スナックおのれ
毛。



 色あせないコトバ。

引越し準備をしていると、なにぶん、色々なものが出てきます。特に、モノが捨てられない、良く言えば、物持ちの良い私は、そりゃあ、色んなモノをリスみたいに蓄えています。例えば、映画の半券から、誰かにもらったガスの切れたライターまで。どうしようかなぁと考えあぐねながら、今回ばかりは許して下さい、と、うっちゃっていますが、年賀状とか手紙、それこそ私のために誰かが書いてくれた文章なぞは、さすがに捨てられません。それらは、大切に大切に次の場所にすんなりと移れる準備をしているのですが、目を通すと、いかんせん身につまされるものが多い。その時、相手がどんな気持ちでそれを書いたのか、私はそれに対してどう言う行動を取り、またどう理解していたのか、そんな事ばかりを考えていたら、時間は午前3時。ああ。やっちまった。と思いながらも、何かやる気が出てくる。貰った時よりもずっとずっと、綴られているコトバを理解できる自分がいて、これからがんばります。今度こそ、という気持ちがふつふつと沸いてくる。誰かが誰かのためを思って書いたコトバって、時間が経っても勇気付ける力を持っているもんなんですね。だから、私は、その恩を返すようにして、コトバをくれた人、またはまったく違う人たちに、そんなコトバを綴っていけたら良いな、と思います。
さて、がんばるぞ。

2003年08月25日(月)



 ありがとう。そして、さよなら、戸越。

突然ですが、今月末で住みなれた戸越を去ることになりました。それで現在、「さよなら、戸越」という特集を作成中です。書きたいことは、山程あるのに、どうも遅々として進まない。どうにもこうにも、自分の気持ちと実際の行動とで、ジレンマを感じます。
昔から、私は自分のことを書くのがどうにもヘタクソでなりません。今回、書いている「戸越」というテーマは、いかんせん思い入れが強いせいか、進まないのです。戸越に住んで、丸三年。その間に私は「これだ!」と思っていた仕事を辞め、フリーター生活に入り、また、もとの「これだ!」という仕事に戻ろうとしています。もちろん、それだけではありません。私を取り囲む人間関係もガラリと変わりました。この地に住んでいる間に起こったこと、それすなわち、この地に支えられて、どうにかこうにか越えられてきたことでもあります。例えば、大崎駅前の中華料理店。遅い時間に帰った時には、必ずといっていいほど、そこでラーメンかタンメンを食べて、ビールを少し飲み、本を読んでいました。同じくカラオケ屋さんに雀荘。少し精神状態が落ち着かない時に、散々歌いまくったり、休日の良き昼下がりを過ごしたりしました。そして、戸越銀座の肉屋さん。最近では、いつも「毎度、ありがとうございます」とおばちゃんが言ってくれて、本当に嬉しい。まだまだあります。麻雀をする時に必ずといって良いほど出前をお願いした蕎麦屋さん、ハチノスが美味しい家の近くの焼肉屋さん、フリーター時代に毎日のように通った八百屋に魚屋。肉体的にも精神的にもヤバイ時に全てを癒してくれたマッサージ師のいる銭湯、家の近所の午前三時にし込みを始める豆腐屋さん。それに戸越公園とその近くの図書館、戸越神社、武蔵小山の商店街、最近ふらりと立ち寄るようになった中延の町。全部が全部、3年間の私を支えてくれました。本当にありがとう。
とりあえず、特集「さよなら、戸越」は、来週の木曜日までにはアップする予定です。できるだけ丁寧に作りたいと思っています。この街に住んで、本当に良かった。できれば、何年後かにまた戻ってきたいと思います。
最後に。
ありがとう、戸越。
そして、さよなら、戸越。

2003年08月22日(金)



 新しい家と私の場所。

この数日間、走り回っていることが多かった。新しい家を探したり、就職活動をしたり。こういうふうに書いてみると、目的はただのふたつしかないので、そうたいしたことをしていないようにも感じる。けれど、半年振りにパンツスーツにヒールを履いて、山手線に乗ったり、私鉄に乗ったりするのは、今の私にはなかなか労力の要ったことだった。家探しにしても、こんなに不動産屋さんを渡り歩くのははじめてのことで、また初対面の人にこう多く接する日々も、とても久しぶりだった。
昨日、新しい家が決まった。洗足池から徒歩15分。古い家の一階で、四畳と六畳、窓がみっつもある。クーラーはないけれど、風通しが良くて、日当たりも良い。ゆるゆるとした日曜日の夕方を彷彿とさせてくれたので、そこにした。新居決定の知らせをある人にしたら、「ちゃんと洗濯機を置くところに排水溝はあったのか?」だの「水道は?」だの色々とつっこまれて、そういう備品的な部分にちっとも目を光らせずに家を決定してしまった自分に気付いた。けれど、あの家の日曜日の午後がすでに私の中で出来上がっている以上、あの家以外の棲家は考えられないな、と感じている。
不動産屋さんが言うには、自分に合う家というのは、最初の一歩でわかるのだそうだ。はじめの一歩で「良いな」と感じたら、それを信じるべきだと上司に教えられていると、その人は言っていた。もちろん、備品的な面も考えなくてはならないけれど、最初の一歩を信じろ、という意見には私も賛成だ。
家を探す時、人は自分が家を選んでいると考えている。けれど、私は少し違うと思う。最初の一歩で、どうもこの家は違うな、と感じるのは、家が人を選んでいるからではないかと思う。しっくり馴染んでくれる家は、最初から他人の顔をせずに「おかえり」と言ってくれているような気がする。今度、私が住もうとする家は、まさしくそんな家だった。
これから、ますます忙しくなる。引越しの準備もしなくちゃいけないし、就職活動はまだまだ続けていかなくてはならない。先々のことがどうなるかわからないので、精神状態が今、とても不安定になっている。けれど、今月が終われば、どうにかなっているだろう、という楽観的な気持ちもある。事態の楽観視は、自分の悪い癖だなあ、とも思うけれど、今回ばかりは少し救いになっている。そして、新しい家の存在。待ってくれる人がどこかにいると、とても心強いように、あの家もまた私を応援してくれているような気がしている。
洗足池から徒歩15分。小高い場所で、眼下に東京郊外を見下ろしながら、あの家は今日も日に良く照らされて、気持ちの良い風を通していることだろうと思う。

2003年08月07日(木)
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