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■ あるべき指導
偶にはリクエストじゃなくて、本当に私が考えていることを書いてみよう。
「kiyo、これだけかな?君がここ二週間で行った研究成果は?」 「はい・・・。すみません・・・。」
温厚で面倒見がよくて知られるイギリス人の私のアドバイザーも怒るときがあるんだな、と思ったくらい怒られた。
「しっかりしなくちゃだめだよ。とりあえず書いてきたようなものを出す人はフィードにでて色々なことに取り組まなければならないようになるともう訳が分からなくなってしまうものなんだ。そういうことは態度にでも出る。しっかりするのは態度からだ。・・・ほら、つまらなそうな顔でいること自体も問題だ。笑顔で堂々といつもしていなさい」
心の中では、「だってアフリカにおける19世紀の植民地教育のレポートを書くために50時間以上連続で作業していたんだ。そりゃ疲れがでるよ」と思ったが、ま、そんなのいいわけにならないので、ひたすら、「はい。ごめんなさい」と言い続けるわけだ。
ここの学校の先生たちは「穴」がない。彼なら、優しく指導してくれるだろうと思って前の先生から変えてみたたけれど、確かに優しいのはアドバイスだけで、要求してくる量や質は全然優しくない。一ヶ月に二回は海外出張にでて世界のどこかにいるにもかかわらず私が書いたものは全て目を通し、細かいところまで議論をしてくれる。圧倒されるくらいの仕事量なのに手抜きがない。とはいえ、疲れていても、いつでも時間を作ってくれるし、部屋に入るときと出るときは笑顔で固い握手をしてくれる。その上、私たちが将来この分野でフィールドに出たら、という哲学まで教えようと一生懸命だ。
指導するとはそういうことなんだと思う。
「娘には、友達を一杯作ってほしい」といっていた知り合いの人付き合いの苦手なお父さんや、「嘘をつかないような人に育ってほしい」という浮気の限りを尽くしている最近結婚した友人がいたが、噴飯ものだ。
指導するとは、手本を見せることなんだと思う。ビール片手にテレビをみながら「勉強しなきゃだめだぞ」といったって、無言で会釈するようなやつが「挨拶は大切だ」と部下に怒鳴っても説得力はないわけだ。部下や子供が「遊びに行きましょう」と行ってきたときに「今忙しいからだめだ!」といって机に向かい続けることこそあるべき指導なんじゃないかと思った。
きっと、卒業したらここで勉強したことの延長のような分野は無理なんだろうと思うと非常に心苦しい。でも、それまで少しでも期待に添うべくがんばろう。そうすれば、仕事に就いた後だって、いつか戻ってくる日のためにがんばれる。うん。
2008年03月16日(日)
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