スナックおのれ
毛。



 結婚。

知り合いが結婚式場で働き始めた。今まで、そういう現場で働いている人を知らなかったので、非常に興味深い。職種は事務系ながら、式場で働けば、きっと土日は式をフォローする側として借り出されるだろう。そんなことはわかっていた。どこかで、アパレル関係の現場とあまり変わりないだろうとも、思っていた。話に聞くところによると、あいさつに「おめでとうございます」を使うと言う。至極、当然の話ながら、私の中で、「結婚=めでたい」と言う構図が非常にあいまいで、しっかり認識されていないことに気付いた。話を続ければ、「おめでとうございます」と言えば、にこやかに「ありがとうございます」と答えてくれると言う。最近、私は心から自然な「ありがとうございます」の言葉にあっているのだろうか。なにかされた、というわけでもなく、祝福の言葉に対して自然に発せられる感謝の意。こんなに清々しい「ありがとう」は、他にないのではないか。そこには先々の不安などと言うものは無く、結婚に対する明るさしかない。日常では、どんな安穏とした時でも、なにか不安になる。結婚式場とは、それでいくと、明るい今を真空パックにしたようなところなのではなのかもしれない。

2002年08月31日(土)



 自分像。

この間、気付いたんですが、東京に来て空を見る事が少なくなりました。前方を見ているか、下を向いているか、上を見ていても看板を読んでいるか、どれかです。上を見たって、東京はなんの面白みもない。田舎のように、素晴らしい夕焼けも次々と変わる雲もビルの狭間からでは、さっぱりわからない。ならば、東京を去ってしまえ、そう思います。こんな街も人間も汚いところにいて、なんのメリットがあるのか、いつも感じます。けれど、今の私にとって東京は、まだ離れられない場所。東京を好ましく思っていない反面、未練があるんです。今、死んだら、間違いなく私は東京の自縛霊になるに違いありません。しかも、死んだことにも気付かずに、同じ部屋で朝、目を醒まして、身支度を整え、会社に向かう。そんな嘘の生活をすることでしょう。たまに、今の生活がそんな自縛霊ライフと何のかわりがあるのか、と思う事があります。本当は逃げたいのか?そう思います。しかし、私は絶対に逃げられないでしょう。逃げられないように自分で自分を縛り上げているんです。人は、崖ッぷちに立ったとき、一番、その人の本質をさらすような気がします。ヤーッっと思いきり飛べてしまうか、そのまま呆然自失してしまうか。恐らく私は後者で、飛んで行く人をじっと見ているのだと思います。いつか飛べると思いながら、その場に立ちすくむ人。そんな格好の悪い自分が、一番、自分の本質に近いのでないかと思っているのです。

2002年08月27日(火)



 人生連峰、険しきことよ。

挫折したりする。
挫折したことのない人が、挫折をする時、今までの経験したことのないことに当惑する。挫折なんて、あとあとから「あ。あれって挫折だったのね」と思い出すことが一番多いんじゃないだろうか。そ例にはずれて、その時に「これが挫折だ」と明らかに思えてしまうと、今まで挫折を味わったことのない人間は、どう言うふうになるんだろう。周囲が気遣い、お喋りになっている。気を使わせたこと似罪悪感がつのる。周りから見れば、当人がこれからもがんばれるようにみつめることしかできないので、よりお喋りになる。時に、お喋り過ぎるとしらけた雰囲気を呼ぶ事がある。友情などという理想も、そこには哀しい遺影でしかないような気もする。

とりあえず、今は、当人のがんばりが負にいかないことを期待するだけです。

2002年08月23日(金)
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