2007年09月30日(日) |
070930_パラダイス鎖国 |
朝から雨で、一日を整理と読書に費やしました。週末はできるだけ現場に出たいのですが、たまには見てきたことを整理することに当てる時間も必要なのかも知れません。
さて、今気になっている単語があります。それは「パラダイス鎖国」という単語。これはシリコンバレーで活躍中の海部美知さんという女性が開設している「Tech Mom from Silicon Valley」というブログで初めて述べた単語で、いまブロガーの間では話題になっています。 (初出はこちら → http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20050728/1122535870)
海部さんが夏休みに日本に帰省するたびにぼんやりと感じていたことが「日本はどんどん住みやすくなっていくな…」ということだったのだそう。それが年々その思いを強くして、2005年の夏のときにはついに「日本はもう住みやすくなりすぎて、日本だけで閉じた生活でいいと思うようになってしまった」「つまり誰からも強制されない『パラダイス的新鎖国時代』になってしまったように」感じたのだそうです。
その昔アメリカに行くと言うことは、必死に英語を勉強して、アメリカで働いたり生活できることで日本にいるよりも良い生活ができるという憧れがあったはずなのが、今ではアメリカで生活する苦労よりも日本の生活の方が質が上だと感じることが多くなった、というのです。
デジタル製品の品質は日本の方が上、コストも同じくらい、治安は良いし、美味しいものがちまたにはあふれ、商品やサービスを売るのでも、無理をして外国へ売らなくても国内だけで採算がとれるようになった、と多くの企業が感じているのではないか?
それならば無理をして難しい英語を身につけて、わざわざテロや戦争のある海外などへ行かなくても、幸せに生きることはできる。 もはやかつての世界に日本製品を売り歩くモーレツ商社員の姿は遠い歴史になったかのようだと。
「しかし本当にそれでよいのだろうか」と海部さんは問いかけます。このブログの中では「パラダイス鎖国」というキーワードがいくつもの記事に登場しますが、その中で彼女は「日本が世界からrelevancyを失って行くのではないか」ということをしきりに心配しています。
”relevancy”とは、「重大な社会問題との関連」などという意味ですが、つまり何か世界に事件や出来事があったときに、日本という国の姿やイメージが浮かばない時代になってしまうのではないか、という心配をしているのです。
別な記事では「文化のガラパゴス諸島」などという表現も登場します。ガラパゴス諸島とは、天敵もいない、狭い世界だけで天国的独自の進化をしたためにここだけにしかいない生物に満ちた島を、鎖国の中で世界を見ずに独自進化をする世界を言い表したもの。
ジャパンアニメや漫画文化、世界一わがままな消費者のニーズに応えるべく徹底的に機能が満載されたデジタル機器の進化などはその典型。
その世界だけで過ごす分には確かに天国なのだろうけれど、それまでは島にいなかった犬などの天敵が一匹入ってくるだけで生物が全滅するかも知れないほどの危うさを一方で抱えているのではないか。 日本が住みやすくなることは、それはそれですばらしいことだけれど、それが世界から孤立していくという生き方には不安を感じるというのです。
※ ※ ※ ※
そう言われてみると、自分自身も「世界に飛び出して活躍する人は頑張ってくれればよいし、すごいと思うけれど、自分はそうなるつもりはないし、そういう人とも関係ない。自分は自分の小さな幸せを大事にしたい」と思うことが確かにあります。
しかし「グローバルスタンダードの世界に飛び込め!」というスローガンやグローバルスタンダード教の信者にならずに、自分たちの持っている能力や文化を他に伝えることで、良い国(地域、町、人たち)だと思われるように頑張ろう、という気持ちを持つべきだし、それに向けて努力もしよう、という見方を海部さんはアメリカから伝えようとしてくれています。 そしてそれが日本の外の視点であり、常識なのだ、ということも。
「汝、狭き門より入れ。滅びに至る門は広くて大きい」そんな言葉を思い出しました。
※ ※ ※ ※
彼女のブログの中で「パラダイス鎖国」というキーワードを検索してみてください。もっと多くの記事が出てきて国内外の見方の違いが分かりますよ。
2007年09月29日(土) |
070929_南青山の表参道ヒルズ |
朝からときどき霧雨が降る天気。気温も昨日から比べるとぐっと下がって、20℃の前半。気温の急激な変化で体調を崩さないように注意が必要です。
今日は雨なので自転車をあきらめて、地下鉄の一日乗車券で都内を巡ってきました。営団地下鉄の一日乗り放題券は710円。元が取れますかどうか。
まずは表参道駅で降りて表参道ヒルズという再開発ビルを見学。今まで名前だけは聞いていたものの、ちゃんと中を見ていなかったのです。
再開発と聞いていたのに高さはわずか三階建てという低さ。しかも近くへ寄ってみると古くさいビルを一部利用しています。この古いビルをよくよく見ると「同潤会」と書かれています。 なるほど、かつて関東大震災の後に集合住宅の走りとしてここ南青山に建てられた同潤会アパートのビルを一部に活かした作りになっているのですね。
玄関なんかも昔を意識して残していますが、それぞれの部屋はブティックとして利用されています。レトロとファッションがマッチしてとてもオシャレです。うーむ。
この建物と一体化されて横長の建物は近代建築による建て替え分ですが、今度は中へ入ってびっくり。中は地下三階になっているのです。 表から見ると三階建てのビルが、中は地下三階に地上三階で6階建てのビルの容積をもっています。
中は吹き抜けで、各階は緩やかなスロープで結ばれています。化粧品のイベントなのか紫の絨毯が目に映えて印象的な空間です。
中は商業テナントがたくさん入っていて格好のデートコースになっているようです。家で調べると設計は安藤忠雄さんと森ビルの共同なのだそう。表参道は明治神宮ができた当時に植えられたケヤキ並木が立派に育っていて有名ですが、その雰囲気にマッチしていて、しかも新しい地域文化を提供しているというところが面白いですね。
豊かな発想を、こうして形にして見られるというのは嬉しいですね。{/kaeru_en4/}
ちなみに、その後もいろいろ回って、乗り放題券の元は取れました。
2007年09月28日(金) |
070928_池袋の横丁風景 |
仕事で同僚と池袋へ行きました。仕事を終えてから池袋でちょいと一杯。
駅前にはチェーン店が多いので、そういうところは避けて一件飲み屋を探して歩きます。
「あった、あった!」駅の南側に昔ながらの密集の香りがする屋台街がありました。『美久仁小路』に『人世横丁』、大衆酒場の雰囲気満点です。
その中の一軒に入って席に着くと、次から次からお客さんが入り始めました。さすがは金曜日の夜です。タイミング良く入れて良かった。
ビールを頼んで料理を頼んで四方山話に花が咲きます。
「ユーミンが、昔不二家の宣伝で『まぶしい草野球』という歌を歌って、最後に『ソフトエクレア〜♪』って歌う好きなCMがあったんですよ」 「ふんふん」
「でもユーミンはそれを忘れてたんですよ『なんだったっけ、忘れちゃった』って。俺好きだったんですよ〜、そのCM…」はは、もう酔っぱらってます。
※ ※ ※ ※
お酒の種類が一風変わってます。
焼酎瓶詰 それって一体なんだろう?頼んだら緑の瓶に詰め直した焼酎が出てきました。
「割り方はどうしますか?」とお店の女性。「僕はお湯」「すみませんそういうのないんです〜」「お湯がないの〜?」 割るエキスも瓶詰めで売っているのです。「じゃウメ」「僕はホッピー」
こうして池袋の夜は更けて行く。各駅ごとの横丁の風景も情緒がありますね。
2007年09月27日(木) |
070927_伝統と現代の融合〜日本工業倶楽部会館 |
知人と夜に東京駅界隈を歩いていて、不思議な形の建物を見つけました。
昔風の煉瓦造りの建物の上に覆い被さるように現代的な高層ビルが建っています。場所は東京駅の丸の内北口から皇居に向かって一町角歩いた右側の建物です。
なんとも不思議な建物ですが、聞けば元の伝統的なほうは日本工業倶楽部会館で、大正9年の建築だそうです。
しかしそれが老朽化し耐震性も劣るということから立て替えを決め、様々な検討を加えた結果、それでも何とか一定の規模で伝統的建造物を保存しようと言う試みがなされたのでしょう。
この建物の上に高層で立っているのは三菱信託銀行本店ビルでビルの完成は平成15年。85年の時間差の組み合わせです。こちらはもっときれいな写真とともにホームページがありますからそれをご覧いただくのがよいかも知れません。
http://www.citta-materia.org/?itemid=95
今度完成する虎ノ門の文部科学省のビルもそうですが、伝統的建造物の一部を残しながらその敷地の中で高層〜超高層化されたビルを組み合わせるという手法があちこちで見られるようになってきました。
伝統の継承と都会での効率的な土地利用の両方を満足させる手法として、次第に日本ならではの新しい景観を生み出して行くのかも知れません。
見慣れないと不思議な感覚かも知れませんけどね{/face_ase2/}
2007年09月26日(水) |
070926_江戸五色不動尊 |
今や東京は一大観光都市として日々発展しています。
しかし物の本を読んでいると、明治大正の頃はまだ名所旧跡というものもあまり確立しておらなくて、いろいろな工夫があったことが伺えます。
名所旧跡とはいうものの、人がとにかく集まれば「名所」と呼べるが、旧跡の方は古さをどう自慢するかが工夫のしどころ。大正の頃には『江戸以来』などと言って、旧跡を演出するも、三百年続いた江戸の一体どの当たりかということをまあ適当にさらりと流して旧跡らしくふるまったよう。 そういう曖昧さも日本人らしくていいような。
「江戸時代は寺社をもって装飾とした。泉石花木がそこに集められ、市民四時の遊観は、必ず神詣で・仏参りであったのだ(三田村鳶魚・みたむらえんぎょ著 「江戸の旧跡・江戸の災害」)」
三田村鳶魚(1870〜1952)は江戸時代に関する多くの著作を残し、「江戸学の祖」と呼ばれる江戸文化・風俗の大変な研究家。この人が言うには「渺茫(びょうぼう)たる武蔵野の一角に開かれた江戸市だけに自分を装飾する者は、建築美よりほかにはなかった」とのこと。
実はその江戸を飾った多くの寺社も何度も襲った火災によって多くが失われているというのは実に残念なお話。今我々が見ているのは本当の江戸に栄えた文化のほんの何パーセントにしか過ぎないのですから。
※ ※ ※ ※
しかしそれでも寺社仏閣に注目しながら町を巡っているといろいろなものに出会えたりします。
先日文京区の駒込界隈を自転車で走っていてみかけたのが「目赤不動」という看板。お寺名前は天台宗南国寺。 『目赤』という表現はなかなか珍しいと思って中を拝見すると、確かに目赤不動尊のお堂がありました。
掲げられていた看板によると、もともとはもう少し東の動坂というところにあった『赤目不動』が、三代将軍家光が今の土地を与えて「目赤不動尊とするように」との一言で目赤不動になったのだとか。
目赤以外にも目黒、目白、目青、目黄という五色の不動尊があって、この五色は東西南北と中央を表すというのが陰陽五行説。
家光が天下太平を祈願して江戸五色不動尊とした、ということになっていますが、「そう呼ぶようになったのは明治期以降だ」というような説もあるよう。 火事で不動尊もあちらこちらに移っているので分かりづらくもなっているのでしょうか。
この中では目黒不動尊が一番有名ですし、地名としては目白も残っていますね。目青不動と目黄不動も一応どこにあるか、ということはわかっているので、こういう曰く因縁をたどって町を巡るのも面白いですね。
歴史的に著名な権力者が強権を発動することで、かえって名所旧跡ができあがるということはよくある話。顔の見えない民主主義の時代は歴史に名を残す偉大な事業を残すことが難しいかもしれません。
※ ※ ※ ※
○○長者などと呼ばれて時代の寵児になった人ならその財産を、くだらない見栄に使うのではなく、後世に残る社会の財産として残してくれればよいのにね。
2007年09月25日(火) |
070925_社叢(しゃそう)学会 |
夕方に、緑化関係のある団体で勉強会の講師を頼まれていて出かけてきました。
その勉強会の始まる前に、会の代表と四方山話をしていると話が神社の杜の話題になりました。
「そういえばこままささんは、神社がお好きだと聞きましたが」 「はい、週末は東京を自転車で神社仏閣、庭園などを中心に巡っていますが、神社は地域の歴史や文化を理解する上で良いところですね」
「なるほど、そういう理解があるのなら、実はシャソウ学会というのがあるのですが興味はおありですか?」 「シャソウ学会というと、神社の森の『社叢』ですか?」
「そのとおりです。都市の緑を語る上では神社や仏閣の森を覗くわけには行きません。ですからこの社叢を対象に、植物学や生態学、造園から建築、土木、環境など様々な分野からアプローチをして日本人の文化や環境に対する意識を醸成しようというものなんです。パンフレットを持参してきましたので是非ご一読ください」 「それは興味がありますねえ」
「組織の形はNPOですが、各界のそれなりの方々が共感してくださっていますよ」とのこと。
なるほど、今日こちらへ講師をしに来た意味はこのことにありましたか。
早速パンフレットをいただいて見ました。学者から文化人まで多士済々の方が名前を連ねています。うーむ、これは楽しそう。
また新たな世界が広がりそうです。
2007年09月24日(月) |
070924_自分のためのエコロジー |
今日は一日家の中で根詰めた作業をしていました。朝から涼しくて秋の風が吹いています。北からの空気を感じましたよ。
さて、今日は本を一冊ご紹介します。タイトルは『自分のためのエコロジー』で、著者は甲斐徹郎さんという方です。
甲斐さんは、元々建材や住宅のマーケティングをお仕事にしていたのですが、『その延長に住みやすい環境はない』という確信から独立をして環境共生住宅のコンサルタントを始めたという方です。
実はこの本は造園の世界の先輩から薦められたのです。その先輩からは「こままさ君、あなたはグリーンカーテンをどう思う?」と訊かれました。
グリーンカーテンというのは、家のベランダなどにキュウリやゴーヤなどのツル植物を育てて、日陰を作りながら収穫をするというものです。
私としては、どうもこれはすばらしい、とも思えず、「やらないよりはやった方がよいのでしょうが、それほど劇的な効果があるとも思えません」と答えました。すると先輩は「そうだろう、そうなんだ。造園を専門にしているなどという人に限って、そういうある種見下した感想を言うものなんだ」とおっしゃいます。
「そうじゃないんですか?」 「まあ、この本を読めば目からウロコが落ちると思うよ。緑とは何か、そもそも熱とは何か、ということがね」
そんなわけで借りてきたのがこの「自分のためのエコロジー」という本なのです。
一読して感心しました。甲斐さんは、我々が家の中で暑く感じるのは熱があるからだけれども、実は感じやすい熱と感じにくい熱があるのだといいます。
空気のもっている熱は暑さとして気温で測れます。しかしこの熱は実は人間には伝わりにくいものです。空気は熱伝導率という熱を伝える力が弱いからです。
これに対して水は熱伝導率が高いので、同じ温度でもより暑く感じます。空気の0℃は耐えられるけれど、水の0℃では耐えていられないでしょう。これが熱伝導率の性質です。
そしてもう一つ、熱の伝わり方で重要なのは「輻射熱」というものです。これは物自体が暖まって、そこから直に発せられる赤外線を感じる温かさです。
で、実は夜になっても都会が涼しくならないのは、実はこの輻射熱が原因なのです。日中の間暖められたビルやアスファルトの道路などが夜になっても熱を発するので夜も暑いのです。
だから家だって同じ。いくら家の中でエアコンをかけても、家の外のベランダや外壁が暖まってしまえば、夜窓を開けてもその熱が入ってくるので涼しくならないのです。
だ・か・ら、植物によるグリーンカーテンでベランダや外壁に日陰を作り、家自体が暖まらないようにすれば、輻射熱はぐんと減り、涼しくなるというのが、グリーンカーテンの最大の効果だと、著者の甲斐さんは言うのです。
なるほど、今までは日中の植物からの蒸散作用でその日陰を涼し、くするとは知っていましたが、その日陰が夜の輻射熱を下げるということは初めて知りました。不勉強でした。
※ ※ ※ ※
そのうえで甲斐さんは「一人一人が都市レベルの環境をどうこうしようというのは無理だ」と断言します。だから「自分だけが良い環境で過ごせるようなエゴイスティックに考えよう」と言います。
ただしそのときには「周りに影響を与えるような考え方も同時に持とう」とも言います。つまり、自分の家の中だけ涼しければよいのではなく、自分の家の中と自分の家の周りの庭くらいは一緒に考えて涼しくなるように働きかけてみよう、というのです。
それはお隣の家の樹木から冷気を借りるのでも良いですし、それを自分の家を仲立ちにして反対側の家につなげるような考え方をしてみよう、そうして一人一人が外に働きかけるようなことがつながっていけば、それは都市の一部から始まる環境の連携になるのだろう、ということなのです。
キーワードは「自分のためのエゴだけど、外に働きかけてみよう」ということでしょうか。
面白い!どこか西洋的ではない、東洋的な思想が込められているような気がします。やはり環境問題は、東洋思想が鍵になりそうです
2007年09月23日(日) |
070923_恩人の墓参り |
時間が遅くなると雨が降るという天気予報なので早めに行動開始。今日も文京区の春日から出発する自転車旅です。
今日は近場での北方面に焦点を当てて出発。本郷通りを北へ駒込方面へ向かうと、立派なお寺が見えました。ここが諏訪山吉祥寺。かつては駿河台にあったとのことですが、火事で焼けて今のところへ移ってきたのです。
実はその際に、下のお寺の周辺に住んでいた人たちが移住してできたのが今の武蔵野の吉祥寺というわけ。だから今の吉祥寺には「吉祥寺」というお寺はないのです。
お寺はやはり立派だったのですが、気になったのは、このお寺の前にあった駒込地区周辺の「文化と歴史の散歩道」を表す地図のほうです。なにげなくこれを見ていると、周辺のお寺に、最上徳内と近藤重蔵の墓があることが分かりました。
最上徳内は蓮光寺、近藤重蔵は西善寺に墓があるというのです。この二人は当時ロシアが南下を始めた択捉島に渡って、「大日本恵登呂府」という標柱を立てた冒険家です。近世の蝦夷地の対ロシア外交と北方領土開拓に関しては、北海道の恩人とも呼べる人たちです。
考えてみると今日は彼岸の中日ではありませんか。何の因果なのか…、しかしこれはお詣りして線香の一本も上げなくてはなりますまい。早速お寺を探してみることにしました。
※ ※ ※ ※
最初の最上徳内のお墓のある蓮光寺も今日はお彼岸でお墓参りの人たちでごった返している状態。おずおずと参拝の受付にいた女性に「最上徳内の墓があると聞いたのですが…」と訊いてみると、早速近くまで案内してくれて、「アクリルのケースに囲まれていますから分かりますよ」とのこと。
行ってみると、本物は小さくてアクリルのケースに覆われていました。早速、受付にて浄罪と引き換えに譲っていただいた線香の束を供え手を合わせました。
※ ※ ※ ※
次は近藤重蔵の墓所である西善寺です。こちらは太い道路に面したところが再開発でビルになっている変わったお寺。ビルをくぐってそれほど広くはない墓所の中を探してみると、こちらはちゃんと東京と指定文化財の看板と屋根付きの囲いがついていてわかりやすくなっています。
以前広尾で近藤重蔵が開拓した北海道最初の道路を探し回ったことを思い出しました。なにかと縁がありますねえ。こちらも線香を供えて合掌です。
※ ※ ※ ※
その後は豊島区の染井霊園へと向かいます。ここは東京都指定の広域避難所になっているので、防災担当としては一度見ておきたかったのです。ここは明治時代に宗教に依らない共同墓地として開設されたもので、都営墓地の中では一番小さいのだそうです。この染井は園芸で栄えた地区で、ここで改良された桜がソメイヨシノというのは有名なお話です。
さて、近くの本妙寺で明暦大火の供養塔があったのでこちらにも手を合わせてきました。なんといっても火事の多かった江戸時代でも最も大きかった火事が振り袖火事とも呼ばれた明暦の大火。
このときに江戸城天守閣も燃えて以後再建はされませんでした。このときの死者は3万人から10万人ともいわれています。ですからこの供養塔に手を合わせると、この悲劇を二度と起こさせるわけにはいかないという防災の気持ちも新たになりました。
※ ※ ※ ※
さて、染井霊園は古いだけあって著名な人たちのお墓もあるようです。もう帰ろうとして、出口近くの看板を見ていると…、なんとここに松浦武四郎お墓もあるというではありませんか。
松浦武四郎といえば、伊勢国松坂生まれの探検家。彼は、それ以前の蝦夷地が海岸部しか測量されておらずほとんど様子が分からなかったものを、その内陸をアイヌ人たちとともに探検し、川の様子や多くの地名が書かれた地図を残しました。
彼の幕府への報告書は、和人たちに虐げられていたアイヌ人たちへの暖かいまなざしと、悪徳商人たちへの憤りと正義感にあふれたものです。また蝦夷地を「北海道」と名付けたのも彼。 現代の北海道がどれだけ彼の財産の上に成り立っているかと思うと、本当に医大は北海道の大恩人なのです。その松浦武四郎のお墓ならなんとしてもお詣りをしなくてはなりますまい。
区画を探してたどり着いてみましたが、看板が出ているわけでもなく静かなたたずまいです。
墓石に掘られた彼の戒名は「教光院釈遍照北海居士」。お線香の香りに包まれながら、北海道に思いを馳せました。 それにしても、行く先を決めないままに町を巡ってみると不思議に寺や墓所巡りに行き当たり、北海道の恩人の墓を三人もお詣りすることができました。
今日は彼岸の中日。三人の偉大なる冒険家に招かれた一日でした。
2007年09月22日(土) |
070922_武蔵野の樹木に感動 |
今日が暑さのピークでしょうか。それにしても暑い。今日の東京の最高気温は32℃でした、ふー。
今住んでいる百合ヶ丘からちょいと北へ行けばもうそこは武蔵野。というわけで、今日は武蔵野を訪ねてみました。
まずはJR南部線に乗って府中本町駅へ。ここでまずは大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)へお詣り。この神社は、武蔵国の総社(そうじゃ)だったのだそうです。
「総社」というのは、いくつかある神社をまとめたお社のこと。律令時代以来、国司が新しい任地へ赴いた場合は国中の神社にお詣りをするのが仕事だったのですが、神社をいくつも集めてしまいそこへ参ることで巡回したことにするようになり、その神社を総社というのです。そんなことが許されていたのですからのどかなものです。
そういうわけでここ大國魂神社は武蔵の国の総社というわけ。創祀は西暦111年といわれていますから、歴史も長く荘厳な雰囲気が伝わってきます。
大國魂神社を出たところから始まるケヤキ並木がまたすばらしい。武蔵野の木はとにかく立派なのです。
※ ※ ※ ※
そこからはバスで中央線の国分寺駅へ向かい、今度は吉祥寺へ。ここで井の頭公園へ向かいます。ここは神田川の源流部にあたっているのと、水質が良いことから「井(戸)の頭」といわれたのです。
公園の中には大きな水面があって、貸しボートで賑わっています。水面まで張り出した桜が満開の頃はさぞきれいなことでしょう。
さて、この公園の南側の一角には宮崎駿さんの三鷹の森ジブリ美術館があります。外から見ると、宮崎アニメに登場するデザインの建物で不思議な空間です。
でも入場するのは入場予約が必要で、休日の前売り券は早々と売りきれるそうですから飛び込みで行っても入ることはできませんでした。チケットはロー●ンで手にはいるそうですよ。興味のある方は、予約を忘れずに。
※ ※ ※ ※
最後は中央線沿いの阿佐ヶ谷駅前の中杉通りというケヤキ並木を見学。ここのケヤキ並木もまた樹高といい樹冠の広がりといい立派なのです。
街路樹に一見の価値があるというのは品のあるまちづくりです。街路樹をこれだけにするのにかかった時間はどれくらいの価値になるでしょうか。
それに、道路沿いのお店や住民の皆さんが一生懸命落ち葉などの維持管理をしているのですから、そうしたコミュニティの価値も大きいことでしょう。
今日は武蔵野の樹木に感心した一日でした。
2007年09月21日(金) |
070921_環境問題を明るく楽しく乗り越える |
今日はまたちょいと違った勉強会に参加しました。東京にいるといろんな勉強会に誘われて、すごい人にたくさん会えるのが魅力。 都会の魅力はこの情報量こそです。
今日の先生は、東北大学大学院の石田秀輝先生。先生は伊奈製陶株式会社(現在のINAX)に入社され、その後同社の研究開発部門を歩まれつつ、セラミックスによる技術開発、製品開発に多大な成果を上げられた方です。 石田先生のご専門は地質・鉱物学をベースとした材料科学ということになっていますが、先生のユニークな視点は、『自然のすごさを賢く活かす』ものづくりを提唱しています。
「科学による技術開発の扉」は二通りに開かれていて、一つは「これまで地球になかったものをつくる」という扉で、もう一つは「自然の中にあるもののすごさを考えてものをつくる」という扉だ、と先生はおっしゃいます。
しかし新しいものを作る科学は、それが良い面と同時にどのような悪影響を世間に与えるのかが長い間分からないという側面も有しています。フロンが発明されたときには画期的な冷房用の冷媒としてもてはやされたものですが、それがオゾン層に穴を開けるということがしばらく分からなかったのは記憶に新しいところです。
そうして石田先生は後者の自然にヒントを得るのが科学の賢いアプローチだと信じていてそれを実践されているのです。
先生の大発明は、「カタツムリはなぜ汚れていないのか」という問題意識から誕生した汚れを雨で流してしまうタイル。カタツムリが汚れないのは殻とよごれの間の微少なエネルギーの差で、殻と汚れの間に水が入ることで汚れが流れるという原理が分かったのだとか。 今ではこの技術を使ったタイルがINAXから「エコタイル」として商品化されていて、「汐留の高層ビル群はこれを使っていますから近くを通ったときはご覧になってください」とのことでした。
※ ※ ※ ※
さて、そんな先生は環境問題にも警鐘を鳴らしていて、2030年までに環境問題は「二重の制約に苦しむことになる」とおっしゃいます。
二重の制約の一つは、「資源やエネルギーなどの投入量が多すぎて、地球がきれいにしたり元に戻せる能力を超えてしまっているのに、それでも投入がやめられない」という問題で、もう一つは「そもそもその投入できる資源やエネルギーがもうすぐ枯渇してしまう時期に近づいている」という制約です。
しかしだからこそ、その問題と正面から向き合って、楽しく乗り越えて行こう、というのが石田先生の立場です。先生の語り口を聞いていると、暗い話も聞いていて元気が出てきます。
※ ※ ※ ※
先生がクイズを一つ出しました。「今日の皆さんの中で、お金持ちになったらディズニーランドを借り切ってたった自分だけで楽しみたいと思う人はどれくらいいますか?」 結果は、約30人いた中で一人の手も上がりませんでした。 「ね、そんなことまでしたくない、というこれが日本人のメンタリティなのです。これはつまり自分が勝者で他は敗者という区分けをしたくないという農耕民族ならではの考え方なのではないかと思うんです」
先生によると、西洋では逆にほとんどの聴衆の手が上がるそうです。 「みんな勝者になりたいんですね」
「私はこの日本人的メンタリティを一言で言い表すと『粋』なのではないかと思うんです。スローもロハスも『もったいない』も、みんな粋なんですよ」
「でも日本人は外からいわれないと自分たちの良さが分からない民族でもありますから、心を尽くして省資源でつましく生きる日本人の国民性を世界に対してアピールしたいものです。環境問題をリードできるのは日本人しかいない、と私はそう思っています」
明るく楽しく環境問題を乗り越える。私たちには謙虚でつましく、そして逃げない態度が必要なようです。{/hiyo_do/}
2007年09月20日(木) |
070920_緑の質を評価する |
今日は仕事の関係で、財団法人都市緑化基金というところを訪問しました。
こちらは文字通り都市の中を緑化するということを目的に様々な活動を行っているのです。民間企業の緑化への関心や意欲に関しては一番情報をもっている団体の一つです。
こちらの活動でいま力を入れているのが、通称SEGES(シージェス)と呼ばれる「社会・環境貢献緑地評価システム」です。
SEGESは、民間企業などによる緑の保全・創出活動を都市緑化基金が開発した基準によって、その社会や環境への貢献度を公正に評価・認定するという制度です。
これまでは志のある民間企業が社会に貢献するために緑化を推進したり緑地を整備したりしても、それがどれくらい頑張っているのかということが、世の中からあまり公正に評価されていないのではないか、という反省から生まれたシステムなのです。頑張ったところには応分の評価をすることで顕彰するということは大切なことです。 SEGESのシンボルマークはこちらです。
このシステムでは「三つの原理と八つの原則」というものが示されています。三つの原理とは、「土地利用の永続性」、「緑地管理」そして「緑地機能の発揮」という三本柱。
そしてその下に、「緑地の把握」から始まって「利用機能の発揮」までの八つの原則が掲げられていて、さらにこれらの現状に加えて、将来性として「緑地に対する姿勢や考え方(ビジョン)」と「緑化を牽引する先進する取り組み(トップランナー)」を総合的に判断して、五段階で評価をするという仕組みになっています。
五段階の認定ラベルは、種から双葉そしてつぼみ、開花、結実までがデザインされたしゃれたもので、毎年ステージが維持されているか、または質が向上しているかを審査するということになっています。
担当のAさんに伺うと「まだ登録してくれているのは18社に過ぎず認知が高いとは言えませんが、最近は金融機関からこの認定を取ったマンションなどの物件ならば融資を低金利にする商品を開発したい、というところが現れるなど、緑が実態の経済に結びつくような動きが少しずつ出始めていると感じています」とのこと。
もっとも「企業の多くは、まだ緑化を進めることがどのように企業活動にメリットがあるのか、ということを自ら説明したり納得できずにいるというのが現状ですね」というのがAさんの感想。
なんでも経済価値にしてしまえば簡単なのかも知れませんが、緑化や環境を守ろうという志までお金に換算するということにも抵抗があり、その一方で志しをどんなモノサシで計ったらよいのだろうか、ということも問われています。
さて、緑化をもっと増やすことが当たり前の社会はどのように実現できるでしょうか。
地道な志に対して一隅を照らすような暖かいまなざしが必要なのです
2007年09月19日(水) |
070919_「歳月人を待たず」とは |
今夜は都市公園行政の世界の大先輩に誘われて夜の新宿でちょいと一杯。さまざまな経緯を教えてもらって、目からウロコが落ちました。
後輩は先輩の業績の上でのうのうと生きているのかも知れないと思うようなエピソードが満載です。後輩たちが当たり前と思うような業績を今我々が上げなくてはいけないのだなあ、と思った次第です。
※ ※ ※ ※
そんな話の途中で先輩から一言。
「そうそう、中国の漢詩の中に『歳月人を待たず』っていう一節があるだろう?」 「はい、よく聞きますね」
「それをどういう意味に捕らえている?」 「ええと…、歳月が過ぎるのは人を待ってくれないから、時を惜しんで一生懸命勉強しろ、という意味かと…」
「そうなんだよな、たいていそう答えるんだよ」 「ええ…?違うんですか」
「あれは陶淵明の詩だけれど、最後が『歳月人を待たず』で終わるその詩の前段には、『嬉しいことがあったら思い切り楽しむが良い。若いときは二度とないんだから、そのときそのときを思い切り楽しめ』という意味の文がならんでいるんだよ」 「ええ、そうなんですか」
「そう。日本人はなんでも勉強しろ、という風につなげて考えがちなんだなあ。ははは、さあ、今日は飲むぞー!」
※ ※ ※ ※
そんなわけで、今日も危なく電車を乗り過ごすところでした。
知らずに覚えている事って結構多いですね。
歳月人を待たず、か…
2007年09月18日(火) |
070918_霞ヶ関の屋上緑化 |
今日は我が社が携わっている、虎ノ門の文部科学省を中心とする霞ヶ関の再開発ビルを視察しました。
ここにはもともと文部科学省の建物があったのですが、古くなったことなどから再開発の手法で大きなビルを建てたのです。しかも道路に面した昔ながらの由緒ある道路からの建物風景は生かしつつ、その後ろの面積を有効に利用して高層の官庁ビルと民間も入るビルを建設したものです。
今日はその中を駆け足で見せて頂きつつ、面開発による土地の有効利用の現状を勉強しました。
このビルの隣には初期の超高層ビルで有名な霞ヶ関ビルがありますが、今回のこちらに併せて地面周りを一体に整え、広場的な面積を増やしています。またこれに伴って樹木や緑地も増えました。
東京のような密な土地利用が行われているところでは、土地の高度利用を行うことで、地面の緑地を増やすことができるというわけです。
※ ※ ※ ※
ビルの最上階から外を見ると眺めはこれまた抜群。そんななか、霞ヶ関の官庁ビルを見ると、屋上緑化がかなり進んでいる様子が見えました。
東京都では一定の面積以上のビルの屋上は緑化することを義務づけていますが、霞ヶ関も立派に屋上緑化を進めているのです。
今まではよく見える場所がありませんでしたが、これからはこのビルからよく眺められることでしょう。
2007年09月17日(月) |
070917_巣鴨の庚申塚 |
暑い中を上京中のうちの奥さんと一緒に巣鴨へ行ってきました。
JR大塚駅からはレトロ感覚をいまだに持ち続ける都電荒川線で庚申塚駅まで向かいます。庚申塚駅からは地蔵通り商店街を南へと下ってとげぬき地蔵の高厳寺まで行こうというのです。
さて電車から降り立ったところにあるこの庚申塚、庚申の「申」が干支の「さる」であることからか、明治時代に千葉県銚子から猿田彦神社を分祀して、今では猿田彦神社として地域の人たちに祀られています。
狛犬にあたる霊獣もここではお猿さんです。変わってますね。
お参りの際に拝殿の前に塩が置かれているのに気がつきました。しかも塩が数多く供えられるためか、「塩は袋を開けずにこちらへ入れてください」という台まで設置されていました。
こういうことはあまり見かけない光景で、ちょうど御神輿を運んできた地域の方々に訊ねてみました。
「あのう、ここの神社には塩が供えられているようですが、これはどういう謂われなのでしょうか」すると地域の皆さんは、「あれ、本当だ。これは最近のことだねえ。もうずっとここの神社を見てきたけれど、昔はそんなことはなかったもの」とのことでした。
地域の方に訊いてみなければそのまま昔からの風習だと思ったことでしょう。誰かが何気なく始めたことがこうしてなんとなくそのお社の曰く因縁になってしまうということもあるのかもしれないし、庶民の信仰って案外そういうものなのかも知れません。
巣鴨へ行ったら、とげぬき地蔵だけではなく庚申塚もお訪ねすることをお勧めします。
2007年09月16日(日) |
070916_うらやましいです |
午前中に近くの床屋さんへ行きました。ここは大人の調髪が1850円という格安の料金。
しかもこの料金でカットに加えて顔剃り、ひげ剃り、シャンプーまでしてくれておまけに年中無休というサービスの良さです。都会の競争の激しさが料金に表れている典型です。
ここには担当のスタッフが4人いて、次から次へとお客さんの調髪をこなします。もっともこの料金ではあまり長く時間をかけてはいられないのでしょう、約30分ほどで実に効率的に一連のカットをしてくれるのです。
いつもはお客さんが結構待っていて、今日も待つのを覚悟で昼過ぎに行ってみると、なんと店の中はがらんとしていて、私の外にはお客さんがいません。しかし「いらっしゃいませ!」という明るい声はいつもどおり。椅子に案内されると普段通りの手作業が始まります。
「今日は随分すいているんですね」 「ええ、今日は朝からずっとこんな感じです」やはり床屋さんといえば世間話です。
「それはなんだろう、連休の中日で晴れているからですかね」 「そうだと思います。皆さん遊びに行かれているんでしょうね…、うらやましいです」そういって青年は少し苦笑いをしました。 サラリーマンなら多くの人が晴天の連休を楽しんでいるのに、客商売は休むこともなく、しかもお客さんが来なければ仕事になりません。まだ20代のまじめそうな青年がなにげなくつぶやいた「うらやましいです」の一言が心に響きました。
(ガンバレ青年!)そう心で応援をしてお店を後にしました。
店の外が随分まぶしく感じました。
2007年09月15日(土) |
070915_浅草演芸ホール |
今日は上京してきたうちの奥さんと一緒に東京巡り。快晴で残暑が厳しい一日です。
まずは浜松町駅から東京湾の日の出桟橋へ向かって、水上バスに乗り込みます。ここから隅田川を上って浅草へ行こうというわけ。
水上バスに乗るのは初めてでしたが、水面が近く感じられて爽快です。我々は室内の座席に座りましたが、外の方が風が感じられてもっと爽やかだったかも知れません。
船内からは隅田川にかかるいくつもの橋をくぐりますが、それぞれの橋や岸辺の話題を説明してくれる音声ガイドがあったので借りてみました。 写真はその姿。長ーい携帯電話みたいなもので、番号を押すと橋などの説明をしてくれます。船内放送はエンジン音にかき消されるのでこれを使った方が便利。お一人様300円です。
※ ※ ※ ※
浅草は人、人、人で大混雑。相変わらずの人気観光スポットです。仲見世通りにはたくさんの外人さんもいて、日本的なお土産を品定めしているようでした。
しかしながら今日の我々の目的は浅草の寄席。浅草には浅草演芸ホールがあって、ここで寄席を見ようというのです。
演芸場に到着したのはちょうど12時を過ぎた頃でしたが、「まだ席が空いております。座ってご覧いただけます」という声に安心しながら木戸銭お一人様2500円を払って入場です。
今日の浅草演芸ホールの昼の部は、11時40分から4時30分まで。この間に中入りというトイレタイムがあるものの、一人15分程度で次から次へと芸人さんが入れ替わります。
出し物は落語が多くて、時々「色物」と称して曲芸や紙切りなどが登場します。
落語も若手からベテランまで何人もが登場しますが、やはりベテランの経験を積んだ芸人さんの話芸は、若手とはひと味もふた味も違います。落語の内容も、古典にゆくのは希で、最近の時勢を話題にした枕で大いに笑わせてくれました。
座席が古くて、長く座ると腰が痛くなってくるのですが、こちらは昼の部と夜の部の間で総入れ替えはありません。いたいと思えば夜の部の16時40分から21時まででもそのまま見ることができるのです。
たまにはこういう笑いの文化もよいですね。
お後がよろしいようで
2007年09月14日(金) |
070914_うちの奥さんが上京中 |
今日から週末の三連休にかけては、北海道からうちの奥さんが東京に来ています。
明日からあちこちを一緒に巡ってこようと思います。天気が良いことを祈りますが、よすぎて残暑が厳しくなりそうという予報も。中間がいいのに。
さて明日はどこへ参りましょうか。
2007年09月13日(木) |
070913_東京巡り 東雲〜豊洲地区 |
総理辞任から一夜明けると、もう話題は次の総理選択のこと。国民生活を第一に考えると、政治に空白は許されません。早く政治の正常化を進めて欲しいものです。
さて、今日は午後から都内の施設を視察してきました。まずは江東区の東雲(しののめ)地区に新しい住宅地として作られた東雲キャナルコートです。
ここは、約16haの敷地に6000戸の住宅が計画されていて、特にその中心に位置する4.8haに6区画約2000戸が計画されているのが中央ゾーンで、ここに我が社の賃貸住宅が建てられています。
東雲地区は銀座から地下鉄で10分という至近の距離にあって、かつては工場が林立していた地区でしたが、ここで新しいまちづくりを行ったもの。
特筆すべき事は、全体を包む緩やかなデザインガイドラインを設定して、個別の住棟はそれぞれの建築家がその範囲で柔軟な建築提案を行ったということです。
その結果、特定の建築家への憧れや好みを受け止められるデザイナーブランドとしての住宅ができあがったというわけです。 住宅の申し込み受付を訪ねて、空き部屋があるのですかと訊ねると、「一つだけ空いていますけれど、それももう予約が入って、いまは空きがありません」とのこと。これだけ入居率が高く、支持されている団地も珍しいのでは。
面白いのは一階の高さの通りと、階段を上がった二階にウッドデッキがあって、デッキの上は広場になり、その下には住宅街の真ん中を通る通り沿いのお店と駐車場、駐輪場がはめ込まれています。
もっと木が大きくなるとまた品格も高まることでしょうね。
※ ※ ※ ※
その次はバスで移動して今度は豊洲の区画整理地区を見てきました。
こちらはかつて石川島播磨工業の造船所があったところなのですが、そうした歴史を風景として生かしながら新しいまちづくりを行った地区です。
人気があるところではララポート豊洲というショッピングモールが有名です。そしてこの一角にあるのが子供達に働くことの楽しさを遊びながら伝えようという「キッザニア」という施設です。
この施設は有料で、大人が2千円、子供(2〜16才)が3千円と子供の報が高い料金設定になっています。
おまけに子供連れでなくては親も入れません。大人だけで視察にいった我々は入れてもらうことができず残念。
子供連れで行こうにももう子供も大きくなってしまった私としてはそのうち(まだいませんが)孫でも連れて行くことにしましょうか。
※ ※ ※ ※
さて、この豊洲地区は昨年度の地価上昇率が日本で一番だったとか。次々に超高層の建物が建つ様に勢いがありますが、東京の中でも指折りの場所だからこそでしょう。都心にこれだけ近くてこれほど大きな土地が生まれたところってほとんどないのですから。 行ってみる価値がありましたよ。{/
2007年09月12日(水) |
070912_総理辞任ショック |
昼に安倍総理辞任の報が流れて職場も騒然としていました。
多くの人が今日のブログの話題はこのことになるかもしれませんが、あまりに突然のことでショックです。
知人がちょうどお昼に霞ヶ関に用事があって行っていたそうですが、「お昼に『エーッ』というどよめきが起こって、職員がみんな立ち上がってたんですよ。何事か、と思ったら総理の辞任報道でしたよ」とのこと。
常識的にはあり得ないと思いますが、総理だってそれを重々知っていてなおそうせざるを得なかったということは、常識では考えられない事態だったということなのではないでしょうか。
※ ※ ※ ※
それにしても周りの不祥事が積み重なって、形はまさに政権を投げ出したようで、政治の世界が不安定ということは国民にとって不幸な状況です。我々一人一人が政治を改めて考えることが大切です。
夜の会合が神田で行われて、帰りがけに神田明神にお参りしてきました。
大きな提灯に風情がありました。神頼みではないのですがね。
2007年09月11日(火) |
070911_災害とメディア |
夜になって強い雨が降り、涼しくなりました。秋の訪れも近いようです。
今日はある会合での勉強会。様々な分野で最先端の取り組みをされている方に会えるのでとても楽しみなのです。
今日は「放送と通信」に関するお話で、東京工業大学の佐々木和郎教授からお話を伺いました。
今やネット社会が進み、パソコンでも映像が見られる時代になりましたが、いまだに著作権の問題を始めとして、放送と通信の根本的な違いに由来する問題があって、ネットで自由にテレビ番組を配信するという社会にはなっていません。
放送の特徴は、「一斉に同じ内容を伝えることができる」という点にあり、逆に通信は個別に双方向でやりとりをすることに特徴があると言えます。
現在のアナログテレビは、使っている周波数帯を外の放送に使うことができず、非常に非効率。それは「まるで高速道路の一車線をリヤカーが独占して走っているようなもの」と形容されます。
そこで、そうした放送の電波をデジタル化して幅広く独占して外に使いようがなかったテレビ電波帯の通信資源を集約して、他に使える資源としようというのが外ならぬ「地上波デジタル化」の動きというわけ。
多チャンネル化を可能にして効率の良いBSやCS放送も、雨が降ると電波が遮断されてしまって、映像の質が保てないのが最大の欠点なのだとか。やはり地デジ化しかないのか。
※ ※ ※ ※
最近はワンセグという技術で、画像の質が悪くても手軽にテレビ映像が見られる携帯も流行しています。
実はこの技術の画像の質が高くない、ということは逆に省エネ放送になっているということで、一定地域限定の放送サービスを提供することも可能なのだそう。
地震などの大規模災害を被災したところでは情報が混乱しますが、こうした地域限定で情報を提供するというサービスの可能性がある、と佐々木先生はおっしゃいます。
これまでは被災した現地『から』の情報が流れることはあっても、苦しんでいる現地『への』情報を提供するツールはほとんどなく、結局地域コミュニティの口コミによる情報収集がほとんど。
またそのために、そうした情報が欲しくて家から離れて避難所へ向か痛くない、という人も多いと言われます。
情報ツールを上手に使って、災害に強い地域づくりをめざしたいものです。いやあ、情報ツールのシンポはすごいスピードですよ。
2007年09月10日(月) |
070910_統計の見方 |
今週は全般的に天気が悪そうです。気温が下がってきたので過ごしやすくなりました。
内閣府が9月8日に、「国民生活に関する世論調査」を発表しました。多くのマスコミはこのなかから、国民の不安感をとりあげて話題にしていました。
たとえば中日新聞では『内閣府が8日付で発表した「国民生活に関する世論調査」で、「日常生活で悩みや不安」を感じている人が69・5%に上り、昨年10−11月実施の前回調査を1・9ポイント上回って過去最高を更新した』と書きました。
またasahi.comでは『日常生活で悩みや不安を感じていると答えた人が69.5%と過去最高だったことが、内閣府が8日付で発表した「国民生活に関する世論調査」でわかった。去年より生活が「向上している」と感じる人が1.4ポイント減り、「低下している」と感じる人が2.4ポイント増えた。内閣府は「高齢化や年金問題から、将来への不安が増えたのではないか」と分析している』としています。
随分恐ろしそうな調査結果に思えたのですが、最近のネット社会の良いところがすぐに原典にあたれるということです。そこで内閣府のホームページから調査結果を見てみることにしました。
結果はこちら →http://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-life/index.html
数字だけを見ると、回答者のなかに「悩みや不安を感じていると答えた人が過去最高」という点がやけに強調されています。しかし原典を見てみると、それ以外の設問もいろいろと用意されています。その中には世の中に不安ばかりを感じているわけでもないような側面もあるようです。
たとえば、「収入と自由時間についての考え方という項目では、こんな風に書かれています。
『収入と自由時間の関係について,自由時間をもっと増やしたいと思うか,収入をもっと増やしたいと思うか聞いたところ,「自由時間をもっと増やしたい」と答えた者の割合が37.7%,「収入をもっと増やしたい」と答えた者の割合が44.7%となっている。なお,「どちらともいえない」と答えた者の割合が15.2%となっている。 前回の調査結果と比較してみると,「収入をもっと増やしたい」(48.0%→44.7%)と答えた者の割合が低下し,「どちらともいえない」(11.7%→15.2%)と答えた者の割合が上昇している』
上記の不安の率が最高、というタイトルから比べるとなんだかそれほどガツガツしているわけでもなく、のんきな様子もうかがえます。誤差の範囲と言うこともあるのでしょうか。
※ ※ ※ ※
結局のところ、統計というものはそこからなにを読み取るか、ということに考え方のバイアスがかかるといろいろな側面が見えてくるということがありそうです。
不安が増したという事実はあるのでしょうけれど、単純にマスコミの報道を鵜呑みにするのではなく、原典に当たってみて、そこからなにを感じるか、という練習をすることが一人一人に必要な気がします。
さて、なにが読み取れますか
2007年09月09日(日) |
070909_多摩ニュータウン 南大沢のデザイン |
暑いのも昨日まで、という天気予報ははずれて、今日も暑い一日。
9月9日の重陽の節句とはいえ、まだまだ秋は遠いようです。
さて今日は、東京都内でも23区ならぬ、多摩ニュータウンを一巡りすることにしました。電車に乗るときに、東京と反対の方向に乗るのです。
多摩ニュータウンは、戦後の住宅難に対応する形で当時の住宅公団などが建設を始めた新しい都市作りの場です。おなじみのWikipediaで見てみると、
「開発主体は住宅・都市整備公団(現:都市再生機構)並びに東京都及び東京都住宅供給公社。開発面積は約3,000ヘクタール、計画人口は342,200人で、東西14km・南北1〜3kmに及ぶ新住宅市街地開発事業及び土地区画整理事業である。1965年に都市計画決定し、翌年には事業計画の認可を受けて1971年3月26日、多摩市諏訪地区・永山地区において第1次入居が開始された」とありました。
3000ヘクタールに及ぶ広大な都市作りなのですから、たった一日で見ることなどできないのですが、いくつもある中心核のなかから今日は南大沢周辺を探訪してみました。
南大沢は、京王線南大沢駅周辺に広がる住宅地ですが、ここの特徴は、それぞれの建築家は別でも、全体としてデザインに統一感を持たせて地域整備が進められてきたことです。
デザインコンセプトは、「「新丘陵都市人」という文化の受信や発信に敏感な住民層を想定して、自然環境豊かで暖かく、安心感のあるイタリアの山岳都市」を目標としたのだそう。
具体的には三角の屋根と、赤系の色調、部分部分では洋風瓦屋根などを使って統一的な町の雰囲気を演出しています。
駅は住宅地整備の後からできたとのことですが、今や駅周辺にはイトーヨーカドーやラ・フェットというアウトレットモールなどもできていて、たくさんの人で賑わっています。
南イタリアといわれると、そうかな、と思いますが、ベランダから布団を干しているのを見ると「日本だなあ」と笑ってしまいます。
統一的なデザインのまちづくりを実践してみるとこれくらいのことはできる、という見本として南大沢地区は面白い地域です。{/
2007年09月08日(土) |
070908_東京に緑を 秋葉原〜汐留 |
台風が引きずってきたのか、東京は今日も真夏日。この暑さも今日までのようですが、やっぱり暑いのはつらい。
さて、今日も東京を巡るツアー。東京の緑も訪ねながら自転車で走りましょう。
今日の出発は文京区春日にある区の貸し自転車場。貸し自転車場の受付には今まで気づかなかった、「サイクル倶楽部」へのお誘いのポスターが貼ってありました。 「いままでも貼っていましたっけ?」「多分…」 早速、会員になりました。10回乗ると一回がタダになるそうですよ。
※ ※ ※ ※
まずは秋葉原の駅前広場へ向かいます。ここでは知人が緑化の実験をしていると聞いたのです。会場の秋葉原駅前広場には、樹木が何本もコンテナで運ばれたうえに芝生が敷かれていて臨時に小さな林ができています。
そしてそこにはベンチが置かれていて、座って憩えるようになっています。実験の目的は、あえてビルの広場に緑をつくって、道行く人が緑をどう考えるかを捕らえようというもの。
ちょうど知人のAさんもそこにいたので、アンケートにも協力をしてきました。木陰のベンチに座っているとコンクリートの広場よりも涼しい気がします。緑って大事ですよね。
涼しくするだけなら、霧を散布して涼しくすればよいというそんな装置もありました。駅前のエスカレーターには、気温が高かったり風が弱いなどの条件がそろったら空気を冷やすために細かな水の霧が出る装置がついていました。
確かにその周りはひんやりとするのですが、何でもかんでも涼しくなればそれで良いのだろうか、と思います。やはり自然の緑が与えてくれる涼しさの方が品があると思うのです。
この緑の実験は月曜日までだそうです。
※ ※ ※ ※
秋葉原からは日本橋〜京橋〜銀座と自転車を走らせて、新橋の裏の汐留地区を一走り。そういえば汐留地区の海側には浜離宮がありました。まだ行ったことがなかったので、こちらもちょっと一巡り。
こちらはもともと将軍家の鷹狩りの場所だったのですが、六代将軍家宣が大規模な改修を行って、ほぼ今の原型をつくったのだそう。
園内の池には海の水を取り入れる汐入庭園として、最もよく残っているものと言えるでしょう。
そんな池や緑越しには、汐留の超高層オフィスビルが並ぶというのも伝統と現代が同時に息づく東京ならではの風景です。{/kaeru_en4/}
2007年09月07日(金) |
070907_どちらでも良いときは |
台風一過。東京は午後には薄日がさしてきました。しかしまだ北日本は台風が通過中です。気をつけてくださいね。
さて、いよいよ秋の臨時国会が始まろうとしていますが、いまだに政治家の資金管理の面でいろいろな問題が取りざたされています。
国民の電気はもう放電が終わりかけているようですが、これからの国会の中ではまた蒸し返したような問答で時間を取って、肝腎の国政に関する議論がおろそかになりそうです。深く静かに議論の場を見守りたいものです。
それにしても資金管理の問題は(マスコミもよく探し出してくるものだなあ)と感心するほど。真に物事を透明にするということはなかなか大変です。
※ ※ ※ ※
中国の代表的な古典の一つである「孟子」にこんな一節がありました。
「人からの贈り物を、取ってもよくて、取らなくても良いというときには取らない方がよい。取ると清廉の徳に傷が付くから」
「人にものを与えるのに、与えてもよくて、与えなくても良いというときには、与えない方がよい。与えるとかえって恩恵の徳に傷がつくから」
「死を惜しまないのを勇というが、死んでも良くて、死ななくても良いというときには、死なない方がよい。死ぬと無駄死にでかえって真の勇気に傷がつくから」と。
ついつい逆の行動に出てしまいがちですが、孟子の言うとおりにするには勇気が要りそうですね。頭の片隅に置いておきたいものです。
2007年09月06日(木) |
070906_「東京」ってどこのこと? |
午前中は風は吹いていたけれど雨はそれほどでもなく、まだ穏やかだったのですが、夜になってからは暴風が吹き荒れ、真夜中の今は雨と風が非常に強くなっています。 明日の電車は動くのかなあ。
さて質問です。「『東京』ってどこですか?」 都道府県で言うと東京都という地名はありますが、では都庁所在地はどこでしょう?新宿?東京?うーん、はっきり答えづらいですね。
江戸幕府が崩壊した慶応4(1868、明治元)年に、「江戸を東京とする」という詔書が出されてはいるものの、その意味は(西の)京都に対する東京という呼称が決まりました。
しかし天皇陛下が「東幸の皇居」を江戸城改め東京城に定めたとはいえ、「東京を日本国の首都とする」という明確な法律は現在存在していないのだそうです。
また東京という呼び名も、旧東京市に由来する東京23区をまとめた総称として使っていて、それで都庁所在地も慣例として東京ということになっているそう。歴史のどさくさの中から誕生した慣例で世の中が動いているというのは面白いですね。
※ ※ ※ ※
そんな本を読んでいたら、東京駅東口にある「八重洲口(やえすぐち)」の地名の由来が載っていました。八重洲ブックセンターは時々行く大きな本屋さんです。
実はこの「八重洲」という名前は、慶長5(1600)年に豊後の国(今の大分県)に漂着したオランダ人ヤン・ヨーステンにちなんだ地名なのだとか。そういえば日本史の教科書で見たことがある名前ですぞ。
ヤン・ヨーステンは、徳川家康の信任を得て今の東京駅西側の丸の内あたりに屋敷を与えられ、日本人の女性と結婚したのだそうですが、その屋敷地がヤエスと呼ばれるようになったのだとか。
この地名は町名変更で「丸の内」になった際に一度消えたものの、昭和29年に再び駅の東の反対側に復活したのだそう。
ううむ、東京の地名も奥が深い。
歴史があるということはこういうことなのですね。もっと勉強しなくては。{/face_ase2/}
(写真は八重洲ブックセンターの前にある金色の二宮金次郎像です)
2007年09月05日(水) |
070905_名前のない木 |
ある本を読んでいたら、「『立派な木』というものがあるだろうか。立派な木になろうと思ったら、立派な松か、立派な梅か、立派な桜か、いずれにしても何かの木として立派にならなくてはならない」とありました。
つまり、「立派な人」になろうと思ったら、「立派な日本人か、立派な中国人か、立派なアメリカ人か、いずれにしても依って立つところの人として立派にならなくてはならない」という意味です。
それは偏狭なナショナリズムではなくて、国際的であろうとすればするほど、「では自分は何なのだ」という問いに答えなくてはならないと言うこと。
さらにその論を進めて行けば、立派な日本人であろうとすれば、立派な道産子や立派な江戸っ子になることで、立派な○○市の市民であるということだし、立派な△△高校の卒業生であり、自分の親にとって立派な子供である、ということにつながって行くことでしょう。
自分なりの向上心をつきつめるということは結局、関わって良い影響を与えてくれた人やものに感謝をしてゆくことなのではないかとも思います。
名前のない木がないように、何でもない自分という存在もないんですね、うーん。。
2007年09月04日(火) |
070904_「温」という漢字のぬくもり |
ある本で見つけた面白い漢字の話をひとつ。
人間を檻に入れると、これは囚人の「囚」という漢字。
しかしこの囚人に対して死刑にしてしまわずに、さらに食事をもって水も飲ませてやります。食事は「皿」で、水の「シ(さんずい)」をつけると、これは「温(あたたかい)」という文字になります。
そしてこの暖かい気持ちで、「なぜ犯罪を犯したのか」ということを訊ねてやる。だから「温」という漢字で「たずねる」と読む。
温故知新とは「故(ふる)きをたずねて、新しきを知る」
「温」という人文字に、人間社会の暖かさが凝縮されているような気がします。
2007年09月03日(月) |
070903_日本人は電気ウナギ |
最近はテレビを見ていても、司会者や評論家たちが事件や現状への怒りをぶちまけるシーンが多くて、ちょっと食傷気味。確かに目を覆いたくなるような殺人事件の報道などを見ると、犯人への憤りを感じはするけれど、それがすべて社会や政治が悪いせいでもあるまいとも思うのです。
社会や政治が悪ければ世の中の人が皆悪人になるわけではなくて、みなそこに一人の人間としての責任や判断があるはずで、そこを考慮の外に置いて、世の中のせいにするというのはある種の責任転嫁ではないかな、と思います。
※ ※ ※ ※
北海道に縁のある文学者に内村鑑三(うちむらかんぞう)という人がいますが、彼が「聖書之話」という著書の中で、「日本人の浅さ」について電気ウナギにたとえた話が残っています。
彼は「日本人は浅い民である。彼らは、喜ぶにも浅い。怒(いか)るにも浅い」民である、と言います。
そして、「彼らは『深く静かに怒る』ことができない。まことに彼らは、『永久に深遠(しんえん)に怒る』ことが、いかに正しく崇高なことかをさえ知らない。ゆえに、彼らの反対は恐ろしくない。彼らが怒った時には、怒らしておけば、それでよいのである。電気ウナギが貯めている電気を放散すれば、そのあとは無害になるように、日本人は怒るだけ怒れば、その後は平静の人となるのである」という趣旨のことを述べているのです。
自分自身も「その通りだなあ」と同感して、ブログではあまり怒らないように心がけています。
ブログでの怒りの表現は、当事者として「自分も参加してそれを変えて行こう」という深く静かな怒りではなく、明日は消えてしまう一時の感情のように見えてしまいます。
怒った文章を読んでもらうよりは、前向きな何かを見つけ出す方が建設的なのではないでしょうか。
※ ※ ※ ※
それにしても、最近の電気ウナギは大臣の一人や二人をしびれさせるのは簡単なようですね。ビリビリッ…!うーん。
2007年09月02日(日) |
070902_屋上緑化で家庭菜園を |
今日も午前中は部屋にこもって作業でしたが、なんとか午後にはある程度の片がつきました。フー、疲れた。
午後に、家の近くの成城学園前駅周辺を訪ねました。以前からここには面白い屋上緑化施設があると聞いていたのです。その名も「アグリス成城」と言って、ちょっと高級な貸し農園になっているというのですから、これは一度訪ねてみなくてはなりますまい。
さて、やってきた小田急線の成城学園前駅は駅舎が小高い丘の上にあって、建物の地下部に駅があるという構造になっています。そのため、線路が駅舎に入る手前からトンネルになるのですが、その屋上が屋上緑化されて、会員制の貸し農園になっているのでした。
「アグリス成城」と言うのですが、近くは超高級住宅街だけあって、貸し農園といってもデザインなどはこざっぱりしていて、ちょっと品があります。
駅を降りると正面にクラブハウスがあって、そこでは申し込みの外に種などを買うこともできるようになっています。中にはちょっと日焼けしたきれいな女性スタッフがおられました。
「あのう、お伺いしますが、こちらの貸し農園は随時受け付けてくれるのでしょうか?」 「今は秋の会員を募集していますよ。冬までに収穫を得ようと思うとそろそろ時期が来てしまいますからね」
「なるほど。ここは線路の上に当たると思いましたが、土の厚さはどれくらいなんですか」 「土の厚さは40センチありますが、屋上なので軽量土壌を使ってあまり重すぎないように工夫しています」
「水やりにこられないようなときには、代行サービスもあると伺いましたが」 「はい、有料になりますが水やりの代行などもしています。どうぞお申し込みください」
なるほど、さすがは東京でも高級住宅街に位置づけられる成城。農や、収穫というのがちょっと高級なライフスタイルと感じる人たちが一定程度はいるようです。
農場は区画がはっきりしていて、お隣との境界でトラブルになるようなこともなさそうです。管理が行き届くと、農園というよりもちょっとした公園のように見えてきます。これも成城だからでしょうか。
※ ※ ※ ※
今まで屋上緑化というと、ビルの熱を和らげるような環境面での意味合いが強かったのですが、こういう形で人々の楽しみやお金をかけることで経済が回って行くという手法が出始めました。
屋上緑化が、ただ管理費がかかる上に、ビルによけいな重さがかかるという「やっかいな環境対策」ではなくて、人々が喜んでお金を払うというニーズに応えるという手法になるというのは面白い試みですね。
まあ、都会ならではの現象なのかも知れませんが、日本人は土から離れられないのでしょうか。
2007年09月01日(土) |
070901_一日内業 |
今日は防災の日。関東大震災の起こった日です。おうちの防災グッズは大丈夫ですか?防災電話の171の練習はしてますか? 年に一度は防災についてじっくり考えてみるのが良いですね。
さて、今日はどうしても家出しなくてはならない内業があって、東京巡りができませんでした。
一日家で煮詰まるような作業を繰り返しておりましたよ、ふー。しかも今日一日では終わらずに明日までかかる分を残してしまったので、明日もどうやら遠出はできなさそうです。うーむ、ストレスが溜まりそうです。 明日は早起きして作業に取りかかるとしますかねえ。
※ ※ ※ ※
夜は世界陸上の男子100m×4人の決勝にドキドキ。日本は5位と本当に惜しくもメダルを逃しましたが、昨日作った日本記録をさらに上回る日本新記録を達成。
来年の北京でもこのメンバーで活躍して欲しいなあ。
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