掛川奮闘記

2008年04月30日(水) 080430_大局観でものを見る

 道路特定財源の復活が衆議院で再可決されました。

 この特定財源の上乗せ分はこの一ヶ月間法律が切れてしまったために、暫定税率として約25円〜30円ほど安くなっていたのですが、明日からはまたこれが復活。

 おかげで安売りの間の購入を目指すドライバーたちやガソリンスタンドの人たちはてんやわんやです。まさに政治に翻弄された一ヶ月間でした。

 道路特定財源については、いまさらまだ道路を造るのか、という必要論から、マッサージチェアやグローブなどの福利厚生費への支出問題、さらにはタクシー代の妥当性など、その使途を巡って国民の批判的な意見も多く、道路特定財源に対するシンパシーを失いかけているようです。

 しかし、物事はミクロで見るときには同時に大きく大局的にも捕らえないとバランスが悪くなるものです。細かい使途でおかしなことがあればそれは修正をすればよいのですが、「木を見て森を見ず」や「角を矯めて牛を殺す」というようなことがあるとこれまた困ってしまいます。

 この一ヶ月の議論では、大きな視点からの議論がほとんどされずに一方的な意見の言いっぱなしで終始してしまったという印象です。どうして議論ができなくなってしまっているのか。そういう自体こそが深刻のような気がしますが。

    ※    ※    ※    ※

 細かいことに神経を使いすぎて大局を見失いかけていると思われるのが地域医療の問題です。

 最近は医療過誤に対する被害者や遺族からの声を受けて、医療事故の追究を最初から警察の手に委ねる事案が増えています。特にそれが顕著なのが産婦人科です。

 福島県大野病院というところでの医師の帝王切開処置による事故死に対して去る平成20年3月25日に検察は禁固1年を求刑しました。

 そしてまだ判決は下されていませんが、このことで全国の産婦人科医から、「あの条件下での医師としては適切な範囲の対応が裁判沙汰になるのであれば、とてもリスクが大きくてこれ以上産婦人科医は続けられない」という声が上がり、全国的に産婦人科医が逃げ出しているというのが現在の日本の医療問題です。

 ここには、なにか事故が起きたあとに、我々はどのように対応すべきか、という、社会のありように対する大きな二つの考え方がぶつかっていると言えます。

 
 医療問題に関する様々な意見交換の場となっている、mricという医療関係者によるブログがありますが、ここに虎ノ門病院の小松秀樹さんという方が、「無理な規範は何をもたらすか?」という視点で文章を書かれています。
 文章はこちら → http://mric.tanaka.md/2008/04/26/_vol_51_1.html#more

【以下、一部抜粋】
 世界で医療事故の報告制度について、どのように考えられているのか。1999年のアメリカ医学研究所の「人は誰でも間違える」の出版は、医療安全におけるパラダイムシフトをもたらした。医療事故調をめぐる意見は、これ受け入れるかどうかで、大きく分かれる。樋口委員の発言は下記のどちらの立場に立つのかという質問でもある。

旧思考:
 「過失により人に傷害を与えたり死に至らせたりすることは、個人の罪であり、個人への応報はそれ自体が価値である。また、処罰により事故が防止され、社会の安全が向上する」

新思考:
 「人間は間違いを犯しやすい性質を持っており、その性質を変えることはできない。人間の間違えやすいという性質を受け入れて、間違いが起こることを前提に、間違いを起こせない、あるいは、間違いがあってもどこかで修正できるようにシステムを構築する。そのためには、広く事故情報を収集して過去の失敗に学ぶ必要がある」

 旧思考は、法律、行政、メディアに親和性が強い。
 例えば、刑法学は、応報そのものに価値を見出す。犯罪の抑制効果も刑罰を正当化する論拠になっているが、刑罰とその決定までの過程に思考がとどまり、刑罰が社会全体にどのような影響を与えるのかについて、関心を持っていない。影響を計測するための方法を発達させていないし、実績も限定的である。旧思考には、過去の失敗を収集して学ぼうとする考え方はなかった。あるいは希薄だった。

 これに対し、新思考は、現実を受け入れて適応しようとするものである。医療、航空運輸、原子力発電などの現場に広く浸透している。

*******【以下略 引用終わり】*******


 つまり、失敗から何かを学び、次に備えて活かす、という前向きな視点で社会を運営して行く思考と、失敗したものに罰を下して失敗をさせないという視点で社会を運営して行く思考のぶつかり合いです。

 ある意味で現代社会は恐怖政治に似てきました。一度の失敗がすぐに裁判に直結し、これまで積み上げたものを打ち砕くような社会では人は萎縮し、ただ失敗しないだけの生き方を選択します。人はリスクを取る前向きな生き方をしなくなることでしょう。

 今の日本はどこか被害者感情に満ち満ちて、当事者を断罪する傾向にありますが、冷静な議論を尽くして、問題からどう解決策を見いだしてゆくのかという皆が参加する建設的な思考が求められます。

 医療も国の財政も、一時の感情に溺れるのではなく、大局観をもって眺めて議論を尽くし、社会全体の価値が高まるような判断をしたいものです。

 ところでうちの奥さん、今日ガソリン入れてくれたかなぁ?



2008年04月29日(火) 080429_根津神社つつじ祭り

 好天に恵まれた休日の一日。今日は恒例の都内巡りです。

 今日の目的は根津神社のつつじ祭り。しかしその前に近隣を自転車でぐるりと一巡りです。

 まずは西日暮里から田端周辺を走りました。田端にある田端八幡神社は、源頼朝が奥州征伐に向かう際の縁の神社。頼朝にゆかりのある八幡神社って都内に結構沢山あるのです。

  

 しかしもっと珍しかったのは、この八幡神社のお隣にある東覚寺の仁王様。なんと全身に赤い紙が貼られていて赤紙仁王と呼ばれているのです。

  

  

 これは自分の身体で不具合のある患部の箇所を、仁王様の身体の同じところに赤い紙を貼ることで快癒を願うというものなのだそうです。その霊験は音に聞こえ、遠くからも多くの人たちが訪れています。なかなかの奇観ですよ。信仰の力ってすごいものです。

    ※    ※    ※    ※

 次にいよいよ目的の根津神社へと向かいました。

 根津神社に近づくと駐車場待ちの車がずらりと並んでいます。境内は所狭しと露店が並んで大にぎわい。やっぱり祭りや縁日はこうありたいものです。

 つつじは赤や紫、白など多彩な色のつつじが斜面を利用して植えられていて、結構な見応え。やはり色物は斜面を利用して立体的に圧倒するのが上手なやり方です。有料のつつじ園はすごい長蛇の列です。

  

  

 有名な根津神社のつつじ祭りをまずは見られて良かったのですが、肝心の神社へのお参りは、長蛇の列が出来ていて全く動かないので今日は諦めました。いやすごい人です。

    ※    ※    ※    ※

 露店商の前の道はわざと狭くしているわけでもないのでしょうが、すごい混雑です。しかしそれがいかにも賑わっているという風情で、なんだか嬉しくなってきます。

 日本には広い広場を使う風習がなくて、こういう道上の長い広場こそが民族性に合っていると言った人がいました。そう日本人は縁日の露店巡りで広場を楽しんでいるんです。

  

    ※    ※    ※    ※

 そこから帰る途中で、赤坂に最近出来た再開発ビルの赤坂サカスへ寄ってきました。

 ここでは三階建てのこじんまりした建物を造ることで、大きな本体ビルの一階部分との間にちょっとしたストリートをつくり、賑わいの空間を作り上げています。これまた長い広場というわけです。

  

 かつての商店街とこういう賑わいストリートの違いはなんでしょう?それは左右のお店との距離感がほどよくヒューマンスケールとして近く、しかも車交通で分断されていないということでしょう。

 実は人間の感じる心地よい賑わい間には、ほどの良いスケール感が必要なのです。だだっ広ければ良いというものではないのですね。

 ゴールデンウィークの東京はどこも混雑しそうです。



2008年04月28日(月) 080428_フライドチキンを作る

 夜に肉が食べたくなって、フライドチキンを作ってみることにしました。

 胸肉を買ってきて、皮を取り一口大に切ります。

 牛乳と卵を合わせて溶いておき、片方には小麦粉に塩、こしょう、ちょっと七味唐辛子を入れます。○ンタッキー・フライドチキンなら20種類以上のスパイスを入れるのでしょうけれど、まあそこは家にあるスパイスを適当にいれましょう。

  

 レシピ本にはオールスパイスなどを入れる、と書かれていますが、それもお好みでどうぞ。

 肉の水気を取って、牛乳+卵につけて、それから小麦粉の粉をまぶし、200℃の温度の油に入れます。

  

  

 肉の厚さによって、12分から15分くらいの揚げ時間ですが、今日は13分ほどで揚げてみました。外側が茶色でカリッとするのが良いのですが、今日はちょっと揚げが強かったかな。

  

 ちょっと固くなってしまいましたがお味はまあまあ。

 フライドチキンの真ん中に笑顔のような模様が出来ました。ビールに良くあいますよ〜♪

  



2008年04月27日(日) 080427_いつでもどこでも隣に

 思い立って、携帯電話につけるイヤホンを買いました。



 イヤホンに、ハンズフリーのマイクが付いているもので、両手を使わずに電話での会話ができる代物です。携帯電話についている音楽再生機能やラジオ機能を使っている最中でも、電話の着信があれば教えてくれて、ボタンを押すだけで電話に切り替わります。

 マイクも高性能なので、マイクがある場所を意識せずに普通に会話するだけで相手とのやりとりができるというわけ。今までは電話をするのには携帯電話を耳に当てるために片手を使わなくてはいけませんでしたが、これを使うと両手も自由。

 音楽と電話の切り替えはマイクの近くにあるスイッチを押すだけですから、いちいち携帯を取り出す必要もなく、ポケットに入れたままでの会話が出来るのです。

 料理や掃除をしながらでも、ちょっとした時間の隙間を見て電話をかければ、作業をしていてもあたかも隣にいるかのように会話が出来るというので、これは本当に便利なのです。

 面白いので、実験的に仕事へ行く途中の都電の中からかけてみました。電話に出た妻と会話をしてみました。傍目にはなにやら小声でブツブツと独り言を言っているように写ったかも知れませんが、独り言のような小声でもちゃんとマイクが声を拾ってくれているので会話は成立しました。
 使えますねえ。

    ※    ※    ※    ※

 私の携帯会社は○コモですが、この4月から家族同士ならば会話が24時間無料になりました。おかげで電話をすることへの敷居がなくなったのですが、両手が自由に話ができるということは、いつどんなときでも妻や家族と話をするだけの技術的条件と社会的条件が揃ったわけです。

 どこでもネットに繋がる社会をユビキタス社会と言いますが、こういうハンズフリーイヤホンマイクという機器の登場という技術的条件だけではなく、会話が無料だという社会的条件が揃ったからこその通信環境。社会の進歩をまざまざと感じました。


 しかしまちで行き交う人がみんな何かブツブツ言っていて、実は携帯で誰かと会話しているという姿はちょっとぞっとしますね。便利もほどほどに、というところでしょうか。 



2008年04月26日(土) 080426_特養の最前線

 今日は、仕事で関係した土地の上に立てられた施設の開所式に上司と出席をしてきました。

  

 開所した施設とは、特別養護老人ホームと障害者の就労・生活支援センターの複合施設で、こういう形態は土地が高くて大きな面積が取りづらい都内では極めて珍しいものです。今回はわが機構の事業で東京外国語大学が移転した跡地を利用したために、比較的大きな土地が手に入れられたのです。

 特養施設を運営する社会福祉法人のS会は、この世界でも非常に熱心で新しい取り組みをどんどん取り入れることで知られています。

 そこが肝いりで作った施設なので、どんな施設内容になっているかが楽しみでもありました。

    ※    ※    ※    ※

 開所の式典では国会議員や地元の首長さん、厚生労働省の局長さんたちなども招かれて、それぞれご挨拶。やはり実力があるんだなあ、と改めて感心しました。

 懇親パーティまでの間に施設を見学させてもらえると言うことだったので、喜んで中を見て回りました。

 見てみて非常に感心したのは、特養老人ホームの部分では、あくまでも利用者にとって居心地がよいと言うことを主眼に考えている点でした。
普通は職員が介護などの世話をしやすいような建築設計になりがちなところを入所する人の気持ちを大切にしています。

  

 そのひとつは、それぞれ10畳ほどの部屋には全て○丁目△番地という愛称が付けられていること。これは地域のコミュニティとしてここで暮らしているんですよ、という意味が込められているのだとか。

  
 
 また食事も、ご飯だけはここで炊くようにするのだそうで、ご飯が炊ける匂いがするのが生活するということの大切な要素だというのです。

 また、10室で1ユニットになっているそのユニットの入り口には格子の引き戸がはめられていますが、開口部にはガラスがなくて廊下側の音も聞こえます。これまた、生活すると言うことは周囲の音や気配を感じると言うことだ、という信念があるのです。

  

 一緒にいった上司も「私もたくさんのこうした施設を見たけれど、ものすごく入所するお年寄り本意だと思ったよ。びっくりしたのは、フロア毎に壁紙の模様が違うんだよね。ふつうはそんなところは楽をしがちなんだけれど、それぞれのユニットの個性を出そうとしているんだね。それにスカスカの引き戸もあったけれど、介護する職員の立場からすれば普通はあそこには引き戸もつけないよね、移動の邪魔になるから。それをあそこまでコンセプトをもってつくりこんでいるんだから素晴らしいなあ」と大絶賛でした。

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 こちらの法人では早くから様々な介護用機械の開発も行っています。中でも今日見て感心したのは、車いすに乗って入浴をするバスタブや、寝たままでバスタブの方が持ち上がって入浴が出来るという機械があったこと。これなら体が動く度合いによって入浴の世話をしやすい機械を選ぶことが出来るのです。

  

 東京の北部の比較的高台にあるので、ベランダに出ると遠くまで眺めがよくてこれまた最高のロケーションです。

  

 長寿のお医者さんで有名な日野原重明先生に見せたところ「ぼくもこんなところに世話になりたいねえ」と言われた、と言うエピソードもあるのだとか。

 この法人の理事長の「お年寄りのために」という執念を感じました。

 これからの特養もいよいよ質の時代に入ってきたようです。{/kaeru_en2/}



2008年04月25日(金) 080425_知っていましたか?

 「Did you know?(知っていましたか?)」という約8分のビデオクリップが、Youtube上に流れています。

 アドレスはこちら → http://www.youtube.com/watch?v=qZgL4Ybjt3w

 これを見ると、以下にこれまで静穏と思われていた社会が地球規模で激変しようとしているかがよく分かります。

  

 それは経済で言えばインドと中国という、巨大な人口を持つ国がグローバル経済の一員として登場したということに起因するものです。しかもまだまだ新興国であり相対的に為替レートが安いために、格好の労働力の提供国となり、世界の工場として多くの企業が物作りの拠点をこの二つの国に移しつつあります。

 しかし本当に先進諸国にとって恐ろしいのはここからで、新興国はいつまでも新興国ではいないということ。

 巨大な人口を背景に、これらの国から大量の高等教育を受けた人材が世界中に羽ばたいて来るというわけです。資源がなく、人材だけで勝負をして来た勝利体験は、高等教育人材の数という点であっという間に抜かされそうです。

 おまけにインドは公用語が英語という利点もあって、大学卒業者は100%が英語習得者です。英語だけではまだまだ日常生活に不便を感じる日本社会は、日本語が壁になって容易に外国人が入って来づらい社会になっていますが、それは逆に言えば世界の中でガラパゴス化しつつあるということかもしれません。

 世界の変化に日本語のおかげでこの島だけは取り残されている…、そんな恐ろしい構図になってしまうのかもしれません。

 日本の教育がおかしいとか、ああだこうだと議論は踊るばかりですが、そんな小田原評定を繰り返しているうちに、世界の潮流はもっと先を見据えているのかも知れません。

 いかに教育と学習が若者にとって、国にとって大切であるかと言うことを改めて感じるビデオクリップでした。是非ごらんください。

 ちょっとしたホラー映画よりよほど恐ろしいですから。{/kaeru_shock1/}
 



2008年04月24日(木) 080424_開けゴマ!

 早めの就寝と熟睡で昨夜の不調を何とか脱しました。あの具合の悪さは何だったんだろう…。くわばらくわばら。

 今日は午後に、外国人を受け入れることによるこれからのビジネスモデルを考えるというセミナーが開かれたので聞いてきました。

 現在の日本に居住する外国人としては、平成18年度末の外国人登録者数(90日間以上在国する人)で208万5千人で、過去最高。これは10年前の1.5倍にあたるそうで、すごい勢いで伸びているのだそう。

 日本には韓国・朝鮮からの特別永住者もいますが、その数は最近は漸減しつつあって、休息に伸びているのはなんと言っても中国からの来訪者です。

 留学生は、と見てみると現在国内には11万8千人の留学生がいて、その三分の一の4万人が東京にいるのだそうです。その出身国の6割を占めているのはやはり中国からの学生で、約7万人ほどで、2位の韓国が1万7千人(14%)ということなのでその差は圧倒的です。

 国家政策としても、かつて中曽根政権の時に留学生10万人構想を立て、福田政権では今年の1月にそれを30万人構想にするとうたいあげているのだそうです。

 しかしながら、受け入れ体制にはまだまだ不備なところが多く、日本語が出来ない学生にはアパートを貸さないという大家さんがまだまだ多いのが実情です。

 今日の講師の一人は、そうした留学生たちに対して賃貸不動産を仲介することをビジネスにしているという女性社長さんでした。まだ若くて美人なんです、これが。

 実際の問題として、国柄や住まいに対する考え方の違いは大きくて、日本のルールや考え方を伝えるための冊子を東大と一緒に作るなど、異文化どうしのすりあわせのようなことも結構なビジネスになるものです。

 最近の日本は国際化、という謳い文句を掲げながら、厳格化の道を歩んでいて、留学生という身分に対してもテロや密輸などの犯罪の温床のような印象を持っているのではないか、という声すら聞こえてくるそうです。

 一例として、外国人には銀行口座の開設すら厳しくて、簡単には開かせてくれないのだそうです。外国為替管理法による規定で6ヶ月以内の在留に認められる銀行口座では、海外からの送金は受けられない規定になっていて、これでは本国からの仕送りを受け取ることすら出来ないという状況なのだとか。

 また、子供がいる女性の留学生のケースとして、家がなかなか借りられずに大学まで一時間半のところでやっとアパートが借りられ、さらに子供を保育園に預けるのやっと見つけたところは大学から40分もかかるところしかなかったとか。「これでは海外からの留学生は日本という国にどのような印象を持って帰るのでしょうか」と講師の一人は憤っていました。
  
 諸外国とつきあうということへのリスクと寛大さのバランスが崩れているような気がします。これからの日本はあらゆる意味で、世界に開かれた社会にしなければいままでと同様の活力は維持できないと言うことは明らかです。

 日本も変わって行かなくてはならないという意味が、外国人とのつきあいという面のお話からもよく分かりました。

 開けゴマ!



2008年04月23日(水) 080423_養生しなくちゃ

 夕方から急に頭痛と吐き気が出始めて、具合が悪くなりました。普段から携行している○ファリンを飲んだのですが、どうにも耐えられなくなって1時間の休暇を取って早引け。

 我が組織では、昨年までは休暇取得は半日単位だったのですが、この四月から制度を変えて、5日間×7時間というカウントで1時間単位の休暇が取れるようになったのです。せっかく新しい制度が出来たのですから大いに使った方が良いのです。

 帰りの電車もちょっと辛かったけれどなんとか無事家に到着して、休息です。薬が効いてきたのか少し楽になりました。いやー、あれはなんだったんだろう。

 夜には知人が登場するライブ演奏へのお誘いもあったのですが、今日は残念ながら遠慮しました

 春の風邪は質が悪い。単身赴任の一番の敵は病気ですから、ここは養生と行きましょう。イチゴを買って、ビタミンCを補給してます。



2008年04月22日(火) 080422_道州制の影響

 かつて意気投合した新聞記者の友人が、この3月に東京へ転勤しました、という連絡をくれました。

「それじゃあまずは一杯やろうよ」ということで、今夜は新宿で嬉しい再開です。

 昔話に花が咲いて、共通の友人のこと、まちづくりのこと、最近の話題・・・などなど話が弾んで、杯がどんどん重ねられてゆきました。

「それで、最近の新聞の売れ行きってどうなんですか?インターネットが普及してくると新聞って売れなくなるんじゃないの?」
「そうなんですよ、確かにだんだん下がりつつありますよね。大手の新聞社でも厳しいところがあるくらいですから」

「産経新聞なんかは、月額数百円で『産経NetView』というサービスを始めて、新聞をレイアウトもそのままの画像情報として、インターネットで配信するような事業をしていますからね。紙による媒体とネットでの配信の攻防でしょうけれど、新聞業界も変化しているんですねえ」
「ほんと、大変ですよ。でも地方の新聞社にとって大変といえば道州制ですよ」

「おや、道州制がどう大変なんですか?」
「だって、道州制になると県がいくつか合わさった自治体になるというわけじゃないですか。ということは今まで県単位で商売をしていた地方新聞社は、おおきな道州のごく一部の地域新聞になってしまうわけですよ。そうなるとより大手新聞社の思う壺ということで、大新聞に飲み込まれかねないという危機をはらんでいるんですよ」
「なるほどねえ」

 より効率的な行政運営のために道州制を進めるべきだ、という論調も、実際に行われると新聞社やテレビ局などへも再編を促すきっかけになるのかもしれません。

 マスコミもどこまで知っていてそうした議論を報道しているのでしょうか。今度からはそういう視点でも道州制の議論を見てみましょう。

   *   *   *   *   *

 今日もついつい調子に乗りすぎて飲みすぎました。うぃ〜〜



2008年04月21日(月) 080421_花粉症は季語?

 ここのところ札幌は東京よりも暑い日が続いているよう。

 家に電話をすると、「暑くて窓を開けようと思うんだけど、そろそろ花粉が飛んできて…」と困っているよう。この時期札幌はシラカバの花粉が飛んでアレルギー性鼻炎になる人が多いのです。

 今日も朝の会議が終わった後に同僚から「北海道は杉がなくて良いですねえ」と言われたので、「ところがシラカバの花粉に悩む人も多いんですよ…」と言うと驚いていました。

 東京の人たちは、アレルギー性鼻炎は杉だけと思いこんでいるようですが、どうしてどうして、植物系のアレルゲンは結構多いのです。

 私は北海道でもう25年も前からシラカバ花粉症になりました。東京へ来た最初の年はシラカバ花粉症から解放されて嬉しかったのですが、すぐに杉の花粉にも反応するようになり、今ではどちらも悩みの種となっています。

 シラカバの花粉が飛ぶ時期は3月末から5月末くらいまでで、杉の花粉とは一ヶ月ほどの時間差があります。四月の転勤の時期は、北海道から東京への転勤であれば、シラカバ花粉が飛ぶ前に北海道を離れ、東京では杉がそろそろ終わる、ということで苦しむ時期がそれほど長くはありません。

 しかしその分、内地から北海道へ帰るときは、杉で悩まされてそれが終わる頃には今度はシラカバで悩まされることになります。何事もうまくは行かないものです。

 杉の花粉症もそろそろ終わりの時期が近づいてきました。

 「花粉症」はもう俳句の季語になっているのでしょうか。

 



2008年04月20日(日) 080420_フライドポテトをどうぞ

 ずっと家の中のことが出来なかったので、掃除やら整理整頓の一日にしました。

 整理整頓で気になっていたのが、暖かくなって芽がものすごく大きくなってきたジャガイモです。なんとかしないといけない、と思いつつ、単身の身なのでなかなかジャガイモを使った料理をするきっかけがありませんでした。

 ポテトサラダなどは定番過ぎて、ときどきつくるのでやや食傷気味。そこで今日は思い切ってフライドポテトで一気にジャガイモを片づける作戦です。

 まずは芽を取って皮をむきます。「皮をむかずに…」という作り方もあるのですが、ジャガイモの新芽にはソラニンという毒があるので、少しでも口にはいるのは遠慮したいので、今回は皮をむきます。

 ちなみに「ソラニン」というのは、ナス科のジャガイモの学名の「Solanum tuberosum L.(ソラヌム・チューベローサム)」から来ているもの。ナス科の植物はトマトといい、タバコといい、人間に有用なものが多いですね。

    ※    ※    ※    ※

 さて、皮をむいたら少し水にさらしてあく抜き。その後布巾などで水気を取っておきます。

 フライドポテトをカリッと揚げるコツは、なんといっても二度揚げです。インターネットを見ていると、二度揚げではなくて電子レンジでチンしてから高温で揚げる、というレシピ紹介もありますが、私は二度揚げの方がお気に入りです。

  

  


 最初は150℃くらいで約5分ほどゆっくりと揚げますが、この段階ではまだポテトは白い色をしています。次に油の温度を200℃に揚げて約2分ほど表面がカリッとするくらいに揚げます。

  

 油をよく切って、塩を振るかケチャップでどうぞ。全体にサイズは短いけれど、味はまったく市販のものと変わりません。

 完成の図はこちら。パソコンの前で揚げたてのフライドポテトとビールとくればもうたまりませんな。夏が楽しみになりました。

  



2008年04月19日(土) 080419_自然豊かな石神井公園

 なんだかすっきりしない天気の下、今日は杉並区あたりを自転車でポタリング(散策)です。

 まずは今までなかなか行けずにいた石神井公園へ。東京でもこのあたりはちょうど武蔵野台地が低くなって伏流水が表に出るあたり。

  

  

 一番北にある石神井公園と、南の善福寺池、そして一番南の井の頭池の三つの池は、武蔵野三大湧水池として知られています。どの池にもボート乗り場があって、昭和時代のデートコースという感じ。また池の南西にはどこも同じように神社が配されています。何か信仰上のしきたりがあったのでしょうか。

  

 しかし、都内に人工池ではなく、こんなに動植物層が多様に見られる自然の池があるというのは実に貴重ですし、贅沢の極みですね。


 ここ石神井公園から生まれた音楽作品は多く、Mr.Childrenの桜井和寿の『Tomorrow never knows』という曲の歌詞は、このあたりをジョギングしている時に思いついたというエピソードがあるそうですよ。

    ※    ※    ※    ※

 ついでに善福寺池の方も回ってきましたが、こちらも本当に自然が豊か。

 水、緑、自然、生き物、ボート…気持ちが落ち着いて心地よい、公園らしい公園でした。

 



2008年04月18日(金) 080418_時代を超えてくるもの

 帰りぎわに北海道の建設系コンサルタントに努めるAさんとばったり遭遇。

「これはこままささん、今からちょっとだけお訪ねしてみようと思ったんですよ」
「そうですか、一瞬の時間差があっても今日は会えなかったところが、しかし会えた。こういうこともあるものです。まあ一杯行きましょう」

 とにかく、こういう不思議な偶然は大事にした方がよいのです。

 今日の東京は雨。同じ建物の地下へ潜り込んで雨に当たらずに居酒屋へ直行です。

    ※    ※    ※    ※

「さてさて、最近の北海道の状況はどうですか」
「ご存じのとおり、道路特定財源が4月から動かなくなってしまっていますから、道路関係は建設業も舗装の業者さんもすっかり参っていますよ」

「でもそういう声がなかなか世間的には聞こえてきませんよね」
「まだみんな潰れまいとして必死に頑張っているから、変化が見えないのでしょうね。これが会社が潰れ始めて初めて分かるというのでは、政治とは何とも鈍感だと思いますね」

「まだ北海道ももちこたえられそうですか?」
「業者さんはとにかく公共事業で契約が取れると、その契約書をもって行けば銀行は信用があるということでお金を貸してくれます。それでたとえ目先の仕事からの収入がなくてもなんとか耐えしのげるんです。しかしそもそもの工事が発注されなくて契約もされないとなると、どこからも資金を調達できません。どれだけ耐えられるものか…」

「変化が急すぎると思いませんか。もう少しゆっくりとした変化ならば、業態の変化もあり得ると思うのですが」

 するとAさんは、「ある産業が、動きながら業態を帰るということが出来るでしょうか。その昔は炭鉱が産業の花だった頃は、大学のエースはみんな鉱山や炭鉱に進みそこへ就職したものです。しかしその時代は30年しか続かなかった。炭鉱が駄目になった後に栄えたのが公共事業でしたが、炭鉱に生きた人たちが公共事業へ業態転向したということはほとんどなかったんです」

「なるほど」
「時代は残酷ですが、後から新しく勃興した産業がそれまでの流行の産業を乗り越えて栄えて行くし、そこに登場するのは新しいプレイヤーなのではないでしょうか。もし今の公共事業の時代が去るのだとすれば、次には時代を担う新しい産業が起き、それには新しいプレイヤーが参加してくるように思えてなりません」

「その次に来るものはなんだと思いますか?」
「それは分かりません。金融業なのか、ITなのか…、しかしひとつの時代を支えたプレイヤーが転向できるようなものではないのだと思います」

 なんとも厳しい意見ですが、そう言う歴史の見方もあるのかもしれません。

 自分がこれから生きて行く道はいかにあるべきか。貴重な考えが聞けました。やはり偶然にあったのではないような気がします。

 時代を超える産業と、乗り越えられる産業ですか。うーむ…。




2008年04月17日(木) 080417_人徳ですなあ

 私の専攻は一応造園学。

 今日はその造園学の大家の先生がこのたび叙勲を受けられて、そのパーティが都内のホテルで開催されました。

 集まったのは各界のそうそうたる皆さんで、その数約千人。会場にはご無沙汰していた知人たちも多く、なるほどこういう人たちと会える良いきっかけになりました。

 北海道からもよく存じ上げているE市の市長さんが見えていました。

「こんばんは、ご無沙汰してます」
「おや、こままささん」

「今日来られたというのは、E市とこの先生とは何か関係がおありなんですか」
「そうなんです。私たちのまちは花とガーデニングで有名になりましたが、それはこの先生のアドバイスをお陰なんです。モデルはニュージーランドのクライストチャーチだ!と言われたので仲間を募って現地まで行きましたよ。これからのまちの魅力は住宅地の魅力なんだ、だから住宅地に花を植えよう。おかげさまでいまのまちがあるんです」

 はるばる北海道からお祝いに駆けつけるほどの縁とゆかりがあったとは。

 たくさんの人に囲まれるのは人徳の証。良いことはしておくべきですね。
 



2008年04月16日(水) 080416_都市づくりの流行

 札幌で、広場に関する委員会があるので是非参加してくださいというオファーがありました。

 話を伺うと、東京で広場の勉強をしたときにお世話になった先生も加わって頂く予定だとか。おやおや、随分広場で縁が広がり始めました。

 しかし札幌のような雪国での広場というのは、東京とはまた条件が極めて異なります。なんといっても冬の雪がありますからね。

 そもそも日本人には広場は馴染みがないのではないか、と思い始めたところへこの話。ヨーロッパの古い街並みの中心部にしっかり位置する広場とはまた違った、日本的感覚での広場の利用とはどういう姿になるのでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 先日もそんな話をお世話になった先生としていたところ、「やはりあるべき姿自体が時代ともに変わるんですよ」とおっしゃっていました。

「やはりある流行の時代を過ぎて行かないと、次の時代にマッチした姿は分からないと言うことでしょうか?」と訊くと、「まさにそのとおりです。昔は二階の高さで歩道をデッキ上にして、立体で歩車分離をしていました。その頃はなんといっても車が中心の都市構造だったんです」

「なるほど、しかしそれは今は変わりつつあるということですか」
「はい、少なくとも『歩行者優先』が当たり前になりつつあって、人は地面の高さを歩くものだ、という意識が強くなっています。車に関してもう少し過激的な人は『車は排除』で、まちなかには入れさせない、というくらいの感覚を持ちはじめました」

「車を排除してどうなるんですか」
「少なくとも駐車場は周辺部に配置します。そしてバスや電車の公共交通の確保、そして最近は自転車がものすごい勢いで増えています」

「自転車!」
「若いときはそんな時代が来るなんて思いもよらなかったものです。しかし環境やエネルギー、車によってまちなかから人間が排除されてしまったという負の経験はこれからのまちの作り方に少なからず影響を与えています」

 なるほど。問題は、我々の感性が昔の成功を引きずらずに柔軟に次に来る時代を先取りできるか、ということのようです。

 通勤、通学を自転車で、というのはオシャレではなくて、常識になりつつあるようです。都市作りの流行というのも面白いですね。



2008年04月15日(火) 080415_公務員への信頼

 この四月に転勤や異動した友人、知人たちからお知らせの葉書が届くようになりました。

 退職の方もいて、長年のお勤めご苦労様でした。公務員で永年勤めて、次の就職先が書かれている方もいました。

 しかし公務員を巡る環境は年々厳しさを増しており、いわゆる天下りと呼ばれるような官の立場から民間への再就職は厳しい声が聞かれます。

 先日もあるところで、公務員の天下りについて厳しい意見をぶつけられました。その方がおっしゃるには「年金があんな調子で、公務員なんてなにをしているんだか。零細商店を営んでいる私なんぞは、とってもうらやましいよね」という意見。

 公務員の不手際は、象徴的な印象を与えて、公務員全体に対する批判に繋がっているようです。目の前の誰かではなくて、組織全体のゆるみや処遇に対する厳しい目です。

 普段通りの当たり前の仕事をしていても目立つことはありませんし、信頼を取り戻すようなスタンドプレーもできません。なかなか厳しい状況です。

 はてさて、公務員に未来はあるのでしょうか。


 



2008年04月14日(月) 080414_掛川ツーリズムの余韻

 ぶらっとライターの皆さんによる掛川ツーリングの反響が聞こえてきました。

 それぞれのお国へ帰ってから、「良かったよ」「ありがとう」というお礼のご挨拶をたくさん届いています。半分はお世辞だとしても、とても嬉しく思います。

 言い出しっぺの皆さんの頑張りは、全国から来た目の肥えたまちづくり家たちもうならせたようです。実際、掛川のスローライフスタッフたちの臨機応変な対応力や、場面毎に次々新しいスタッフが現れてさりげなくサポートをする様子はいつ見ても安心そのもの。
 「あ、吉ちゃんだ、もう安心」「おお、深ちゃん、写真は大丈夫だな」ってな感じです。

 でも実は掛川にいれば、もう何度も見慣れた風景。いつもこうしてそれぞれの役割を経験してきて、なんとなくポジション取りが分かっているのです。野球でいえば、次に打球の来るところで守っているような感じ。そうしてだんだん一人一人の中の「引き出し」が増えていっているように思います。経験値が上がってきましたよね。

  

 さて次の機会までにどんな引き出しを増やしておくことにしましょうか。

    ※    ※    ※    ※

 そしてもう一つ。昨日の昼食会での挨拶ですっかり言い忘れてしまったことがありました。

 昨日の昼食はわが蕎麦研渾身の、桜蕎麦、茶蕎麦、田舎蕎麦の三種盛だったのですが、お昼が終わったときに研究会メンバーとして参加していた4人に挨拶をさせてもらう機会があったのです。

 そのときに私自身も多少興奮していて、すっかり言い忘れたのが、お手伝いをしてくれたスタッフのこと。

 確かに道具を運んで来て蕎麦を打ったのはこの4人なのですが、茹でて盛りつけて、蕎麦を運んで、薬味を配り、食べ終わった皿を裏で洗ってくれて次々に蕎麦を出せるようにモクモクと準備をしてくれたスタッフがいたのです。

 これもときどき行う蕎麦打ち会で得た経験といえばそれまでですが、自主的で有機的に立ち回ってくれたことで、スムースなおもてなしが出来たというものです。

 スタッフのご褒美は、一区切りついたところでの、「挽きたて、打ち立て、茹でたて」という三たての手打ち蕎麦の食べ放題。実はこれまた止められなくなる至福のひとときでもあるのですが。

  

 また次のお手伝いもよろしくお願いします。蕎麦イベントをこなせばこなすほど、上手になるチーム蕎麦研でした。

 さて、次はどんなお客様をおもてなしできるかな〜



2008年04月13日(日) 080413_桜蕎麦に挑戦〜掛川ツーリングの二日目

 「ぶらっと!」ライターによる掛川ツーリングの二日目です。

 昨夜泊まったならここの里キャンプ場では、今日は桜祭りが開かれます。盛りは過ぎたもののまだきれいな桜が残っていました。市役所の諸君の皆さんが自主的にうどんの販売をして賑わいに一役買うのだとか。こういう姿勢がとてもいいなあ。

 天気も好天で、さぞ賑わうことでしょう。

  

    ※    ※    ※    ※

 朝みんなで朝食を取った後、私は別行動でならここの里を離れて、昼食会場で蕎麦研究会に合流。今日の昼食は蕎麦研の手打ち蕎麦でおもてなしをするために、準備をするのです。

 さて、せっかくのおもてなし。ただの手打ち蕎麦ではつまらないので、季節感を活かした蕎麦として「桜蕎麦」に挑戦することにしました。桜蕎麦とは、更科粉に桜餅に使う桜の葉の塩漬けを粉砕して練り込んでみるというものです。

 私も噂に聞いたり、ネット上でやられているサイトを覗いたりしてみましたが自分自身で打つのは初めてなので勝手が分かりません。でも、なんでも挑戦する勇気が必要ですからね。

    ※    ※    ※    ※

 記憶と記録を残す意味で少し写真を多用しながら様子をお知らせしましょう。

 まず桜の葉は近所のお菓子屋さんに桜餅用のものを分けてもらいました。50枚が一束で160円とのこと。思いのほか安いものです。

 実はこの場で袋を開けてみると、塩漬けの塩が多くてものすごくしょっぱいことに気がつきました。すこし塩抜きをしてみていますが、なかなか塩は抜けません。

  

 ミキサーへ50枚全部を入れて細かくくだきます。できるだけ細かくしたかったのですが、一定の限界もあります。これを容器に移しておきます。水を換えたりして少しでも塩が抜けるようにしてみます。

  

  

 さて、いよいよ蕎麦打ちの始まり。粉は更科粉なので熱湯を使ったりして蕎麦を打つのも田舎蕎麦よりは高度な技が要求されます。分量は更科粉が1kgに、つなぎの小麦粉を0.3kg入れます。いわゆる「外三(そとさん)」という割合です。二八よりはつなぎの量を多くしてつながりやすくしてあります。

 玉にする直前に桜の葉を入れます。ここで少し食紅を入れてみました。桜の花びらをイメージしてほのかなピンク色にしようというのです。分量が分からずにいたら、お手伝いに来てくださっていた画家の女性から、「ほんの少しで良いと思いますよ」というアドバイスがあり、分量も適切なものになりました。打ち粉の白とは違う淡いピンク色が分かりますか。

  

  

  

 さて、この玉をのすのですがこれが一苦労。少し水が多かったのと、桜の葉が入っているために生地のつながりが悪くて、端の方も真ん中も力無く割れて行きやすくなっています。時間をかけずに、薄さも追求せずに早さだけを求めて手早い作業が求められます。

 生地はこんな感じ。自分としてはもう少し薄くしたいのですが限界です。

  

 包丁を入れると案外良い調子で切れてくれます。あまり細すぎると茹でるときに切れそうなので更科蕎麦としてはやや太めに切って行きます。

  

  

 さていよいよ茹でてみます。食紅の分量が良くてほのかな桜色になりました。アドバイスをくださった女性画家の方からは「雅(みやび)な色が出ましたね」という感想が。表現も雅です。

  

 盛りつけるとこんな感じ。

  

 実際に食べてみると、葉の塩味が抜けずに面に塩味が残りました。汁をつけずに食べてもらうのがよいか、やはり葉の塩抜きをしてから使うのがよいのかは今後の課題です。そのままで水蕎麦で食べてもらうという趣向も案外面白いかも知れません。隣で仲間に茶そばを打ってもらったので、並べてみるとこんな感じです。随分色が違うものです。

  

 さて、いろいろと反省点もありますが、初めてにしては上出来です。打っている最中は「駄目かも知れない」「桜散る…にならんように…」と悪いジョークを飛ばしながら作業していましたが、結果は「桜咲く!」合格です。

 会食に参加してくださったぶらっとライターからも好評でした。

 蕎麦研に、季節限定の変わり蕎麦として新しいレシピが加わりました。食べたい人はいますか〜?

  



2008年04月12日(土) 080412_ぶらっと!のライターが掛川に集合

 「ぶらっと!」という全国展開のSNSがあります。 http://www.burat.jp/top

 スローライフをキーワードにして、全国から地域のちょっとした小ネタをたくさんの地域ライターたちが送りこんでくれるのです。かくいう私も地域ライターの一人としてこれに加わって、北の心の開拓記と同じような情報を提供しています。

 ネット上ではお互いにコメントを書きあったりして、会ったことがない方ともお友達にような気がする不思議なサイト。そんななかで、立ち上げから2年間編集長としてライターたちを叱咤激励してこのサイトの盛り上げに尽力されたNさんが、編集長を退任するという連絡がありました。

 そこで掛川の地域ライターたちが、いろいろとお世話になったNさんを囲もうということで全国に向けて、「掛川でおもてなしの会をするので参加してください!」と決意表明。これに約10名の全国のライターから「いくよ!」という返事があり、今日〜明日にかけては掛川周辺の地域資源を巡るおもてなしツアーが開催されたのです。

    ※    ※    ※    ※

 私もライターとして、掛川市のスローライフNPOの一員として、そして蕎麦打ちとして参加をしました。

 初日の今日は、昼に集合をして単線の3セク鉄道、天竜浜名湖線に乗って車窓からの風景を楽しみながら浜名湖へ向かいます。浜名湖の周辺をピクニックして春の訪れを感じました。

  

 車中で北海道から来た女性名物ライターのOさんが持参したお土産を披露。その名も、な、なんと「まりもプリン」 まりも羊羹というのは昔からあって有名ですが、その変化系として、同じく丸く緑のゴムに丸く包まれたプリンなのです。

 プラスチックの楊子でプチっと刺すと、毬藻羊羹と同じようにゴムがつるんと向けて、中からプリンが登場。一緒についているカラメルシロップをかけると、美味しいプリンになるのです。

  

  

  


 面白いアイディアです。北海道は阿寒湖の新しいお土産としてヒットして欲しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 浜名湖の帰りからは、泥団子を作る活動をしているグループからのプレゼンテーションで、参加者全員に一つずつ泥団子が渡されて、それに着色をするという作業に挑戦しました。

 たかが泥団子、と思うなかれ。実に奥が深い世界なのでした。これはまた別な機会に大いに語るか、泥団子のライターをご紹介することにいたしましょう。

 夜は夜で掛川市内の「ならここの里」というキャンプ場で夕食と懇親会。初めて会うライターの皆さんたちともうち解けて実に楽しい時間が過ぎて行きました。

 ぶらっとライターの皆さん、ようこそ掛川へ!

  



2008年04月11日(金) 080411_エキナカとの往復

 友人が九州から上京して来るというので、一杯飲みませんか、というお誘いが。

「場所はどこですか?」と訊くと、「品川駅のエキナカにある薩摩屋敷という居酒屋です」とのこと。

 最近は品川駅や東京駅などの駅の構内がちょっとしたショッピングモールのようになっていて人気なのです。

 新宿からJRに乗って、品川に到着。懐かしいね、と賑やかに昔話に花を咲かせて杯を重ねます。

 楽しい時間はすぐに過ぎてお別れの時間。

「そういえば、僕は新宿から乗ったけど、駅を出ないままにまた新宿に帰るということになると料金はどうなるんでしょうね?」
「あ、大丈夫。そのまま降りれば料金はかかりませんよ」

「本当?」
「ええ、私もそうやってタダで降りましたもん」

 そうか、これだったら料金がかからずに遠くからでも集まって飲めるんだ。JRもエキナカで儲けようとしているんだから、それくらいはサービスだと思っているのかな。

    ※    ※    ※    ※

 やがて電車は新宿に到着。そのまま小田急線に乗り換えようとパスモをかざしたら…ピンポン♪<係員のいる改札へお回りください>
 あれ?通れないや。

 仕方なく乗り換えではなく一度出口へ向かってやはりパスモをかざしますがここでもピンポン♪ 仕方なく駅員さんのいる窓口へ。

「あのう、ここから乗って品川のエキナカで食事をしてまたここで降りたいんですけど…」
「ありがとうございます。その場合は品川までの往復の380円をいただきます」
(えーーー!?)

「…駅の中で稼いでおいて、降りなくても運賃を取るっていうのは上手ですね」
「は、申し訳ありません」

 しっかりきっちり品川までの料金を払わされてしまいました。

 しかしよく考えると、
ケース1「一度入ったんですが忘れ物をしたので降りたいんですけど」と言えば、多分料金は請求をしないのではないか。ただし乗った時間が記録されているので、嘘がばれそう。

ケース2「すぐ隣の駅で蕎麦を食べて友達と話してました」と言えば、すぐ隣の駅までの料金でよかったかも?でも300円は払う羽目に。

ケース3「酔って入って、今までトイレで寝ていたのですが、忘れ物に気付きました」ととにかくどこにも行っていないと言い張る。

 …とまあいろいろにゴネ方を考えてみましたが、あまりに大人げなさそうです。

 それにしても、降りなくても料金を払うんですねえ。なんだか不思議。
どういう工夫がありえるでしょうか?誰か教えて。 



2008年04月10日(木) 080410_神田明神のお膝元

 以前から千代田区の知人に「神田神社の濃い氏子衆に会わせてくれませんか」と頼み込んでいたのが今夜実現。

 場所はこれまた神田の路地の奥にあるSという居酒屋さんで、濃い神田っ子たちに囲まれて楽しいひと時となりました。

 そもそも神田神社の氏子の人たちに会いたかったのは、東京でも最も活気あふれる神田明神祭を支える地域力の源が何なのか、ということや、祭を通した地域の連帯がいざというときの地域防災力にどのように繋がっているのか、ということを知りたかったからです。

 さらに言えば、今は掛川市と一緒になった旧大須賀町横須賀の三熊野神社のお祭は、江戸の殿様が当時の横須賀の地に江戸の祭の様式をそのまま持ってきたもので、東京の祭が明治以降次第に変化していったのに対して、隔離分布のように昔のままに残されているという点で、神田以上に江戸らしく、その縁で今では人的な交流も盛んになっているというご縁もあるのです。

 さらにさらに言えば、神田神社の主祭神である平将門公の首検分をしたといわれるところが十九首という地名で今でも掛川市内に残っているというご縁もあり、実にさまざまな曰く因縁が掛川と神田の間にはあるのです。きっと何かがあるはずだと思わずにいられません。

   *   *   *   *   *

 今日来ていただいたのは、全部で6人でしたが、一番の兄貴分的な存在のTさんは、開口一番「いや〜、横須賀の三熊野神社祭は今年も行ったけれど本当にいいねえ!」と言うのです。

「実は私は掛川にいたことがあって・・・」と経歴をお話しすると「あ、そうかい!いやあの祭は本当に良いし、あの地域がすばらしいよね」と重ねてべた誉め。

「神田祭の主のようなTさんから見て、何がどう良いですか?」
「神田はね、昔は横須賀のような歴史的な物語の人形をつけた二輪の祢里(ネリ=屋台)だったんだけど、明治以降に神輿に変えたという歴史があるわけ。それがそのまんまに残っている。そしてお囃子も昔の江戸のそのものが残っているのも素晴らしいね」

「なるほど」
「でももっとすごいと思うのは、鳳輦(ほうれん)って鳳凰のついた一番の神輿がお通りになるときには周りが土下座してお迎えするんだよ!こんなに光景なんて他じゃ見られないよ」

 神田の若頭が感動するんですから、本当にすごいんです。掛川の衆は自分の地域の外のお祭にはあまり関心がなさそうなので、どれくらいすごいか分かっているのやら・・・。

   *   *   *   *   * 

 祢里と神輿の話になると、参加していただいていた神田明神の禰宜でらっしゃるSさんも興味深いお話を教えてくれました。

「神田のお祭も江戸時代までは祢里を引いていたんですが、明治の御維新になって文明開化に伴って電線が張り巡らされるようになって、祢里がそれをくぐれなくなって変えたんだとも言われているんですよ」
「へー」
 するとまた別な方が「いや、商人は公方様が御代わりになったんだから、俺たちも変わろうという時代に媚びるような商人根性もあったんだと思うよ」

 神輿の話でももう大盛り上がりです。

   *   *   *   *   *

「すごいなと思ったのは、明治7年に明治天皇が神田明神に行幸された際に、『平将門はその昔天皇に弓引いた逆賊である。よって祭神から下ろすように』という沙汰があって、摂社か末社に動かれたときがありましたよね」と私。
「おやこままささん、良くご存知ですね」

「それが、また地域の熱意で昭和57年でしたか、また御祭神として復活したという話も聞きました。この神田の皆さんの将門公に対するシンパシーってどこから来るんでしょうねえ?」

 「将門公が祭神から降りた後の十年はお祭がなかったんです。昔はお祭は秋だったんですが、それを十年ぶりにやったらすごい台風にぶち当たりました。将門台風なんて言われて、『将門公の呪いだ』なんてい言われました。で、それで祭の時期を5月に変えちゃったんですよ」とTさん。「へー、それは知りませんでした」

 次に禰宜のSさんが「やはり将門公は、都から派遣されて地方で庶民を苦しめる官僚に対する義憤から乱を起こしたのであって、その気持ちに共感を感じるところが大きいんでしょうね。それに徳川三百年の御恩を簡単には忘れられないし、薩長に対する反骨の気持ちもあったんですよね。薩長が江戸入りするときは当時このあたりでも竹槍で立ち向かったくらいですから」

「『上からは明治だなどといふけれど、治明(おさまるめい)と下からはよむ』とか、『芋(薩摩のこと)はしもげる、おはぎ(萩=長州のこと)はすえる、五月葵(=徳川様)の花盛り』なんて言い方もあったよね」

 またSさんが「やはり徳川様は、天下祭と称して江戸総鎮守の神田明神の祭だけは江戸城に入ることを許したりして、庶民の心をつかむことに本当に長けていましたね。人の心が動く要素って、経済だけじゃないんですよ」

   *   *   *   *   *

「神田の祭が今でも氏子で支えられているというのは、皆さんはずっと昔から江戸の住人だからですか?」
「いや、それが結構人は変わっているんですよ。関東大震災もあったし東京大空襲もあったでしょう。でもやっぱり震災が大きかったかな。私なんかは親が大正時代にここへきてその二代目」

 聞けば、新しく入ってきた初代は割りと地域に対して大人しく過ごすのですが、二代目からは地域への貢献度が評価されるし、そのうちに神田のお祭が好きになっていくということのようです。

「お祭のときは3日間公園にテントを張って炊き出しをしますからね。それは防災訓練と一緒。いざというときの練習になってますよ」

 やはりお祭は地域が皆でやる最大のイベントであり、その連帯感はいろいろな方向に花開く財産になっているのです。

「こままささんって、神社に詳しくてなかなか面白いねー」
「是非今度は神社のほうへもお越しくださいね」
「もちろんですよ!これで神田明神へ行くのが楽しみになりましたよ」
  
 神田明神にお友達ができるとは望外の喜び。神田の人たちもとても熱
くて素晴らしい人たちばかり。こういうご縁ができるのも御神徳と言えそうです。 
 



2008年04月09日(水) 080409_最後の盛り上がり

 今年の6月に札幌で、高校の同窓会があります。

 私は旭川の高校を卒業していますが、ここでは卒業した後に、地元旭川(いつだったっけ?)と、東京(卒業25周年の年)と、札幌(卒業27周年の年)の三箇所で同窓会の幹事をやることになっています。

 いわゆる当時の同学年生たちが集まって同窓会の幹事をするのはこれが最後のチャンス。企画から実行までを当時の同窓生が行うので普段はなかなか集まることのない仲間がこのときばかりは集まって大いに盛り上げようと企画を進めているのです。

 私は本来ならば札幌で地元幹事くらいをすべき立場ですが、東京生活になってしまっているので、果たせません。せいぜい当日は東京組として駆けつけて、枯れ木も山の賑わいに貢献しようかと思っているところです。

 そういう状況の中で、先日は元のクラスメートの女性から資金援助のお願いメールがありました。名目は広告費として自分の会社などの経費で落とせるようにしていますが、私は別に宣伝するほどの職場でもないので、寄付としてお金を振り込みました。

 最後の同窓会は、前日に我が期だけで前夜祭をやるという企画もあって、二日にわたってのお祭り騒ぎになりそうです。

 人間、天明を知る頃になると、懐かしい昔が特に思い出されてくるようで、同窓会に出るようになるものです。

 昔の友達も大切にしましょう。ほんの少しでも縁があったんですからね。



2008年04月08日(火) 080408_週末は掛川

 掛川から「こままささん、週末は掛川へ来ていただけるんでしょうね?」という問い合わせがありました。

 ぶらっとの精鋭たちが集まるということでは、私も抜けるわけには参りますまい。前日からの参加を表明しました。

 二日目のお昼にはお蕎麦を食べて頂くというので、現地の仲間に連絡をして準備を進めています。

 今回は、桜の葉の塩漬けをミキサーで粉砕して、更科粉に練り込んで「桜蕎麦」ができないものかという挑戦をしてみようと思います。

 お相手をする人数は25人くらいだと言うから、適当にいろいろな蕎麦を打って試食をしてもらおうと思います。さてうまくいったらお慰みです。



2008年04月07日(月) 080407_負うた子に教えられ…

 ある売れっ子女性アーティストの曲がテレビで流れていました。

 すごく良い曲だったので、インターネットでプロモーションビデオ(PV)を探したところちゃんとアップされていたので喜んで聞き込みました。

 そこでチャットで下の娘に「お父さんもこんな曲を知っているんだぞ」という半分自慢を込めて、『○○○○というアーティストの△△△っている曲知ってる?すごく良い曲なんだけど』と書き込んで送りました。

 娘からの返事は「お、懐かしいよ(笑)」というもの。

「なんだよ、新しい曲じゃないのか」
「もう懐メロだよ。4年前くらいじゃないの?」

 改めて作られた日付を見ると、本当だ、2004年になってる…orz

「ひえー、そこまで古いとは思わなかったよ」
「気付いて良かったじゃん、恥かかずに済んだよ(笑)」

「はは、まあな(爆笑)」

 だんだん娘に教えられることが多くなってきました。

 でもやっぱりチャットって便利。



2008年04月06日(日) 080406_効率化のお陰で

 昨日のサイクリングはマスクもして杉花粉対策は十分にしたはずだったのですが、今朝起きてみると目は充血しているし、くしゃみと鼻水がひどい。
 せっかくの晴れの一日ですがアレルギー対策の薬を飲んで、今日は外出をあきらめて休養です。

    ※    ※    ※    ※

 うちの奥さんが携帯電話をFOMAに替えてくれて、割引料金契約も結んだとのことで、これで家族間の通話は24時間無料となりました。

 他社のサービス向上とそれによる利用者の移動の結果、NTTも無料サービスの強化に踏み切ったというわけ。競争こそがサービスを向上させ料金を下げさせるという典型的な形です。

 もしも携帯通信会社の社員だったら、「これじゃあ儲けが少なくなって大変だ」と思うかも知れないけれど、利用者はよりよいサービスに簡単に移動してしまうもの。

 こうした移動を妨げていたのが、会社を変えると番号が変わるという制度だったのですが、まさにこうした規制を撤廃すれば利用者の移動がスムースになるという実例です。規制撤廃によって利用者はより便利だと思う会社の方にどんどん移動してしまうので、携帯会社としては、相手に負けまいとサービス向上と料金引き下げ競争に突入するというわけです。

 ミクロに見ると、アンテナショップが潰れたとかマイナスな現象も起きているのかも知れませんが、全体の流れとしてはこのような規制を緩和して効率化を推し進めるというのが今の大きな国の方針というわけです。

 ITの分野は特にこうした規制がまだ多くて諸外国よりも効率化が遅れてしまっていると言われていますから、もっと便利と安さを追い求めるべきなのでしょう。

 そういう意味では今の自分の身分や立場が徹底した効率化を追い求めているか、ということ次の効率化を目指す荒波にもまれるかどうかの試金石というわけ。

 お役所の仕事もどうしても非効率的になりがちですが、それを放っておくようでは住民や国民の気持ちが許さなくなりつつあるとも言えそうですね。キーワードは「効率化」です。

    ※    ※    ※    ※

 下の娘が使っているチャットのアドレスを教えてもらって、これで家族全員とチャットが出来るようになりました。

 パソコン上でのチャットは、携帯電話やメールとはまた違って、ちょっとした小会話をして元気かどうかを確かめるのにぴったり。

 ITの良い面を使って、こういう技術もできるようになるとコミュニケーション力が増えるのですけれどね。

 効率化されたサービスを使いこなすのも生涯学習というわけですか。いやはや生涯学習に終わりはありません。



2008年04月05日(土) 080405_多摩川沿いのサイクリング

 快晴の関東地方。この週末で桜は終わりでしょう。今日は多摩川沿線をサイクリング。途中に桜のトンネルがあってとってもきれいでした。

  

 多摩川の川崎側にあたる右岸の堤防の道を下流へ向かって自転車を走らせました。

 多摩川の右岸はサイクリング道路が整備されているので、自動車に追い立てられずに済みます。ジョギングや同じくサイクリングの人たちが沢山走っていましたよ。

 この多摩川の河川敷に川崎市で唯一のパークゴルフ場がありました。それがここ「多摩川うなねパークボールコース」です。

  

 見学をしていたら管理人とおぼしき優しそうなおじさんがいたので話しかけてみました。

「こちらはいつからオープンしているのですか?」
「あそこに北海道の中標津町から贈られた看板がありますよ。2001年からですね。ちゃんと公認も取っていますよ」

  

  

「パークボール場という名前なんですか?」
「今はパークボール場とパークゴルフコースを両方掲げています。昔はパークゴルフと言うと、勘違いして本物のゴルフをしにくる人がいるんですよ。最初はそれがひどかったけれど、だんだんゴルフ禁止というマナーが徹底してきました。今では芝生の上でゴルフの練習をする人はいなくなりましたが、今度は今度は時間外にバンカーの練習をする人が出たよ。まったく…」

「一日どれくらいの利用がありますか?」
「多い日で200人が限界かな。平日は慣れたお年寄りしか来ないから良いけれど、土、日になると年寄り、親、孫の三世代でくるでしょ。そうすると若い人は回るスピードが遅くて、途中で止まったりしているわけ。年寄りからは苦情も出るけど、週末は仕方がないよね」

「利用者は川崎市民だけですか?」
「県外からも来ますよ。この間は千葉県からバスでやってきました。でもこのコースは河川敷なので大型バスの駐車場がないわけ。仕方がなくて、土、日なら良いだろうということで、近くの生コン工場の敷地を借りてそこに止めさせてもらったりもしましたよ」 

「パークゴルフって北海道生まれのスポーツで、北海道では大人気なんですが、川崎ではどうですかねえ?」
「少しずつやる人が増えてきていいと思うんだけど、ここしかコースがないでしょ。ここは河川敷で堤防があるから車で通る人には見えないんですよ。だから『あ、面白そうなことをしているな』という風には伝わらないのでちょっと残念です」

 こちらのコースはワンラウンドで400円、65歳以上なら半額の200円ですが、「年齢を偽って安くやろうとする人がいて、最近は歳の証明できるものを持ってきて、なんていわなくちゃならなくなりました。せちがいらいね」とも。

「芝生の管理や全体の運営はどうしているんですか?」
「2、3年前に指定管理者化されて、本当のゴルフコースも管理しているよみうり系の会社がしっかり管理していますよ」

  

 ここには川崎市の貸しクラブも無料で用意されているし、運営体制もしっかりしています。市内には同好会も5つほどあって、定期的に大会も開催されているとか。

  

 もっとコースがたくさんあってもいいのにね。

 多摩川はいろいろなスポーツをする人たちで賑わっていました。

    ※    ※    ※    ※

 自転車の前を走るおじさんの上着の背中の文字は「HEART BREAK(失恋)」…って、ネイティブが見たらどう思うのでしょうねえ。面白いから写真に撮ってしまいました。

  
 



2008年04月04日(金) 080404_世界の構造変化と日本

 国の中で行われている最新の情報を得ようと、ときどき内閣府のホームページを見ることにしているのですが、なかでも経済財政諮問会議での議論は面白いものです。

 我々はともすると新聞情報だけが頼りで、紙面だけを見ると、日本の舵取りが政治家の思いつきや財務省の独断で行われているのではないか、などと思いがちです。

 しかし第一線の経済人や学者先生たちが集まって、これまた第一線の官僚がまとめたデータを元に、これからのあるべき姿を語っているのを見ると、非常に高度な議論が行われていることがよく分かります。

 政権や官僚をただなんとなく批判する人はこういう資料を是非読んでから批判して欲しいものだ、とつくづく思います。

    ※    ※    ※    ※

 さて、今回見つけたのは経済財政諮問会議のなかの「構造変化と日本経済」専門調査会というものです。
 サイトはこちら→http://www.keizai-shimon.go.jp/special/economy/index.html


 これは今年の3月から始まって6月までに一定の方向を出すべく、著名な学者や研究者の皆さん14人が集結して議論を交わしているものです。

 テーマは文字通り、世界経済の構造が急激に変わっている中で日本はどういう道を選択して行くべきか、ということに尽きます。

 今はまだ三月末の第三回会議が開かれたところですが、配付された資料はもちろん、各委員の発言内容もしっかり公表されていますから、誰が何を言ったかもちゃんと分かるようになっています。

 情報公開はここまで進んでいるのです…が、実際は余程ここをねらって探り当てないとたどり着くことが出来ません。情報は出す量が多すぎると、すぐに紛れてしまうのです。

 さて、ここでの議論は、大国中国とインドが世界のグローバル経済の中に格安の労働力提供国として登場したことが、世界経済の大きな構造変化であると考えています。

 その結果、世界の労働力が余り気味になり単純な労働はこの二つの国に吸い寄せられるように集まります。日本からも単純な生産活動は奪われる道理です。

 そうした状況にありながら、なお日本は古い体質の国内生産活動を守ろうとする動きがあるために、ドラスティックな改革をしたアメリカやEU連合から大きく遅れを取っているという懸念が示されています。

 中国とインドの経済発展を世界経済のダイナミズムとしてこれに向かって船出をしてそこからリターンを得るような体質にして行かなくては、もうこれまで成功体験では生き延びることは出来ないという強い警鐘が鳴らされています。

 特に顕著なのは、先進諸外国に比べて日本ではIT化が国内総生産(=付加価値の総和)にあまり寄与できていないという指摘があります。今やGDPの7割がサービス産業となった日本において、金融サービス、医療サービス、教育サービスにおけるIT化による効率化をさらに進めない限り、人口減少を迎える我が国は世界から見向きもされない斜陽の国になってしまいます。

 会議の場では、これに対処する方法として参入と退出の障壁を取ることで衰退産業の早期撤退を図り、人材の水平移動を早期に行わなくてはならないと強調しています。

 しかしその狭間で起きていることは、そうした水平移動の動きに乗り切れずに、自分の能力が社会のニーズとミスマッチを起こしていて安定した収入の道が断たれてしまっている人たちで、そこにさく徒花(あだばな)が経済格差だというわけです。

 新しい産業を支える人材の育成は、今の子供達が大人になるのを待っている余裕はないと言います。現在の労働者がかなりの割合で水平移動をするためには、新しい産業への再教育やスキルアップを早急に行うべきだとも提言をしています。

    ※    ※    ※    ※

 しかし実際には、この激変の荒波の中で多くの労働者はとまどい、これまで乗ってきた船から降りようとはしていません。ここに今の日本の、いやこれからの日本の苦しみがあります。

 一方、幸い日本には1500兆円もの国民の財産がありますから、これを上手に運用することでそのリターンで将来に安心を求めるような生き方も必要だという提言もあります。

 資産の効率的な運用で経済を支えるような生き方ですが、ここにまだまだ株は賭けだというような忌み嫌う体質も残っています。ここにこそ、金融が確実性を高める運用コンサルタントとしての金融サービスを提供する余地があると言っているのです。

 世界の動きの早さに、自分たちも変化をして行かなくては滅亡の道をたどってしまう確率が高まっているようです。



 たまにはこうした真面目なレポートを読んで考え込むことも大事ですね。



2008年04月03日(木) 080403_いえそば 〜 蕎麦打ちのライバル

 「こままささん、蕎麦が打てるおもちゃを知っていますか?」とある方から訊かれました。もちろん、私が蕎麦打ちと知っている方です。

「おもちゃの蕎麦打ち機械ですか?そんなものがあるのですか」
「やっぱりご存じなかったですか。タカラとトミーが一緒になったタカラトミー社が売っている『いえそば』という製品なんですが、これが結構本当の手打ち蕎麦らしくなるというので人気だそうですよ。こままささんの感想を訊きたかったんですがねえ…」

 残念ながら寡聞にして知らなかったので、家に帰ってからネットで検索をしました。あ!あった!なるほどー…。

 いえそばのサイトはこちら → http://www.takaratomy.co.jp/products/iesoba/

 製品は、基本的には手回しで回転を与えて、その回転力で水を入れたそば粉をこねる「水回し」をしたり、のして、切るという作業が簡単に出来るというものです。一応二人前までということのよう。

 ホームページには実演のビデオもついていて、本当に簡単そうにそば粉をこねています。しかしさすがにきれいな玉にするにはまな板などの上でもう少しこねる作業をしなくてはならないようで、これが案外難しいんですけどね。

 のして切るのは、まさにパスタマシーンと同じ感覚です。なるほど、これなら高い蕎麦打ち道具や練習も必要なさそうです。

 美味しい粉の選び方や買い方に関するアドバイスが少ないのが残念ですが、本当に美味しい粉であれば美味しい蕎麦ができるかもしれません。

 説明によれば、最初の水回しで「抹茶を入れれば茶そばになる」ということもできるし、最大で二八の割合での蕎麦も打てるのだとか。

 下手な蕎麦打ち技術で蕎麦の太さにムラがあるようだと負けるかも。これはなかなか気になる道具が出たものです。お値段は定価で1万3千円ほどで、ネットだったら一万円以下で入手が可能なよう。高いか、それとも安いのか。

 一度対決してみましょうか。負けたくないなあ



2008年04月02日(水) 080402_手元不如意

 近くのスーパーで買い物をしてみて、テレビで言っている諸物価の値上がりを実感しました。

 パンが20円近く値上がりしていて、パスタも高い。乳製品も高くなっています。

 ちょっとした差額の積み重ねが大きな額になりそうだ、と思いながらも、「一回飲み会へ行かなければ良いんだよ」という声も聞こえてきそうです。

 確かに一度飲み会へ行って5千円くらい出費をすることを考えると、値上がり分の積み重ねも吹き飛んでしまいそう。しかしそれがそうは行かないのが大人の世界でもあります。

 家計簿上でも「食費」と「交際費」は区別して予算を立てていますが、それにしても今月は交際費の出費が多い!ちょっと予算をオーバーしています。

 月と年度の変わり目を機会に、気持ちを入れ替えないといけないかも知れませんな。

 



2008年04月01日(火) 080401_新しい仲間に幸あれ!

 今日からは新年度の始まりです。

 我が組織は基本的な人事異動が6月なので今日は極めて小規模な人事異動にとどまりました。

 それでも一人が去って、新しい一人が入ってくるという新旧入れ替えがあったので、チーム内で節目の歓送迎会に繰り出しました。

 途中で立ち寄った花園神社は桜が満開。桜の花越しに社殿が見えるとは、偶然ではなく実はそのように桜を仕立てているのでしょうね。こりゃ見事です。

    ※    ※    ※    ※

 今日から娘が社会人生活スタート。緊張で涙が出てきたそうです。自分も新人の時はそうだったかな。

 新しい仲間たちに幸あれ!です。

 


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こままさ