スナックおのれ
毛。



 破れた恋の直し方。

とりあえず、傷口をこさえたら、マキロンやオキシドールを塗る。コレ、よくある。まわりに女の子がいたら、「カットバン持ってる?」と聞いて、ポシェットみたいなものから、そいつが出てくる。で、ピタリと貼ってみる。すると、傷からの血が幾分おさまり、痛みさえ、少しずつ引いていく模様。
だのに、恋が「ビシャ!」と破れると、血のようなものがあふれているのはわかるのに、本当のところは血なんて出ていないし、見た感じではまわりにはわかってもらえないみたい。とりあえず、親しい友達にひとしきり話してみる。話しては見るけれど、傷口にカットバン貼るよりは、はっきりとした効果はでてこない。
だから、私は恋をする。恋が破れたら、恋をする。嘘でもいいから、本気の振りして恋をする。それは片思いが良い。話したこともないような相手が良い。自分に不釣合いなくらいの相手が望ましい。そいつにゾッコンラブな振りをする。片思いらしく振舞って、片思いらしく、恥らったり、ポゥッとしたりする。破れた恋のことは、一切考えない。
すると、そのうち、傷口の皮膚に薄皮がはってくるように、なんとなく気が楽になってくる。前のことは前のこと、とわきまえられるようになってくる。不思議と冷静に破れた恋を見つめることができてくる。その時の自分、その時の相手、どんなんだったかな?それをひきづっていた自分、どんな風だったろう?
これが私なりの破れた恋の直し方。どうせ、本式の「破れた恋の直し方」なんてありはしない。だから、私は私にあったやり方で、傷を治す。傷口の薄皮は、弱くて血を流しやすい。けれど、傷が完治すれば、そこは強くなる。それで良い。

2003年05月28日(水)



 文章マジック。

文章は怖い。文字は怖い。綴るって難しい。
話し言葉では、何気なく通り過ぎる一言も、こうして文字にすることで、取りようによっては、嫌味になってしまったり、人を傷つける結果になってしまったり。特にインターネットは、まったく知らない人同士の社交場ですから、文章を書くことのリスクは倍増されていると思うんです。
もともと、話すことの苦手な私は、自分の意志を伝えるのに、推敲できる、と言った意味で、よく文章を使うことをします。しかし、私は親しい友人に誕生日メッセージひとつ伝えることも満足にできません。(推敲して文章に手を加えすぎ、困り果てる、というのがパターンです)文章を書くって、本当に難しい。
今日は、ある人からメッセージをもらいました。その文を、私はどう解釈していいのかわからんのです。まったく知らない人なので、その人の性格はもちろんのこと、語り口調もわかりません。もし、これが少しくらい話したことのある人ならば、私としても対処の使用があったのでしょうが、さっぱり。インターネットや各種モバイルツールができて、「わーい、便利だ。楽しいな」と言っていたのはつかの間。私は、自分自身の文章マジックの危険性とその被害のリスクを改めて知りました。

2003年05月24日(土)



 紙幣と議員と野口博士とSARSと。

なんと!紙幣が改定されるそうではありませんか!本日午後10時、私、初めて知りました。(情けない)なんでも一万円札は据え置きの福沢諭吉、五千円札は樋口一葉、千円冊が野口英世。福島出身の私は、幼少の頃より、野口博士の伝記について、刷り込まれてきたので、嬉しい限りです。さて、野口博士と言えば、黄熱病ですが、現代ではSARSが幅をきかせておる様子です。日本にもいつくるかわかんねーな、と思いつつ、ふとニュースを見ていると、マスクをした議員が三人ばかり登場しました。あり?SARSが猛威をふるっている地域から帰ってきて三日目、マスクで!確かに、簡単にうつることはないと思います。私みたいのを過剰反応というのかもしれません。だけれど、一方でどっかの貨物船が沖に停泊し、船員は上陸しちゃならん、と言われ、また一方で、関西方面をSARSにかかっていた医師が旅行して、不謹慎だ!分をわきまえたまえ!と言われているのにも関わらず、三日目でマスク一丁。なんでも普通ならSARS感染地域から帰国した場合、10日間様子をみなければならないらしい。おや?議員さんは特別かい?一般人とは違うってのかい!紙幣を新しくできるところ(永田町)にいる人は、違うってのかい!?偽造防止っていってるけれど、2000円札の失敗を誤魔化したいのもあるんじゃないの?それに紙幣を新しくしただけで、あがる経済効果はどれくらいのもんじゃ?
あっ、話がとびとびになってしまいました。はてさて、黄熱病の研究でそのまま現地で命つきた野口博士。どう思われていることやら。

2003年05月23日(金)



 ノミヤマキ=ロボット論

未だに、大きい声でピチカートファイブを聴いていることを人に言えない。「ピチカートファイブを聞いている人」=「おしゃれを決め込んでいる人」みたいな図式が頭に浮かんで、なんだか恥ずかしくってしょうがない。「私はお洒落ですよ〜」「ポップでアート、それでいて愛らしく、キュートなピチカート聴いてます」みたいな感じがする。(言い過ぎか・・・)ピチカートマニアに、会ったこともないくせに、私の中には「ピチカート好きな人」のイメージが出来上がっているのです。(失礼なことと存じ上げています、ピチカートマニア)たとえば、その人たちは「フランスギャル」のレコードを、あの簡易レコード機で聴いているような、水玉とかチェックの模様ばかりの「どこで寝てんの!?」って感じの部屋に住んでいそうな、で、ミントティーとかが好きそうな、夜は間接照明で暮らしそうな、そんなイメージ。つまりは、生活感がないというか、いや、生活感を消す努力を生きがいにしている人、そんな人が思い浮かびます。(実際に会った事もないのに、失礼な話とは存じ上げています。拝啓、ピチカートマニア!)そんな私が、ピチカートを聞くようになったきっかけ。それは「不景気」というタイトルの曲です。それまで、ピチカートのポップな(!)曲に惹かれはしても、実はノミヤマキ嬢の歌声が苦手でどうも手が出せませんでした。あの、うわついた声、あの、イケテル風オンナ声、どうも耳についてならなかった。けれど、この「不景気」という曲を聴いてから、私の中に「ノミヤマキの声は、実は凄かった」という図式がなされ、その後、ピチカートをいくつか聞くうちに「ノミヤマキ=ロボット論」という結論を得ました。
正しく言えば、ノミヤマキ=操り人形(ロボット風)論。ピチカートといえばやっぱりコニシ。あの前葉体髭を生やした死んだ魚の目のおっさんです。要は、彼がピチカートをどういう方向に持っていきたいかってことなんですよね。ピチカートは、監督がコニシで、女優がノミヤマキの映画みたいなもんです。ノミヤマキは監督の指示で、「ポップでキュートな音楽」をつくるために演技をする。それぞれの個性を尊重する音楽が多い中で、ピチカートファイブは個人のアイデンティティを極力なくして、雰囲気を作り出すことに専念する。これって実はスゴイじゃないか、そう気づいたときから、私はピチカートを聴き始めました。かといって、聴く音楽が限定されているんですけれどね。私が聞くのは、女性上位時代とプレイボーイプレイガール。イイ女とやり手ガール。いやあ、ノミヤマキは実に良い女優です。



2003年05月21日(水)



 即効性のある計画の効能。

楽しい計画は、お早めに。
ちょっぴりうんざりする計画も、お早めに。

夏の旅行の計画を立て始めました。計画では、山梨に川遊びに行くつもりです。お金の心配からは解き放たれたいから、宿泊はキャンプ!(バンガローも楽しくていいね)まだ梅雨にも入っていないと言うのに、もう夏の計画!?と思うかもしれないけれど、早めにやっておいた方が、こういうことは良いんです。たとえば、友人たちの予定の問題。社会人になると、予定をあわせるのが難しい。人によっては、お盆休みが1日しかない、なんて人もいるので注意が必要。あと、宿泊施設の予約の問題。自分が気に入ったところは、他の人も気に入る可能性があると心すべし。そして、楽しい旅行は、クリスマスといっしょ。まだかまだかと指折り数えるのが、とってもとっても、楽しい!計画日が来た時に、みんなの気分がはじけていくのも、楽しい!
さて、ここで、ちょっぴりうんざりする計画ですが、これも早めにたてておきましょう。できれば、楽しい計画の前に。楽しい旅行が、ずっと楽しいままでおわるように。

2003年05月20日(火)



 嵐と演劇。

「嵐」が好きです。いえ、ジャニーズのじゃなくてね。(まあ、あれはあれで好きだけれど。)台風とかのことです。不謹慎かな、とも思いますが、叩きつけるような雨や傘がバフゥワッって、ひっくり返るほどの暴風とか、ちょっとしたイベントです。もちろん、私の嵐好きには、死ぬ羽目にあってないってのがあります。もし、身の回りの人や自分、またはたくさんの人が死んでしまうような事件があったら、いっぺんに嫌いになります。地震がそうでしたから。
ところで、嵐の前の静けさ、ってのは、実際にあるから不思議です。風は遠くの方でビョービョーなっていて、雲はいつもより頭上近くにたれこめ、ものすごい勢いで飛ばされていく。これから「嵐」が来るぞ、とんでもない気象状況になるぞってのを、景色がいっぺんに教えてくれます。いつもの街の騒音が、すべて雲に吸収されているようにも思います。まさに「嵐の前の静けさ」。その後の豹変した街の状況を思うと、少し心にも雲がかかる。すると、自分自身の心もしんと静まり返っていく。もしかしたら、「嵐の前の静けさ」の本質は人間の心の中にあるのかもしれません。
不思議なことに、私はこの「嵐の前の静けさ」の心境を別の場所でも感じることができます。それは、気象状況にもものともしない、劇場の中です。最近は、あまり見なくなってしまったのですが、ちょっと前まではよく演劇を見に行きました。私が見に行っていた公演には、宝塚などで使われているような緞帳はなく、入場すると、まず暗い舞台の中にぼんやりと舞台セットが目に入ってきます。席についてしばらくは、手渡された公演のチラシをみたりしているのですが、その間も目の前にある暗くてしんとした舞台が何か私に知らせるのです。それは嵐の前の静けさのように確実に「何か」が私の方へやってくるのを知らせます。
演劇と言うのは不思議なもので、ちょっと誰かの頭の中を覗いているような、そんな体験です。ダイレクトに私自身の頭に誰かの頭の中が伝染してくるような、そんな体験なのです。もちろん、「ああ、おもしろかったねぇ」ですむものもあります。けれど、私の見た多くが「なんじゃこりゃああ」でした。どう解釈していいものか、どう処理していいものか、頭の中がオーバーヒートを起こしてプッシュ−と煙が出てしまうような感じでした。
だから、私は暗くてしんとした人のない舞台、舞台セットだけが置かれた場所に「嵐の前の静けさ」を感じます。これから私の中に流れ込んでくるイメージ。何が繰るかわからない時に、どう臨戦体制をとっていいかわからないイメージ。演劇は「嵐」です。

2003年05月19日(月)



 何もしない一日から、濃密な人生へ。

今日という1日を振り返って。
午後2時30分:起床。脱北者のドキュメンタリーを見ながら、そうめんを食べる。
午後3時  :ドキュメンタリーが終了。後、なにげにビデオデッキに入っていたテープを(X面)見る。30分ほどで飽きて、野球中継をつける。
午後3時30分:いつのまにか、お昼寝
午後7時00分:お昼寝から、目覚める。もはやお昼寝の域を越えていることに驚愕。
その後、この間の録画していた「動物のお医者さん」を見る。(本当は、このビデオが見たかった)
午後8時00分:笑う犬のなんとかを見ながら、夕食。
午後9時00分:あるある大辞典を見るが、飽きて、なにかする。
そして、今:一日を振り返って、寝すぎの自分を反省。

何もしない一日は、早く過ぎ去ってしまって、いけない。一日が終わりに近づいたときにある「手ぶら感」、「喪失感」。どうも後味が悪くていけない。同じ一日でも、友達と遊びまくっていた人、仕事をしていた人、街をぶらぶらしていた人は、きっと濃密な一日を過ごしたことと思う。私も、今日という一日を何か得られるようにできたはずだとも思う。
いつか、どうでもよくすごしてしまっていた一日を恋しく思う日が来るのかもしれない。できれば、そう思えるような人生を過ごしたい。最後の最後で、遣り残したことがあるってのは、案外、幸せな人生を送った証拠でもあるように思う。後悔する人生が、密度の低い人生とは言いがたい。濃密だったからこそ、後悔することがあるに違いないと、私は思う。

2003年05月18日(日)



 食べる。

夜中、こうしてHPの更新をするのが最近の日課になった。いつもは、仕事でくたくたになってから書くもんだから、眠くて仕方がない。けれど、今日は、仕事はあったものの体は軽い。明日1日休みと言うのが、私の体に余裕を作り出しているのか。どうやら、眠けとかいうのは精神的なことも関係しているらしい。
現在の時刻は夜中の2時。夕食をしっかりとたべたのにもかかわらず、突然、お腹がへって夕食の残りのサラダをたべた。それではあきたらず、今、まさにゆで卵2個を作っている。きっと、あの卵はマヨネーズか塩を振りかけられて、私の中に取り込まれる。夜中の飲食は太る、という。けれど、私は、あまり気にしない。どうせ、月曜日からの仕事で痩せると、高をくくっている。そして、なによりも、私にとって、食べることは「救い」になる。
正しくいうと、「食べられること」は私の救いだ。ストレス解消とか楽しみとか、そんなんではなくて、コイツに私は精気を与えられているような気がする。どんなに落ち込んでいても、心配事が合っても、哀しいことがあっても、お腹が減ってくると、私は自分の体の「元気」を確認することができる。すると、「ああ、体は元気なんだ」と安心して、勇気付けられる。どうにかなる、と思える。逆に、私にとって、食欲がわかない、という状態は最悪の時だ。そんな時は、無理にでも食べて、自分を勇気付けようとする。少しでも、その時の食事の喜びを探して、自分を勇気付けるようにしている。
食べる、と言えば、私は食べさせることも好きだ。だから、よく友人に料理を振舞うことある。台所で悪戦苦闘しながら、料理を作る私に気を遣ってくれる友人もいるけれど、私は相手の「おいしい」と言う言葉に向けて、まっすぐに進んでいる時、とてもわくわくしている。「おいしいねぇ」と言われたら、本当に嬉しい。みんながみんな、私みたいに食事のことを考えているとは思わないけれど、私の作った食事が彼らに精気を与えてくれたら、どんなに良いだろう。私は、そう思っている。



2003年05月17日(土)



 カードがない。

私は、クレジットカードを持っていません。かつては、「カードなんて、ハッ」と思っていたけれど、インターネットを多く利用するようになってから、入用な気がしてならないのです。けれど、バイト民の私にとって、それはかなわぬ願い。年収が一定していないというところで、ひっかかってしまいます。今更ながら、学生時代につくっときゃ良かったなんてことを思います。
そもそも、私はお金を渡す、という行為の方が好きです。というよりも、性にあっている、というか。確かにカードがあれば、大きな買い物をするときもお財布をパンパンにすることもないし、給料袋のような銀行の封筒を利用しなくても良い。(今、私は給料を直接手渡されていますが、その足でお店屋さんに行き、封筒から金を取り出す、という行為はどうも恥ずかしい)けれど、その便利なことをチャラにしても、私は金を使っているという実感が欲しいんです。
最近では、私自身、デビットカードをよく利用しています。「デビットカードでお願いします」と言うと、店員さんがフードをかぶったような電卓を出し、それに暗証番号を入力。すると、物が買えてしまうというシステムですが、その後に銀行口座を見たとき、私はある一種の驚きを感じます。「あれ?いつの間に三万円が・・・、ああ、この間のデビットだわ」みたいな。
金を渡さずして、買える、食べれる。その時は、金を渡していないことで、なんとなく得した気分になるけれど、後から損した気分になる。単に貧乏性、そういっちゃ話が終わってしまう気もしますが、私と同じような感覚を持つ人がカードを乱用して、破産している、そんな気もします。
そうなると、私はカードを持っちゃいけないのか。いや、持たない方がいいのか。こうなったら、作るだけ作って、外には持ち出さず、毎月のインターネット料金だけ引き落とすツールとすべきか。ま、真剣に悩んでもカードがつくれないんじゃしょうがない。ああ、哀しきフリーター。




2003年05月16日(金)



 人間嫌い。

人参嫌いは、どうにでもなるけれど、人間嫌いは始末が悪い。私は、この半年、人との接触を極力避け、自分のことばっかり考えていた。そんな気がする。
今日、会社の上司と始めて、わきあいあいと話をした。1月にアルバイトとして入社以来、こんなことは初めてで、日付が変わる頃に帰宅したけれど、なんだか充実感があった。私はもともと無口なタチではないし、人見知りもそんなにはしない。けれど、仕事場ではほとんど話をすることもなく、ただもくもくと仕事をこなしていた。生活をするために仕事をしていると割り切ろう、そういうふうに今の会社に勤め始めたときには、考えていた。しかし、そんなことは私には無理だった。すぐに無言でいることが苦痛になり、上司との関係も重苦しく感じ始めた。
現在、私の働く会社は良い会社ではないと思う。まだまだ社会経験のあさい私が言うのもなんだけれど、労働条件も労働環境も悪いし、社員同士の仲もあまり良くない。アルバイトが1ヶ月で辞めるのはあたりまえ、社員でさえ数週間でいなくなった例もある。けれど、そんな中で長く勤めつづけている人もいる。私の上司だ。彼女は毎朝9時に出勤し、夜は11時くらいまで会社にいる。40度の高熱を出しても休むことを許さない専務に、体調が悪すぎてうずくまっても「邪魔よ」くらいの対応をする会長の嫁がいようが、8年働いている。おそらく、これからも働きつづけるに違いないと私は確信している。その理由はなんだろうと、4ヶ月考えてきた。長くいすぎて、辞めにくい、そんなこともあるかもしれない。けれど、彼女には会社の仲間がいた。なんでも話せる会社の仲間たちが彼女をここに留めていると、わかった。もちろん、仲間に対して気に食わないこともあるだろう。けれど、それは家族や友人だって同じこと。どんなに親しくても気に食わない面はある。問題なのは、それをカバーできる良いところがあるかどうかということだ。
上司は人見知りをする。だから、私と4ヶ月同じ現場にいようが、ほとんど話し掛けてこなかった。私も相手の空気を読むクセを持っているので、それにあわせて対応してきた面がある。だから、私の職場には会話がなかった。けれど、私と上司が大きく違うところは人間嫌いかそうではないか、という点で、彼女が人間を好きなのに対して、私は、人間を好きになることを拒んでいた。
今日、結界は解かれた。彼女は私のいる職場に慣れ始め、私は彼女によって、自分が今まで人間嫌いをしていたことに気づいた。職場が楽しくなる予感がする。けれど、近々私はここを出て行くだろう。彼女のように強い人間になるために。

2003年05月15日(木)



 自分裏切り、事始め。。

昔、私は塗り絵をきれいに塗ることができた。まず、絵の線に添って塗りたい色で線を描く。その中を同じ色で塗る間、私は、塗り絵の線を決してはみ出ることなく、きれいに塗れた。でも、ある日のこと、塗り枠の中をこぎみ良く塗る私はに一つの欲望が生まれた。「線をはみ出して、ぬってみるか」。簡単なはずのこの行為は、当時の私にとって実に難しかった。どうしても塗り枠どおりに縫ってしまう。思い切って、えいっとばかりに力をいれても、色鉛筆は塗り枠ぎりぎりでとまっている。私の苦労を尻目に色鉛筆を握っている指先は、まるで私のものではないかのように塗り絵の上で助走しながら、なおも紙に色を写す。小さかった私は、これが最後とばかりに指先の助走の延長線上、塗り枠の外を目指して、力をこめた。それから、私は、塗り絵をきれいに塗れなくなってしまった。これ、嘘のようで本当の話。
昔、私は、自分の立てた計画どおりに勉強を進める子だった。宿題ももちろん忘れたことはない。きっちりと自分のスケジュール帳に書き写し、家でチェック。どんなことがあろうと、実行していた。でも、私は高校のときに、それを裏切ることをしった。わかんないや、の一言ですまし、「明日やれば大丈夫」などと言うわけのわからない自信で持って計画を破棄することを覚えた。
私は、自分を裏切ることを覚え、今、ここにいる。「卑怯者」と裏切ってきた自分自信が口々に言う。反論できずに、逃げ切るつもりで私は、また同じことを繰り返している。

2003年05月14日(水)



 微笑ましいのは、黒髪より金髪なのか。

帰路の途中、金髪のボサボサヘヤーに赤いTシャツ、短パンという、実に今時風な若者が、対面式のおんぶ紐をつけて、赤ん坊をあやしているところにでくわしました。年頃としては、私と同じ歳くらい。つまり25歳くらい。母親は、お店にでも入っているのか、そばにはおらず、金髪のにいちゃんは両手に買い物袋をさげ、胴体を揺らす感じで、赤ん坊をあやしていました。私は、自転車で通り過ぎただけですが、おもわずそちらを見て、微笑んでしまった。

あり?

普通の男性がそうしていても、そんなことはないのに、金髪の兄ちゃんだとなぜ私は微笑んでしまうのか。

あり?

私は、どこかで彼のような男性が子供をあやすのは、意外だと思っている。
だから、微笑んでしまった。
「マイホームパパ」風の人には、そんなことはないのに。ないのに。

けれど。

金髪今風の男性が嬉しそうに赤ん坊をあやしているのをみていると、まだまだ若者だって、すてたもんじゃないじゃん、と単純に思えます。

相変わらず、見た目にごまかされてしまう自分に「喝」。

2003年05月13日(火)



 横浜探訪「ドラえもん展」

横浜に行って参りました。
実は、私、横浜には初上陸であります。中華街や山下公園は、修学旅行のメッカですが、私の場合、なぜか渋谷の東急ハンズにいきました。確かに楽しいところですが、中学生の修学旅行でワザワザ行くところではありません。今でも、同じ班の子たちがなんだか肩を落としていたのを覚えています。(私も含めて)今日、初上陸して「素直にここに来れば良かったのに」と思いました。
さて、横浜ですが、実は現在、横浜そごうで行われている「ドラえもん展」を見に行ったんです。展覧会自体が、来週の木曜日までとあって、結構混んでいましたが、かなり良かったです。私が好きだったのは、のび太の部屋の音が聞ける、という作品。のび太は学校に行っていて、ドラえもんはお昼寝の真っ最中という設定だったので、二人の会話は聞こえないんですが、階下でママが掃除機をかける音がしたり、外の自転車の音がしたりして、二人の存在がない分、ドラえもんの世界が現実の方へやってきたような感じをうけました。
ちなみに、会場は見渡す限りの子供子供。奈良美智のドラミちゃんを見ては、「こわい」「気持ち悪い」「これは誰?」を連発していました。最初は、子供の多さに気後れしましたが、たまにその中に入ってみると、おもしろいもんですね。

2003年05月11日(日)



 不思議な関係。

私と仕事場の上司は、丸一日、同じ職場にいながらにして、仕事関係以外、挨拶以外、何も話さない、ということがよくあります。仕事の会話といっても、複雑なものではないので、文字にしてみると4文字、単語数にすると2単語で済むこと。だから、1日トータルにして会話の文字数が100を超えないことが良くあると思います。私の働いている職場には、上司と私しかいないので、会話がまったくない仕事場に疲れもしました。上司は女の方ですが、仕事をバリバリとこなし、毎日のように遅くまで仕事をしています。忙しい人ですから、私から話し掛けるにしても、タイミングがいまいち、よくわからない。一方、上司は、ほとんど話し掛けてくることはありません。7畳くらいの部屋には、お互いが仕事をこなす音とクーラーの音、仕事に使用する機械がまわる音のみ。そんな中、私の感覚に変化が出始めました。私は、この無言の状況に慣れ親しみだしたのです。一見、同じ部屋にいながらにしてほとんど会話のない二人は異様に見えますが、結局は同じ仕事の延長線上でふたりとも働いているのです。会話がなくてもつながっている感覚。それは、無言の中で気づいたことでした。「共生」ではなく「共存」という職場スタイル。こんなのもあるんだなあ、という発見でした。

2003年05月07日(水)



 あたまが、かゆい。

最近、頭をちいっとも使っていないせいか、脳みそが痒くてなりません。頭の奥がこそばゆく蠢いているようなそんな感じです。へんな病気じゃないとは思うけれど、今の私の生活をかえりみて、どうもいけません。仕事といえば、ずっと言われた通りに動くようなそんなもので、家に帰ってきてみれば、だらりだらり。唯一、考えることといったら、お昼ご飯を何にしようか、とか、晩御飯の献立をどう工夫してみようか、とか。飯は重要なモンだけど、そればっかりじゃどうもいかんでしょう。

「ホビー」。
※趣味をホビーと言う人もおかしいと思うけれど、友人がそう言っていました。

私の友人の一人にエロ本を立ち読みすることを趣味にしている人がいる。誰とは、言わないけれど、いる。彼曰く、それ自体を購入することはないそうで、あくまで趣味の領域として、エロ本を立ち読みするらしい。「生きがい」とまではいかなくとも、日々の楽しみにはなっている模様。

「日々の楽しみ」。
※なんか、雑誌のタイトルみたいだけれど。
見過ごしているようで、それってすごく大切なんだろうな、と実感する毎日。私の最近の毎日は、非常に平坦で変化がなく、何も刺激がない。刺激なんて、自分で求めていかなくちゃいけないとは思うけれど、果てさて、それを何にもとめようか。困ってしまいます。

なにはともあれ、今、私の頭の痒い原因はそれじゃなかろうか、とも思うのです。刺激のない毎日は、人間を堕落させることはなくとも、人に比べて何パーセントか楽しみが少ないのだろうと思うのです。

いかん。



2003年05月06日(火)



 日記復活。

*前書き*
このエンピツというありがたいフリーの日記帳は、3ヶ月記入をサボりつづけるとIDが使えなくなってしまいます。そんなことをまったく知らず、すっかりIDを削除されてしまった私。しかし、サポートデスクに問い合わせてみたところ、見事に復活。ありがとうございます、エンピツ。すばらしいです、エンピツ。復活できたことをお知らせしていただけなかったのは、ちょっと歯がゆいところではありますが、なにはともあれ、復活。ありがとうございます。

さて、日記帳も復活したことですし、今日から、がんばってやっていこう、そう思っている私であります。

*今日の日記*
「新幹線」
混雑している電車に久しぶりに乗りました。現在の仕事場は、家からかなりちかいため、電車に乗らない私。おかげさまで、満員電車にちっとも乗ることなくすごしております。しかし、この連休で実家に帰ろうとしたところ、久しぶりに乗った新幹線が大混雑。デッキのところで、片道2時間、立ちっぱなしであります。とはいっても、金曜日に乗った20:30発の行きのMAXやまびこの中は、連休始め、ということがあるのか、今思えば何かプラスの雰囲気が漂っておりました。
しかし、今日、乗った21:20発やまびこは、何かこう重苦しい空気。電車がかなり混んでいて、朝の満員電車並みということもあったのかもしれません。でも、どちらかといえば、「連休終わっちゃった」感、連休喪失感みたいなものの影響だと思われます。疲れた人で、いっぱい。明日の出勤を考えて憂鬱な人でいっぱい、そんな感じでした。もちろん、私もそのひとりです。そんな中、希望に満ち溢れたような顔をしている二人を発見しました。
一人はスーツ姿の男性。もう一人は、黒いジャケットにブーツカットのジーンズを履いた小柄な女性。まちがいなく、恋人だということはわかりますが、男性がスーツを着ているところをみると、旅行という感じではありません。女性は旅行かばんを持っていて、男性は鰹節セットみたいなものが入っている大きな紙袋を持っています。
男性は少し疲れているようではありますが、女性にそんなことはなく、宇都宮から東京につくまで、何か話しつづけていました。残念なことに、私はウォークマンを聞いていた為、彼らの会話を少しも聞くことはできませんでした。(耳をそばだててしまうのも、あまり良い趣味とは言えませんが・・・)しかし、なにか二人の間に流れる安堵感、達成感みたいなものを感じました。
疲れが空間を支配する中、彼らの発する暖かでやわらかな空気。人によっては、「いちゃつきやがって、あのカップル!」ぐらいにしかなりませんが、私にとって、息の詰まるような満員電車の空気をやさしく和らげる緩和材になりました。
連休明け、満員電車、東京行き。
なんだか、素敵なことが彼らを待っているような気がします。


2003年05月05日(月)
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