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夢の図書館新館

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-- 2005年03月08日(火) --

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『太陽の戦士』

 今年になって『イルカの家』から入ったサトクリフの世界。地平線は まだまだ遠い。  しかも、7年前うちの犬が来る直前に読んだもう一冊が『小犬のピピン』という、 犬の転生を描いた絵本だったから、私は、いわゆる正統派のサトクリフ観とは 少しちがったイメージを、この歴史小説の名手について持つことになって しまった。 そして、サトクリフを仲間と思うようにもなったのだ。身勝手な仲間意識で。

リリアン・H・スミスは、著者『児童文学論』で英国の資産とも呼べる 歴史小説について、こう書いている。

「それは、ある意味では、歴史をしのぐほど、過去というものの意義と生彩を 味わわせてくれる。というのは、歴史上の事実には、いつもはっきり手につか みがたいもの、つまり、人間の思想や感情や、また歴史上には何の記録ものこ さなかった日かげの人びとにたいする時代の重みなどが、からみあっているも のだからである。」(引用)

 『太陽の戦士』は、青銅時代から鉄器時代へと移り変わろうとする前夜の イギリスを舞台に、狩猟をなりわいとする部族に生まれた少年ドレムの、 片腕が不自由という致命的なハンディを克服する姿を描いている。 ケルト民族やネイティブの民族が入り混じり、『第九軍団のワシ』や 『ともしびをかかげて』のようなローマン・ブリテンの代表作品とは、 少し趣を異にしている。けれど、過去の時代を描き、そこに生きる人間の姿を 深いまなざしで焼き付ける力は、『太陽の戦士』も『イルカの家』をも、 同じように輝かせる。一級の鍛冶師が鍛えあげた刃が、彼女のペンには 宿っているのだ。  

 まるでその世界に身を置いてすべてを見、同じ食べものを食べ、音を聞く かのように、私たちはその世界に立っている。

 ドレムたちの社会のきびしさは、ほとんどしつけらしいことを受けない子どもも 多い日本の現状を思うと、無情にも思えるほどだが、そこに用意されている成長の ための儀式には、今の子どもたちが望んでも与えられない「ここにいる意味」が 込められているといえるだろう。

 サトクリフ自身、子どものころの病気が原因で、生涯車いすの生活を送った人で、 若い頃の目標は、ミニアチュールを描く、つまり細密肖像の画家になることだった という。そのハンディとの戦いは、主人公のドレムにもぞんぶんに与え られているが、こんな風な引きこまれる描写もあって、単なる自己の投影には 終わらない力量が、ひしひしと伝わる。

「太陽の神は、すぐれた歌の才能をだれよりもまず第一に目の見えない人間に 与えるものらしい――あたかも失った視力のかわりに、別種類の能力、別種類の 光りを与えるために、太陽の神が手をのばし、そのかがやく指さきで、そのような 人の目に触れたかのようだった。しかし、もし視力のあるものに歌の才能が 与えられた場合は、太陽神の指にふれられたことがあきらかになるとすぐに ――それはしばしばまだほんの小さい子どもであることが多いのだが―― もうひとつ別の視力をより強くするために、そのものは祭司たちによって 盲目にされるのだった。それがならわしだった。」(引用)

 ドレムたちを待っている試練は、命をかけた戦い。狼を倒して槍の使い手、 緋色の戦士(太陽の戦士)となれるのか、それとも羊飼いの部族に混じって 暮らしてゆくのか。少年は家を捨て、家族を捨てる覚悟をして、絶望を知るが、 人との出会いによって研ぎすまされ、磨かれる。

 ドレムに好意をもって仲間とみなしている家族のいない少女、ブライの姿にも、 サトクリフのなかの女性が顔を出している。そしてドレムの生来の傲慢さは、 やがてあのグウィンが人生をたどった魔法使い『ゲド』にうけつがれて いったのではないだろうかと思えて、しばしうっとりとしてしまうのである。 (マーズ)


『太陽の戦士』著者:ローズマリ・サトクリフ / 絵:チャールズ・キーピング / 訳:猪熊葉子 / 出版社:岩波書店1968

2004年03月08日(月) 『ジンは心を酔わせるの』
2002年03月08日(金) 『エマヌエル 愛の本』
2001年03月08日(木) 『ガラスの麒麟』

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