にたまって、熱いのなんの。扇風機がまわっているんですが、すでに気持の悪い空気を混ぜているだけで、ちっとも意味をなさない。けれど、そうは感じながらも社内が実に明るいムードに包まれていることに気づきました。三連休前の金曜日の晩で、日常の束縛から解き放たれた開放感もあったでしょう。気の置けない仲間たちとと言う人が大半だったからということもあったででしょう。これが朝だったら、みんなうつむき加減で、眉間にしわ寄せ、ぐっと目を閉じてだんまり。それに比べれば、なんて明るく救いのある車内。不愉快は不愉快だけれど、それでもこんなに明るいなら、ま、仕方がないか、という気分になりました。


2003年11月27日(木)



 ロッテリアの若者。

ロッテリアで昼食をとっていたら、若者が「自分の今後」について話しているのが聞こえた。
「サラリーマンとかいやだよ、スーツイヤだもん」
ちらりと横目で見ると、だいたい私より4つ下くらいだろうか。大学3年生くらいに見えた。
「じゃあ、大学でたらどうすんの?」
「人と違ったことがしたい」
「フリー?30位まで仕事を転々としてする?」
「どっか行きたい」
「北海道、良いらしいよ」
「マグロ漁船とか」
「マジ?オレの友だち、乗った奴いるよ。三ヶ月で90万くらいだって」
「安くね?」
そんな会話だった様に思う。
実は彼らが大学1、2年生だと言うこともわかった。
最初、これは、これは。と思った。あいまいだなあ、とも、唐突だなあ、とも思った。けれど、それは今の私だから考えられることで、当時の私だって平気でそんなことを考えたかも知れない。今、思うと、20代は怒濤のようだ。ふらふらしているヒマなんて、あんまりない。私は、一度ふらついてしまったから、それは後々の結果として痛い目に遭うだろうと覚悟している。女子に関してはあんまり感じたことないけれど、男子は20代で顔が変わると思う。それは思春期の時のように劇的なものでなくとも、今後のその人を占う良い鏡だと思う。最近、久しぶりに合う友人に、こいつ、こんな顔だったかなあ、と思うことがよくある。大学をでて4年目、そろそろ社会で経験したことが顔に反映されてくる歳なんだろう。
そうなると、彼らが言っていた30までふらふらする?という意見にはどうも賛成しかねるのだ。26、27で、これだけ顔がかわるのに、30にもなれば家庭もでき、また顔が変わってくる。もし、彼らが本当にふらふらした生活をした場合、久しぶりにあった級友の顔はどう映るんだろう。顔は、社会的地位や経験を言葉よりも辛辣に伝える気がする。
そもそも「人と違ったこと」ってなんだろう。それが「自分にしかできない仕事」なのか「それとも単にスーツを着込んで、毎日に出社。外回り、事務手続き、残業」なのか、ハッキリしない。スーツを着なくても、定時に出社しなければ行けない仕事はわりとあるし、外回りをしなくてもスーツを着なきゃ行けないのだっていくらでもある。それがハッキリ見えてきたら、ちょっと彼らも変わるだろう。けれど、そんなことだって考えないよりはずっとマシなのかもしれない。本当は、高校生の時に考えなきゃ行けないことだとも思うけれどね。まあ、スタートが遅いことも、これから就職活動なんかがやってきて、気づくと思うけれど。んで、これはなんとなくだけれど、そんなこと言っていた奴に限って、しっかりとした将来設計くんじゃうから、びっくりするけれどね、これは経験上。
マ、マ、マ。
ロッテリアで会った若者よ、10年後、良い顔になれ。

2003年11月26日(水)



 真姿に映るもの。

東京の水には味がついている。別に郷里の水の味が恋しいわけじゃない。というのも、私の郷里福島県福島市は、県内でも有数の水のまずいところで、こちらにも味がついている。そもそも水に味がついているところが、おかしいわけだけれど、人がたくさんいて便利なところにいれば、味付の水が付いてくるのは、ひとつの妥協点だと私は思う。だから、そこは我慢のしどころで、味の付いた水を仕方なく飲んだり、おいしい水を買ったりしているのだろうと思う。
東京の八王子か、もっと奥の方、それとも手前?の所で、名水百選を巡るマンション建設反対運動があった。結局、業者側が予定階数を減らして譲歩しているらしいけれど、住民側はそれでも納得しない。そんな騒動だったように思う。その水系は、生では飲むな、と書いてあるけれど、地元のファンも多く、またその水目当てに移り住んだ人もいると聞いた。都会に近く、おいしい水もあると聞けば、きっと移り住みたい!と思うに違いない。ただ、その水がもし有料だったとしたら、自体は少し変わっていたのではないかとも思う。水道から出る味付け水にも値段がつくわけだから、なにもそんな貴重な水系の水を無料にしておく必要はないような気もするのだ。そして、水系の保証やらメンテナンスやら調査やらに役に立てる。そんな中でマンション建設反対の活動をすれば、ちょっと違った結果が得られたんじゃないだろうか。まあ、今更言ったって遅いけれど、実際、おいしい水をタダで飲める人なんてあんまりいないわけですから。もちろん、水系が近いってことで、その新興住宅地は他に比べて高かったのは予想つくけれど…。




2003年11月25日(火)



 結論「献血しよう!」、おや?

今日は書きたいことが山程ある。山程ありすぎて、うまく書けるかどうかない。いつも自信があって書いているわけじゃないけれど、今日のテーマに関しては、なんだかまだ自分でも掴みきれていない。やばいなあ、と思いつつも「書いてやる!」と言う好戦的な気持ちで書く。こんなんじゃ読む人もやってられんよなあ、と思いつつ、ホント、ごめんなさい。

第一の情景/土曜日・昼
先日、電車の飛びこみ自殺現場に出くわした。出くわしたといっても、まさに飛びこんだ所を見たわけではなくて、わずか50分前に人が飛び降り、駅員や警察がまさに「片付け」を終わらせた、そんな現場だった。現場には、ピンクの肉片がホームに沿った線路に点々と残っていて、キヨスクのおばちゃんが声高にその事件の内容を話しているのが聞こえた。その場に居合わせた皆、どこか勝手な方向を見ていたけれど、明らかにおばちゃんの声に耳を傾けている。同じくその場所に居合わせた私と友人も例外ではなく、おばちゃんの話にじっと耳を傾けていた。
「若い女の人だったらしいんだけどね、ほら、あそこの水がかかっている場所、そこに大きいのがあったんだって。私も仕事しているからアレでしょ、実際には見てないけれど、特急電車だって、いやだねえ、この間もあったばかりなのにねえ」
おばちゃんが、電車を待つ人に「なにがあったの?」と言われる度に同じ話を繰り返しているのが聞こえた。
新宿方面に向かう電車の中で、必然、私と友人との会話はなく、お互いなにかを考えているようで、それを逸らすために「紅葉が始まったね」とか「学校はどう?」とか全く違う話をしていた。その日は、少し寒かったけれど、見事な秋晴れの日で、友人がぽつりと「なにもこんな天気の良い日じゃなくてもね」という声が聞こえた。私はぼんやりと「こんな日、だからじゃないのかな」と友人に話しかけるでもなく、つぶやいた。

第二の発言/土曜日・夜
その友人と別れた後、別の友人にあった。消防士を目指しているその友人は、最近、寮に入りながら、消防士の訓練とそれに関する知識を学んでいる。先程まで一緒にいた友人の話しをしながら、話題はやはりあの事件の話しになった。私自身、あの事件を胸の中に押しこめているのが辛い状態だったというのも、もちろんある。私の頭には、線路にポツポツと残されていたピンクの肉片がどうしてもはなれなかった。
「人間の肉も鶏肉も挽肉も同じだから、嫌になるね」
それは私が最初に肉片を見た時の感想だった。なんだか肉片がまな板の上で見る食材のようにきれいで、やりきれなかった。きっと思い悩んで何かを苦に思って特急電車に身をなげたのに、あんなにも体の中につまっていたものはきれいで、まさか本人もそうは思わなかっただろうと考えると、切なくてならなかった。
すると、私の気圧された言葉に友人は「そうだよ」とだけ言った。
その顔がとても何か確信を持っているようで、私はその友人の顔には一生追いつけないと感じた。

第三の生活風景/月曜日・夕方
あの事件から2日が経ち、五反田で私は暇を持て余していた。時間は午後16:30。家に帰るには少し癪に障る時間だった。なので、私は献血に行くことにした。個人的に献血ルームと言うところが、大好きだ。なんてったって、御菓子は食い放題、飲み物も飲み放題、しかもだらだらできる。また、私には暇な時間がたっぷりあり、なおかつ、本の持ち合わせもあった。なので、私は始めて成分献血をしてみることにした。
成分献血というのは血小板や血漿だけを取る献血で、一度、血を採るにしてもそこから必要な成分だけを取り、残りの赤血球などは体に返してくれる。だから、貧血が起こりにくい。ただ、成分献血は一度、血液を機械に通し、遠心分離をかける手間があるので、時間が少しかかる。
成分献血の間、本を読みながら私は横にある機械の動く様を見ていた。機械は全自動で、看護婦さんが最初にちょちょいと操作すると、私から勝手に血を抜き、遠心分離をかけ、体に戻してくれる。シュゴーシュゴーと腕に巻かれた圧迫部分から空気が抜ける音が規則的に鳴っていた。機械の横には、ビニールのような素材でできた袋がかけられ、そこに尿のような色の血小板が集められていくのが見えた。
成分献血が始めてだった私は、その量に少し驚いた。おそらく500mlくらいはあったと思う。自分の血の中から、ある一種の成分だけでもこんなにもあるんだ、と感心した。そして、私は自分が何をしなくても体だけは勝手に生命を維持しようといることが驚きだった。こうして毎日のように、誰かを助けられる成分が作られている、そんなことが私が生きなければならない理由にも思えた。

第四の結論/月曜日・夜
成分献血が終わり、休憩所で、目的の御菓子やら飲み物やらをせしめていると、係りの人がやってきて、ねぎらいの言葉をかけてくれた。
「本日はありがとうございました。さて、今日、頂いた血小板ですが、さっそく明日、癌の患者さんに投与されると思います。ありがとうございました」
せんべいをまさに口いっぱいにいれていた私は、もほもほしながら「いえいえ」
とか「ありがとうございます」とかわけのわからないことを話す。明日、癌の患者さんに使われるのかあ、良かったあ、献血しといてなどと最初、穏やかな気持ちで考えていたけれど、私はふと気付いた。

え?明日?
今日とったものが明日にでも使われる?
おや?
血液の貯蔵、少なくね?

やばいよ、やばいって。血液の貯蔵、少なすぎ!
みんな、やばいって!血を献上すると書いて「献血」!
してあげて!

※献血ルーム豆情報
池袋の新しい献血ルームでは、手相サービスもあるらしい。



2003年11月24日(月)



 夢追い人、寒さに打ちひしがれる、の巻。

寒い。ただただ寒い。いや、むしろ冷たい。
現在、私の部屋には暖房器具ってものがありません。いや、っていっても、実際はあるんですよ。押入れの奥にしまってあるファンヒーター。けれど、去年からフィルターを換えていなくって、吐き出される暖かな空気がきっとほこりっぽい。いえいえ、そんな自分が怠惰だって理由だけじゃないんです。現在、4畳と6畳の木造部屋に住む私。この部屋を暖めるのには、あれではあまりにも頼りない。なので、今年、私はオイルヒーターっつーものが欲しい。・・・・欲しいわけです。でね、一回、今までの暖房器具を出してしまうと、私の気が「これで、ま、いっか」ってな方向に進んでしまうのが目に見えている。なので、出せていないんです。出していないから、こうして家なのにもかかわらず、毛糸の襟巻を首と腰にまき、足元に電子レンジであっためるタイプの湯たんぽを置いているんです。じゃ、早く買いなよ、そんな話になります。けれどね、わりと高いんですよ、オイルヒーター。今の私の経済力から言えば「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで買わなきゃいけません。じゃあ、いいじゃん、押入れのファンヒーターで!って、だんだん怒りながら言いたくなる気持ちはわかります。だからこそ、私、決めたんです。こうして、出きる限りの寒さ対策をして、自分を追い詰めようと。いつかきっと、暖房がなきゃ死ぬ!って限界がくるはずなんです。それで出た答えがファンヒーターでも私は文句を言いません。いえ、言えません。でもね、今はまだ、こうやって手をかじかませながらもパソコンに向かうことだってできています。だから、こうしている間は、こうしていられる間だけでも、私はデロンギのオイルヒーターの夢を見ていたいのです。夢を見ていたいのです。
あ〜、夢を追うのって大変。

2003年11月23日(日)



 エコロジストの夢は、夜、ひらく。

ウーロン茶のペットボトルが変わったような気がする。私は、よくサントリーのウーロン茶を飲むんですが、この間、飲んでいて、なんだかそのペットボトルが柔らかくなったように思いました。自称エコロジストの私は、ペットボトル回収に協力しています。以前から、サントリーのペットボトルは、つぶすときに硬くてイヤだったんです。手なんかじゃとても歯が立たないし、足にしても、硬くて痛くて。しかも、自分を「コレは足ツボマッサージなんだぞ」となだめすかして、ようやっとつぶしてもスグに形状が元に戻ってしまう。もうね、はっきり言って、ペットボトルをつぶすときにサントリーのウーロン茶が入っていると、本当に「あ〜あ」ってな感じだったんです。それに比べてつぶすのが楽しいのが、ミネラルウォーターのペットボトル。これはカンタンにつぶせて、とても楽しい。足で、カンタンにつぶせてしまうし、手でも力があまり必要なくひねったり、つぶせたりします。個人的には、ヴィッテルのシールラベルは大嫌いだけれど、ペットボトルに関してミネラルウォーターは優秀です。さて、話を戻しまして、ウーロン茶のペットボトル。まだつぶしてはいないんですが、どこまでエコロジストに優しいつくりになっているのか。今晩が楽しみです。

2003年11月19日(水)



 暇疲れロックンロール。

仕事における暇疲れっていうのが、一番嫌です。なにもできずして、そこにいなけりゃならないという拘束感。自分が何もできないことへの無力感。仕事がなきゃ仕方がないことだし、まわりが忙しい中で、なにか教えてくれなんて、とんでもないことだというのはよーくよーくわかっています。結局は、暇な時間を有効に活用して、自分にプラスになることをしなきゃならないんだけれど、そういうのがどうも苦手で。一応、直接的な仕事に繋がらなくても、結果的に意味があるんじゃないかと思えることをしているつもりなんですけれどもね。傍目からみていると、遊んでいるようなそんな風に思えてしまうんじゃないかと、そういう不安が常にあります。だから、私は仕事始めってのが一番嫌な時期です。仕事がある程度わかれば楽しいけれど、それまでがどうも嫌。要は、周りの迷惑顧みずに、いつのまにか「どうしていいか、わからないよ〜」ってオーラを出している自分が一番嫌なんですけれどもね。
はやく自立しなきゃ、そういうことも含めて。


2003年11月18日(火)



 服部。

 先日、友人が21歳女子と私を比べて曰く、「肌のハリがやっぱり違う」。21といえば、私にとっては五年前のこと。確かに、ここ最近、肌に対する衰えを感じていたし、21歳と26歳が同じ肌をしていたら、それはそれでおかしな話です。だから、納得はしているんですが、改めて口にされるとなんだか感じが悪い。しかも、言った相手が同い年の26だから、より腹ただしくも思えるのです。
 最近、若さに対する水物感を感じています。まだ26歳をすぎたばかりの私にとって、半生振り返り、若さは常に共にありました。けれど、ここ最近、自分自身の衰えを感じざるをえません。30歳も間近にせまり、肌のハリはもちろんのこと、シミのこと、重力に逆らわなくなった体型のこと、酒に対する耐性、徹夜明けの自分自身などなど、数えればきりがありません。毎回毎回、そんな発見を目の当たりにして面食らったりもしているんですが、一方で、なにか別の部分が熟れ始めているような気もしているんです。毎日のように抜かれていく若さの変わりに手に入れていること。それは、仕事のことだったり、人付き合いのことだったり。はたまた、ゆっくりと味わう夜のお酒のことだったり、男と女の無駄な駆け引きのことだったり。21歳の時じゃできなかいことができはじめていることに私は安心しています。
 そりゃあね、こんなこと言ってたって、私も若さが欲しいですよ。喉から手が出るくらいに欲しいですよ!でもね、それは無理なことですから。肌は、化粧品でなんとか誤魔化しながら、女として内面円熟を目指します。
最後に友人にひとこと。
あなたも、そろそろ21歳に相手にされなくなる年齢に近づいていることにきづきなさい。
ネ!ぼうや!

2003年11月17日(月)



 エレカシと東京タワー。

 最近、エレカシをよく聞いている。エレカシとは、エレファントカシマシ。しかも、私の聞いているのは「ココロに花を」なので、ちょっと昔のエレカシ。なんで?と周囲に問いただされることもあるけれど、なんだか最近、とてもスキなんです。
 
 閑話休題。

 東京タワーって、私、とても好きです。純粋にきれいだあとも思いますけれど、私が東京タワーが好きな本当の理由は、なんとなくかもし出されている「ダサさ」みたいなもの。中にある売店の類とか、だしものであるとか、なんとなく地方の観光地の香りがして、少しカッコ悪いでしょ?私は、とてもそれが好きです。カッコ悪さにおくびもせず、凛と立っている様。高層ビル郡にも負けないように光りつづける、人間的な光。同じ建造物に人間的な光を感じるのもおかしいかもしれませんが、なんだか「ダサい」ことで、東京タワーが人間的にも感じるんです。
 実は、私がエレカシに感じる魅力は、東京タワーのようなものです。エレカシって、歌詞を目で追っていても、なんだか少し照れくさい。YHEA!とかOH!の掛け声なんかも、ちょっぴりダサい。よく愛とか夢とか、生きることとか、エレカシの歌詞の中にはよく出てきますけれど、なんだかそれがとても格好悪くて。けれど、どれも人にとってはとても大切なものなんですよね。不思議なことにそんなものは文章にしたり歌にすると、妙に格好悪くなっちゃう。そもそも、人間なんて、真剣に生きようとすればするほど、ダサくなるもんなのかもしれない。けれど、エレカシは、「それでいいじゃん」「しかたねーよ」とばかりに格好悪いことを体現しているような気がします。
 人間、真剣に生きるのって、どうもダサくて、あんまりできなくて。特に東京なんて所に住んでると、ダサさから逃げたくなったりして。だからこそ、私はコンクリートジャングルのだだっ広い道路の真ん中で、エレカシを聞いてやりたい。格好良くてスマートなビル郡の中、人間臭さを前面に出したエレカシを聞いてやりたいと思います。



2003年11月15日(土)



 ここが心地よい理由。

 とうとう明日で、派遣社員生活が終わります。最後の日だというのに、先方との急なやり取りがあったりしますけれど、まあ、それはさておき。
 いやあ、色々ありました。んでもって、色んな人がいました。私の半生を振り返っても、特筆すべき三ヶ月。編集関係の仕事のせいか、マスコミと呼ばれる仕事をしてきたことがある人が実に多かった。私も以前、そんな仕事をしていましたけれど、改めて自分の世界の狭さを身につまされました。
 編集とか、広告とか、ライターとか、デザイナーとか。取材ひとつをとっても、人事相手のものからアーティストの取材まで、ホント多種多用。けれど、そんな中で、私の会った人たちは、それぞれが自分のやり方で、客に誠意を持って答えようとしていました。そんな話を聞くのが本当に楽しくて、一方で私も努力していかなきゃと考えさせられたりして、充実していたと思います。
 マスコミは、憧れの職業とか花形とか言われますけれど、案外中身は地味です。フォトショップで人型切り抜いてみたり、写真1個使うのにあちこちの役所回ったり、面白い文章書くために本読んだり、日記書いてみたり。結局、表に出るのは雑誌だったり、本だったり、テレビだったり、CMだったりするから、地味な作業が度外視されがちですが、私が一緒に働いていた人に関しては、そんな作業も含めて、「作る」ことが好きな人たちばかりでした。
 そもそも私のやっていた派遣というのは、短期で、私思いますに、働いている人の多くが「寄り道」的に働いているのだと思います。まるで、それは河の流れの中、流れのない場所に迷いこんだような、そんな感じ。それぞれが、その後に河の流れに飛び込むことを前提に働いているような感じがするんです。自分の働く場所みたいなものをみんな知っていて、この後は、てんでばらばらにちっていくのだろうなあ、と思います。私は偶然にもそこに迷い込み、色々な人に会いました。自分が働いていく上で、貴重なことを体験したり、聞いたりしました。とりあえず、私は明日で仕事が終わるけれど、みんな、次に会う時には、それぞれの場所で力を発揮できるようになっていたら良いな、そんな風に思っています。

2003年11月13日(木)



 ジャングル、奥地へ。

 先日、我がジャングルハウスにとうとう例の巨大でグロテスクな大物が、さながら装甲車のごとく現れ、私をおおいに怯えさせました。そして、その騒ぎが収まったかと思われた昨日、今度は屋根裏に小動物の気配。時間は午前三時半すぎ。音は、天井の中間まで、ゆっくりと、そして、その後は全速力で通りすぎていきました。一瞬、脳裏に浮かんだのは「ああ、運動会があるっていうよなあ」というのんびりしたもの。その後で、私はこの家に暗躍し、私と敵対している同居者にニューカマーが増えたことと、そして、私が最も恐れる奴等に強大なる味方がついたことを悟り、いよいよ「勝てない、勝てるわけがない!」と確信にいたりました。
 都心の家に住む小動物には2種類あって、ひとつはハツカネズミ、もうひとつはクマネズミという種類だそうです。けれど、最近、東京には後者のクマネズミと言う種類が多く現れ、被害が甚大らしく、都までもが動き出している模様。クマネズミと言う種類は、ドブネズミよりも一回り小さく、エサに植物性を好み、動物性のものは少量しか取らない、そんなヤツらしいです。もともと、ネズミとゴキブリと言うヤツは、セットになると始末が悪く、人間にとっては最悪のコンビネーション。ネズミがゴキブリを食べ、糞をし、それがゴキブリのエサになり、食物連鎖がこの2種で完結されてしまうわけです。しかし、私の予想では、この対象となるネズミがもしクマネズミの場合、もっと最悪な事情になると思われます。だって、クマネズミは動物性のエサをとらず、植物性のものだけを食べて、ゴキブリのエサとなる糞をしつづけるわけですから、ゴキブリにとっちゃありがたい救い神が現れたってことです。
  今、私がすべきこと。それはネズミを駆除すること。まだ哺乳類なら大丈夫。泣きながら、コンクリートにでも打ちつけて、殺すことになるとは思いますが、例の装甲車どもをこれ以上増やさないようにするためには、致し方ない。ジャングルハウス、いよいよ奥地へ。自分じゃ歩を進めたつもりはないけれど、いつのまにか、奥地へ。あ〜、こえ〜。
 

2003年11月10日(月)



 友達親子?

 友達親子というのが蔓延しすぎているせいか、どうも年代に対して、あきらかに間違った服を着ている人を多く見ます。みんな、何を思ったか、あきらかに若者向けのミニスカートとブーツでキメていて、人によってはきわどいスリット入り。なんだか目も当てられないような惨状で、見ているほうがはずかしくなってしまいます。今日、山手線に乗っていて、そう言う人を結構見ました。もし、自分の親がそうだったら、と考えたら、ゾッとしたんですけれど、いかがでしょ?
 私は、そもそも友達親子って考え方が気に入りません。娘と気の会う母さんってのは良いんですけれど、なんだか今の「友達親子」の風潮って、ちょっと違う気がします。まるで母親が子供を自分につなぎとめるために無理やりそうしているみたい。そんな「とってつけた感」が、どうもおかしいと思うんですよね。生きている時代が違うわけですから、当然「おか〜さん、その考え方は古いよ〜」みたいなものは生まれると思うんです。「駄目!駄目!そんなのお母さんの時代ではね・・・」なんて、説教されるのもイヤですけれど、だからって無理やり娘を理解しようとして、あんな格好しなくても・・・と思うんですが。
 確かに、自分の母親がいつまでも若くて、キレイで、自慢できるようなヒトだったら、きっと嬉しい。けれど、それって、ようするに生き方の問題だと思うんですよね。顔とか格好とかって、結局、それまでどう生きてきたか、今をどう生きているかってのを映し出す鏡みたいなもの。そこを娘が尊敬して、信頼できれば、ベストだと思うんですけれど、その場合、友達親子は成立しないのかもしれないとも思います。
 ところで、私の母は、ワリと素敵です。料理がうまいとか、手先が器用でなんでも自分で修復するとかもありますが、なによりもあのヒトは自分の歳とうまく付き合えているような気がする。服装にしても、交友関係にしても、自分の経験やらを存分に活かして楽しくやっている。そこが一番尊敬しているところです。
 友達親子の本当に重要な部分って、要はそう言うことだと思うんです。お互いに尊敬しあえているか、とか、尊重しあえているかとか。そこに同調がなくても、良いだと思うんです。だから、娘と同じ格好して、娘の遊びに行きたい場所にいっしょに行くんじゃなくて、娘に手本を見せる意味で、交友関係もファッションも自分に合うのを探した方が、正解なんじゃないかなと私は思います。
 
 

2003年11月09日(日)



 美容院の処方箋。

 久しぶりに髪の毛ってものを切りに行きました。前に行ったのが、7月だそうだから、女の子にあるまじき、切りっぱなしの4ヶ月。その間、私は髪の毛を縛ったりして、ぎりぎり誤魔化してきましたが、いいかげんやばいぞ、と気付き、やっと切りに行ったのです。久しぶりに美容院に行くので、なんだか少し緊張してしまいました。だって、美容師さんとの距離感って難しいでしょ?そもそも客とサービスを提供する側が、あんなにも近く長く過ごすのって、他にはマッサージとか、あとはソープとかそんなんしか頭に浮かびませんもの。
 美容師さんとの会話って、たいていなんだか妙によそよそしくて、なおかつ、私を悩ませるのが、発注の件。どう切って欲しいかって注文するのが、どう伝えたらよいかわからない。昔は、それでたくさんの失敗をしたもんです。けれど、歳をえて、私も少しなれてきました。レイヤーとかなんだとか、専門用語みたいなものがさっぱりわからないので、その場合、美容師さんに即ご相談。自分が知っている限りの髪質の事を説明して、それをどうしたいか説明すれば、美容師さんもよくよく考えて話しをしてくれる。そこから、会話も始まるし、美容師さんとのうまい距離感も保てるみたい。できれば、次は4ヶ月後ではなく、せいぜい2ヶ月後には行きたいな、と考えていますが、どうなることやら。

2003年11月08日(土)



 ハイウェイ。

シチュエーションを選ぶ音楽は良い音楽だと思う。春に聞きたくなる音楽、梅雨の少し憂鬱な雨、日曜なんかの夕方に聞きたくなる音楽、夏、クーラーのない暑苦しい部屋で聞きたくなったり、逆にクーラーがガンガンにきいた所で聞きたくなる音楽。そんな音楽の方が、その後、ずっと付き合っていけるような気がする。私には、いくつかそういう音楽があって、真冬から春にかけて、トモフスキーやピチカートファイブ、アジコなんかをよく聞いて、梅雨の影が少し見え始めたら、大瀧詠一を聞いたりする。夏になれば、くるりを聞く。多くは、CD棚から探し出した、随分、昔に買ったCD。それを新しくかったCDに少し混ぜて、私は毎日を音楽で彩っている。私は音楽が大好きだ。できればたくさんの音楽たちと長く付き合っていきたいと考えている。けれど、やっぱりそう言う思いをかなえてくれるのは、シチュエーションを選ぶ我が侭な音楽。今日、くるりの新しいCDが発売された。私はそれをまだ買っていなくて、最近、導入したブロードバンドを駆使して、視聴してみた。すると、それはまさに秋の雨によく合う音楽だった。これは長く聞けそう。まるで、長く付き合える友人に会ったような嬉しさ。さっそく、明日、購入しようと思う。

2003年11月05日(水)



 そろそろ香水をつけてみようか。

香水を付ける意味がさっぱりわからなかった私。もともと、「におい」というものがとても苦手で、エレベーターなんかできつく香水を付けている人がいると、ウッときてしまう。電車のホームなんかでも、少しきつい人がいれば、くしゃみをひとつ。そんなんでした。特に日本人は、体臭がきついってわけじゃないから、その有用性がさっぱりわからない。けれど、わりといるでしょ?香水を付けている人。間違って、多くつけ過ぎちゃう人もいるけれど、うまく付き合ってるなあ、って思う人もいるって、最近、やっと気付き始めました。それは、ちょっと近づいた時に、ほのかに香るようなそんなつけ方。もちろん、通った後に道しるべのようになる感じまでつけちゃう人は、前者なので論外です。近づいた時にやっと気付くような香りをつけている人。それはとても素敵だと思うんですよね。
香水は、なりたい自分の香りなのかもしれない、と最近、私は思い始めました。ふとした瞬間に、自分から立ち上る香りで、背筋をシャンと伸ばしたり、どうどうとかっこよく歩けてみたり、そんなきっかけを与えてくれるもんなのかな、と思うんです。もしかしたら、香水って持ち歩く「アロマテラピー」なのかしら。
そう考えてから、私も香水をつけてみたくなりました。もちろん、なりたい自分がつけているようなそんな香りです。まだ「なりたい自分」自体があまり想像はつきませんけれど、なんとなく、香水の香りを探しているうちに、ほんのちょっぴり見えてきそう。当然、つけすぎはなりません。だって、私にとって香水は、他者へのアピールではなく、自分へのアピールなのですから。

2003年11月04日(火)
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