スナックおのれ
毛。



 金木犀。

今日、この秋始めて、金木犀の香りに気付きました。芳香剤の香り、などと、言っていたのは小学生の頃。たぶん、今でも、トイレの臭いがする、なんて言っている子供は少なくないでしょう。トイレの香りがあって、金木犀がある。本当は逆のはずなんですけれどね。

金木犀の木は、わりと大きな木になります。しかも、小さな花を大量につけて、それが盛りをすぎるといっきに落ちるものだから、ちょっと始末に困る木です。ただ秋に咲き、秋を知らせる香りを運ぶ数少ない花であることは間違いありません。その心地よくて、強烈な香りだけに注目されて、トイレの花になってしまったのは、ちょっと悲しむべきことです。

ただ、最近はトイレを金木犀の香りにする所も少なくなってきました。あまりにトイレのイメージがつきすぎたせいでしょうか。でも、これを利用して金木犀の地位が上がれば良いと私は考えます。トイレ=金木犀の香り、というイメージのついていない、まだ小さな子供。私は彼らと、そのお母さんたちに期待しています。もし、子供に「あの香りはなに?」と聞かれたら、決して「昔のトイレの香り」とか無粋な答えをしないで下さい。あれは、金木犀。秋の花です。

2002年09月22日(日)



 朝が訪れる。

小泉の訪朝に間違いなくインスパイアされていると思うんですが、今日、ふと駅の光景に戸惑いました。なんのことはない、ラッシュアワーの大崎駅。15くらいの改札から人が次々と溢れてきて、構内になかなか進めない。いつものことです。みんな会社へと向かうばかりで、誰と目を合わせるわけでもなく、ただ黙々と、ずいずいと、進んでいきます。
突然、今、テポドンが発射されるかもしれない、という恐怖に私は襲われました。この日常的な風景がなくなることを思い、あの国がまだどんな国かわかってないことをはっきりと認識しました。宣戦布告すらせず、突然、戦争を起こすかもしれない国。本当はそうではないかもしれないけれど、まだまだわからないじゃないか。小泉の訪朝が実り、行方不明者の安否もわかりました。太った総指揮者からは謝罪の言葉ももらいました。でも、胸のつっかかりは、訪朝前よりも大きくなっています。「何か変わる」「何か起こるんじゃないか」。訪朝前は、そうやって意識せずとも期待していました。けれど、あっさりと拉致について認められ、しかもほとんどが死んでいると発表されて、憤りの前に呆然としてしまいました。相手のやり口が、あまりにも素朴で罪の意識にかけているというか。兎にも角にも、この結果を私は予想していなかったのです。少なくとも生きているだろう、という思いがありました。でも、小泉は違うと思うのです。最悪のケースも頭に入れて、訪朝したはずです。なのに、国交正常化なんてよく言えるなあ、と。まるで、第三者的に介入してきた国の人みたいだなあ、と。自分の国の人が拉致されて、それが直接的原因じゃないにせよ、ほとんどが死んでしまっている。これがアメリカだったら、戦争です。戦争突入です。ミサイル一発くらい、打ち上げるかもしれない。日本にはそれができないのなら、小泉がお茶の一杯でも太ったおっさんの顔にぶっかければ、良かったんだ。大人気ないかもしれないけれど、それくらいやってくれた方が、自分の国の使者と言う感じがする。もし、それがきっかけで、戦争になっても、私は耐えられる。耐えようとする。


2002年09月18日(水)



 若者→要躾。

良い話を聞いたのです。
でも、良い話なのかな?でも、心強い話ではあります。
友人の話。
とある電車の中で、イチャモンつけてきた不良(?)女子高生を電車から引きづりおろした30歳すぎのおばちゃんの話です。なんでも、その女子高性は「みるんじゃねーよ」などとおばちゃんにからんだ様子。その後もしつこく、おばちゃんにつめよりなんくせつけていたとか。普通だったら、ここで知らないフリを決めこむか、次の電車の中で降り立つか。ですが、おばちゃんもちょっとキレやすい性格だったのでしょう。女子高性をつかみ、引きづり下ろすとは。

もうね、何が起こるかわかったもんじゃありません。特に10代くらいの子達や大学生は、自分たちがサイコーと思っているらしく、縦横無尽に振舞っております。そりゃ、なかには良い子もいます。でも、今時の若者を見ると、見境なく構えてしまうという、この紛れもない現実。ゲゲゲの鬼太郎で言うところの髪の毛アンテナピーンな状態です。ところがです。よくよく考えてみると、私のアンテナをピンとさせるのは、若い子たちだけじゃないんですよ。20代くらいのサラリーマンも実に怖い。おそらく、この怖さは彼らを先頭に私の世代も含め、今の10代に脈々と続いているんでしょう。

話を少し変えまして。
野犬ってのがいますね。今は、もう少ないと思うんですけれど。でも、私が子供の頃なんかはちょっと遠い山にいけば、「怖い犬がいる」なんてウワサはあったもんですが。人間と一番古い付き合いの犬。懐きやすいというのはありますが、それは犬が人の中にいた場合の話なのでしょう。生まれた時から、ずっと犬同士で暮らしている犬には、その性質は随分と少ないと思います。

これです!
まさに、コレ!今の若い人たちが怖い理由。犬が犬同士でつるむと野生にかえるように、怖い世代って子供同士で付き合うことが多かったんじゃないかしら。犬で言うところの躾皆無、無法地帯、野生回帰現象、みたいな。今の世の中って、そんなに大人になれっていうことが言われていないような気がするんですが、どうでしょう。だからといって、電車の中でイチャモンつけていいってわけじゃないんですけれど、それは最低限の問題ですしね。犬でいうところの、人に対して敵意を持っている感じです。

自分のグループ以外をすべて敵。
これが私が分析した怖い若者たちに共通している信念です。もちろん、仲間割れもあるでしょうが電車でからんでくる女子高性、道でぶつかっただけで大声あげるサラリーマン・・・。自分のカテゴリーで勝手にテリトリーを作り、持ち場を守っているようです。

おまえら犬か、と。
すぐ牙を向けたがる方々、躾されてねぇーぞ、と。飼い主は誰ですか、と。それでいくと冒頭のおばちゃんは、野犬に躾をしてくれる心やさしきボランティアです。しかし、躾は持続されないと、不良(?)女子高性は立派な人間になれません。ただ、今の世の中で、心やさしきボランティアが躾を続けるのは難しいし、心にボランティア精神を持ちながら、野犬の怖さに表に出せない人も大勢いるはずです。そこで、私が提案するのが「野犬的人間、捕獲ネット」。それで駄目なら、「認定資格」。電車に乗る、道を歩く、こまごまと資格を設ける。破った奴は、自衛隊ばりの訓練送り。

もう、そこまで管理しなきゃいかんのじゃないか、と思うわけです。だってホントに怖いんだもん。冒頭のおばちゃんみたいに、私には勇気ないもの。このワケのわからん若者が一過性のものなのか、これからの主流になるかわかりませんが、電車ぐらいは安全に乗りたいです。ホントに。


2002年09月15日(日)



 自衛官か?市民か?

なんか、北海道の方で、自衛官が行方不明になっていますね。でも、びっくりしちゃった。おそらくプライベートなのに(ヒラメだかの魚を釣りに行っていたらしいですしね)、「自衛官」って発表されるんだ、と思って。特に私の見たニュース番組では○○在住のとか、一切なくて「自衛官の○○さん●歳」ってな感じで、「自衛官」ばかりがクローズアップされていたような気もするし。それは、自衛官が10人もそろって荒れ狂う海にでるとは何事か、というマスコミの考えなのかな。

この間、新幹線で自衛隊の制服(おそらく海軍)を着た若者を見ました。おそらく、私よりも歳若いと見られる青年。丸刈りの頭にキンピカ細工のついた帽子を乗っけていました。文字通り「故郷に錦を飾る」。いや、もしかしたら仕事の移動だったのかもしれません。でも、若い自衛官が一人で移動するとは考えにくい。それでいくと、なぜわざわざ制服なのだろうか。そこで私は考えました。

1.本当に「故郷に錦を飾る」ため。
2.プライベート用も制服を着用するように決められている。
3.なんか知らないけれど、罰ゲーム。

3はないにせよ、1か2か。
そういえば、大学時代、応援団の輩たちはいつも学ランを着ていました。引退すれば、普段着(?)に戻れるわけですが、むしろあの方たちに関して言えば、学ランが普段着のようなものだったので、なんだか仮装しているみたいでした。今思うと、あの人たちに一切のプライベートは許されなかったんでしょう。プライベートの自分さえ「団員」でありつづけならない。私の大学にとって「応援団」は「顔役」でした。でも、あの格式ばった応援団のあり方が、時代にあわなくなっているのも事実。そんな中で、どうプライドを保てるかこそ、彼らの存続を決めるのかもしれません。
自衛隊のシキタリや格式がどんなものか、私はハッキリとは知りません。(あ、でもミスをすると何でも「腕立てだ」と言われるって話は、聞きました)憲法第9条に関する賛否両論もたくさん叫ばれている中で、彼らを守るのは、「自衛官」であり続けるプライドだと思います。

「自衛官が10人遭難」
以前5人の方が行方不明のままです。生存確率もどんどん減っています。「自衛官」と発表されることは彼らの誇りかもしれないけれど、今回の事件に関して、なぜかしら滑稽に感じてしまう自分。自衛官なら助かるはず、強い人のはず、どこかしらそう思っています。ただ彼らだって一般人で、魚を釣りに行って遭難する事だってあるんですよね。頭ではわかっていても、どうも腑に落ちないのは、そんなプライドと1人の善良な市民のギャップを感じたんだと思います。

2002年09月14日(土)



 アダルトビデオの一角は、麻薬の色。

夜になって涼しくなった。そろそろ秋が来る。いや、もう来ているはずだが、やっぱり都会では季節の雰囲気があいまいなのか。特に冬や夏ではないあまり主張のない中間の季節を感じにくいように思う。だが、春はまだいい。都会の公園や川の傍、そして学校にはたくさんの桜が植えてあり、陽気云々ではなく、色で季節を知らせてくれる。もしかしたら、春の都会に多いヤバイ人たちは、色にやられているのかもしれない。人は緑が日常生活のどこかにないと、少しイカれてしまうらしい。だから、日常に緑が欠けると家に少しの緑を導入し、あらがっているのではないだろうか。しかし、都会の春は新緑よりも、桜のピンクに染まる。ピンクは、人工でも特殊な色だ。

昔、女友達とたわむれにビデオ屋をぶらぶらしていた時のこと。お互い何を見るわけでもないのに、ビデオのパッケージを見て、なんとなく話題に窮し、気付くと単独行動をとっていた。そのビデオ屋は1DKくらいの大きさで、ビデオ屋にしては小さなものだった。ふと近くにいたはずの友人がいないことに気付くと、躊躇もなく友人がアダルトビデオコーナーに入っていくのが見えた。どこのビデオ屋でもそうだと思うが、アダルトビデオがおいてある一角は、他のコーナーからは遮断されてつくられている。そのビデオ屋も例に漏れず、棚で袋小路を作り、アダルトビデオを陳列するという方法を取っていた。彼女は、そこに迷いなく入っていく。名前を呼ぼうとするが、既に時遅し。彼女の足はまっすぐにそちらへと向かい、私から見えた中にいる客が明らかに驚いている様が見える。すると彼女は、やっと気付いたのか、きびすを返し、こちらに戻ってきて、こう言ったのだ。「ピンク」。

私はピンクが麻薬の色だと思う。ピンクを前面に押し出しているところは、サンリオショップかアダルトビデオの一角ぐらいのものだ。そこで、子供はリボン付きの猫に見入られ、大人は女の肌に魅了される。ここで私はひとつの実験の提案をする。アダルトビデオの一角またはサンリオショップに24時間監禁。たぶん、都会の春と同じような現象が少なからず見られるのではないかと思う。

2002年09月12日(木)



 言葉の風。


東京の商売人のおばちゃんの言葉が好きだ。

40〜50歳くらいのおばちゃんだと気さくな言葉をかけてくれます。
「あら、元気にしてた?いつもありがとうねぇ」
子供の頃から慣れ親しんできた店先の挨拶。それも大好きだけれど、今、ここで持ち上げているのは違う言葉です。60歳を越えたくらいのおばちゃんが使う独特の敬語です。例えば、私が、「暑いですねぇ、最近」と声をかける。すると「そうでございますねぇ。おあつうございますねぇ」と声をくれる。文面にすると、ちょっと嫌味なものにも聞こえますが、決してそれは嫌味なものではありません。お豆腐屋のじめじめした店先から、ひゅっと上品が形になって現れたかのような、そんな言葉です。単純にきれいだなあ、と思います。店の人と客と、その境界線を越えない謙虚さがあって、気品すら感じます。
25歳の私が言うのもなんですが、最近、言葉の変化についていけません。次々と新しい言葉、新しい言い方がでてきて、最近、お手上げ状態の自分がいることに気付きます。今の高校生が話す「だしーぃ」とか「ほにゃほにゃでぇー」のような言葉。一概に汚い言葉だとは言いません。日本語の退化だとも言いません。あれだって、時代の流れだと思ってます。だけれど、私が60歳くらいになった時、店先から聞こえる声があんなんだったらちょっと残念です。「暑いですね」と声をかけたら、「っていうか、まじあついよねぇ」といい歳こいた婆さんに言われたら、暑さは倍増です。やっぱりここは「おあつうございますね」と涼しげな顔で一陣の風を起こして頂きたい。その頃まで、東京にいるとは限りませんが、どこの土地に言ってもそんな客と店の人のやりとりがあってもいいじゃないか、と我が侭な客である私は思ってしまいます。

2002年09月10日(火)



 息切れ劇場〜宇多田ヒカル編〜「19歳の世界標準」

単純に。

宇多田さん、あなた何者?と思いました。19歳で結婚なんて、幅広−い視野でみれば、まあアリかな、とも思いますし、結婚相手が10歳くらい離れているってのも、老後になったら、関係ない話で。でもね、宇多田さん、あなた「なにが起こるかわからないこの世の中で、確信こそが希望だから」って。って。なにをやってんだ、日本の19歳。そして、私!

海外生活が長いと、やっぱり違うもんですねって、そんな言葉で片付けられるようなことではなく、もし、宇多田ヒカルのような方が世界のスタンダードな19歳だった場合、ものすごく私たちは引き離されているわけで。でも、どっちかっていうと、本当に正直な話、立ち遅れています。私なんかは、日本のスタンダードな25歳よりもかなり立ち遅れています、シンケンな話。酷な話。だってオケショーもろくろくできませんし、遊ぶと言ったら下北沢。銀座界隈になんて、どうがんばってもいけません。山に行くとなれば、水遊びして星をダラーリとながめて、ちょっと退屈だね、なんて田舎の雰囲気を感じることもなく、遊びに没頭。これをもってして、25歳です!と言えますか?言えますか?言えません。

宇多田さん、あなた、荒稼ぎしてますね。

許します。
貴重なニッポンの世界標準として、仕方がない。日本のシンガーがアメリカに通用しないって理由が、少しわかっただけでも幸福でした。たしかに、日本人は中途半端な色のついた黄色い猿だし、極東の変な髪形をした首相のもと、この間までは顔に黒をべったりとぬった17歳が、眉毛のおかしな小学生が横行する中で、七三でっぱメガネの猿がキィキィキィキィ、時にはカルロスゴーンの支持に、時にはちょっとキレやすいフランス人に、うかれっぱなしのそんな国です。こうしている間にも、日本の景気とやらはろくろく良くならないし、どうやらその「どうせ、景気良くならないから、金はためよーぜ」っていう小市民意識自体が、日本の景気を悪くしていると言う、ジレンマのような思春期のような不景気永久発電のような環が作られちゃっているしで、いっこうに何にもかわらず、悪い方へいっている気がしてならないという不安。そんな不安に対して「確信こそが希望だから」って言える強さ。世界標準の大人っぽさ。もちろん宇多田さんの言っている「なにが起こるかわからない」っていうのは、去年の9月11日のことだろうけれど、そんなあっけらかんとした確信こそ若さなのかもしれない。そして、その若さこそ、この時代を切り開いていける唯一のパワーなんだろうな、と、私、思ってございます。

2002年09月09日(月)



 ボランティアに見る、簡単な計算。

今日、7時くらいからやっていた芸能人がボランティアに参加すると言う番組を見ていて思いました。フジヤマに障害者を担いで登頂する、というアレです。本当ならば良い話のはずですが、なんだかどうも腑に落ちない。「辛かったけれど、何倍も感動しました」。いや、それでいいのか?もし、この番組をきっかけとして、「障害者と富士山に登ろうツアー」みたいなものができたら、それこそ間違いだと私は言いたい。
人の役にたつって、そりゃあ気持ちの良いもんです。「おばあちゃん、草、かっとくけんね」「すみませんねぇ。いつも」。お礼を言われて、心が晴れやか〜になれば、何度でもしたくなっちゃう。そんな気持ちもあります。可愛らしいもんです。地域社会の中学生とおばあちゃんのヒトコマです。ボランティアって、そんな小さいことではないんですか?お互いの生活を考えながら、出来る限りで助け合う、みたいな。助け合う、とまではいかなくとも、なんとなく気遣う、みたいな。それでいくと、富士登山
は行き過ぎではないですか。たとえば、それが障害者の家族や親戚一同で行われるようなものだったら、アリなのかもしれませんが、全く関係のない人が、その人の夢だからと言って安易に手を貸してしまう、それはどうなのですか、と。もしかしてその障害者は感動するための道具ではないですか、と。

ここで、問題です。
Q)もし、ボランティアから感動が抜けたら、どのくらいの人がボランティアに従事してくれるのでしょうか。

そもそも、そこにメスを入れるべきでないか、と思う。

2002年09月08日(日)



 「北の国から」からみた「ダサ」

「ダサ」と戦っているのである。
たとえば、身近な母親や父親に「ダサ」を見る時、目を背けたくなる。あれは、中学生の頃、授業参観に来た母親が担任教師に挨拶を交わす時。母親も娘の手前、そして大勢いる、つまりは私の友人を前に照れくさかったこともあるだろう。声のトーンがいつもよりも3オクターブ、言いすぎた。でも、1オクターブは間違いなく高かった。そんな声で、挨拶を交わす。
「すみませんねぇ。いつも、お世話になってて。本当に手間がかかるでしょう。本当にウフフフフ。ハハハハハ。」
意味もなく笑い続ける母:リエコ。人は自分の「ダサ」を感じた時、笑いで誤魔化そうとする。
うふふふふ。ははははは。
笑いってホントに便利。
でも、第三者的にそのやりとりを見ていた娘から見れば、もうこれはどうしようもないほど、「ダサ」くて、まわりの友人の目を気にすればするほど、格好悪くて、母親を全否定したくなる。
うふふふふ。はははは。
しかも、母親にはその後日談を話せなかったが、あの担任の暴力教師の野郎が、その母親を真似しやがった。
うふふふふ。ははははは。
泣いた。
単純に何が哀しい、と言うわけではなく、多分私は自分の感じていた「ダサ」が、他人にもバレてしまっていることに涙したのだろうと思う。しかも、その「ダサ」が一生懸命であればあるほど、「ダサ」に拍車がかかることをなんとなく、感づいていた私は、その母親の一生懸命の「ダサ」が、とても虚しい物に見えたのだろうと思う。
話は変わるが、「北の国から」という番組。これもどうしようもなく「ダサ」いものだと思っている。大きく言ってしまえば、「ダサ」の「ダサ」たる純なものを結晶化し、チュウシツした番組だ。父親の田中クニエは北海道に来たての頃、田舎にまだなじんでいないにもかかわらず、無理やり馴染もうとして色々と「ダサ」いことをしでかす。娘:蛍はなんとなく良い父親と思ってそれをみているが、息子:純はその父親の「ダサ」に気付いて、父親を否定し、マザコンにとらわれ続ける。そんな息子の方も、多くの卑怯なことをしでかし、吐露し、番組の「ダサ」に拍車をかけている。
ここで、他のドラマを見てみよう。たとえば、「渡る世間は鬼ばかり」。これも押しも押されぬ長寿番組だが、「ダサ」の要素はあまり感じられない。「ダサ」を、こんなことって良くあるよね、アハハ、というような笑いに変えて、見せているからだろう。それでいくと、「北の国からは」「ダサいよね、ほんと俺って、ダサいよ」と自分の「ダサ」を暴露し、またダサの窮地に立っていく。
「ダサ輪廻」。私はそう名付ける。そして、こうも考える。「人はダサい」。さらに「人はダサと戦っている」とも考えた。「北の国から」と言う番組は人の「ダサ」との格闘を描いたドラマだ。そして、人は、そのあからさまで「ダサ」すぎる「ダサ」に共感を覚え、こうして長寿番組としてなりたたせたのではないだろうか。
「俺はダサい。ダサいけど、そんな人間が大好きだ」
蛍を乗せた電車を追い続ける田中クニエの姿に、私は「ダサ」の境地を見た。


2002年09月07日(土)



 美容院での意思疎通。

美容院での意思疎通がうまくいかない。髪の毛に関する運がないとかではなくて、美容師に注文している自分自身が、なんだか「美容に気をつかってまーす!」という感じで、格好悪くてしようがない。そもそも、「美容院」に入店している自分、というものがとても格好悪く感じてしまう。だから、入店から気を使い、例えば、なるたけ人通りの少ない時に、誰も見てないことを確認して、そっと入る。まわりの人が、私の不審ぶりを見たら、女性専用のヘルスにでも入店しているのではないかと勘違いなさるかもしれない。もともと、日本人は隠れた努力を重んじるところがあったと私は思う。だから、夏は蛍の光で、冬は窓から見える雪明りで勉強するなどという歌が、今も唱歌として卒業式で歌われるのではないか。しかも、相手は「美容」ときている。見た目を磨くことは、もっとも注意を払って他人に気づかれぬよう、こっそりとやり、周りを出しぬくのが美徳なのではないか?ここまで言ってしまうと、読んでいる方々は、どのツラ下げてそんなこといっとるんじゃ、このあま。などという風に思われるかもしれない。
今日、私は「美容院」にて、いけしゃあしゃあしゃあと
「ツィギーみたいにして下さい」
と、のたまい、ツジアヤノに仕立て上げられた。メガネの縁が元々、赤いというところもあるだろう。このままでは「ひのあたる〜♪」なんて、ウクレレ片手にジブリの広告塔としてしか生きる道が残っていない。さすればもう、細心の注意を払い、日々、努力し、このツジアヤノカットから抜け出すしか、道はのこっていないのだ。


2002年09月01日(日)
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