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2002年06月21日(金) <今までの事>固執・執着する心

彼と私は付き合い出してから色々な事で揉めて来た。
御互いの家族の事、仕事の事、そして離婚に対する考え方。
私達を取り巻く環境や柵を抜かしたら問題は軽減される気もするが、
その中でも一番、簡単に思えて一番厄介だったのが、
御互いに持っている「嫉妬心」だった・・・。


最初は私が彼の生活に対しての嫉妬だった・・・・。
私の生活と彼の生活の内容は全然、違う物の様に感じたし、
彼は家族に頼りにされ、そして愛されていると思っていた私は、
その次点で割り切った付き合いを出来ないまでに彼を必要としていた。
彼と出逢って3度目に逢った時だった・・・。





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その時の彼の顔を忘れられない・・・・。
彼はとても幸せそうな顔をして意気揚々として私に聞いてきた。
夫婦には夫婦の歴史が有り、私には太刀打ちできない問題なのだけれど、
私はそんな彼の姿をるのがとても辛かった・・・・。
話を聞くと彼の家の人と私は、
同じ系列の学校を卒業しているとの事だけだったが、
そんなチッポケな事でも私の嫉妬心を煽るには充分過ぎる出来事だった。






それから、私は彼を諦める為に彼以外の男性とメール交換や電話で会話する
事が度々あった、

「僕は不器用だから・・・許してあげる事ができないみたい・・ごめんね。」

彼はそれを決して許してくれる事がなく、私は他の逃げ道を失ってしまった。
ただ・・・今は感謝している。
問題があっても逃げるのではなく、その問題の解決策を真正面から捉えようとする
彼の姿勢には感服する。
あそこで彼も諦めてしまったのなら、私達の関係はここまで長くは続かなかっただろう・・・。






ただ、こんな事もあった・・・。
彼の元彼女と言う人は彼を一方的に振っておきながら、
度々、彼に電話を掛けたり、頼み事をする人だった。
そして、それは私達が付き合い出してからも度々あった。
その時、私は彼とデート中だった・・・。
突然、彼の携帯に彼女からメールが入って、そこにはこう書かれていた。

「元気?今月に入って私はちょっと御疲れ気味、はぁ〜」

彼女は明らかに彼に対して、労って欲しいという文面だった・・・。
私は彼女に嫉妬心を顕にして、彼の我関せずという態度にも憤りを覚えた。
その後、彼は私が居るのにも拘らず、

「もう、僕には新しい彼女が居るから君とは関係ないんだよ」

という意思表示をしてくれなかったから最もだった・・・。
でも、考えてみると私も彼と付き合いだして、同じ様な状態になった時、
彼と同じような態度を相手の男性に示して来た。
御互い近しい関係になると、相手の行動や態度は自分の鏡の様になるものなのだと
私はこの時、実感した。
彼の元彼女との一件は、私と彼の気持ちを引き裂く事件にまで
発展してしまったけれど・・・・。
きっと、そんな事はあの彼女にとって何も知らない事なのだろう・・・・。
私達は仲直りするまでに随分、時間や精神的に大きな痛手を負ったのは
確かだった・・・・。





只、私は今でも彼に対して、一つの猜疑心を持っている事がある・・・。
それはこんな事件から始まった。

ある日、私は友人の弟にメッセで呼ばれた
少し会話をすると、もう随分と顔も合わせていないので、
「最近の写真を送りあおう」
という事になり、私は自分のPCに保存してあった写真を相手に送った。
その写真は一度、上手く送れなかったからか、一度、私の所へ戻ってきた。
私は懲りずに又その写真を相手へ送った・・・・。
そして次の日・・・不意にこんな事を彼に言われた。

「僕のPCに・・すみれが男性宛に送った写真が・・・届いたんだけど・・・・・」

私はビックリしてしまって言葉を失った・・・。
その事について彼はとても怒っていて、色々な自信を喪失している感じだった。





二つもゴメンナサイ↑エンピツ投票ボタン

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その写真は彼と出掛けたラブホの一室で撮った物だった。
決して猥褻なものではなく、
普通の恰好をしてソファーに腰掛けた私を写してあった、
その写真を私はとても気にいっていて、相手へ送ったのだった。
彼にしてみれば私のした行為は、彼からの信用を思い切り裏切る行為だったらしく

「どうして、僕と一緒に居た時の写真を他の男に見せるの?
僕はその写真、まだ見ていないよ?」

そう言って、私のした事を酷く嘆き悲しんでいる様子だった。
私は、彼に自分のした事は「決して何かの目論見があって、そうしたのではない」
という事を諭して、この問題を一件落着としたが・・・・。
何故、他人に送った写真が彼の所へ届いたのか調べてみても理解出来ず、
コンピューター会社に勤務している友人に、この事を相談した。
すると友人は・・・・・。
「別の誰かに送った物が彼の所へ届くなんてありえない事だ」と言う。
そして、暫く考えた末、私は一つだけ思い出した事があった。
それは私のPC関する全てのデーターを書いた、一枚の葉書の事だった・・・。
その葉書は私の使っているプロバイダーから送られて来た物であり、
そこにはメールサーバーもパスワードもIPに関する情報も全て記入されている。
そして、その葉書は彼と旅行に行った時、ホテルからダイヤルアップを試みる為、
彼に長い期間渡してあったという事も思い出した。
どこをどうしたら、メールサーバーにアクセスして、メールを閲覧出来るのかは
私にも友人にも解らなく、プロバイダーにも連絡をしてみたが真相は解らずじまい
だった・・・。
只、この一件があってから、彼は私の心情をほとんどと言って良いほど、
把握しているようにも思えて仕方ない・・・。
それは誰かに自分の気持ちを綴り送った内容のメールだったり、
この日記もメールでパスワードを確認する旨の連絡が来ている訳なのだから、
ここを閲覧する事だって可能な事で・・・・、
彼はもしかして、それをしているのかもしれない・・・・と私は思った。
PCを手にして10年以上のキャリアがある彼の事だ・・・、
もしかして、そんな事は簡単な事なのかもしれない・・・・。
何度かこの事を彼に確認して来たが、彼は全く身に覚えの無い事だと私に言う。



ただ・・・・・・・・・・・・・。
もし、その様な行為を彼がしていたとしても、私それを咎めようとは思わない。
誰だって、人に裏切られたりする事は悲しいことだ・・・。
そして、何時どのような形で裏切られるのかも、人は予測不可能な事だろう・・。
彼がそれを回避したいが為に、メールを閲覧したりするのであれば、
それは・・・・・私の罪なのだと思う。
人に信用されないのは、その人にも罪があると私は思うから・・・・・。
そして、そこまで私に固執したり執着してくれる彼を心から愛しいとも思う。
執着したり、固執したりするのはきっと何らかの要因があるからなのだ・・・。
燃え上がるような嫉妬心も固執したり執着したりする気持ちも、
私達にとって、その訳が・・・複雑に絡み合った柵から抜け出して、
相手の気持ちを解り合いたいという行為であれば、
それは一種の愛情表現なのかもしれないとさえ私は思う・・・・。









<今日の出来事>

同居人が予定より早く帰宅したので、彼に電話して急遽、逢う事を約束をする。
今日は彼がずっと会議で席を立てずに、何時もより日中のメッセも短い会話に
なってしまって寂しい日だった。

「今日、逢えなかったら土・日を挟んで又逢えない日が多くなっちゃうね・・・」

何時もは口にしないのに、今日は素直にそう言えた。
彼が何時ものように私を迎えに来て、ドライブ・・・。
今日も素敵な場所を探して車を止めてくれた。
それでも、曇っていて空には星も見えない・・・。
彼は私の膝にゴロンと横になって甘えている・・・。
この前とは逆のパターン、会議で抑制された気持ちが私と逢って、
一気に噴出見たいな感じ・・・。
始終甘え気味の彼だったが、今日も沢山優しくキスしてくれた・・・。
それなのに・・・・。
帰りがけに彼が私に言った悲しい言葉が今でも胸に突き刺さる・・・。

「すみれは僕と一緒になっても、僕の事信用できないんでしょ?」

過去の悲しい一件で私の心は・・・・、
もう誰の事も信用出来なくなってしまったのかもしれない・・・・。
自分ではそうじゃないと思っているのに、やはり人に裏切られるのが怖いから、
最初から「どうせ何時か裏切られる・・・」そうやって問題から逃げて居るんだと思う。
私の願望は彼と一緒にいる事だ・・・・。
もし、その願いが叶ったのなら人の事を信用する事が可能になるのだろうか・・。
今はその願いも叶えられる状況ではないから、どうなのかも解からない。
私は何も答えられずに、家に戻った。
何時もはデートの後、繋がらないメッセが深夜に繋がった。
彼は自宅に戻っても、私に言った言葉を気にして居てくれて、
わざわざPCを立ち上げで話し掛けてくれたのだった・・・。

「ごめんね・・・酷い事をいってしまったね・・・」
「すみれの事・・・解かっているつもりなんだけれど・・・・」

何度もそう言って謝る彼・・・。
私達は御互いに「愛してるよ・・・・」そう言ってメッセを落とした。
私は・・彼と一緒に居られるようになったら、人を信用出来るようになれるのだろか・・。
この不信感をどうにかしたい・・・・。


2002年06月20日(木) 今までの事<最悪なバレンタイン・続編>



同居人に彼と一緒に寝ている所を目撃され、修羅場になって、
私は同居人に、何て彼の事を説明すればよいのか解らずに居ました。
とにかく、彼の事は余り多く語らずに、治まれば良いと思って居ました。
最初は逆上して、私の事を詰り殴り倒すかもしれないが、
それはそれで仕方ない事。
彼との事が同居人のせいで上手く行かなくなるのは、
どうしても避けなければいけないと思い、
バレンタインが過ぎた翌日の早朝まで同居人との
罵倒の嵐は収まりませんでした。
私は同居人に言い訳しか言いませんでした。
それも、全くの嘘だったのですが・・・。
「貴方が構ってくれないから・・・。」
「貴方が浮気したから、私も浮気しようと思った。」
「あの人は何処の誰だか知らない人。」
本当に心にも無い事を並べ立てて同居人に言うと、
同居人は私を殴った後だったからか、少し興奮していた顔が
元に戻っていくようでした。
「離婚しよう。」と同居人は言いましたが、
私が「じゃ〜私が貸した御金と実家から借りてる御金を全部、返してね。」
と言うと、出来もしないのに
「払えば良いんだろ、払えば・・・。」と投げ捨てるように言いました。
彼が今、離婚できない以上、私も離婚は避けたいと思っていました。
私が離婚をして、子供と2人きりになれば、
彼に今以上、頼ってしまい、
そして、そのうち色々と不満が爆発してしまうと思ったのです。
現に、その日、同居人が戻ってくる前の電話で彼に、
「うちがこうなって離婚危機に陥ったら、貴方は離婚しないの?」
と詰め寄りました。
日も昇り始め外が薄明るくなってから、同居人が言いました。
「離婚しないなら相手に電話をして話すから、
電話番号を教えろ、番号くらい知ってるだろ・・・」と、
私も流石に話すくらいなら彼も何とかしてくれるだろうと思い、
同居人に彼の携帯番号を教えました。

次の日、出勤途中の彼に電話をして、前日の事を再度、謝りました。
そして、「旦那が話をしたいみたいだから電話番号を教えたから、
電話も行くと思うし・・・。」と言いました。
「えっ?電話番号教えたの?」彼は少し戸惑っていました。
私達は昨日の一件を辻褄合わせをする為、少し話して電話を切りました。
彼は、私が同居人に構って貰えなく寂しくてテレクラで知り合った男。
子供が居るので外には出れずに家で逢っていた、
逢ったのは2回目。
そう決めて、彼も同居人からの電話を待っていました。
同居人から何度も、
「電話に出ない」「今度、掛けて出なかったら家の電話を調べて、
脅してやる」と言うので、
彼が仕事中なのを知っていて私も彼に電話をしてみました。
携帯番号から自宅の番号なんて直ぐに割り出せる時代です。
私は少し怖くなりました。
何度も電話が来ている筈なのに、彼は電話には出ていませんでした。
私は同居人にも電話をして、
関係の無い人だから、電話を掛けないでと言いましたが、
家での態度とは逆に、
「俺にはバックがいるんだから、あいつから金を取ってやる。」
などと訳の解らない事を言っていました。





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同居人に教えた番号は仕事関係の人の番号で、
昨日、家に居た人の番号は知らない。
私が言った咄嗟の嘘だということにして、彼は全然、関係の無い人。
そうして欲しいという意味でした。
私はメールを読んだ途端、頭に来ました。
実際、テレクラで逢った人という嘘も、私は吐きたくありませんでした。
同居人に構って貰えないのが寂しくて、浮気をしたという事も嫌でした。
キチンと胸を張って、

「好きな人と少しでも一緒に居たいから、家に来て貰った。
罪悪感なんて、これっぽっちも無い。
将来、この人と一緒に居たいと思っている。」

同居人には、そう言いたかったのです。
でも、彼の事を考えると言えませんでした。
彼の意志と反した所で、彼の家の中がメチャメチャになったりするのは、
どうしても避けたいと、その時は思っていました。
私は自分のした事に反省はしていませんでしたが、
出来るだけ彼の迷惑にならないように考えていました。
でも、当事者で在るはずべきの彼は、この問題から逃げたのです。
「ねぇ、あれってさ、どういう意味?」
私がメールを受け取って掛けた電話の第一声が、これでした。
喧嘩になったのは言うまでもありません。
私は彼に別れを告げて電話を切りました。
その後、彼は観念したように会社帰りに同居人からの電話を、
受け取りました。
話は穏やかに進んだようですが、同居人は彼に対して、
「家にあった100万円以上する指輪が無くなった。
御祖母ちゃんの形見で大切な物、犯人は貴方じゃないですか?」
と言ったようでした。
彼は穏やかに・・・。
「僕はそんな指輪の存在なんて知りません。
もう一度、よく探してみて下さい。」と言って、
その指輪の話は終わり、最後に同居人は、
「浮気の事はどうでも良いんです。指輪が無くなったことが心配だったので」
と言い、それで、2人は会話を終らせました。
私は、それを彼から聞いた時、同居人の心が何処まで腐っているのだろう?
と思いました。
もちろん、家にはそんな100万以上もする指輪なんてありません。
同居人の祖母は同居人が小さな時に亡くなっていましたし、
そんなに親類付き合いも無い家なので、
そんな指輪が同居人に与えられるはずもありませんでした。
それに、そんな指輪があったら自分で作った借金を
とっとと、返して欲しいと私は思いました。
同居人は私にこう、言っていました。
「お前が浮気をした事なんて、どうでもいい。
ただ、相手がノウノウと俺の家に上がり込んだ事が許せない。」
それを聞いても私の心は何とも思いませんでした。
同居人はどうにかして、彼を精神的に追い込みたかったようで、
この件が少し治まり掛けた時を見計らい、携帯電話を見てみると、
1日に24回も彼に電話を掛けていました。
私は彼が逃げたくなる気持も少しだけ解りました。
携帯電話から彼の電話番号を全て消去して、
家にあった彼に関するものを全て破棄しました。
それでも、後日、私が書いていた日記を読んで、
「まだ、逢ってるんだろ?」と怒鳴れたりしました。
私は言い訳をするのに必死でした。
それは今も続いていて、日記は見えない所に隠したりしていますが、
(見えないように、ここを借りたのかもしれません・・・・。)
喧嘩の度に彼との事を罵られています。

彼はその後、何日間か返事も来ないのに私にメールを送り続けました。
彼から仕事を請け負っていた事もあって、
何度か事務的な遣り取りをしましたが、
問題の事は余り話さずに終わりました。
或る日、深夜にチャットが繋がって、あの時の事を議論しました。
彼は、あの時弱音を吐いた事に対して素直に認めました。
そして、それを私にも認めて貰いたかったようでした。
でも、私にとって彼があの場面で弱音を吐いた事は許せない事でした。
私達は朝日が昇っても暫く話をしていました。
最後に彼が、
「今は・・・友達にはなれないけれど、又、今までみたいに話をしたい。」
と言いました。そして、私は「友達になんてなれない。」と言い。
御互いに、この何日間がとても辛く寂しかった、そう言って歩み寄りました。
それから、次の日に逢う約束をして、再び話し合いをし、
御互いの悪かった点を認め合いました。
あれから、私達は又、一緒に居る事にしました。
現実的には一緒に居られないけれど、逢える時はなるべく考えて逢ったり、
真夜中のチャットも沢山、しました。
前よりも何か強い絆が出来たように感じました。
彼も、きっとそう思って居たと思います・・・。

でも・・・・。
私の心の奥底で、あの時まで真っ直ぐに信じていた彼への気持が、
少し崩れ掛けた様に感じたのは何故なんでしょう・・・・・?
私にとってのバレンタインは彼への不信感が少し芽生え始めた出来事でした。









<今日の出来事>



今日は彼が日帰り出張。
同乗者が居るので、恒例の朝の電話も出来ない。
少しのメールの遣り取りで終ってしまった。
夜、会社には寄らずに直帰するとの事、
同乗者を降ろしてから、暫しの電話。
でも・・・・・。
突然、家の駐車場に着いた途端「あっ、電話だ・・・。」
と言って電話を切られる。
幾ら待っても電話が来ない・・・。
普段、キャッチで電話が来ても、必ず折り返し電話を掛けなおしてくる彼・・・。
「それじゃ〜おやすみね。夜、メッセ出来たら又、話そうね。」
そう言って電話を切るのに、どうしたのか今日は一向に電話が来ない。
子供が眠くて愚図っているので私から彼へ電話を入れる。
「こちらは留守番電話サービスセンターです・・・・・。」
彼は出ない・・・・そんなサービスなら要らない・・・・。
悲しい気持でベットに横になると、彼からメール・・・。
「ごめんね、突然電話を切って・・駐車場に着いたら突然、窓を叩く人が居て、
誰かな?と思ったら家の人だった・・・。
ビックリして突然、電話を切っちゃった・・・。
すみれ・・・怒ってるよね。ごめんね・・・。」
あぁ〜そういう事か・・・・。
少しモヤモヤしたけれど、仕方ない・・・。
今日はメッセも繋がらない・・・。
彼はやっぱり、家の人に浮気をしている事・・・後ろめたいんだな・・・。
ナンカ・・・・・寂しい・・・・・。







2002年06月19日(水) 今までの事<最悪なバレンタイン>

スイマセン。今日も長いです。

何時頃だっただろうか・・・。
彼の車でドライブ中だっただろうか・・。
ポケットから彼がおもむろに時計を取りだした。
何時もは腕にある時計がポケットの中から出てきたので、
どうしたんだろう?と思った。 

「どうしたの?時計・・・」

と私が言うと、ベルトが壊れてしまったから腕には巻けないと言う。
今度、ベルトを新しくして来ると言う彼、
よく見てみると、その時計は沢山、傷がついていて、
少しくたびれている様に見えた。
「今度の記念日って何だったかな?」
と咄嗟に考える私。
今度の記念日は・・・・・バレンタインだった。
もう時間もそれほど無かったと思う。
私は時間のある限り時計屋に入って、彼の似合いそうな時計を物色した。
2月初旬には彼の誕生日もあったし、今度のプレゼントは何にしよう?と
丁度、悩んで居た所だったので、プレゼントが決まって良かったと思った。
色々、あげたい時計はあったけれど、
そんなに高い時計はあげられる筈も無く、
気軽に使えるようにスオッチのIRONYを贈る事にした。
チョコはどうしようか?と思った。
ミッシェル・ジョーダンにしようか、GODIVAにしようか、悩んでは居たが、
この時期にデパートのチョコレート売り場の雑踏の中に身を置くのが、
凄く気だるく感じた。
手作りチョコを作るのは高校生以来だった、
今回は簡単な生チョコにした、作り始めると、とても楽しかった。
キチンとお店で売っているような生チョコになるんだろうか・・・。
ガチガチに固まったりしないよね・・・・。
心配してたよりも上手く出来たと思った。
彼は仕事が終ると真っ直ぐに家に来てくれた。
今日は外泊すると家に言って来てくれたらしい。
もう私達の間には、何日も前から決まって居た事だったけれど・・・。

その頃、同居人は深夜のアルバイトに行っていた。
子供がまだ、6ヶ月だった時に金融業者からの多額の借金が判明した時、
もう、2度と借金はしないと約束したのにも拘らず、
今年に入って又、別の金融業者に借金していた事が解ったのだ、
仕方が無く私は実家に電話して、
お金を用立てて欲しいと言ってみたのだが、
「又なの?もういい加減にしなさい。」と取り合ってくれないどころか、
逆に責められなくても良い私まで責められてしまった。
私も悔しい気持ちになって、
「私が何で怒られなくっちゃいけないの?」と同居人に言うと、
前の借金の時は1日として行かなかった深夜アルバイトを
今回は観念したように、行き出したのだった。
3日に一度は、仕事が終ってそのままアルバイトへ行き、
帰ってくるのは朝の5時過ぎだった。
大変だとは思ったが、タダで使った金の重みを知るには良い機会だと思った。
前の借金も今回も、同居人の遊ぶ金に変わってしまった・・・。
そして、その金を誰が返していると思っているのか理解して欲しかったが、
もう、私は同居人の事なんて、どうでもいいと思っていた。

彼と御飯を食べて、一緒に御風呂にも入った。
とても、楽しかった。
本当の家族のようだった。
彼と一緒に生活できたら、どんなに楽しいだろうと思った。
もちろん、毎日こんな風に過ごせるとは思っている訳ではないが、
好きな人の為に御飯を作ったり、掃除をしたり、
相手も自分を少しだけ労ってくれたり、
そんな普通の結婚生活に強く憧れた。
彼にチョコを見せると「自分で作ったんだね、凄いね、嬉しいよ。」と
笑顔で食べてくれた。
決して甘党では無いはずなのに、「美味しいね〜」と言う彼を見て、
益々、一緒に居たい思った。
プレゼントの時計を渡すと「えっ?プレゼントもあるの?」と驚いていた。
もう何年も家の人からバレンタインのチョコも、
誕生日プレゼントも貰っていないと言う彼。
先日の誕生日には何時も一緒に居られるように、
彼の仕事柄モンブランのボールペンをあげた、
だから、今回はプレゼントなんて無いと思っていたらしい。
「時計なんて、貰ったの小学生以来だよ。」
ニコニコ笑う、その顔こそが小学生の様だった。
早い時間に御飯を食べたので、後はPCで遊んでいた。
12時を過ぎると二人とも、もう眠ってしまって居た。
私は不意にガチャガチャという音で目が覚めた。
「えっ?何の音?」私は思うと、もう心臓の音が聞こえていた。
「やばい・・・見つかっちゃう・・・」
隣の彼をつつくと、彼は「はぁ?」というような顔をしていたと思う。
それは玄関で少し戸惑っているようだった。
「彼の靴を見たんだな・・・。」
気がつくと、その暗い影はいつも行く筈の居間には行かず、
徐に寝室のドアを開けた。





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「誰?」「そこで寝てるの誰よ?」
「おいっっ、お前聞こえてんだろ?」「おいっっ。」
そう言う同居人を私は裸で上半身を起こし、ジッと見ていました。
彼は布団を頭から被っていました。
「閉めて・・・ドアを閉めて・・・。」
私がそれだけ言うと、同居人は凄い剣幕で居間へ行ったようでしたが、
私達が身支度を整えていると居間の方から今度は怒鳴り声で、
「おいっっ、お前! !早く、こっちに来て話するぞっっ! !」と叫んでいました。
「今行きます・・・・。」彼は観念したように、同居人に声を掛けました。
その時です・・・同居人が凄い勢いで寝室に入って来て、
身支度を整えている彼に思い切り殴り掛かって来ました。
彼は素早く避けましたが、少し左の首筋を同居人の拳がかすった様な感じでした。
私は彼が眼鏡を外していて、不幸中の幸いだと思いました。
又、同居人が殴り掛かろうとしていたので、
私は止めに入って話をしようと言いましたが、
同居人は勢い余って、さっき開けたばかりの家のドアを又も開き、
飛び出して行ってしまいました。
彼と二人になった私は少し笑いながら、
「バイトに行ってる筈なのに帰ってくるなんてビックリしたね・・・・。」
そう自分の心臓の音を隠す為に言いました。
彼は少し体が暑かったのか、何度もオデコを拭いていました。
「大丈夫だった?殴られて痛くなかった?」と聞くと、
「うん、かすっただけだから・・・」
と彼は言い、暫くすると「いやぁ〜まいった、まいった・・・。」と
帰って行きました。
私は「これから、どうしようね・・・旦那さんと話をしないといけないね・・・。」
そう言って欲しかったのに、彼はそんな事は一切、言わずに帰って行きました。
「まいった、まいった・・。」と頭を掻きながら帰って行く彼の後姿は、
今まで私が見た中で一番、恰好の悪い彼でした。
帰る途中、彼の携帯に電話をすると、やっと落ち着いたようでした。
私も自分の配偶者が彼を殴った事は・・彼に対して悪いと思い、
何度も「ごめんね・・・私のせいだね。」と謝りました。
「それこそ、すみれは大丈夫?」と聞く彼に、
「独身の時にも、こんな修羅場はあったから大丈夫・・・
もちろん、裸でベットにいた訳じゃないけどね」
と笑って話しました。
「もし、これで離婚する事になったら、慰謝料取られるのかな〜?」
私が言うと、彼は少し考え込んでいる様子でした。
何故か話は離婚の事になってしまい、
彼が私に「今は離婚出来ないから・・・」と言い、
私は、
「そんなんじゃ何時まで経っても離婚できないよ。貴方の性格上、
何か無いと離婚は出来ないんじゃないの?
私ばっかり痛い目にあって貴方は何なの?」と、
食って掛かってしまいました。
彼が家に戻り、同居人の携帯に電話をすると暫く経って同居人は帰ってきました。
私は詰られて殴られました。
でも、幾ら殴っても私は悪い事をしたとは思っていないと言って同居人は
益々、逆上していました。
足元で子供だけが私にしがみついていた夜でした。







<今日の出来事>


突然、日中に彼から電話が来て、
近くの図書館へ行くので一緒に行こうと言われました。
朝起きたままでPCに向っていたので、急いで仕度をしました。
図書館で彼が探していた本が見つかるまで、読書していました。
彼はすぐに、本を見つけて丁度お昼時だったので、
近くのモスへ行きました。
彼とは毎日の様に逢っているので話す事など、これといって無いのですが、
雑談をしながら御昼を食べました。
私は御腹が痛かったので、玄米シェイク・・・。
でも、イキナリ冷たいのも良くなかったみたいで、
途中から彼の話も上の空で聞いていました。
そろそろ、家に戻ろうかと彼が言い、
近くまで送って貰っている途中で彼の携帯に、
仕事先の人から電話が掛かって来て、車を止めました。
少し長い時間掛かりそうだったので、疲れていた私は、
彼の膝の上でゴロンとしていました。
ハンドルの下に何があるのか、イチイチ確かめたりしていました。
インバーターを付けているマジックテープが外れそうになったりしていたので、
治してあげたり、ボックスを開けたり閉めたりして遊んでいたら、
電話が終りました。
彼が何故かスイッチON状態になっていたので、可笑しくて笑いました。
少しだけ家に行ってもいい?と聞くので、今日は掃除機を掛けていないよ?
と聞くと、それでも良いと言うので、家に来て貰いました。
居間の机には仕事の資料を置いて、ドアには鍵の他にチェーンを掛けました。
バレンタインの事で二人ともフラッシュバックを起こす事があるのですが、
彼はそれでも、私の家に来ています。
少しの時間だけでも一緒にギュッとして居たいと思う気持は、
きっと同じなんだと思います。
今日は御昼過ぎから夕方まで一緒に居られました。
天気が良くて、図書館の敷地内の芝生でゴロンとして居たかったけれど、
何故か私の家のベットの上で、ゴロンとしている二人でした。
彼がそろそろ会社に戻らないとデスクの上のPCも開けっ放しだし・・・と言い、
会社に戻っていく頃は5時になろうとしている頃でした。
私も夕飯を作ったりして居ると、彼がチャットで待っているような気がして、
PCを見てみると、
やはり待って居てくれたみたいでした。
会社に戻って仕事をしながら2時間近くも待っていたと言います。
ごめんね・・・と言い、話題は何故か旅行の話になりました。
何時も彼と逢っているとバタバタと時間が過ぎてしまうので、
もっとゆっくりしたいね。と二人で話してました。
バリやプーケットやロンドン・・・。
どうしてかモスクワの話をして、二人で笑っていると、
彼が私の事をスラブ顔と言いました。
スラブ顔?ってどんなんだろう?と一人で考えていました。
彼が帰る頃には10時を回ろうとしていました。
又、彼の帰りが遅くなってしまいました
今日は同居人が早く帰ってきたので、電話も出来ませんでした。
夜も疲れて眠ってしまってチャットは無しでしたが、
とても、楽しい一日でした。






2002年06月18日(火) 今までの事<ファザーコンプレックス3>


御祖父ちゃんが居なくなっても、晩年を一緒に生活しなかった私には、
今でも御祖父ちゃんが生きているような感覚で居ます。
一年のうち1度か2度しか帰省出来なくても、
汽車の中で自分の育った何も無い田舎を思い出す時、
御祖父ちゃんがまだ、あの教会の中に居て本を読んだり、
汚れた蝋燭台を掃除しているんじゃないかと思ったりしました。
無理に忘れないで居ようと思い、何年か過ぎ、、
私はその後、同居人と出逢って、自分の考えで結婚する事を決めました。
結婚式を私の育ったあの、教会で挙げる事にした私は、
同居人と一緒に何度も衣装合わせや、準備で
御祖父ちゃんの居た家に行きました。
「御祖父ちゃんが見たらどんなに喜んだだろう・・・・。」
仮のウェディングドレスを着た私に、
何度も母も御祖母ちゃんも、そう言っていました。
結婚の準備も整い、後1ヶ月後に式を控えた私の携帯に、
見知らぬ女の人からのメッセージが入ったのはそんな時でした。
「美穂子です。至急、電話を下さい。電話番号はXXX-XXX・・・・。」
誰だろう?と思い、残っていたメッセージの番号に電話をすると、
さっきと同じ女の人の声がしました。
「すみれちゃん?覚えてる?美穂子だよ?・・・・・・美穂子叔母ちゃんだよ?」
「あの・・・・スイマセン・・・・・誰ですか?」
その、女の人の声に覚えはありませんでした。
美穂子と言う名前の叔母にも心当たりはありませんでした。
「すみれちゃんの・・・・本当のお父さんの妹だよ?」
「・・・・・・・・はい。」
どうしたんだろう?今頃になって・・・・と思いました。
父と22年振りの再会を果たした後、父とは何度か電話で会話する機会や、
年賀状が届いたりしていました。
一度だけ一番下の我侭な妹と大喧嘩をして、母も養父も私の事を責めた時、
自分から電話をした事がありました。
「もう、あんな家の人間で居たくない。」私がそう言うと、
父は「そんな事を言わないで、今まで育てて貰ったんだから。」
と私に言い聞かせました。
でも、あれ以降、父とは話す事も逢う事はありませんでした。
「あのね・・・・・・すみれちゃん。」





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私は仕事中でしたが、取るものも取らずに、すぐに帰省しました。
同居人も一緒でした。
父が住んでいた家は私が子供の頃に母と住んでいた家に似ていました。
私が行った時、父はもう、御棺の中におさめられていました。
父の顔は青白く澱んでいて、
その姿は自分で自分を絞殺した事を物語っていました。
「お父さん・・・・何で独りで・・・・・。」と言うと
隣に居た叔母は泣き崩れてしまいました。
火葬を行っている間に母も実家から到着しました。
「お養父さんに言って・・・急いで来たんだけど・・・」と、もう泣き顔の母は、
とうとう、最後の生身の父の姿を見られませんでした。
遺影は最近の写真が無かったのか、若い時の姿でした。
「息子が一番、元気で希望に輝いて居た時の物です」
私が今まで見た事もなかった、
御祖父ちゃんという人が母に頭を下げながら話していました。
「すみれが生れた時くらいのお父さんだよ?本当に・・・すみれにソックリだね〜。」
と母は目を押さえながら私に言いました。
私も若かった時の父はこんなにも私に似て居たのか、と子供の頃、
よく親戚に言われていた時の言葉を思い出しました。
「すみれちゃんは・・・・誰にも家の親類には似てないね・・・
やっぱり、ママが別れたお父さんにソックリだよ・・・」
実父の死で、その意味が本当に解ってしまった私の悲しみは、
子供の頃の、あの夜に火傷を負ってしまった右手の跡のように、
表面上は薄く見えなくなっても、
実は心の奥底では一生、消えないもののように、
その跡をクッキリ残してしまいました。
火葬が終った後、実家に近かったので、
養父の居る実家に行く事になりました。
車の中で母が、
「私とお父さんは御互い嫌いになって別れた訳じゃないから・・・」と
私に言っていました。
私も今まで母からは父の悪口や辛かった時の事を一つも聞いた事は無く、
その時も「じゃ〜何で離婚なんてしたの?」と聞きたかったのですが、
どうしても聞けませんでした。
実家に着くと養父が悲しい顔をして待っていましたが、
何時もと変わらず「今日は何、食べる?」
「折角、旦那になる人が来てくれているんだから・・・・。
何か食べにでも行っておいで?」
と私達に気を使ってくれていました。
私と母と同居人が食事を終えて家に戻ってくると養父はお茶を飲み、
そして、イキナリ正座を仕出して、こう言い出しました。

「すみれ?お前の本当のお父さんは、もう居ないんだよ。
何処をどう探したって、ここにはもう居ないんだ・・・。
今まで、俺はお前を嫁に送り出すまではアイツの代わりをしようと心に
決めて、お前を引き取ったけれど、お前はもう、伴侶を見つけたんだから、
その人と居る事・・・その人と居る所がお前の居場所なんだから・・・。
もう、お前の名前も変わることが無いんだよ。」

養父は泣いていました。
突然、泣き出す養父を見て、私も、とてもビックリしました。
養父の気持は私が歩いてきた道で少しずつ、
理解できるようになって来ました。
最初の不倫で相手が離婚する話を続けていくうちに、
相手の子供を引き取るようになったら?と
自分に問いかけた時、その問題の大きさに自分でも、
「もし、そうなったら・・どうなるんだろう?
皆、キチンとやって行けるのだろうか?」と不安に思った事もありました。
養父も私を引き取る事を決断した時はまだ、若く。
きっと、自問自答した日々も在った事だと思います。
子供の頃、悪戯されたのは、あの夜、1度きりでした。
今でもハッキリと覚えていますが・・・・もう、終ったんだ・・・・とそう思いました。

「今まで、有難う御座いました。」

私は深く頭を下げて、嫁いでいきました。



私が結婚する前、一つ解った事がありました。
それは、婚姻届を提出する、戸籍抄本の中にありました。
実父の抄本を目にした時、母と私が籍から抜かれた後、
見知らぬ女の人の4人の名が、そこに書き込まれていました。
結婚と離婚を繰り返しても尚、彼には悲しいことがあり、
一人で逝ってしまわなければいけなかった孤独は
そこに載っていた誰にも拭い去れなかったのでしょう・・・・。
そして、私はある事に気がつきました。
私の戸籍にハッキリと養子縁組が記載されてありましたが、
親権は「母」になってありました。
後から、それを母に聞くと、
「お養父さんはね・・・すみれが何か間違った事をした時、自分が全責任を
取るって言ってくれたんだけどね・・・私がお前を側に置いておきたくて・・・
何かあるといけないと思って・・・2度目の離婚とか・・お見合いだしね・・」
そう言いました。
私は母にも養父にも感謝しました。

実父の死後、経営していた会社の実権は
全て私に委ねられる事になってしまいました。
5回も結婚を繰り返したのに実父の子供は私1人だけでした。
私はその権利を全て放棄して。
個人資産の中の遺産金だけを名義変更しました。
そのお金は、あの時、苦労した母に行くはずのお金でした。
それなのに、何故かココでのうのうとイビキをたてている
同居人に行く事になってしまいました。



「ファザーコンプレックス」


この言葉を聞いたのは、不倫が終わり祖父が亡くなり、
私の自立神経が加速度を増して発作が頻繁に起き、
掛かりつけの内科から、
初めて「精神神経内科」の門をくぐるのを勧められた時でした。
「なんで?精神神経内科?私は何処も可笑しく無い。」
内科の先生は、
「貴方は外見状、何処も可笑しく無いように見えますが、実はもっと、
深い所で病んでいると思います。」と言いました。
CTやエコーや24時間心電図も取りました。脳波も異常は見られませんでした。
整体にも行きました。ただの肩こりです。と言う割には発作は続きました。
諦めて精神科へ行くと、長いアンケートのような物を書かされました。
名前を呼ばれるのは割と早く、眼鏡を掛けた中年の医者が座っていました。
そこは普通の診察室ではなく長いテーブルが置かれた、
会議室のような部屋でした。
先生に症状を話すと、アレコレ質問されました。
その質問はとても長く、ウンザリしながら答えました。
そのうち、これまで在った事、出逢って来た人について、
誘導尋問のように話をしました。
2時間も3時間も、そこに居たと思います。
気がつくと、私は泣いていました。
子供の頃、あの教会で自分が仕出かした罪を懺悔するのに、
神父さんに話すような気持になっていました。
あの頃は、友達のお菓子を横取りしたり。
毎日、チョコレートを買ってくれないと駄々をこねたりした事でした。
でも、その時は違いました。
「堕胎」はクリスチャンの私には罪なのです・・・・。
先生は言いました。
「御祖父ちゃんが・・・貴方の中では偉大でしたね・・・・。
堕胎した時、御祖父ちゃんに、かばって貰えなかった事も、
気になさっているのではありませんか?」
それも一理あると思いました。
「ファザーコンプレックスが父に対しての物でしたら、貴方の場合、
グランドファザーコンプレックスですね。」
「ファザコンもマザコンもそうですが、皆、誰しもある事なのですよ。
余り、それについては考えないようにして下さい。
それよりも、この病気は表面上、責任感が強い人やストレスを
ストレスだと思わない人が、掛かりやすいと学会でも挙げられています。
安定剤が出ますので、暫くは発作が起きないでしょう。」
先生は、最後にこう言いました。
「依頼心が少し・・・・・強い傾向ですね・・・・。」
私は薬局から大量の薬を貰って帰りました。
貰った眠剤を飲むと暫くは眠れました。
でも、朝は憂鬱で仕方なく、仕事も少しの間は休みました。
2度目の診察は1ヶ月後でした。
同じように同じような事を話しました。
3度目の診察も同じでした。
何も変わりませんでした。
私は神経内科に行くのを止めました。
先生に・・・。
「私は病気ではありません。ただ、
この冷たい足を暖めて欲しいだけなんです。」
「御祖父ちゃんの様に・・・・ただ、私を暖めて欲しいだけなんです。」
そう言いたかったけれど、最後まで言葉が見つかりませんでした。
安定剤は持っていました。
何処に行くのにも片時も離さずに居ました。
でも、あの後、一度も服用しませんでした。
発作が起きても大丈夫・・・そう・・・薬は私のお守りでした。
でも・・・・・。
今は捨ててしました。まだ、沢山、持っていたけれど何処か・・・
結婚して子供が産まれる時、
引越しが重なって、その時、行方不明になってしまいました。
もう、薬はいらないと思いました。今も欲しくはありません。
でも・・・・・・・・・。
私を足を暖めてくれると思っていた同居人は、
一度も私の足を触ろうとしませんでした。
「足が冷たくて・・・・・・・・眠れない・・・・・。」
私が言っても、何度、言っても・・・・・・。
「冷たいから・・・・何で、足をくっつけるのよ! !」
そう言って、ただ寝返りを打つだけでした。

あれから随分、時間が経ったような気がします。
今、私はやっと・・・・・・。
私の冷たい足を暖めてくれる人を見つけました・・・・。
彼は私の体が冷たいと・・・。
「すみれ・・・・手も足も冷たいよ?・・・どうして、何時もこんなに冷たいの?
僕の足にくっつけるといいよ・・・・。足が冷たかったら何時でも
僕の足を絡めて眠るといいよ。」と笑って言います。
彼と一緒にいると、足も腕も・・・全部が暖かくて・・・・。
私を何時も陽だまりの中に連れて行ってくれる様な気がします。
あの日・・・何も疑わずに御祖父ちゃんと御祖母ちゃんとズット
一緒に居られると思っていた、あの頃に戻れるような気がします。
私は彼が欲しくて欲しくてたまりません。
今、この瞬間も、靴下を2枚履いてもまだ、冷たい私の足に、
そっと彼の足を絡めたいと、そう思ってしまう程に・・・・。
一生、彼が私の側を離れたりしないで欲しい・・・。
一生、私の他に、その足を誰かの体に絡めないで欲しい・・・。
一生、私だけの彼で居て欲しい・・・。
でも・・・・・・・・・・・。
私がそう思うことで・・・もし、それが現実の物になったとしたら・・・。
私の右手の火傷の跡のように、
誰かの心の中に傷を作ってしまう事になるのかもしれない・・・。
彼の子供にも・・・そして、私の子供にも・・・・。
私みたいな悲しくて寂しい子供が増えないで欲しい・・・・・・。
誰も傷つかないで欲しい・・・・・。
そう思うと・・・・。
又、罪の意識に苛まれてしまいます・・・。

グランド・ファザーコンプレックス・・・・・・・・・・。
御祖父ちゃん?
私は又、誰かに暖めて貰いたくて、
さ迷い続けなくっちゃいけないんでしょうか?






















どうか・・・・神様・・・・。

私の心の中の神様・・・・・。

私の罪を御許し給へ・・・・。

私をこの痛みから救い給へ・・・。

























<今日の出来事>



彼を無理矢理誘った。
どうしても逢いたいからと・・・・。
「どうしたの?何かあったの?」と心配そうな彼・・・。


そうじゃないんだよ。
折角、仕事の憂鬱から解放されたのにね・・・ごめんね。
余計な心配は掛けたくないんだけれど・・・・。


昨日も今日も・・・・。
日記を見てしまったの・・・。
ある人の日記・・・・。
両親に不倫をされている事を知ってしまった、
素直な人の日記を。




私達・・・・これから、どうなるんだろうね・・・・。




何処に行くんだろうね・・・・。



誰かを傷つけてまで、まだ、行かなくっちゃ行けなのかな?



ゴールなんて見えないね・・・遠すぎて・・・・。
どこら辺にあるのかも、全然、解らないね。


答えが無いって言ったよね・・・・。
でも、ホントに答えが見つからないんだよ。



何処を探しても・・・・・答えがなくて・・・・。
ごめんね・・・ごめんね・・・・。



無意識に無くしてしまったキーは
何時も知らないうちにヒッコリ顔を出して、
良かった・・・こんな所にあったよと時々、嬉しくなったりしたけれど・・・。


そんなに簡単には
この答えは出てこないみたいだよ・・・。


皆、苦しんでるんだね・・・。
誰かが誰かを必要としてて・・・。



ホントに・・・・・素敵な人は・・・・。
何時も人気者だったりするよね・・・・。




彼に最後に問うたけれど。

「すみれと僕との、環境とは又、違うから・・・・
余り感化されないで。」

と、それだけ言ってたよ。
自分が愛して止まない子供の事は何一つ語らなかった。






最近、ギュッとされると涙が止まらなくなる・・・。




私は何が悲しくて泣いているんだろう?
何が不満なんだろう?




こんなに、愛してるのに・・・。
こんなに、愛されているのに・・・。




何でだろう?
何でだろう?






++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

私の拙い、戯言のような日記を読んでメールしてくださった方々、有難う御座います。
全ての人に返信は出来ないかもしれませんが
、出来るだけ、御返事を差し上げたいと思っています。
ただ、すぐには御返事を出来ない事をご了承下さい。
コンプレックスを持っている事は悪いことでは無いと、
前に読んだ本に書いてありました。
でも、潜在意識の中に組み込まれてしまっている事を
取り除くのは容易ではないとも書いてありました。
3っ子の魂100迄と言いますから、子供の時に受けてしまった打撃は
尚更の事だと思います。
私が思うに、コンプレックスをコンプレックスと思わないで居るのと、
コンプレックスを抱えてしまっている事を自覚している人では
若干の違いがあると思います。
私は自分で無理にそれを取り除こうとはしていませんが、
克服出来るのであれば、克服したいとも思っています。
どちらにしろ・・・・それを引きづりながらも・・・
皆が幸せで居られる事を祈っています。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++





2002年06月17日(月) 今までの事<ファザーコンプレックス2>

10歳で家を出ようと決めた私はその後、何度も家出を試みました。
でも、小さな町です。
早々、遠くにも行けず、何時も仲の良かった友達の家に居る所や、
遠くに行こうと思っても3時間に1本来るか来ないかのバス停で発見され、
家に連れ戻されて養父からも、そして、母からも怒られ殴られました。
「人様に迷惑の掛かる事はやめろ。」
「そんなに家を出たいなら一人前に働けるようになってからにしろ。」
養父の言ってる事は当たり前の事でした。
そんなにオコズカイも貰っていなかった私が遠くへ行ける筈も無く、
私は一端、家出を諦めて15歳の春まで計画を練り直す事にしました。
15歳の時、私の計画は実行されました。
「この町とは別の高校に行きたい。」そう言うと、
「何でそんなに私から離れていってしまうの?」と母は泣いていました。
養父はアッサリと「可愛い子には旅をさせろと言うじゃないか。」と言って
母を慰めていました。
母も最後には諦めたのか、私の好きなようにさせてくれると言いました。
養父は一度、駄目と言ったら絶対、聞いてはくれない人だったので、
私の計画が養父の反対に合わないで良かったと胸を撫で下ろしました。
小学校に入学してから中学を卒業するまでの9年間、
私はゲームセンターも映画館も無い町で、
養父の言うことは絶対服従の家と、虐められて何が正しいのかさえ解らない
学校生活を送りました。
高校の入試試験に合格した時、これで私の本当の居場所に戻れる、
そう思いました。
そうです、私はあの子供の頃に住んでいた教会のある町に戻る事に
成功したのです。
養父が「寮に住みなさい。」と言いましたが、
私は事前に御祖父ちゃんに連絡をして、あの私の育った家で御祖父ちゃんと
御祖母ちゃんと3人で暮らす事を勝手に決めてしまっていました。

高校に行くと私は水を得た魚のようになりました。
御祖母ちゃんは毎朝、子供の頃と同じように髪の毛を束ねてくれました。
幼馴染との再会を果たし、バンドを組み、夜遊びを覚え、
男の子と付き合いました。
誰も私を虐めなかったし、私の寂しかった小・中学時代を知る人は、
その町には誰も居ませんでした。
高校に入り、素行が悪くなった私は2度程、停学になりました。
一度目は万引きでした。
友達の万引きの手伝いをして私のバックに沢山の洋服が入っているのを
お店の人に見つかったのです。
直ぐに養父が来て、私を殴りました。私は1週間、
御祖父ちゃんの家から元の家に連れ戻されました。
「恥知らず」
理由も聞かず養父は私に言いました。
停学が解けて御祖父ちゃんの家に戻ると、御祖父ちゃんは
「どうして、万引きなんてしたんだ?お前はそんな事をする子じゃなかっただろ?」

と優しく聞いてくれました。
理由を話すと
「友達の事を話してはいけないよ。罪はお前一人が被ればいい。
ユダのようにキリストを裏切ってはいけないよ。」と言いました。
私はクリスチャンでしたが聖書は完読も熟読もした事がありません。
高校に入り益々、日曜の礼拝には出ませんでした。
ユダという人がキリストを裏切った事は知っていましたが、
その理由は今でも知りません。
御祖父ちゃんは私の信仰が薄い事をとても、悲しんでいました。
それでも、私に信仰の強制はしませんでした。
2度目の停学は学校で煙草を吸っているのが見つかった事でした。
又、養父が迎えに来ましたが、御祖父ちゃんは私を実家には帰らせませんでした。
養父には「貴方も煙草を吸っているでしょう?この子に叱る権利は無いですよ。」
と言い養父を帰らせた後、家中の灰皿を片付けて。
「一緒に煙草をやめよう。」と言いました。
一週間が経った時「やっぱり、やめられなかったね。」と二人で笑いました。
私は病気入院の為、1年間を無駄にした後、高校を卒業して、
進学の為に今、住んでいる街に出ました。
最後に荷物を片付ける時、御祖父ちゃんは私に聖書と自分の
ロザリオを渡してくれました。
そして・・・・・、
「お前の心の中の神様がずっと、お前を守っているからね、
素直に生きなさい。
自分に正直になりなさい。
辛くなったら何時でも帰って来ていいから。
祖父ちゃんは何時でもここに居るから。」
と言い送り出してくれました。

私は進学をして一人で生活をし、恋をたくさんして笑い、
何時の間にか学校を卒業をして、就職をしました。
一人で居るのが寂しくて同棲を繰り返し、
そして21も歳が離れた人と一緒に居て、
「堕胎」という悲しい出来事が待ち受けていました。
母は「父親が側に居なかったから、こんな年上の人を好きになったの?」と
私に聞きました。
その時まで、私の頭の中には『父』という存在がスッポリと抜け落ちていました。
私が子供を産めず、自律神経が可笑しくなって、色々、考えた事は・・・・。
何故、私がここに居るのかという事でした。
私は自分の手で、自分の子供の存在否定をしてしまいました。
男の子だった我が子・・・・。
今、ここにその子が居たら、幸せだっだろうか?
それとも、不幸せだっただろうか?
そう考えたら、私を捨てた実父にどうしても逢いたくなりました。
暫く死んだように暮した後、母に一言、
「お父さんに逢いたい」と電話をしました。
母はすぐに実父に連絡してくれ、私は実家に近い町で彼に逢う事が出来ました。
22年振りの再会でした。
彼は私によく似ていました。
無口な彼は余り話さず、
私も「どうして、私を捨てたの?」とも聞けず、
ただ私に3万円を渡すと「お母さんを大切にして下さい。」と言って
又、普段の生活の中へ戻って行きました。
「弱い人だから・・・・・。」父の事をそう言う母を見ると、
もう昔の母の面影は無く、沢山のシワが顔にありました。
帰りに御祖父ちゃんの家に寄って顔を見て行こうという事になり、
何時もの通り教会へ行ってみると、
御祖父ちゃんは今まで見たことも無い顔で怒っていました。
父と逢った事も詰られました。母も黙って話を聞いていました。
でも、それよりも私が堕胎した事がショックだったらしく、
「命を粗末にして、いい大人が何をしているんだ。」と
私が御祖父ちゃんの家を後にするまで笑顔を見せてはくれませんでした。
それから1年半が経ち丁度、私が不倫相手との別れを迎えようとしていた時でした。
母から突然電話が掛かってきました。





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「ペースメーカーを入れるのに胸を開いたらね、
癌細胞がもう肺や甲状腺に広がっていたよ・・・。」
「末期だって・・・・」母はもう、涙声でした。
「絶対、死なない・・・・絶対、死なせない・・・・」
それから直ぐに私は御祖父ちゃんに逢いに行きました。
その頃はまだ、自分で立って歩いていましたが、
何時もは凛としている人なのに、「疲れた」と言って、
横になっている事が多かったようでした。
私は自分の街に戻ると、しらみつぶしに本屋を廻り、癌が治った人の本を
買い漁りました。
そして、不倫相手と別れた後に自立して生活しようと思って貯めていた貯金を
全部、使ってプロポリスという薬を買いました。
御祖父ちゃんに頼まれていた「長い河」という狐狸庵先生のハードカバーの本と
プロポリスを送ると、
母から「寝返りも打てなかったのに、体がポカポカして少し自由に体を
動かせるようになったって言ってたよ。すみれに有難うって言ってた。」
と聞き少し安心していました。
御祖父ちゃんが「有難う。」と言ってくれた事を聞いたのは春でした。
それから、暫くして私の御祖父ちゃんは秋に亡くなりました。
それでも、3ヶ月と言われていた命が半年持ちこたえました。
私はすぐに教会へ戻りました。
帰省する汽車の中で、まだ教会の片隅で蝋燭台のススを拭いている
御祖父ちゃんが居るような気がしました。
でも、御祖父ちゃんは小さくなって眠っていました。
私は長い手紙を書きました。
「私も何時か逝きます。
その時に地獄に落ちなければ、
どうぞ私の手を引っ張って下さい。
御互い、こちらに生まれおちた時はどうか、又、
私の御祖父ちゃんで居て下さい。
又、何処かで逢いましょう。
私は貴方の孫として生れてこれて幸せでした。」
そんな事を書いたと思います。
御祖父ちゃんが毎日、書いていた日記を読むと、
癌の痛みの為にペンが持てなくなった日が解りました。
読みたいと言い、送ってあげた本も3分の1の所でしおりが挟まったままでした。
日記に私が御祖父ちゃんに逢った最後の日の事が書かれてありました。
「すみれも・・・何時の間にか大人になった。
自分の事は自分で責任を持てるように立派な人になって欲しい。」
「何時の間にか自分も歳を取ったな・・・・」
そう書いてあるのを読むと涙が溢れてきました。
お通夜の前夜に私は右側のドライアイスを除けて、
御祖父ちゃんと一緒に眠りました。
従兄弟の子が「そこで寝るの?」と言いましたが、
誰も私の事を咎める人は居ませんでした。
御祖父ちゃんの体はドライアイスを除けても、とても冷たかったです。
もう、私を暖めてくれていた足も氷の様でした。
寂しくなって又、泣きました。
お通夜の日に御祖父ちゃんは見た事も無い白い祈祷服を着て、
大きなロザリオを首から下げて棺に納められました。
棺に釘を打ちつける前に私は読み掛だった本と長い手紙を御祖父ちゃんの横に
置いて、そっとおでこにキスをして、さようならを言いました。
それが、ずっと父親の代わりに、世の中の矛盾や深い悲しみから私を守り、
盾になってくれた人との最後のお別れでした。




<今日の出来事>


一週間ぶりに彼に逢いました。
割と早い時間でしたが、「何処に行く〜?」「何処に行こうか?」と仕切りに何かを

訴える彼。
でも、何だか仕事の事が胸に引っ掛かって、そんな気分じゃない・・・・。
彼は私に「僕はこう思う。」と言う事はあっても、強制や押し付けを絶対しない。
私の気持を察して彼が食事前だった事もあり、
ファミレスに行って仕事の話をしてくれる事になりました。
私は仕事の資料を持って・・・。
彼が「一緒に食べよう」と言ってピザを食べました。
仕事の話。彼は一生懸命、細かい事や自分がやって来た事を話してくれた。
そう言えば、my追加してくれた日記作家さんもこう言ってたっけ・・・・。
「実践じゃないと解らない事もあるよ。」
彼にも言われたけれど・・・・・私情が挟むのか素直に受け取れなかった。
その、日記作家さんのdiaryを全部、読んだ。
とても、心が爽やかになるような日記だった。(有難うスクエアさん。)
その御蔭か穏やかな気持で彼の話に耳を傾けられた。
納得・・・とは行かなかったものの、やっぱり、自分で勉強しなくっちゃと
再確認しました。
人に物を伝えるのが上手く行かなくて、今まで腹がたったら投げ出して来た事が
多かったけれど、
キチンと考えるチャンスが巡って来たんだと思うようにします。
人はテレパシーを使えない、「言葉」を使わないと解り合えない、
だから尚更、思い悩んで選んで、
そして言葉を使わなくてはいけないんだと思いました。
これから、私がどれだけ頑張れるかで、私の今後が変わるんだと何か初心に
戻った気分でした。

帰りにやっぱり寄ってしまいました、ラブホ・・・・。(;^_^ A フキフキ
御風呂に入って色々、話をしました。
ラブホに行ってもリラックスして彼と話をするバスタイムが一番、楽しかったりして・・・・。
今日は御風呂に入る前、
一人で鏡を見ながらシャワーキャップで遊んでいたら、
彼が何をしているのかと思い、脱衣所のドアを急に開けました。
「何、してるの?」と聞かれてビックリして振り返った私の姿は、
全裸にシャワーキャップを鼻の下まで被った御馬鹿な姿。(笑)
「宇宙人みたいだよ。」と彼も、一人遊びをしている私の事を笑っていました。
「僕も一人で、そういう事をする時があるよ。」と言う彼。
普段の彼の姿からは想像出来ないので、今日はシャワーキャップを
被らせて見ました。
御互にシャワーキャップは全然、似合わなかったです。
御風呂で何時ものように話をして居て、時間を見たら、もう休憩が終る時間。
でも、金額表示が変わっていなかったので
「5分間は料金変わらないんじゃない?」と彼に言うと、
「そんな事、あるのかな〜?」と言う彼。帰る用意をしているとイキナリ表示が
跳ね上がりました。
「あぁ〜」とガックリの2人。「やっぱり、5分間は猶予があるんだね〜」と
又、一つ勉強になりました。
家の近くまで送ってもらうと「後、10分だけ話をしよう〜」と言って車を近くに止めて・・
又、ギュッとしてしまいました。
覚え始めたばかりの子供でも無いのに・・・・・・。
どうして、こんなに求め合うのだろうと不可思議でたまらないです。




2002年06月16日(日) 今までの事<ファザーコンプレックス1>



私は物心がついた時にはもう、「父親」と呼べる人が側に居ませんでした。
子供の頃、父親の事を覚えている記憶といったら、たった1日、
それも薄っすらとした面影しか残っていません。

その日、保育園から戻ると普段、家には居ない父が私の目の前に居て、
嬉しくて嬉しくて、習ってきたばかりのラジオ体操を父の前で披露していました。
笑顔で私の事を見ていてくれて居る父の事が本当に嬉しくて、
「ホラッ凄いでしょ?パパが居ない間、私、こんな事も出来るようになったんだよ〜」
と真剣に大きく手を振り上げながら体操をしていました。
その時・・・・私の手はすぐ隣にあった灯油式ストーブにピタッと張り付いてしまいました。
えっ?と思った瞬間「ぎゃゃゃゃゃゃゃー」と私は泣き叫んでいました。
母も父もビックリして台所で水を流し、私の手を冷やしてくれましたが、
皮膚が剥がれて真っ赤になった手を見て父は、
泣きじゃくる私を、背中におぶって夜だというのに
近くの病院まで走って連れて行ってくれました。
「焼けどの跡は残りますが、指が癒着したりする事は無いでしょう。」と
医師に言われ、私達は自宅に戻ってきました。
私も病院から帰ってくる頃にはもう、泣き止んでいたと思います。
沢山、泣いたせいか眠くなった私は母と父の間でウツラウツラとしていました。
「昭憲さん、せっかく帰ってきたのに、こんな事になっちゃってごめんなさい。」
母の声が聞こえてきました。
「女の子だから、跡が残るのは可哀相だな・・・・・」
聞きなれない声でしたが、私は父が横に居る事を確認して
深く眠りに落ちていきました。
次の日、私が起きた時にはもう、父は居ませんでした。
そして、2度と父は私の元に戻ってきませんでした。
或る日、母が私に「今日から名前が変わるからね。」と言いました。
私は何の意味か解らず、保母さんに、
「今日からね〜すみれは、すみれじゃなくなるんだよ。」と言ったそうです。
その頃、御祖母ちゃんが父の悪口を言っていたのをよく聞いていました。
母と住んでいた、隣の家の御友達がお父さんと遊ぶ姿を見て
羨ましかったのも、その頃からでした。
母は、その頃、クィーンサイズのベットで私を寝かしつける時、
よく私を抱きながら泣いていたのを覚えています。
「ママ、どうして泣いているの?」と聞くと
「すみれはママとずっと一緒に居るでしょ?」と母は何度も言っていました。
或る日、家に戻ると昨日まで家にあったベットが無くなっていました。
「ママ・・・・すみれとママのベットは?」と聞くと
「大きすぎるから捨てたんだよ。」と母は言いました。
私が多分、3歳の後半か・・・4歳になったばかりの頃でした。

父が居なくなって、母が働き出した代わりに私は前よりも
御祖父ちゃんと御祖母ちゃんの家に居る事が多くなりました。
御祖父ちゃんの家・・・・・それは教会でした。
御祖父ちゃんは伝教師で母も私も生まれて直ぐに洗礼を受けて
クリスチャンになりました。
御祖父ちゃんはとても、厳格な人でした。所謂、昔かたぎというような感じの・・・。
でも、私には違っていました。
ある時、私は御祖父ちゃんに聞きました。
「どうして、お友達にはパパが居るのに、すみれには居ないの?」
「パパは居なくても、すみれには、じいちゃんが居るよ?じいちゃんは嫌かい?」
と言って御祖父ちゃんは私を慰めてくれました。
親類の叔母さんはそんな御祖父ちゃんと私を見て、こう言いました。

「すみれちゃんは可愛いけれど・・・・・・パパにそっくりだね・・・
御祖母ちゃん方のほうにも似てないし、御祖父ちゃん方の親戚にも似てないね・・・。
やっぱり、パパの家の人達とソックリだよ・・・・・。」

私は一人だけ仲間はずれにされているようで、子供心にとても寂しかったのを
覚えています。
それでも、私は保育園から戻ると何時も御祖父ちゃんにベッタリでした。
お気に入りの時間は御祖父ちゃんの膝の上に座ってGメン'75を見ることでした。
少しお酒臭いのと煙草臭い御祖父ちゃん、でも、とても安心していました。
夜、眠る時も御祖父ちゃんの布団に入って一緒に寝ていました。
私の足は何時も冷たくて毎日のように御祖父ちゃんの足と足の間に、
私の足を挟んで暖めて貰いながら眠りました。
母が居なくても御祖父ちゃんと御祖母ちゃんが居れば安心でした。
御祖母ちゃんはその頃、まだ働いていて生命保険会社の外交員をしていました。
時々、御祖母ちゃんの仕事に着いて行くと「娘さんですか?」とお世辞を言われて
喜んで居た、御祖母ちゃんを見るのが嬉しかったりもしました。
その頃、母とは何週間も会わずに居た事もありました。
昼間は事務員として、夜は御茶と御華と御琴の先生として働き、
生計を立てていた母は、
きっと、自分の事で精一杯だったんだと思います。
時々、母と会えないのが寂しくて泣いていると、決まって御祖父ちゃんは、
「エンエン泣いて悪い子にしているとママはすみれを迎えに来ないよ。
キチンと良い子にしてると沢山、お土産を持って迎えに来てくれるからね。」
と御祖父ちゃんは私に言っていました。
「チョコレートも持ってくる?」と聞くと「うん、すみれの好きなチョコもきっと、

持ってきてくれるよ。」と御祖父ちゃんは笑っていました。
私はそれでも、幸せでした。
母と会えなくても私はここで、御祖父ちゃんと御祖母ちゃんと一緒に
大きくなって行くんだと思っていました。


私は・・・・その日まで私の人生が大きく変わる事を知りませんでした。
それは本当に突然でした。
或る日の朝、目覚めると何時もと違う家の雰囲気に「どうしたんだろう?」と
思わざるを得ませんでした。
家の隣にある教会には沢山の黒い服を着た人達が集まっていました。
日曜日に礼拝に来るオジサンやオバサンも、
その日は綺麗に着飾っていました。
御祖母ちゃんは着物を着ていました。
御祖父ちゃんは礼拝で着ている祈祷服よりも豪華な飾りのついた
黒い祈祷服を着ていたと思います。
私は何時もよりも素早く御祖母ちゃんに髪をとかされて、
大きなリボンをつけて貰うと、黒くて可愛いミニドレスを着せられました。
御祖母ちゃんに手を引かれ一緒に教会の中に入ると
奥の部屋の椅子に母は座っていました。
まるで、マリア様のように母は笑って私を見ていました。
でも、私は母が遠くへ行ってしまうような気がしました。
私は母にも捨てられるんじゃないかと思いました。
母の横には見た事も無い女の子と、一度だけ会った事のある
変なオジサンが居ました。





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「ママ、何処かへ行くの?」と私は聞きました。
「すみれ・・・ママは何処にも行かないよ。
それよりね、今日からこの人が、すみれのお父さんだよ。」
母は私にそう言いました。
養父に会うのはこれで、2度目でした。
最初に会った時も、この日も養父は私に笑った顔を見せませんでした。
母の横に居た女の子とバージン・ロードを歩く母のウェディングドレスの裾を
持ちながら歩きました。
それはとても、ゆっくりとしていて私はウンザリしました。
途中で御腹が痛いと嘘を吐いて、持つのをやめました。
御祖母ちゃんが心配してくれて御腹を擦ってくれた事・・・、
心が苦しかったのを覚えています。
式が終った後、綺麗な祈祷服を着た御祖父ちゃんが、
私を抱きかかえて誰も居ない、
駅から教会へ続く道に連れて行って、こう言いました。
「すみれ・・・・・・ママと一緒に行くかい?
それとも、祖父ちゃんと祖母ちゃんと一緒に、ここに居るかい?」
「イヤだ・・・・・・・・・御祖父ちゃんと御祖母ちゃんと・・・
ママと皆で一緒に居る・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そう私が言うと御祖父ちゃんはとても、困った顔をして、
少し考えた後、私に言いました。
「皆で一緒には居れないんだよ?祖父ちゃんと祖母ちゃんは
すみれと一緒に居たら嬉しいけどね。ママは悲しむと思うよ。
すみれはママを悲しませたくないでしょ?」
「うん・・・・・。」
「じゃ〜ママと一緒に行きなさい・・・・・。」
御祖父ちゃんはそう言いました。

それから、私は暫くして引越しの荷物達と一緒に別の町へ行きました。
丁度、私が小学校に入学する頃でした。
新しい家に着くと新品の机とランドセルとピアノと2段ベットが用意されていました。
教会で母の隣に居た女の子も、はにかみながら待っていました。
4歳離れた、その子はとても、素直な子でした。
私に突然、妹と呼べる人が出来ました。
初めて新しい家に行った次の日、私は養父に怒られてしまいました。
家の壁にクレヨンで落書をしようとした私に「コラッッ! !」と言う人が居るので、
後ろを振り向くと鬼のような形相で私に怒鳴る養父がそこに立っていました。
私は御祖父ちゃんと御祖母ちゃんの家に居る時、怒鳴られた事がありませんでした。
母と私の家にあった、熱帯魚の水槽を置いてあった壁には
一面に私のライオンの絵とただ、グルグルとクレヨンで書いた絵がありました。
褒められる事はあっても、それを怒る人は誰も居ませんでした。
私は何で養父に怒鳴られなくっちゃいけないのか解らず、
後から母に、その事を告げると「壁に落書をしちゃ本当は駄目なのよ。」と言いました。
私の常識も突然、変わって行きました。
そして、養父の笑った顔も随分、後にならないと見られませんでした。
引越しをしてから、すぐに小学校へ入学しました。
へき地3級のその町で、私の入学した学校の新入生は、
私を含めて4人でした。
その内、女の子は私1人だけでした。
御祖母ちゃんが買ってくれた、お気に入りのジャンバースカートを着て、
エメラルドグリーンのスカーフを首に巻いて学校へ行くと、思い切り虐められました。
同級生の男の子はもちろん、上級生の女の子にも
「お高くとまってる」と訳の解らない事を言われました。
泣いて家に帰ると養父は「どうして、やり返さなかったのか!!」と
怒っていました。
母に「私にジャージを買って下さい。」と言いました。
買って貰ったジャージを着て学校に行くと
「お前のはアディダスでもプーマのでもない」と言って又虐められました。
母にそれを言うと、養父と同じように
「どうして、やり返さなかったのか! !」と怒られました。
母は前のような優しい母ではありませんでした。
養父の家は自営業で人を沢山、使っていました。
本宅の他に番屋という家があり、そこで働いてる人が寝泊りをしたり、
食事をしたり、仕事をしていました。
母は本宅と番屋を行ったり来たりして、目まぐるしく働いていました。
母はいつの間にか「ママ」ではなく
「おかみさん」と呼ばれる人になっていました。
時々、本宅に居ても妹の世話に追われて私を一人ぼっちに
する事が多くなりました。
そして、私もいつの間にか「お姉ちゃんなんだから・・・・」と
言われるようになりました。

新しい家に引越しをしてから1年くらい経つと私の体に沢山、湿疹がでるように
なりました。夜になると背中が痒くて眠れませんでした。
病院に行って薬を貰っても治りません。
母に「背中を掻いて」と言っても、薬を塗ってくれるだけで
「自分の部屋に行って寝なさい。」と言って、一緒に眠ってはくれませんでした。
或る日、私が2段ベットの上で眠っていると養父が子供部屋にやってきました。
2段ベットの下に寝ている妹はもう寝息を立てていたと思います。
妹に布団を掛けなおす衣擦れのような音を聞きながら、
私はウツラウツラとしていました。
養父が私の体に近付いてきた時、私は
「布団を掛けなおしてくれるんだ〜」と思っていました。
でも、養父の手は私のパジャマのボタンを外していました。
「どうしたんだろう?湿疹の具合でも見てくれるのかな?」
そう思っていた私の考えは一気に崩れていきました。
養父は私の膨らみ掛けた胸を揉み回しはじめました。
私はビックリしましたが、ただ怖くて何も言えませんでした。
養父がパジャマのズボンに手を掛けた時、私はやっと「やめて!!」と
声にしました。養父もハッとして、手を止めました。
そして、怖い顔で「お母さんには言うなよ。」と言って子供部屋を出て行きました。
その直後、私にもう一人の妹が出来ました。
私が9歳になった、すぐ後でした。妹はとても、可愛い女の子でした。
養父と母の可愛がり様も並大抵ではありませんでした。
私は益々「お姉ちゃんなんだから・・・・」と言われる様になりました。
湿疹はそのまま治らず、私は夜になるとイライラするようになりました。
下に寝ている妹を無理矢理起こして泣かせたり、
何時までもテレビを見ていました。
その度に養父と母に怒られました。
或る日、車で片道2時間以上も掛かる皮膚科から総合病院へ
病院変えをすると、私の湿疹はピタリと治り、
あんなに痒かった背中も綺麗な肌になりました。
診断結果は「自我中毒」というものでした。
母は少しの間、私と一緒に添い寝してくれましたが、
妹が小さいかったので、それも長くは続きませんでした。
御祖母ちゃんから手紙が来ました。
他愛も無い内容でしたが母に勧められて、遣り取りを手紙でする事になりました。
その時の私は母に添い寝をして貰うより、御祖母ちゃんと文を交わすより、
湿疹が体に出て食事制限をされていた、牛乳やバターや脂の乗った魚や
牛肉を食べられる事の喜びの方が大きかったように思います。
小学校の夏休みの宿題で両親の結婚の馴れ初めを聞いて
自分が生まれるまでの事を作文に書く宿題が出されました。
私はそこで、「お見合い」と言う言葉を初めて知りました。
母と養父は時々、大きな喧嘩もしました、
養父側の御祖母ちゃんも御祖父ちゃんも一緒に暮らして居て、
後妻としての折り合いのつけ方も上手く行ってなかったのかもしれません。
それでも、喧嘩の無い時は仲の良い夫婦でした。
顔に似合わず養父は子煩悩な人でした。
自営業でナカナカ休みは取れませんでしたが、
よく妹と母を連れて動物園や温泉に連れて行ってくれました。
母も妹もよく笑っていました。
それは、普通の家庭の幸せな光景でした。
でも、私は養父が私にした事を忘れていませんでした。
私はここに居ちゃいけないんだな・・・・・とずっと考えていました。
「家を出よう。」
そう、考えたのは私がまだ、10歳の時でした。




<今日の出来事>


今日は休日。
同居人も子供も家に居ます。
昨日の疲れなのか、2人とも御昼寝を何時間もしていました。
「これでもか〜!!」と寝ている二人を前にして。
「何時間、寝てれば気が済むの?」と思い、
夕方になって子供の物を買いに出掛けました。
先日から同居人は交通違反をして免停になってしまった為、私が運転。
何ヶ月もこれじゃ〜イヤになる・・・・。
家に帰ってメールチェックすると彼からメールが1件。
「これから、切れてしまった車のライトを買いに行きます。
今、電話出来るかな〜?」
「しまった・・・・・。」
買い物も早めに終わらせてきたつもりなんだけど・・・。(;^_^ A フキフキ
時間を見ると30分前、同居人が別の部屋へ行ってる間、
電話を掛けるけれど彼は出ませんでした。
先週は火曜に逢ったきり、ずっとローテンションだったので、
又がっくり・・・・。
御飯を食べさせて、子供に添い寝をしてあげて、
日記の更新をしていたら、深夜にメッセが繋がる。
でも、私はまだ、憂鬱・・・・・。
仕事の事は「初めての事だったから仕方ないよ。」と慰めてくれるけれど、
私は私自身に納まりがつかない・・・・。
友達は「責任感が強いからね〜。」と言ってくれる・・・・。
やっぱり、何もかもが負けず嫌いなんだろうか?



2002年06月15日(土) 今までの事<朝帰りと辛い恋>


彼との小旅行から戻る最後の朝、私に彼がこう言った。
「やっぱり・・・・浮気は認めてあげる事が出来ないよ。」
「すみれの気持は解るけれど・・・僕の我侭を許して。」

我侭を言っているのは私のほうだった。
でも、私は自分の気持ちをどうしたら良いのか解らなかった。
ドンドン、彼の事が好きになる。
私の心の中で自分の生活と彼への気持ちの比重が狂い始めている・・・。
彼は私の心の中に住んでいて、日に日に何をしていても彼の事を想う割合に
もう、押しつぶされそうになっていた。
これから、どうしたら良いんだろう・・・・。
これから、どんな風に付き合っていけば良いんだろう・・・・。
こんなに好きなのに・・・・・彼には家族が居る。
守らなければいけない人達。
私にも・・・・家族が居る。
でも、私の事を守る人は誰も居ない。
きっと、段々・・・・彼に頼ってしまう。
頼ってはいけない人。
もう、これ以上、好きになってはいけない人。

彼から長いメールが来た。


「すみれは、どうしてそんなに急ぐの?僕が逃げてしまうわけでもないのに、
どうして我慢してくれないの?
前にすみれと話した時、付き合い方のスタンスは、お互いに認識して
確認したと思ってた。ふたりのために、お互い、いろいろと
知恵を絞って付き合っていこうって・・・。
僕は僕なりに一生懸命、すみれに応えたくて、頑張っているつもりだよ。
すみれも頑張ってくれていたし・・・。
ごめんね。そんなことを言っても、すみれはもっと複雑な心境なんだよね・。

僕は・・すみれと付き合い始めて、いろいろ変化したよ。
チャットを始めて、会社からの帰りが遅くなったり、
朝までチャットをやるようになった。
家族からは帰りが遅いとか、夜中までネットをやってるとか
罵られたりされたけど、
それは僕がすみれといつも繋がっていたいから。
家族になんと言われようと、続けたかったから・・・。
デートして朝帰りの時も、カミさんから何を言われようと我慢してきた。
もう何もつながっていないカミさんより、すみれと逢いたい気持の方が
強かったから。
僕の朝帰りがね、カミさんの友達の中で話題になったんだ。
「浮気じゃないの?」って。
カミさんは「そんな事できる甲斐性があるわけない」って、
僕が「もし浮気だったら?」って聞いたら、
「いいよ、慰謝料いっぱいもらうから」って。
「どうせ居ても居なくても同じでしょ」って。
「給料さえもらえばいいから、実家で親父と一緒に暮らせば」って。
でもね、すみれにはそんな事、言いたくなかった。
だって、愛する人がダメ男なら嫌でしょ?

すみれが思うほど、僕はいい旦那でもないし、いい親でもないんだ。
ましてや幸せな家庭ではないんだよ。
「家族は大切」って言ったのは、子供の事だよ。
子供がいるすみれならわかると思うけど、
子供には辛い思いや悲しい思いをさせたくないでしょ。
「すみれも大切・・・」って付け足したように言ったのは、
その辺の迷いがあったから・・・・・
「浮気がバレて、家族と私とどっちをとる?」って聞かれて
すぐに返事を言えないのも、その辺の迷いがあるから・・・・
素直にはっきり言えなくて・・・・・・・許してね。

昨日はごめんね。涙を見せちゃって・・・。涙・・・久しぶりだった。
おふくろを亡くした時以来。
ましてや、今まで人を愛して涙を流した事なんて、一度もなかった・・・・・。
あれはね、すみれと前に話し合って、お互いに上手く行くように確かめあったのに、
すみれは浮気の事、忘れていなかった・・・。それの悔しさ・・・。
それは僕がすみれに対して十分に応えられない悔しさでもある。
それと、すみれが苦しんでいるのが、とても悲しかった。
そしたらね、涙・・・自然に溢れでてきちゃった。

旅行ね、楽しかった〜
特にね、御祖母ちゃんちに連れて行ってもらったでしょ。
そこですみれの友達に会わせてもらったことがね、嬉しかったよ。
最初は戸惑ったけど・・・
なんかね「私の彼」ってすみれに認めてもらっているようで嬉しかった。
すみれが青春時代を過ごした街・・・「あっ、あそこの店、まだ残ってる」って
言うたびに、すみれの昔を想像してたんだ。
でも、おばあちゃんの家でご飯をごちそうになるなんて、思ってもみなかった。
すみれが言うほど、おばあちゃんはおっとりしていなかった。
あのね、気丈なところが、すみれにそっくりだって。
きっとすみれがおばあちゃんになったら、あぁなるのかなって思ってた。
すみれが初めて美味しそうにご飯を食べているところを見たよ。
そして、すみれの幼い時が垣間見られたよ。
きっとね、天真爛漫で、ワガママは言うけど、感じやすい子供で・・・
でも、街中を元気良く駆け回っていたんだろうなって・・・。
すみれがね、死んだらこの土地に戻りたいって言ってたでしょ。
僕にはふるさとがないから、そう言えるすみれがすごく羨ましかった。

僕はすみれを愛してる・・・。今は、どうしようもなく、愛してる・・・・・・。
すみれの事、もっとゆっくり愛したい・・・・・。」

(見る人が見たら、「なぁ〜んだ、ただの言い訳じゃない! ?」
と思われるかも知れませんが、この時はこれが私達の真実の現状です。
そして、それは今も変わっていません。
気持は繋がっていても・・・・何もかも、まだまだ打破、出来ていません。
出来るかどうかも解りません。そして、それは私達にとっては
とても、悲しい事です。)


又・・・・・。
涙が溢れた。
子供が居るから・・・泣いてる私を見たら一緒に泣いちゃうから・・・。
でも、涙は止まらなかった、子供をギュッと抱いて涙が止まるのを待ちました。

彼も私も御互い、愛し合っているのは紛れも無い事実で
互いを必要としているのに、どうしても一緒にはいられない・・・・。
でも、それは私の勝手な我侭・・・・。
自分で自分の気持ちを整理出来なくて浮気をしたいと言うのも、
私の我侭・・・・・。
彼は私と居る時、泣き言は一切、言いませんでした。
家の人とのイザコザや、家庭での自分の事も・・・・。
このメールを読むまで家で彼が罵られている事も知りませんでした。
彼は割りと早く家庭を持った人でした。
仕事も忙しくしていたと思います。前の不倫の事もありました。
でも今まで、こんな風に連絡もしないで朝帰りした事は
一度も無かったと言っていました。
私と付き合い始めて、予定していた時間に家に帰れない事がありました。
私が彼と離れるのを躊躇うからです。

「離れるの・・・・・寂しいょ・・・・」

そんな事を言う私に彼は何時も優しく、こう言ってくれていました。

「離れるわけじゃないよ・・・・すみれとは何時も繋がっているんだよ。
今日は御互い別々の所に帰るけれどね、今日の次には又、次があって、
その次には又、次があるんだよ。」

でも、そう言って私を納得させてくれる間にも彼の帰る時間は
遅くなっていきました。
遅ければ遅くなる程、家に帰ったら罵倒させらていたはずの彼。
だからといって「家に帰らなくっちゃ・・・。」とは言いませんでした。
それは私を気遣っての事だと、この時、気がつきました。

その日、深夜のメッセで彼が言いました。
「長く付き合っていく中では御互い、我侭を言う時もあれば
我慢しなくっちゃいけない事もあるよね」
私は彼に、「私は・・・我慢強くは無いです。」と言いました。

「その分・・・すみれの分まで僕が頑張るよ」と彼が言いました。

そして、

「家の人には何を言われても、もう良いんだよ・・・すみれの事が好きだから・・・」

「でも、僕が我慢しなくっちゃいけない事がすみれの浮気だとは思っていないから・・・」

と言いました。

「色々、考えて我慢してみたんだけれど・・・・、一緒に居られないからといって

僕への気持を否定して他の男と浮気するなんて・・・・
僕は、すみれの事が好きだから・・・・
他の男と一緒に居る、すみれの姿を想像したくない。
だから・・・・僕はすみれの浮気を許せない・・・ごめんね。」

と最後に彼が言うと私は、
「もう、いいよ。」
「浮気はしないから・・・しないじゃなくて・・・ホントは出来ないから・・・・・」
と言いました。
実際、気持の分散をしようと思って、浮気をするとは言ったものの、
こんなに彼の事が好きなのに他の人へ気持が移行するはずも無く、
それは私が、彼の家の人への嫉妬心の表れでしか過ぎなかっただけでした。
少しでも、私のように彼にも嫉妬してもらいたいとそう思った私のエゴでした。

私は彼が「浮気したい」と言う私の発言に対して、強く否定してくれた事を
とても、感謝しました。
いくら、不倫の関係とはいえ、本当に相手の事を想っているのなら、
相手を誰にも取られたくないと思う心理は普通の事だからです。
彼が本当に素直な人で感謝しました。

私達は何でも話し合えるように約束しました。
何時も、ちっぽけな事で躓かない様に・・・・。
私達の関係はほんの些細な事で壊れてしまいそうな危うい関係です。
でも、気持が強く繋がってさえ居れば、
どんな困難な事でも乗り越えて行けそうな気持になります。
それは私が「堕胎」という悲しい過去で無くしてしまった大切な気持を
一つずつ一つずつとても、ゆっくりと・・・・
本当にゆっくりと取り戻す事と似ていました。

メッセで彼と話して御互いに納得をした後、最後に私は彼に、こう言いました。
「あのね・・・・・明日ね・・・・・・私を連れて行って。」
彼はこの私との旅行のすぐ後に又、出張に行く事になっていて、
何も予定の無い私に一緒に行けたら良いね、と言ってくれていました。

次の日の朝、私は子供と一緒に彼を待っていました。
道中はまるで本当の幸せな家族の様でした。
彼の、その日の仕事は観光地の中でのもので、
自然と私達の泊まる場所も温泉ホテルに決まりました。

でも、そこで私は見てはいけないものを見てしまいました。
私は変に記憶力の良い女で、自分にとって、どうでも良い事は
何度、言われても忘れてしまうのに、
どうしても、自分と切っても切り離せない物は何時まで経っても忘れない
というような、変な癖を持っていました。
そして、そこで見てはいけないものを見てしまった私が、
その後、とんでもない事を仕出かすのを、その時は私自身
そして・・・誰も知りませんでした。





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<今日の出来事>


今日は子供の初運動会でした。
小雨が降りそうだったので体育館の中で行う事になりました。
徹夜気味で作った御弁当の出来はバッチリでした。
から揚げを見て、子供が朝から食べたそうにしていたので少し多めに
作っておいた分を食べさせました。
「一等取れるといいね〜♪」と言うとニコッ(⌒∇⌒) としていました。
今日は同居人は出勤だったので、運動会には来ないものと思っていたのに、
朝一で会社に欠勤の旨を電話していました。
「パパも行くの?」と聞くと「当たり前だろっ」との返事。
「だったら昨日のうちに言っとけよ! ! ! ! ! !」と思って
ムカムカしていたのですが、運動会の前に子供を泣かせてはいけないと思い、
我慢していました。


それが・・・・・それがですよ・・・・・・・。
私、今日、久々に・・・・・。

他人様にぶち切れて
しまいました。


いやはや、運動会は大成功だったんですよ。
うちの子はカケッコで1等になりました。
私と一緒の競技はビリになりましたけれど・・・・・・・(;^_^ A フキフキ
子供もそれはそれは、楽しそうにして居ました。

お昼過ぎに運動会も終わり、家に戻る時に子供がナカナカ階段を上らず、
少し上の踊り場で、子供が上って来るのを待っていました。
何せ、うちは団地の5階なもので子供も階段を上るのに
嫌気がさしていたんだろうとは思いますが、機嫌の良い時は一気に
5階まで上ってしまうので、ただ単に甘えているだけなんだろうと思います。
「ほら、頑張ってアンヨして! !」そう言う頃にはもう、泣き出していました。
それでも、後、1階分を上れば自宅のドアに到着なので黙って
自分で歩くのを待っていました。
子供の泣き声は大きくなって階段じゅうに響き渡りました。
「もう、ちょっとだよ! !頑張って〜」と私が言うと・・・・・
それはイキナリ上の階から聞こえてきました。
「ウルセー! !」
「( ̄□ ̄;誰の声?」と思い、とっさに階段を駆け上がると、
それはうちの隣の住人でした。
「うるせーんだよ。」目が合った途端また同じ言葉を言われました。
「子供が階段を上がる練習をしているので・・・・・・」
普通は「スイマセン」と言うべきだったかも知れません。
でも、隣人の睨みようたっら、普通の人から考えられないような目つきで、
私も 「ムカッッ! !」っとしてしまいました。
「うるせーんだって、こっちは寝てんだぁ。」
隣人は又もや、横暴な口の利き方です。
「すいません
、でも子供を歩かせないと、何時まで経っても一人で歩かないので・・・・」そう私が言うと、
舌打ちをしながら、半分、開きかけのドアを隣人は閉めました。

私・・・・頭に来ました。本当に頭に来ました。
うちは元々、煩い家で同居人との夫婦喧嘩も団地内では有名です。
恥かしい事に警察を呼ばれた事もありました。
隣人に何度も今日のように怒鳴られた事もあります。かばってくれた事もありました。
菓子折りを持って謝りに行った事もあります。
その時は少し優しい人でした。でも、うちの事を「迷惑な隣人」と思っていたでしょう。
でも・・・・今日は別です。
子供の泣き声が煩い?!自分が寝てるから耳障りだ?!
(゚Д゚)ハァ?

「テメェーよー。ガキもいねーくせに、何、ぬかしてやがる! !
ガキを甘やかして育てるとなっっ。一番、可哀相なのはガキ本人なんだぜっっ。
何時までも自分で何も出来なくってなっっ。
そんな大人になっちまうんだよ! !
テメェがうちのガキの将来まで面倒見てくれんのかよ! !
確かになぁ〜昨日もうちのガキはこの階段を上ったんだぜ、
今日はちょっと機嫌悪くて上ってないけどよ! !
自分で歩く事を教えないとな、何時まで経っても歩けない子供になっちまうんだよ! !
何が寝てるから煩いだぁ〜?
いくら土曜だからってな今、何時だと思ってるんだ、
人間は昼間、活動して、夜、寝る生き物じゃねーのかよ?
テメェの生活時間帯に合わせて、こっちは生きてられねーんだよ。
ウルセー・ウルセー言ってんならよ、
テメェーの車のマフラーの音もどうにかならねーのかよ! !
人に文句言う時は、言い方と自分のやってる事、
見直してから言えよ! !ボケッッ」


そう思って居ましたが、幾らなんでも面と向って言える訳でもなく、
子供を抱きかかえて、自分の家に入ると隣人に聞こえるように思いっきり、
自宅の玄関ドアに2回ほど蹴りを食らわせてしまいました。
直後、隣人の家のドアが開きましたが、すぐに又、閉まってしまいました。
団地暮らしなんてウンザリ、同居人の仕事が落ち着いて収入が安定したら、
いやがおうでも引越ししたいと思います。
玄関ドアは・・・・その後、上手く開かない様になってしまいました。(T_T)。
物に八つ当たりするのはやっぱり、いけない事ですよね・・・・
深く反省しました。m(__ __)mスイマセン・・。
それにしても、今日は同居人もビックリしていました。
私は幾ら腹が経っても他人に対して、特に親しく身近で何時も一緒に居る
ような家族や友達や恋人以外には切れたりすることはありません。
それも、相手から拒絶されたり暴言を吐かれたり、裏切られたりしないと
切れるなんて稀です。
(当てはまらない時もありますが、特に同居人との喧嘩。)
私も大人と呼ばれてしまう年代ですから、団地生活=共同生活くらい知っています。
でも、今回は子供の泣き声に対して、そういう態度で攻撃した事に対して、
酷く怒っています。
注意するなら、もっと言い方を変えたほうが良いと思いました。
「子供さんが泣いてるようですが、どうしたんですか?」
「少し煩いので、泣き止むようにお願いします。」
普通の注意の仕方は出来ないんでしょうか・・・・。
イキナリ、睨みつけて「ウルセー! !」じゃ・・・・・
こっちだって相手の車に悪戯くらいしたくなって来ちゃいます。
まぁ、それも大人気ないので思っていてもしませんけどね。(^▽^笑)
今日は思いっきり、毒舌になってしまいました。スイマセン・・・・。

彼は休日なのでジッと家に居るかのかも・・・・。
今日はメールも何も無い日々、今日の早朝3時頃、メッセにオフラインが
残っていました。
「今週は1日しか逢えなかったね。来週はイッパイ逢いたいな。」
そんな風に書いてありました。
私は・・・・「逢いたいのはヤマヤマなんだけどね〜仕事の話、
御互い納得してないしね・・・・」と思い、
少し又、モヤモヤしてしまいました。
「たまに逢わない日々もいいんじゃない?」と少し思ったりもして・・・・・。
そんな、イライラモードの土曜日でした。



2002年06月14日(金) 今までの事<ふたりだけの世界>

<今の彼と付き合い初めて、3度の夜を共にした。
3度とも、1週間に1度という間隔で逢った。
私はその頃、親族会社で働いていて、
子供も保育園には預けず会社に連れて行って遊ばせていた。
社員の人も私の子供と遊ぶのが仕事の息抜きのようで皆、良くしてくれた。
仕事が終ると、母子家庭の社員の方の子供を代わりに
迎えに行ってあげたり、面倒を見てあげて過ごした。
同居人は何時も帰りが遅いので年頃も同じ2人の子供を1人で深夜まで見ている。
会社の人も残業があったりで家に子供を迎えに来る頃には、
彼も仕事が終っていて何時も電話で
「それじゃ〜帰るね。」と帰るコールをしてくれていた。
まだ、付き合い初めだった事もあり、私達はそれでも、満足していた。

そんな頃、夢のような話が私達にやって来た。
私の実家に近い地域に彼が出張で行くという話だった。
話を聞くと、3泊4日。「すみれも一緒に行けないかな?」
突然の誘いだったが嬉しかった。
「子供が居るし・・・・会社は休めると思うけれど・・・」
私は素っ気無く答えた。
まだ、自分の気持ちを素直に伝える術も知らなかった私は彼にそう答えた。
「そうか〜そうだよね。でも・・・考えておいてね、
もし、行けるようだったら一緒に行きたいんだ〜」
O型の彼らしい素直な返答だった。
出張に不倫相手を連れて行って大丈夫なんだろうか?
行けたとしても同居人の休みと合わせてくれないと誰が子供の面倒を
見るというのだろう?
難問は沢山、あった・・・。
彼は出張の日取りを私に合わせて考えてくれていた。
その日取りは誰が考えても勤め人の彼が出張に行くには可笑しい日取り
だったのだが、彼は自分の家への言い訳もちゃんと考えて居てくれた。
私はそれより、もう何年も男の人と旅行に行った事が無く、
そちらの方が心配だった。
同居人とは結婚する前も結婚した後も新婚旅行も休日や有休を使って、
何処かへ泊まりに行ったことも一度もなかった。
自律神経の発作は子供が産まれてから完治しているように思えたけれど、
何時も子供とピッタリくっついていないと怖かった。特に地下鉄では
ベビーカーで乗り込んだとしても、
子供を抱きかかえる様にして居ないと動悸が聞こえた。
私は結婚してから自分勝手に行動する事は無かった。
何時も、家族と一緒だった。何かする時には同居人に良か否かを
絶対、聞いていたし、
買い物にも出来るだけ同居人と一緒に行った。
当たり前の事だったかもしれないが、それが「家族」という物だと思って
今までやって来た。
何でも相談して何でも分かち合うのが「夫婦」だとも思ってきた。
しかし、同居人は違った、すぐばれる様な嘘を何度も吐いて、
私の「家族」「夫婦」という、信念みたいなものを随分、困惑させられてきた。
ずっと思っていた・・・・。
こんな同居人に対して当たり前の事をキチンとやっている自分は
一体、何なんだろう?
自分の存在価値って何処で理解してもらえるんだろう?
自分で自分の事が嫌になっていた。
「仕事で叔父と実家のほうへ行くから、ついでに御祖母ちゃんの所にも
顔を出して来ようと思うけど・・・・」
「休みが丁度、重なるし食べる物は用意しておくから、これを食べてね。」
必要な物、食べるものを指示して私は日曜の夜に彼と待ち合わせて
出発する事を決めた。

旅行に向う車中、ずっと手を繋いでいた。
横に3度しか夜を共にしていない男の顔・・・・。
それでも、私は安心していた。
逢った回数は少なくても私達はきっと、自分達の家族と会話する時間よりも
多くの時間を共有していた。
出勤時間にメールと電話。会社からはメッセ、彼が帰宅する間、
ずっと電話で会話する。
家に戻って食事をして御風呂に入ったら又、メッセ。
まるで、同棲でもしているかのような、そんな、毎日の遣り取り。
彼は「好きな人とは何時も繋がって居たいと思う。」と言い、
私もそれに同意していた。
車の中でも話はつきる事は無かった。
何時も私の話ばかりしていたが、その日は彼の話しを沢山聞けた。
仕事の事、友達の事、人に裏切られた事、
大切だったお母さんを亡くした事。
トンネルに入ると臆病な私の手が少し汗ばむ。
彼は少し心配して「大丈夫だよ」と言って強く手を握ってくれた。
「今晩は目的地まで行けないから、何処がで泊まろうね。」と彼がふいに言った。

私は昔の自分に気がついた。
強かった頃の私は何時も行き当たりバッタリで生きていた。
そうだ・・・・思いだした。あれは何時頃だっただろう。
前の不倫をする前だっただろうか?
世の中に悲しい事が、こんなに多いとは思っていなかった。
人の話を聞きもせずに、こんな風に好きな時に好きなだけ走って、
休みたくなったら休んで、又、何かを思い立ったら好きな時に走り出して・・・・。
自由に伸び伸びとしていた昔の私。自由に旅をしていた私。
私は・・・・・。
何時から、こんなに臆病者になったんだろう・・・・。
私は何時から小心者になって、自分の世界の中だけでしか
息を出来なくなったんだろう・・・・。

突然、彼の携帯が鳴った。
現実へ引き戻されて「誰から?」と聞くと、彼の自宅からだった。
彼が電話を掛けなおすと電話口から明るい女の人の声が聞こえた。
彼が何かを説明している。
PCの事だった。
「今電話くれた?何かあった?うんうん・・・。
それはあのフォルダーの中に閉まってるから・・・・・うんうん。
それじゃ無いと思うよ?
こっちは開けてみた?もう一度、調べてみて?うーん、検索してみたら?
今は状況が解らないから、帰ってみて調べてみるよ・・・・・うん。
解った、それじゃ・・・」
とても、落ち着いた口調だった。
私の家とは大違いだった。
普通の家庭では日常の遣り取りってこんなに、優雅な物なのだろうか?と
思いたくなる程、理性的な話し方だった。
少し・・・・嫉妬した。
「ナンカ、怒ってたみたい・・・・」と言う彼。
勝手にPCのシステムを入れ替えて奥さんが自分で使いこなす事が出来なくて
怒って電話を掛けてきたみたいだった。
それでも、彼は腹を立てずに一つずつ丁寧に教えていた。
目的地に今日は行けないので、丁度、中間地点にある街のホテルに
私達は泊まる事にした。
その時も彼の携帯には息子さんからメールが来た。
「仲の良い家族なんだね・・・・・」私は笑いながら言った。
でも、心では嫉妬していたと思う。
「私、浮気しちゃおっかな〜?」冗談交じりに言うと
「駄目!!絶対、駄目なんだからね!!」と言う彼。
その日はギューっとしながら、グッスリ眠った。
「明日も彼と一緒に居られる、誰も邪魔しない。
朝になっても帰らなくてもいいんだ・・・」と思うと、とても、安心した。

次の日、目的地についた彼は仕事が待っていた。
それでも、仕事していた時間はとても、少なく。
「挨拶程度でいいから、ちょっと待っててね。」と言って猛スピードで
何件もの仕事をこなして行った。
夕方、事前に予約していたホテルにつく。
ホテルがある街は昔、私が住んでいたところに近い大きな街で、
よく学生の時に買い物や遊んでいた所。
懐かしくて夕食は繁華街に出て取る事にした。
川沿を手を繋ぎながら少し散歩して歩く、
きっと、この街に私達の事を知っている人は居ない、
何処をどう見たって仲良く会話しながら歩く私達は恋人同士にしか見えない。
そして、明日も私はこの人と手を繋いでいる。
時間が止まればいいと思った・・・・・。
夕食を二人で取る。
でも、そのお店のマスターが観光者のような私達に
何度も話しかけて来て、煩かった。
彼はそのまま聞かれた事を素直に答える。
人の良さが伺えた。

その夜、ホテルの部屋に戻ると二人で持ってきたノート型のPCを開いて
少し遊んだ。
彼が私のPCを触って色々、教えてくれる。
PC歴10年以上の彼、流石に聞いている私には解らない事だらけ、
ちょっと疲れ気味の私に気を使ってか、
とても面白そうなものを見せてくれた。
それはPCの液晶画面いっぱいの星空だった。
「これはね、今日の夜空と一緒の星座なんだよ?」
「それから、こっちが北斗七星でしょ、これは琴座。」
彼が一つずつ説明してくれる。
「へぇ〜凄いね〜。」私が画面の星座を見つめていると。
「だけどね・・・・これってね。ソフトをインストールした訳じゃなくて、
ネット上からダウンロードしたものなの」
「それも、お試し版(笑)」
「不可視ファイルっていうのがあってね・・・・」
ちょっと、大きな声では話せない、ホントにここでは話せない事なのだが、
かれはお試し期間を過ぎてもこれを見続けたいと思って、
何週間も掛かって、無料でこの星空を一生、見ることを確実な物にしたらしい。
「へぇ〜、そんな事が出来るんだぁ〜」
驚いた様子の私に彼が続けてこう言った。

「あのね、自分でどうしても、こうしたいって思った事をね、
諦めたり途中で投げ出す事が凄く嫌なの」
「どんなに困難な状況でも絶対、解決策はあるはずだから・・・」
「好きな事だったら、どんな事でも頑張れるでしょ?
困難な事も好きな事なら困難なんて思わないよ。
それに、自分の思った事が達成した時の喜びは何物にも変えられないよね。」

心臓がズキンッとした・・・・。
彼は私の後ろに居た。
その時の私の顔を彼は知らない。
きっと、泣きそうにしていたと思う。
彼が言った言葉・・・。それは私が今まで生きて来て、
何処かへ置き忘れてしまった気持だった。
私も昔は彼のように頑張ったら絶対、何でも達成できると思っていた。
その為に辛かったけれど努力も精一杯して来たつもりだった。
それなのに・・・・今までで一番、自分の命を掛けてでもと
願った事が出来なかった。
初めての不倫で堕胎を余儀なくされた時。
世の中にはどうしても出来ない事があるんだな・・・・・と
何処か生きてる事を諦めてしまった。
努力したって出来ない事は出来ないんだろ?
そんな目でしか物事を見られなくなってしまった。
私が置き忘れてきた気持はもう、奇跡みたいな事が起きなければ、
きっと戻ってこないだろう。
だから、尚更、彼が言ってる
「努力したら絶対、良い事あるよ。」って言う言葉が胸の奥底に突き刺さった。
ほんの些細な事なのかもしれない、それでも、何事にも諦めず、
努力し続ける事や忍耐強く居る事はとても、大切な事だと思う。
彼は・・・・昔の純粋に何かを信じている私の姿だった。
自分の可能性を絶対に否定しない、そんな彼がとても愛しく思えた。

「そういうところも・・・・・好きなんだょ・・・・。」

上手く伝えられなかったけれど、一言だけ彼に言った。
彼が「解ってるよ。すみれの言いたい事は解ってるんだよ。」と
言うかのように、後ろからただ、何も言わずにギュとしてくれた。

この人を無くしちゃいけないんだ・・・・。
この人を失ったら私の希望みたいな物も何処かへ行っちゃうんだ・・・。
そう感じた。
それと同時に彼の全てが私のものじゃない事を素直に悲しいと思った。

次の日、残っていた彼の仕事を終らせて、まだ、時間があったので、
そこから遠くない私の生まれた町に行く事にした。
夫に不倫をされて悲しみのどん底に居る友達と、
御祖母ちゃんの御葬式で実家に戻っていた友達と、
離婚して子供達と新しい彼と暮している友達と、
私の御祖母ちゃんに会った。
離婚問題で揺れている友達と御祖母ちゃんには彼の事を職場の人として紹介した。
子供と新しい彼と暮している友達に彼を紹介すると、少し呆れた目で見られた。
御葬式で実家に戻っていた友達は彼の事を予め話していたので、
「今度、一緒に御飯でも・・・・」という話でホンワカムードでした。
御祖母ちゃんの家は私の育った家。
そこで彼と一緒に御飯を食べた。
少し耳が不自由になってはいたが、昔と変わらず私を可愛い孫として扱ってくれた。
その日、私達は400km以上の道のりを帰らなくてはいけなかったので、
そうそうに懐かしい家を後にした。
どんどん、私の育った故郷が後ろになって行く・・・。
「あっ、あの店まだ残ってるんだ。」
「あそこで、昔よく遊んだたんだよ。」
彼は私の子供時代を想像して楽しそうに話を聞いてくれた。
途中の峠越えで彼が少し眠いから仮眠するね、と車を止めた。
私は見たことも無い程の無数の星が光る夜空を眺めながら一人で大人しくしていた。
暫くして横から彼の寝息が聞こえてきた。
私はジッと考えていた。
「今日が終ったら又、離れ離れになるんだ・・・・」
「どうして一緒に居られないんだろ・・・・」
「彼が家に帰ったら・・・・又、あんな風に優しい口調で家族と楽しく生活するんだろうな。」
私はこの旅行中、ずっと奥さんと彼の会話が頭の中でリフレインしていた。
そして、それはこの旅行の最後の夜となるホテルの一室で爆発してしまった。

「あのね・・・・私、やっぱり浮気してもいい?」
突然、彼に言ってしまった。
「どうして?」と聞き返す彼に間髪も入れず。
「ナンカ・・・このまま、付き合って行くと好きになり過ぎて、
自滅しちゃいそうだから・・・・」とそう言った。
「浮気」の話は前から出ていた、御互いを御互いに重荷とならないように
付き合っていくにはどうしたら良いか考えていた時に私が言い出した。
彼はそれを否定していた。
「どうして、逃げるの?二人で話し合って解決できないの?」
そう言われていた。
でも、彼は私の気持をきっと、理解できないだろうとそう思った。
私の毎日はそんなに幸せではなかった。
彼だけが、ここ何ヶ月間の間のせめてもの救いだった。
彼が居なかったら、きっと、もっともっと同居人とは喧嘩が絶えなかっただろう
そう思う日々もあった。
彼とメッセしていると、自分でも心なしか笑顔で居られるのが解った。
電話していると楽しくて心が開けていくのも解った。
でも・・・・きっと、何時か依存しすぎてしまう・・・・。
前日の夜、彼が話してくれた「絶対に諦めない」その信念を聞いて、
尚更、そう思った。
彼には理性的に話せる家族がキチンと存在している。
可愛い子供達と楽しい生活が待っている。
私は彼との温度差が悲しくて寂しかった。
自分の気持ちに押しつぶされる前に、この思いを分散させなくっちゃいけない
と思った。彼に、自宅からの電話の事を少し話した。
「家の人・・・怒ってたと言っていたけれど・・・理性的に話してたでしょ?」
「それは・・・・普段から相手の事を暖かい目で見てあげているからだよね・・・・」
彼は「そうじゃないよ、早く説明を終わらせて電話を切りたかったから・・
キチンと説明してあげないとナカナカ電話を切ってくれないでしょ?」と言っていたが、
「何だか私も・・・自分で空回りしてるみたいに思えるから・・・・辛くなってきちゃうし・・・・」
「体の浮気かもしれないし、心の浮気かもしれないし・・・
解らないけれど、他の男友達と遊んで、少し気持が楽になれたら、
きっと、貴方の家庭の事なんて考えずに笑顔で付き合えると思う。」
私が自分の考えている事を涙声で言うと、彼は無言だった・・・。
終始、この問題は彼の反対にあって来たのに、彼は何も言わなかった。
そして・・・私が横を向くと。





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私は少しビックリして思わず彼をギュとした。
「どうして・・・・僕の事は好きじゃないの?
僕は・・・こんなにすみれの事を好きなのに、
どうして浮気するなんて言うの?」

「でも・・・・・・いいよ、すみれが僕と付き合って辛くなるって
言うんなら・・・そうしなければ僕とは付き合えないって言うんなら・・・・
僕は我慢するよ。だから・・・・・浮気してもいいよ。」

彼は涙をボロボロ流し、まるで子供の様だった。
男の人が涙を流しているのを見た事が無かったわけではありません。
ただ・・・・一緒になって泣いた事は今まで無かったかもしれない・・・・。
その夜、私達は沢山の涙を流した。
そして、彼が泣き終わった後も私は・・・・ただ、泣いていた。
あっという間に朝が来た。
私達の夢のような時間も終わりを迎える。
彼も私も家に戻ったら又、何時もと変わらない日常を送るんだ・・・・。
こんな風に何度も現実を痛いほど直視しないと付き合っていけないなら・・・・いっそ・・・・。
「もう、やめよう・・・・・」
私はそう彼に言うと無言で車を降りた。
家までの帰り道、又、私は泣いていた。



<今日の出来事>


昨日の仕事の一件で私はまだ、モヤモヤ・・・・。
昨日の深夜に「仕事の事、まだ納得がいっていないので今度メールします。」
と彼にメッセでメッセージを残したら、彼からもオフライン・・・。
「仕事の話でイライラするのは嫌だから、もう仕事の話はやめよう。」
( ̄□ ̄;・・・・・・・・・。
何だか、モヤモヤが増してしまった。
今日は朝の電話も無し。
お昼前に又、彼からオフライン。
「今日も僕とは話したくないようだね、メールもメッセも無いもんね。」
どうやって、連絡をして何を話せばいいのか解らなかったけれど、
丁度、ワールドカップで日本の試合の日だったので、
「ワールドカップゆっくり見れる?」とメールしたら、
すぐに、「会社で見れるようになったよ〜」と返事。
その後、日本勝利の話題で少しメール出来ました。
帰りに少し電話で会話・・・・。
仕事の話さえしなければ何時もの二人に見えるけれど。
私の心の中では「仕事の事・・・・・どうすんの?」って気持でイッパイ・・・・。
明日は子供が保育園で初めての運動会。
今日は御弁当の下ごしらえで私は大忙し。
明日の朝は寝坊は絶対、出来ない。
彼とのメッセもお休みです。
明日、晴れると良いな。
うちの子が一等を取れますように。(−||−)オイノリ〜!!



2002年06月13日(木) 今までの事<不倫される>


結婚してからも同居人に浮気をされた事を前に書きましたが、
それはとても滑稽な物でした。
同居人は年末だというのに喧嘩の末、出て行ったきりで戻って来ませんでし
たが、実家から同居人の両親が、家に来る事になっていて、
その頃までには帰宅しました。
同居人の借金の問題が話し合いによって一段落をした直後、
同居人の浮気が発覚しました。
お正月休みの間、私はモヤモヤした気持を押し込めていましたが、
同居人は「遊びなんだし、離婚は考えて無いから」と言いました。
それよりも同居人の両親の方が心配をして、「相手の所へ行こう」という
話になってしまいました。
自分の息子の事よりも孫の行く末を考えてくれた事は、私にとって
とても有難い事でしたが・・・。
その日は年末という事もあり、相手の方は自宅に居ませんでした。
両親が実家に戻る日が近付き、私にこう言って帰って行きました。
「相手の人とはキチンと話すように・・・息子も離婚しないと言ってるんだから・・・」
「相手に納得の行くように話し合いをしてね・・・
私達も孫の顔を見られなくなるのは嫌なんだから」
同居人の両親は私と同居人の結婚について、良くも悪くも意見をした事は
なかったのですが、
私の気持より、自分達の意見・・・孫と他人になるのが嫌だから離婚しないで
くれと言われた事に対して、少し寂しい気持ちになりました。

両親が実家に帰ってから毎日のように電話が来ました。
「相手には連絡したの?」
「キチンと話をつけてね。」
「子供の調子は変わらない?」
電話が来る度に心のモヤモヤが広がって行くのが解りました。
両親は同居人が家に居るのにもかかわらず、同居人とは話をしないで電話を
切りました。
何日も、こんな日が続き、私もイライラしだして同居人に、
「自分で何とかしようと思わないの?」
「現に今も、その人から携帯に連絡あるでしょ?」と迫りました。
それでも、同居人は何も言いませんでした。

次の日、私は意を決して相手に電話をしました。
相手は何を言われているのかサッパリ解らない様子でした。
私はやっと自分の名前を名乗ると相手は
「お姉さまですか?」と私に聞いてきました。
「いいえ、妻ですが・・・・」と言うと、相手はとても驚いた様子でした。
話を聞くと相手は同居人が既婚者で子持ちという事を知らずに居たようで、
同居人からも一言も聞いて居なかったそうです。
「何時頃、結婚したのですか?」
と相手は本当に何も知らない様子でした。
私は、その時まで相手へ憎いとという感情を少し持っていました。
それは同居人への愛情ではなかったと思いますが、
毎日、夜泣きが酷く手の掛かるようになって来た、子供が居るのに
毎週のように朝帰りをさせる相手の心境はどんな物なのだろう?と思っていました。
結婚前に私が不倫した時はある程度、覚悟を決めて居た部分もあったので、
相手もそうだろうと錯覚していたのです。
話を聞いていくうちに、同居人の職場の取引相手だということや、
初めて会ってすぐに同居人が「付き合あお〜か?」と言った事などが解りました。
相手は私と話をしていくうちに段々、涙声になって来ました。
私は可哀相になって「主人の事が好きだったのですか?」と聞きました。
「好きに・・・・なりかけていました。」と相手は答えました。
私は憎しみの鉾先が相手の女性から同居人に変わっていくのが解りました。
相手の悲しみも少し解るような気がしました。
少し話して「離婚・・・すると思いますので、これからは自由に付き合って
いけると思いますよ」と相手に言いました。
相手の人は「いいえ、私が悪いんです。」と言いました。
「主人が戻りましたら連絡させます。」と言って私は電話を切りました。
同居人が帰宅して、私の怒りはすぐに爆発しました。
「貴方には子供が居ないんですか?」
「どうせ、付き合うんなら結婚してる事も子供が居る事も理解してくれるような人

と付き合えば?」
「ハッキリ言って貴方のやっている事は結婚詐欺と変わらないんじゃない?」
同居人は「解ったって・・・・」と何時もと変わらずでした。
その後、同居人は相手の所へ電話をして「聞いたとおりだから・・・・」と
一言だけ言いました。
私は同居人の神経を疑いました。
「相手の人に迷惑を掛けた、悪い事をしたと思わないんだろうか・・・・。」
私は同居人に「離婚しますから・・・・」と言うと、
同居人は「ホントに悪いと思ってるから・・・」
と言って土下座をして謝りました。
私は家族に土下座をするくらいの浮気ならしない方がいいと思い、
同居人の姿を見て、「なんて情けないんだろう・・・・」と思いました。
次に同居人の実家から電話が来た時、
同居人が自ら電話を取って事のなりを説明しました。
私が離婚したいと言っていると言うと、電話を変わるように言われました。
「これから、孫が成長するのに父親は不可欠だとは思わないの?」
「息子も、もう2度としないって言ってるんだから許してあげて・・・」
そして、最後に





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その時は悲しい気持でした。
でも、9歳も年下と結婚した私は周りから随分
「結婚生活の中で1度くらいそういう事だってあるよね」
と言われ続けて来たので、それはそれで、覚悟して来ました。
ただ、同居人が「遊び」で浮気をした事が悲しかったんだと思います。
相手の人が本気で好きだったら私なりに、
納得出来た事も多少はあっただろう・・・。
もう少し相手の人へも家族にも心ある行動や言動をして欲しかった・・・。
家族の事を土下座するくらい大切だったら尚の事・・・・。
そう思いました。

暫く経って少し落ち着きを取り戻した私は1冊の本を読みました。
前の不倫の時、どうやったら彼が離婚出来るのかと思い、
沢山の法律の本や離婚のプロセスの本を買い込んで熟読しました。
その中には離婚を選ばなかった人達の本もあったり、家庭内別居に至ったのは
どうしてか?というような本もありました。
私が読み返したのは「ひとつ屋根の下の他人」という本でした。
その中には「夫の靴を履いてみる」という項目がありました。
又、「心の傷ついたご主人の訴えに耳を傾ける」
「ご主人の暴力の意味を知る」
という項目もあって、読み進めるうちに「
うちと同じかも・・・・」と当てはまる点が幾つもありました。
そういえば、出産してからの半年間、子供にばかり掛かりっきりで同居人の事は
やはり、二の次になっていた部分がありました。
完全母乳だった事もあり、眠る場所も同居人の横から子供の横に変わり、
寝不足が続く夜には同居人が勤めに出るのに見送りにも出ない時がありました。
帰宅時間が遅い同居人とは御飯を一緒に食べる事もなくなり、
子供を御風呂に入れるのも私の役目で、「少しくらい早く帰ってきてよ」と
詰った事もありました。
私は本を読み終えると
「仕事から疲れて帰って来ているのに、私の態度がこうだったら、
きっと落ち着けないな・・・・」と私は少し反省しました。

そして、私は前の不倫相手の事を思い出しました。
彼も最初、自分の妻の事を詰ってこう言いました。
「仕事から戻って家に居ても、近所の奥さん連中との世間話ばかり俺にして来て
疲れる」
「どうして中年になってくると女はあんな風に変わるんだろう・・」
「群れにならないと何も出来ないのか?オバサン・パワーはウンザリするよ。」
でも、私はその時、20代で結婚した事も無く、
彼が何を言っているのかサッパリ解りませんでした。
離婚の話が彼と奥さんの間で話し合われた時、最後に出て来たのは
一番下の娘さんの事だったそうです。
娘さんは中学生で彼の事を慕っていたそうです。
彼も娘さんの気持を思うと奥さんの事は置いておいても
娘の為に家に居てあげたいと思ったのかもしれません。
やはり、結婚は二人の意志で出来たとしても、
離婚においては「家族」の問題があるので容易に出来無い物なのだな・・・
とそう思い返しました。
私は彼の奥さんの事も思いだしました。
私が妊娠をして離婚の話が初めて出た時、
彼女は少し感情的になって居たかもしれませんが、
それから、彼が入院をして家に戻る間、約2年間、彼女は私に
接触して来ようとはしませんでした。
年の功からか、とても落ち着いた口調で話す人だったように思います。
彼と奥さんの間に相手を思いやる感情が残っていたかは定かではありませんが、
最初の電話の後、
私の事を一度たりとも攻撃して来ようとしなかった彼女の気持ちを
自分の同居人の浮気と照らし合わせた時、頭の下がる思いでした。

そして、今。
現在、付き合っている彼の事を思います・・・・。
彼も又、奥さんとは心では繋がっていないと私に言います。
ただ、子供の事を思うと離婚出来ないと・・・・。
結婚生活も10年を超える彼。
子供も大きくなり、いつの間にか家の中では
自分の事を尊敬や労りの目で見てくれる人が居なくなってしまったと嘆いています。
ただ、彼の過去の話を聞くと、
仕事や趣味に没頭していて、家族の事を顧なかった部分も
あるように見えます。
子育てが大変な時期に家族の事はそっちのけで自分の趣味を真っ当しようとして、
ホイホイ出掛けて行かれたら、家に居る奥さんも、たまった物では無いでしょう。
しかも、仕事の帰りも遅く家族と一緒に居てあげられる時間も今までは少なかった
ように思えます。
自分の事を尊敬してもらえない、家族に愛されていないと嘆く彼・・・。
でも、それは過去に自分のしてきた事がネックになっている事を
気づいて欲しいと思います。
彼の奥さんにも又、彼の今の心境に耳を傾けてあげられれば、
何となく、修復出来そうな気がするのは私だけでしょうか?
前に彼と私の間で問題が勃発した時に、
「家の中の問題はすみれには関係ないでしょ?」と彼に言われた事がありました。
私は突き放されたようで、とても悲しかったです。
「修復しようなんて気はサラサラないよ。」と言っていた彼ですが、
私は心の中で「腐っても夫婦って言うしね・・・
どうにか修復すればいいのに」と思っていました。
あの「ひとつ屋根の下の他人」はそんな彼と奥さんにプレゼントしたい一冊です。


同居人の浮気から色々、考えて私は何とか努力しようとしました。
でも、結果は出ませんでした。
もう、努力するのもやめてしまいました。
私と同居人は何も繋がっていません。
ただ、子供が居るのでかろうじて「夫婦」や「家族」と呼べるだけです。
悲しい関係だと思います。
そして、彼と私も、心は繋がっていても形がありません。
それも、悲しい関係です。

御互い家の中が上手く行っていないから、不倫しているというわけで
は無いけれど・・・。
何だか最近、色々と矛盾していて解らない事だらけです。

不倫をしている人達は皆、何処へ行こうとしているのでしょうか・・・・・。
何処まで行ったら答えがみつかるのでしょうか・・・・。
誰に聞いても解らないんだと思います・・・・。
誰も知らない事なのですから・・・・・。




<今日の出来事>


昨日、やっと彼と友達の事を納得して話せたと思ったのに、
今朝の電話では又、別問題でイザコザ・・・。
彼から頼まれた仕事の事で・・・・。

ほとんどの仕事は彼がアイデアを出してくれて解決したけれど、
まだ、難問が残っていて、遣り方は解っているのだけれど、
良い案が思い浮かばない私。
締め切りが迫って来て彼も少し気持が焦ってる。
一緒に考えて欲しいと思う私、一人で頑張って欲しいと思う彼。
意見が合わない・・・・。
仕事の事だから、彼に甘えられない。
思っていることが素直に言えない。
私にはそんなにスキルも能力も無い。
彼に「実践じゃないと何も身につかないよ」と言われても、自信も無い。
「解ってるんだ、解ってるんだよ。」
でも、やっぱり、考えても考えても何も思いつかない。
電話を切った後、久々に悔しくて大粒の涙が零れた。
遣りたかった仕事なんだ・・・・それなのに、どうして出来ないんだろう。
彼からのメール・・・。
「すぐに怒らないで欲しい、何も会話が成立しなくなるから」
お昼くらいには、
「仕事の事、今夜あたり一緒に考えられるけれど順調に進んでる?」
一応、仕事は夕方に提出したけれど、解らない所はそのままにして出しました。
もう、自分に自信も無いので仕事は引き受けないって付け足して。
夜に又、彼からメール。
「出来ると思ったから頼んだんだよ。提出されたものに問題は無かったから・・・」
仕事帰りのメッセでは・・・。
「今日は逢えないんだね。寂しい・・・・」って・・・・。

何だか、無性に腹がたつ。
彼にも・・・仕事はマンツーマンで教えてくれないのに、
何で会う時間があるなら「仕事の事、一緒に考えよう」って
一言でも言ってくれないんだろ?と腹がたつ。
そりゃ〜一緒に考えたら私の力にならないかも知れないけれど・・・。
少しくらい助け舟を出してくれよ〜(T_T)。
それよりも、なによりも、自分に腹がたつ、
「何で、こんな事が出来ないんだ?」と・・・・。
自分の無能さに腹がたって泣いてしまった。
悔しくて悔しくて仕方が無い。
そもそも、私には文章力が無いんだな・・・・。
この日記もそうだろう・・・・。
人からして見たら、話がリアルだから覗いてるだけで、
私が書いてる事を理解してくれたり、共感してくれる人なんて少ないんだろうな・・・・。
「おめぇ〜の話、解りづらいんだよぉ〜」と思ってる人が沢山、居るんだろうな・・・。
私が書く文章・・・・。なんて情けないんだろう・・・・。
こりじゃ〜やっぱり、仕事は引き受けられない。
今すぐ、スキルアップは出来ないけれど、

決めました。

最近、怠けてて全然、して無かったけれど・・・・。
私、本を読みます。
1週間に1冊から始めます。
読んだら、感想書きます。
ここにでは無いけれど・・・。
出来たら描写の多い本を選んだりして、
それで、少しでも表現方法を学べたら得した気分です。
毎日、時間が無いので、どうなるか解らないけれど・・・。
彼から貰う仕事はどしてもやりたい。
でも、今はそんな段階じゃ無いんだという事に気がつきました。
もう少し、自分自身で勉強します。
それから、胸を張って仕事を引き受けます。


ここを覗いて下さっている方、有難う御座います。
こんな、私の拙い文章を読んでくださって、
本当に本当に感謝しています。



2002年06月12日(水) 今までの事<不倫する3>

3度目の処置の2日後くらいに子宮に入れた黒い棒を摘出しました。
入れられるのはとても、痛かったけれど取り出すときは痛みはなく
あっという間に処置は終りました。
そして、点滴を打たれました。
主治医の先生がやって来て、
「陣痛促進剤ですが、とても弱い薬ですから。」と言って病室を出て行きました。
私は点滴が落ちるのをボッーと見ていました。
心臓の鼓動と同じ速さで落ちて行く雫を見ても、もう何も感じなく
なってしまいました。
1日経って「堕胎」の日が来ました。
看護婦さんが車椅子で病室まで迎えに来てくれ、
処置室に連れて行かれて、又、別の点滴をされました。
何か説明があったかも知れませんが私には何も聞こえませんでした。
暫く点滴をしながら横になっていると今度はトイレに連れて行かれ、
浣腸をさせられました。
「御腹の中に何か溜まっていると危険が伴う事があるので」と
看護婦さんが言いましたが、入院中ほとんど何も食べられなかった私は
浣腸液しか出て来なかったように思います。
又、何時間も横になっていました。
看護婦さんが1時間おき位に「陣痛みたいなのは来ませんか?」と聞きに
来ましたが痛みも何もありませんでした。
母も心配になって何度か処置室に入りましたが、
何の痛みもやっては来ませんでした。
時間が何時間経ったのかも解らず、ただ、処置室のベットでボッーとしていました。
不意にトイレへ行きたくなったので、看護婦さんに声を掛けてトイレへ行きました。
そこで、御小水とは別の生暖かな液が体内から止めどもなく出て来ました。
「あれ?何だろう?・・・・破水した?」
ビックリして処置室に戻り看護婦さんに知らせました。
でも、看護婦さんは「もう、暫く寝てて下さい。」と言ったので、
又、横になっていました。
1時間位経ってから股の辺りに異物を感じました。
「なんだろう?御腹・・・痛くないのにな・・・・」と思い、股の間に手を当てがうと、
ブヨブヨした何かが手に当たりました。
看護婦さんに言うと、すぐに先生がやってきました。
「あらっっ、もう頭が下がってきてるわ」
あの、カルテを見ながら、この前、私の話を聞いてくれた年上の看護婦さんが
言いました。私はすぐに処置台の上に移動させられました。
そして、そこで御腹に力を入れるように指示されました。
3度目に力んだ時に何かが出て来ました。

「ジュル・・・・」 

本当にそんな感じでした。
痛みはありませんでした。
少し足元のほうを見ると、白い物体が先生の手の中にありました。
よく見えませんでしたが、それはビニール人形のようでした。
青白くて白い病的な皮膚の感じでした。
私が見たのは足か手の部分だと思いました。
まだ、きっと指は出来上がっていたかどうか・・・・。
まるで、殺人ドラマに出てくる死体のように、
鮮明で綺麗な血糊のような物がベッタリとついていて、
白い肌が尚の事、白く見えました。
それ以上は見たらいけないと思い、目をそらしました。
後産があるからといって、看護婦さんが私の下っ腹をググッと押しました。
「痛い! !」
私が言うと「そんな事言ってられないでしょ?」と看護婦さんは怒った口調で
言いました。
後産が出ないと大変な事になると解ったのはずっとずっと後でした。
母が処置室に呼ばれました。
そして、先生の説明を受けながらたった今、私の中から取り出された
赤ちゃんを見ていました。
その後、母は堕胎した後の手続きなどをしてバタバタしていました。
葬儀屋というか・・・。
一応、赤ちゃんは焼却して、
まだ形成されたばかりの小さな骨を何処かの納骨堂に無縁仏として
納めるんだと聞いていたので、それの手続きだろうと思いました。
私が処置室から運ばれる前に赤ちゃんは白い布に包まれて
何処かへ行ってしまいました。
「ごめんなさい・・・・・」
心の中で何度も言いました。
病室に戻ると私のT字帯が外れかかって母が直そうとしてくれました。
私の股をつたって赤い血がポタポタと床に落ちました。
母が床を拭きながら、
「男の子だったよ・・・・指も手もキチンとあったよ・・・・・」
と切ない声で言いました。
私の人生は一端、そこで終りました。

後の毎日は死んだように生きていました。
母と彼が話し合いをしていたらしく、これからどうするか考えていた
らしいのですが、
彼が「絶対、離婚はしますので、娘さんの一生は僕が見ます。」と母に言い。
母は「こんな状態ですし娘の意志を尊重します。」と彼に言ったらしいです。
私はもう、どうでも良かったです。
余りの環境の変化は体に負担が掛かるので引っ越さないでいる事にしました。
彼も自宅には戻れないので、私の家に居ました。
母は「何かあったら、すぐ電話してね。」と言って実家へ戻っていきました。
仕事は辞めてしまいました。
母が会社に電話をして辞職の意を報告していました。
毎日が憂鬱でした。
もう、20歳も超えて、普通の人は普通に結婚して普通に子供を産み、
普通の主婦として生活している歳でした。
毎日、カーテンも開けず、御飯も食べず、誰にも逢わず、
気が向いた時は本ばかり読んでいました。
本を読む事だけが現実逃避が出来る唯一の手段でした。
病院を退院して1ヶ月は経って居なかったと思います。
彼が性交渉をしようとして来ました。
でも、避妊はしようとしませんでした。
私がどうして、そんな事をするの?まだ、気持も体も完治していないんだよ?
避妊は?どうするの?もう子供はいらないよ!!
と言うと、「今度は離婚に捉われずに産めば良いさ」
そんな事を言ったと思います。
私は怒ってベットから飛び起きました。
「この人の誠意って何だ?」と思いました。
それから、私は夜に眠らないようにしました。
関西で大きな地震がありました。
沢山の命が失われました。
持病の自律神経の病気が再発して過呼吸の発作が増えました。
或る日、彼が仕事から戻ると私の前に1枚の封筒を置いて、
「保険の受取人を書きかえたから」と言いました。
私は彼の方を向かず、ただテレビを見ていました。
何日かして、それを見た時、その金額にビックリしました。
保険証書は何枚もあって、トータルすると、
私が働いていた会社の資本金と同じくらいの額でした。
でも、嬉しくも何とも思いませんでした。
「アンタは金ばっかりなんだね・・・金で人の心が買えると思ったら
大間違いなんだよ! !」とそう思いました。

暫く、死んだように生活していたのですが、
半年が経って、やっと友達に会えるようになりました。
カラオケにも行ける様になりました。
過呼吸の発作が怖くて遠くまでは行けませんでしたが、
3日に一度は近所の花屋へ通えるようになりました。
段々、遊んでいても体調が悪くなる事も無く朝帰りも度々しました。
働かないで暇にしていたので、今までした事のない
趣味も出来るようになりました。
彼が持たせてくれて居たゴールドカードで好きなものを買いました。
そんな日々を送る中、
彼には一度も自宅に戻って離婚の話をして来る様子は見られませんでした。
私のストレスは買い物依存症となって現れました。
それでも、彼は私に何も咎める事はありませんでした。
ある時、近くに住んでいる退社した会社の人と会う機会があり、
人が居ないので手伝って欲しい事があると言われました。
2・3ヶ月手伝っていくうちに社長から「もう一度、頑張ってみないか」と言われ、
私は又、仕事を始めました。
彼は私が仕事に行くのが気に入らなかったようですが、
彼の会社のビルで上がマンションになっている、その部屋へ引越しをして、
新しい気持で仕事をしました。
私は死に物狂いで仕事をしました。
他の人に後ろ指を指されるのは当然と思っていましたが、
別の意味で認めさせたかったという思いや、これからの自分を考えました。
その間、彼の世話は疎かにしました。
御飯を食べる時間や眠る時間、
生活時間帯を彼に合わせる事は一度もありませんでした。
元々、私を家の中に居て欲しい、自分の他に好きな人が出来ると心配だから
外で働くのは反対だ、と言っていた彼なので不満は溜まって行くばかりで
束縛される事も多くなりました。
そして、彼はお酒の量ばかり増えていたと思います。

彼との別れはそれから、半年後でした。
或る日、会社の人が家に来て、「社長、病院へ行きましょう」と言いました。
彼は病院へ行ったきり戻ってきませんでした。
入院する事になったのです。
病名は「アルコール依存症」による、肝臓病でした。
肝硬変の一歩手前だったそうです。
病院から何度も電話が来て、彼が早く帰りたいと言っていました。
彼の家からも電話が来ました。
彼の病気は私と一緒に暮らしてストレスが溜まったからだと言われました。
彼の身内から色々、批判されました。お姉さんやお母様から・・・・。
彼が一度、家に戻る事になって暫く経ってから、
奥様から再度、電話があって少し話をしました。
彼の意志をその時、私は聞いていなかったので私は
「だって、彼は私と結婚するって何度も言いましたよ?」と告げました。
すると奥様は・・・・。





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「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
余りにも当たり前の事で、現実的で、
私は暫く何も言えませんでした。
納得しざるをえない言葉でした。
口には出せなかったけれど、「そうですよね。」と心の中で思っていました。
話はナカナカ進まず後ろに居た彼の息子が痺れを切らして、
電話を変わった途端、私への罵倒は始まりました。
「お前なんて、どうせ何処かの水商売女だろ? !」
私は頭に来たので、
「アンタこそ高校卒業して進学も就職もしないで
親のスネを何時までも齧ってるんじゃないの?」
息子さんは逆上して電話を切りました。
すぐに彼の携帯から電話が来て、
「なんで息子に、そんな事言うんだ! !」と怒っていました。
「だって、自分の息子の愚痴を今までサンザン言ってたよね?」
「幾らアンタの子供だからといって何も知らない私の事を攻撃してきたら、
私だって遣り返すのは当たり前なんじゃないの?」と私は言いました。
彼は「子供なんだから・・・・・」と言いましたが、
私の腹立たしい気持は納まりがつきませんでした。
そして「家にキチンと戻りたかったら戻れば良いんじゃない?」と言って
電話を切りました。
後日、彼が話しをしにやって来て、
「俺はもう歳だ、病気もした、体力が残っていないし
お前の事を面倒を見てやる力も残っていない。」
と言いました。私は黙って話を聞きました。
「だけど、俺だって愛情の無い家庭に戻るのは嫌なんだよ・・・・」
私にはもう、彼の言っている事が言い訳にしか聞こえませんでした。
彼の家から引っ越す時、彼の荷物がこんなに少なかったんだと
初めて気がつきました。
少しの洋服と私が彼に教わっていたライカのカメラと・・・後は思い出せません。

私が彼に教わった事は・・・・。

不倫は体力やエネルギーが必要な事。
相手に依存してはいけない事。
見えない物を信じ続けなくっちゃいけない事。
愛情がなくても家庭は成立する事。
そして・・・・。
世の中には幾ら願っても祈っても足掻いても、どうにもならない事があるんだ。

という事でした。

彼は私より21歳も離れた年上の人でした。
その反動からか私は9歳も年下の男と結婚してしまいました。
それを彼が知ったのは私に長男が生まれて1年を過ぎた頃だそうです。
中絶の後、内膜症を患った私に子供が出来た事はビックリしていたらしいですが、
「年下くん好きだったもんね」と彼が失笑して居たと・・・
私と彼をよく知る知人が教えてくれました。
「年下より年上のほうが好きなのに・・・・・」
「何、勘違いしてんだろ?」
知人にボソッと言うと笑っていました。
私も彼の噂を最近、耳にしました。
去年か今年に入って脳梗塞のような症状で倒れたそうです。
症状は軽く後遺症も無かったらしいですが、
お酒は控えているようで、体調も思わしく無い様子。
それでも、毎週のように繁華街へ出て遊んでいるそうです。
私は少し・・・・・・。
「なんで、死ななかったんだろう?」
と思いました。
「早く逝って、あの子に頭を下げてよ、この世で罪を問われなかった分、
あっちで沢山の罪を背負わなければいけないんだから。」
とそう思いました。
こんな事を考えている私はきっと鬼畜野郎なんだと思いますが、
私も又、逝くのは地獄でしょう。
どんな罪が私に背負わされのか解りませんが、
それまでの少しの間、嬉しい事も悲しい事も楽しい事も辛い事も
沢山・沢山、噛み締めます。
何時か彼の事を懐かしい事と感じ、優しい気持ちで思い出せたら、
少し大人になれるかもしれませんね。
それでも地獄行きは変わらないか・・・・・。


<今日の出来事>


憂鬱です。
御昼から彼と電話で討論会。
お題は昨日の続きで私の友人の事。
彼は・・・・・。
友人と私が話していると私が感化されて、
自分と私の「不倫」を否定してしまうんじゃないかと心配の様子。
私は
「う〜ん。でも、友達に何を言われても最後に決めるのは自分だよ。」
「それに、人の話を聞けないヤツは馬鹿だって言うよね?」
と言いました。
彼は私の話を色々、聞いて。
「すみれが、そんなにシッカリした考えを持っているなら・・・・」
と少し解ってくれたようでした・・・・。
その間、約40分 彼は出勤途中でした。
どうして人間はテレパシーを使えないんだろう?
自分の考えを人に伝えるのって難しい・・・・。
少し疲れました・・・・。

彼から頼まれた仕事も進まない。
私には物を表現する力が無いのかな・・・・? !。
日記の更新も進まない・・・・。
きっと、この日記を読んで私の事を酷いヤツって思う人も居るだろう。

何だか、憂鬱・・・・・。
エネルギー切れ・・・・。
彼からは何時まで経ってもメッセもメールも繋がらない。
きっとまだ、ふに落ちて無いんだ。
オフラインを残す。
自分の思っていることを素直に残す。
夜になってメッセが繋がる。
少し解ってくれたみたい。ホッッ。
彼の帰宅時間は子供の就寝時間、私は添い寝なので電話は掛けられない。

何だか・・・・疲れた・・・・もっと、ユッタリ気分で居たい・・・・。





2002年06月11日(火) 今までの事<不倫する2>



中絶する前に彼ともう一度、話し合いました。
私は子供を堕胎したくない。
貴方の子供が本気で欲しいと思う。
子供を育てて行く気持も本物。
離婚で御金がなくなってもいい。

彼はどれ一つ「うん」とは答えてくれませんでした。

中絶する事が決まり、私は紹介された病院へ行きました。
別の病院では紹介状を見た先生がすぐに診察されました。
外来の内診室では処置として子宮に黒い棒の様な物を何本も入れられました。
私は「痛いので何とかして下さい。」と先生に言いましたが、
診察が終わり、中絶の過程を説明する先生の顔はとても冷酷でした。
「もう中絶するには時間が無いのを知っていますよね?」
「子宮をわざとに臨月くらいの大きさにして普通に出産するのと同じように
堕胎します。方法はこれしかありませんので痛みが伴うのは仕方ないです。」
先生は予めの説明を終らせると看護婦さんに入院手続きの指示をしていました。
私は「あぁ〜前に読んだ内田春菊のファザー・ファッカーと
同じ堕ろし方なんだな〜」と入院の説明を聞きながら、
体がとても冷たくなって行くのを感じました。
入院期間は2週間でした。
すぐに母が故郷からやってきました。
産婦人科なので付き添いなどは要らないのですが、
私の事を心配してか養父が側についている様にと母を送り出したそうです。

母は私に何も言いませんでした。
つい何ヶ月前まで二人で「良かったね〜」と笑い一緒に買い物をして喜んでいた、
自分の娘が御腹を抱えてウンウン唸っている姿を見て、
気丈な母も落胆した様子でした。
母もそれまでは彼を信じて養父が反対する分、
何とか娘の想う人と結婚させてあげたいと思っていたようですが、
今となっては彼に裏切られたという思いでイッパイだった様でした。
私が行ったその病院は産婦人科としては、とても高級な病院で、
ディナーは夫と一緒にピアノ演奏を聞き可愛いピンクのパジャマを着ながら、
「ここはホテルのラウンジ?」という様な食事の部屋のテーブルで
摂る形式になっていました。
1階は外来で2階は産婦人科入院棟と分娩室・処置室、
そして3階は私の入院していた婦人科入院棟と皆が食事をするレストランの様な
広い食事部屋がありました。
私の夕食は入院していた部屋にひっそりと運ばれ母が買って来てくれた
青いパジャマを着て母と一緒に摂りました。
私が食べられないと母が
「体力が無いと駄目だから・・・」とポツリと言いました。
一口、二口食べて部屋を出ると廊下には食事部屋から楽しそうな
笑い声が聞こえてきていました。
「どうして私だけ、こんな思いをしなくっちゃいけないの?」
「私はどうして、そこに入れないの?」
そう思って暗い気持に拍車が掛かりました。

私の病室は2人部屋でした。何日かして隣のベットが埋まりました。
面会には可愛い子供と旦那さんが来ていました。
私から話しかける事は無かったのですが、すぐに相手が私に話しかけてきました。
3人目の子供が出来たけれど、成長が止まって心音も聞こえなくなって
母体が危ないので、中絶するとの事でした。
(雅子様が最初に御懐妊した時と同じ症状ですね。)
その後、私のベットに状況を知らない友人から電話が来て状況報告をしていて、
やっと隣のベットの人が、どうして私がここに居るのか理解したようで、
静かになりました。
彼が毎日、面会に来ていたので、それまでは「意志に反しての中絶」
とは解らなかったようです。
その人は3日か4日で退院していきました。退院の日は入院した時と同じように
家族が迎えに来ていました。
彼女は私に「頑張ってね」と一言いい病院を後にしました。

彼女が退院するとすぐに私は2度目の処置をされました。
内容は同じ物でした。
でも、前回と違っていたのはそこが処置室だった事・・・。
分娩台は見た事がありました。
一度目の中絶で経験した時と同じ冷たい椅子でした。
でも、処置室の目の前は分娩室で、
今まさに妊婦さんが子供を産もうとしている所でした。
(その病院は立会いでなくても出産しているのが解るようにか分娩室の入り口に
小さな小窓がついていました。)
チラッと見えた小窓では助産婦さんが何人かせわしなく動いていました。
私は処置室に入ると処置台に座り脚掛け台に脚を乗せました。
処置は前と同じように黒い棒のような物を何本も子宮に入れられる事。
でも、意志に反して異物が入ってくる感じ・・・冷たい鉄の様にしか感じられず、
我慢しているうちに痛みや悲しみや空虚や、そして自律神経が可笑しくなる感じ・・・・。
私は耐えられなくなって大声で叫び、暴れていました。
看護婦さんが私の脚を力いっぱい抑えました。
私の声に驚いたのか他の看護婦さんも処置室に入ってきて、
私の体を押さえつけました。
主治医の先生とは別の先生も誰に呼ばれたのかやって来ていました。
「大丈夫ですよ〜鼻で息を吸って〜」遠くで看護婦さんの声が聞こえました。
気絶するんじゃないかと思うほどの痛みが何度も何度も繰り返されました。
30分くらい経つと処置は終りました。
でも、死ぬほど長い時間、処置台の上に居たような気がしました。
私の脚にはクッキリと看護婦さんの指の跡が残っていました。
すぐには病室に戻れませんでした。
処置台の直ぐ横のベットに暫く寝かされていると、
「分娩室でも暴れているし、処置室でも暴れているし」と若い看護婦さんが
言っていたのを聞きました。
私は「産みの苦しさだったら、幾らでも耐えるのに・・・」と心の中で思っていました。
少し年上の看護婦さんが、「そんなに暴れても駄目でしょ?」と
少し怒りながら私に言いました。
私が泣いていると、
「だって中絶しないと駄目だからここに来たんでしょ?」と冷たく言い放ちました。
無言の私に看護婦さんがカルテを机の上から取り上げ、ペラペラ捲りながら
「こんなになるまで放っておいて・・・・」と言うので
「彼の離婚が上手く行かなくて・・・・・」とそう言うと。





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処置室から出ると車椅子が用意され、母が心配そうに待っていました。
私の叫び声は廊下中に聞こえ、母は気が気じゃなかったようです。
分娩室ではもう赤ちゃんが産まれたようで、
沢山の家族が嬉しそうにしていました。
処置室の扉の横では次の人が待っていました。
その人はまだ、20歳くらいの女の子でした。
彼女は泣いていました。
車椅子に乗りながら、その子を見て、
まるで震えてる小鳥のようだな〜とボーっと思いました。

その日も彼は面会に来ました。
何時もと変わらず「調子はどうだい?」と言いました。
私は「悪いよ」と言いながら、心の中で・・・・・・・・・。

「今日、私がどんな思いをしたか知らないでしょ?
何ならアンタが変わってよ。
何で女ばかり、こんな思いをしなくっちゃいけないの?
ねっ!!なんで?」

と繰りかえしていました。


3度目の処置は入院から1週間ちょっと経ってからでした。
前回と同じ処置ですが先生が「痛みが酷いみたいなので全身麻酔します。」
と言いました。
「えっ?麻酔ですか?嫌です。」と言いましたが、
無情にも右肩に注射針が刺されました。
遠のく意識の中で私は「嫌だなぁ〜」とポツリと言いました。
「何が嫌なの?麻酔でしょ?」と先生が言った言葉を耳にして
私は死んでいく感覚ってこんなのだろうか?
と思いながら、後の事は全く記憶が失くなりました。

看護婦さんに起こされて意識が戻った時、私は同じ場所にいました。
「良かった・・・・死んでなかった。」と思いました。
とっさに「今、何時ですか?」と聞くと
看護婦さんが「5・6分しか経っていませんよ?」と言いました。
「前の時も本当はこの位で終る処置だったんですよ?」と言って、
前回、暴れた事を指摘されてしまいました。
3度目の処置は暴れなかったせいなのか、
子宮が膨らんで来たのに体が慣れたせいなのか余り痛くはなかったです。
病室には歩いて戻れました。

私が入院している間、母は古本屋に行って本を買い、病室で静かに読んでいました。
私は母に頼んで「私にも本を買って来て」と言いました。
「お前の趣味は何だか解らないけれど・・・」と言って買って来てくれた本は
有吉佐和子や遠藤周作でした。
私は遠藤周作の本を読み始めました。
狐狸庵先生と呼ばれた彼の作品は同じクリスチャンの私にとって、
とても読みやすいものでした。
何ページも一気に読んで少し現実を忘れました。
でも時々「私は人の命を自分の手で絶とうとしているんだな・・・
神様が居たとしたら・・・・それに背く事をしているんだな・・・」
と思い本を胸に置くと
「もう、赤ちゃん・・・御腹の中で死んでいるかな?」と母に聞くと。
母は「そうだね・・・・・・・・・・・。」と私の前で泣きました。




<今日の出来事>


今日は彼が出張から帰ってきました。
(今日の日記から読まれた方、↑の「今までの事」で書いている彼と今の彼は
別人ですので、誤解しないようにお願いします。)
スタッフの方と食事を終えてからの対面だったので、
とても遅い時間になってしまって、
私はもう、眠かったですし、彼も長い道のりを運転して帰ってきたので
疲れていた様子でしたが、
先日、頼まれた仕事の見直しなどをしました。

その前に・・・・
実は私の友達の事で彼が怒っている事があって、それについて少し話しました。
私の友達は彼の事を客観視すると、
納得行かない事が多少在って、それについて私と友達はよく話をします。
私も彼女と話していて「うんうん。」と思う事もあれば
「ちょっと違うかも・・・」と思う事もあります。
ただ、「不倫」と呼ばれる関係にある以上、
彼女の話を聞かなければいけない事が多々あるのが今の現状です。
それに、彼女は私が独身時代にしていた不倫の事も痛い程、知っている人なので、

やはり私には同じ思いをして欲しく無いという気持ちがあります。
彼女は私の事を思って色々、言ってくれているのだと思います。
私も自分が爆発しそうになって彼にぶち当たってしまいそうになる時、
誰かに迷惑を掛けてしまいそうになる時は彼女に色々、話します。
彼女も私で良かったら話を聞くよと言ってくれます。
でも、彼にとっては自分の知らない所で自分の事をよく理解して無い人に、
そういう話をされるのは不愉快な事です。
きっと、それは誰しもそうだと思います。

でも・・・・・・私はこう思います。
「不倫」という形の無い物にとらわれている私と彼はある意味、
「恋愛状態にラリッて居る2人」に見られがちです。
自分達の外で「不倫」と言うものがどういう風に見られて居るのかが時として
理解できなくなってしまう事だってあるでしょう。
私達だけの世界の中には「不倫」という言葉は存在しないのかもしれません。
それに甘んじてズルズルと関係を続けて行ってしまって、
果たして良い物か悪い物かは今は誰も解りません。
彼女は第三者ですが、第三者的な意見が言える立場です。
不倫をして最終的にこうなるのではないか?
又、時としてこういう事も在り得るのではないか?
そういう意見を言ってくれる人が彼女の今の役割です。
でも、そう言ったとしてもやはり彼女は当事者では無いので幾ら意見したとしても
結果をどうにかしようとするのは私と彼です。
それに、不倫の結果は今は誰にも解らない事です。
私は彼が想っている私への気持も解ります。
彼女が思っている「不倫」という形への気持も解ります。
どちらの話にも耳を傾けます。
全てを受け入れて噛み砕いて消化していくのが今、私ができる事です。

彼の役割もまた聞き役に徹する事だと思います。
今はどう足掻いても「離婚」は出来ないしアクションを起こせない彼。
周りから「不倫はやっぱり不倫」と言われても反論できない立場です。
ならば、やはり黙って聞いておかなくっちいけない事なんだと思います。
彼女の意見は世間一般の見解なのですから、
自分達がただのラリラりカップルなのかはそこで判断できるのかもしれません。
それを受け入れるのも受け入れないのも彼が決める事ですが・・・。


その日は彼に上手く説明できませんでした。
何だか、ちょっとモヤモヤ・・・・・・。
仕事の話は答え合わせをしているように色々、教えてくれました。
でも、私は本当に眠くて集中力が無くなってきたので、
途中で中断させてしまいました。
彼に「もう、こんな時間だよ?おうちは大丈夫?」と言うと
「出張もう1泊っていってあるから」との事。
「どうして言わないの?」と言った私に彼は「眠そうにしてたから・・・・」と
一言。
そうです私、ラブホに行った時も大爆睡で彼を独りにさせた事があります。
という訳で彼と私は御互い疲れていたので、その日は朝方まで車の中で
暫しの仮眠タイムでした。
それにしても大の大人が車の中で熟睡なんて(笑)
気がついた時にはもう空は明るかったです。
家に送ってもらってPCを開いて彼にお礼のメールも書かず、
そのまま爆睡を続けました。




2002年06月10日(月) 今までの事<不倫する1>


私は今まで3度の「不倫」と呼ばれる概念に縛られて来ました。
結婚してから2度、独身の時に1度。
結婚してからの1度目は不倫と呼ばれるものでは無かったので、
実質、2度でしょうか・・・。

独身の時の不倫は楽しかったけれど辛いお別れでした。
相手は21歳も年上の人、
もちろん家庭もあり子供も居ました。
家庭は既に崩壊していたらしいです。
彼は付き合って1ヶ月もしないうちに私の家に転がり込んで来ました。
自分で会社を経営していた彼は家族に
[仕事が忙しいから暫く会社に泊まる。」と言い訳をしていたらしいです。

1週間経つ頃「そろそろ、家に帰ったら?」と彼に言うと、
「どうして、そんな事言うの?」と泣き出してしまいました。
私は年上の男の人がポロポロを泣くのを初めて見て、
好きなだけ家に居てもいいと言うようになりました。
私も仕事を持っていて、ナカナカ彼の休日に一緒に居られませんでしたが、
休みが重なった時は近郊の公園や湖にドライブに行ったり、
旅行などを楽しんでいました。
社長という肩書きを持っていた彼、お金は自由にさせてくれました。
「僕がすみれと一緒に住むようになってから食費が倍になったでしょ?」
「余り無駄遣いしないように・・・」と何時もお金を渡してくれていました。
時々、チラッと財布の中を確認すると1万円札と小さなメモが入って居て、
「ALL my love so much・・・to sumire」と書いてありました。
彼はそういう、ちょっとした悪戯というか人を驚かせるのが好きな人でした。
私の誕生日の時は一元さんが
絶対、入れない料亭に連れて行ってくれたり、
今までやったことの無かったゴルフも教えてくれました。
エステに行きたい、あの本が欲しい、御飯を作るのが面倒、
私の我侭を全部聞いてくれて「これで足りるの?」と次の日にはお財布に
万札が何枚も入っていた事もありました。
「お金は要らないんだよ、ただの私の願望なんだから」
と言っても彼は一度もお金を引っ込めた事はありませんでした。
彼は出勤の時も仕事が終わる時も何時も職場に車で迎えに来てくれました。
私の職場はほとんどが女子社員で彼が毎日、迎えに来てくれる姿を見て。
「誰?お父さん?」
「それにしても、お父さんには見えないね。」
と言っていました。
女の職場ですから、そのうち「あの人は不倫相手」と噂はあっという間に、
知れ渡ってしまいました。
私もコソコソして付き合っていた訳ではないので、
噂が広まるのも当たり前だと思っていました。
不倫をしていたからと言って仕事の業績が落ちた訳でも無く、
就業態度が悪くなった訳でも無く
むしろ人に優しく出来て気持も大らかになりました。
彼が21歳も年上という事もあったり、これからの生活はお金のある彼と
一緒に居られるという安心感が私をそうさせていたと思います。
ただ、仲の良い同僚に誤解される事だけは嫌でしたので、
キチンと話をしました。
でも皆、口をそろえて「大丈夫?」「やめた方がいい!!」と言うだけでした。
私は同僚に彼を逢わせました。人当たりも悪くなく、
年の功からか余裕のある態度の彼を見て、
それまで反対して居た同僚も納得してくれました。
「順風満帆」
それ以上の言葉は無い程、恵まれて生活をしていました。

でも、彼と一緒に暮らして一つ悲しい事を聞かされました。

「あのね・・・僕には子供が3人居るけれど・・・・・。」
「うん、知ってるよ」
「外にもう一人居るんだ。」

彼は私と知り合う前に一緒に生活していた女の人が居て、
その人との間に子供が出来てしまい。
籍を入れたかったけれど、どうしても彼の離婚が成立しなく、
子供は認知はしたものの、彼女はその後、別の男性と結婚してしまい、
そして彼は泣く泣く自宅に戻る事になったそうです。

その時、私は彼に、
「私に子供が出来たら、絶対、結婚してね」
「子供が生まれる6ヶ月前までに入籍しないと非摘出子になっちゃうから、
子供が大きくなって知ったら可哀相だし・・・」
と冗談半分に笑いました。

それ以前にも避妊については彼とは意見の相違がありました。
彼と付き合う前、私は妊娠した事がありました。
同棲相手の子供でした。
相手は産んでくれと言いましたが、
私は丁度、仕事が楽しくなってきた時期で、
自分の可能性を試したく、結婚願望も無かったので、
仕事をやめて家に居て欲しい、
子供と自分の為に生きて欲しいと言う相手を
尻目に、とっとと産婦人科に行って子供を堕胎してしまいました。
それでも、中絶手術の時は罪の意識に苛まれ、
麻酔は効かず意識も混濁してしまいました。
中絶手術の麻酔はとても微弱な物で意識が全部途切れる事は稀だと
いう事を知ったのはずっとずっと後でした。

彼にも、その事を話して避妊の重要性を説いては見ましたが、
「出来たら産めばいいよ」と言って笑っていたので、
私も余り込み入った話はしないで安心していました。

ところが1ヶ月後、私の体調が可笑しくなり始めました。
極度の睡魔と体のダルさなど、今までにない変化でした。
始めは「寒くなってきたから体温が上がって眠いのかな?」と
思っていましたが、月のものも来ないし、
彼に話して病院へ行く事にしました。






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避妊もしないでsexしていたのですから、当たり前の事です。
彼に話しました。
すると彼は何度も「本当か?」と私に聞きました。
「嬉しくないの?」と聞くと、
「素直に・・・・嬉しいとは言えない。」と
彼は言って青ざめた表情をしていました。
後日、実家の母に電話報告しました。
彼と同棲している事も知らなかった両親は激怒しました。
特に養父は私の事を
「お前のやっている事は泥棒猫と同じ事だ。」と私を詰りました。
母が彼と話し合いにやってきました。
彼が
「心配なさらないで下さい。僕はすみれさんの面倒を一生見て行きますから」
と言うと母は少し安心して、
そんな寒そうな恰好をしていると体が冷えるから何か温かい洋服を
買いに行こうね、と二人で買い物へ行って美術館を見て歩きました。
私は早くに親元を離れてしまった為、
子供の頃から母と2人でこんな風に買い物へ行った事はありませんでした。
とても、優しくて本当に暖かな時間でした。
これからは、彼と子供と3人で、こんな優しい時間を過ごして行くんだろうな〜。
とそう思っていました。

私は仕事をしながら病院へ通いました。
病院にはソーシャルワーカーという人が居て、
未婚の私の話を聞いてくれたりしました。
でも、その人が私に何度も
「出産まで彼の離婚は成立するのですか?」と聞いてくるのが憂鬱でした。
彼はその頃、何度も自宅に戻り離婚の話し合いを繰り返していました。
でも、私の家に戻って来る彼の顔も憂鬱の一言でした。
不安がる私に「大丈夫だから、心配しないで」と気を使って居たのが解りました。

或る日、休日で家に居ると仕事へ行ったばかりの彼から電話が来ました。
「カミさんがどうしても話がしたいからって言うから電話番号を教えたから・・・
今、電話が掛かってくると思う・・・」
私は「なんで?話したくない」と言いましたが、
彼との電話を切るとすぐに奥さんから電話が掛かって来ました。
「どんなつもりで居るんですか?」と聞かれたので「結婚するつもりですけど?」
と答えました。
「おなかの子供が可哀相だとは思わないんですか?」と言うので、
「だから、結婚するって言ってるでしょう?」と答えました。
その後は何を言われたか、もう覚えていません。
ただ一言

「私離婚しませんから。」

と勝手にに電話を切られた事です。
後日、家に又、奥さんから電話が掛かって来ました。
彼と話がしたいと言うので私は彼に電話を変わって、
子機で2人の会話を聞いていました。
奥さんは「パパ・・・○○ちゃんが可哀相だとは思わないの?」と
子供の話ばかりしていました。
彼も「うん・・・・・・・うん・・・・・・」と相槌を打つばかりで、
恰好悪いと思いました。
離婚するのに子供の話ばかりで自分達の感情は一言も話さない夫婦・・・。
何て可哀相な夫婦なんだろうと思っていました。

その後も彼は話し合いに行きましたが、
最終的に彼が言った言葉は「離婚できないから・・・・」でした。
私が「子供を堕ろせって言うの?」と聞くと、
「・・・・・・・・・うん」と言いました。
次の日、彼と一緒に病院に行きました。
私は待合室で大声で泣きました。
皆、どうしたんだろう?と言うような顔で見ていました。
私の通っていた病院はキリスト教系の病院で
「堕胎」は「神にそむく事」として認めてはくれない所でしたので、
医師の紹介状を持って別の病院へ行く事になりました。
別の病院へ向う前ソーシャルワーカーの人が
「仕事もしながら、つわりにも絶えてここまで頑張ったのにね、
可哀相に・・・・」と一緒に泣いてくれました。
私はもう5ヶ月だったか4ヶ月半だったか・・・
とにかく「堕胎出来るのはここまで」という所まで来ていました。




<今日の出来事>

日記の更新が本当に遅くなっています。
ごめんなさい。
m(__ __)mスイマセン・・・・・・。
何だか、やることがイッパイな上に「今までの事」が異常〜〜〜に長くて、
読んで下さっている方には本当に御迷惑をお掛けしています。
なるべく早く更新できるように頑張って書いて行きたいと思っています。


今日、彼は一泊出張に行きました。
とても遠い所へ行って、少し心細そうにしていて、
休憩のたびにメールか電話をくれました。
ずっ〜と車の運転をしているので事故に合わないかと心配でしたが、
夜にホテルでPCを接続してメッセを少ししてくれました。

メッセの内容は・・・・。
やっぱり、遠く離れた場所に行っているからか寂しそうでした。
「明日は早く帰れるように仕事頑張るから逢おうね」
と御互いを励ましあいました。

今日、彼が出張で行った場所は前に私と2人で旅行?!に行った場所なので、
尚更、一人で行くと寂しくなるらしいです。
私達はよく2人でチョロチョロと色々な場所に行っているので、
もし、別れたとしたら、その場所その場所に行って寂しくなる事、間違い無しだと思います。
まぁ、そうならないように頑張りたいと思っていますが(;^_^ A フキフキ

私も今日は疲れてしまいました・・・・・。
っと言う訳で明日からも日記の更新頑張ります。m(__ __)mぺこっ。



2002年06月09日(日) 今までの事<突然の対面>



彼と知り合って毎日のようにメールとメッセの遣り取りを繰り返した。
その間に私の誕生日があって、
丁度その日の0時にバースデイカードが届くように、
彼からの粋な計らいもあった。
毎日、不毛な家庭で死んだように生きていた私に心の張り合いみたいな物が
少しづつ出来て来た。
随分、時間が経ったように思ったが、まだ知り合って1ヶ月も経って居なかった。

或る日、彼が会社からメッセで呼掛けてくれた時、とても寂しそうにして言った事がある。

「なんだか・・・心寂しいな・・・」
「どうしたの?何かあった?」
「別に何もないよ」
「じゃ〜どうしたの?仕事でミスとかしちゃった?」
「仕事は順調だよ・・・そういうんじゃなくて・・・」
「うん?」
「今日・・・すみれさんに逢いたかった・・・・」
「・・・・・・・・」
「でも・・・いいよ。まだ前の人の事もあるし・・・
逢える機会は沢山あると思うから」

「うん・・ご・・・めんね・・・」

その時の彼はとても寂しそうで何かを諦めたように・・・
私は本当に申し訳ない気持になってしまった。

前の相手とは会う約束をするまで3ヶ月もメール交換や電話を繰り返した。
彼と同じように、ほとんど毎日、御互いの近況を遣り取りした。
それでも、逢うまで3ヶ月も掛かった。
その間、私の住んでいる街にも何度か足を運んでいたようだったが、
会う約束はしなかった。
メール交換している間「?」と思った事もある。
相手から携帯メールが来る事のほうが多かったし、
詳しい過去の話もそうそうしなかった。
だから尚更、慎重だった。
それなのに、相手はただのお遊びだと思っていた。
私は相手に詰め寄った。
遊びだったら遊びの関係を真っ当してあげるとも言った。
それきり、2度と会わなかった。
去年の今頃の話・・・。

彼にはその人の事を話していたので、彼も私と逢うのを躊躇していたと思う。
私も彼に人から騙される馬鹿な女として見られるのも嫌だった。
だから、御互い逢うのはもっともっと後だと思っていた。
その時の事を彼は「すみれとは逢えないと思ってたよ」と言う。

彼の寂しい呟きを聞いてから暫く経って、
又同じような状況になった日があった、
私が仕事から帰ってきて、御飯を作って、子供をあやして、
彼はその間、ずっと会社で私がメッセで話せる時間まで待っていてくれる。
彼の同僚が1人、2人と会社を後にする中、彼は仕事も終ったというのに、
何時もネットオークションで時間を潰してジッと待っていてくれた。
その日も同じくメッセを立ち上げると彼は
「こんばんは」と話しかけて来てくれる。
もうそろそろ、帰ろうかな?と言う前に彼が
「すみれとは・・・・まだまだ、逢えないね、きっと・・」と言う。
前に御飯を一緒に食べに行こう〜と言われて
「まだ・・・・逢うのは後でもいい?」と言ってから、
彼は私に、あんな風に誘う事は無かった。私を気遣っての事だと思う。
でも・・・私も本当は彼に逢いたかった。
メールで毎日、遣り取りしてもメッセで毎晩、会話しても・・・。
それはただのちっぽけな箱の世界の中の出来事であって、
幾ら電話で会話しても目に見えない架空の人物のような気がして。
この街の何処かで私が想って居る人が存在してくれるだけでいいと
最初は思っていたけれど、
彼への想いは段々、膨らんでしまって・・・・・。
とうとう・・・・言ってしまった。


「今から、逢おう・・・・・」


これで・・・・断られたら・・・・・。

私からは何も・・・・・・・・。

言わないでおこう・・・・・・・・・。


勇気を振り絞って言ってみた・・・・。


最初は彼も、まだ躊躇して
「すみれが・・・無理するといけないから、いいんだよ」と 
言ってたが、
少し強引なその日の私を想ってくれたのか、突然の対面を承諾してくれた。
もう、時計は10時を過ぎようとしていた。

それから、彼が家の近くまで来る間。
心臓がドキドキして止まらなかった。
彼と逢うまで残り時間は約30分。
その間、何を着て行けば良いのか、どんな化粧をしていけば良いのか、
香水は?どんなバック?マニキュアを塗る時間さえ無いな・・・。
こんなんでいいのかな?と頭の中をグルグルしていたが、
帰宅していた同居人には
「今から急に友達の所へ行く事になったから」
と吐き捨てるように嘘を吐いたのには
自分でもビックリするほど素早かった。

少し早めに家を出て、さほど遠くない待ち合わせ場所まで車で移動する。
(この時、彼の車が私の横を通り過ぎたそうです。彼曰く「この人がすみれさん?」
と思ったと言ってました。良い意味なのか悪い意味なのか・・・)
5分ほど待ったら、それっぽい人が車に乗って現れた、私達は逢う直前まで
御互いの容姿の事を話さなかった。もちろん、写真交換なんてしていない。
だから、尚更彼は解りやすいように車を止めてくれた。
ドキドキして車を降りて彼の車に近付いた。
「こんばんは」私は少し会釈をして車に乗り込んだ。
「こんばんは」今まで電話でしか聞いた事のない彼の声が
こんなに近くに聞こえる。
私は目深に帽子を被っていたので彼はきっと私の顔をよく見えないはず。
でも、顔を覗き込むでも無くユッタリと車を走らせて駐車場を出る。
「何処に行こうか?」と聞いてくれたが行く当てもなく、ただ、車を走らせる。
恥かしすぎてチラッとしか見ていない彼の第一印象は、
スーツを着ていたせいか、ちょっとお堅いイメージ、頭の回転も早そうで、
心の内をみすかられそうな感じがした。
でも、何時もメールやメッセで人柄は知っていたのでドキドキして顔を強張らせ
ながらも笑って話せた。

彼は家の近くの河川敷で車を止めた。
小さな子供が居るから、余り遠くなっても悪いねと言って・・・。
普段も沢山の話をしていたけれど、そこで私達は又、沢山の話をした。
彼の前の彼女の話をしている時、
私は自分の不倫感に関して話をした。
遊びで人と付き合うと後から空虚な気持しか残らない。
不倫については・・・・
答えは無かったけれど、最後の最後に面倒臭い問題が勃発して
どちらかが家庭に逃げ戻るのは卑怯だ。
そして、私はこう言った。






↑エンピツ投票ボタン これを聞いて大体の人は引くと思います。

My追加

今になって考えると、どういうつもりで言ったのか自分でも解らない。
少し怖かったんだと思う、
人に裏切られたりする事に慣れっこになるのはもう、嫌だったし。
彼に対して指した言葉じゃなかったかもしれないけれど、
あの時も今も私の心の中には彼が住んでいて、
簡単に裏切られて失うのは嫌だと思った。
だから、付き合うとなるとお互いに家庭や仕事や子育てや、
その他諸々の事を抱えていて色々、問題はあるけれど、
気持だけはお互いの事を第一にと考えて貰える、
そんな付き合いがしたかったんだと思う。
彼はその時、無言だった・・・・・。
何を考えているのか私には解らなかったけれど、
彼も彼なりに色々考えて居たんだと思う。

暫く他愛の無い話に戻して会話していると彼が唐突に私にこう言った。






↑皆さん?この聞き方って、日本語ですか?笑 エンピツ投票ボタン

My追加

彼が私に「お願いを聞いて欲しい」質問の仕方は・・・ホントに可笑しかった。
「それってどういう意味?」と思ったけれど・・・意味は通じた。
ここぞ! !っと言う時に何故か、とちってしまった彼を
年上のくせに「可愛い人」と思った。

「手を繋いで欲しい」と言った彼。
私達はメッセを終わらせる時、「バーチャル恋愛なら何でも出来るね」と
オヤスミのチュ♪や腕枕をしてオヤスミ〜と言ったり
何だかママゴトのように恋人気分を楽しんでいた。
でも、彼の本音は
「僕が今、すみれさんと逢っても出来る事は・・・手を繋ぐ事ぐらいだよ」
だった。
彼は私と初めて逢った日、勇気を出して自分がしたい事を口にしたんだと思った。
「手を繋ぐ」本当に他愛の無い事。でも、それが大切な事だと解っている人。
それが私にとって彼だった。
何時までも尽きない話・・・空はもう白々として来た。
そろそろ、帰らなくっちゃいけないんだなっと思った時、どちらからともなく、
ギュと抱き合った。
彼に逢えた嬉しさと現実の世界の辛さと何だか解らない想いでイッパイになった。
少し彼自身が私をこんなに夢中にさせた事を恨めしくも思った。

涙が出た・・・。

もっと一緒に居て話をして居たいと思ったけれど、
別々な所へ帰らなくっちゃいけない・・・。
繋いだ手も離したくないけれど、時間が来たら離さなくちゃいけない・・・・。
寂しく思った・・・・・。
彼がキスしてくれた後、「来週、時間が取れたら又逢おうね」と言ってくれた。
帰りに来た道と違う道を通ったら、
彼が「あれ?ここ何処?」と言って帰り道を少し忘れてしまった。
私は「あぁ〜ここから行ったら遠回りだよ〜」と心の中で言ってたけれど、
口に出さなかった。
彼と少しでも長く居たくて・・・・わざとに教えなかった。
この時の事は今でも内緒(^▽^笑)

家に帰ってくると、もう空は明るかった。
PCの椅子に座って今までの事を少し考えた。
彼と逢うまで沢山の話をした、チャットしながらPCの前で初めて涙もした。
私が彼の特別な人になれますようにと毎晩神様にお願いもした。
小さな箱の中は
倫理も・・・
道徳も・・・
批判も・・・
中傷も・・・
何も存在しなかった。

何時も朝まで話をして、
大好きと
愛してると
オヤスミと
キスと
腕枕と
何時か逢えたらいいね
を沢山繰り返した。

私は今でもあの言霊達を信じています。




<今日の出来事>


今日はね〜♪とても良い事がありました。
お友達の婚姻届の証人欄に私の名前を書きました。
結婚生活が破綻している、こんな私でも良い?と聞くと
「是非、すみれに〜」とのお言葉。
とても光栄な事でした。
私の婚姻届の欄には実父の知り合いで私の全然、知らないオジサンの名前が
載ってしまいました。
証人は誰でも良いと言うけれど、考えてみるとヤッパリ人選をちゃんと
しておけば良かったかも・・。
肝っ玉母さんの名に相応しく私の母は
「証人なんて誰でも良いんだから、役所の周りを歩いてる、
その辺のオジサンにペンを渡して書いて貰いなさい。」
と言いました。(^▽^笑)
お友達に「提出は今月中?6月の花嫁は幸せになると言うよ?」と言うと、
「離婚も多いらしいよ」と言う話。
考えてみれば、それはそうだね。
6月は結婚式ラッシュ、結婚する人も多ければ離婚率も高いはず。
私もそのうち経験者になるはず・・・・6月の結婚経験者は語る。(^▽^笑)
お友達夫婦にはそうなって欲しくないです。
彼女達は遠い遠い距離を一生懸命?!努力して?!やっと結ばれた人達なので、
これからは今までの分、思い切りラブラブ★して下さい。

っと言う事で今日は一日中、お出掛けだったので彼と電話は出来ませんでした。
家の電話は非通知3件。メールで洗車の途中に電話してくれた事を知りました。

ところで、土曜日に彼とこんな話をしました。
今月から始めたライフワーク(この日記の事です)
彼には「何時か教えてあげる」と言っていますが、
ネット上で色々、しているんだよ〜という所までは、
教えてしまいました。
ネット上で出来る事・・・HP作成とかゲームをダウンロードしたりとか・・・。
でも話題はweb日記の事・・・・。
彼は何故、自分の日記をweb上に流すのかが解らないみたい・・・・。
特に私のようにBBSを付けないで日記を書く事の意味合いが解らないらしい。
BBSは日記を読んで訪れる人が色々な意見を書き込んでくれたり、
励ましてくれたり、批判をしてくれる所で、それが無いという事は単に人の意見を
受け入れないという事じゃないかと受け取れてしまいます。
実の所、私もBBSを付けない日記作家さん達を見てきて
「解るよ〜その気持」「えっ?それは違うんじゃない?」
と思ってもBBSが無いので書き込めなかったりします。
でも、どちらにしても日記は読み続けているんですけどね。
彼は独りよがりの日記なら別にweb上で流す必要は無いんじゃないか?と言います。
( ̄ヘ ̄)ウーン どうなんでしょうね〜、私はそんなに小難しく考えたつもりも無く
日記を始めてしまいました。
ただ足跡みたいな物が欲しかっただけなのですが・・・。
BBSをつけないのは・・・・つけ方を知らないからかも・・・(;^_^ A フキフキ
でも、ただこうやって書いているだけで何処かで誰かが私の日記を読んでいる
事で少し救われたり、
私自身、誰かが読んでくれている事で自分の存在価値みたいなものが
広がればいいな〜と思っています。
正直な所、批判されたり中傷されたりするのは嫌です。
言葉は汚いのですが(スイマセン・・・漁師町で育ったもので・・・・(;^_^ A フキフキ)
「オメェ〜に批判される為に日記書いてんじゃねぇ〜んだよ!!」
位の気持で書いてます。m(__ __)m
共感して貰える人が居たら、それはそれでとても嬉しい事です。
現実から逃げてる?!かも知れませんが、言うなれば逃げ場所が
無いから書いてるのかもしれません。
それで、誰にも迷惑掛けなかったら万々歳です。
彼はこれを見てちょっと怒るかもしれませんが「こんな事書いてたの?」
とか言われるかもしれません。
でも、彼も・・この日記を読んで不快に思った人も、2度と見なれけば良い話。
この日記だけは私の世界なので・・・・誰にも邪魔されたくないのが本音です。
最後に彼が「寂しいから日記を流しているのかな?」と言っていました。
私もそうかな〜?と少し共感して話が終った後に、
自分で自分に「何故、日記を書いてるの?」と問いてみると。
もう一人の私が・・・。
「うんうん、寂しいよ・・・好きな人と一緒に居られない寂しさ・・。
自分の家庭と相手の家庭を比較したり・・・。
彼にも子供が居て私より大切だと思ってるんだよね・・・・とか
何だか解らないけれど・・・・・寂しくて寂しくて・・・・・」
と言っていました。
前に誰かの日記に「アエラ」という雑誌に「web日記を書く人達の心理」
という特集が組まれていた事を知りました。
早速、深層心理を探りたく問い合わせをしましたが、
バックナンバーは無いそうです。
ネットオークションも覗きましたがありませんでした。
どなたか2001年9月17日号の「アエラ」をお持ちの方、又、
理容室や病院の待合室にて見かけた方、
ご一報を下さい〜(T_T)。



☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★・゚☆
今日もこんな長い日記を読んで下さって有難う御座います。m(__ __)m。
更新が遅くてスイマセン。何ぶん話が長いもので・・・・。
今、要点を纏める勉強中です。
投票ボタンを調子づいて2つも設置してしまいました。
ランキングを気にしていらっしゃる方が居たら申訳御座いません。
私的にはランキングは余り気にしていません。
貴方の愛の目で日記を読んで下されば、十分です。
(話がオモロク無い時は外してみたりしたいと思っています。)
↑本当の話なのにオモロクないとはどういう意味か?自分でも理解不能。
又、お暇で手が空いた時にでも覗いてやって下さい。m(__ __)m。
☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆★☆.。.☆



2002年06月08日(土) 今までの事<同居人・最終回>



同居人が少し妊娠を機に変わってくれると思ったその年の秋、
私の仕事は成功していた、
決められた予算は他の部署では考えられない程の数字だったが、
何とか力を合わせて同僚とクリアした。
私はその日、満面の笑みだった。
私と同じ業種内容のチーム会議で予算をクリアしたのは
私の担当部署だけだった。
上司からきっと、労いの言葉や「よく頑張ったな」と言って貰えると思った。
でも、違った・・・・。
会社の答えは

「もっと!!」

やる気が失せた、頑張っても頑張ってもゴールなんて無いんだな・・・
そう思った。
その頃から、つわりが酷くなった。
御飯は食べられなかった。
病院には・・産婦人科には行きたくなかった。
妊娠したのは知ってたけれど、怖くて行きたくなかった。
産婦人科に嫌な思い出もあった。
内科に行った。妊娠しているとは言わないで、
貧血を防ぐ為の薬を貰った。
仕事は・・・・・・。
まだ、続けて行きたかった。
まだ、会社に「やれ」と言われるなら、それに答えて行こうと思っていた。
でも、やる気は戻って来なかった。
少し考えた・・・・
「妊娠してるって言ったらどうなるんだろう?」
「貴方はもう使えない」
とでも言われるんだろうか?
でも、そうじゃないかもしれない・・・
現にお母さんになって働いてる人も居る。
でも・・・・その人は自分から降格を願い出た。
子供が熱を出して早く帰らなくっちゃいけない。
日曜は預ける所が無いから遅番などを余儀なくされる、
他の社員に示しがつかない・・・。
私、仕事続けられるのかな〜?
と思っていた頃、事件は起きた。

何が原因だったのかは思い出せない。
本当に些細な事だったと思う。
夫婦喧嘩の末、同居人は妊娠4ヶ月の私を蹴った。
「バキッッ」
体から変な音がした。
同居人は「話にならないから出て行く」と言って
出て行ってしまった。
私は同居人を追いかけた。
全速力で追いかけた。
気がついたら裸足だったけれど、
怒りの方が先に来て、「もう流産してもいいや」
そんな事が頭の中をグルグルしていたと思う。
次の日、私は自分で立てなくなっていた。
1ヶ月も入院する事になった、腰骨が折れていた・・・
仕事は会社から退職するように言われた。
10年も頑張ってきたのに・・・。
「会社って・・・・こんなもんかぁ〜」と思った。
悔しかったけれど仕方なかった。
入院費は又、私の実家から出し貰った。
同居人は子供が産まれてからも同じだった。
一番、酷かったのは顔面を蹴られて前歯を6本も折った事。
子供が3ヶ月の時でまだまだ、大変な時期だった。
「歯が新しくなっていいじゃん」
同居人はそう言った。
それでも、子供には優しかった。
休みの日は子供を抱き、何時までも離さなかったし、
世話もよくやってくれた。
自分似の子供に「パパとそっくりだね〜♪」と
笑いながら話す同居人を見て、私はこの人も人の親になって
何か変わってくれたらいいのになと願わざるをえなかった。

子供が6ヶ月になる頃、朝帰りが多くなった。
仕事で大変なんだなと思って、
「ごめんね、友達は皆遊んでいるのに、パパだけ、こんな苦労して・・」
と言ったら「いいんだよ、子供の為にも頑張るよ」と同居人は笑った。
その夜が同居人との最後のHだった。
同居人は自分勝手に終らせると私にこう言った。
「変わったね」
私「えっ?何が?」
同居人「子供を産んでから・・・」
私「うん?」
同居人「性格とか・・・じゃなくて・・・」
私「何が変わったって?」
同居人






とても酷い言葉でした。↑エンピツ投票ボタン

こっちはMy追加のボタンです。


同居人は薄笑みを浮かべて中傷しているかのように私に言った。
その言葉を思い出すと今でも悲しくなる。
出産は立会いだった。3k以上もある子供を産んで、まだ半年しか経って居なかった。
自分の子供を産んでもらった女に対して言う言葉なんだろうか?
そう思っていても・・・決して口に出して欲しくなかった言葉だった。
「この人の心の中には相手に対して思いやりの欠片も無いんだな」
そう思って、私は同居人とHが出来なくなってしまった。

H出来なくなった理由は・・・まだあった。
年末に金融業者に多額の借金かある事が判明した。
問いただすと同居人は年末だというのに家に戻って来なかった。
帰ってきた時、同居人の首にキスマークがあった。
浮気だった、朝帰りも納得した。
同居人に聞くとアッサリ相手の住所と電話番号を教えてくれた。
相手に子供と私の事はどんな風に考えていたのか聞くと、
結婚している事さえ知らなかった。
車に積んであったベビーカーは車ごと兄のだと嘘を吐いていた。
同居人は自分の子供の事さえ否定して浮気をしていたのだ、
私は相手が可哀相になって、離婚するので、これからは気兼ねなく
付き合いが出来ますよ・・・と言ったが同居人は「遊びだから」と言って、
後始末は全部、私にやらせた。
「離婚する」と言うと、まだ歩けもしない子供を私から
引っ手繰る様にして奪い取り
「子供を置いて出て行けるものなら出て行け」と言う。
同居人の実家に電話すると
「まだ、若いんだから仕方ないでしょ、それを納得して結婚したはずよね、
それに、子供の面倒はキチンと見てくれているんだから無理に引き離しちゃ
可哀相よ。」と言われた。
それでも反省の色も見えず同居人の醜態はまだまだ続く。
折角、入れて貰った私の叔父の運送会社でトラックを廃車にする程の
事故を起こした。
叔父は全額、被ってくれて「まだ、やる気があるなら仕事を任せる」
とまで言ってくれたのに、会社からQ2に電話をして、
最後までしらっばくれ解雇になったり、
私のノート型のPCの液晶を殴りバラバラにしたり、
給料明細を誤魔化してお金を抜いたり・・・。
休日なのにも関らずスーツを着てバックには私服を持って嘘を吐きながら
出掛けて行ったり・・・。
数え上げたらキリが無い程の嘘を嘘で塗り固めた生活。
困った事に、給料は片手で収まる時もあった。
何度も、もうやっていけないと言ったが、その度に泣き叫ぶ子供を捕まえて
子供は自分が引き取ると言う。
どう考えてみても同居人に子供を育てる時間や心の余裕がある訳も無く、
今まで・・・離婚を断念しざるを得ない状況だった。
子供が1歳を機に私は私に戻ろうと思った。
何も、こんな同居人の為に我慢する必要もないんだ・・・。
そして、私も同居人と同罪になった。
でも時々、寒くなると骨折した所が痛み出す。
「貴方が抱えてる子、もしかしたら今、ここに居なかったかもよ。
言うなれば、あれは殺人未遂。今抱いてる子供を貴方自身が殺そうとしたのよ」
私が離婚する時、同居人に言ってやろう。



<今日の出来事>

今日も長い長い「今までの事」を読んで下さって有難う御座います。
m(__ __)m。m(__ __)mm(__ __)m。
本当に感謝です。

ところで、昨日の日記の続きなんですが・・・・。
あの後、彼が家に来ました。
子供が居るので同居人帰ってこないとナカナカ外出は難しくて、
良いのか悪いのか彼が家に逢いに来てくれる事が度々、あります。
彼も私も最初は子供に悪影響だからと考えて居たのですが、
子供も小さかったし、将来、一緒に居たいと真剣に考えた結果が
今の現状です。
昨日は彼の会社から仕事の依頼もあって、家で打ち合わせをしていました。
夕飯も食べてくれました。
大好きなサッカーの試合も一緒に見れて、とても幸せに過ごしていました。
仕事の打ち合わせもあらかじめ終って
「そろそろ、帰るね。旦那さんも帰宅すると思うし」
とお別れのキスをしている時に、
「ガチャガチャ」
と玄関の扉を開ける音がして、同居人が帰宅しました。
私は大慌て・・・・・。
「パパ?」
「ちょっと待ってて・・・・」
そう言うと、彼の靴を持ってベランダへ行くように彼に目配せをしました。
でも、玄関の扉はもう開こうとしています。
彼は
「すみれ?大丈夫だって」
と言うと椅子に座りなおして、仕事の資料を広げていました。
同居人が家に入ってくると、彼は「お世話になって居ます」と同居人に
頭を下げました。
同居人も「何時もお世話になっています。」と挨拶しました。
でも、私は内心ドキドキしています。
心臓の音も聞こえました。
何故なら・・・・。





↑本当にビックリすると思います。私本人ビックリでした。エンピツ投票ボタン

My追加

あの時は暗くてよく見えなかったし、彼も今日のように眼鏡は掛けていなかったし、
その後、同居人は彼を殴って?(かすっただけだけど)
怒って家を飛び出して出て行ってしまって彼の顔をよく覚えていないと思ったけれど、
昨日は、ばれちゃうんじゃないかと思ってドキドキでした。
目の前の彼は平然と仕事の話・・・・・・。
彼は普段、小心者で何時もオドオドしている所がチョッピリあったのですが、
昨日は開き直ったような感じでした。
人は時と場合によっては変わるんですね。
同居人は知ってか知らずか・・・最初、可笑しいな〜という不信感は
あったのだろうと思いますが、
その後、彼が帰った後も何も言いませんでした。
本当は知っていて言わないだけなのか・・・それとも、本当に覚えていないのか・・・・。
覚えていなかったらカナリのヤバイ人ですね。
どちらにしても、妻の浮気も怒ったのはブライドがどうの・・・とか、
子供がどうの・・・と言うような話で
私が浮気・不倫をした事は何も悲しくも無い・・・っと言った人なので。
昨日も浮気相手が家にまだ来て居ると解って居たとしても、同居人にしてみたら、
どうでもいい事なのかもしれませんね。


今日も彼は土曜なのに午前中、サッカーの練習に行くと言って自宅から
わざわざ、サッカーの恰好をして家に来てくれました。
今日は車のタイヤ交換をしてくれる約束。
こんな時期なのに・・・・同居人は何もしてくれなくて、
彼が見かねて交換してくれる事になったのです。
私が出来ない家のほとんどは今、彼が色々やってくれています。
これも・・・・同居人が知ったら、どう思うのでしょう・・・・・?
タイヤ交換もスカパーのアンテナが壊れた時も同居人本人が車をぶつけた時も、
そう言えば車検の時も同居人は何も手配しようとはしませんでした。
頼んでも「解った」と言うだけで決して自分で動こうとはしません。
彼は困っている私を見ると、「僕が出来る事はやってあげるから心配しないで」と言って、
スカパーのアンテナを取り付けてくれたり、車の修理を出しに行ったり
代車を手配してくれたり、車検屋を調べて車を出しに行ってくれたり・・・
何時も「自分の家じゃないのに、こんな事までやらせてごめんね」
と言うと
「いいんだよ、すみれの為になる事、頼りにされる事が凄く嬉しいんだよ。」
と言います。
その度に、「どうしてこの人が私の旦那さんじゃないんだろう?」と少し寂しくなります。
今日は一緒にタイヤ交換をしました。
彼は一緒に何かを出来るだけで本当に楽しくなる人です。
彼も私の知らない事を教えたりするのが楽しいみたいです。
「すみれと色々、覚えたり勉強したりしたいね。二人で作業したら、
どんなに難しい事でも一緒に考えて解決出来そうな気がするね。」
何時も彼が私に言ってくれます。
それを聞くと私もどんなに困難な事でも出来そうな気がします。

昨日の事は二人とも「危なかったね〜」と言って笑いました。
「昨日の続きね・・・・」と言って沢山、チュ〜〜♪としてしまいました。
二人で「見つかったらどうしよう?」と言いながら家の鍵とチェーンを掛けました。
何時ものように「すみれ・・・・・」と呼ぶ彼のかすれた声を聞きながら私は、
「困難な事かぁ・・・困難な事を楽しくする彼と子
育てが出来たら、どんなに楽しかっただろう・・・・」
「でも・・・・・何時までこんな事続くんだろう?」
と夢みたいな事と現実と彼の事・・・どれも感じてしまいました。





2002年06月07日(金) 今までの事<同居人3>



破談になると思っていた結婚が破談にならなかった。
同居人は考え込んでいたけれど、
これも自分の人生だと思ったのかもしれない。
結婚式までに就職も決まって、一安心していた。
ところが、蓋を開けてみると、
同居人には多額の借金がある事が判明。
(多額と言っても今なら屁とも思わない額だが)
私の母に話すと、結婚というスタートに借金があったんじゃ、
良いスタートもきれないだろうからと、結婚前に逝ってしまった、
私の実父の遺産金を同居人の借金にあてがってくれた。
そのお金は苦労をした母が全額貰うはずだった。
それでも、全部お前名義になってるからお前が使えば良いと渡してくれた。
私も母に甘えてしまった。
まだ、本当に結婚してやっていけるのだろうか?
私がこの人を幸せにして行けるんだろうか?
と疑問がイッパイで・・・それを母に甘えてしまっていた。

実家が遠い私は結婚式を実家で挙げた、
同居人の家は事情があって御金も無かったし、
親戚付き合いも少ない家柄で、
(同居人が学校を卒業したばかりだったし、
同居人自身、結婚資金なんて夢のまた夢だっただろう)
式の御金も準備金も全て私の家から出し貰った。
もちろん、結納金なんて一銭も無い。
会社の関係もあるので、
今、住んでる所でも会社関係の人を呼んで少しばかりのパーティーをして、
やっと一通りの事が終ってホッとしたのか私は倒れてしまった。
ストレス性の胃潰瘍、それが病名だった。
実父の死・妊娠騒動・結婚・借金・そして仕事・・・。
「疲れた」
と思った。
暫く休もうと思って1ヶ月入院した。
退院してからすぐに仕事に復帰した。
又、毎日、遅くまで仕事が続いた。
家事はなるべく早く起きて夕飯を作っておいて冷蔵庫に入れておいた。
同居人の仕事も遅くなる事が多く、
御互い帰ってきて作る時間を省いて一緒に食べられると思ったし、
もし、先に同居人が帰って来ても冷蔵庫から出してチンッして食べて
貰えると思ったから・・・。
でも、一緒に御飯は食べられなかった。
具合が悪くて、それどころじゃなかった。
仕事から帰ると眠くて御飯も食べずに熟睡する毎日。
朝は頑張って起きるけれど、それでも睡魔に勝てない日が何日もあった。
退院してから1ヶ月後、病院で退院後の検診。
主治医の先生から、こう告げられた。







↑貴方は今、これを言われて嬉しい?エンピツ投票ボタン

こっちはMy追加のボタンです。


私は自分が妊娠していた事を知った。
複雑だった、妊娠騒動を起こしてまで結婚したのに、
素直に嬉しいと思えなかった。
すぐに母に電話した。
でも・・・・
私に届いた言葉は
「おめでとう」ではなかった。
悲しくなった、
色々、心配は掛けたけれど、
迷惑も沢山掛けたけれど、
「おめでとう」と言って欲しかった。
言って貰えない理由も解かっていたけれど、
母親だったら・・・・
「おめでとう」
って・・・・・。
泣いてる私に同居人だけが、
「嬉しいよ。凄く嬉しい。」
と言ってくれた。
まだ、不安な事はイッパイあるけれど、
その時、私は頑張れそうな気がした。
この人と、この人の子供を一緒に育てて行こうと思った。



<今日の出来事>


まだ、今日は夕方です。
子供が居ると日記の更新が出来ないので早めにする事にしました。
今日は同居人が子供を保育園に送って行ってくれました。
昨日、同居人が帰宅してからPCを弄っていた私に、
「マンマ・・・今日の朝はゴメン」と言いました。
でも、私は「あぁ、うん。」としか言いませんでした。
同居人が一言、言って別な部屋に移って行った後、
閉じていたウィンドウを開いて、
何事も無かったように彼とメッセを続けました。

先日、とても可哀相な日記を読みました。
彼女は29歳で旦那様の事をとても愛しています。
子供もすくすく成長して可愛い盛りみたいです。
でも、旦那様は浮気をしている。
毎日の浮気相手とのメールの遣り取り、
毎晩のメッセ。
彼女はそれを知っていて、とても苦しくて辛くて遣りきれない想い。
旦那様のすぐ側に居て、旦那様の事を一番、愛しているのは彼女なのに、
どうして旦那様はそれを解ろうとしないんだろう?
彼女は旦那様に私を見て、私を想ってと何度も懇願しているのに・・。

私達とは全然、経過は違うし御互いの気持も違うだろうけれど、
今日、同居人と彼女を重ねて見てしまいました。
そして、彼の家の人もそうなのだろうか?と少し考えました。

これから、私達はどうなっていくのだろう・・・・。
今は何も考えたくない・・・・逃げているかもしれないけれど、
今は・・・そんな風に思っています。

それにしても、この日記、過去の事ばかりでチットモ前に進まないです。
でも、私達がどうしてこうなったかを書き留めておきたいです。
不倫を正当化しようと思っている訳でもないし、
それぞれの事情があって今、こうしている訳で・・・。
あぁ・・・
ナンカ言い訳っぽいのでやめにしときます。
今日の彼は又、日帰り出張です。
しかも同行者も居るのでメールも電話も来ません。
それでも、午後からの出張だったので、
午前中は何度も電話をくれました。
きっと、出したメールも目は通していてくれているでしょう。
無事に帰ってこれたらいいです。
もし、何かあっても私の所へは連絡なんて誰からも来ないから。
無事に帰路についてくれたら、それだけでいいです。
そう言えば、まだメル友だった頃、彼から一日メールが来なかった時、
その日も日帰り出張で・・・待っても待ってもメールが来なくて、
私・・・やっちゃいました。
電話して・・・・。


すいません!!○○さんって方、
交通事故で死亡していませんか?



そうです。心配で心配で・・・・。
警察に電話してしまいました。
その後、彼からのメール・・・。

飲みに言ってただけだった(^▽^笑)

後日、彼に話すと。
「可愛いね〜♪」
と言われてしまいました。
つい何ヶ月前の話なのに、もう遠い昔のような気がしてしまうのは
どうしてでしょうね・・・。




2002年06月06日(木) 今までの事<同居人2>


同居人と意味も無く付き合うことになってしまった私。
でも、私は9歳年上でりっぱな社会人。
同居人はまだ、学生。
余りにも在り過ぎるギャップに着いて行けるんだろうか?
いや、着いて来れるんだろうか?
私はそれまでと変わらず仕事が忙しくて同居人を構っている
暇など無かったし、
節操も無く同居人が頻繁に鳴らす携帯の音に時々、苛立ちも
覚え始めていた。
しかしナントカして、私が空いた時間を指定して会う事を話してみても
同居人は友達と遊んでいたり課題をやっていて、会う約束も取り付けられない。
「こんな子供相手に私は何をしたいんだろ?」と私は解らなくなって来ていた。

ただ、会っている時間は違った。
一緒に映画を見たり、お気に入りのCDやアーティストの話をしたり、
学校の話などを聞いていると、
まるで自分も夢や希望を持っていた学生時代に戻ったような気がした。
何より、その頃の同居人の素直に真っ直ぐに私に向けられる気持が少し
嬉しかった。
でも、まだ本腰を入れて付き合っているという気分にはなれず、
何時別れを切り出そうか?と考えていた。
そんな矢先、同居人の浮気が発覚した。
それを知ったのは一本の悪戯電話・・・。
家に居ると掛かってきた。
鼻をつまんでいるような女の声・・・。
名乗るでもなし私を中傷したような笑いや、
年齢の事を聞かれた。
向こうから切るでも無しに私から電話を切った。
その時、私は家の電話とは別に携帯で同居人と
たわいの無い会話をしていた。
今考えてみると突然の悪戯電話で同居人の内心は
かなり焦っていたのだと思う。
次に電話が来た時、私は同居人と家に居た。
今度はキチンと名乗った。
その女は同居人と付き合っていると言う。

私の横で同居人の体が震えていた。

後日、その女と同居人と話をする場が与えられた。
会ってみた、その女は私と10歳以上も離れた、まだ可愛い女の子と
いった感じだった。
「こんな女の子が、こんな事をするんだ・・・。
でも、そうさせたのは同居人なんだ。」
どうしても同居人を許せなかった。
「すみれさんが僕を構ってくれなかったから・・・・
寂しかった・・・・・凄く寂しかった・・・・」
同居人は女の子に事情を説明して、
女の子は諦めて泣きながら帰った。
二人しか居ない部屋はずっと沈黙が続いて、
暫くして同居人が

「別れたくない」

と言って泣き出した。
私は・・・・・・・・


許してしまった。


でも、今度は9歳も離れた、この男の子とキチンと
向き合おうと思った。


でも、同居人は又、やった・・・・。
今度は体の浮気じゃなくて心の本気だったみたいだ。
私がキチンと向き合って付き合い出したから暫くして、
同居人はバイト先を変えた。
沢山、お金が欲しいから・・・・
そう言って、知り合いのバーで働き出した。
飲めない酒を毎日、浴びるほど飲んで泥酔状態で
家に来たりした。
段々、同居人が冷たくなりだして、
「可笑しいな何か在ったのかな?環境が変化したせい?」
或る日、同居人の携帯に留守電が一件残っていた、
聞かなければ良かった・・・そう思った。
女の人とデートの約束をしていた。
留守電はそれのスケジュール変更の知らせだった。


心臓の音が聞こえた。


悪い事をしていると思ったけれど、
同居人の財布を覗いたら、
留守電に残っていた名前と同じ名前が書いたメモが出て来た。
女の人の文字で名前と電話番号と家の地図が書いてあった。
同居人に知ってしまった事を話すと逆ギレされた・・・。
「俺が何をしようと俺の勝手だろ」と昔の私のような台詞を口にした。
「因果応報だ・・・・」
私は思った。
暫くどうしようかと考えた。
友達にも相談した。
友達は冗談で、
「そんなに嫉妬に狂うほど好きなら、
キッパリ別れるかアンタの年なら・・・・・うーん、
結婚するかどっちかにしたら?」と笑った。
私も・・・・・そう思った。
同居人はもう、学校を卒業する時期だった。
何を思ったのか、私は・・・・。
吐いてはいけない嘘を吐いた。







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話はトントン拍子に進んでしまった。
これで私の思わく道りって事になるんだろうか?
本当にそれで良いんだろうか?
何か間違ってるんじゃないだろうか?
母親が450kの距離をわざわざ8時間も掛けて来てくれた。
同居人と私と母と3人で御飯を食べながら、
母は私に何度も子供を育てて行けるのか聞いた。
私は・・・・。
「育てて行けるよ」
と又、嘘を吐いた。
同居人は学校を卒業していたけれど、就職先を見つけられなかった。
仕事は別に妊娠している訳じゃないから、続けられる。
どうにか・・・・なる・・・・。
何とでも嘘を吐いて逃れられる。
これで、結婚してしまえば同居人は
もう、離れていかない。
浮気もしない・・・そう思った。

同居人は暫くして荷物を全部持って私の家に住みだした。
昼間は何もしないで寝ていた。
夜、仕事から帰ってきてみると何時も居なかった。
胸騒ぎがした・・・。
あの女の所に行ってるんじゃないだろうか?
まさか・・・そんな事或るはず無い・・・。
もう、一緒に暮らしてるんだし・・・。
第一・・・昨日も母親に逢った。
(母は私の妊娠を気遣って何度も遠い所、足を運んでくれた。)
前に見たあの電話番号や住所のメモはまだ、私のバックの中に入ってる。
「行ってみよう」
そう思った。

少し寒かった・・・。
アパートの中の下の階段に少し佇みながら、
やっぱり来なきゃ良かったと思った。
こんな所に同居人が居るはずも無い・・・。
そう思った瞬間、上のほうの階で声がした。
「じゃ〜ね〜又ね〜」
「うん、バイバイ」
そんな遣り取りだった。
階段を降りて来る・・・隠れなきゃ・・・、
とっさに身を隠した。
相手の姿は隠れたせいで見えないうちに外へ出てしまった。
私は後を追った。

「どうか同居人じゃないように・・・・」

祈るように姿を見た。

駄目だった・・・・。
やっぱり・・・・。

顔面蒼白の私と同居人の顔がそこにあった・・・。

私は持っていた携帯電話の手の方で、
同居人の顔を殴った。

その後、彼女の家で話して無理に二人を引き裂いた。
引き裂いたというより・・・。
一方的に同居人が彼女を好きだったと言う話で終ってしまった。
彼女も私の存在や妊娠話を知っていたはずだった。
彼女を知って私は何度も2人に会わないでと言って来た。
そして、その日彼女は同居人とはもう会いませんと言った。
でも、いい大人の男女が一つの部屋で何時間も一緒に居て・・
それも一日だけじゃない・・・
本当に友達だけだったのか・・・同居人が一方的に好きだっただけの・・・
そんな関係だったのか、
未だに私には解らない。
どちらにしても、私は同居人の気持を土足で踏み潰した。

1ヶ月後、今度は私が殴られた。
結婚式は秒読みだった。
それなのに、実父は逝ってしまった。
それも・・・。
自分の手で・・・。
(実父の事は又、今度触れます。)
私は自分の存在価値について考えていた。
私が生まれてきた意味や何の為に生きていくか・・・。
妊娠
ってこんなんじゃないんだな・・・。
そう思った。
お通夜が終った後、同居人に言った、
思い切り殴られた。
「俺の人生どうしてくれる」
と怒鳴っていた。
下から2階に祖母ちゃんが上がってきてビックリしていた。
「喧嘩ばかりしてたら死んだお父さんが心配するよ」
と言って仲裁に入った。
「破談になるんだな、いい笑いものだな〜」
そう思って自分で自分を失笑した。



<今日の出来事>


朝から同居人と口喧嘩。
子供をどちらが保育園に連れて行くか・・・。
怒ったまま人の話を聞かず出て行った。
腹がたって納まらず、子供の登園時間がとっくに過ぎているのに、
家の電話と同居人の携帯で怒鳴りあい。
私達の喧嘩は何時もこんな感じ。
どちらも自分の主張を曲げようとはしない、
何時まで経っても平行線。
何時も堂々巡り。
同居人はそれさえも気づいていない。
周りからは
「すみれの方が姐さん女房なんだから・・・」
「女は男より精神年齢上でしょ?」
と何時も言われて来た。
私に我慢しろっっと皆、言う。
年下の男と結婚した事を恨めしく思った。
今度、生れ変わって結婚する時は絶対、年下の男はやめる。
もし、年下の男しか世の中に居なかったら結婚する時は・・・・・。
もっと大人のシッカリしたヤツを選ぼう。
そう思う。

彼は今日、会社から直帰・・・。
それでも会社で私の主婦業時間を終るまでメッセで待っててくれる。
子供が居るしナカナカ主婦の時間は終らない。
御飯を食べさせた次は御風呂に入れてドライヤーで髪の毛を乾かして
少し経ったら添い寝をしなきゃ。
それに最近私のPCのワイヤレスLANの調子が悪い、
メッセも繋がっても何かの拍子ですぐ切断。
今日は彼が帰るまで上手く繋がらなかった。
それでも、家に帰るまで電話は繋がっている。
「今日、夜メッセ出来るかな?PC立ち上げれたら呼ぶからね。
オヤスミ・チュ♪・愛してる」
そう彼が言って電話を切った。
深夜、彼がメッセを開いてくれる。
少し話をしていると同居人が帰宅。
その拍子に子供が起き出した。
「少し待っててね」
子供を又、添い寝で寝かす。
遅くなってしまったけれど、待っててくれたかな?
そう思って何度も呼びかけたけれど応答が無い。
又、メッセ開いて寝ちゃったんだな・・・。
それから、朝方まで返事は無かった。
彼が話しかけてくれたとき、私のLANが又、切断状態になっていた、
1件の寂しいメールが5分後に到着。
「すみれ?起きて待っててくれたんだね。
メッセ話しかけたけれど反応が無いから又、PCの調子悪いんだね。
僕は眠いから、寝るね。ごめんね。
明日、朝に電話するね」
前は彼が私の事をずっと待っててくれたメッセ・・・。
今は逆の立場・・・・。
少し寂しいね・・・。
明日、逢えるといいな〜。
おやすみなさい。




2002年06月05日(水) 今までの事<同居人1>


私の同居人は9歳年下、
結婚する時、よく周りからは「本当に大丈夫なの?」
「やっていけるの?」と聞かれたものだ。
実際、結婚する前の年まで同居人は専門学校生だった。
結婚したのは丁度、3年前の今日のような晴れでもなく雨でもない、
普通の平凡な一日だった。


私はその当時、何だかんだとあったものの、
同じ会社に10年も勤続していた、
それなりの役職もあったし、なにより仕事が好きだった。
女ばかりの会社で自分の先輩や後輩が早々と寿退社をしていく中、
私は結婚しても出来るなら仕事を続けて行きたいと思っていた。
仕事内容はハードなもので帰宅時間は何時も遅く、午後10時に夕食を
食べて当たり前の日々だった。
休日も週末はほとんど取れず、周りが一生懸命に仕事をしている、
平日が多かった、歴代の彼氏と遊びに行ったり旅行に行く事はほとんど無く。
その為か、同居人と結婚するまで彼氏とは
いつの間にか半同棲状態だったり、お互いに行ったり来たりするのも
億劫になって、同棲する事のほうが多かった。
同棲していても相手との仕事のシフトが合わず、
二人揃って家でゆっくりしている時間は少なかった。
その為か、すれ違いが多く、いつの間にか相手に新しい彼女が出来たり、
帰宅が遅い私の仕事を理解してくれなかったり、
トラブルは絶えなかった。
それでも、私は仕事をやめたり転職しようとは思わなかった。
『仕事が生きがい。』
そんな生活だった。
だから尚更、結婚相手は私の仕事を理解してくれる人をと、
ずっと思っていた。


同居人と私の出会いは、
そんな仕事仲間と打ち上げに行った或る居酒屋でだった。
その居酒屋は会社でよく使う店で、私も何度も足を運んで居た。
同居人はそこのアルバイト社員だった。
「2・3度見掛けた事がある人だな」
これが私の同居人に対する第一印象。
どちらかと言うと人うけが良く、好感度を与えるほうかもしれない、
そんな同居人が、その日は仕事仲間に声を掛けてきた。
「今度、皆で飲みに行きませんか?」
まだ、可愛さの残る若ぞうといった感じの同居人を仕事仲間は
ヤンヤヤンヤとまくし立てたりして遊んでいた。
仕事仲間は、皆20代も半ばを超えた女ばかりだったが、
仕事柄、外見がチャラチャラして若そうに見えたのだろうか・・・。
打ち上げが終って、そろそろ帰ろうと席を立ち、
お勘定を済ませる同僚を待ち後ろで店を出るのを待っていた私に
同居人はそっと小さなメモを渡して、
「今度電話下さい」と小さな声で言った。
後日、私はある同僚にその事を告げると
「電話してみれば?」と笑われた。
私はメモを会社のデスクに仕舞い込み、又淡々と日報の計算を始めた・・・。


何日か経って夜遅くまで仕事をしていた私は書類を出す為に、
引き出しを開けてメモを思い出す。
会社には誰も残っていなく少し考えた後に電話をしてしまった。
同居人も遅くまでバイトをしていたが、その日は休みで、
長々と会話をしてしまう。
同居人の話によると会社で打ち上げに行く度に私の席の
担当になればいいな〜と思っていた事。
私の職場は何処か外見ですぐに解った事。
バイト先からタクシーを乗る姿を見て、会社と家の間にバイト先が
在りそうな事、そして、あの日お勘定を待つ同僚の一番後ろで待っていた
私にチャンスが来たと思い、メモを渡した事を聞いた。
「・・・・・・・・・・・・・」
これが私の答え。
私にはその時、同棲相手が居た、
9歳年下の男に、そんな事を言われても困るだけだった。
同居人はそれでも良いから、一度、会ってと言う。
同棲相手は仕事から帰ってくるのは早朝ですれ違い生活、
私の帰宅時間と同居人のバイトが終る時間は同じくらいで、
別な日に一度だけの約束で逢う事を承諾してしまった。
同居人との初デートは深夜だったので、
バー巡り、お酒が弱いのか直ぐに顔を赤くした同居人が今となっては
懐かしく感じる。
9歳も年下の男とデートなんて話が合うんだろうか?と思っていたが、
意外と楽しく時間はあっという間に過ぎてお別れの時間、
携帯の番号は教えないつもりだったのに、
又、遊ぼうと約束をして私の携帯番号をメモリーに入れた同居人が
そこに居た。
何度かデートを重ねるうちに同居人は
「お願いだから僕だけのものになって・・・・」
と何度も言うようになった。
私も同棲相手とのすれ違い生活が耐えられなくなって、
暫く経ってアッサリ別れてしまった。
でも、同居人とは本気で付き合っていた気がしない・・・。
それは9歳という年の差に余りにもギャップを感じていたからだった・・・。


<今日の出来事>






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彼と付き合って今日まで229日。
こんな風に怒鳴られる日が来るとは夢にも思って居なかった。

今日は彼と逢う予定も無かったし、
普通にメールやチャットで終る一日だと思っていたから・・・。
でも、どうしてもに彼に言わなくっちゃいけないと思って、
会社とは別に彼が借りている仕事場へと車を走らせた。
途中、彼は私を迎えに来てくれていた。
「運転大丈夫だった?」
昨日と変わらず優しい笑顔。
そんな彼が私に・・・怒鳴った・・・。

今日、私が彼に言わなければいけないこと・・・。
それは先日の喧嘩で一週間の冷戦状態の時・・・・。


男の人と逢った事・・・・・。


この前の彼との喧嘩は今までで一番、辛かった・・・。
よく喧嘩はするけれど、
一週間も放置されるなんて(正確には3日でメールをくれたけれど、
何時もは一日に十件以上てメールをくれてたのに1件なんて・・・)
それに、もう終わりだと思った。
彼も私との事を「疲れたよ」って言っていたし。
私は毎日、泣いて泣いて泣きはらして・・このまま死ねたらな〜と思った。
子供を保育園に迎えに行った時も、そんな顔じゃ「???」って顔で先生に
見られてしまったし、同居人も私のふさぎ様にはビックリしていた。
私も何だか耐えられなくって・・・思わず、前にアプローチを掛けてきていた
その人に電話してしまった。
逢うつもりは無かった。
「相談に乗るよ」
「腐っててもしょうがないでしょ?」
そう言われて逢ってしまった。
近くのショッピングセンターに行ってお金をおろすのに付き合って貰った後、
「公園に行こう」
と言ったのは私だった。
歩きながら彼の事をポツリポツリと相談した。
でも、相手が取った行動は・・・。
私の手を握ったり・・・・・
肩を組もうとしたり・・・・
「帰ろう」
私はそう言って公園を出た。


後悔した。


今まで付き合っている人が居るのに、
他の男の人とキスしたり、抱き合ったりしてきた、
問い詰められても、
「私が何をやろうと勝手でしょ!!」
と言って来た。
でも、今回は違った・・・。


私の・・・。
手も・・・。
肩も・・・。
全部が・・。


彼のものだった・・・・。


何時も私の事を大切に想ってくれて、
私を傷つけないように話してくれて、
気を使っている彼・・・。
そんな、彼に申し訳ないと心の底から感じた。

「私・・・何してんだろ・・・。」

帰りの車の中でポツリと思った。

その後、何とか私と彼は修復したけれど、
この事を隠しておくのは嫌だった。
付き合いを始めるときに、
私は自分から
「嘘をついたり隠し事をするのはやめよう」
と約束して居たし、
私の今の生活が嘘で、隠し事を何度もされて、
裏切られて最後には諦めているから・・・・・。
彼とはそんな風になりたくなくて自分からそう言い出した事だった。
昨日も一昨日も、その前にも言える機会は沢山あった・・・。
でも、言い出せなかった。
私は馬鹿なのか、彼と喧嘩するとすぐに誰かに頼ってしまう。
女の子の友達はもとより、
逢った事は無かったけれど、
2ショットチャットや昔の男友達を引っ張り出して来て、
結論も出ないのに彼の事を相談した。
そんな事をいくらしても彼とは仲直りなんて出来ないのを知っているのに、
彼と修復したかったら彼本人と話し合わなければいけないことを
私自身、知っているのに。
彼はそんな私を見て・・呆れた風で余り怒りもせず憤りを感じている事を
私に言っていた・・・。

今度、やったら・・・・。
きっと、もう付き合う価値の無い人だって・・・
そう言われるんだろうな・・・

だから、尚更、この事を話すのを躊躇して居たんだと思う。
でも、今日は違った。
今日、話さなければ一生、この事を話せなくなる。
一生、彼に隠し事をする事になる。
そう思って猛スピードで車を走らせた。

今日・・・・
相談相手の男の人から電話が来た・・・。
彼と修復した事を話すと態度が急変した。
少し怒ってるようだった。
私が今回電話する前
相手が何度も私に電話してきた当時、聞いたことがあった。
「私とどういう付き合いをしたいの?」
答えを濁したまま電話はそれきり来なくなって、
私はもう諦めてくれたんだと思った。
今回「俺、いい相談相手になれると思うよ」と言ってた。
だから、相談相手にはピッタリと思った私が馬鹿だった。
彼は私をまだ想っていると言った。
私は
「じゃ〜もう、2度と逢えないね、逢えないじゃなくて・・逢わない」
と告げた。
少し・・・・悪い事をしたと思った。
無意識に?!相手を傷つけたのかも知れないと思った。


彼に全部、言った。


「私は悪い事をしました。
人を傷つけました。
相手の人を傷つけてしまいました。
貴方を裏切りました。」


そう言いたかったけれど、声にならなかった。


そして、少し呆れ顔でやりきれない態度を取った彼が、
私に・・・・
怒鳴った。


彼のそんな態度を見たのは初めてだった。
何時も優しくて、理論的に物事を話す彼・・・。
喧嘩している時も声を荒げたり絶対しない彼・・・。


「壊れちゃう」


そう思った。


私は放心状態になった。
あれもこれも、全部、私がやった事だから・・・。
仕方ない・・・・。
これからどうなっちゃうんだろう?
ずっと下を向いていた・・・。
そう思ったら。


彼が私を・・・。
ギュっとした。


「怒鳴ったりしてごめんね。
ずっと言いたかったんでしょ?
何か言いたそうにしてたもんね・・・・。
でも、これからはやめてね・・・」


そう言って頭を撫でてくれた。


彼が私に言った。
「すみれは、おてんば娘だね、
何度注意されても悪戯するの・・
本人は悪戯だと思ってなくて・・・。
何度、注意されても解らない。
でも、もう立派な大人・・・
そろそろ、おてんば娘は卒業しなくっちゃね」


彼はこういう風に、自分の子供を育てているのかな?と思った。
こんな風に・・・育てて貰えるなら・・・。
私は私じゃなくてもいいなと思った。
彼の子供になりたいな・・・・
フッと思った。


気づいたら・・・
15で家を出て、もう18年。
こんな風に人から叱られたのは・・・・


初めてだった・・・・。










2002年06月04日(火) 今までの事<告白>




彼とメッセで初めての喧嘩の数日後にとても寂しい告白をされた。
彼は誰も居ない深夜の会社でポツリと告白・・・。
寂しい環境、寂しい告白。
彼はとても心細かっただろうな・・・。







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いわゆる、セックスレスというヤツ。
今はもう、家の人としたいとも思わなくなったと言っていた。
彼は結婚生活10年以上の良いパパで子供も大きなお兄ちゃんが2人居る。
私は「どうして、そんな事私に言うのだろう?」と思っていたが、
よく話を聞いてみると実は彼も結婚後、私と同じく1度だけ不倫関係に
あった女性が居て、その女性に「お家の人とも仲良くやってね」と
言われていたらしく、私にも同じ事を言われると思っていたらしい・・・。
でも、私には理解不能な発言だった。
彼の元カノも既婚者で彼女の家は順風満帆だったらしい。
彼女にしてみたら、
「私達が上手く付き合って行く為に貴方も家庭は大切にしてね」
とでも言いたかったのだろうか・・・。
それは割り切った付き合いなんじゃないのだろうか?
でも、彼の話によると彼女も彼と一緒居られない寂しさから、
時々、涙を流していたと言っていた。
彼女は彼女で辛かったのだろうか?
彼の最初の不倫は彼女からの一方的な別れで終ってしまったらしい。
彼は「あの発言は彼女が僕との付き合いを続けて行く為、考えた物
だったと思う」と言っていたが・・・。
どちらかがパートナーと上手く行かなくなって、
彼or彼女のバランスが取れなくなってしまったら終る恋なんて・・・
そんなの本物じゃないっと思って私はこう言った。
「彼女は何を考えてたんだろ?
誰だって好きな人が他の人とHしたら嫌じゃないのかな?」
彼もそれに、同意してくれた。
もし、好きな人から「昨日、他の人とHしちゃったよ〜♪」なんて
聞いたら、たちまち嫉妬心が湧き上がるに違いない。
それはどちらかが我慢する事になってしまう。
やっぱり・・・(*_*)ヤキヤキ・・・しちゃうよね。
そういう結論に達した。

夫婦のHは・・・・。
私は結論付けられない。
私も同居人とはセックスレスだから。
結婚3年目でセックスレスは・・・良いとは言えないと思う。
子供と年齢が一緒のママさん達は今年に入って、ほとんどの
人達が2人目を妊娠中になった。
「知らないうちに2人目が出来ちゃって〜」
「2人目は計画的にね」
「やっぱり、一人っ子は可哀相だしね」
皆、それぞれ意見は違うけれど、そうやって話す顔は
何故かしら少し誇らしげ照れながらではあるけれど
優しい笑みを浮かべていた。
夫婦が愛し合って子供が出来る・・・。
特別な事でも稀な事でもなく、
本当は当たり前の事。
でも、私は同居人とはHはしない。
ちょっと下劣な言葉ではあるが、
もう絶対、同居人とは寝ないだろう。
同居人には思うところがあって、相手に対してへの
労りや感謝や御互い尊敬する気持も今は無くなってしまった。
それと一緒に愛情も消えてしまっていた。
相手に対して、下手すると軽蔑しているかのような気持なのに、
Hをしたいと思う気持も湧かなくなって当然だ。
そんな気持ちになってから随分、時間が経った。
同居人も私のそんな気持を知って居るはずなのだが、
時々、忘れた頃になるとベタベタしてくる・・・。
性処理?では無いが、私の存在価値がそんな、おざなりな行為でしか
見い出せないのなら、いっそ一生このまま何もしない方がいいと思う。
外見は仲が良い夫婦、でもセックスレス。
何時も喧嘩ばかりしているのに、子供は次々出来る夫婦。
色々な形の夫婦が居るけれど、
基本は御互いを心の底から必要としているかどうか・・・。
私は気持が無いHならしない方がいいと思う。
快感だけを求めるのなら、誰とだって出来るし、むしろ自慰行為のほうが
面倒じゃなくて良いのかもしれない。
心が伴わないHなんて後から虚しくなるだけだ。
いい大人になって、そんな綺麗事ばかり言ってる自分は何処か可笑しいのか?!
時々、そんな風に思っていたけれど、
彼が家の人とセックスレスになった理由を聞いたら似ていた話だったので、
共感も安心もした。
彼が「うちがセックスレスだからと言って、やっぱり外で遊びのHは・・・
心が伴わないHがしたいとも思えない」と言っていた。
彼は元カノが何と言っても、きっと好きだったんだろうな・・・。
彼女が家の人と上手くやってね・・・と言っても、
彼が抱いたのは彼女であって・・・・。
少し焼き持ちを焼きながら、
「この人・・・女の人と遊びの付き合いは出来ない人なのかもな〜」
とボンヤリ思ったりしていた。
今、彼が・・・夫の義務だからといって、気持が伴わない家の人とHを
したと告白されたら・・私はどうするだろう?
きっと、手を繋ぐ事も無くなるかもしれないな・・・・。




<今日の出来事>

莫大の量の話で日記の更新が遅くなったので、
朝からセッセと更新分を書いていたら、
大切な御友達から1通のメール。
彼女は今、妊婦さん。
体調も最近、思わしくない・・・。
つわりの時期なんだなぁ〜、
私もこぅ〜だったよ、あぁ〜だったよと電話を掛けて
話していたのだが、話を聞いていると今後の事で色々、精神的に
不安な事があるらしく、急遽二人で出掛ける事にして急いで彼女の元へ
お迎えの車を走らせる。
どちらかと言うと、私は出不精・・・アウトドアならぬインドア派で、
最近はもとより昔から人と逢うのが億劫な人。
昔は人の事も考えずに出掛ける予定を突然、ドタキャンしたり、
連絡を入れなかったりもした時期があった。
そうしてると急に逢いに行ったり・・・。
でも、逢いたくても相手の家に長居すると疲れてしまうので、
突然、今からおいでと誘ってみたり・・・
全く、自分勝手なヤツ。
でも、彼女は特別な存在、あそこへ行こう!!ここへ行こう!!と言われると、
彼女だったら一緒に居ても大丈夫と思える人。
今日もお気に入りのカフェに2人で何時間も居て話し込んでしまった。
話は彼女の旦那様の御話。
訳があって今は無職の旦那様。
色々、問題があるから就職も厳しくて、しかも、この御時世
不況続きで美味しい話が在る訳でもなく、
ただ時間が過ぎていくだけ・・・。
今は彼女の体が何も変化していないから、旦那様も子供が出来た
自覚も薄いんだろう・・・。
彼女は今、仕事をしていて2人分の生活費を捻出している。
ただ、最近、つわりのせいで仕事を休みがちになって来て、
自分でも「これから、大丈夫だろうか?」という、
ストレス的な不安を抱え込んでしまっている。
そして、彼女は・・・・
とても優しい人。
相手に自分の想いを思い切りぶつけたりはしない。
一歩ひいて客観的に物事を見てから、最良の方法を選択できる人。
一呼吸おいて相手の立場に立って言葉を投げかけてくれる。
私とは性格が正反対なので、本当に羨ましく、
「その優しい心をチョット分けてくれっっ」と何時も思う。
妊婦になると、妊婦なりの不安が出てくる、無事に産まれてくれるかな?
というのは誰でも思うことだが、
検診のたびに逆子になっていないかな?
子供の体重は○キロしか増えてない?!
果ては子宮ガン検診の結果まで(妊婦になると出産前に必ずする)
本当にヤキモキさせられる。
その上、彼女には旦那様の就職の問題・・・。
結婚前のマリッジブルーや出産後のマタニティーブルーは
誰かしら或る事だが、出産前でつわりの一番、大変な時期に
問題を抱えている彼女を見てるのが本当に可哀相だった。
色々、話を聞いて、私も思うことを言ったのだが、
やはり危機感や自覚の足りなさが足りないのかな〜?と
思ったりもした。
私は出産前まで女ばかりの職場に居た。
男が居ない女の職場はとても冷たい戦場のような物。
とても現実的で結果が出てナンボの世界なのだ。
だから、私も何時しかそんな性格になってしまった。
彼女の話を聞いて、旦那様が何時も「解ってる」と言う言葉を
使うと言っていた。
私の返答は・・・・・・・・。
「解ってるって言っても結果が出ないのは解かっていない証拠」
とても、冷たいがそう言わざるを得ないのが現状。
彼女の旦那様がこれを聞いたら・・・・。
きっと、とても冷たい女だと思われるだろう。
でも、現実はそうなのだ・・・。
就職が決まらなくて彼女も出産で働けなくなったら旦那様も彼女も
そして、産まれて来る子供も自分達では何も出来ず、
路頭に迷う結果になる。
結果かが出ないのなら出ないなりの原因があって・・・・。
それは仕事上では誰も教えてくれない。
でも、旦那様には彼女という強力な助っ人が居るのだから、
2人で原因を追究して、どうにか結果を出して欲しい。
努力したら絶対、結果に出るはずだから、
結果が出るまで努力を惜しまないで欲しい。
努力を怠けると結果はどちらにしても着いてこない。
やれるべき事は全部やって・・・それでも駄目だったら。
諦めてもいいと思う。
結果が出なくても・・・・・。
旦那様にはまだ、『彼女』という選択肢は残されているんだから。

彼女とこんな話をした後に時間があって、彼と逢った。
彼のランチに付き合いながら、
大切な彼女の話をした・・・。
彼曰く、
「男の人はね、何も考えていないようで実は考えているんだよ。
旦那さんもね、彼女以上に色々悩んでいるんだと思うよ。」
でも私は、
「だって、結果は行動から成り立っているんだよ?
結果が出ないって事は行動が伴ってないからでしょ?」
彼・・・・・
「うーん。男はね、ここぞって言う時に今まで見たことも無い
力を発揮したりするよ・・・」
そんな話をしながら私は自分達のこれからの事に問題をすり替えて、
自問自答する・・・・。

「貴方もここぞっと言う時には今まで見た事も無い、行動力を
見せてくれる?!って事は家の人と離婚する時は凄いパワーで私を
迎えに来てくれるんだよね?あんまり待たせてると彼女の御腹みたいに
何時か破裂するくらい大きくなって爆発しちゃうんだからね!!」




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今日も長くなってしまいました。
最後まで読んでくれて有難う御座いました。
ただの私の戯言ですが・・・。
気が向いたら又、覗きに来て下さい。
m(__ __)m
**************************************************




2002年06月03日(月) 今までの事<メッセ・初めての喧嘩>



彼とは昨年の秋の出逢いから急速に仲良くなっていった。
実際に逢った事の無い人への想い・・・。
自分でも複雑な心境のままメール交換は続いて行った。
その頃、私は親類の会社で働いていて、
何時も面倒な仕事ばかり押し付けられ、
ストレスも溜まる一方の日常だったので、彼の優しい面影が漂うメールは
そんな私を癒して行った。
或る日、こんな事があった・・・。

「今日はもう、仕事が終ったよ。御飯食べに行こうって誰かが誘ってるよ」

彼は私を誘ってるつもりらしかったが、私は勘違いをしてしまい、
メールの遣り取りも不十分のまま、残して来た仕事を片付ける為、
又、会社へトンボ帰りを余儀なくされていた。
突然のお誘いに動揺も隠せず、
取り急ぎ彼の携帯番号を聞くので精一杯のメール返信だった。
実はこの御時世、私は携帯を持っていない、
もちろんPC専用のモバイル機も、
だから、自宅から一歩、外に出ると何処にも連絡が取れない。
彼がその時、私からの連絡を
ひたすら1時間も待っていてくれた事を知るのは、
自宅に戻ってきた深夜0時を回った頃だった。
彼からの携帯番号の御知らせも私が知ったのは帰宅後だった為、
その日、彼に連絡を取る事は出来なかった。
でも、どちらにしても、その日に一緒にお出掛けする勇気は
私にはまだ無かった・・。
余りにも唐突な彼からのお誘い・・残業が無かったらどうやって断るか・・
理由が見つからず躊躇していたと思う。
あの日の残業は仕事が進まなかったけれど、
あれはあれで良かったのだろう・・・。
あの御蔭で後日から毎日の様に電話三昧になったのだから・・・・・。
初めて聞いた彼の声は「こんばんは」だった。
とても優しく落ち着いていて包容力のある声。
今でも彼の声を聞いていると、とても落ち着く。
だから、電話で話せない日はとても心細い。

そんな私達がメッセを始めた。
ある一通のメールに私が友人とメッセをしている、と書いたら、
彼がすぐにメッセをダウンロードしてくれたのだ、
それまでにもM○Nのメッセをダウンロードしてくれていた彼だが、
PCがMacの為、使用不可だと聞いていたので、
それはそれで、諦めていた。
だから「Y○hoo!のメッセ、ダウンロードしたよ〜」と聞いた時は
とても嬉しくて飛び跳ねる思いだった。

「これで、彼と何時も繋がっていられる」

言葉には出来なかったけれど、そんな気持だった。
案の定、私達は何時も繋がっていた。
夜になると恒例のチャット大会といった感じ。
相変わらず時間が合えば彼の帰宅時間には
電話もかかさずにしていたのに、
朝日が昇る時間まで話はつきる事が無かった。
そんな、気持を知ってか彼も電話で話せる時は
自宅のすぐ側まで来ているのに、
車を止めて暫く私の話に付き合ってくれたり、
会社でも仕事の手が空いた時には自分の帰宅時間が遅くなるのを承知で
職場から自宅に戻っている私に話しかけてくれたりしていた。
でも・・・。
今でも思うのだが文字だけの遣り取りは時として、
誤解を生むことがある・・・。
私と彼の最初の喧嘩(喧嘩と言える物でもないが・・・)もそうだった。
その日も彼は帰宅時間を少し延ばして私とメッセを楽しんでいてくれた、
でも、話題は何故か恋人らしからぬ出産の話に・・・。
何故なら、私は今2歳になる男の子が居て、
彼と出逢った頃はまだ、断乳もままならない状態だったから、
まだ出産の痛みもシッカリ胸に焼き付き、
そんな話になってしまった・・・。
その時、彼はこう言っていた。

「あのね、僕ね奥さんって凄いと思うの。一人であんな痛みに耐えて子供を
産んで・・・感動だよね。」

私は何だか複雑な気持だった。
彼の事を「きっと、この人はとても家族を大切にしている人なんだろうな。」
「奥さん・・・こんな風に想って貰えて幸せなんだろうな」
「私の同居人もこんな風に想ってくれたら、どんなに幸せだろう・・・・」
私は結婚3年目。結婚する前も後も、そして出産後も色々あって家庭は、
もう崩壊していた。
だから尚更、彼の家族を羨ましくも思ったり、
そんな、家族を大切にしている彼に対しての恋心を「どうにもならないのにな・・」
と放棄してしまいそうな気持ちになった。
彼の帰宅予定時間の1・2時間を過ぎた頃、
私のモヤモヤした気持が爆発してしまった。
「そろそろ、帰ろうかな?」と彼が発した後、私の言った言葉・・・・。








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「それじゃ〜さようなら」
彼の「・・・・・・・・・・・」を尻目に私はメッセを自分から落ちた。
あの、発言は私のエゴの部分だった。
彼とは何時も繋がっていて、初恋気分だったのに、
彼には愛すべき家族が居て、
幸せな家庭を持っている・・・・。
私も同じように家族を持っているのに・・このギャップが許せなかった。
それに、私が自分に気がある事を知っているのに彼はどうしてそんな事を
言うのだろう?と少し悲しい気持ちになった。

後日、この問題は彼の見解の違う発言だと理解できた。
あの言葉は全ての出産経験のある女性に向けた言葉であって、
自分の妻に宛てた物ではない事も説明してくれた。
そして、彼がこう言ってくれた。

「ごめんね、僕も悪かったんだよ。
恋人気分なのに家族の事を話した僕のせいだね。
でもね、家族の事・・・その他諸々、嫌な事も御互い卑屈にならなければ
何でも話せる仲になれると思ったんだ。すみれさんとは何でも話せるように
なりたいから・・・でも、家族の話はもうやめるよ。」

彼は私を許してくれた。
私は彼の寛容さに感謝した。



<今日の出来事>

今日は同居人がオヤスミ。
2歳になる子供は先々月から保育所に通い出した。
でも先日、風邪をひき、治りかけの為、今日はオヤスミをさせた。
同居人の帰宅時間が何時も遅いせいで彼とゆっくり出来る時間は
同居人が休みの時間しかない・・・。
だから今日は彼とゆっくりしたかった。
彼との事で・・・子供には少し悪い事をしていると思っている。
でも、それは同居人以外の人と付き合っているからとか、
子供にとって「お父さん」と呼べる人意外と愛し合っているからとか、
そういう物ではない・・・。
子供と一緒に居る時間を彼に費やしているから・・・そんな思い・・・。
私は全くもって母親失格なのかもしれない・・・。

今日は彼とランチとディナーの予定だった。
彼の職場と私の自宅は少し離れているが、
逢える時間があったら何時でも逢いたいというのが本音。
だから、少しくらい遠くても逢いに行きたいと思っている。
今日は彼の職場まで2度ほど出かけようと予定していたのだけれど、
急遽、予定変更!!
彼の日帰り出張が急に決まって、
それに私も同行する事になったのだヾ(≧∇≦)〃
日帰り出張と言っても2・3時間でいける場所なんだが、
彼と一緒に行けることが
嬉しくて、つい顔もニヤニヤモード。
出掛ける用意の時間もあったけれど、今日はきっと遅くなるな〜と思い、
超フルスピードで2食分の食事を用意して、出掛けた。
彼とのドライブは何時も楽しい。
彼はこの土地で生まれ育った人なので土地勘も抜群で
私の知らない道を沢山、知っている。
でも、最近は私も彼と居るのを安心してかドライブ中に
熟睡する事もしばしば。
ついこの間はディナーの直後から約1時間半のドライブ、
自宅に送って貰うまで
ずっと熟睡していて彼は一人で景色を眺めていた、
彼にとっては本当に退屈なドライブだっだろう、
何時も「疲れているだろうから寝てても良いんだよ」と言ってくれる彼が
後日、その事についてチョットだけ「つまらなかった」と言っていたので
今日は頑張って眠らないようにした。
目的地について彼の仕事をチョットだけ手伝った。
今日の日帰り出張は納品だけだったので、あっという間に終ってしまった。
彼も後は直帰するだけなので、チョット別ルートを通って帰ることにして、
彼と前に旅行に来た街に行って見ました。
「ここのホテルに泊まったね〜」と随分前の事のように話す彼、
でも、ほんの数ヶ月前の事なんだな〜とボンヤリ考えてるうちに海が見えてきた。
一緒に手を繋いで砂浜を歩いた、小雨も降っていて寒かったけれど、
繋いだほうの手は暖かかった。
「寒いから車に戻ろうね」と言う彼にKissをしたら彼がチョットだけ笑った。
車に戻って「御飯どうしようね?」という彼。
「御飯を食べたら帰らなくっちゃいけないんだな〜」と思うと
寂しい気持になってしまった・・・。
彼と長い時間、一緒に居ると何時もそう・・・。
私達には一緒に帰れる家も無ければ次に逢う予定も決められない。
彼には仕事もあるし帰る場所もある。
私にも子供と同居人の世話もある。
だから、何時もその日になってみないと予定が立たない・・・。
彼と長い時間一緒に居ると離れ離れになってしまうのが余計寂しく感じてしまう。
そんな、私を見て今度は彼がKissしてくれてギュッとしてくれた。
今度は繋いだ手だけじゃなくて、体も暖かかった・・・・。
「こんな所で・・・・・・・・?!」
彼が女の子みたいな台詞を口にしたので・・・・。
思い切って今日は私から「V○に行こっか?」と言ってみた。
V○は私達の住んでる街にもある、レジャーホテル。
この街ではコテージ風のお家みたいなホテルの作りになっていて、
出来たばかりの新しい清潔感漂うホテルが広告文句になっている。
初めて行ったホテルは本当に可愛かった。
まだopenしたてでクリスタルのフラワーベースのプレゼントもあった。
この前、一緒に買ったレジャーホテルの専門誌にクーポン券があったので
3時間も居られてユッタリムードで過ごすこととが出来ました。
そのホテルのバスタブに使っている時、彼がこんな事を言っていた。
「もし、御互い離婚することになっても、やっぱり慰謝料の
問題を考えたりすると、キチンと話し合って離婚したほうが良いと思うんだ」
私が「じゃ〜何て言って離婚するの?」と聞くと
「もう愛していないと言って」と答える彼・・・
「そんな理由で本当に離婚できるのかな?愛していないから別れる・・・
純粋な別れだけれど結婚って愛だけじゃ出来ないと言うよ?
別れる時もそうなんじゃないのかな?」
口に出掛かった言葉を私は無理に胸に押し込めた。
自分から離婚の話をするのは彼にとって稀な事だから・・・。
その後、付け足したように御互い話し合って、
必要じゃない人間同士は一緒に居ても仕方ないという事を理解した上での
離婚としたいと彼は言っていた。
彼はきっと、平和主義者なんだろう。
考えてみたら喧嘩の時も何時も私から一方的に怒ってばかりいる。
でも、私が付き合って来た男の人との別れとして振る時には
もう一切、無関係になりたくてフェイドアウトして行った事もしばしばあったし、
振られた時には「チキショー!!」と思っていた。
絶対「良い想い出をありがとう」
とはならなかった気がする。
振られた時には特に
「絶対良い女になってやるからなっ。後から後悔したって
知らないからね〜!!」という思いが強くナントカここまでやって来た。
(良い女になった形跡はないが・・・)
きっと・・・私だったら同居人とそんな穏やかな離婚は出来ないだろうな・・・。
穏やかに話し合いが出来るのなら、
穏やかな気持のまま離婚出来るのなら、
一緒に穏やかな話し合いを続けて、生活して行く事だって出来るような気がする。
彼の理解した上での離婚という話は
私にはまだまだ、到達できない域の話だった。
そんな話をしながらホテルを出て、御飯を食べて帰途に着く途中、
車の中ではこんな話。
せっかちな私とマイペースな彼は時々、付き合いのペースが
合わなくて衝突してしまう。
登山に例えると・・・
彼はゆっくりマイペースで周りの景色を楽しみながら頂上を目指す人。
私はなるべく早く頂上まで行って、そこからの景色をゆっくり楽しみたい人。
衝突するのも何となくだけど解る。
結論は出なかったけれど、どちらかがリタイヤしそうな時は
どちらかが手を引っ張って登って行こうという話しになった。
とりわけ私は先に登ってしまう方だから
彼がまだ、登って来ない時は一人で行ってしまわないで少し立ち止まって
彼を待って居ようと思い、
彼には「今までよりもう少し早く歩いてね」と言った。
どちらも辛くて歩けなくなった時・・・
それは別れを意味するんだと思ったけれど、今は考えないで居よう・・・・。
私の自宅を目の前にして彼が「じゃ〜もうちょっと・・・」と言って、
道路沿いの路肩に車を止めた。
長いkissをしてお別れのはずだったのに又、ベタベタしてしまった。
あんなにホテルでベタベタしてたのに、
まるで高校生のような私達・・・。
彼が「すみれ・・・すみれ・・・」
と私を呼ぶかすれた声・・・今日は沢山、聞いた。
家に戻ると 子供が布団から足を出して寝ていた。
ごめんね、お母さんにはあの人が必要なの・・・・・・。




☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆
こんな長い日記を読んでもらって有難う御座います。
my追加に加えて下さった方の日記は私も追加して、
ジックリ読ませて頂きたいと思います。m(__ __)m
☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆





2002年06月02日(日) 今までの事<出逢い・恋に堕ちる瞬間>

彼と私が出逢ったのは秋だった。
私の誕生日が迫った、ごく在り来たりな秋の日・・・。
丁度、日曜日だった。
出逢った場所はあるチャット上。
そのチャットは初めて覗いてみた場所だったが、
偶然、懐かしくなるような名前を見つけて、そこへ行ってしまった。
初めは彼の優しい性格も可愛らしい口調も全然、解らなかった。
その日はそこで1時間くらい話したと思う。
でも、そこで終るはずだった・・・。
少なくとも私はそこで終ろうと思っていて、最後のお別れの言葉も用意して
キーボードを打ち、後は発言ボタンを押すだけだった。


「おやすみなさい」


その言葉は今思うと・・・運命の別れ道だったのかもしれない。
失礼に当たると思って、彼の次の言葉を待ってからと
発言ボタンを押すのを待っていた。
彼の次の言葉は「じゃ〜おやすみ」だと確信していたから・・・。
でも、彼の言葉は「おやすみ」じゃなく・・・。
「このまま終っちゃうのかな〜?」だった。
彼は私にE-mailアドレスを教えてくれた。
私はその時期、10人ほどのメル友と呼べる人達が居て、
別にメル友が欲しいと思っていた訳でも無く、
「あぁ〜又、メンドクサイな・・・」と思っていたと思う。
でも、外面のいい私の事、次の日の朝にはお礼のメールを出した。
彼からはナカナカ、メールの返信が来なかった。
「きっと、あれは冗談だったんだな・・・」
3件目のメールを出した時私はそう思って、もうメールをするのを
やめようと思った。
その日の午後やっと彼の携帯からメールが届いた、
「良かった」内心、そう思った。
人にすっぽかされたり、ドタキャンされるのはやはり、誰だって嫌な物だ・・・。
でも、よく考えてみると1日のうちに3件もメールを出して
返事が無いからといって「もう、やめよ〜」と思う私も
やはり、気の早い女だ(笑)
それに、その日は日曜で彼も家族サービスをしていたはず・・・。
家族が居るのに、1日中PCのメールチェックは出来ないものね。
そして・・・その日から私達のメール交換が始まった。
彼は本名も(その時は下の名だけだったけれど)携帯のメアドも教えてくれた。
私はその時、まだ本当の名前を語る勇気も無かった・・・。
何故なら・・・・。

少し傷心気味だったから・・・。

私は辛い恋???とは呼べない恋に破れたばかりで、
人間不信に陥っていた。
結婚してから色々あって、誰かに相談したいと思っていた矢先に
その人とは出逢って・・・そして、心の隙を漬け込まれたように終ってしまった。
彼も家庭に問題を抱えていたけれど・・・。
憤り・・・そんな言葉がピッタリ当てはまる別れだった。







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まさにその通りだったのかもしれない、
その人とは家も遠く2・3度しか逢っていない、
でもこれからの事を話す訳でもなく、
お互いの夢や希望を語る訳でもなく、
体を重ねたという事実しか今となっては思い出せない。
それも、愛し合ったという意味でも、その余韻に浸るという想いでも無く、
ただ、漠然と事実が圧し掛かってくるだけの・・・そんな想い。
きっと、私はその人の事が本当に好きではなかったんだろう・・・。
そして、その人もきっと、同じ・・・・。
だから、彼との出逢いはそんな風にはなりたくは、なかった。
でも、私はそれから間もなく・・・恋に堕ちてしまった・・・。
何日ものメールの遣り取りをするうちに彼は自分の仕事の事、趣味の事を
色々、教えてくれた。
彼の仕事は私が小さい時になりたかった職業で、それにも興味があった。
私も自分の仕事や日々の事、そんな事を遣り取りしていたと思う。
そんな或る日、深夜だったのにも拘らず彼も私も起きていた時間があって、
再びチャットをする事になった。
その前もメッセの話しは出ていたのだが、
彼のPCに対応して居なかったせいもあって、私達はなかなかチャットをする
機会を逃していた。
その日のチャットで彼に「何時か逢えたらいいね」と言われた。
私は話そうか話すまいか考えてみたが、思い切って前の人の事を話してみた。
彼はその時、とても酷な答えを言っていたような気がする。
でも・・・・本当の事・・・・。
私はその人にとって、ただの遊び相手だった。
とても悲しいけれど・・・ただ、それだけの事・・・・。
結婚したら絶対、浮気はしないと決めていた私にとって、
それはとても辛い事実だった。
だから、彼には「暫く逢えない」と言うしかなかった。
彼も理解してくれたように思った。
そして、次の日彼からこんなメールが届いていた。

「遅くなって寝不足じゃない?大丈夫?
昨夜はすみれさんのいろいろな事を教えてくれてありがとう!
なんかね、できるならすぐに飛んで行ってギュッてしてあげたかった・・・
ギュッてしてすみれさんが嫌な事を忘れられたり、
穏やかな気持ちになる事ができるならね・・・」

メールを読んですぐに私は車を運転して少し遠い所まで出掛けた、
運転中ずっと、このメールと彼の事が頭から離れなかった。
私が、あのメールを読んだ瞬間・・・。
それが、私が恋に堕ちた瞬間だった・・・・・。





<今日の出来事>
今日は日曜、彼はお休みで家に居る。
私のほうは同居人が御仕事。
彼が家に居る時は電話もメールも出来ない。
ついこの間まで、休みの日でもメールの遣り取りは頻繁だった。
でも、今は出来ない・・・。
出来なくなってしまった・・・。
それは私のせいでもあるのだが、
(この事は後日書きます)
仕方の無い事と解かって居ながら、
やっぱり寂しい・・・。
だけど、我慢しなくっちゃ!!
暫くの辛抱!!
彼がついこの間、こんな事を言っていた。
「休みの日、家に居ると家の人から・・何、ムッツリしてるの?・・と言われた。
土日がつまらないなんて小学生以来だよ。土日はすみれと逢えないし・・つまらない」
そう、彼も同じ気持なんだ・・今日も頑張らなくっちゃなぁ〜と思っていた・・
そんな矢先に非通知の電話が1件、「やった〜彼からだ!!」
どうしたの?と聞くと、これから髪を切ってくるとの事。
「ベッカムヘアーにして来ていい?」サッカー好きの彼の言葉らしい(笑)
私はインザーギー様のような感じがいいんだけれどな〜(笑)
帰りにも電話をくれた。
「愛してる」と「チュ♪」も「満足・満足」と彼が言う。
私もね、満足だよ。メッセは繋がらなかったけれど、日曜にお話出来るだけで
それだけで満足なんだよ。
明日はデート出来るかな?ランチもディナーも
出来るといいね♪
明日が早く来ないかな〜?
良い夢を願って・・・おやすみなさい。





2002年06月01日(土) 新しい事


2002年6月1日、今日から新しい事をふたつ始める・・・。

ひとつはある出版社から発売されている、
「LOVE DAIARY」をつける事。
365個の質問を答えていく形式の楽しい恋愛日記。
これから、1年大好きな彼との事を書き綴ろうと・・・思いました。
これから1年後、どんな風に彼の事を思って行くのか、
自分でも解らないけれど・・・1年後の今日、全部書き終えた、そのDAIARYを
見るのが楽しみ♪

ふたつ目はこのエンピツに日記を書くこと。
ここへは前から目を通していたし、
知り合いが日記を書いたりしていて、
興味があったのだけれど、
いつもドキドキしてナカナカ登録できなかった・・・。
何かのきっかけが無いと登録も出来ないし・・・。
5月は私にとって、とても辛い1ヶ月だった、
彼と何時も喧嘩ばかりしていた・・・。
気持が通じ合わなくて何度も衝突しては涙を流した。
でも、それも時には良いものなのかも知れない、
彼とは本音で付き合って行きたいから・・・。
本当の私を見せられる唯一の人。

ただ・・・何時も一緒には居られない・・・。
何時も隣に居て暖かい手に触れて居たいけれど
彼も私も、パートナーとは呼べない別々の人と暮している・・・。
悲しくて寂しいけれど・・・これが今の私達の現実・・・。

6月は良い月にしよう。
エンピツも始めたし、何か思う時はここに書き綴ろう。
そう思って始めました。
1ヶ月はきっと・・・今までの事を書いて終ってしまうかも(^▽^笑)
長くて辛かった5月は終った。
6月からは又、新たな気持で新しい事を始めよう♪

<今日の出来事>
サッカーチームを持っている彼、土曜は練習の日。
私は朝からお出掛けだったので、
練習の前で私のお出掛け時間前に電話をしたけれど、
出なかった(T_T)シクシク。
昨日のメッセで頭痛がすると言っていたので、
今日はお休みしたのかな?と思って出掛ける。
私は早く帰って来たかった・・・。
彼から電話が来てるんじゃないかと気が気ではなかったけれど、
用事もあって、帰宅は御昼頃・・・。
案の定、着信履歴に非通知が1件。
電話してみたら、「家の前に居るよ」ってヾ(≧∇≦)〃
ずっと、待っててくれたんだね〜。
ホントに嬉しいよ(*−−*)ポッ。
「30分だけね」って言って家に来てくれた。
30分・・・と言っても私達は30分だけで、パッと離れる事は
出来ないのだけれどね(^▽^笑)
お昼御飯は家で食べると思ったので、何も用意しなかったけれど、
少しの間、ギュ♪としてくれた・・・。
「愛してるよ」と言うと涙が溢れそうになった。
「私はやっぱり、この人が必要なんだ」
何時もながらに痛感してしまった・・・。
彼の事が好き・・・人として尊敬している。
とても、純粋で正直で何もかもに一生懸命で優しくて暖かい。
彼と何時も一緒に居られたら・・・。
どんなに幸せな時間を送れるだろう・・・。
でも、それは今は叶わない事・・・。
でも、それでもいい。
彼を知って・・全てを受け入れて・・
真正面から彼を愛そう・・・。
限られた彼と私の時間を一緒に共有しよう、
楽しい事、嬉しい事、悲しい事、寂しい事、
沢山、沢山、共有出来る物はまだまだあるから・・・。






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彼の帰り道、電話もした。
さっきまで逢ってたのに帰る時も電話・・・。
これって普通の事なんだろうか?
私にとって今までの恋愛上、こういう事は稀な事なので、
自分としても最初は固執しすぎてて良いんだろうか?と疑問に思ったりもしたが、
彼とだったら自然な気がする・・・。
今日はワールドカップ開幕戦。
少し道が渋滞して何時もよりもチョッピリ長く話せた気がした。
きっと、彼も家ではテレビで試合観戦してたね。
メールも・・・これからは家に居る時はなるべくしないように心掛けるね。
私にはエンピツもLOVE DAIARYがあるから、
寂しくても大丈夫だよ。
明日も良い日で・・・・・おやすみなさい。





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