2004年09月11日(土)  感動の涙が止まらない映画『虹をつかむステージ』

早稲田大学・大隈講堂にて『夢追いかけて』を観る。去年の9月に観てから、約一年。2度目ならではの発見もあり、「視力は失ったけれど、夢は見失わなかった」河合純一さんの生き方があらためて心に刻まれた。パラリンピックを一気に親しみのある距離に引き寄せてくれた河合さんの、アテネでの活躍を楽しみに見守りたい。

今回の上映は音声ガイドがついていて、台詞の合間に「浜名湖の赤い鳥居が見える」「純一に肩を差し出す」といったト書き調の状況説明が入る。昔、ラジオで紅白歌合戦を聞いたとき、こんな感じだった。目の不自由な人は音声のみで作品の全体像をつかむことができる。映像が見える人にとっては情報過多であり、ときには映像を説明が先回りしてしまうのだけど、新鮮な体験だった。あらかじめ音声ガイドをミックスさせているのかと思ったら、途中で「昇降口」が「乗降口」となって言い直し、あ、生なんだと気がついた。そこ以外は息継ぎも感じさせないほど流暢で、最後の「ありがとうございました」まで流れるように自然で、声のトーンといいリズムといい耳に心地よく響いた。

休憩時間の間に大学の回りをぐるっと散歩し、講堂のパネル展示を見る。白血病の女の子の描いた絵、骨髄ドナーと患者との間で交わされた手紙(ドナー側もまた「ありがとう」と書いていることが印象に残る)などに見入っていると、会場の方からリーフレットを差し出され、「こうすけ君の命の朝顔」のエピソードを知る。こうすけ君が白血病で亡くなった後、短い小学校生活の中で育てた朝顔が咲いた。その種を受け継いでいく運動があるということ。リーフレットに綴じられた種をわたしも植えてみようと思う。

「命のリレー」といったことを考えながら、本日上映のもう一本、『虹をつかむステージ』を観る。東京都の盲学校・ろう学校・養護学校の生徒たちが参加する総合文化祭「舞台芸術演劇祭」の東京芸術劇場での晴れ舞台をめざす東京都立青鳥養護学校高等部の「表現活動部」に密着したドキュメンタリー。虹・演劇・教育というキーワードに興味を持ったのだが、想像以上にすばらしい作品だった。生徒たちもすばらしいけど、顧問の渡部朱美先生がすばらしい。生徒を信じ、本気でぶつかり、力を引き出していく姿に、ただただ圧倒されて、涙が止まらなかった。

記録された事実には脚色はないが、上演したミュージカル『フレディ』は、有名な『葉っぱのフレディ』を渡部先生が脚色したもの。病床にある美大生の青年フレディが医師のすすめで葉っぱたちの絵を描き、彼らの生き様に自分の短い命を重ねる、という着眼点がすばらしい。葉っぱたちと交流する夢を見た美大生のフレディは、自分と同じ名前のフレディに出会う。「ずっとこのままでいたい」「死ぬ(散る)のが怖い」と揺れる葉っぱのフレディは、最後は「役割を果たした葉っぱは行かなくてはならない」という運命を受け入れ、楽しかったーと笑顔で散っていく。その一生を見届けた美大生のフレディもまた、死への恐怖をやすらぎに変えていく。ストーリーそのものも感動的なのだが、舞台を作り上げる過程を知ってから本番の上演を観ると、台詞の一つひとつに涙を誘われる。これが作り話じゃなくて事実なんだということが驚きであり、とても貴重なことに思えた。

わたしが高校の教育実習でいちばん燃えたのは、文化祭の劇の指導だったのだけど、指導者がどんなに熱くなっても、生徒自身が動かないことには舞台は成立しない。生徒一人一人にやる気を出させ、ひとつにまとめ上げるには、ものすごいパワーが要る。社会という大舞台に生徒たちが立つときのことを見据えた渡部先生は、泣いたりすねたり落ち込んだりする生徒たちに、ごまかしのない直球で叱咤激励する。歯切れはいいけれどあたたかい言葉で、「やればできる」「あなたはあなたのベストを尽くせばいい」というメッセージを送り続ける。甘やかしはしないが、生徒のやる気と個性を伸ばす努力は惜しまない。舞台に没頭した学生時代の経験を活かして演技指導に工夫を凝らし、自分のイメージする舞台に生徒たちの力を引き寄せていく。たとえば、「葉っぱが色づく季節」を体で覚えさせるため、紅葉の舞う公園に生徒たちを連れて行って練習させる。

なんて豊かな教え方なんだろう、特殊教育ではなく特別教育だと感心した。生徒たちは先生の求めるレベルの高さに愚痴をこぼしながらも「観客を感動させたい」という目標を持って食らいついていく。そして、これが同じ生徒なんだろうかと見違えるほど、彼らは役を自分のものにし、台詞や歌に魂をこめていく。「今生きている」と力強く歌い上げた生徒たちは、胸を張って社会にはばたいていく自信と勇気を手にしたと思う。『夢追いかけて』つながりで出会えたこの作品は、渡部先生から生徒への手紙で締めくくられるのだが、その書き出しが「見果てぬ夢を追いかけて」となっていたのも印象深かった。

2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る


2004年09月10日(金)  原始焼『七代目寅』in English?

■今年3月、パタヤで開催されたアドフェストで意気投合したChristianと「一度飲もうよ」の約束をようやく実現。彼はデンマーク人で、去年コペンハーゲンから東京に来てオフィスを構え、広告制作の仕事をしている。単身で外国の広告業界に乗り込んで仕事を取っていくというのはなかなか大変なことだと想像するけど、今のところ順調のよう。いつ会っても楽しそうだし前向きだし、日本の現場でも重宝されるキャラクターなのかもしれない。酒の肴はもっぱら広告の話。Christianにとっては日本の事情を、わたしにとっては海外の事情を知る機会となった。英訳されていない『ブレーン・ストーミング・ティーン』を読めないChristianのために内容をかいつまんで話すと、「高校生をブレーンにするというのはフィクションか現実に起きていることなのか」に興味津々。初稿を書いた6年前は現実にあるとは思っていなかったけど、今は高校生の意見を商品開発に取り入れたり、高校生のオピニオンリーダーに情報発信させたりするマーケティングが本格的に行われている、と説明。まわりと同じだと安心する(まわりと違うと不安)日本人にブームを起こすには、その世代のリーダーが広告塔になるのが手っ取り早いのかなと話す。海外の話では、カンヌ広告祭の権利(スポンサーシップのこと?)をイギリスの出版社(『SHOTS』という最先端のCMを集めたリールも発行)が買ったので、来年のカンヌ広告祭は何か変わるかもと噂しあう。カンヌ広告祭は参加費がバカ高いので、「他の開催地にするのもあり」「でも、あの場所はすばらしい」「だけど、まわりに観光の誘惑が多すぎて、誰も会場の中にいない」「パタヤのように何もないところのほうが勉強のためにはいい」などと勝手に候補地選び。■普段めったに使わないので、わたしの英語はかなり錆び付いている。広告の話は比較的単語が出てくるのだけど、行った店が囲炉裏で魚を豪快に焼く「原始焼」を売り物にしていて、メニューの説明に難儀した。まず「原始焼」を訳すために原始時代って何だっけと思い出そうとするが、単語が出てこない。ice ageは氷河期だし。「The age when people wear nothing and chase elephants for food」と辞書調に表現すると、「Stone age?」。石器時代≒原始時代で、ま、いっか。マンモス≒象も厳密には違うけど、通じればno problem。転じて「原始焼」はpremitiveでwildなgrillなのよと説明すると、なんとか納得の様子。次にそびえる壁は、「今日の魚」。8種類ほどあったのだが、鮭しかわからない。「Salmon and other fish」と誤魔化す。そして「南瓜のコロッケ」。コロッケはフランス語だったっけ。「fried mashed pumpkin」、衣がついてないけど、with dressじゃないし……。「じゃが饅頭のヴィシソワーズ」は「potato dambling in cold soup」、「名物 揚げ芋」は「their best, fried sweet potato」で乗り切るが、「山芋のすりおろし」は???「sliced Japanese white potato」だとすりおろせてないんだけど。楽勝メニューは「トマトとチキンのサラダ(tomato and chiken salad)」だけ。なんとか食事を終え、Christianも大満足。ほっとして店を出るときにもらった名刺は、すべて日本語。「七代目寅」という店名は「7th generation, Tiger」、ほんまかいな。

2002年09月10日(火)  大槻ケンヂ本


2004年09月08日(水)  東銀座の『台湾海鮮』

■アツコちゃん、ミキちゃん、亜紀ちゃん(=パティシエのはちみつ・亜紀子)の美人トリオと東銀座・松竹スクエア2階の『台湾海鮮』で夕食。台湾人シェフが腕をふるう本場仕込みの薬膳鍋と点心をたのしめるお店。常連のアツコちゃんによると「薬膳鍋は美肌効果バツグンよー」とのことなので、今夜は鍋に集中することに。高麗人参や生姜や干した果実がたっぷり煮込まれたスープは見るからに体に良さそう。煮込む具材は、アガリクスより効き目ありというなんとか茸、さつまいも、瓜、銀むつ、豆腐、肉団子(台湾で作ったものを輸入しているそう)、白菜などなど。とてもかわいい台湾人のおねえさんがありがたい説明を添えながら一つ一つ鍋に入れていく。薄切りの豚肉は煮込まず、しゃぶしゃぶの要領で食べる。鍋は「赤いスープ」「透明なスープ」が真ん中で仕切られ、2種類のスープを混ぜて好みの辛さに調節。自然の素材だけが溶け込んだスープは、化学調味料の味がしないので、いくらでも飲める。中華料理にも詳しく、東京中のおいしい中華を食べ歩いている亜紀ちゃんも「仕事が丁寧ねー」と感心。食べ物がいちばんの関心事である彼女は、水族館のくらげを見ても「きれいー」ではなく、「塩漬けにするとおいしいかしら、それとも干したほうがいいかしら」と考えるのだそう。鹿を見ても「よく走り込んでいるから、この腿肉はうまそう」と思うのだとか。このキャラクター、いつかわたしの作品に登場させたい。その前にテレビのお料理番組に出たら、ブレイク間違いなしだと思うんだけど。「日本一面白い女になる!」と宣言する亜紀ちゃんの爆笑トークで紹興酒もおいしく進む。最後はクロレラ入りの緑(うどんも選べる)の麺で締める。天井が高く、テーブル間隔が広く、店内はゴージャスな雰囲気。気になるお値段は、一人5千円。昼も千円前後で満腹になれるそう。「こんなのでやっていけるの?」と心配になるほど。「だからね、このお店が続くように、せっせと通っているのよー」とアツコちゃん。これで明日の朝に美肌効果が出ていれば、言うことなし。

2003年09月08日(月)  「すて奥」作戦


2004年09月07日(火)  韓国のカメラマン Youngho KWONさん

宮崎あおいちゃんの2005年のカレンダーを撮った韓国のカメラマン、Youngho KWONさんは、韓国映画のスチールの数々を手がけている売れっ子。「写真はもちろん人間的にも本当にステキな方なんで、日本に来たらぜひ紹介したい」とあおいちゃんのマネージャーの小山さん(人をつなぐ名人)が言っていたのだが、その言葉通り、来日中の彼を囲む会に声をかけてくれた。集ったのは8人。カレンダーロケのコーディネイトをしたBlessworld(東京とソウルを結ぶCMプロダクション&モデルエージェンシー)のYoo(柳)さん。KWONさんと兄弟のような親しいおつきあいをしている東京在住の新婚アートディレクター、JAMIEさんとYONGさん(5か月前から日本語習得のために来日。「明日、日本語学校の試験ですー。どうしようー」と言っていた)。アロマセラピーにも詳しいヘアメイクの立野正さん(とってもノリのいい人)。ちょっぴり大人っぽくなったあおいちゃんと小山さん、そしてわたし。撮影の同窓会にお邪魔していいのでしょうかと最初は遠慮がちだったのだけど、みなさんのあたたかさに甘え、いつの間にか昔からの友人面して楽しんでしまった。■競技用マウンテンバイクに乗るというKWONさんは若くて爽やかでにこやか、大物カメラマンというよりは親しみやすい兄ちゃんという印象。「ぼくはハンディカム」とうっとり顔でヨン様の物まねをするちゃめっけも。撮影現場はきっといい雰囲気だったのだろうと想像する。カレンダーの写真を見て、「ロケ地は韓国?」と聞いてしまったのだけど、実際はソウル組と東京組が長崎で落ち合ったそう。日本ではないような独特の空気感は、異国情緒漂う町と韓国の才能のコラボレーションが為せる業なのだろうか。奥行きのあるライティングがヨーロッパっぽいなあと思ったら、フランスでアシスタントカメラマン修行をしたそう。でも、「ボンソワ」と話しかけてもしばらく反応なし。「ほんとにフランスにいたの?」と一同に突っ込まれて、「ぼくがついたカメラマンはイギリス人だったんだー!」。たしかに英語は堪能で、ヨーロッパなまりがあった。■日本語と英語と韓国語が飛び交うテーブルは終始にぎやかで、ときどき笑いがはじけた。今年のはじめに「韓国語を勉強しよう!」と張り切って買ったチョンマルブックがグリーンのハングルバージョン(日本語を学ぶハングルユーザー向け)だったために出鼻をくじかれたわたしにとっては、生の韓国語に触れるまたとないチャンス。「そうそう」と相槌打つときは「グッチグッチ」と言うんだけど、「シャネルシャネル」って間違っちゃいそうだなあとか、「かっこいい」の「マシッソヨー」と「おいしい」の「マジッソヨー」は似ているとか、「チュセヨ」は「ください(please)」で、「ポヨ チュセヨ」だと「見せてください」になるとか、膝を打ちながら生きた表現を習得。韓国語で「おでこ」は「イマ」、「歯」は「イ」と言うので、「チェ イルムン イマイ」と言いながらおでこと歯を指して自己紹介すると受けるよとのこと。試してみたい。映画の韓国ロケ帰りのあおいちゃんは、「大丈夫」の「ゲンチャナヨー」や「かわいい」の「フィヨー(これはかなり微妙な発音)」をいい感じで使いこなしていた。ラジオドラマの関西弁も自然だったし、耳がいいのかも。「イジメ」は日本から輸入されて韓国語になっている(「ワンタ」ともいう)とか、「吉祥寺の白木屋の韓国冷麺は本格的」とか、「目上の人の前で酒を飲むときは顔をそむける」とか、興味深い話もたくさん聞けた。韓国では急に集まることを「ポンゲ」と言い、漢字で「雷」と書くのだそう。「今度はソウルポンゲだ!」などと盛り上がる。韓国が「お隣さん」に感じられた今夜はとってもキッポヨー(うれしい)。


2004年09月06日(月)  シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

今月3日発売の月刊シナリオ10月号で「シナリオライターになりたい人のためのコンテンツを用意する」と宣言したので、急遽1回目を書いている。前々からやろうやろうと思っていたのだけど、自分を追い込まないとなかなかやらない。

さて、プロのシナリオライターをめざす人たちから少なからず寄せられる「デビューさせてください」メールには毎回驚かされる。デビューは自分でつかむもので、チャンスは転がっている。他力本願で万が一デビューできた後はどうするつもりなのか心配。ただし、チャンスをつかむにはコツが要る。「何度コンクールに出しても落ちます」「どうやったらうまくなりますか」といった質問には、幸運にもデビューできた一人としてアドバイスしようと思う。シナリオライターになるためのトレーニング、略してシナトレ。シナリオにちなんで、めざせ連載47回!?

アテネオリンピックを見ていて思ったのだが、シナリオコンクールは採点競技に似ている。自分の持てる力を原稿用紙何十枚という舞台でアピールする。そこには「練習で積み重ねてきた力」と「本番で実力を爆発させる力」の両方が必要になる。日頃の積み重ねについては次回以降にお話しするとして、今回は後者について思っていることを。最近シナリオコンクールの審査に関わるようになったが、「ぶっつけ本番でーす」という作品が多すぎる。体操競技に例えたら、「たった今、技が完成」「この内容で演技するのは今日がはじめて」状態で大会に臨んでいるようなもので、これでは勝てない。

入選確率を上げるためには、採点競技であることを意識して、自分の演技(作品)を客観的に見ることが必要だと思う。パソコンで打ち終えて出力したままポストへ直行という原稿はケアレスミスの宝庫で、減点の対象になる。誤字脱字ぐらいと侮るなかれ、採点ランクが1つ落ちるぐらいの覚悟で校正したほうがいい。応募者本人も読み返していない原稿を、読む気にはならない。誤字脱字出現率と作品の完成度が反比例するのも事実。

わたしはコンクール応募時代、必ず友人や家族に読んでもらい、意見を取り入れて修正したものを出した。自分の主観だけではひとりよがりな脚本になりがちで、人が読むと理解されなかったり誤解されたりする部分が出てくる。大事なのは「直すことで作品をパワーアップさせる」こと。「ここ、わかんなーい」「この台詞、なんか違う」と言われたら、単に削るのではなく、もっと面白い代案を考える。この経験は、デビューしてからとても役に立っている。プロの世界では初稿に何度も直しを重ねて決定稿に持ち込んでいく。直しを「引き算」ではなく「足し算」にできるかどうか(原稿的にも気持ち的にも)が、プロに求められるとても大切なことのように思う。

というわけで、これからコンクールに出す人は、少なくとも自分自身で読み返し(声に出して読むと、台詞のリズムがつかめるのでおすすめ)、余裕があればまわりの人にも読んでもらい、抜かりなくブラッシュアップを。コンクールの第一関門はデビューして日の浅い新人ライターが審査することが多いので、まわりの人たちが「面白い!」と太鼓判を押した作品であれば、2次審査に進める確率は高くなるはず。

2002年09月06日(金)  ミナの誕生日


2004年09月05日(日)  映画女優 高峰秀子『チョコレートと兵隊』

■チョコレートと映画が好きなわたしは、チョコレートと名のつく映画も好き。『夢のチョコレート工場』、『苺とチョコレート』、『ショコラ』、『チョコレート』と観て、今はティム・バートン監督の『チャーリー・アンド・チョコレート・ファクトリー(仮)』の公開を心待ちにしているところ。そんな折、新聞記事で『チョコレートと兵隊』というタイトルが目に留まった。1938年の東宝映画(佐藤武監督)で、長らくフィルムの所在が明らかにされていなかったが、このほどアメリカでフィルムが発見され、昨日からの『映画女優 高峰秀子』で上映されるとのこと。早速東京国立近代美術館フィルムセンターのサイトで上映スケジュールを見ると、本日5時からとある。これを逃すと、29日の3時のみ。これは行くしかない、とダンナを強引に誘うと、いつも巻き添えを食っている彼は「Tさんも誘おう」。T氏は、映画と鉄道にめっぽう詳しいご近所仲間。そもそも高峰秀子特集情報もT氏がひと月前から知らせてくれていたおかげで、わたしが張っていたアンテナに新聞記事が引っかかったのだった。「まさか今井さんのほうから誘われるとは」とT氏は喜んで参加表明。■上映1時間前に着くと、すでに列が幾重にも折れている。フィルムセンター常連のT氏いわく「300人入りますから、これぐらいでしたら座れますね」とのこと。ひとつ前の『綴方教室』は完売だったらしい。わたしたちの会話に、一列前で待っていたおじさんが「なくなった渋谷パンテオンは1200人入ったねえ」と加わってくる。高校時代からかれこれ数十年通っているT氏によると「最前列の顔ぶれはかなり固定しています」とのこと。ここから次の劇場にハシゴすると、また同じ顔ぶれに会ったりするのだそう。■さて、上映。まず最初に「このフィルムがUCLAで発見された」旨を告げる字幕が日本語・英語の順に入り、本編に。「戦意高揚のための時局映画」と聞いて身構えていたのだが、ハリウッドの戦争ものに比べると好戦度はずっと低く、普通の娯楽映画として楽しめるテイストになっていた。あらすじは、「チョコレートの包み紙に印刷されている点数を集めている息子のために、戦地の父がせっせと包み紙を集め、日本に送る。だが、点数と引き換えのチョコレートが製菓会社から少年宅に届いた同じ日、父戦死の知らせが届く」というもの。軍人になることが夢だった少年は「父に負けない立派な軍人になる」と誓うのだが、子ども思いの父が戦地に散った悲しさのほうが際立ち、戦争に行くより家族のそばにいたい気持ちを強くさせる映画のように思えた。ティーンエイジャーの高峰秀子の愛くるしさに負けず劣らず印象に残ったのが、明治製菓のOL嬢。「霧立のぼる」という宝塚歌劇団出身の女優さんで、山中貞雄監督の遺作『人情紙風船』のメインキャストの一人だそう。■最近、太平洋戦争前の日本の歴史を勉強しているのだが、昭和13年の暮らしぶりや時代の空気を感じ取る上では、本を何冊読むよりも雄弁な資料となった。「フィルムに記録されている街並みや語られる言葉などに強く興味を持ちます。映画の出来不出来とは関係なく、時の経過が新たな価値をフィルムに与えることだと思います」と言うT氏に同感。調べてみると、太平洋戦争中にアメリカ国務省の編成した対日宣伝研究プロジェクト・チームが「日本人の国民性研究の最も適当なテキスト」ととらえていたとか、『素晴らしき哉、人生!』のフランク・キャプラ監督が脱帽したとか。さらに、この映画が東京新聞に掲載された実話を元に作られたこともわかる。劇中に明治製菓の包み紙が大きく出ていたが、明治製菓のチョコレートということも実話。亡くなった兵士の息子は、その後、昭和18年に難関の陸軍少年飛行兵の試験に合格、少年時代からの夢をかなえたが、消息はわからないという。映画から紐解く昭和史も興味深い。


2004年09月04日(土)  文京ふるさと歴史館

■昨日は10時間ほどパソコンに向かっていた。もうパソコン見るのもイヤ!こんなときは家から離れるに限る。黄色い自転車にまたがって、本郷方面へ。東大界隈は走っていて気持ちがいい。スポーツジムで自転車漕ぐより、風を感じて風景が変わるほうが断然好き。まずは、前々から気になっていた輸入文具のお店、SCOS(スコス)へ。小さいお店とは聞いていたけど、四畳あるかどうかの店内にステーショナリーがひしめきあい、それを求めるお客さんでごった返している。人や物にぶつかりながら、通路をカニ歩き。色がきれいで材質がしっかりした文具がいろいろ。ドイツの小学校に一日留学したとき、子どもたちがこんなノートやファイルを使っていたなあ。オレンジのバインダーを探したけれど、見つからず。9月2日にはプランタン銀座店(本館6階メゾンフロア)もオープンしたそう。
■本郷三丁目交差点から今日も大盛況のFIRE HOUSE(ここのハンバーガーは語り継がれるおいしさ)前を通り、ラクーア方面へ向かう途中に、『文京ふるさと歴史館』の看板を発見。入場料100円を払って中に入ると、ほぼ貸しきり状態。文京区の成り立ちを地理学、考古学、文化発達史などの側面から網羅していて、「文京区弥生町遺跡で発見された弥生式土器から、弥生時代と名づけられた」「麹の産地で都内の味噌工場が集中していた」「映画館や芝居小屋があったが戦災で消失した」などなど、興味深い町の歴史を垣間見ることができる。落語『怪談牡丹燈篭』のさわりも聴けた。昔から学問や文学が栄えた土地で、滝沢馬琴、坪内逍遥、二葉亭四迷、夏目漱石、石川啄木、樋口一葉、森鴎外など歴史に残る文豪の多くはこの町に住み、愛したという。「先人たちの足跡」といったパネルを見ていると、「もうこの人たちはこの世にいないんだな」と思い、「人間って死ぬんだなあ」とあらためて思う。「人はいずれ骨になる」という運命をわたしは未だに受け入れられないのだけど、歴史館に展示してあった縄文人骨は、「骨はかつて人だった」と逆転の発想を示してくれた。「20歳代後半のたくましく、いい男。亡くなる少し前に高い所から飛び降りたらしい」との解説つき。骨からそんなことがわかるのか。この骨男さんに肉がつき、手足や目が動き、狩りをしたり恋をしたりしていた頃があったと想像すると、なんとも不思議。
■さて、どこでお茶をしよう、と再び自転車でウロウロ。本郷通りに戻って北上し、『きんのこむぎ(金の小麦)』というベーカリーカフェへ。何度も前を通ったことがあるのに入るチャンスを逃していた。ガラス張りで白い壁、気持ちのいいお店。シチューパンセットは、飲み物とデザート(今日は大葉のシャーベット)がついて1155円。スーパーで夕食の材料を買って、2時間40分のサイクリング終了。散歩もいいけど、自転車のほどよいスピード感はリフレッシュ効果大。血と気のめぐりが良くなった感じ。

2002年09月04日(水)  暑い日の鍋


2004年09月03日(金)  下高井戸シネマで『Big Fish』

■今年最高の魚を釣った!ついにキャッチしたビッグ・フィッシュは、膨らんだ期待と想像以上にすばらしい作品。脚本(分厚い!)を読んだときは、話が行ったり来たりなので、これをどうやって成立させているんだろう、と不思議だった。でも実際の映画では、話が時代を飛ぼうと国を飛ぼうと、空想と現実が入り混じろうと、途中で振り落とされることはなかった(餌に食いついた魚のように!?)。冒頭、Big Fishとタイトルが出るまでのアバンタイトル部分ですでに「この世界、好き!」。幻の町スペイシーの裸足、サーカスの時間が止まってから加速するところ、一面の水仙の中のプロポーズ、夢のある世界を描く色彩がほんとにきれい。夢を絵に描いたらこんな色になる、というリアリティがあって、信じられるファンタジーになっている。夢のようなエピソードをつなげるだけじゃなくて、ラストにちゃんと収束して、父と息子の物語に着地しているところに拍手。わたしは映画の中でも「死」はなるべく見たくないし描きたくないと思っていたけど、死ぬことや葬式がファンタジーになるんだ、とびっくりした。子どもの頃に魔女の義眼の中に見た「自分の死にざま」を宝物のようにして大きくなった父にとって、死ぬことは「魔女の予言を確かめる」という最後に遺された楽しみだったのかもしれない。葬式に集った顔ぶれを見ていると、「人生なんて、おとぎ話さ」というキャッチフレーズがしっくり来た。みんなが自分のおとぎ話を生きていると思えたら、もっとまわりのものが愛しく見えたり、人にやさしくなれそうな気がする。原作も読んでみたい。■長編監督デビュー作が『ピーウィー・ハーマンの大冒険』と知って、ますます好きになったティム・バートン監督。2005年公開の『CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY(チャーリー・アンド・チョコレート・ファクトリー)』(『夢のチョコレート工場』リメイク版)が待ち遠しい。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマスデジタルリマスター版は10月23日から公開。東京ディズニーランドのホーンテッド・マンションが『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』バージョン(ホリデーナイトメアー 2004年9月15日〜2005年1月10日)に変身するのも注目。■下高井戸シネマは下高井戸に住む同僚が「あそこはいいよー」と言っていた通り、感じのいい映画館。ロードショーの終わった作品を少し遅れて観られるよう。先週は『グッバイ・レーニン』をやっていたそう。惜しい! 近くに気のきいたカフェがあれば最高、と思って30分ほどウロウロしたけれど、見つけられず(どなたか知りませんか)。カフェと見まがう美容院が多い町だった。


2004年09月02日(木)  「とめます」と「やめます」

■電車のドアステッカー広告を見ていたら、弁護士の「ご相談ください」広告のコピーに、「取立ては止(と)めますのでご安心ください」とルビが振ってあった。他のもっと難しい漢字は振り仮名なしなのに、なんで「止」だけ?と考えて、そっか「止めます」は「やめます」とも読めるからだと気づく。「取立ては止(や)めますのでご安心ください」と弁護士が言っているのもシュールで面白い。同じように「読み方違いで意味が変身する漢字」を探してみた。「日本橋」は「にほんばし」だと東京だけど「にっぽんばし」だと大阪。名古屋辺りでタクシーに乗るときに使うと、混乱を招くかもしれない。「人気」は「にんき」とも「ひとけ」とも読めるけど、人が寄ってこないのは人気がないということなので、意味は近い。「小人(こびと)」は差別表現になる恐れがあるので、広告ではグレー(使っていいかどうか微妙)な言葉だけど、「小人(しょうにん)料金」なら問題ない。「コピーは明朝にしますか?」は、字面だけだと書体(みんちょう)なのか締め切り(みょうちょう)なのか微妙。「米朝」師匠と「米朝」関係は同じ読み方で意味が違うのでややこしい。「今朝の便は出ましたか」は、空港のカウンターで聞くかトイレで聞くかでかなり落差がある。そう言えば、今読んでいる食べ物の語源集によると、「弁当」は便利なものということで、昔は「便当」と書いたらしい。梅干を入れてもおなかを壊しそう。

2002年09月02日(月)  My pleasure!(よろこんで!)


2004年09月01日(水)  年を取らない誕生日

■幼なじみのヨシカの訃報を聞いて3か月が過ぎ、お別れ会からも2か月が過ぎた。お別れ会のことを綴った6月20日の日記にはたくさんの反響があり、ヨシカの知り合いだという見知らぬ人からもメールが届いた。彼女の強烈なキャラクターや豪快なエピソードや奔放な発言はいろんな人をあちこちで驚かせたが、「極めつきが今回の訃報でした」と言う声が多かった。■昨日、8月31日は彼女の誕生日だった。毎年、「夏休みが終わるなあ」とセンチメンタルになりながら、「あたしにとってはめでたい日や!」と言うヨシカを祝っていたので忘れようがない。これからは誕生日が来ても、彼女はもう年を取らないのだ、とあらためて思う。人が亡くなることを「遠くへ行く」と言ったりするが、年齢という物差しで見ると、「少しずつ遠ざかっていく」とも言える。8月31日がめぐってくるたび、わたしはヨシカの年齢から離れていく自分を意識し、広がることを止められない空白にため息をつくのだろう。子どもの頃、「生まれ変わったら何になる?」と聞かれて、わたしが「女は損やから男になりたいけど、スカートは、はきたい」と答えたら、「損せえへん女になったらええ」と言い放ったヨシカ。生まれ変わりがあるとしたら、オリジナルヨシカに負けず劣らず自己主張の強いしっかり者の女の子になって、もう一度地球を騒がせにやってくると思う。

2003年09月01日(月)  「うんざりがに」普及運動

<<<前の日記  次の日記>>>