スナックおのれ
毛。



 爪道楽。

戯れに爪を伸ばしてみました。
私の爪はもともとまるっこくて、小さくて、あまりカタチ良いものではありません。けれど、爪を伸ばしてマニキュアをぬってみると、アラ、不思議。なんとなくカタチが整って見えるもんです。しばらくは、そうやって自己満足で喜んでいたのですが、どうにもこうにも違和感がある。イライラしている時、いつの間にか爪を噛んでいたり、パソコンの打ち込みをしていると指先に気持ちの悪い感触があったり。自己満足は満たされても、機能的にはどうもイマイチ。そんなことを感じながら、酒を呑んでいたら、躊躇なく、バッサリきってしまいました。いっきに元通りの貧相になってしまった爪。小さくて丸っこい爪。「今時」ではない爪。けれど、パソコンを打ちこむのがとっても快適で、イライラしても、爪を噛まなくなりました。改めて、馴れないことはするもんじゃないな、と痛感しました。

2003年09月28日(日)



 「タイクツライフ」。

たいくつだ。
ひとりではなにもすることがない。
午後9時、帰宅。とりあえず、テレビをつけてみる。つけてはみたものの、すぐに飽きる。たいくつが私にまとわりついて、テレビじゃ満足できないようになっている。電話で人と話そうかと思うけれど、先月の携帯料金代二万円が頭から離れず、やめにする。パソコンを立ち上げる。文章を書き、次のHP如何に変えようか思案する。そのうち興に乗ってきて、文章を書き、指南本片手にデザインに苦悩すること数時間。なんとなく満足して手を止め、次に新聞を読み出す。政治?経済?わからないことも多いけれど、動物のこと、病気のこと、街の小さな事件など、ほどよくまとわりついた退屈を感じながら、流して読む。新聞ひとつ、37面あまり。一通り目を通すと、風呂に向かい、掃除を開始する。水を溜め、かたわらで明日の昼食の弁当を作る。あいまに植物と金魚の様子を観察し、「植物の成長は良好、金魚は赤い方が元気がない」などと、家の同居人の具合を案じる。そうしている間に風呂が沸き、ボディソープやシャンプーを風呂場の所定位置に据えたり、布団をいつもの(タオルケット、毛布、掻け布団の順番)ように整える。毎日のように繰り返される退屈の儀式。
そういえば、「退屈から未来は作られる」というような「暇だから、動く力が生まれる」というような曲があった。(もちろんマイナーな歌だけど)暇だから何かをする、飽きるから次の行動を思案する。私は、今、退屈だから、HPを思案することに夢中になり、文章の思案に暮れ、規則的で安心できる毎日を形作り、植物や金魚の様子を眺めている。退屈は、何も生まないようで、実は行動の原動力になっているみたいだ。

退屈だから。
さて、次はなにをしよう?

2003年09月24日(水)



 前向きな草。

友人に引っ越し祝いで、グァバの苗木を頂きました。その日、私は流行りの水耕栽培の小さな木を買いました。どちらもみていると不思議です。なんだか、前向きだなあ、と感心します。葉は上を向き、シャッキリと茎をのばしている様。それに、太陽をひたすら求め、成長に対する意気込み、ひいては生きる力を感じるのです。最近、私はなんだかぼんやりしていて、プライベートでは無気力で、自分がここにあることの違和感を感じてばかりいました。けれど、今、私の前にいる草たちは、ここにあるんだから、常に成長を夢見るという、前向きな生き方に疑問を抱かず、生きています。もちろん、植物ですから、気持ちがあるとは思っていません。彼等だって、そんなことを考えて、こうしているわけではない。だからこそ、私は彼等を見習い、そうありたいと願います。生きているから、当然、成長を夢見てやる。やってやる、と。

2003年09月23日(火)



 冬眠前準備。

やっと秋らしくなってきて、心地良い。夜の肌寒い風がやんわりと心を制する感じがして、良い。私は夏よりも冬が好きで、春と秋なら秋が良い。なにか、こう暖かいものが欲しくなるような感覚と、ひとりでに気持ちがシャンとしてくる感覚と、全く別のものが肌を通して、心に通ってくるような気がする。今日、ニッセンとか生活雑貨とか、そんな類の通信販売雑誌を見ていた。紙面には、家具から衣類、雑貨まで様々な品が踊っている。どうも、春や秋よりも、これからどんな風にまわりを飾っていこうかな、と言う気持ちにさせるのも秋口の特徴だと思う。もちろん、春の方がそう思う、と言う人がいるのはわかっている。けれど、これから暑くなる季節に向けて、ソファを入れたり、本だなを買ったりするのは、どうも暑苦しい。カーテンや小物の模様変えなら、ソレッという気になるけれど、大きな物ともなると、どうも面倒。私はそう思う。秋口に物が欲しくなる。それは、きっとこれから迎える冬に向けての、冬眠前準備のようなものではないだろうか。夜、ひとりで家に帰ってくる。明かりの灯っていない、少し寒い部屋。で、あるならば、そこには考えに考えあぐねて買ったソファや調度品、そんなものがあれば、少しだけ暖かい気持ちになれるんじゃないだろうか。冬眠前に、自分の巣を作るように、私は冬に向けての部屋を作る。とりあえず、座ると自然に横になってしまうようなソファが必要だな、と思っている。


2003年09月16日(火)



 夜型人間、陥落。

夜型人間だった。
夜になると、生命力が溢れてきて、本を読み出したり、掃除をはじめたり、昼間以上に活動的になって、気分がよくなっていた。けれど、最近、どうやらそれは違うことに気付いた。やはり、人は夜、寝るべきなのだと思った。ある地方の古人は、夜は妖精のものだ、と言った。虫や動物が動き始めるのも、夜の方が圧倒的に多い。そういう意味でも、夜は人間が活動すべき時間帯ではないのかもしれない。
私は、今、ゴキブリのいる家に住んでいる。今日も、2〜3匹倒した。ありえない。こんな家に住んだことのない私は怯えてばかりいる。けれど、こんな私でもアイツ等に対して、好戦的になれる時間がある。それは、昼だ。なんだか、光の下でアイツらをみていると、勝てる気がする。わしゃ、人間様じゃゾ、とワケのわからない高揚した気分になれる。けれど、逆に夜のとばりがどっぷりとおりてくると、どうも自信がない。風呂場や台所、トイレが恐ろしくなってくる。コチラには、文明の利器でもある殺虫スプレーだとかがあるのに、夜が何らかのパワーを奴等に与えて、勝ち目がないとすら、思えてくる。私は、今、夜に自分の生命力の衰えを感じる。今日も既に眠い。眠いところに、不思議なパワーを与えられたアイツらがあらわれたら、終わる。勝てない。
今日は、とりあえず眠ろう。夜、奴等になにをされるかわからないけれど、それは我慢して。夜の生き物の世界と我慢して、私は、ベッドで息を潜めていようと思う。

2003年09月08日(月)



 新聞を取る。

新しい家に移って、新聞をとることにした。月々4000円の出費はいたいけれど、1日分で計算すれば130円あまり。テレビから、時事関連まで様々な情報が手に入ると思うと安い料金なのだと思う。そういえば、学生時代にも新聞をとっていたことがあった。ちょうど就職活動の時で、あの時も情報代として安い、と考えてとったのだ。けれど、当時の私はろくに家にも帰らず、遊び呆けてばかりいたので、新聞は即ゴミ箱へ。実にもったいないことをしたと思う。もしかしたら、あの時、毎日のようにきちんと新聞を読んでいたら、今の私は少しだけ変わっていたのかもしれない。毎日のように3ヶ月間、新聞を読みつづけることは、実に几帳面な行動にも思うからだ。今度は、どうなるだろうか。月の4000円の出費を私は安かったなあ、と思うことができるんだろうか。配達日は今月の20日から。とりあえず、朝起きるのを少しだけ早めようかな、と思っている。

2003年09月07日(日)



 ジャングルハウス通信。

お久しぶりです。
こちら、ジャングルハウス。ご機嫌いかがですか?
日当たりが良くて、風通しが良い。
古いけれど、なんだか懐かしい家、と言うことで、この洗足池に住みついて、数日が過ぎました。
ですが、実は、ここ。
ジャングルハウスだったのです。
ジャングルハウス、というのは、私が勝手につけた名前ですが、
勢い的には、家の入口で白いジャングル帽をかぶり、人間に害をなす虫に怯えながら、突き進む。という、まさに探検家気分になれる家。
ただひとつ、ジャングルと異なる点は、地面が黒土ではなく、畳であること。
青々とした原始林のかわりにふすまがあるというところでしょうか。
ですが、ここには森の掃除屋さんと言われる、ゴキブリの類と、ヤモリに代表される爬虫類の類が確実にいます。
あいかわらず、トイレに入る際には怯えますが、なにか闘志のようなものも沸いてきたのは事実です。
基本的には苦手なので、1週間、ろくに寝れていませんが、私はここでがんばりたい。自信ないけれど、がんばりたい。そう思っております。

2003年09月04日(木)
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